vol.3 ベトナム・バッチャンの旅
5泊6日メンバー2名/コンさん夫妻
目的1/バッチャン村を見学、窯を訪ねる。
目的2/世界遺産ハロン湾を見る。
おまけ/本場フォーと生春巻き。
【出発前に】かつて15〜16世紀には日本でも「安南焼」の名で茶人に親しまれたベトナムの陶磁器。その中心がバッチャン村。近ごろはスーパーの安売り陶器の目玉になっていることもあるバッチャン焼。晩秋に東南アジア最大の陶芸の里を訪れます。
---------------- スケジュール -------------------
1 成田18:10発JL751便
ベトナム・ハノイ国際空港22:25着
2 午前中ハノイ市内観光 ホーチミン廟、一柱寺、旧市街、ホアンキエム
午後バスでハロン湾に向かう(150km所用3時間)
3 世界遺産」ハロン湾観光 8:00〜ハロン湾クルーズ(大迫力!約3時間)、
途中、鍾乳洞入場、昼食は船上にてシーフード
午後ハロン湾→ハノイ市 途中、◎バッチャン村を訪問
夜、水上人形劇観賞(約45分)
4 朝8:30発VN213便でホーチミンへ。
ホーチミン市内観光。統一会堂、ベンタイン市場、サイゴン大教会、
中央郵便局、人民委員会庁舎を見学、途中、シクロ(人力車)に乗る。
夜、サイゴン川ディナークルーズ。
5 終日、ミトー川のメコン川クルーズ(面白い!)
夜、ホーチミン23:55発 JL750便で日本へ
6 朝7:20 成田着
(JohnLennon1969© Photo-by-Roy-Kerwood)
1 ベトナムといえば1970年代のベトナム戦争。1965年から始まった北爆でB52爆撃機からナパーム弾を豪雨のごとく降らしたアメリカ軍だったが、結果は1969年ホーチミン率いる南ベトナム解放戦線に敗北した。ビートルズのジョン・レノンが "All we are saying is give peace a chance ! " と歌っていた時代ははるか追憶の彼方に消えたかのようだ。
映画のポスターがいたるところに貼られ、若者はファストフード店にはバイクごと入ってきて(値段がかなり高いはずの)ハンバーガーに食らいつく。若い多くのベトナム人は平和を満喫しているようだった。
ベトナム北部・ハノイの風景
2 今ベトナムはたぶんアジアで最も貧しい国のひとつかも。観光コースや市内こそきれいに整備されているが、一歩町中に入るともう一目瞭然の市民生活が見えてくる。しかしベトナムの町は、市場は活気に満ちていた。
若い人口が多く、町はオートバイやミニバイクで溢れている。信号が変わると横縦列に並んだオートバイがもうもうの排気ガスをはきながら一斉にスタート、ばい煙の臭いが町中をおおい、多くのライダーがお手製の防塵マスクをつけて走る。若いカップルが2人乗りで排気ガスをまき散らしながら楽しそうに夜の町に繰り出すが、この排ガスだけはなんとかせんといけんちゃ!
3 ベトナムの大きな橋や高速道路にはときどき日本の旗が立ててある。「誰か日本から来るのかな?」と尋ねてみると、「この道路は日本のODA(政府開発援助)で作られました。感謝を表すために、記念碑を建て、だれもが分かるように日本の国旗を掲揚しているのです」と言うではあーりませんか!
こんな話聞いたことありますか? 今さらながらベトナムを見直し、うっすら感動してしまうコンさんでした。日本の協力で超高速鉄道を作りながら技術を横領して日本スタッフを追い出し、国産と称して他国にまで特許を申請している国とは大違いですっちゃ。この国は若いしグングン伸びるぜよ!
世界遺産ハロン湾
4 名勝「ハロン湾」は大きな湾のなかに大小無数の島があり、どれも高く切り立っている。眼前の島だけかと思ったら大違いで、行けども行けども遠く幾重にも島影が重なって見える。その島々の間をオールドファッションなクルーズ船で回遊する。ただしのんびり遊覧ではなく途中結構なスピードで飛ばします。デッキでは手すりにつかまっていないと吹き飛ばされそう。そして船の数がすごい!映画「レッドクリフ=赤壁」のような船の大群です。行き交う船団にチャオ!=chao!=こんにちは!と挨拶を交わします。世界遺産ハロン湾はいままで見たことがない幻想的で迫力ある景観を楽しませてくれました。
バッチャン焼の村
5 さて夕刻バッチャン村に近づいたが、スコールかと思った雨が本降りになりどんどん激しくなってきた。アスファルトの道路は少し高く作ってあるので車は通れるが、村の中は小川が多く堤防などないのでたちまち水が溢れてきた。付近は洪水のよう、いや膝下まで冠水しているから正真正銘の洪水だ!狭い村の中の路地が川のようにごうごう流れている。
バッチャン村に着くや「観光は中止させていただきます」と現地ガイド。やむをえず予定を変更して雨宿りに大きな陶磁器の店に入りお約束の休憩とお買い物へ。ただし、コンさんの今回の旅の主なる目的が「焼き物作業場」の見学。これもカットしたいというので「それはまかりなりません!」と抗議!「それではコンさんだけお連れしましょう」ということになった。
6 【歴史】ハノイ市内の南東約12キロ、車で約40分ほどのところにベトナムの焼き物の拠点、Bat Trang=バッチャン村がある。600年の歴史を持ち日本でも桃山・江戸時代より、安南焼の名前で親しまれ茶人達にも好んで使われた。中国の影響を受けながらもベトナム独特の作風を生み出した。もともとはハノイの王宮で使われていたレンガ作りが陶器の始まりとされる。
チャンさんの作業場
7 晴れていれば路上にところ狭しと焼き物店が出てにぎわうバッチャン村だが、本日は洪水でシャッター通り。膝下まで水が溢れているので靴を脱いで裸足になり、じゃぶじゃぶ水をかき分けて3分ほどで作業場へ到着。「この雨の中よく来た!」と(あきれて)歓迎を受け、作業場内を見せていただいた。
バッチャン焼は今でもハンドメイド。といってもロクロを引くのではなく、液体状の陶土を型に流し込んで生成する。だからすべて同じサイズが揃います。作業場の奥に陶土を溶かす風呂サイズのプールが4槽あり、片隅にはいろいろなサイズの型が積んであった。
8 型から抜いた皿や壺はわずかにクリームがかった白色。これに下絵付けで竹や桃、菊や松などをモチーフにしてひとつひとつ職人が筆で描き込んでいく。ロクロは蹴ロクロか手回しロクロで、円周のラインを入れるのに使う。絵が仕上がったら透明釉を施し窯に入れる。
近年はガス窯が主流だが、この工房では6メートルまで陶器をサヤに入れて積み上げ、薪とタドンのような泥炭で焼き上げる昔ながらの(煙突状の)登り窯を使っている。約1200度で3日かけて焼き、冷却寺、急激な温度変化で生じる貫入(かんにゅう=細かいヒビ)がバッチャン焼きの特長のひとつ、素朴な味わいになっている。帰り際にチャンさんと一緒の写真を撮らせていただきました。
登り釜の焚き口、内部。下の丸い輪は焼くときに陶器を守るサヤ
天候や時間の都合で残念ながら「陶芸体験」は出来なかったが、お土産をいくつか購入。ホアハムと呼ばれる青い花の染付けや紅安南と呼ばれる赤・黄・緑をあしらった模様がベトナムテイスト。豊作を祈願するとんぼ、幸運に恵まれる井形、菊や桃など素朴な絵模様が描かれ、表面には貫入が入っている。高台の中にBUTTRANG-VIETNAMのロゴがプリントされている。
記録的な豪雨
9 ホテルに戻ると数段ある玄関の階段の一番下まで(約10センチくらい)水がきているので、夜間の外出は避けてくださいとの注意。ベトナムでは市街地では滅多に水は出ないが、地方では小川があふれ町中冠水はよくあるとのことだった。
翌朝は水は引いていて予定通り空港からホーチミンに向かったが、機内で朝刊を見てビックリ! 昨日のハノイの雨は記録的な集中豪雨で、田舎はもとより市内の被害がかなり大きかったという記事が一面トップだった。
ベトナム料理
10 ベトナムは日本と同じお米の国。おなじみのフォーや生春巻きも主原料はお米。オムレツ風の料理、お好み焼き風のバインセオ、焼きそば風や野菜炒めもある。自分はコリアンダー(パクチー)が苦手なので添えられている場合はつまみ出した。現地では味付け多彩なエビ料理が多く、もやしがよく使われている。タイガーフィッシュやチキンや手羽先もよく出る。さっぱりした甘酢のたれがおいしい。
台所と料理風景
平和の黙示録
11 ホーチミンは晴れで、この日の予定は市内観光とサイゴン川のクルーズ。翌日も晴れてミトー川のメコン川クルーズを楽しんだが、小舟でメコンデルタっぽいジャングルの泥の川をいくと一瞬「地獄の黙示録」で水中から兵士が顏をのぞかせるシーンを妄想してしまったが、終着地で娘たちが歓声をあげて笑顔で迎えてくれると、かつて戦争の悲惨な報道に日々接してきた世代の僕は、ベトナムに平和が戻ってよかった!と唐突ながら思ってしまったのです。
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