陶芸始めちゃいました

vol.7  萩 の 旅

2泊3日。メンバー4名/犬猫庵、ゆう文、コンさん + ヒロ(弘田氏・萩)
目的1/萩で萩焼作陶体験。
目的2/萩城下町で幕末の歴史を体感。
おまけ1/山口県の海の幸を満喫する。
 

【出発前に】 さても歴史好きの面々が楽しみにしていた萩の旅である。 風雲の幕末に日本丸を動かす動力源となった長州男子の霊気を萩の城下町から1ミリグラムでも感じとれればありがたい。
 そして萩焼である。 僕は心穏やかにお茶を飲むなら萩焼が一番おいしいと思っているのだが、できれば作陶体験を通じてそう感じる理由を探ってみたい。
 萩では南岩国に住む大学時代の旧友に再会する。 彼がナビゲーターとなって萩の旅と萩焼を楽しませてくれるだろう。

---------------- スケジュール -------------------

1 5月某日、羽田0720発のANA575便 → 萩石見空港0850着、萩は快晴。 後で判明するのだが、萩へは山口宇部空港のほうが交通の便が良いという話だった。 しかしまぁ、日本海を見ることができたのでいいでしょう。

 1日目 萩

2 空港0920発の防長交通バスに揺られて国道191号を約1時間、途中の海岸線は北長門国定公園。夏はなるほど穏やかな日本海、鳴る砂の清が浜や沖の小島大島を窓辺に眺めながら1030東萩駅前に着く。
 待ち合わせ場所でヒロに久しぶりに合って「おう、おう」と感激! まぁ昔から体格はよかったが、本人いわく「すっかりメタボだっちゃ」(本場山口弁)。

東萩駅_(c)360@旅行ナビ

3 さて今日は萩にはメッチャ詳しいヒロの車で萩城下町観光と明日の(陶芸の)情報収集。 ヒロいわく「萩は歩いたほうがよかっち」、ということでどんどん歩くことになった。
 最初に訪れたのは吉田松陰の松下村塾。 これがなんと小さな家、そして狭隘な蟄居部屋。なれど古い歴史のたたずまいに感動するのは、この小さな塾長から発信された第一波が、ビッグウエーブとなって日本国を飲み込んでいく幕末の人間模様を書物や映像のなかで見聞きしてきたせいか!

吉田松陰松下村塾  裏道から坂を上がり伊藤博文旧宅、さらに東京から移築されたという伊藤博文別宅に上がってお屋敷を見学。 波打つ窓ガラスがいかにもかつての高級な雰囲気を醸しだし、和洋折衷の寄棟が幕末明治を偲ばせる。 贅沢の粋を集めたであろう建築美を味わう。
 途中萩焼の展示直売店をのぞき、和服のお母さんに萩焼の(肌色と薄青色の)イロハと特徴ある切れ目の入った高台の因縁話をレクチャーして頂いた。


伊東博文1伊東博文2
城下の店4城下の店3 城下の店

4 【萩の歴史】 次は東光寺、元禄4(1691)年に3代藩主毛利吉就が名僧慧極を開山として創建した黄檗宗(おうばくしゅう=禅寺)の寺院で、毛利家の菩提寺である。
 朱塗りの総門をくぐり三門をぬけると石畳の参道がゆるやかに続き、やがて屹立する老杉林の奥に500基もの石灯籠に守られた歴代藩主(3、5、7、9、11代藩主とその妻)たちの大きな墓石が見えてくる。

東光寺東光寺 東光寺  しんとした境内には我々以外だれもいない。毎年8月15日の夜にこれらすべての灯籠に送り火が灯されるというが、さぞかし幻想的なことだろう。元禄11年に建立された本殿の大雄宝殿に参拝する。 かしわ手を打つとがらんとした堂内にこだました。 歴史を感じさせる名刹だ。

東光寺3東光寺

うにいか丼に大満足

5 お昼はヒロごひいき、東越ケ浜、明神池の「いそ萬」へ。
 明神池が正面に見える一等席の小座敷に上がると、トンビが落下飛行で観光客の差し出すパンクズを交互にさらっていく光景が眼前でくり広げられるがこれが大迫力。まるまる太った野良猫もあちこちにいて目を光らせている。
 まずは旧友との再会を祝し乾杯!いそ萬はリーズナブルで地元でも人気の磯料理店だそうで、そばも名物らしいが今日はヒロのおススメで「うにいか丼1000円」をいただく。これが絶品!ゆう文はさざえのつぼ焼き、犬猫庵はイカ刺しを追加、みなさん大満足。

明神池いそ萬

6 しばし談笑ののち、萩橋を渡り1719年に設立され松陰や高杉晋作、久坂玄瑞、村田清風、木戸孝允も学んだ明倫館(現小学校)を右に見て城下町へ向かう。
 車を置いて、小さな堀を渡るとそこは本物の城下町を現世に残した歴史博物タウン。白壁やなまこ壁がながながつづきまことに心地よい路地である。白壁の屋根瓦の向こうには濃い緑の葉陰に黄色鮮やかな夏みかんがなっている。
高杉晋作1高杉晋作0 高杉晋作3高杉晋作2

ぬしと添い寝がしてみたい

 高杉晋作の旧宅は(晋作は殆ど家に帰らず、両親と嫁さんが一人で待っていたらしいが)菊屋横丁の菊屋家裏通りの長〜い白壁の向かい側にあり、萩藩士二百石の武士の家柄か、天井も高く調度品もそろっている。
 古伊万里の大壷が部屋の真中にで〜んと鎮座していた。晋作は音楽とユーモアを解し歌を詠む、底知れぬ情熱で歴史を手玉にとった男。雷電、風雨の如く生き28歳で結核に倒れた。往時の面影が偲ばれた。

  西へ行く人をしたいて東行く 心の底そ神や知るらむ (他人と同じを好まぬ性格)
  三千世界のカラスを殺し ぬしと添い寝がしてみたい (芸者おうのと旅まくら)
  おもしろき こともなき世を おもしろく  …が辞世の歌である。

高杉晋作5

7 続いて豪商の菊屋家住宅を見学。殿様も訪れたという庭園がよく手入れされていて、開け放たれた広座敷からながめる山水はなかなかのもの。
 姿勢を正したわれらに五月の風が心地よい。サンダルで庭にでて枯山水をめでるが、秋ならさらに趣深いことでありましょう。掛け軸や絵画、壺などは本物のままとか、ほんとかよ。

菊屋家1 菊屋家3菊屋家4 菊屋家2 菊屋家6菊屋家7

8 少々疲れたので、呉服町筋の「Hana Cafe」でソフトクリームとコーヒータイム。蛇足だが、萩で飲むお茶や食事の器はだいたい萩焼である。
菊屋家5萩城下の店

 通りのあちこちに萩焼の店があるのでこれもしっかり覗いて歩いている。三輪壽雪(第11代休雪、平成24年12月102歳没)の名品もいくつか見た。明日の作陶のイメージをふくらませる。ゆう文はギャラリーでうたた寝じゃき。
 さて、中ぶりの屋敷門は桂小五郎(木戸孝允)の旧宅で武家屋敷としては大きめの敷地250坪。桂が20歳まで暮らした実家で、萩城下では裕福な家だ(百五十石)。
木戸孝允1木戸孝允2

 車に戻り、かんきつ公園をへて鍵曲(かぎまがり)へ。鍵曲は敵を城下に侵入させないように工夫された路地で、両側を塀で囲まれた道が幾重にも折れ曲がっている。車がぎりぎりやっと一台通れるほどで、瓦を積み重ねた黄土色の土壁が風化して歴史のいい味を出している。鍵曲の向こうにほんのり夕焼け色の指月山が見えた。

鍵曲1鍵曲2

9 最後は萩城址。あたりが少し薄暗くなり堀端の土産屋は店じまいのしたく。時間ぎりぎりで入城できた。萩城は慶長9(1604)年に毛利輝元が指月山麓に築城した平城。明治7年に天守閣ほかを解体し、現在は旧本丸跡が指月公園になっている。
 城内は広く梅林や茶室などもある。天守閣跡は石の階段を大股で登るが足腰にくる。城址から見下ろすと町並みが見え、堀と城壁が旅情を盛り上げる。風に吹かれて眺める萩の町は低くぼんやりと薄暗いが、比べれば空はまだ明るい。
 たそがれの中、城を出る。隣接して萩焼資料館があり、人気のない館内を足早に見て回る。 これをもって丸一日の萩城下町の散策を切り上げる。

萩城址1

10 今夜の宿「ウェルハートピア萩」は、目の前が美しい菊が浜、左手に指月山が大きく見える絶好の立地。さすがは厚生年金事業団、値段も手ごろで使わないテはない。1泊朝食プランで6000円です。さっそく大浴場に浸かって旅の疲れをほぐす。くつろいだ後、夕食はヒロの案内でタクシーで市内に繰り出す。

11 ご案内は季節割烹いすず。まずはふぐ刺し。季節外れのふぐ刺しと思いきや、じつは地元でしか食べられない目赤ふぐ。彼岸河豚(ひがんふぐ)ともいわれ、目の辺りが赤いのでメアカと呼ぶそう。トラフグより厚めに切り分けられ、小ぶりだが身は歯ごたえもしっかり甘く、旨い。
 ふぐは冬場がメインだが、メアカは春〜夏が旬で、市場から外に出ることは少なく地元で消費される。トラフグより安く密かに美味なのだ。
 続いてカサゴの唐揚げ。2度しっかり揚げてあり骨まで愛してポリポリ。さすがヒロの演出は小憎い。 かくして萩の夜は更けゆくのでした。

季節割烹いすず1季節割烹いすず2



  萩 2日目 菊が浜

12 朝食の後は菊が浜を散歩。砂浜はざらざらしたやや大きめの軽い砂で少し黄色みがかっていて美しい。まさに萩の土そのもの。海岸でスケッチする人あり。清々しい新緑の指月山を水彩で描いている。


13 今日も快晴、薫風穏やかで爽やかさ全開。お待ちかねの萩焼体験日だ。窯元に向かう途中、松陰の野山獄をお参り、気を引き締める。 昨日今日と名品の数々を見てきたので萩焼のイメージはたっぷり膨らんでいる。 本日伺う先は、窯元・泉流山。

【萩焼きの歴史】 そも、萩焼は豊臣秀吉の朝鮮出兵で慶長年間に毛利輝元が連れ帰った朝鮮陶工、李勺光、敬兄弟が陶祖。李朝の技術を萩地方に伝え、長州藩毛利家のご用窯として多くの名器を作り出してきたなか、泉流山窯は江戸期文化文政以前にさかのぼる伝統の窯元。
泉流山  東萩駅からR191を石見方面に少し行ったところ、道路からも見える大きな登り窯と煉瓦の煙突が目印。「泉流山」は萩焼の重鎮で文化功労者・故吉賀大眉氏の窯で、萩焼の窯元とみごとな数寄屋建築の美術館が併設され、大眉の大作100点、ゆかりの作家40点が、重厚な和のたたずまいのなかに陳列されていた。  うれしいことにここで萩焼作陶が体験できるのだ。 (写真下は古い登り窯)

古い登り窯古い登り窯2

萩作陶体験


14 萩焼のぽってりとした素朴な肌ざわり、使うほどに深い味わいが楽しめる陶器は萩焼の他には見当たらないのでは。ご指導頂くは泉流山窯当主の奥様。
 萩の土は扱いやすい、が第一印象。土壁の土という感じ、伸びはなく、どちらかというと軽い土。例えば底に穴が開いたら土を足して、埋めてこすれば元通り。水を吸っても土はテカらず、そのまま軟らかくなる。手びねりでも台を回転させて、手を添えればロクロ風にも扱える。こんなうれしい土はちょっとないかも。
 (会津本郷の重くねっとり伸びる陶土、常滑の重い粘土、沖縄のすぐ乾く赤土、それらのいづれとも異なる。焼き上がりが厚めでぽったり感のある益子や笠間の土とも違う。笠間の粘土は伸びがあるぶん扱いにくく、手びねりで均一の厚さにするのにてこずり大変苦労した記憶あり)

犬猫弘田
ゆう文コン2

15 抹茶茶碗を作る。 まず作業机の上でこねて丸める。丸めた土のてっぺんに両親指を差し込み、腕の形にしてゆく。焼くと20%ほど縮むのでかなり大きめに作る。
 先生の作るお手本は数分で抹茶茶碗を成形するが、こっちはそうはいかない。しかし扱いやすい土なので茶碗の形は作りやすい。高台づくりは高台部の底中央からへらで土をえぐって取り去るのだが、この工程でへまをやらかす。
 えぐる高さを測って削る際、調子に乗って削りすぎ、裏返して茶碗の中を見たら1センチほどのでべそになっている。怖いので先生に手直しをお願い。先生は親指の先ほどの土を足して、あっという間に修復完了です。


16 20分ほどでだいたいの形が整ったころ、仕上げは縁を広げる工程。円台の中央の円に合わせて正確に乗せ、円台を回すとろくろの手ざわりでなめらかに腕が回る。軽く指を添えると、腕の縁が少しずつ広がってゆく。楽茶碗ふうに縁をストンと切り立ったままにする手もあるが、萩はゆるやかに開いている口縁がよろしい。
 はい、ここまで。過ぎたるは及ばざるがごとしとは、まさに芸の道に言えること。止めどきが肝心なのだ。  この後は高台の化粧だが、まだやわらかいので乾燥させる。灯油ストーブを焚き、近くに並べ、扇風機で風を当てて乾かす。 陶芸体験で高台まで削れるのは萩の土ならではなのだ。 この間30分、現在使われている新しい登り窯や美術館、ギャラリーショップを見学する。

新しい窯窯のなか

 戻ると茶碗の表面がヒビもなく白く乾いている。高台はほどよく半乾きで、高台の化粧削りを教えてもらう。僕の作品は憧れの萩の切り高台で、短刀で一ヵ所ザクッと切り込みを入れた。うほっ、本格的だっちゃ!
 ヒロ、犬猫庵、ゆう文の作品と並べてみると4つともほぼ同じ大きさ、同じような形状になってしまった。こんなことは珍しい。誰もが意図したわけではなく自然とこうなってしまったのである。萩の土のなせる業だろう。茶碗の所要時間は乾燥を入れて90分ほど。

コンと弘田作品


17 もう一点はたたらで平皿。 土を棒で伸ばして平らにする。左右に高さ1センチほどの小割り木を置き、竹べらかカッターで四隅を切り取るとほとんど完成。
 庭で摘んできた桜の葉を2枚、土板に押し当て模様を付けるが、完璧すぎて面白みに欠ける。 押し葉は止めて、四隅と縁を皿らしく持ち上げ、今度は櫛で表面に波模様をさ〜と削る。平皿の所要時間は30分。
 釉薬がけと焼成はお任せである。 旅先での作陶はすべて自分で完結というわけには行かない。残念だがいたしかたない。 萩焼きの少しにでも触れられれば良しとする。 今回は登り窯なので火入れは年に数回、すなわち焼き上がりは4ヵ月後で9月ごろとのこと。 待ち遠しいぞ。

 「窯元・泉流山」(せんりゅうざん)の手びねり、たたら作り体験は所要2時間、粘土1.2kg 2,000円(2点作れて焼き上げを含む)。(電動ろくろは3,000円) ※料金には美術館入館料・消費税が含まれている。要予約。通常作品は2ヵ月で焼き上がる。

届いた萩の作品はこちらです。萩の作品


18 萩漁港で干物、道の駅・萩しーまーとで土産物を求め昼食をとると、14時出発、ヒロの車で山口県を縦断して一路「新山口駅」に向かう。
 途中瑠璃光寺に立ちより、国宝の五重塔を見る。室町時代の檜皮(ひわだ)葺きの搭で、素朴な木肌が歴史に洗われて清楚なたたずまい、これは凄い。幸田露伴の嵐のあとの五重の塔のような潔さ。どっしりとスクッと建っている。来てよかった。
五重の塔瑠璃光寺
 瑠璃光寺門前のこうじ苑で蕎麦がけのソフトクリーム、長州苑でういろうを試食し、おいしいので一つ購入。新山口駅構内の喫茶店で萩で買った夏みかんを食べてヒロと別れを惜しむ。近い将来の再会を期してグッバイ!
 ヒロ、楽しい旅案内をありがとう!


岡山に入る。明日は備前。

19 新山口1604発のぞみ40号、岡山1713着。まだ空は明るい。駅前の桃太郎像を眺めビッグカメラ横から2両連結の岡山市電で3つ目、城下駅下車。今夜の宿、コンフォートホテル岡山に到着、岡山城のすぐそば。
 市内に出て夕食をとる前に、戦国時代に宇喜多直家が築城した岡山城こと金烏城を外周から見学。堀を渡り城門をくぐると半分青空の夕焼けに照らされて石垣が黒々とぐいぐいっと空に立ち上がっている。

岡山駅桃太郎像岡山城
 城壁に黒い板が張りめぐらせてあり、なるほど烏城(うじょう)とよばれるゆえんなり。軒天(のきてん)と白い窓枠が夕日に照らされて淡いオレンジ色に染まっている。天守閣や大入母屋屋根のしゃちほこが黄金色に輝いていて美しい。夕暮れがせまってきた。外堀旭川の対岸は名園・後楽園だが今回はパス。

20  表町・下之町商店街は天満屋を擁する市内最大のショッピングモール。規模は大きいのだが、夜8時を過ぎるとシャッターを下ろす店がいくつもありちょっと不満。
 表町2の岡本陶器店には大谷焼(徳島県鳴門市)の大甕や睡蓮鉢がいくつもあり、見ごたえがあった。店の人に地元オススメの飲んで食べれる店を聞き、捜し一杯飲み屋に行き着くが、残念、はずれの店だった。
 11時過ぎると街の灯もほとんどなくなり、かくして岡山は静寂の闇に沈んでゆくのでありました。 長い一日、お疲れさまでした。   (旅8→備前の旅に続く)


  最後までご愛読ありがとうございました。  萩で買ったお土産はこちら。うさぎの銘々皿






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