陶芸始めちゃいました

vol.6  瀬戸と常滑の旅

2泊3日。メンバー3名/犬猫庵、ゆう文、コンさん。ゲスト/ユミコ先生
目的1/尾張瀬戸で瀬戸焼を見学。
目的2/常滑で常滑焼を見学、作陶体験。
目的2/ノリタケの森見学と絵付け体験。
おまけ1山ちゃんと風来坊の手羽焼、みそうどんも。

【出発前に】さて、大御所瀬戸の旅だ。身近にある陶磁器をすべて「瀬戸物」と呼んでいた頃がありました。 なぜ焼き物は瀬戸なのか? 急須は常滑なのか?すぐ近くに美濃があり志乃がある。このへんの様子を探ります。


---------------- スケジュール -------------------

1 桜の季節、東京0830発のぞみ17号で名古屋1013着、快晴。JR中央本線に乗り換えて大曽根へ所要12分。大曽根から赤い名鉄瀬戸線の準急で30分で目的地、尾張瀬戸1114着。

1日目 尾張瀬戸

2 尾張瀬戸駅前通りは新装なったばかりだろう道路やカラー歩道が広くてきれい。空が広く抜けるように青い。ポカポカ暖かく今日は絶好の散策日和だ。改札を出るとの案内があり、瀬戸散策マップや施設入場割引券などをもらう。

尾張瀬戸駅前

3 駅を出ると広〜い大道りには陶磁器の店が軒を連ねる。古色を出しているがいずれも新しい大店ばかりだ。「せともんや」にずらり並び積み上げてあるのは食器や日常雑器。招き猫にお賽銭をあげて旅の安全を祈願する。
 さて地図を広げると瀬戸は中央を流れる瀬戸川が町を南北に分けている。さきほどのきれいな大通りはすぐになくなり、河岸の両側は工事中である。平日に訪れたせいか閑散としており観光客はまばらである。駅からは銀座通り商店街が3分ほどで一番近いのだが、一周コースとしては「せともんや」前で大通りを渡り、南の町から歩き始めるとすぐに瀬戸蔵ミュージアムである。

瀬戸駅前の大店招き猫

4 【瀬戸の歴史】 瀬戸の歴史は古く、陶祖は加藤藤四郎といわれ平安時代1229年ごろ瀬戸に窯をかまえ中国風の灰釉のかかった陶器を焼きはじめたという。1563年織田信長が瀬戸の深川神社にゆかりがあり、本能寺で亡くなるまでの20年間、瀬戸は信長の領地だった。さらに瀬戸焼き中興の祖といわれるのは、瀬戸村の加藤民吉(1772〜1824)。奉行の命を受け九州に渡り、4年かかって磁器の製法の修得に励みこの技術を瀬戸に持ち帰り、染め付けの磁器を広めた。以後名古屋以東では陶磁器といえば「せともの」というほどの隆盛を極めた。
 現在は町おこしで古い町並みを保存する一方、河岸や道路、ミュージアムなど瀬戸全体を作り替えている最中のようである。その新しい中心が「瀬戸蔵ミュージアム」で古い石炭窯や陶房などをジオラマで再現し、お土産フロアや各種レストランも完備の「せともの総合ミュージアムなのだが、我々はこういう所には興味はない。


洞町窯垣の小径でなごむ

5 「昼食をとり瀬戸本業窯へむかう。「窯垣の小径」」の石垣はタナイタ(棚板)、ツク(柱)、エンゴロ(厚鉢)、古レンガなどの窯の廃品を再利用・土留めにして各家ごとの個性あるの模様を演出、味わいのある幾何学模様に目が奪われます。苔むした石垣や壁に埋め込まれているタイルや陶板はどこぞの家紋か。小径資料館は3時で閉館なので注意。小径には絵になる小店やギャラリーも点在してのんびりと散歩が楽しめる。次の本業窯への道すがら陶房、製陶所をあちこちに見かけた。時間を作って寄ってみたいところだ。

陶垣の小径看板 陶垣の小径

6 瀬戸本業窯は瀬戸町の西のはずれにある。ここには江戸時代から続く本業焼を焼成する連房式登り窯がある。窯の横に松の薪が積み上げられており傍らでは松灰がいぶされ煙が立ち上っていた。日常使う多くの食器がこの窯から生み出された。1300度近い高温で焼き締めらた実用品は多くの人々に使われ愛された。六代目水野半次郎はバーナード・リーチ、浜田庄司、河井寛次郎が当窯を訪れ知己を得、柳宗悦の提唱する「民藝」に出会ったという。現在は八代目。隣接する本業ギャラリーで七代目水野半次郎氏の黄瀬戸の中皿一枚と縦縞の湯のみをひとつを買い求めた。手仕事が美しい。

本業窯1

瀬戸本業窯と本業ギャラリー。下は現在も使われている登り窯

登り窯1

招き猫ミュージアム

7 「招き猫ミュージアム」。大人300円だが駅でもらった割引券で200円。なんと地元瀬戸をはじめ全国の招き猫が集まっている猫の殿堂だ。招き猫の顔はどれも似たりよったりと思っていたのは間違いだった。白猫黒猫ピンク猫、喜怒哀楽、とぼけ顔、高貴な顔など百面相。左手上げが「人招き」、右手上げが「金招き」だとか。招き猫は江戸時代からあり、明治以後大量の招き猫を日本中に送り出したのが瀬戸であり、小判を抱えたのは常滑の招き猫だった。平賀敬画伯や美濃瓢吾画伯など作家ものも集められているようだが、多すぎて(汗)どれが誰のものか判別不能だった。


志乃焼の茶碗を購入

8 町中に古いたたずまいの陶磁器の店が散在し、目にとまったのは志乃焼の店。ガラス戸を少し開け「こんにちは〜、見させてもらっていいですか」と声をかけると「どうぞ〜」と奥から返事がある。どの店もだいたいこんな感じでお邪魔する。たっぷりして、でんと座ったたたずまいがいい。砂糖汁をかけ流したような地肌に染みだした色で赤志野、白志野、鼠志野などと呼ばれる。赤志乃では鉄絵に長石釉がかかり卯の花が浮き出た垣根もようの国宝「卯花垣」が有名だが、この店でひびが入った赤志乃の抹茶茶碗を購入した。瀬戸物は磁器が多いが、瀬戸圏にある志乃焼、美濃焼は陶器。あした行く常滑焼の朱色の急須は磁器の焼き締め、土管や焼酎瓶は陶器である。

入手した志乃茶碗はこちら。志乃茶碗

9 桜満開の宝泉寺、陶彫の祖・渡辺幸平の墓をお参りして最後は銀座通り商店街をそぞろ歩く。大正昭和の面影を残す古いアーケード街。こういう古めかしさを売る商店街は賑わってこそ面白みがあるが、人通りもなく寂しいと、元気な昭和時代を生きた自分としてはなんともやるせない気分になってしまう。小腹がすいたので和菓子屋でういろうを買いほおばる。

陶祖の墓

 帰路。尾張瀬戸1739発。大曽根で乗り換えて1825名古屋着。
宿泊はフクロウが目印の「ル・ウエスト」に2泊。朝食付きで4900円のビジネスホテル。名古屋駅新幹線口から徒歩2分、どこに行くのも便利です。夜は繁華街を徘徊し小さな居酒屋で呑み小さなうどん屋で締め。ゆう文はどこかに消えたが、健全な名古屋の夜でした。


2日目 常滑

1 名鉄名古屋0915発、名鉄名古屋本線「中部国際空港行き」にのり6分、神宮前へ。ここで名鉄常滑線準急に乗り換え0957常滑駅着。本日も快晴。駅で「とこなめやきもの散策道マップ」を入手。駅前には散策道MAPの看板があり、およその散歩コースを頭にいれる。導入路はのり面に猫の陶芸作品のオブジェが次々にわれわれを迎えてくれる。

オブジェ壁1 常滑の風景で3人

2 駅から見ると常滑焼集落はこんもり小高い丘の上にある。「やきもの散歩道」のスタートは陶磁器会館。ここは常滑焼の陶磁器の展示と即売所でそうそうにパスします。ここより立て札の番号にそって山道を登り始めると突き当たりにさっそく煉瓦の煙突群が。一気に焼き物検索モードに切り替わりますっちゃ。ハハハ。常滑は基本的な一周散歩コースに枝葉の小径が入り交じり、その要所要所に窯や古い煙突遺跡、陶房やお土産店がありけっこう中身が濃い。前日の詫び寂びていた瀬戸とは異なりギャルも散見され、恋人たちの日帰りデートコースにうってつけなのかも。

3 【常滑の歴史】 常滑焼は丹波、信楽、備前、瀬戸、越前と共に日本六古窯に数えられ、なかでも常滑は平安の昔から盛大に陶煙がたなびき最も古い窯場とされている。平安時代は丘陵地をトンネル状に彫り抜いた穴窯が使われ、江戸時代は登り窯が中心で明治末期まで60基の登り窯があったが、現在は陶栄窯の一基のみで国の重要文化財とか。現在は使われていないが、大きな土管を石炭で焼くための巨大な煉瓦で作られた角窯は平屋の家一軒分が入る大きさで、今までに見た窯では最大最高だった。伝承に「常滑の雀は黒かった」といわれるが昔はそれほどたくさんの煙突から真っ黒な煙が吐き出されていたという。常滑の人間国宝は三代山田常山氏(1924〜2005)が急須で有名。


常滑の土で作陶体験はロクロと藻がけ

4 「今回の旅で唯一の作陶体験でお世話になるのは 「義翠窯・陶芸道場」 で、ご指導いただいたのは常滑陶彫会の近藤てるみさん。ご主人は伝統工芸士近藤義翠氏。土は(近年少なくなってきた)常滑の粘土で、やや鉄分が多く白っぽく少しねっとりした感じで成形しやすい。ここの窯の特長はユニークな釉がけが選べること。通常の施釉のほかに松灰釉や伊勢のあこや貝をすりつぶした石灰釉(にぶい光沢)、アマモ(甘藻)という海藻を天日干しして使う「藻がけ」など多彩だ。ゆう文は手びねりで茶碗2個、犬猫庵は手びねりで茶碗と飯椀、コンは手びねりで湯のみと電動ロクロでビアカップをこしらえた。ビアカップは藻がけで縁にひからびた藻をのせるだけだが、焼くと溶けてヒビが光ったような不思議な模様を作り出す。

ookubo konsan

※手びねり、電動ロクロ、たたら作り体験は所要1.5〜2時間、粘土1.2kg 3,000円(焼き上げを含む)。大きいビアカップなら2点作れる。3点目からは1点につき500円の追加。常滑ならではの朱泥粘土(800g)もある。作品は約1ヵ月後に届く。

届いた常滑の作品はこちらです。常滑の作品


5 午前中に陶芸体験をすませ昼は近くの蕎麦や「古窯庵」へ。蕎麦もうまいが器がよかった。しばし休息の後、常滑散策をリ・スタートで、回船問屋瀧田家を見学。ペリー来航の1850年頃建てられ、上方と江戸を結んで隆昌を誇った瀧田家の屋敷が復元されている。土管坂は坂道の両壁が大きな土管や焼酎瓶が積まれてできている常滑らしい風情、周回コースを横断する道でもある。どん詰まりは登窯広場で10本の煉瓦煙突が大迫力の史跡。ゆるい坂道が続き腰にくる!ので小休止が多い。(笑)

滝田家 町中

急須

常滑の急須で入れたお茶の味は

6 古い民家のギャラリーに入るとは急須がいっぱい並べられている。老婦人に「見せていただけますか?」「どちらから?」「東京から」というと招き入れてくれた。土間で靴を脱ぎ板の間に上がっていろいろな急須を見せてもらうと囲炉裏の鉄瓶でお茶を入れてくれた。湯を注ぎ手首を中心に急須の湯を回す仕草は自然でさすがに慣れてらっしゃる。これだけでお茶をおいしく感じてしまうんですね〜。急須はベンガラを混ぜた朱泥粘土で作り、釉は使わず、固く焼き締め焼成される。よい急須は注ぎ口の茶切れがよいこと、堅く、指ではじくとチン!と響きます、と見分け方を教えていただいた。



常滑全景

7 季節は春、桜が満開の常滑は予想していた以上に楽しい、焼き物テイスト満載の陶芸ワールドでした。常滑発1651の名鉄常滑線名鉄岐阜行き特急、神宮前で乗り換えて名鉄名古屋1724着、近いっす。  ホテルに戻ってシャワーを浴びたら今夜は画家のユミコ先生(NHK岐阜カルチャー教室で教えている)が合流して手羽先の山ちゃんで飲み会ですっちゃ。ゆう文の口数が復活、元気が戻ってきました。犬猫庵はほろ酔いで気持ち良さそう。夜の記述はここまで。

山ちゃん1

 あしたは4人で世界最大級の高級陶磁器オールド・ノリタケで有名なノリタケカンパニーに伺います。


3日目 ノリタケの森

1 なんとノリタケカンパニー、ノリタケの森はJR名古屋駅・桜通口側から北へ約600m、15分ほどで歩いて行けるのです。

ノリタケの森は、広大な敷地のなかにかつて多くの食器を生産してきた赤煉瓦の工場建家がならび、洋風の美しい庭園になっている。喫茶店やレストランもあり入園は無料、散歩やデートコースとしても人気がある。本日はここでボーンチャイナの名品を鑑賞し、フランス料理をいただき、絵付け体験をします。

庭園 古い窯の煙突

ボーンチャイナのボーンは牛の骨

2 【ボーンチャイナの歴史】 ボーンチャイナのボーン(BONE)とは「骨」を意味する英語で、ボーンチャイナ(BONECHINA)とは原料に牛のボーンアッシュ(BONE ASH=骨灰)を加えた磁器の種類を表します。原料には牛の骨灰の他、カオリン、硅石、長石、蛙目粘土などを使用し、透光性に優れ、多くは柔らかな艶が特徴です。
 1799年にイギリスのスポード社がボーンチャイナの製品化に成功、さらに1812年にはウェジウッドがボーンチャイナの製造に成功し1872年にはウェジウッドによるボーンチャイナの本格的な製造が始まりました。ノリタケは昭和7年(1932年)に瀬戸でボーンチャイナの研究に着手し、本格的な製造は昭和10年(1935年)2月から開始、昭和13年(1938年)頃にはノリタケのボーンチャイナ製ティーセットなどが大量に輸出されるようになりました。やがてノリタケはボーンチャイナで世界を魅了していきます。

ボーンチャイナと白磁器、陶磁器の違い

3 【お勉強】 ボーンチャイナは陶磁器を歴史的に考えるとイギリス独特の磁器です。現在、ドーバー海峡を隔てたフランスやドイツなどヨーロッパの大陸側では「セーブル」というマイセン、ヘレンド、ロイヤルコペンハーゲン等に代表される白磁器が好まれ、ボーンチャイナを生産するメーカーは2社ほどしかありません。
 一方、イギリスではボーンチャイナが好まれているようでスポード、ウェジウッド、ミントン等のロイヤルドルトングループをはじめ多くのメーカーがボーンチャイナを生産しています。
 しかし、ボーンチャイナと白磁器のどちらが高級とか、どちらが優れた磁器だとかいった判定はありません。ちなみに、日本でも高級食器といえばボーンチャイナ(1250度酸化焼成/クリーミーな白)ですが、迎賓館では有田焼(1350〜1400度で還元焼成/純白)の大倉陶園の白磁器が使われていますし、外務省で使われる食器もノリタケの白磁器です。(資料提供/ノリタケショップ陶仙)

4 ウエルカムセンターでユミコ先生とノリタケミュージアムの安藤館長が出迎えてくれる。ユミコ先生はノリタケギャラリーで個展をやった縁でノリタケには知人がいるのだっちゃ。ノリタケの森を案内するビデオ映像を約10分ほど見て、ノリタケカンパニーの全貌を把握、いまやセラミックスの世界はどえりゃ〜ことになっているだがここでは割愛。


ボーンチャイナの絵付けを見学

5 続いてお待ちかねのクラフトセンター・ノリタケミュージアムです。クラフトセンターはボーンチャイナの製造工場。大きな電気窯が並んでいる。生地の製造から絵付けまで、ノリタケの技と伝統を間近で見られる。ガラス越しのむこうでは若い女性が見事な筆さばきで大皿にオリジナルの赤富士を描いている。焼く前だが信じられない美しさだ。皿は記念品で使う特注品とのこと。

ノリタケ美術館

 3、4Fのノリタケミュージアム(入館料が必要)では、明治時代に作られた豪華な花瓶や飾り皿をはじめ、大正から昭和初期に製造された洋食器等を展示を見る。シカゴの暗黒街のボスもこの皿を使ったであろう完璧なアールデコ調の大皿がずらりとショーケースに並ぶ。どれもお宝級だという。さもありなん。今回は館長のご好意で原画の元絵帳を見せていただいた。1枚1枚がすばらしい絵画の線書きで、部分ごとにこと細かく色やグラデーションの指定が書き込まれている、この繊細なラインを職人たちが写し取ってノリタケのボーンチャイナが生まれたのだ。


ノリタケで絵付け

白磁器に絵付け体験

6 真っ白なお皿にカラー絵の具で上絵付け体験します。やり方は墨や濃紺で骨書きしたあと色を塗りま。皿や湯のみ、コーヒーカップなどいろいろそろっています。ところがいざ皿を前にすると手が動かない、やっぱりイメージをまとめないと何もできません。ゆう文は愛犬をせっせと描き、犬猫庵は白い湯のみに大胆に青絵の具で描き込むが、いつもながら仕事が早くあっという間に仕上げてしまった!おのおの性格が丸出しだね。

1カ月後に届いたノリタケのお皿はこちらです。ノリタケで絵付け体験


しだれ桜

ノリタケの食器でフレンチ

7 満開のしだれ桜は春のノリタケ庭園のシンボルとか。見事な容姿をデジカメに収め、昼食はフレンチ、イタリアンなど世界で定評のあるレストラン・キルンへ。シェフが丹精こめて作り上げた料理を味わうのはもちろんだが、ノリタケの食器のデザインを鑑賞するのも楽しい。
 茶の湯で抹茶をいただいた後に茶碗の底まで愛でるが、みんなが食事が終わった後のコーヒーカップやソーサーまで裏返して「noritake」のロゴマークを見る。「つい確認したくなるよね」(笑)みなさんのお宅で戦前〜戦後のオールド・ノリタケが保存されていたら、ちょっとしたお宝ですよ。

レストラン・キルン1

ショップ1 ショップ3

8 名古屋では瀬戸、常滑、ボーンチャイナと異なる陶磁器を見学しましたがこれにて終了。さて名古屋駅までのんびり歩いて帰路につきます。夕飯は名物の煮込みうどん。お土産を両手に山ほど買い込むゆう文。自分は旨かった本家山本の煮込みうどんと名鉄地下街で風来坊の手羽先を5人前、そして車内で食べる天むす弁当を購入。名古屋1700発のぞみ242号→1843東京着、解散。今回も大満足の旅でした。

味噌煮込みうどん


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