後記 2014-08-10                   


 

        夏の人空手来たりて空手去る    高野素十

 遠い遠い夏の陽は
 幾重にも重なった山稜に
 哀しみをあずけて沈んでいく

 疾走する列車
 瞑想の窓
 一羽の鳥を乗せて故郷へと帰っていく風よ
 彼は逝った

 昭和13年6月6日に生まれ
 平成26年7月21日
 夜の底を追いやって
 届く光もおぼろげな朝
 ホスピスの窓辺で
 しずかに彼は逝った

 彼の暮らした西国の山里
 山襞の絞り込まれた果てに
 ようよう生まれたなけなしの一滴

 水泡のように膨らんでは消えてゆく
 昔々の故郷に
 かつてそこには父母や兄妹
 私もいて
 朝靄が草々から立ちのぼり
 ひろびろと空にそよぎ渡るころ
 江戸の昔からつづいた
 麦藁屋根の古家にも
 たちまち朝日は降りそそいでくるのだった

 鬼門には椿の木があって
 二本の椿の木があって
 清らかな山おろしにも馴染んだころ
 白と赤
 ときおり二色の入り交じった
 鈴なりの花を咲かせた

 椿の木のある
 故郷の家で
 弟妹たちが去った
 故郷の家で

 彼は老いた二親を守り
 送った
 自らの家族を守った
 幾許かの田畑や山林を守った
 父祖来の墓々を守った
 故郷の空を守った

 長男であるが故に

 ああ 
 それだけで
 俺の人生は終わったのかと
 彼は思ったのであろうか

 ただ
 それだけで

 叶わなかった唯一の夢
 机の上の
 真っ白なノート
 書き残されなかった文字が浮かんでいる

 知り人を捨てた長い年月
 都塵の吹きだまりに
 夏の日の朝
 あわただしく
 とどいた永劫のたより
 あいまいなまま
 薄らいでゆくことばの終わり

 聞く人を待たず
 暮れなずむ山里の坂道を
 背を丸め
 ベルトの内に両手を差して
 蕭々とのぼっていく彼の息づき

 さようなら
 いつの日か、また

 裏山の
 幽かに響く竹林の葉ずれ
 冬の夜には
 こおーんこおーんと
 狐の鳴き声がこだまして
 しんしんと降りつもる迷い雪
 山霊は時をかぞえず
 何気ないそぶりをして
 静かに眠りにつくのだ

 振り返ることをするな
 小さな点となって消えていく
 死に人の煩悶
 永遠を追う寂しさに
 見送る儚さ
 生け垣の向こうにゆがんでみえる
 名も知らぬ追憶の野の花
 別離の始まりをさがしても
 いまは
 空しく幻を見るだけ

 葬礼へいそぐ
 変わりようもない世界の
 わたしを置く場所はどこ

 疾走する列車
 西へ向かって疾走する列車

 わたしは昔々の故郷に帰っていく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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