陶芸始めちゃいました

vol.8  備前の旅

メンバー3名/犬猫庵、ゆう文、コンさん。
目的1/伊部で備前焼を見学、作陶体験。

---------------- スケジュール -------------------

 5月中旬2泊3日の旅。 1日目、山口県萩にて終日、風雲の歴史と萩焼を見る。
2日目、萩の泉流山窯にて萩焼き作陶体験。
 そして今日が3日目、岡山県備前市伊部(いんべ)を訪ね、備前焼を見学、あの堅い焼き締め陶器とうわさの本物の田土を体感し、作陶体験する。

  3日目 伊部

1 岡山0828発、赤穂線・新見行。電車はローカルな田園のなかを走る。0908伊部(いんべ)着。 途中に名刀で名高い備前長船駅があった。旅のMapでは「備前おさふね刀剣の里」が紹介されているが、車中からではまったく様子をしるよしもないし今回の目的にはないのでパス。
伊部駅1伊部駅2 伊部駅前 伊部駅前公衆電話
 伊部駅のホームに降りると手前に陶芸の街並みや看板。その向こうにはわりと近くに緑の山々が迫っている。伊部駅は駅舎北口が備前伝統産業会館と併設になっていて、1階に観光情報センターがある。例によって地図ほか観光資料をゲット。2階は備前焼陶友会の展示即売場だ。
 外に出ると、左正面にメーンストリート。土産物屋がたち並びいくつか煉瓦の煙突が見える。いかにも陶芸の町の風情がある。おっと、目の前の公衆電話の屋根は備前焼だった。


伊部駅MAP

2 駅前の大きなイラストマップを眺め、まずは正面の国道2号線を横切り「岡山県備前陶芸美術館」へ。
 ここには古備前から現代に至る備前焼が展示されているが、人間国宝の代表作を陳列したフロアもあり、かなり見ごたえがある質と量だ。これだけでもう「備前焼き」は満腹だっちゃ。 朝っぱらからたっぷり目を養ったので、早くも1Fのロビーで休憩タイム。
 ソファー横の棚に並んだ現代作家の備前茶碗の中から好みのカップを選び100円でコーヒーが飲めるのはうれしい。


3 さて陶芸マップを片手に伊部の町めぐりの始まり。国道を備州窯方向すなわち駅から出て「右回り」に伊部の町内を一周散策する。歩きはじめると早速ゆう文の目に留まったものは、焼物のお店にたなびくソフトクリームののぼり。これがなんとソースアイス。ソフトクリームにあの(とんかつ)ソースがかかっているという前代未聞の代物。研究熱心なゆう文は早速購入、勧められてコンも試食するが、この感想は当欄には記さず、ゆう文に直接聞いていただきたい。


町の中1町の中2

4 伊部は小さな町、ゆっくり見て回っても2〜3時間あれば十分だろう。われらは作陶体験があるのでプラス3〜4時間。備州窯を見てこれを左折。備前焼のお店がたくさんある。犬猫庵はレトロなカメラで町並みを撮影している。次を左折すると備前の焼き物ストリートだ。両側は陶芸店だが朝早いせいか通りに人影はなく、歩いているのはわれわれだけ。まだ開いていない店もある。右手、備前焼の狛犬がお出迎えの「天津神社」にお参りする。少し長い石段の上に神社があるが、ゆう文は階段が苦手なので参拝をあきらめ、途中で待つという。

狛犬大久保1
神社天保窯1

六古窯でも最古の備前焼き

5 神社で旅の安全と素敵な出会いを祈念したあとは、備前の「天保窯」の見学だ。天保窯は備前市伊部にある不老山の麓にある市指定文化財の備前焼の登り窯の跡。案内によると現存する江戸時代からの古窯はこれだけ。窯は中に入ることはできず、金網越しに見られるが、黒く焼け焦げた煉瓦の焚き口が時代を感じさせる。
天保窯
 天保窯は昭和15年ごろまで100年ほど使用されていたそうだ。元は長さ23メートルあったが、現存するのは長さ17m。窯は当時の京焼の窯を模した典型的な登り窯で、大きなトンネル構造の窯とは異なり、小さい部屋を並べた構造になっている。これ以前の窯はもっと大規模だったそうで、今でも南大窯跡、西大窯跡、北大窯跡などの窯跡が残っている。

天保窯説明

6 【歴史】 備前は、日本の六古窯といわれている瀬戸・常滑・丹波・越前・信楽・備前のなかでも最も古い窯場だ。須恵器の時代から備前焼になり、無釉焼き締めの伝統を守り、一千年の間、窯の火を絶やしたことがないという。備前ではいまだに昔ながらの登り窯、松割り木の燃料を用いて、雅味深い備前焼を作っている。
 鎌倉時代には古備前と呼ばれる盛隆期があり、室町、桃山時代から江戸時代は茶陶として栄え今日まで続いている。
 備前の焼き物は1299年頃に黒から赤い焼き物に移行したと考えられている。すなわち煤(すす)が多く発生して黒くなる「還元焔焼成」から、焼き物が赤く変化する「酸化焔焼成」に変化したのだ。備前焼の人気の秘密は作品の味わいとしての変化が多いからといわれ、焼き味の景色は、胡麻・棧切り・緋襷(ひだすき)・牡丹餅などの変化に富んでいる。
 また本来の備前の土は収縮率が大きく(20%弱)、釉薬をかけると、釉が剥がれ落ちるため釉がかけられないそうだ。


備前の名門一陽窯

7 陶芸ストリートの真ん中あたりに、目的の「一陽窯」がある。通りの先にはまだまだたくさんの店や窯元が軒を連ねているが、ここらでよかろう、ということで一陽窯に入る。
一陽窯一陽窯正面
 一陽窯は室町時代までさかのぼる備前焼窯元の六家の一つ木村家の流れを汲む。池田藩の筆頭御細工人を務めた木村長十郎が始祖。13代目木村長十郎友敬の次男木村一陽が1947年に木村総本家興楽園から独立して一陽窯を創設した。平成元年、木村一陽長男の宏造氏が現窯主となる。
 木村宏造さんは2011年に岡山県備前焼陶友会理事長に就任、また同年伝統工芸士に認定され、個人作家としても活動されている。電話で作陶体験を予約しておいたのだが、本日ご指導頂くのはその木村宏造さんだ。

木村先生小山1

片山1大久保2

真っ黒で重い田土

8 備前の土は真っ黒でずっしり重い。田んぼの底から採取されるので田土ともいわれます。丸めた土の真ん中から指を入れへこみをつくって成形する。均一の厚さにするのはなかなか大変。手回しロクロの上で手びねるが、回転させても手を添えても土が思い通りにならない、凸凹が平らになりませ〜ん。(萩の土は軽く手を当てればお椀の形ができた)回転成形はあきらめ手で形づくる。耳付き花瓶の口がうまくできないので先生に助けてもらう。ゆう文は表札、犬猫庵は茶碗を作った。


小山2

大久保3と片山2

9 一陽窯の登り窯焚きは年に春と秋の2回だけしか行なわれないそうだ。 窯詰めに約2週間、窯焚き10昼夜半、さまし8日、窯出し期間約1ヵ月! 備前焼はロンングランなのです。
 「 一陽窯」 」の陶芸体験は1日1組で、予約制。 粘土が割高で焼成時間も10日と長いがため燃料費&人件費がかさみ、陶芸体験は登り窯=3500円(500g)〜5000円(1kg)となっている。ずいぶん待ちましたが、忘れてた半年後に送られてきた
備前焼作品はこちら。備前の3作品



10 高台がある場合は、仕上げは窯でやっていただくが、備前焼きは高台に気を遣うそうです。お茶に使われた備前焼きは畳に接地する高台や底が丁寧に仕上げられているとのこと。茶道の懐石料理に使われるため、漆などの高価なお盆などにキズをつけない配慮ともいえます。
一陽窯の登り窯

登り窯の前登り窯の中

 体験作陶がおわり、一陽窯さんの敷地内の登り窯や角窯を見学する。登り窯はつい最近終わったばかりだそうで手入れの最中。中庭には水樋槽、薪置き場、サヤ置き場などがある。粘土置き場には採取された(貴重な)四角い粘土塊が積み上げられていた。

薪置き場すいひプール
粘土1粘土2
 室内はと言うとこれが品のある日本家屋。いくつかの座敷で備前の焼き物がうやうやしく展示してありました。ここにある品物はわれわれにははちと手が出ないプライス!

大久保4
一陽窯の倉庫

 また、裏方の棚にはびっしりと売り物が保管されていた。このうちの一つでも欲しいところだが、ぐっと我慢して今回の旅のお土産、蛙の置物を購入する。
 これとてちとお高く3500円なり。 信楽の蛙はよく見るが備前のはめずらしいかも?  備前でで買ったお土産はこちら。 かえるの置物



原田拾六氏にお話を伺う

11 一陽窯をあとに、伊部町の散策をつづける。萩のヒロが好きだと言っていた備前焼の重鎮、原田拾六氏のギャラリーを訪ねる。ギャラリーは不老川沿いの土壁に囲まれたご自宅の敷地内にあった。建家に入るとそこに原田拾六氏本人が! 「おいでんせぇ!ようきんさった。」と招き入れられ茶を勧められるが、じつは犬猫庵が原田さんと面識があったのだ。

原田氏邸の壁原田氏の展示

 正面にテーブル席があり、右手に座敷ギャラリーがあり作品がさりげなく展示してある。仙人のような先生を囲んで座り、自らお茶を入れていただき、ごっつい備前焼の皿に盛られた漬け物をつまむ。テーブルに並んだ徳利や作陶のよもやま話を伺い、ちょっぴり緊張のひとときを楽しんだ。

原田拾六さんと

12 今朝も早くから行動を開始し、終日備前焼を楽しんだ。 まだ明るい夕刻、伊部1713発→岡山駅1803着。 ここからバスで30分、岡山空港に1840着。 岡山発1950発のANA660便→2105羽田着、こちらにて解散。2泊3日、神社のご利益か、素敵な出会いにも恵まれた萩・備前の旅でありました。
 本日も長い一日、お疲れさまでした。

 次は何処の空の下か……。



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