小川未明 おがわ・みめい(1882—1961)


 

本名=小川健作(おがわ・けんさく)
明治一5年4月7日—昭和36年5月11日 
享年79歳 
東京都東村山市萩山町1丁目16–1 小平霊園23区29側6番
 



小説家・児童文学者。新潟県生。早稲田大学卒。明治40年短編集『愁人』を出版、翌年『緑髪』を出し「新浪漫主義」作家として注目された。一方で43年最初の童話集『赤い船』を出版、大正15年『童話作家宣言』を発表、童話の世界に専念する。『薔薇と巫女』『物言はぬ顔』『赤い蝋燭と人魚』『未明童話集』などがある。



 


 

 何が生きてゐて、最も楽しいか? と問はれたら、私は、心ゆくばかり、自然のふところに浸って、眼にうつる木や、花や、空や、小鳥の声をきくことだといふでありませう。即ち、これを思ふに、自然と自分とが、快よく溶け合った瞬間であります。
 人生は、自然の一部であるのに、大概、平常は、それに反く日が多いのであります。よって、芸術ある所以で、芸術は自然への復帰を理想とする。なかにも童話は、詩的精神から産れるものなるが故に、自然と人生の調和を描くことを忘れては、生命がないでありませう。
                                                        
(いつはりなき心情)

 


 

 人間の孤独性の本質を探り、自然に抱かれることによって、人間の不安や孤独は還元されて行くのだという未明の人間像は、その小説や童話に優しく染め上げられている。
「童話の神様」とか「日本のアンデルセン」と呼ばれてきた未明にも、文壇の常として、象徴的童話の古い手法に対する童話伝統批判や近年にいたっての再評価といった毀誉褒貶の論説が覆い被さってもきたのであった。
 明治・大正・昭和と長い文壇生活をおくってきたが、命という命の明るい芽吹きが始まったある日、脳出血により未明も自然に還元されて逝った。それは79歳の初夏、昭和36年5月11日午後6時56分、東京・高円寺の自宅でのことであった。



 

 昭和23年に開園した自然豊かな霊園のこの榮域には、つつじ、沈丁花などとともに、小川未明の童話『野薔薇』からきたものか、あるいは未明のロマンチシズムでもあろうか。珍しく、薔薇の木などが植わっていた。
 背後の樹葉に抱き抱えられるように建っている傍らの大きな自然石の碑には「許筆百篇 憂国情 未明」の自署が彫られ、その奥に「小川家一族墓」とならんで、黒御影の角石に「小川家之墓」と刻されてあった。
 早稲田大学在学中の22歳のころ、師坪内逍遙から、黄昏はこれから暗くなるものだが、暁はこれから明るくなるのだから、「未明」がよかろうと名付けられた「小川未明」、書店や図書館から未明の童話が消えて久しいが、再評価されてまた陽は昇ってくるのであろうか。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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