大原富枝 おおはら・とみえ(1912—2000)


 

本名=大原富枝(おおはら・とみえ)
大正元年9月28日—平成12年1月27日 
享年87歳(セシリア)
高知県長岡郡本山町寺家 寺家墓地 



小説家。高知県出身。高知女子師範学校(現・高知大学)中退。結核のため療養生活を送りながら創作をつづけ、昭和13年『文芸首都』に発表した『祝出征』が注目された。『ストマイつんぼ』で女流文学者賞。『婉という女』で毎日出版文化賞・野間文芸賞を受賞。51年カトリックに入信。『於雪−土佐一條家の崩壊』『ベンガルの憂愁』などがある。






 

 その五年間に、わたくしの身辺にはさらに二つの死が加わった。安束家に老を養っていた哀れな市女の死と、そして弟、貞四郎どのの死が──最後の男きょうだいである愛しい弟の死が。
 ──思えばこの四十年問、わたくしの身辺には朽葉のようにおびただしく死が累積した。姉上、長兄、次兄、三兄、そして弟、祖母上や異腹の兄姉たちの母たち、市女と、そして召使いの者たち数人……
 いまは「死」こそ、わたくしにとってもっとも親しく近しいものになった。死者たちは、自分たちの生命がただ死ぬためにのみ在ったのだ、ということをよく知っている。それゆえに、人としての形を失っても彼等はいまも一人一人、生前と同じくこの荒れ果てた幽居の中に坐っていた。わたくしたち生残った者たちの身辺に、彼等は各々白分の座を占めていた。
いまは軒も傾き、土台も朽ち、がらんとした破れ障子の朽ち果てたこの幽獄に、八十一歳の母上、六十五歳の乳母のぶ、そして四十歳あまりの三人姉妹が残る。
 生き残った者たちは、死者たちの音もなく漂い動く中に、ひっそりと身を寄せ合って、この晩秋の肌寒さの中にいる。お互の吐く息の温みを感じ合いながら──
 赦免はこのときあたえられた。憧れも憂悶も、そしてあれほど欲しがった外の世界の自由への想いも、すでに色認せて、萎え果ててしまったいま──
 父上の政敵たちももうすべてこの恨の人ではないはず、傲岸剛直、独断専行した父上によって、かつて加えられた侮辱への、彼の人々の復讐は、お互の死後久しいいま、ようやく完全に、まったく完全に成し遂げられた。野中伝右衛門良継の血は絶たれ、三人姉妹は夏も末の蟋蟀(きりぎりす)のように、色認せ、萎え果てた自由の中に投げだされている。
 彼の人々の執劫な憎しみは、ここに見事に完成した。わたくしは冷たくうっすらと笑わずにはいられない。

(婉という女)



 

 18歳の時、高知女子師範学校の教室で喀血、10年近い結核療養生活を送ることになった。
 〈人はみな私をやがて死ぬ娘として眺めていたが私は決して死ぬものかと思っていた。……生きてみせると居直った娘で私はあったのだ。書くことは生きること、であった。〉と文筆に賭ける意志を固めた。中途半端な幸福など書く必要もないと、「負の世界」に生きる女を、人間を、徹底して描いた大原富枝。
 〈愛が、孤独が、世界が、もうわたしの心の傷口を洗うことはありません。わたしはいま、風ばかり聴いています。〉、平成12年1月27日、前年末から体調を崩して立正佼成会附属佼成病院に入院加療中であった大原は、心不全のため風の中に逝き、〈そして一本の木となった。〉



 

 吉野川に沿った断崖の上に建つ小さな駅舎前をでたバスは、山間の寒々しい道を分け入ってゆく。南国といっても四国のへそと呼ばれる土佐嶺北地域、土地の人はその気候を山陰・出雲地方に重ねている。昔はよく雪が降ったそうな。20分ほど走ると大原富枝文学館のある本山地区、そこから吉野川の支流・汗見川沿いの道を歩く。橋詰めの右手に小高い丘、山の南斜面にあたるその丘の家で大原富枝は幼い頃を過ごした。
 富枝の墓は日当たりの良い丘の墓地にある。父母を真ん中に富枝と姉・雪の墓。墓の後ろには吉本隆明の碑文が建てられている。落陽を浴びた黄色いゆずの実が鮮やかに光って、吹く風とともに遠い雲が流れてゆく。遺言により隆明の著書『最後の親鸞』とともに大原富枝はここに眠っている。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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