後記 2014-01-23                 


 

 ぼくはむかしをおもいだす。

 ある日、北国に嫁いだ娘がメールに添付して送ってくれたムービーの音声に、私は耳を疑ってしまいました。
 新入生父兄参観日の一コマ。先生の「何々は何々をする。」という例題に子供たちは、「うさぎはにんじんをたべる。」「ぼくはじてんしゃにのる。」「うまははしるれんしゅうをする。」などと、たどたどしく答えていきます。そんな我が子たちの答えてゆくほほえましい光景に、父兄たちの優しげなまなざしが注がれていたのですけれど、次の孫娘の発した言葉に教室の光景は一瞬に停止してしまったかのようでした。
 「ぼくはむかしをおもいだす」。
 一呼吸を置いて何ともいえないざわめきが流れました。そんな雰囲気に、孫娘は何かとんでもなく間違った答えを言ってしまったのではないかと思ったようで、もじもじと不安げな様子で立っていたのですが、「○○ちゃんには何かものがたりがあるようですね。」という先生のフォローで、やっと安心したように着席したのでした。あとの懇談会で「小学一年生の答えとしてはあまりにも思いがけない言葉だったので、驚いてしまって」と、先生はおっしゃっていたということでしたけれども、七歳にもとどかない少女の思い出す昔とはどのような物語であったというのでしょうか。本好きの少女ですから、どこかでそんな文章に出会って心に留め置いていたのかも知れないのですが、はたしてそんな幼子の読む本に「ぼくはむかしをおもいだす。」などという大人びたフレーズがあるものなのかと思ってしまったのです。

 今回掲載した野呂邦暢が生涯のほとんどを過ごし、「三つの半島のつけ根にあたり、三つの海に接している。」と愛した美しい町、諫早。10年ほど前に一度、伊東静雄と野呂邦暢の墓参に訪れたことがありました。伊東静雄の墓参はなんなく果たせたのですが、川をはさんで駅と向かい側の高台にある市営墓地の野呂邦暢の墓は、タクシーの運転手さんの助けも借りて必死に探したものの、列車の時間もあって、ついに探しきれず、後ろ髪を引かれる思いでこの地を去ったのでありました。
 再訪となった今回の墓参はかなり時間的余裕のある旅でした。いつの頃からか諫早文化協会の墓所経路表示板が取り付けられており、前の墓探しは何だったのかと思うほど簡単に見つけることができたのです。
 そこには九州地方特有の趣で刻字に金箔の施された「納所家之墓」が建っていました。石塔の前からはずされ、横たえられた花立てや香炉の傍らで墓域の清掃をする人たちが二人休憩をしていて、「菖蒲忌が近いので、墓の掃除をしているのですが…」と。近しい人でもあったらしく、ぽつりぽつりと当時のことを話してくれる声を聞きながら、向かい合う丘陵のあたりを眺めていると、彼に小説を書かせる源泉になったこの小さな城下町の幸福が、ほっとした思いとなって私を包んでくれたのでした。
 墓参を終え、坂道を下って本明川河畔仲沖町にあった野呂邦暢の旧居跡に立ち寄ってみました。かっては野呂の小説『諫早菖蒲日記』の主人公志津が暮らしていた古い武家屋敷でした。新婚生活をおくり、また別離したその屋敷も今は消えてなく、切石積みの門と篠竹の生け垣だけが昔の時間をとどめていました。生け垣の傍らには、玄関前で両手をズボンのポケットに突っ込んで立つ野呂の写真に添えて「野呂邦暢終焉の地  芥川賞作家・野呂邦暢は昭和四十六年にこの地に移り住み、四十二歳の昭和五十年まで、この地を愛し、この地をついの棲家とした」という文章が掲げられていました。昔日の面影もなく、広々と草地と化した屋敷跡に足を踏み入れました。古井戸らしき石組みに腰掛けて野呂邦暢という作家の物語を描こうとしてみました。しかし草々の葉先から消えおちていった夜露のように跡形もなく、そこには確かに野呂邦暢はいたのだけれど、あまりにもぼんやりとして、時の結晶を溶かしてくれるような光景はどこにも見あたりません。不確かな後ろ姿を忍ぶよりほか為すすべはなかったのです。

 遠い昔の……。

 過ぎ去った時間の後ろに横たわる人影、ぼんやりと輪郭だけが映る障子戸の薄明かり、花咲かぬ坪庭にも冬と呼べる景色の日は暮れてゆく。

 おわりに向かって、私の背後にも流れていったかずかずの物語。
 はじまりの谷に立ち上がった風は雨糸を縫い、陽のなかを空に飛び、裏山の一本の木の声を聞いて降りてくる。春には梅の花を咲かせ、夏には若葉を抜けて、秋には赤まんまをそよがせ、冬には篠に小雪を遊ばせたこの風は、私の生まれた村の古道にも吹いて、のちのちの場所、時間、人々を記憶にとどめてきたのです。
 とりとめもなく呼び返す記憶の、陋屋の北角に植えられた椿の古木、義肢装具をつけていた級友、片思いのありふれたほろ苦い恋、愚かしい蹉跌、絵の中に匂う蒼い日々、抱えきれなかったあの人とあの人の運命、風景は静かに生まれ、立ち、跫音だけがふりかえる。何かを信じて待っていたわけでもないのですが、ようやくに気がつくと、瞑想の風景が坂下の家と家の間にゆっくりと沈んでゆくのです。

 はじまりのおわりは、おわりのはじまり。

 

 ぼくはむかしをおもいだす。














 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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