良いお道具を手に入れる`01/2

・鍋屋さんは昨年末に廃業されましたが、その記念に下記の本の中に廃業記念として1ページとって鍋屋さんの紹介をさせて貰いました。鍋屋さんにも先日、この本をプレゼントして、廃業記念にいいでしょ? と言ったら、笑っていたオヤジさんです。それからこの本には、当ページの終わりの方で紹介している、群馬神流町(旧万場町)の新勝流天野刃物工房さんも登場しています。此のページを見に来る方は、是非此の本をお求めになると良いと思います。---`08/6/12

・“山仕事の道具と技術、智慧は、自給と自衛の基本”(社)全国林業改良普及協会刊 森と暮らすNo.2「ノウハウ図解山仕事の道具」(`08/6/10発行)のお薦め-----自給自足、半農半X、田舎暮らし、農的生活指向の方々に必須? 自然と共に暮らそうと思ったら山と木々があってこそ。本書は、山主や林家向けの入門編の本だが、山の作業と道具に関わることから安全管理まで全てを網羅している。当サイト管理者も、鍛冶屋の智慧や、道具類の修理修復、熱可塑性樹脂カイデックスを使った鉈や道具類の鞘(シース)作りのページを70頁ほど書かせて貰った。実践的な智慧が籠もった本なのでお薦めする。---`08/6/11

・`08/1/1お知らせ:本ページで紹介させて貰っている鍋屋金物店さんは、2007年12月31日をもって無事閉店されました。おめでとうございます。オヤジさん達はこれから楽しい第二の人生を歩まれるご様子。年末には長年来のお客さん達が入れ替わり立ち替わり大勢詰め寄せ必要なものをお安く手に入れられていました。そして、非売品となっている有名鍛冶の業物を、『おやじー!持っていてもしょうがないんだから売っちまえよ〜!!!』と、オヤジさんに詰め寄っていた常連さんも居たけれど・・・
 常連さんのお客さん達みなで、「店潰した跡地に小屋でも建てて、非売品展示館を作って、みんなが集まれる場所を作って下さいよ、、、囲炉裏付きで。流しも付いていたら鋳物の竈で手打ち蕎麦茹でてみんなで食べられるし、みんなで持ち寄りでやればいいし・・・」ってお願い中。オヤジさんは、「アトリエみたいな建物作って、俺は絵を描きながらみんなと話が出来れば良いんだけどな・・・」と。また後日鍋屋さん廃業後のページも作ろうかななんて考え中。未だ、処分しきれなかったものが沢山あるので、知り合いにくれてやってしまうのでなく、日程を決めてアナウンスしてから安く放出すればよいのにと申し上げているのですが。。。
 あと、本ページの後半で紹介させていただいている群馬の天野刃物工房さんは、息子さんが四代目を継いで頑張って居られる様子。年賀状も頂きました。こういった鍛冶屋さんや金物屋さんが末永く営業できる様な世の中であると良いのですが。。。。自立的な自給的な、そして世の中の変動に翻弄されない生き方は、こういった優れた手道具と山があってこそなのですけどね・・・

・`07/5/29お知らせ追加:鍋屋さん廃業情報のページが作りかけのまま、なかなかアップロード出来ないので、簡単に・・・取引のある学校や保育所、役所関係には手紙で6月(7月に訂正)に閉店する旨を伝えたそうだ。でも、処分や整理などがあり、そういったことが長引くのでパッと終わるわけでも無いらしい。今は昔からお付き合いのある職人さん達がひっきりなしに鍋屋さん閉店後の手当のために資材や道具を買いに来ている様子。鍋屋さん扱い品は、生活金物や瀬戸物、刃物類の道具ばかりではない。いや、其れよりも建築資材や職人さん達のあらゆる道具があるので、その処分をどの様にするのか思案しているみたいだ。みな新品ばかりだが問屋は引き取らないし、細かいモノまで色々あるので、整理もままならない。また捨てるにはとてもじゃないけれど勿体ないモノばかり。それを安売りしたって全部が片付くわけではないだろうから、なにか上手い方法はないかと悩んでいるみたいだ。一番良いのは同業者の人とお互いに良い条件で取引が出来れば良いのかも知れない。どなたかいい人(会社)居ませんか(近々、古くからのお得意さん向けに新聞チラシ折り込みで特価セールをやる予定らしい。此方のアイデアとして、其の後に鍛冶屋もの、、、少し特価セールを土日の何処かに日を決めてやればWebのページにも前もって予定を知らせるのに?とは言っているのだが・・・)。そして、このところ、山や畑の道具類も、閉店の噂をどこで聞いたのか結構な数の人が訪れて買っていかれるそうだ。わたしも、金はないけど、佐藤甚之助の造林鎌(鉈鎌に近い)や、鋳物の竈などをお金が出来たら必ず買うから取っておいてと押さえて貰っている。去年も四本鍬の凄く良いものを買ってしまったし。。。二度と手に入らないかも知れないモノは金が無くても買ってしまう相変わらずの甲斐性無しの自分。(^-^;; 別に鍋屋さんの営業をやっているわけではないけれど、価値のあるものを結構安く出してしまっている鍋屋さんであり、偏屈だけど人柄がいいオヤジさんの最後の仕事の助けになればという願いと、価値の解る人、良いものが好きな人には折角のチャンスだからとお知らせする。また、いずれページをアップして書くが、鍛冶屋の高齢化と`06年からの鉄鋼原材料の極度な値上がりで鍛冶屋さん達が廃業したり、問屋さんが何軒も廃業してしまったこともあり、ネガティブな方向にシンクロして日本の文化、そして智慧が消滅しようとしているのを鍋屋さんの廃業に際して肌で感じている。この様なページを観ている方々には、各地方でもホームセンターで売っているマスプロの鉈や鎌など使い捨て製品に無駄金を使うのではなく、各地の鍛冶屋さんの業物を手にして質と使いやすさ、そしてメンテナンス性の良さなどを感じて欲しい。皆さんが消費するお金が何処に流れるかは、文化や智慧がどの様に扱われるのかというのと同義だと思う故、余計なお世話ながら偉そうなことを書いてしまった。ご勘弁。
更新する度に画像が増えるのでどんどん重たくなっていく。ブロードバンド辺りだとストレスはあまりないが、うちのような遅いISDN回線だとちと辛いかも。でも、珍しい物もあるので我慢我慢...(^-^;; 諦めてお茶でも飲みながら画像が表示されるのを待って下さい


名工飯塚重房が初めて作ったという火造り鍛造の鉈。鍛えた地肌が美しい。

 良いお道具を手に入れるのも手間が掛かる。しかもこちら東京近郊では自然をメンテナンスする道具類はどんどん減っているのだ。あちこち出張に行ったときに、その地方のお店にはいると、こちらの関東地方とは品揃えも違い、またその種類も豊富である。見ているだけでも楽しい。こちらでは手に入らなかったものがあるので他の地方に行くのが楽しみだ。

 しかし、探せばまだまだ東京近郊にも良い道具を置いてあるお店もある。それに今は流通が整っているので、他の地方のモノを手に入れるのが容易だ。その様なわけで、ささやかだけれど自分の身の回りのものをピックアップしてみた。もし、近所でこれらのものを手に入れにくい方が居られたら問い合わせをされてみると希望のものが見つかるかも知れない。というわけで、このページは“使うため”の道具に興味ある人に。。。


 炭焼きの番をしながら一杯やっている当時の仲間。その後、一人は紀州に林業をやりに行ってしまった。もう一人は、木を削って作品を作り都会の自然志向の人達に売りつけている。写っていないが、もう一人の仲間は、家族で数年間南国の生活を楽しんでいたが、今はこちらに戻り、農業試験場の臨時職員と著作業(石窯作りの本は、この時代随分と売れて居るみたいだ)で食い扶持を稼ぎ、畑をやりながら農的生活を楽しんでいる。何れもパーマカルチャーで講師として偉そうに能書きたれて居るみたいだ。あと一人は長年続いたTVの冒険ドキュメンタリー番組のお仕事を済ませた後、またまた世界中を飛び回って遊んでいる(稼いでいる?)。みんな結構優雅なんだよなあ。わたし?わたしは環境関連?の自営業者で食えずに喘いでいる...

 世紀も変わった2月の暖かい日。昼飯を食べに出掛けたついでに行きつけのリサイクル屋に立ち寄った。そこの社長が1年くらい前に引き取りに行った先で、敷地の広い農家の持ち主が月8万円で貸すと言っていたのを以前に聞いたという。もう今では既に遅いだろうが、取り敢えず場所を教えて貰おうと地図を持って行ったのだ。でも、もう思い出せないと社長が言う。
 鍛冶の真似事をしたいから一軒家を借りたいのだと話をすると、それだったら鞴(フイゴ)があるぞと言う。えー、そんなもん何処に隠しておいたんだっ! わたくしめは此のリサイクル屋でかなりの大金を遣っている。いままであちこちをひっくり返していたけどフイゴは見た覚えがない。しかーし座敷の奥の他のものの下に後ろ向きに慎ましやかに隠れたそのフイゴはあった。
 正札は4500円。
 “高いなあ!社長っ、これ4000円ね。”と勝手に値段を決めて引っぱり出してくる。おおおおおお......何も傷んでない。狸の毛皮もピンシャンだ。底板の端だけが少し欠けているくらい。フォッフォッフォ、、、と思わず笑いを噛みしめる。いやあ、また高い買い物をしてしまったー。(^-^)

 すかさず鍛冶の師匠、御世話になっている小山製作所の小山氏に電話をする。
 “もーしもーし。またリサイクル屋に来ちゃった・・・・(使いもしないし置くところも無いのに、ものばかり買っていると小山師匠にひんしゅくをかっているわたくしめなのです)。”“また高い買い物しちゃったよお!!! 4000円!高かったすよ。”と報告申し上げる。
 小山師匠が、“まーた、買ったのかよお! 今〜度は何買ったんだあ?”とやや非難気味の半ば呆れたようなトーンでレスポンスする。
 わたくしめ、、、“いやあ、フイゴ!三尺のふ・い・ご。。。4000円〜。。。”
 小山師匠、、、“・・・・・・・・・・・・・今度見せろ。”

 と、気分の良い買い物をした後(フイゴに呼ばれて`01/2をご覧あれ)に美味しく食事を済ませ、目的の農家のありそうな山に行く。でも、住宅が多く建ち並び、全体の雰囲気はくすんでいて今一。尋ねようかと思った駐在さんのところにある四駆のパトカーも無い。仕方がないのでグルッとドライブをして、津久井中野の町に降りる。おっと、思い出した。そうだ、ここにマニアックな金物屋さんがあったんだ。と、Uターン。

 そして、ひとしきり棚の品物が変わっていないかチェック。やった!あったあった。鉈と一緒に持つ小型の鋸がありました。これが欲しかったんだ。ホームセンターなどにあるゴムボーイの類の鋸は嵩張るし重たい。鉈と鋸が一緒に入る形態の鞘を自分で作って入れたいので、薄くて軽く、そして良く切れる鋸を探していたんだ。それが下の写真の鋸(刃は七寸)。此の手のものはいろいろあるが、此のタイプのものが欲しかったので目的達成。あとは金矢(薪割りや、樹を倒すときに使う矢)の1.3kgのものを買う。それから、此のマニアック金物屋の店主の蘊蓄をお伺いしながら資料を見せて貰ったり写真を撮らせて貰ったりした。前に来たときは、大鎌(造林鎌)や金矢、鉈鎌(鎌の形の鉈)などを購入。

 さて、その鍋屋金物店をはじめ、自分が持っている鍛冶屋さんの作を載せてみよう。


鍋屋本店(金物屋)

神奈川県津久井郡津久井町中野566  津久井湖沿いの413号の日赤病院前信号を中野の商店街に入ったところ。津久井中野の津久井警察署の正面
 林業が盛んだった津久井の金物屋。各地の鍛冶屋に津久井地方のオリジナルのものをオーダーして取りそろえている。もちろん、信州、越前、土佐など各地の既製品も取り扱っていて林業に関わる小物はおおかた揃って居る。鋤鍬などの農具、山芋掘りなども様々な形のものを置いている。包丁も手打ち刃物といわれる鍛造ものから近代包丁のグローバルまで扱っている。またヘンケルなどのドイツ製まである。ナイフ、剣鉈などのレジャー用品も実用的なものを結構マニアックに揃えている。
 中には有名な鍛冶屋の火造り鍛造の特注ものも目につく。値段も高くもなく(安くもない?)順当なところ(同じ機能を持った製品でも出来具合によって値付けを変えるなど誠意有る値段の付け方だと思う)だが、他では手に入らない物も多いので、質や使いやすさなどを気にしない安物買いが好きな人よりは、自分自身が何かを探求するタイプの人で、物の価値が解る方には嬉しいお店。(`04〜`05年:このところ鉄鋼の価格が上がってしまったので仕入が高くなって値段が変わっているもの有り
 また今は亡き有名鍛冶達の作品も多く置いてあるが、それらは今は非売品となってしまった(切り出し小刀や握り鋏、毛抜きなどまでも良いものを置いている)。そういう良いものを見せて貰い、機能を追求した製品の高貴な美しさに触れられるのも良い。過去の精神性が高かった頃のプロダクトのレベルの高さ、日本文化の伝統が辛うじて残っている。
 各地の製品のカタログや、昔の道具類をまとめた書籍なども持っておられるので、相談したり、また話を聞いたりすると面白い。長年の仕事上、卸にも融通が利き、いろいろな特注物にも対応出来るので、他で見つからないものがあったなら連絡されてみるのがよいだろう。また、愛用の鋤鍬などの先が磨り減った場合には、先掛けの修理を腕の良い鍛冶屋に出して貰えるので復旧させることが可能。いまのプレスで造った安物の農具ではなく、自分に合った農具を使用している人には助かる。4千円程度で昔の造りの良い道具が蘇るために喜んでいる人達が多い。
 生活雑貨から工具、建材、部品類まで何から何まである。農具を始め、刃物類はマスプロ製品から鍛造、手打ち刃物まであらゆるものが揃っているといいかも知れない。爪切りやとげ抜きだってお安いものから高級品まであるのにビックリ。ヘンケルの包丁やキッチン鋏など木屋扱いの製品も数多く扱っているので、銀座へ足を伸ばすより安く買えるだろう。剪定鋏や花鋏も多数有り鋏類も和もの洋もの取り揃えている。昔からの伝統的な質の高いものも数多く扱っている為、有る面ホームセンターより品揃えが豊富だったりするから、近所の主婦から土方のオッサン、はたまた職人達までお客さんがしょっちゅう出入りしている。また噂を聞いて遠方から来る人達も多い。
 店主が凝り性で話好きなので、職人でなくとも我々素人相手に道具の扱いを教えてくれたりするのも良い。例えば、釘抜きを買いに行くと、どんな釘を抜くのかと、色々な釘抜きを見せてくれる。頭の取れてしまった釘にはバイスグリップがあるなどと教えてくれる。鋤鍬を買うにしても、使う場所を聞かれてから選ぶことになる。鍛冶屋の姿勢に近い金物屋かも。だから人の出入りが多いんだね。ただ、先日も店主と手伝いの妹さん、それから鱒釣り場をやっているお客さんと店で立ち話をしていたのだが、店主も偏屈で主婦に「包丁が研げないんだったら料理するなぁ!」と言ったとか言わなかったとか言う話しも出た。すると店主は、最近は大工でも道具が壊れたと言っちゃあ直ぐに買いに来るもんで、「そりゃあ、こうやってこういう風に直せば良いんだ。」と追い返したら後日直りましたと言ってきたとのこと。最近は職人でも工夫が無くてイカンと言う話になった。鱒釣り場経営のお客さんも一緒に、兎に角みんな自分で工夫してやらなくなっちまったよね、我々がガキの時には何でも自分で作ったもんだったけどなぁと仰って、それは全員一致の感想であった。

※04/4/12追記:その後、何年もホームセンターとかで買い物をしていて気が付いた。ホームセンターって定価が幾らで売値が幾らということは表示していないんだよね。高いんだか安いんだかが良く解らない。道具類も安いものと思って買っていたんだが、ところが鍋屋の方が安いことが度々あって、それだったら地元で買った方がいいやねと言うことになった。それに鍋屋にはホームセンターでは取り扱っていない良いものが沢山ある。その高級品の価格を見て、全体に値付けが高い様な印象があったのだが、同じものだったらホームセンターより安かったという顛末。逆に品質の良いものが安く置いてあったりすることもあった。こういうお店は、品物をひっくり返して色々探してみるのが良いのかも知れん。

 最近、このページを観た人が鍋屋さんに問い合わせをしたり買いに来たりするケースが増えているらしい。それが関東だけじゃあないから面白い。其処で鍋屋の店主と話をしていて気が付いたのは、丁度時代の端境期でホームセンターにみな足を運んでいるために、質の高いものを置く個人商店が潰れたり跡を継ぐ人が居なくて廃業したりしてしまって空洞化し、良いものを手に入れるところが非常に少なくなってしまったみたいだということ。勿論、地方では探せば良いお店はあるのだろうけれど、それでも文化自体が変わってしまっているので非常に少なくなっている様だ。この鍋屋さんみたいに、良いものを置くだけではなく、問屋と鍛冶屋との繋がりを持っていて、色々な要求に応えられるというのは地方では尚更少ないかも知れない。また、この関東の地に有ることで特定の地方色に染まらずに多様な品揃えが出来るというのは、随分と面白い立場にいると思う。でも、跡継ぎは居ないんだよな。

 それで、どんな人が買いに来るかというと、職人や農家の人ばかりでなくて農的生活や自給的生活をしようという、今の食い潰し的物質文明を見直そうと意識の転換をはかり生活そのものを変えていく様に行動に移している人達だ。自分も何度か農文協の雑誌に記事を書かせてもらったりしたことがあるが、それらの本を読んでいると、随分と若い人達から変革が起こっていることを感じる。自らの手で生活環境や田畑を維持して行くには様々な道具が必用だが、ホームセンターや農協で扱っている様な使い捨てに近い道具類では無駄も多いし、そもそも日本の再生産性の高い伝統文化とはそぐわない。だからこそ、此の鍋屋さんの様な金物屋さんや、また中古の道具類が沢山置いてあるリサイクル屋、中古道具屋(中古道具屋・砥石屋さん巡り`01/3)が必用なのだと思う。いまそういった人達が増えているのは実感するが、まだ道具類に関する認識は高まっていないので、せめてこういったページで能書きこいて良い道具を大事に使おうとお薦めしたいのだ。良い道具を作る人が居なくなってしまったら困るのは我々、農的に暮らそうとしている人間だから。
 そうだねえ、それには雑誌で、エコロジカルな農的生活の道具曼陀羅みたいなものを特集すれば良いんだな。地方によって異なる道具の種類と使い方、メンテナンスの仕方などなど。それは遠藤ケイさんやかくまつとむさん達の様なマニアックな内容でなくて、素人入門編(年輩者やお百姓、職人達は当然知っているけれど、我々の様な世代が知らない基礎的なこと)みたいな身近で実用的な道具類をさ。やってよ!→農文協の甲斐さんへ(メイルじゃなくてテレパシーで送信しておくわ...)

 鍋屋に置いてある道具類(追補(1)ちょっとレトロな在庫品の頁へ)も、街で生きてきた我々の年代だと見たこともなく使い方も知らないものが多い。また現実的に必用がなかったりもする。それはお金を経済の中心とした資源食い潰しの文明に於いてはそうなってしまうのだろう。だが、近年はこの100年間に先進国の人間が行ってきた悪業が明らかになりつつある。心ある人達は、本来の自然の力を取り戻し大地と共に生きることを望んでいる。日本に於いては数十年前には当たり前だった此等の道具を使いこなす知恵も消えつつある。他のページにも書いたが、鍛冶屋にはそういった智慧が集まるネットワークがある。そして、鍋屋の様な金物屋にも昔の自然と共に生きていた頃の智慧によって作られた道具と知識が残っている。
 今の簡単便利を前面に出してお金を吸い上げる経済活動の中では、自然の保全、木工製品なども、なんでもかんでも動力付き機械でなんでも出来ると勘違いする人が多いのは致し方がないが、それは有る程度までのレベルの中での話である。マスプロダクションで生産された道具だけでは用が足りないクオリティの高い、心が籠もった作品を作りだしてきた日本の文化。それは市井の職人達によっても受け継がれている。でも、誰が次の世代にそういった知恵と道具を引き継いでいくのだろう。お金に踊らされる人が多ければ、こういった地に足が付いた智慧が消え去り、小賢しい知恵と知識が蔓延って人の心が荒れていく。そうなれば国力も落ちるのも当然だ。

 もしも大規模な自然災害が起こったとして電気も止まりガスも水も出なくなったなら皆どの様に生き延びていくのだろう。国や自治体が助けられる様な小規模のものだったらよいが、そうでない場合には自力で生き延びて行かねばならない。山が死に自然の持てる豊かさに期待出来なくなっている現代。更に厳しい状況になっている。それは日本のみならず世界各地で同様の状況だ。そして天候は異変続き。自然と共に生きていくのも年々難しくなっている。日本の山は手入れさえすればまだまだ豊かな資源となるはずなのだが。。。森造り関係のNPO活動をしている友人は、役人の頭の固さ決断力の無さを嘆いている状況である。他動的にリセットボタンが押されないと転換がきかない様では益々状況が厳しくなっていくのだが。さてどうなりますことやら。


 鉤付き鉈は`98年頃に山形の鍛冶屋さん(一番下に紹介)に作って貰ったもの。研ぎやすい上に長切れする。この時、鍋屋では鋸を買った。
 上の写真は枝打ち用の鉈。正札は11500円となっている 。安養寺鍛冶屋のもの。近隣のプロの林業家にもこの鉈でないとと言われる品。

 

 上は一般的な越前タイプの鉈。片刃の裏表。つい先日行った岐阜の美濃加茂の三和町でもこの越前鉈は普及している。よう切れると評判がよい。それが下記の写真。持ち主の70歳になる親父さんは、昔の方の食べものの方が何食べても美味しかったなあ、、、とのこと。

同じ越前鉈でも鍛冶屋によって多少造りが違う。上は安養寺、下は佐治。
表には鍋屋のブランド名が、裏には問屋の名前が打刻されている。
裏はこんな感じ。安養寺は6800円、佐治は4500円。何れも120匁。
見た目は同じなのだが・・・

 此の安養寺の片刃越前鉈には左利き用のものもある。流石に鍛冶屋も作り難いらしくて右利き用のものの20%位高いらしい。

 この鉄の柄の鉈は、昔から津久井地方で使われていたもの形のものを群馬の鍛冶屋さんに作って貰って居るものだそうです。柄に籐などを巻いたりして使う。刃は蛤刃になっている。これはわたくしめには振り切れんわ。危ねえ。。。

 上は津久井地方の昔からあるタイプ。上の段が片刃。下の段のものが両刃。手元に近くなるにつれ刃が曲線を描いて収束しているのが特徴。この両刃のもので700g位だと思う。振りやすかった。確か短い方の片刃が5700円だったはず。

`04/5/9追記:この鉈は上のものと同じなのだが、久々に買ったナイフマガジン2004/6月号No.106-P61群馬県沼田市古見製作所の記事に同じ様なものが載っていたので鍋屋さんに行って確認したところ同じ製品と了解した(ブランド名は鍋屋のものになっているが)。
 また上段の鉄の柄の鉈も同制作所で作って貰っているのだそうだ。昔から津久井に有ったものを、古見制作所さんに細かく注文し何度も作り直して製品化したのだそうだ。
 さて、詳しくは同記事を読んで欲しいが、また右の形の鉈は、付け鋼でなく割り込みの手法で軟鉄の刃身に鋼を割り込んで鍛造した“片刃(&蛤刃)”だったのだね。
 ナイフマガジンの記事を読んだので鍋屋の親父さんに聞けばそうだと言う。前に聞いていたのかなあ。同様の造りは泊鉈が有名だが同じ造りのものが他にもあったのだ。記事によれば、刃の反りは打撃時のショックを減らす為の工夫だとか。裏スキを造る代わりに反りで対応するのだろう。この裏スキに当たる側に軟鉄が入っているのも鋼への応力の負荷を減らすのに役に立っているのだろうか。また同記事には、焼き戻しが大事なので300度に温めた油できっちり2分間行っているとも書かれていた。
 鍋屋の主は古見制作所の先代が打った鉈を使っているが、それが凄く切れるとのことだった。あと、刃渡り16.5cmのものがナイフマガジンに載っていた価格よりも鍋屋の方が千円くらい安かった。メーカが販売者より安く売るのは商売倫理上宜しくないからね。それも当然でしょ。

 鉈も小さいのがあると使い易いんだよなと鍋屋の親父さんと話をしていて、古見製作所の此の造りの鉈が欲しいので、五寸が出来るかどうか今度聞いてみようと言う話になっている。`06/3/12


`06/4/29追記【古見製作所の沼田鉈、腰鉈五寸と豆鉈】:上に書いたように、古見製作所の腰鉈五寸が鍋屋さんに来た。3丁来て2丁は売れてしまって1本残っていたものを見せて貰った。やはり五寸のものはコンパクトで良いわ。他に大きい鉈を持っている人達も、ちょっとしたことに使える携帯性の良い五寸の鉈は欲しがる人が多いのだそうな。
 古見製作所の五寸鉈は、片刃なのに鋼を割り込みの手法で作ってあるという手の込んだ珍しいもの。ナイフマガジンによれば、8:2だそうだ。前述のように泊鉈が此の手法で作られるのが有名だが、他に聞いたことがない。でも、表には出ないものの各地でそういう造りの鉈を作る鍛冶屋さんは居るのかも。自分の鍛冶の師匠の小山氏は、東京五日市の腕の良い鍛冶屋(今は鬼籍に入っている)から、やはり割り込み造りの良く切れるいい鉈を買ったことがあるそうだが、支払いの段で18000円位かなと予想していたのが25000円と言われてビックリした覚えがあるという(今から10年も前のこと)。それだけ手間が掛かると言うことだよね。

 ナイフマガジンの記事には、割り込みをやるのに向こう打ち(鎚)の人が大鎚を振り下ろしている姿が写っているが、記事には両刃鉈の割り込みと違って片刃で8:2に薄く割る様な繊細な割り込みはベルトハンマーでは失敗してしまうからと書かれていた。そういうものなんでしょうね。また、鋼は黄紙二号と書かれていたが、自分が持っている山形の鍛冶屋さんの鉈も、鋼材を教えてはくれなかったものの恐らく同様に黄紙ではないかと思われる。
 後述してあるが、黄紙で上手い焼きが入っていると、結構、鉈として使いやすいんだよね。小山師匠もいうけれど、鋼材のブランドも確かにあるけれど、それよりも鍛造の仕方や焼き入れ焼き戻しの技術の方が大事であって、其の技術次第で同じ鋼を使っても刃物の性質が変わってしまうし、そもそも鋼の性能を引き出せないければ何もならないとのこと。なので此の難しい造りで此の値段というのも、山での実作業に多くの人が用いる実用品であるが故に、鋼材にも実用的なものを使って実現していると言うことなのであろう。
 裏スキは鍛造の過程で反る造りにしてとっているのであろうか。豆鉈の方も裏は反っていた。

 上は五寸片刃5775円。下は豆鉈二寸片刃3418円
 裏スキは、全体が反っていることでとっている

 上の画像の五寸腰鉈の鞘は、古見製作所の標準品ではない。卸業者の人が、倉庫に有ったからと三本分だけ持ってきたそうだ。桜の一部皮巻き。いい感じのものだ。チープなビニールレザーカバーより全然良いだろう。二本は売れてしまったので、あと此の一本だけ残っていた(アップロードするのが遅かったからもう無いかも知れないが...ただ、この沼田鉈用に作られた鞘ではないので、出し入れがちょっときつい)。私が欲しかったが今は緊縮財政で買い物を我慢しているので、欲しい人がお先にどうぞ。
 そして豆鉈は、自分がナイフマガジンに載っていたのを見て欲しかったので取り寄せて貰った。此がチャンと作ってあるのでビックリ。キッチリと研いではいないので研ぎ直しが必要だが、付け鋼で鍛造してある模様。それに口金が鎚目が残っている手作りのもの。大きな鉈よりも手間が掛かっている。柄の材は軽いお安そうなものだけど、此は自分で付け替えればよいし。そして鞘は木で作ってある。形も削るなどして手を入れれば良い格好になるなあ、、、と鍋屋のオヤジさん。

 これまた懐が寂しいので未だ引き取れずショーウィンドウに展示されたまま。まあ売れちゃったら、また取り寄せれば良いことだからということで・・・ エッ!何に使うのかって? わたくしめ少々生け花などを嗜みますので、、、出来上がった作品が気にくわないときなど、此の豆鉈で、エイヤッ!と切り刻んでしまうのに使います。って嘘です。(^-^;; 生け花なんてやりません。この程度の刃物は使うことがあるので持っていて不便は無いからね。それに可愛いでしょ。---此の部分`06/4/29追記

 此の豆鉈については下記のページに追加したのでご興味がございます方はご覧下さい。`06/8/2
・小さいけれど本物。ミニ沼田鉈「鍛冶屋の誇りが籠もっている鉈?」`06/8---“趣味のミニ鉈”とは書いてありますけれど


 ヨキや槍鉋、チョウナ、剣先鉈、鉈と鋸の二本差し(鞘が一体で両方差せるもの)などが陳列。
ボウイナイフのレプリカもある。

 

 鉈鎌や鋸各種。ナイフや包丁もかなり良いものから実用品まで色々取り揃えている。

 

 鉋や鑿、鋏など。今は亡き鍛冶の名品をはじめ名工達の作品がたくさんあるが、、、売らない。(^-^;;

 

 

 

 鍋屋本店店主(大塚 貴:津久井町産業振興協同組合理事。絵画から唄、日本刀、万年筆などにも造詣が深い。戦時中はお父上と畑を手入れしていたときにノースアメリカンP-51ムスタングの機銃掃射を間近で体験したという年齢。零戦から疾風、隼などの戦闘機についても詳しく、昔の貴重なこれらのプラモデルも所蔵。津久井町商工会のWebサイトへ)。未だに共有林の下刈りや伐採などに出動している。こだわりの金物屋。棒類も多少はあるので、手持ちのものが壊れたらメンテ可能。また各地の製品のカタログもあるので、既製品でも良いものが見つかるだろう。造林鎌も各地で色々な形のものがあるのですね。在庫は、土佐もの、信州、越前のものなど。津久井地方オリジナルの鉈は群馬の鍛冶屋さん作。

 鍋屋では鍬や鋤の先掛けも新潟の鍛冶屋に取り次ぐ。すり減った愛用の道具が蘇るのは有り難い。当然の事ながら包丁や鋏の研ぎも可能だ。あまり難しくないのは自分で、木屋の包丁などは木屋へ出す。
 左は仕上げ用の刈り込み鋏。上段のものは新品18300円。元刀鍛冶の流れ、三重県桑名市鍛冶町三品鍛冶屋のもの。前記の値段は現品のみ。今後は若干値上げ予定。
 下段の物は。越前の問屋に研ぎに出して戻ってきた三品鍛冶屋のもの。刃の身幅が狭いのは、元から上の物に比べて狭いタイプの為。綺麗な鋼の色が出て上品に仕上がっていた。
   


 刃が欠けて錆びた鎌が鍋屋さんに持ち込まれていた。鍋屋さんが以前に販売したもので鍛冶屋が打った良いものなので修理することにしたとのこと。

 夕方にお店に寄ってみたらこの様に綺麗に仕上がっていた。其処で問題。上のような欠けだと砥石でやっていたのはとてもじゃないけれど綺麗な状態までにはやっていられない。でも、今はグラインダーやディスクグラインダー(サンダー)がある。ところが、此等を使うと熱で鋼が沸いてしまって刃が鈍ってしまう。それぞれその様な難点があったのだが。
 しかし、近年ではディスクグラインダーの刃も刃を削るのに熱を起こしにくいと言うモノが出てきた。鍋屋さんは其れを使って此の鎌の修理を行ったのだが、それでも熱を起こさないようにバケツに水を満たして於いて鎌を冷やしながら整形したそうだ。それで焼き鈍しも全然なく鍛冶屋の打った鋼の特性も落とさずに修理が出来たというわけ。
 わたしも此のディスクを買ってきてあるが未だ使っていない。使ったときにはインプレッションをアップしましょう(昔、山の下刈りの下請けをやっていたときに此が有れば便利だったのになぁ〜)。
 因みに上記の修理は300円だったそうだ。鍋屋さんで売ったのでは無い鎌は100円増しだけと格安なのだが、そんなんでよくやるよね。はたまた刃の研削用の沸かないディスクは@283円だそうだから、こんなページを見る人は自分で其れを使って自分で修理やるよね。鍋屋さんのやり方はオヤジさんに直に聞いておくれ。`06/7/28追記

`06/8/2追加:【鎌の修理】刃の欠けた鎌を直すのは結構簡単?
 安い道具を使っていると平気で使い捨てを行うのが人の常。其の行為が積み重ねられれば、やがて文化になる。今の日本の住宅は15年、25年のライフサイクルと購入者側までが考えるような文化。
 ひさしが短く、窓も小さい同じ様な形の家が建ち並ぶ。中にはピンク色、黄色、オレンジ色などの眩しい色の壁の家。あんな家が隣にあった日には頭がおかしくなってしまうと思うのだけど。光は電磁波だから、有る意味電磁波障害とも言えるかも。
 電磁波である光はセンサーである眼を通して脳に電気信号として入ってくる。人間の眼は注視していない視野の外の情報も脳に採り込んでいる。
 こういった家は、わたしには公害の様に思える。ヨーロッパでは町中の建築物に対して屋根の色や壁の色に対しての規制がある国々が多い。街並み全体を文化として捉えて整えているから昔ながらの整然とした重厚な景色が残されている。
 それにしても、降雨の多い此の日本で短いひさしの家を何故建てるのだろう。窓の小さい通気を考えても居ないような家は、電気を使用することが必要条件なのだと思うが、この所の天候の様に雷雨かと思ったら凄い日射しがある様な日常で大災害で電気の供給が止まって仕舞ったら果たしてどうするのだろうか。日射しが一日中強い日に、都会で新建材軽量鉄骨の熱気が湧いて抜けない家の中にエアコン無しで居ることは到底無理。街ごと灼けているところに電気供給が止まったら恐ろしいよね〜。

 今ではあまり言わなくなってしまった様だが、良く言うのは其の土地の大工に家を建てて貰えということ。地面の中身、土地の成り立ちや素性、風の流れを知っているから、電気ガスをやたら消費せずに、自然のままに住んで気持ちの良い家、長持ちする家を建てることが出来た。
 今は山を切り崩したり、逆に谷間や田圃を埋めて住宅地を造成しているのを目の当たりにする。其れを知らずに、また調べもせずに高いお金を出して買う“消費者”。生活するのにギリギリのローンを組み、安定した収入があることを前提に20年30年の人生のレールを敷いてしまう(強いてしまう?)。
 現地を見に行って、土地の素性とか土地柄について考えないのか? もしくは、そういう論理的思考が働くタイプでは無くとも、身体感覚や直感や気づきといった超感覚的センサが働いていればいい。現場に立ってみて、何処をとっても非がないけれど何かがおかしいという感覚。気が乗らないから止めておこうというニュートラルな意識。何か流れが良くないから、此は何かの信号だろう、というエゴを超えた世界を認め、現在の状況を素直に受け容れられるその人の魂の格(霊格?)。そういった論理的な知識や智慧ともに感覚も閉塞された人々が如何に多いかということであろう。

 自分は仕事柄、日本の各地の地面の中を診ることが多い。湿気の多い気の澱んだ土地(電気的に不活性な土で、水分がプラスイオン化、つまり酸化した状態)は地面の中の水が腐り建物の資材も腐る(コンクリートも腐り割れ易い)。そういった土地の上に建つ建物は長持ちしない。コンクリートで地表を幾ら覆ってもだ。いわゆる酸化環境なので、人間にも悪影響を及ぼす。健康ばかりでなく精神もやがて歪む。土地柄と人柄はリンクする。勿論、素晴らしい方も居られるが、健康状態に歪みが出る。生命力の少ない気の澱んだ場所には、それに応じた人が集まる。またそうでない人も長年住めば場に同化する。世の中が酸化環境になれば人間も同様、酸化腐敗に傾く。肉体という船に乗る魂は、精神力だけで何事も為せるわけではない。肉体が腐れば魂も腐る。肉体を疎かにすることは魂も疎かにすること。身体に感謝をしていないから、使い捨てのように、また機械のように扱い、薬や栄養剤や医者や手術で修理しようとして不調と病気と散財のループに陥る。勿論、持って生まれた疾病もあるが、それは魂の歴史の中で自分自身が造り上げてきたもの、思考の偏向性から来る肉体への負荷、気の澱みから生じる。また業(カルマ)という魂の仕組みから背負ってくるものもある。
 こういった現象も人々の持っている業(カルマ)から来ているとしか思えない。敏感な人だったら選ばない、酸化した重く暗く澱んだ場所を好ましく思う人も居るから土地選びというのも理屈だけでは判断できない。しかしながらその様な嗜好(指向)の人間が増えれば、社会は当然の如く酸化し暗く重たくなっていく度合いが高くなるだろう事は理解できるだろう。
 根本的には粗い魂を持った人間が増えている為の結果である。目先の欲と利便性と快適さを求める隷属的な魂を持ったマインドコントロールされた種類の人達。その人達が使い捨て、消費、資源の食い潰しを行っている。そして自分自身もその路線に乗っていたわけだが、何処で違ったのか少しずつ外れてきている。

 だから其の都度気が付いたことを書いているこんなサイトをアップしているわけだ。で、鎌の修理だ。鎌の修理だけじゃあ書くことが大して無いからこんな長々と書いているわけではない。こんな事を書きたいから鎌の修理をネタに記事を追加したという、、、、。(^-^;;


☆`03/10/3追記

 ご存じ肥後守。鍋屋金物店では刃渡り8cmのものが950円で売っている。この値付けはどうも安いらしい。ただし、左の写真のものは自分が使っているものなので、売っている標準のものとは違う。此は研いで綺麗に刃を付け直した上にバフ掛けしてある。切れ味は?・・・コピー用紙の端を横に撫でれば糸くずの如く細く切れていく。あと長切れするかどうかは、これから使ってみてだが、なんといっても青紙(クローム、タングステンを含有している)を使っているのだから、きっと長持ちするであろう(確かに永切れすると実感。鍋屋さんが使っている肥後の守は研ぎ減りして2/3位の大きさになってしまっているが良く切れるそうだ)。

 さて、自分が子供の時には、この手のものを使っていた。が、肥後守の名前が使えるのは兵庫の三木市のものだけだそうだ(今はこのカネ駒印のものだけになってしまったらしい)。すると、自分等が使っていたのは、別のメーカーのものだったのだろうか。粗悪品も多かったらしいが、確かに刃が直ぐに切れなくなってしょっちゅう研いでいたような記憶がある。それにそのころは小学生でも焼き入れとかしていたよなあ。でも、鋼が悪かったのか、やり方が悪かったのか自分が使っていたのはどうにもならなかった。そんなことをやっていたのも自分らが子供の時は忍者ものとか時代劇が全盛だったから手回しグラインダーで鉄の板を削って十字手裏剣を作ったりしていたからだ。そして手裏剣も一本タイプのものを回転させずに投げる練習に励んだものだった。
 その懐かしい肥後守を鍋屋で見つけたので買ってみた。あとから調べてみたら、この950円という価格はかなり安い販売価格のようだ。

 買ったままの状態。峯は押し切りで切ったままなのか仕上げが良くないし、峯が斜めに切れていた。
 リューターで丁寧に刃に熱を持たせないように研磨して峯を綺麗に整えた。あとは粗砥、中砥、仕上砥で研いだ上、青棒でバフ掛け。

 ミラーフィニッシュと言うほどでは無いが、この程度の処理でも濡れた後に拭いた水分の拭き取り具合が良いので錆対策にも効果的だ。同様にこびり付いた汚れも取り易い。錆びやすい炭素綱だからこんな処理をしてみるのも一興だろう。

 磨きを入れると、とても950円とは思えない立派なものに変身した。是だったら1500円だな。。。(^-^;;
 小山師匠にも話をしたら肥後守は今はカネ駒しかないと言っていた。

 

 `04/12/5--食事をしにに街に降りたので鍋屋さんにも寄った。オヤジさんが店の脇で竹とんぼを作っていて一言。
『竹とんぼ作るのに肥後の守が使いやすいんだよな。切り出し小刀より良い。』自分も確かめてみたが、仰る通りだった。
さて、その理由は?
「肥後の守の使い易い点?」

※`05/5/17追記:先日、久々に小山師匠の所に行ったら、初期の肥後の守を見せてくれたので上記リンクのページに画像をアップしてみた。

 このカネ駒製950円肥後守は、刃身に“青紙割込”と打刻してある。なのでホンマかいなぁと買ってみた。そしたらホント、固くて研ぐのが大変。確かに青紙らしい。それも鋼がタップリと奢られていてかなり鋼の部分が出ている。それじゃあ研ぐのが大変だわ。もし何かの時に捻ってしまって、パキッと深く欠けなければ良いのだが。
 小山師匠にそんな話をしたら、、、鋼がそんなに厚いんじゃあ割り込みで無くて積層綱を使っているんじゃあねえか、峯のところをヤスリを掛けてみな、、、と言う。ヤスリを掛けるまでもなく、リューターで削ったあとを観たら案の定三層になっていた。なんだ割り込み(地金を鏨で割って鋼を挟み込み鍛接する)じゃあないのか。
 それで興味を持ったので“肥後守”でWebを検索してみたらナイフ販売の方のページに詳しく書いてあった。安いのは積層綱を使っているんだと。肥後守でホントに割り込みの鍛造で作っているのは“本割込”と書かれている1万円もするものだったんだね。この安いタイプの青紙割込なる打刻は単なるおまじないだったわけだ。まあ、チャンと研いたので産毛も剃れるくらいに良く切れるし950円だから充分でしょ。フランス版肥後守のオピネルに比べたら断然いい鋼材を使っていると思う。が、なんで青紙なんだろう。青紙じゃあ研ぐのが大変(刃物として使える温度で焼き入れをすれば、当然、対摩耗性が高い青紙は固くて研ぎにくいのは当たり前。その為の青紙なのだから---小山氏談)なのにね。白紙でいいのに。。。それももっと鋼を薄くして、あまり飛び出さない方が割れにも研ぎにも良いはずなんだけど、、、何か理由があるんでしょうね?! 此の大きさの他にも大きさが違う肥後の守が鍋屋にはおいてある。また肥後の守にも変わった刃先が剣型のものもある。
 鍋屋は他にもいろいろ面白いものが有るので、また近い内にアップデート予定。

 これは肥後の守でも“利光”のもの。手前の柄に木製のカバーが付いたものは地金の処に木屋の銘が入っている。大分以前のものだ。

 と書いて、翌日10月4日に以下を追加アップデート。

 鉈も同じ形、同じブランドで出しているものでも、作った鍛冶屋によって出来が違うそうだ。鍋屋に出入りの問屋さんによると、或る鍛冶屋のものは打ち上がった刃身何枚も重ねても、ピシッと揃うが、名前が売れた作家のものでも造りが粗くてガタガタと揃わないものもあるという。勿論、鉈は其れが全てではないだろうから一概に品物の善し悪しは論じられないだろうけれど、鍛造手打ちものの製品クオリティのコントロールは同じように出来上がっていれば先ずは安心であろう。また、鍛冶屋が大きいと弟子が何人も居たりするから、出来上がりが違うのにもそういう原因もあるかも知れない。
 鍋屋の親父さんによると安養寺は一人で作っているのではないかという。鍋屋本店では、そういったところも鑑みて正札を付けている。
 安養寺の鉈、180匁。700g弱。これはかなり良いものだ。価格は13500円。他にも、鞘が桜の皮を巻いたものなど、いろいろ在庫はあるので、機会をみて追加したいと思う。
 他に鉈関係だと、木で作ったもの、または篭型の鞘も在庫している。


 

 包丁は家庭用の実用品から職人用のものまで各種多数ある。飯塚重房の作は3本。出刃、牛刀、柳刃
 造林鎌は越前の佐藤甚之助の作。非売品。
 こちらは飯塚重房の鍛え地肌の牛刀。5年位前に何本か115,000円で販売したものの内の一本。この写真のもう一つ上の画像で、ショーウィンドウに出刃と並んでいる方の牛刀は66150円。此は鍛え地肌では無い為。
 お客さんから研ぎを頼まれたとの事で戻ってきていた。自分の処でも研げるけれど、今回は重房に研ぎに出すとの事。この牛刀もそうだが、重房の牛刀は柄が短めなのが特徴だとか。`04/11/7--牛刀追加

飯塚重房の作品は他に鉈と切り出し小刀もある。※参考品

これら下の写真のものは非売品のためご参考までご覧あれ

千代鶴是秀の鑿
柄はサクラの木
是秀の銘が入っている

此の是秀の鑿を何時も頼んでいる腕の良い研ぎ師に研ぎをお願いしたと
ころ、うちではとても恐ろしくて扱えませんと送り返してきたそうな。


一級品の鑿を作る山弘もある。

 `04/3/7追加:最近ご無沙汰していたので立ち寄ったところ、こんなのが出てきたと見せて貰った。

 棚卸しをしていて見付けたという山弘の突き鑿セット。
 自分でも何であるのかが分からないと言う。多分、お客さんに頼まれたけれど事情が変わってそのままになったのじゃないかと言うことだ。

 山弘ももう歳なので、今ではこんな尺もの(口金から刃先まで35cm)は作れないと言っていたらしい。右は寸六(48mm)、左は八分(24mm)、全長は68cm位。

これは売っても良いそうだが、可なりの価格になるみたいだ。
でも、こんな大物の突き鑿を使う大工ももう居ないかもしれない。

※`04/11/16追記:下の方の桑切り鎌の処でも書いたが、本日鍋屋さんに頼んでおいた蕎麦切り包丁の入荷状況を教えて貰う為に電話をしたところ、此の山弘の突き鑿が欲しいと大阪の宮大工の方から連絡を頂いているそうだ。ところが、鍋屋さんは最近新潟の卸の担当者から、山弘はもうこんな大物を作らないと聞いたそうで、売ってしまったものか悩んでいるらしい。山弘では、もうこんな長いものを作れる火床(ほど)は壊してしまって今はもう無いそうなのだ。火床が無いと言う事は本当に大物は作らなくなってしまったみたいだね。
 さて、鍋屋の主はどうせ非売品にしておいても何れは博物館か何処かに行くだけなので、マニアやコレクターでは無くて本当に使ってくれる人だったら譲っても良い様なことをモグモグと電話口で言っていたのだが。。。
 なので、本気だったら此処は一発、、、押しだと思うよ。価格は十何万円とか言っていたけれど、鍋屋さんはけっしてぼる様なことはしない人だから出せるんだったら手に入れたら良いんじゃないですか。
 って、わたしも何れ懐が温かくなったら重房の両刃の鉈が欲しいと鍋屋の主を押してみようかな。。。コレクションじゃなくて山でガンガン使うからさあ〜、、、なんちって・・・(^-^;;

※`04/11/29追記:島根に引っ越していくお客さんにプレゼントするために両刃(ご夫婦で利き手が違う為)の蕎麦切り包丁をお願いして於いたところ九千円弱でかなり良いものが来て鍋屋の主もビックリしていた。その時に話のついでに出たのが山弘の話。大型の火床は壊してしまって長いものは出来ないと言う話だが、他の顧客からも是非作って欲しいと依頼が来ていると言う事らしい。場合によっては火床を作り直して作る可能性も出てきたという。で有れば十万円以下で出来る可能性があるらしい。さて、どうなりますことやら。

※`05/5/17追記:このページに何点か載せている山弘の件。槍鉋、鑿、鉋だが前述の様に火床を作り直した様だ。鍋屋の親父さんも入荷できるのが解ったので、直ぐ下に載せた松炭焼きの鉋も欲しいといって来た人に分けてしまい、その後、新しく入荷した同じものを先日見せて貰った。ただ、他の所にも書いた様に鉄鋼が高くなっているのでこういった製品にまで影響してきていて今年になってから皆価格が上がってしまっている。
 槍鉋も山弘のものが出来上がってきていたが、柄の角度が前にあったものとちょっと違っていた。

下は菊弘丸のもの

 

`04/5/28追加:本日、頼んであった品物を取りに行ったところオーダーしてあったという山弘の鉋を観ることが出来た。

 もうあまり作ることはないだろうと言われている山弘の鉋がやっと出来てきたそうだ。鍛え地の肌の模様が凄い。刃も分厚く持つとずっしりしている。鉋台もかなり良さ気な木を使用している。
 箱書きのよく見えないところは、“松炭焼”と入っている。

 お値段?まだ付けていなかったが、結構お高いみたいである。店主は、こんな鉋を使う大工は居なくなってしまったから、いずれ他のものと一緒に博物館行きかなと言っていた。

 他には千代鶴貞秀の鉋、昭和53年作。他にも同氏作の鉋の寂光、淡路の夕凪がある。また刀鍛冶の流れの重延(会津住)の鉋もあり。この重延はかなりの偏屈者で、大学の先生が研究させて貰おうと会津に伺ったが、てんで相手にされずに話も出来なかったらしい。
 流石、会津住。わたしもあっち方面や檜枝岐の方で、何度も嫌な目にあったからね。どうも変わった人が多いのかも知れない。

 刀鍛冶宗寛の剪定鋏
 此は売り物ではないが、宗寛のものは汎用品も扱っており、他にも数多くある。また花鋏もピンからキリまで取り揃えている。
銘は泰龍斉

 播州貢作、握り鋏守町三寸五分(105mm)。店主によれば、多分、木屋にも同じ物は残っていないだろうとのこと

 他にも國治の植木鋏(大久保型)。富山重太郎の切り出しも持っている。店主が話してくれたのは、こういう物が何故手に入るかというと、木屋みたいな大きいところだと仕入れの値段を叩くし、また機能とは関係のない見えないところの細かいバリなどを綺麗にするように指導があったりで鍛冶屋が出すのを嫌がり、その代わり鍋屋みたいに小さい店だけれど、こういうものが好きなところで価値が解っている店に出すことを希望したりするのだそうだ。そういうものを昔から扱っているので、自然と良いものが集まってきたらしい。
 ご立派な金持ちしか相手にしないようなデッカいお店ではこんなものを間近に観て、その上、手にさせて貰うことなどなかなか出来ないが、此の鍋屋の様な店が残っていることは色々な意味でラッキーかも知れない。鍋屋には博物館の学芸員とか大学の先生も来たりして資料を分けて貰っている。

 

☆`03/10/18追記
 しつこく本日またアップデイト。
 鍋屋の親父さんが持っている「道具曼陀羅」昭和51年毎日新聞社刊を見せて貰いに立ち寄った。ついでに未だ写真に撮っていなかったものを撮らせて貰う。さて、今回撮ってきた写真を載せてみよう。尚、鋤鍬、鞘以外の物は非売品なので悪しからず。。。

 三条の名工、飯塚重房が初めて作ったという鉈。10数年前に2年以上掛かって作って貰ったという。両刃、670g位。見るからに手を掛けて作っていることが解る。柄は持つ人が自分の手に合わせて削るようにと太めに作ってある。それも、一般市販品のように柄を縦に切って刃を差し込んでいるのではなく、中子に合わせて柄の中を掘ってから差し込んである。また目釘の穴の周りの処理にも手が掛かっている(後日、小山師匠と同行して鍋屋さんにお宝を見せて頂いたら、この目釘はラブレスボルトとの指摘だった)。柄は何の材を使っているのか解らないが、握った感じが良い。だが、乾燥するとかなり縮む材のようで、口金が大分緩くなっていた。尤も、口金はもとよりそういう物。ちょっと手間を掛ければ直すのも難しいことではないので大した問題ではないが。
 重房の銘が入っている。刃は惚れ惚れとする美しさ。
 名刀をよく観ている鍋屋の店主をしても、刀のような此の刃は凄いと感嘆する。自分は、鍋屋にある鉈の中で一番欲しいのはこの鉈。どんな切れ味なのだろう、どんな研ぎ味なのだろうと期待させるものがある。
 だが実際には、刃渡りが長いので、自分にはちょっと難しくて使いこなせないだろうな。

 

 鉈は両方とも安養寺(越前、大野市)のもの。鞘は桜の皮巻き
 鉈は片刃。鞘に鋸と鉈が一緒に入るのは便利だ。鋸は信州物。自分も二本持っているが、かなりの優れもの

 此の上の画像の鋸はプロが使って良く切れるというもので、鍋屋の主によれば、元の方(柄に近い方)がもう少し厚ければ完璧だとプロが言うそうだ。本当に良い鋸は手元の方が厚めになっている。押した時に撓まないようにだと思うのだが。鍋屋さんには良いノコギリも置いてあるので見せて教えてくれる。
 この鋸を作る村では嘗て五十軒ものノコギリ鍛冶が居て、朝の始業時間になると全軒で始めるものだから、カンカンと五月蠅くて居られなかったくらいだそうだ。其のノコギリ鍛冶も今では五軒位までに減ってしまったという話だった。この鋸は薄くて軽くて良く切れて使い易いんだよね。先日鍋屋さんに寄った所、此の手の使い込まれた鋸が五本並べてあって、目立てに出したところだと言っていた。

 こちらは安養寺作の金矢。今では作っていない。こんな先の薄い物は、しっかり鍛造しないと良いものは作れない。これが欲しいのだが売ってくれない。知り合いも狙っていて、店主の居ない間に奥さんに売って貰おうなどと言っているが、それは無理な企みだろう。
大きめの鞘も扱っている。
上は2500円、下の編んだ物は1750円位だったと思う。


 

 

 

 各種農具。鍋屋が津久井型の鋤鍬を埼玉の鍛冶屋さんに頼んで作って貰い伝統を継承している。形や棒の角度など様々だ。津久井でも、少し地区が違うと棒の角度が異なったり、形が違ったそうだ。
 鍋屋の店主は、この辺りのことは勿論のこと八王子陣馬山辺りだとどの様な形の物かなども知っている。例えば、鋤の刃が横に平たいのではなく縦に平たいのだそうだ。その様な形のものは、どこか他の地方でも観た記憶がある。
 左の写真の3本鍬は13000円、4本鍬は15000円弱。柄の角度はかなり違う。

 上の鍬は、鍋屋特注のもの。元から刃に掛けて中央が分厚く盛り上がっている。鍛冶屋が打つものはそういった造りになっており、そうすると泥の塊が付きにくいのだそうだ。
 また逆に、鍋屋に置いてある山芋掘り用の芋掘り鑿はどちらの面も中央付近が薄くなっている。そうすると泥が付きやすいので穴の中の泥を出しやすいと言うことだそうである。これはプロ用のもので9600円で売っているが、素人向けの安い芋掘り鑿は4000円で売っている。鍋屋に置いてある芋掘り鑿だけでも5本有って、それぞれ鍛冶屋や製造者、価格が異なる。

 

☆`03/11/25追加:

 こちらも安養寺作の木に登るときに付ける足のかぎ爪。鍋屋のお客さんに幾らでも良いからと頼まれて安養寺にオーダーしたそうだ。作ってくれるんだね。前出の金矢はオーダーしても出来てこなかったと言っていたような覚えがあるのだが。


 使うときには、あとビニールの紐で止めるだけで良いという事なのだが、鍋屋の店主をはじめ、他のお客さん達と「そんな頼りないもので平気なのだろうか?」と論議を呼んだ。
 値段は、この時点では未だ解らなかった。後日談:二万何千円だかになるということで、お客さんが引き取らなかったらしい(そんなお客さん居るんだねえ)ので行き先な無くて在庫しているから何方か買って上げたら如何でしょう。

 上の青のかぎ爪は当ページをご覧頂いた人に売れたそうだ。「鍋屋さん良かったですね。」と申し上げたら、『まあ、売れなかったら売れなかったで、安養寺のものだから飾っておいても良いんだけどね。』と余裕のある親父さんだった。先日行った時も安養寺の特注タイプの鉈を山梨のプロの林業家が5本まとめて注文くれたとの事。土佐ものも良いけれど、そういった大量生産品よりも安養寺は一人で作っているから質がまたひと味違うんだよな、という親父さんの弁。このかぎ爪も必用な人が居たら作って貰える内に頼んでおいた方がよいかも。`04/10/6記

 こちらは一般市販品。5300円。昔は皮のバンドが付いていたそうだが、今は付いていない。爪は丸棒。安養寺も昔は丸棒だったそうだが角板に変更されている、また色も黒から青に変わった。多分、山では色の明るいものでないと草や木の葉の間に落ちたときに無くしてしまうからだろう。
 爪は鋼だが鍛造ではないだろうとのこと。安養寺作の物と異なり丸棒の爪を板にそれぞれ溶接してあるだけ(安養寺のものは前後の爪が一本の鍛造した板から出来ている)。

 

 真ん中の小さいものが1.3kgの金矢。
 その上下のものは硬木の柄が付いたもの。この様な大きいものはあまり作らなくなったので、鍛冶屋でも注文を受けてから打つそうだ。

 

 こちらもまた安養寺(越前、大野市)作、臼用のチョウナ。
 これほどの曲がりが有れば、かなり深く彫り込めるだろう。

 

内側の細かい鎚目が、繊細で丁寧な鍛造によってこの曲面を出している事を物語る。

※`04/6/9追記:先日、この臼刳りチョウナは売れてしまったそうだが、鍋屋さんに依ると、その購入された方は、金物屋や古道具屋などかなり彼方此方を探されたらしい。結構、臼刳りチョウナの在庫は無いみたいだ。
 その後、鍋屋さんは、再度このチョウナのオーダーを問屋に掛けたそうだが、やはり直ぐには出来上がってこないらしい。問屋さんに依ると、臼刳りチョウナは殆ど商品の動きがないので必用な方は早めに手配した方がよいかも知れないね。

※`05/5/17追記:その後の話だが、此の安養寺作の臼刳りチョウナは評判が良く注文が重なったので2回くらい入荷していた。だが、去年の後半から鉄鋼の価格が上昇しているので、今年になって此等の刃物類をはじめ軒並み価格が上がってしまっている。モノによっては生産できる出来ないの瀬戸際のものもあるようだ。

【`06/3/11】追加:去年の最初頃だった思うが、撮影だけして忘れていたものをアップロード。既にこの時点で鉄鋼の価格が上がっているので商品価格に反映してしまっている。安養寺の臼刳りチョウナは値上がりしている。

 左の物は鍛冶屋解らず一般市販品7350円
 こういった角度の画像だと解らないけれど、、、

 

 こうやってみると一目瞭然だね。巾もさながら刃の厚さが違う。また棒の太さも違う。
棒も必要以上に太いと手に来る反動も大きくなりがちなのでは。

以上

 

 

 

 

 鍋屋の店先で主に色々教えて貰っていると、次々とお客さんが来る。この時は、砥石を買いに来た方が居られて、店主が説明をしていた。横で見ていたら本山の木っ端砥石が出てきた。最長部で25cm、幅が13cm。これを譲って頂く。感謝!
 もう、売り切ってしまったかと思っていたら1つだけ残っていたと仰る。また2、3個は入荷するというが。大きさ形はまちまちというので、見て気に入った此がよいと分けて頂けるようにお願いした。
 後日小山師匠に、この砥石を見せて5000円と言ったらかなり興味を惹いた様だった。

 左右が多少傾いていたので、家にあった38mm厚のサワラの板を彫って台を作り砥石に取り付けた。
 サワラは桶などにも使う水に強い材なので塗装しなくても平気だろうと放ったままなのだが・・・
 ケチって短い材にしてしまったが、長い物にした方が安定が良かったと反省。




 

 此の本山は主に鉋の仕上げに使うことが多いが包丁などの仕上げにも良いだろうと店主に言われたので、この砥石でレストア?中の鉈の研ぎの仕上げを行った。いい感じです。
 この鉈は、多分リサイクル屋にあったボロボロのものを何百円かで買ってきてあったものだと思う。それを磨いて、口金を金属パイプから打って作り(家にある道具で口金を火造り?)、柄は乾燥させておいた樫の木で間に合わせた。何百円かで、鍛冶屋が割り込みで火造りした鉈が復旧できれば上等でしょう。薪割りなどのちょっとしたこと用にと考えている。
 あと、小山師匠が作った和鉄の小刀や鰺切りもこの砥石で研いでみたが、まあまあいい感じだった(でも、腕が悪いのか売っている包丁の仕上がりのようには出来ないのが悔しい)。だが、二本とも鍛造した後、大凡の形を付けた物を譲って貰い、その後、自分で刃付けをして形を整えているので、とても人様にお見せ出来る仕上がりではないので画像は無し。
 この辺の話になってくるとお金を掛けて色々天然砥石を使ってみないと解らないのであろうとも考えた。それには良い砥石の研ぎが反映する刃物も無いと良く解らないのだろうから今のところペンディングだ。(^^;;

 こちらは何に使用するのか最初は解らなかった。聞いたら竹籤を作る籤抜きというものなのだそうだ。
 昔の自然豊かで人間が少なかった頃、野鳥保護の法律がなかった時代には自分たちで鳥かごを作ったものだそうだ。あとは竹とんぼとか模型飛行機にも竹籤は必需品だった。自分が子供の頃にはかろうじて竹籤を蝋燭の火で炙りながら曲げ、それで模型飛行機を作った記憶がある。其の又以前の人達は、自分たちで竹籤を作ったんだね。
 両側の爪を堅い木に打ち込んで大体の大きさに合わせた割った竹を穴に通して削るのだそうだ。結構な力が掛かるので、爪がしっかりとしていないと抜けてしまうとのこと。鍋屋の店主の持っているものは手前のプレスで作ったもので、この爪が短い為に直ぐに抜けてしまったそうだ。奥の色の黒い物が鍛冶屋が鍛造した手打ちのもの。\2,900
 その時に居られたお客さんも年輩の方だったので、同様に竹籤を作ったとのこと。だが、昔は、鍛冶屋が打ったこの様な手打ちの物は手が出なかったそうだ。手打ちの物は使いやすくて良く削れたそうなのだが子供には買えなかったと言うことです。

 

 なんとビックリ!有名なフランス製、鋳物ホーロー鍋の“ル・クルーゼ”も置いてある。自分は多層構造のステンレス鍋をメインに使っているが、良い鍋やフライパンなどの調理器具には目がない。
 最近、二重蓋の土鍋を買って喜んで使っているが、洋風料理にはこいつも欲しい。アメリカ製のロッヂのダッチオーブンも買うつもりだけれど、日常的に台所で使うには鋳物より手入れが楽なホーローのこのル・クルーゼもいいなあ(ステンレス多層鍋は、料理が美味しく出来るし乱暴に扱っても丈夫なんだけど、多少はイオン化するからね)。。。
 写真のものは、トラディション-ココット・ロンドの22cm 3.4Litterである。つまみは230度までの耐熱性があるから、熱源間近でなければガス/電気オーブンの中で料理出来る。またル・クルーゼには、電子レンジの中にも入れられるストーン・ウェアもある。ル・クルーゼもロッヂのダッチ・オーブンもスキレットをはじめいろいろな形のものがあるからそれぞれ買ってみようと思う。
 素人は道具によって料理の出来具合が歴然と違うから、素材の持てる要素を最大限に発揮させて美味しく頂く為に良い道具を使いましょう。使う道具に金を掛けるのはけっして贅沢ではありませ〜ん。(^-^) 貧乏人は良い道具を大事に末永く使いましょう。
 自分の手で作った作物や手に入れた収穫物を良い道具で美味しく頂くのは何よりも幸せな一時。大地からの贈り物を感謝しながら頂くことは身体にとってもとても良いでしょう。身体にとって異物を採り入れる、そしてエネルギーに転換するのは凄いことだし、知れば知る程、生体の仕組みの不思議さは募る。だからその身体に感謝して出来るだけ生きたもの(気の入ったもの)を良い状態で摂取することが大事でしょ。この普通の事が疎かにされているからみんなおかしくなってくるのでは?
※先日ルクルーゼのオーバルをプレゼントした友人に聞いたところ、パスタを茹でるのに使うとパッケージの表示時間よりも2分ぐらい早く茹で上がるらしい。
 こちらはプジョーのペッパーミル。知らなかったが、フランスの車メーカのプジョーは、元は1810年に剃刀の刃や鋸刃の生産から始まりミルの生産を行う長い歴史のある会社だったのだ。これらは刃物の木屋のパンフに載っていた。
 昔、木屋はこんな小さな店は相手にしていなかったが、最近は営業の人が回ってくるとのこと。でも、さすが木屋だけあって凝り性の面白い人なのだとか。このル・クルーゼもプジョーも木屋の扱い。


 それにしても鍋屋の親父さんは良いものや面白いものが好きなようで、懐からいろいろ出てくるので楽しい。
 ただ、展示の仕方が控えめなので、良いものが置いてあっても見る目がないと良く解らないのも事実。何しろさして大きくない店(失礼!)なのに品数が多い。まあ、それも個人商店の味だから良いんですけどね。また、鍛冶屋さんに行くとお客さん達に面白い人が多いけど、この鍋屋のお客さん達も実際に道具を使いこなしている人達だからお話しが勉強になるし面白い。

☆`04/3/15追加:本日、鍋屋で買ってしまったもの。(^-^;; そんなつもりではなかったのだが、街に食事に出たついでに鍋屋さんに寄ったら帰りは買い物袋を抱えていた。金が無いっちゅうに今すぐ必用のないものを買い込んでっ!
 それというのもほぼ同時に入ってきた植木屋の頭領と思われるおとっつぁんがいけないんだね。わたしが折り畳み式のスコップを「おっ、これ金象印じゃないか。」と観ていたら、おやじさんと頭領が、『金象印は強くて丈夫なんだよな。コイツもいいものだ。それからこっちの小さいスコップも強いし役に立つ。』『これで、山に持っていって移植に使ったらみんなビックリするくらいよく掘れるもんで。。。』などと話をしている。そんな金象印が良いのくらいわたしだって知っている。うちもステンレスのものと塗りのものと金象印のスコップは使っているからな。
 以前から車に積んでおくのを欲しかったのだが、ホームセンターなどにあるのはチャッチイので買うのを躊躇っていたのだ。それが金象印であるならと買ってしまった。金象印の物はホームセンターに置いてあったかなあ。。。見た覚えは無いのだが。

 坂光の切り出し小刀七寸2200円。自分としては鋼がもう少し薄い方が嬉しいのだが。
 もっと良いものが欲しい人は此の頁の下の方に重房のものを載せてある。
 裏表何本か見て気に入ったのを買った。鋼が丁度中間くらいまで入っているのが写真でも解る。

 これは薩摩の天然軽石130円なり。丁度探していたところので2個買った。えっ?写真を撮る程の物ではないって。。。いやこういう小物まで揃うのが嬉しくて...

 それでもって、その植木屋の頭領は小脇に布にくるまれた長いものを大事そうに持っている。他のお客さんが居なくなったところで親父さんに見てくれとおもむろに開く。脇差しだ。また手に入れたんだと目釘を抜いて中子の銘を見せる。うっかり失念したが名の通った刀鍛冶の作らしい。ただ身に脹れがでたり疵が出来ていたり保管が悪かったので安かったとのこと。でも拵えも良いものの様で話が盛り上がっていた。
 その頭領は腰に鍛冶屋に図面を書いて作って貰ったという煤竹を鞘として、柄をたがやさんか何かで作った随分と使い込んだ小刀を持っていて、其れを見せてくれながら、鍋屋に数ある切り出し小刀の中で、『これは安いけどモノが良いんだよな。』と曰う。鍋屋のおやじさんも『この坂光の切り出し小刀は、他のこの価格帯のモノと比べたら研ぎが二工程くらい余分に手間を掛けてあってこの値段は考えられないくらいのモノだ。』『この先の藤野に和竿の造り方を教える先生が居て、其処の生徒さん達がみんなうちに買いに来てくれるんだ。』と言う。
 「そうかいそうかい、其処まで言われちゃあ買わないわけにはいかないでしょ。」刀や骨董がご趣味の頭領と親父さんがいうなら悪いモンじゃあないし、それにこの値段でこの造りだったら安いわ、とスコップと軽石で領収書を切って貰ったばかりなのにまた再度領収書を書いて貰う羽目に。

 前からこの切り出し小刀があるのは知っていたし、親父さんにも良いものだとは聞いていたが、やっぱり誰が言うかによって必用のないモノまで買うことになってしまうことがあるのを実感した。大体、鍋屋に来るお客さん達の人相はいい人が多いし、今回の頭領だってそうだ。立ち振る舞い、立ち姿がシャキッとして腕の良い職人という雰囲気を発している。コレクタじゃなくて道具を使い込んでいる職人が言うんだったら良いものでしょう。他にも色々話している側で聞いていたが、鍋屋にいると色々な知恵のある話が聞けて面白い。
先日、鍋屋の親父さんが、この頭領が亡くなったとガッカリしていた。作業中に4m位のところから落ちる事故で亡くなられたそうだ。ご冥福をお祈りしたい。その話を何人かに話をしたらみんなが知っている有名な庭師の方だったそうだ。アメリカへも庭園を作りに行ったりしていた頭領で、刀や芸術作品にも造詣が深い方だったとの事。合掌 `06/2】

 そんな訳で、またまたページに追加更新。ところで少し写真の撮り方が上手くなったでしょ。刃物はバックを黒にするのがやっぱり良いね。前から鞘を造ろうと思っていてカイデックスを何枚も在庫していたのを思い出したんだ。それに群馬の天野鍛冶屋さんに行った時もカイデックスを下に敷いて写真を撮っていたんだわ。こんな写真の撮り方をすると、小刀も軽石も値段より随分と高級な物に見えてくるから不思議だ。

 金象印の折り畳みスコップ1400円位だったか。カタログを見せて貰ったら3種類ぐらい有るが、頭領がこのタイプが一番頑丈だと言っていた。3つに折れるタイプも載っていた。

 

 

 この角度でも固定出来る。こういった使い方も偶にするので便利かも。
 欲しかった理由は、用を足す時に大きなスコップを持って山の中に入っていくのは大袈裟だからだ。勿論、他のことでも使えるので必用だったのだが。
 ところで使用済みの紙だが、これはその場で燃やしてしまい、その上で埋めるのが一番綺麗な処理法だ。

 全長70cm、スコップ身丈20cm、巾15cm。
 刃先が白いのは、土がよく切れる様にサンダーを自分で掛けたから。


 

`04/4/12追記:先週仕事で新潟の柏崎に行って来た。初日に早めに着いたので、かなり大きいホームセンタームサシへ回ることになった。やはり、こちらの関東とは品揃えが違ってかなり楽しめた。欲しいものも沢山あったのだが、車に積めるわけもないので小物だけ購入。それで、道具類の所に回ると、この金象印の折り畳みスコップが三段に折り畳めるものを含めて3タイプとも置いてあった。流石、新潟と感激。
 だけど、値段は家の近所の鍋屋さんよりも高いわ。そういえば元が幾らなのか定価を知らずにいた。尤も鍋屋さんにはカタログがあるので見せて貰えば定価は分かるのだけどね。安くしてくれているので言い値で買っていたのだが、ホームセンターより安かったことで何か安堵。それにしても、ホームセンターに置いてある鋤や鍬、鎌や鉈のたぐいは、他の豊富な品揃えと比較して少な目だったね。ということは、近くで買うか農協で買うかということなのか。
 全然話は違うが、柏崎の新花町にある居酒屋オカメは料理が美味しいが、何より美味しいのがモズク。契約した漁師さんから仕入れているというものだが、柏崎の人も此処のは美味しいという。細くてシャキッと歯応えがあって味もいい。ここのを食べたら関東では同じ様なモノは食べられないのでとても悲しくなってくる。機会があったら寄ってみてください。

 それから今日は、鍋屋さんに頼んでおいた金象印のダブルスコップを取りに行ったのだが、頼んでおいたヘチマは?というと未だ入らないという。でも、側にいた店主の奥さんが、「その上にあるわよ。。」と回転ディスプレイ棚の上から下ろしてくれたヘチマ(全長35cm強)。「天然美人」(中)made in japan となっている。其れが下の写真の品。同居人の女性が硬いのは嫌だと言っていたので、一番柔らかいのを選んで買ってきた。252円也。んんん、、、結構安いんでないかい? と言うよりも、安売りの所やホームセンター、スーパーじゃあこんな良いのを置いてないよね。家じゃあ旅行に行った時とかにも気にしていて、見付けたら買ってくるんだが、なんだ近所に安くて良いものがあるんじゃないか。訂正:このヘチマの価格252円というのは店主の間違いで、620円+taxが正しい。やっぱりそんなに安いわけないよね。さて、先日、山中湖の東側、道志村の山奥に住んでいる人の所に遊びに行く時に、このヘチマと亀の子ブランド束子と、先に載せた軽石の三点セットを二軒分お土産に持っていった。この変なお土産が思いの外喜ばれたのにはこちらがビックリ。ありきたりのモノより、こういった実用的なモノの方が良いのか。。。

 

 `04/5/9追記:こちらの切り出し小刀は故富山重太郎の作品。勿論非売品。

 

 そして、下は三条の名工飯塚重房の最初の頃の切り出し小刀だそうだ。10年以上前だったのではないかという。5本くらい打って貰ってみな売れ、1本だけ残っている。銘が今のように格好良く凝ったものではないのがその証。

 使って研ぎ減りしても平気なように柄もかなり長く造ってある。そして裏スキも長くとってあり、短くなって研いでも裏スキが残るように手元近くまで長い裏スキになっているのは製作者の誠意?
 でも、価格はそれなりに高くて4万円くらいだそうだ。昔は職人が買っていったそうだが、職人が居なくなった今ではマニアでなかったら買わない価格だなと主は言う。わたしも懐に余裕が出来たら欲しいが、Webに載せたら売れちまうかもねと言うと、重房のところは昔からお願いしているので、うちからだと問屋経由で言えば特注ものであっても今でもやってくれるはずだとのこと。

 ところで、こんな新聞紙の上で重房のものを撮ってとご批判頂くかも知れないが、それがとんでも無い!この新聞紙の中身が物凄い。主自身は持っていることを公開したくないというお宝で、むかし木屋の専務だかが二人ぐらいで見に来て唸って帰っていったという超名工の作品。普通は見せてくれないので、出来る人は透視術を使って新聞紙の中身を見抜いておくれ。

 私がモノを見る目がないからなのだが、それにしても行く度に何か発見があり良いものが沢山おいてあることを再認識する懐の深いドラえもんのポケットのような鍋屋さんでありました。(^-^;; `04/5/9記


`06/8/4追加:【重房の切り出し左用】春頃に写真を撮っておいたのだが、遅くなってしまった。鍋屋さんの左利きのお客さんに頼まれてオーダーしたもの。

 上に載せている昔の重房の切り出しとは裏スキのとり方が全然違う。

 


`04/6/2追加:先日、鍋屋さんに頼んでおいたものが入荷した。だけど、予定外のものまで購入してしまったので日々の食事のグレードを落として挽回せねばいかん状況が我が身に......これを宇宙の法則では因果応報と云う。

 キーホルダーに付けて使っていたウェンガーの小さいマルチナイフ(ナイフと爪研ぎヤスリと小さい鋏が付いたもの)の使い方が荒く使用不能になったので代わりのナイフが欲しかったのだ。
 それでIC.CUTの小さいフォールディングナイフの安いのを頼んでおいた。ところが、鍋屋のご主人が受注に際して、ついでに問屋に注文した幾つかのフォールディングナイフの納品分の中の一つに目を惹き付けられるものがあった。それが上の写真HIROブランドのもの。懐が寂しいのでどうしようかと迷ったが、ご主人が安くしてくれたので財布の中身の殆どをはたいて購入。そして手にした嬉しさの勢いでお約束の撮影会。今回はナイフが可愛らしいので側に苺をあしらってちょっと雰囲気を出してみた。(^^;;
 もう、この時点で刃は研ぎを掛けてある。やはりマスプロ製品の工場出荷時のものでは満足出来ないからだ。このHIRO KNIVESのものは紙がなんとかザリザリと切れる程度。右のIC.CUTのものは購入したものも十数年前のものも両方とも切れるというレベルまで刃付けが仕上がっていない。

 どーするんだこんな状態で。ナイフなど何も知らない人が購入したらガッカリしてナイフ自体のイメイジが悪くなることは確かだ。それに普通の人は砥石も持っていないだろうしね。ちょろいシャープナーで刃を擦ったって大して切れるようにならないから道具として役に立つというレベルににならないかも。きっとこれらのナイフは自分で研ぐことが出来るマニア向けのアイテムなのかも。
 それに比較して鍛冶屋が出荷したものだと、逆に私が研ぐよりも遙かに良い仕上がりのものが多いのだけどね。(^-^;;
 うちは洋式の研ぎ道具は無いので、いつもの砥石で研ぐ。今回は中砥で研いでからキングのG-1仕上げ砥を掛けた。刃付けがV字のフラットグラインドだから、まあこんなものだろうという感じの仕上がり。一応腕の毛ぐらいは剃れる。

 このナイフの素性をWebで調べたところ、商品名は“HIRO U.S.Aインターフレーム#25”と言うらしい。箱書きでは“#2500”になっていて、“AB”にマークがしてあった。ABはアバロンをインターフレーム形式のハンドルに埋め込んだという事を意味しているようだ。アバロンは白蝶貝と真珠貝の間のようなものらしい。綺麗だが個体によって風合いが様々なので、もし購入するような場合には気に入るものがあるか在庫のナイフを全部見せて貰った方が良いだろう。
HIRO KNIVESブランド“#2500”AB
・全長105mm/折りたたみ時は61mm
・ブレード長43mm/刃渡り35mm程度
・最大幅6mm
・定価8400円
ブレードの付け根(リカッソ)には裏表に以下のように打刻されている。 HIRO G2 STAINLESS/ SEKI CITY JAPAN
 この購入した“#2500AB”はかなり気に入っているのだが、気に食わないところが一点。ブレードを仕舞った時にブレードライナーの中央に来ないで片側に寄ってしまっていることだ。ちょっと残念。まあ、この程度のものはコレクターズアイテムじゃあないから良いって事なのかなあ・・・ブレードやロック機構のアクションも割と良いんだけれどねー。

 HIROブランドもIC.CUTブランドも同じ岐阜関市のナイフメーカ。小さいものなのに良く作ってある。他にフォールディングナイフで小さいものは色々あるけれど実用的には此で充分(わたしには...)。何れのタイプ及び同じブランドの別のシリーズに於いても、この上のサイズのものは様々にある。また他のメーカーでもより質やデザインの良いものもある。でも、自分としてはこの高級とは言えない製品をチューンナップして更に良いものになるのだったらその方が嬉しい。自分で育て上げた道具、育てることの出来る道具と言うのがどうも好きみたいだ。

 勿論、良いもの好きだし、アメリカのロン・レイクが作るインターフレームタイプ(岡安鋼材扱い:インターフレーム方式はロン・レイクがオリジナルだそうだ)ものは欲しいと思う。ところが50万円100万円の世界だから手が出ない。例え手に入れたとしてもおいそれとは使えないしね。。。って、使っちまうんだよね私は。<---其れが怖い

 結局、今日思い立って鍋屋さんに行き、当初注文しておいたIC.CUTブランドの小さいナイフの方も購入してしまった。こりゃあ暫くの間(旨い)飯は抜きだな。その辺の畑からお野菜を頂戴してしまおうか。

 何故、左側の綺麗なHIROナイフに引き続きIC.CUTのものも購入したかというと、あまりに美しいので傷つくのが勿体なくなりキーホルダーと一緒には出来なかったからだ。つまり当初の目的以外のものを衝動買いしてしまった為に結局は使えなかったというわけだね。(^c^;; それでHIROナイフは財布に入れてある....

 新たに購入したこの小さなフォールディングナイフはIC.CUTブランドの型番2204/2"NPと箱書きがされている。同じくWebで検索して調べると商品名はヒロオリジナル・ミニと書いているところが多い。
IC.CUTブランド“2204/2”NP
・全長88mm/折りたたみ時は52mm(リング用ニップル含む)
・ブレード長38mm/刃渡り33mm程度
・最大幅8mm
・ハンドル材:パッカーウッド(NP)
・定価3780円
ブレードの付け根(リカッソ)には裏表に以下のように打刻されている。
ORIGINAL HIRO/GIN-1 STEEL by IC CUT
 ということで、IC.CUTがヒロ増井氏にデザインを依頼した製品の一つなのだろう。このタイプでABで表示されるのはハンドル材にアバロンを使用したもの。お値段は7410円にもなる。

 このアバロンタイプのIC.CUT2204の十数年前のものが鍋屋さんに展示されている(非売品:右写真のタグが付いたもの)のだが、こちらのもの方が出来がかなり良い。
 今回鍋屋さんに新しく入荷したものをよく見ると、ボルスターと呼ばれるハンドル前部のブレードを留めるピンがはめ込まれている部分からハンドル材に掛けて左右の厚さが異なっているものが幾つか有った。きっと製造時には、全部アッセンブリした上で整形に掛けているのでは無かろうかと考えられるが、其の処理が結構いい加減みたいだね。
 小さいものだから大変なんだろうけれどそれなりの価格だからこんな基本的なことが出来ていないとかなり気になってしまう。それに、昔のものの方が同じアバロンでもハンドル材が薄めで格好がよいから、今は大量生産でクオリティコントロールが出来ていないのかも知れない。
 こんな小さいものにも関わらず出来が良いのは流石に日本製と思えるのだから、もうちょっとしっかり作ってくれれば完璧になり、持って使って嬉しい道具になるのだけどね。。。
 やっぱり昔の製品の方がクオリティが高いのかなあ。この十数年前のアバロンタイプも、私が購入したものよりブレードの開閉時のアクションもスムーズだし、ロックバーからリングニップルまでバフ掛けされていて綺麗に光っていた。
 因みに私は左右均等のものを探して購入。それから上の写真を撮った時点では、ブレードから刃まで全面に研ぎを掛け青棒でバフ掛けしてミラー仕上げに変身している。直ぐに傷だらけになってしまうのは分かっているけれど、、、気持ちだけでもね。

 鋤や鍬、鉈や鎌の古いもので錆が固着しているものでも、使い込まれて手入れがされていると、なんとなく発するオーラが違うものだしね。道具ってそういうものでしょ。

 今回、此の超ミニのフォールディングナイフはキーホルダーに付けておく為に欲しかったのだが、同時に両方とも日立金属のステンレスである銀紙1号と鍋屋さんにある問屋カタログに掲載されていたから使ってみたかった。銀紙1号製のものは持っていなかったので興味があったのである。鍛冶の師匠の小山氏によれば、440Cよりは硬く焼きが入るけれどATS34よりは柔らかいのじゃなかったかなとのことであった。また剃刀にも使われる鋼材で世界のシェアの3〜40%は銀紙ではなかったかとも言っていた。

 キングの人工砥石の中砥と仕上げ砥で水で研いでみると砥石の乗りは良い。HIRO KNIVESのものよりIC.CUTの方が硬いが研ぎに苦労する程ではない。HIRO KNIVES“#2500”はキングの砥石G-1でも黒く研ぎ痕が残るくらい柔らかいが、ブレードのリカッソ部に刻印された“G2 STAINLESS”が気になる。IC.CUTの方はGIN-1 STEELなので銀紙1号なのだろうけれど、G2 STAINLESSということだと銀紙2号?というものを想像してしまう。カタログには銀紙1号となっていたと思うのだけれど。銀紙2号というものも存在するのだろうか。

 さて、両方とも研いだのだが私の研ぎだと一般的レベルにしか仕上がらない。砥石で刃を付けた和風の研ぎだしね。それに小さいので研ぎにくいしね、、、と言い訳がつい口の端から零れてしまう。IC.CUTのヒロオリジナル・ミニは全面を研いで刃付けもやり直した。ぜーんぜんっ切れなかったからね。ついでに刃はロールグラインド(蛤刃)にしてしまってミラー仕上げに化けた。硬めの焼きが入っていたので薄い刃にしてしまっても良いやと、どうせこんなマイクロミニの刃物で切るものは紙か段ボールかビニールかリード線、はたまた小枝か野草くらいだしと単機能化してしまった。どうせ直ぐに傷がついてガタガタになってしまうのは目に見えている。だけど研ぎ直した時の砥石の痕は薄刃仕上げだと上の方まで残るから結構美しくない。それだったらその度にちょちょっとバフ掛けもしてやれば良いやという魂胆だ。

 HIRO KNIVES“#2500”はV字のフラットグラインドのまま砥石で研いである。いずれも木の枝や竹串を削ってテストしたが切れ味は大して落ちないから極小のポケットナイフとしては充分ではあるのだが。それにしても気持ちとしてはもう少し炭素綱のものに近い切れ味があると良いなあと思う。同じ日立金属のATS34という鋼材でも小山氏のナイフは炭素綱のものの様に切れ味が良いしね。でも炭素綱の様にあまり薄くしてしまうと刃が保たなさそうだから取り敢えず妥協点ということで。。。銀紙1号の鋼の質はウェンガーやビクトリノックス等のアーミーナイフよりも良いし、この極小のフォールディングナイフの造りもまあまあの出来なので実用品として取り敢えず満足。(^-^) 
※その後、HIRO KNIVES“#2500”の方も刃を薄めに研ぎ直して、研いだところもバフ掛けしてしまった。更にロックバーや目についたところもバフ掛けしたので輝きが増していい感じになった。そして切れ味もかなり良くなって満足のいくレベルまで上がった(鍋屋の親父さんの評価では、切れ味の管理に関してウルサい日本橋木屋の包丁と同じレベルに研げているそうだ)。研いでいる途中では、紙と黒檀のブロックを用意しておき、黒檀も刃を少しこじりながら削ってみてから紙を切るなどして確認しつつ刃を付け直した。結局IC.CUT2204の方も全面的に刃を付け直してナイフ全部を整形したりバフ掛けもしてピカピカに光り輝く状態にした。銀紙、結構良いかも。。。これだよねこれ!自分で手を入れチューンナップして気に入るようにする。道具ってえのは自分に合わせて調整したり作ったりするのが楽しい。なんでももそうだけど、与えられたままの状態で工夫をしないってのは耐えられないわ。私の場合....

 洋式ナイフの研ぎは和式の炭素綱の刃物と違って通常刃先だけ研ぐ。刃の角度や付け方(フラット、フォロー、ロール)は様々だが、ご存じのように脂分の多い肉を切る時や魚を捌く時には刃先の鋸歯状のギザギザが強くないと直ぐに切れなくなる。そのギザギザの山が磨り減れば切れ味が落ちるわけだが、その耐摩耗性は鋼の種類、そして焼き入れ焼き戻しの鍛冶の技術に依る。それらの要素を鑑みながら刃先の角度や研ぎの程度を決めていく訳だが、先ずは使い道ありきで、何の為の刃物かという使用目的に関することがある。その上で日常的に使用する道具なのか、それとも偶に趣味的に使用するものなのかなどの点からこれらを論じないと訳が分からなくなる。
 また言うまでもなくコレクター的に持っているだけの場合には、メディアの評価や、投資した金額の多寡だけで充分で満足出来るであろうから紙数枚やソーセージが数本気持ちよく切れるだけの能力が有ればよいのであまり難しいことは考えなくても良い。わたし?私は紙は勿論のこと、ソーセージ、トマトなんてー柔らかいものは切るのが大好きで、一杯飲んでいる時にも包丁ではなくわざわざナイフでそれらを切って自己満足をしている輩である。鰹を捌く時なんて出刃でやればよいものの、日頃出番のない片刃の剣鉈をわざわざ使っておろしている位(いや、意外と使い易いんだこれが...)。でも、小山氏がダイヤモンドペーストでミラー仕上げしたナイフでも時々硬いもんにも手を出して刃をガタガタにして製作者を喜ばしてみたり、何年か前だが自分の指先をプラプラに切り落とし損なう様な試し切りなんていうハードな使い方にも挑戦した。皆さんやった事有ります?(^-^;; それに結構お高い鉈類でも、先ずは山に持ち出して木だけでなく竹も切ったりして素性を確かめてもいる。知り合いの山の整備も偶に手伝うので、そんな時には刃物自慢だ。流石に年輩者達、オッサン達は、刃物や道具にウルサい人達が多いからね自慢し甲斐がある。ってやっぱり自分もマニアなのかあ...

---閑話休題---
 総じて和式の刃物は(錆の件は別にして)炭素綱の素性の良さもあり、刃の付け方に洋式刃物程のバリエーションを持たなくても済んでいるような気がする。また実用面では、研ぎ面のちゃんと整えられた砥石が何種類か有れば、きちんと良い刃が付けられる実作業の面でも使い勝手が良いと思う。刃物の用途や使用されてきた歴史、環境などからも刃の付け方や考え方が和式のものと洋式のものとではまるで異なるのだろう。自分が何に使いたいかによって、この道具の選び方、チューンナップの仕方は異なるのだろう。また山に暫く入って使用しメンテナンスやリカバリーをその場でしなければならない時が有る場合を想定してしての刃付けや道具の用意も必用であろう(但し、水に浸かる事が多い沢登りでは、やはり炭素綱の刃物よりもATS34や440Cなどのステンレス系の刃物の方が錆びにくくて扱いやすい。もし和式の打ち刃物を沢登りに持っていくのならビニール袋で防水してザックに入れておくしかない。その場合にもバフ掛けしてミラー仕上げにした上で椿油などを塗っておくと錆が出にくい)。

 この件に関して書けば、ちょっとナイフの話とはずれるのだが、自分が山で下刈りをやっていた時の鉈のメンテ用の砥石は水砥石ではなくて、東急ハンズなどで売っている巾3cm、長さ10cmくらいの粗砥中砥が裏表になった油砥石と小さな容器に入れた砥石用油を使っていた。よく有る鎌などを研ぐ為の粗砥中砥が裏表になった腰から下げられる水砥石では、尾根などの水がないところでは使えないし、その為に飲み水を使うわけにはいかないから不便な為である。また真冬の動くのを止めれば身体が凍ってしまう様な寒い時期に水など使いたくない。それに減りが早くて形が直ぐに変わってしまうこともある。それよりもこの油砥石は硬くて減りが遅い上に小さいのでジャマにならない。使いにくい点としては目が詰まりやすいのと薄目で小さいのでしっかりと持ちにくいことだ。だから下手な人間が使うと刃付けがちゃんと出来ないだけでなく、一生懸命研いでよく切れるようになった刃で自分の手を削いでしまうことになりかねない。それでもちゃんと使えれば、鉈の刃も腕の毛を剃るぐらいには研げるから充分だ(この件を鍋屋さんに話をしたところ、そういう時に我々はこういうモノを持っていくと、白い目の細かい小さい砥石を見せてくれた。唾を付けて研ぐのだそうな)。
 んんん、でも自分の経験は砥石の乗りの良い鋼の鉈だったので、腕の良い林業の職人さんが使うようなパリパリに焼きを硬く入た鉈ではこの砥石がどうなのか分からないので悪しからず(疲れてくると手首が衝撃に負けて刃先をこじって仕舞って刃を折ってしまうので、硬すぎる焼き入れよりは少し甘い方が我々の様な素人には仕事の効率がよいし、また石などの硬いものに当たった時も刃が欠けずに叩いた上で、砥石で復旧が出来るということ。その意味も含め衝撃を和らげる目的で腕の良い鍛冶屋は鋼を薄めに入れて地金より鋼が少し出ているくらいの刃物を作る。その薄く鍛接した鋼を地金と共に更に薄く鍛造するのが難しい技術ということだそうだ。他の所でも何回も書いているが日本の鍛冶屋が作ったもので良いものには、刃が柔らかいのに良く切れて、その上長保ちし、当然研ぎやすいという刃物が存在する。柔らかいということは欠けずにいて修正しやすいと言う事。これは昔の和鉄の素性が良かったということなのだそうだが)。。。

 あと話が前後するが、先に書いた鍛冶の師匠の小山氏の剣鉈やナイフは猪猟をする人にも評判がよいのだが、両刃の場合には和式洋式刃物に関わらず前述の様に薄目の蛤刃(ロールグラインド)である。よく切れて永切れするという火造りの腕も勿論良いこともあるけれど、洋式のフラットグラインドの刃付けだとエッジの部分に脂がこびり付きやすいので蛤刃であればそれが多少でも回避出来るからということもあると思うから、猪の解体によく切れるというという事もあるはずだという様なことだった。

 故藤本保宏氏作豆八丁。もちろんのこと非売品。
 同氏作のフォールディングナイフもある。こちらも非売品。

 因みに上に書いた此のフォールディングナイフの価格は定価だが鍋屋さんでは安く出してくれる。でも、Webで販売している業者並みの価格にはならない。しかし良く考えてみるとWeb上でも1万円以下では送料や代引き費用、振り込み費用はユーザー側負担の場合が殆どだから場合によっては店頭で購入した方が逆に安いかも知れない。それに一品一品手に取って見ることが出来るし、付随する情報も詳しく聞くことが出来る場合もある。都内のショップは行くついでに寄れば交通費は考えなくても良いけれど、わざわざ行くのだったらその分高くなる。と、、、自分を納得させて居るみたいな文章だけど有る面事実だと思うのだが。。。自分自身Web上で買い物をすることが多いし、自分もWeb上で商売をしているからその辺りは実感する。もし店を開いていて、扱い商品がWebでも販売されているものだったらWeb上での価格は調べて於くに越したことはない。その上で価格設定をして、さらにWebサイトで商売している業者には出来ないサービスや付加価値を考えた方が良いだろうね。でも、Webとは関係ない世界もあるから一概には言えないのだけれど。。。
 また逆にWebでの良いものの買い方は色々ある。情報はあくまでも情報でしかないのだからその裏や表に出ないニュアンスを読みとったり、信憑性を嗅ぎ分けるには、左脳的意識による分析的能力だけでは足りない場合も多々ある。←この件に関しては頁を別にしたので、ご興味のある方はこちらをご覧頂ければと思う。手打ち鉈他、造林用の良い道具類を手に入れる追補(2)“Web上で買って得するものの概要など”へ

 

☆`04/7/4追加:

 伝統工芸士 佐治武士の剣鉈。43050円。日立ヤスキ鋼、白紙の積層綱。鞘と柄は本物の桜の皮巻。
 今回、鍋屋さんに行って桑切り鎌を買った。刈り込み鋏のところで前述した元刀鍛冶の流れ、三重県桑名市鍛冶町三品鍛冶屋のものという。

 上の剣鉈の柄は桜の皮を5枚くらい綺麗に張り合わせて作ってあった。丁度、鍋屋さんで此の剣鉈を見せて貰っている時に、小山師匠から携帯に電話を貰った。暇で仕方がないので電話をしてみたというのだが、此の剣鉈を見ている事を伝えたところ、「今月号のナイフマガジンに載っていたぞ。」という。形を伝えたら該当のものとは造りがちょっと違うが価格は同じみたいだった。それで小山師匠が言うには「今はそういう積層綱の材が売っているんだよ。でなければそんな4万円くらいで出来るわけないだろ。」。そりゃそうだ。何回も打っては折り返して鍛える折り返し鍛錬を行う事で此の何重にも紋様が出るものが桜の皮巻で4万円ちょっとで出来るのだったら随分とお安い。下記に紹介している天野鍛冶屋さんの玉鋼が入った折り返し鍛錬のものは倍以上する。んんん、それでも玉鋼が入っている事を考えると結構リーズナブルか・・・どーだろーか???

 さて、その場に鍋屋さんのご主人のお仲間の刀剣マニアの人が来たので、鍋屋さんは先日販売会で手に入れたという脇差しをその人と二人であれやこれやとその程度を調べていた。また、その場で刀の販売店のWebサイトを開いて、刀の見方を教えてくれた。まあ、お二人とも詳しい事といったら泉の様に蘊蓄が湧き出てくる。結構皆さん刀には投資している様でなかなか真剣だった。また昔の砂鉄で鍛え上げた本当に良い刀は、仮に同じ容積で作った近代の刀と比較して軽く出来上がっているという話も教えてくれた。それは何処までその言葉のまま受け取って良いかは分からないが、もし本当だとすると興味深い話ではある。

 その鍋屋さんは此の積層綱の剣鉈を見ながら、剣先の処理で左右のRが異なって収束している事を指摘したが、まあ大らかにも、「これも味と言う事だろうな。」などと仰られる。刀に関しては偉く厳しいのにね。この剣鉈の長い方は近くのマニアの人の注文だそうだが、まあ兎に角長くて、こんなもん使いようがないわと思える程だ。居た人達も、此じゃあ失敗したら足まで切るな等と言っている。ということで、これはコレクターズアイテムということに。

 でも、鍋屋さんではこの所此の佐治武士の剣鉈が売れているらしい。今日見たら38000円の正札が付いているタイプ(多分七寸)を置いてあったが、更に二割引で出しているので三万円ちょっとで此が買えるなら、この桜の皮巻の鞘と柄だけでも価値あるから安いかもねという結論。といっても一品ものの様に細かいところまで丁寧に仕上がっているわけではない。例えば口金と柄との段差などである。尤もこんな先の尖った刃渡りの長いものは実際の使い道に困るのでは。まあ山にはいる時の護身用に買っていくのかもと言うけれど。最近、各地で熊が里に良く出てくるし。って、こんなの持っていたって熊とは戦えないって・・・マタギじゃないんだから。其れよりも鈴を付けて山に入りましょ。でも、野犬対策用には光り物は良いかも。時に涎垂らした危なそうなのが山に居るしね。自分もキノコや山菜採りで山には居る時には、一応エマージェンシー用に刃物その他は持って入る。一人で行く事も多いしね・・・
 さて、この剣鉈だが値段も此くらいだし、二度と手に入らないという一品ものではないので実用的であるし、且つ押しの強い外観は気分を高めるにはいいから売れているのかもね。(^-^;; さて、刃の方はどんな具合なんでしょう。 `04/10/6追記

 さて、それから桑切り鎌だ。

 研いでしまったので画像では分かりにくいが、刃先の方に鋼が薄めに入った良い刃が付いている。当然、鍛接を行う上で鋼を薄く広く綺麗に鍛え伸ばしていくのは腕の良い鍛冶屋でないと難しい。
 研いでチビってもかなり使い込めそう。中子(鎌も刃物と同じようにそう言うのか分からないけれど柄の中の部分のこと)から峯に掛けても厚くしっかりしている。

 

 上の画像の様に刃先の黒っぽい色の部分だけが鋼。篠竹や細い木を刈る為の木鎌。刃の付け方が立ち気味。3675円青紙使用 白狐の刻印のある腕の良い鍛冶屋のもの

 火造り鍛造の打ち刃物の基本的な知識だけれど、鋼と地金を鍛接する造りの刃物の場合、一般的には鋼の部分を薄くする方が、作る側にとって技術的には難しいし、使う側にとってみれば使い易い。地金の部分から出ている鋼が薄ければ、それは鋼が露出している部分が少ないという事であり、その場合、もし欠ける様なことがあっても少ない欠けで済む。そうすれば修復する為に砥石を掛ける手間も少なく済むし刃も必要以上に減らなくて済む。更に、硬く焼きが入る鋼よりも柔らかい地金の部分が多い事は詰まるところ研ぎやすさにも繋がる。そして、地金の部分が使用時に鋼に掛かる応力や衝撃のストレスを緩和してくれる働きをするので扱いが下手な人程その恩恵を受ける(--->自分の事です)。尤も使う鋼の量が少なければ鍛冶屋側でもコストが安くなるから、使い手側と双方でメリットがあるという事なのだろうか。
 あとは使う側の腕が良ければパリパリに硬めの焼きが入った刃でも痛める事が少ないのでその方が良く切れて長切れもするから、自分の腕に応じて焼き入れの具合を選べると良い。とはいっても、一般市販品ではあてがわれたままのものを使うしかないので仕方がないから、それで満足出来ない人は鍛冶屋さんに直接頼む事だ。

 比較対照となるものが無いと分かり難いので、桑切り鎌ノートPCの上に置いてみた。一緒にあるのはガーミンのハンディGPS、eTrex

 さらにその上での話で、鋼の種類がどうこうという世界がある。日本の良い砂鉄を原料にした昔の和鉄は、焼きを硬く入れなくても長切れするという。硬くない方が衝撃を受けた時に欠けるのではなくて変形するだけに留まるので修復がし易いのである。通常は焼きが甘めなら減りも早いものなのだが和鉄の素性の良い刃物には此が当てはまらない。自分が以前使っていた鉈にそういう特製のものがあったが、この様な性能は使用者としてはこの上なく嬉しいものだ。特に自分の様な怠け者にはね。。。。この鉈は一般的な素材だそうだが、鍛冶屋の腕でそういう焼きになっているみたいだ。

 さて、此の桑切り鎌は、隣の敷地からはみ出してくる篠竹や雑木や蔦を切る為に使っている。身が厚くて丈夫そうだし刃も割と立ち上がりが急なので乱暴に扱っても薄い刃の鎌より良さそうだからだ。それに三品鍛冶のものと言う事で使ってみたかったというのが本当のところ。インプレッションはまだ暫く使ってみないと分からない。価格は1400円と此の手の大きさのものからすると倍の価格帯になる。鍋屋さんも、この価格だとあまり買わないな、と仰る。が、今の時代となってはそうそうに手に入る造りのものでもないのは確か。近所に付き合いのある鍛冶屋さんが居ない場合には、この桑切り鎌は、鍋屋さんに未だ若干在庫があるから欲しい人は今の内に手に入れておいた方が良いかも知れない。

※`04/11/16追記:桑切り鎌は残り一本。今日、鍋屋さんに頼んでおいた両刃の蕎麦切り包丁(ご夫婦で利き手が違う方への贈答用)の入荷予定を教えて貰いに電話をしたら、桑切り鎌を遠くの方に買って貰ったのでサンプル非売品を一本のみ残して、売れるものは後一本だけになってしまったとのこと。こういうのも買う方が居られるんだね〜。わたしは、この桑切り鎌の刃渡りが短い事に目を付けて、長い棒に付け替えてキノコ鎌にしようかと画策中。小さめの口金は鍋屋さんに貰ったし、棒は昔ホームセンターで買った長いものが家にある。でも、もうちょっと格好の良い木がいいなあなどと思っていることと、今シーズンは殆ど終わりなので来シーズンまでに作れば良し。
 その後は、改造するのに何か閃くまでは車の中に入れてあって何か応急の時に使えるようにしてある。放って於いても錆びないように全体を磨いてバフ掛けもして光らせてある。そうすると使った後も汚れを拭き取りやすくまた若干錆びにくい様だ。油を染み込ませて拭いてもあるし。厚みがあるのでこうやって磨いておいても何か様になる、、、なんてこんな事をやっているからマニアと言われてしまうんだね。(^^;;

`05/10/26追記【桑切り鎌の続き】:先日鍋屋さんに寄ったときに見せて貰ったステンレスの地金に鋼の刃が付いた桑切り鎌を買ってみた。まだ使っていないのでどんな具合か解らないが、そんなものも有るんだと興味本位で買ってみた。卸から入れたのだが越前鎌というだけで鍛冶屋が誰か解らないとのこと。

 下が去年買った三品鍛冶の桑切り鎌。上の光っている方がステンレスの越前鎌。1155円。
 下の三品鍛冶のものは鋼が鍛接されているのが良く解る。
 ステンレスの鎌。鋼が刃先に入っているのが見て取れる。
 左が三品鍛冶屋の鍛造品で、右側が此のステンレスの鎌。

 

`05/8/14追記【鎌の柄は自分で作る?】:先日、鍋屋さんに行ったときに聞いた話し。此のページを観て鍋屋さんまで足を運ぶ方も多いらしいが、先日来られた方は鎌の柄はご自身で付け替えるという。手に合う質の良い材を自分で探して使い、鎌の刃が研ぎ減ったら刃だけを交換して使うそうな。お店に行ったら右上の方にある画像で白狐ブランドの青紙を鍛接した鎌を刃だけ三枚取り寄せてあった。
 鍋屋さんによると昔は皆その様にやる人が多く、鎌の刃は柄が付いてない状態で何枚にも重ねて木の枠に入れ店頭に置いてあったらしい。其処から抜き出して刃を指先で弾き鋼の音を聞いて良い音がする鎌の刃を買っていったとのこと。ただ、最近のは出荷前に錆びないように工夫してあって、透明の薄い塗料の様なものでコーティングしてある。金属の棒で打っても音が響かないので昔ながらの見分け方は出来ない様だ。
 でも、考えてみりゃ、一昔前は草刈りのプロばっかりだったんだよね。お百姓にしてもそうじゃなくても、家の周りの草刈りは自分でやる人が多かっただろうし。今みたいに刈払い機が有るわけじゃなし、当然、鎌で草を刈りますわな。うちの親みたいに街場で暮らしていたら腐れ鎌位しか持っていなかったけど(家の庭の草刈りはいったいどうしていたんだろうか)、自然に近い方の人達(とは言っても自分がガキの頃だった頃の横浜は、街のハズレからは藪と草むらと林と畑、田圃ばかりで楽しかったんだけどね。いま行くと横浜の丘陵地帯のどこもかしこも住宅や建物だらけで、その景色の気持ちが悪い事!皆さん平気ですかっ?)は、草刈りは付いてまわる宿命だったから、そりゃあやる気が有れば道具も気にするでしょう。
 これからの時代だって、動力付きの機械で全ての草刈りが済むわけでは無いから良い鎌は必要。でも、今後、需要が少なくて作る年輩の鍛冶屋さんが居なくなったら後はマスプロダクションの鎌?使いにくいだろうなあ。考えられないね。

 

 `04/10/7追記:写真だけ撮って溜め込んでおいたら大分日にちが経ってしまった。以下、槍鉋他。

 槍鉋二本。上が故富山重太郎のもの。非売品。下が山弘のもの。
 裏はこの様な感じ。
 下が山弘作だが、鍋屋の主のお話では、故富山重太郎のものを意識して、もっと良いものを作ってやると仕上げたものらしい。
 山弘の銘。確かに山弘の槍鉋の方が丁寧に仕上げてあった。

 この山弘の槍鉋。この画像を溜め込んでおいてアップしないで居たら、つい先日売れてしまった。鍋屋の親父さんは、もう山弘も作らないかも知れないから一応非売品と言う事にしておきたいという様なニュアンスだったのだが、お客さんの知り合いで熱心な人が来て、どうしても売って欲しいということなので決心したらしい。幾らで売ったのか聞いたら三万七千円!と言っていた。そりゃあ、あまにりも安すぎるんじゃあないの!と抗議。だって、あんな量産品の剣鉈と同じくらいの値段じゃあねえ。此が入荷当初に付けた価格だったので今の世にリンクしていないのもかかわらずに律儀にも同じ値段で売ってしまったらしい。ああ、勿体ない。(;_;)

 一番上は竹割鉈。二番目が樹の皮むき用のヘラ。一番下が杉の皮むき(ちょっと昔、屋根を葺く時に使った)の時に使う鎌だそうだ。ヘラも津久井や八王子近辺のものはもっと四角っぽいものだそうだが、この形のものは珍しいので仕入れておいたとのこと。





 こちらはヘビ金具と言っていた。価格は忘れてしまった。山で重量物を引っ張り上げる時に使うとの事。車にはUシャックルや滑車、ハンドウィンチなどを積んであるし、人間を上げたり下ろしたりする?時のクライミングの道具は一通り持っている(って、ちゃんとみんな役に立ってるのが怖い?)。で、確かにこんなの有ると何かの時に便利かもと買ってきた。確かにロープを通してみると、掛け方によって色々だが使えるかも知れない。引き上げるのは実際にやってみないと分からないが、ロープの扱いを知っていれば重たいものを下ろす時には制動を掛けやすい道具であるのはちょっといじってみれば分かった。これも鍛冶屋が火造りしたものなのだろう。面白いものがあるものだ。

 

 削蹄用の鎌だそうだ。

`04/11/29追加:皮剥き。上の段の画像の杉用とは違い、特に何用と決まっていないと鍋屋の主が言っていたタイプ。5,250円
 引く側と押す側の両方に片刃の刃が付いている。勿論、棒に対して刃身が捻れていて角度が付いており中腰で使う。

 

`04/11/29追加:こちらは松の皮むき。2,415円
刃付けの角度は浅く立っていてあまり鋭くない。

 赤松などを棚板に使いたい時に、倒した後に皮を剥いておかなければ松食い虫が皮裏についてしまう(薪材にするには直ぐに割って乾燥し易くすれば良しだが)。先ずは皮むきをしてから乾燥させる。その為にはこういった道具が必用だ。
 友人にサバイバル系マッチョ指向の人が居て、その彼は随分と前にアメリカからチェーンソーを使うアルミフレームの製材機を個人輸入した。車などが入れない山奥に担いでいって、其処で乾燥させておいた木を製材して現場で小屋を建てるためだ。チェーンソーのバーが70cm前後はあったかも知れない大型のチェーンソーが前後にスライドする製材機である。でも、奥方が地方公務員で街指向の為に未だそんな生活は夢の彼方だ。
 先日、別の知人の持っている八ヶ岳の別荘の敷地(660坪)の整備(択伐した赤松や雑木を玉切って整理したり下草刈りをした)のアルバイトをさせて貰ったが、その方もチェーンソーを使う製材機を持っているという話だ。先の大型のものは何年も前に高い方の何十万円で買ったと言うが、こちらは十万円は行かないものらしい。最近は、此の手のものが中国などで量産されて安くなっているのかも。好きな人は製材機まで持っている事にビックリ。

 こういったものは一般には必要性は実感が無いかも知れないが、いまのような天候異変がさらに厳しくなるとしたら何処かで役に立つかも知れない道具である。
我々の様な沢登りをやる人間は登攀もあるので重たいテントなどは持っていかない。軽いタープやツェルトがせいぜいである。先達の方々にはブルーシートを使って立派な小屋掛けをしてしまう人や、マタギの様に立ち木と杉の枝や葉、笹などを使ってビヴァーク用の寝床を作ってしまう人達もいる。はたまた、最近読んだ本、“「洞窟オジさん」荒野の43年、平成最強のホームレス、驚愕の全サバイバルを語る 加村一馬著(語り?)小学館刊。虐待された13才の少年が家を飛び出し洞窟や山の中で43年間暮らした話”の様に山の中や河原で43年間も暮らしてしまう人もいる。

 でも、一般的には長期的なものであれば、しっかりした小屋ぐらいは欲しい。そんな時には山の奥の現場で製材出来る道具は良いなと自分は思う。ただ、ガソリンとオイルが要るので、相変わらず石油文明から離れられないのが悔しいが。また、チェーンソーの刃の研ぎは大事で上手い人の研いだチェーンのついたものだと刃を置くだけでスーッと切れていってしまう。昔雑誌ラピタにも記事(“チェーンソーの目立て”で世界を征した男)となった事がある永戸太郎氏に先の友人の伝手で個人的に一緒に研ぎを教わった事があるが、その切れ味は新品以上に凄いものだった。なにせ玉切った丸太をヒョイと上手にソーバーの上に乗せると、その丸太の自重でソーに食い込み、やがて丸太が切れていって二つに分かれ地面に落ちるのだ。または丸太にソーを当てるだけで圧さなくてもチェーンソーの重さだけで丸太が切れていくのを見せて貰った。
 その永戸氏のチェーンソーの目立てについての資料はチェーンソーの研ぎに関して19ページに亘る精緻なものであった。研ぎの良い刃のチェーンソーでないと製材も難儀なものとなってしまいそうだから、そこまでやる人は研ぎをマスターしないと辛いものがあるかも知れない。永戸氏に教わった人が日本中にも世界にも居るわけだから、縁ある人はしっかりと教わったらよいと思う。結局、木で何かを作って行くには、刃物と研ぎは付いてまわると言う事だね。(この部分`04/11/29追記)

 

 こちらは生花の業者が使う特注鉈だそうだ。バラの茎などをまとめて打ち払うのに使うらしい。
 可なりの厚みがある。これを作った鍛冶屋は作るのが難儀だったとか。

 こちらは見れば誰でも分かる箕。この写真では遠目で分かりにくいが、左が鍋屋さんで売っているもの2940円。右がつい先日リサイクル屋で見付けた裏側に昭和廿八年金千五00円也買ムと書かれたもの(鍋屋さんに穀箕と言われた)。それをリサイクル屋の言い値の三千円で買ってきた。造りは良く似ている。
 それで此のリサイクル屋で箕を買った後に、仕事で六本木での納品施工終了後に地下鉄入り口横の本屋さんで偶さか買った本、「特集サンカの最新学」歴史民俗学2001 no.20と「特集サンカの最新学2」歴史民俗学2003 no.22を読んでいたら「特集サンカの最新学」のP-106「セブリサンカ“辰っつあん”の作った箕とその周辺」堀場博氏の記事に似たものが載っていた。静岡県の函南町の方が、昭和三十年頃(確定できないようだ)にサンカの人から当時1枚6000円のものを5000円にまけて貰い購入したという記事があったので、これももしやと思い興奮していた。それまで、こんな手の込んだ造りの良い箕を見た事がなかったからだ。
 そして鍋屋さんに自慢がてら持ち込んで見て貰ったら、「これはなかなか大したもんだ。」という評価。そして店頭の箕の束の奥から引っ張り出してきたのが、この左側の箕。造りは似ているが出来がかなり違う。さてさてこれらの素性は???

 この写真ではまるきり同じように見えるが、出来具合がかなり違う。方や近年のもの、右のものは昭和28年以前のもの。

 まるきり素人の自分が見ても、ウウウンと唸るくらいにものの素性の良さが滲み出ている。詳しい画像と内容はこちらのページへ

 

 `05/8/14追記:今年前半はあちこちへの出張が多かったのであまり鍋屋さんに行っていなかった。が全然と言うわけではなく以前に比べてというくらい。お店の前の津久井警察には従姉妹の旦那が転勤で来ているのでたまに顔を見に行ったりしていて鍋屋さんと両方の用事を済ませている。

 長谷川幸三郎の玄翁。今は本人は作っておらず弟子の正行という方(屋号が道心斎?)が跡を継いで良い仕事をしているとの事。その手前のカンナの刃は、元刀鍛冶の石堂輝秀作のもの。近所の側溝に落ちていた物を鍋屋さんが拾って磨いたもの。
 其の輝秀の銘。右上に梵字のカンの字が。不動明王を表す梵字である。輝秀の上の小さい字は石堂と読める。戦後の作。

 鍋屋さんで刀のカタログの本を見せていただくと、此の鉋鍛冶の石堂輝秀の大刀が載っていた。確か明治40年生まれの軍刀を多く作った刀鍛冶で、かなり良いものを打っていたらしい。戦後は鉋鍛冶に転身したとこのこ。

 鍋屋さんにあった呼子笛。重なっているコンパスは違う。外観は上に画像を重ねてある方の左側。右側のオレンジ色の物は登山用品屋さんで売っているUSA製。

 其の輝秀の鉋だが、鍋屋の親父さんが近所の建具屋さんに遊びに行った時に、側溝(U字溝)の中に落ちている鉋の刃を錆びた状態で拾い、建具屋さんに断って貰い受け、持ち帰り磨いてみたら輝秀の銘が出てきたという。建具屋さんは良い道具を色々使っていたそうだが、執着の無い人だったそうだ。でも、これだけ研ぎ減るほど使い込んであったんだから良く切れたんだろうなと鍋屋の親父さんは言う。
 物ってえのは、価値が解る人のところに引き寄せられてくるのだろうか。それとも、価値が解る人が、自然と物に吸い寄せられる様に其処へ行くのだろうか。何れにしても直感が織りなすシンクロニシティであろう。でなければ幾ら良い道具好きでも、側溝に落ちていた錆だらけの物を拾ってきて磨きはしないでしょう。手に採って観るというのは先ずはご縁があったということで。

 `05/8/17追記【呼子笛】:ちょっと寄ったついでに目についたため買ってしまった呼子笛。沢登りやキノコ採りの時などには右画像のUSA製のオレンジ色プラスティックのものを使っているが、此の鍋屋さんにあった日本製の金属のものの方が全然いい音をしていたし、値段もUSAからのプラスティック製よりも可成り安かったので購入した。
 此は山に行った時は勿論だが、災害時の緊急持ち出し品にも入れて於くのには幾つも有った方が良いからだ。ライフラインが止まって電気が通じなくなったら携帯電話だって充電なんか出来ない(一応ハンディな握って発電させる人力充電器も持っているが大して役に立たないし、太陽が出ていれば時間は掛かるが携帯電話用ソーラー充電器の方がまし。また車もガソリンがある内は携帯電話に充電できるけどね)。それに大規模災害だったら電波塔も生きているかどうか解らないしね。だったら家族同士で呼び合うのにも合図を決めておけば笛が良い。声では届かない所まで聞こえる。各自の車にも積んでおきたいから今度幾つか取り寄せて貰うかな。
 因みに沢登りで滝の音や流れの音で声が届かない時にも笛だったら聞こえるし、山歩きをしていてちょっとした尾根一つ挟むだけで声なんか届かなくなるから、その時には笛が役に立つ。別ページで紹介している東京マタギの沢登り教室では笛が無いと互いの意思疎通が出来ないし、また東京マタギの深瀬信夫氏(ナイフメーカでもある達で行くキノコ採りでは大勢で山にはいるので、歩きながら時々「ホーイ、ホーイ!」と声を出しながらお互いの居場所を確認する。そして声が届かなくなったら此の呼び子で軌道修正をするのである。無線機?便利は便利だけど山に入ったら結構電波通じないよ。其れに電池が無くなったらダメでしょ。充電式なんて長期の山では不便だから何処でも手に入る単三電池を使えば良いが、其れは其れで運用コストも掛かるし。だから、テクノロジーの恩恵を受けない世界ではこういう物が便利なのよ。軽いし、指笛よりも遠くまで音が通るしね。
 さて、鍋屋の親父さんは指笛とこの呼子笛の両方を使うという。町の共有林の一斉下刈りに出て、みんなでエンジン音が五月蠅い刈り払い機を使う時には隣同士が近くなって危ないので此の呼子笛で自分が居る事を知らせるのだそうだ。やはり、昔から危険な林業を行ってきた地域の方々なのでリスクマネージメントはしっかりしているのであろう。

 

`05/10/15追記【マルチツール】:本来は鍋屋さんの欄に書くものではないけれど、鍋屋さんにもヴィクトリノックスや他社の同じ様なマルチツールは売っているので良いことにしよ。先に呼子笛の記事を書いたのと、呼子笛と共に多徳ナイフの画像も載せたので持っているマルチツールを記事にすることを思いついたのだ。鍛冶屋の道具に興味ある人が見に来る此のページにはあまり関係ないものかも知れないけれど、TPOによって使い分ければ可成り便利な道具なので何かのご参考になればと。

 此方は山に行く時用。なので呼子笛がナイフの紐に付けられてセットになっている。左下はロンソンの防水オイルライター。
 さて、左側の青い多徳ナイフはイタリア製CAMPのもの。20年以上前にGFのお姉さんのイタリア人の旦那に貰った。沢登りの時には首から提げていて、直ぐに笛が吹ける様に、またはザイルを切る必用がある場合に咄嗟に使える様にしている。此のCAMP、長年使っているのでボディを留めているカシメが弱くなって各ツールがガタガタと動く様になってしまっている。
 右側はご存じヴィクトリノックスのもの。随分と昔にOBF(オバンフレンド)に買って貰った。日常生活からちょっとしたフィールドで超便利。造りがしっかりとしているので結構実用的だ。 付いているノコギリなんてバカにしてしまうかも知れないが、細い枝や根っ子くらい簡単に切れる。
 また虫眼鏡も曲率が大きいので良く見えるし、また集光力も強い。此の10月の秋の日射し、午後1時半頃の傾いたもので集光してみたら撮影の時に下に敷いている可塑性プラスティックのカイデックスの表面が溶けて焦げた。(^-^;;  ただ重たいので沢登りや山登りには邪魔な為に、山の入り口くらいまでしか持っていかない。ちょっとしたフィールドに分け入るときくらいだね。

 此方はレザーマンツールのマルチツール。此のしっかりとしたプライヤーが付く此の手の物の先駆けだ。以前ナイフマガジンに特集で載っていて、開発者は旅行の途中の車の故障で難儀したことから自分自身で設計図をひいて開発した。それも紆余曲折の中、奥さんに何年も食べさせて貰いながらヴィジョンを実現したという成功物語の人。他社からも同じコンセプトの物が出ているが、自分にはレザーマンが良さそうに思える。
 右は大分前に買ったレザーマンミニ。東急ハンズで定価だったような。。。左はレザーマンウェイブ。Webで探してシンカイ刃物さんから最近購入。定価の半額くらいだったと思う。最初は鍋屋さんでと思ったのだが、友人の誕生日に上げるので急いでいた為、親父さんが他で買った方が良いよというのでWeb検索を掛けて安いところにした。その時に、自分にも一本と、用途に合いそうなウェイブにした。
 自分の用途としてはバイク用で、ちょっと遠くに出掛ける時とか近所の山の中を徘徊する時の工具として使っている。オフロードバイクの場合、スペースもないし重たい工具を沢山持ちたくないからね。本当はレザーマンミニにプラスドライバーが付いていればそれで充分なのだが、残念ながら設定がない。その為にウェイブを購入したのだが、ちょっと見落としていたことがあった。

 それぞれのものに付いているツールや機能については各社のオフィシャルサイトや販売者、また他のユーザサイトを検索して調べて欲しいが、最終的には使用者の用途やシチュエーションによって選ぶしかない。長期の旅行などではヴィクトリノックスのチャンピオンはちょっと困ったときに想定される様々な状況で実際に実用的だし、レザーマンツールはバイクでの野宿ツーリングなんてのには最適だろう。自分の場合には車で山奥を渡り歩くときには工具類はしっかりと持って行くからこういったツールの出番はないが、それでも一寸したことに車載ツールを引っぱり出すよりはポケットからマルチツールを出して済むならその方が楽なのは確か。バイクだったら尚更で、車体に付いたカバーを開けてツール袋を取り出して等とやっているよりウェストポーチやツーリングバッグからサッと取り出せた方が良いでしょう。
 あと時代の進歩とメーカの工夫で造りが良くなっている。ヴィクトリノックスのナイフなんでヤワで直ぐに切れなくなるがレザーマンのナイフはしっかりしている。また、それぞれに付いているヤスリだが、レザーマンウェイブのものはダイヤモンドヤスリが付いていて、其れが粗砥ぐらいの目なので鉈の刃付け位はザッと出来るくらい(私の持っているお高い鉈達に試す勇気は無かったのでホームセンターで売っている数千円の鉈で試してみた)。あとウェイブにはドライバーが大小二本、それぞれ+と-が両端に付いているものが設定されている。小さい方はメガネのネジに使えるくらいの極小のものだ。どちらも抜いて差し替えるだけなので便利。さらにウェイブには−ドライバーだけのツールも付いていて厚みと巾は大きめのマイナスのネジに使えるもの。つまり−ドライバーは都合3種類付いていることになる。またレザーマンの新しい機種はボディの造りにより剛性が高くなっていることも解る。
 ミニはミニで上の画像のナイフと−ドライバーツールのそれぞれのもう一方に付いているものは、缶切りと缶の穴開けなのだが延ばしきるとプライヤーの柄の延長となり手が痛くなく力が入るようになっている。また柄の裏はメジャーになっていて12.5cmまで測れる。ウェイブは19cmまでだ。此の機能は、日頃何事もオーバーに話がちになる釣り人にとって、実際に釣った岩魚やヤマメの横に此のレザーマンを置いて写真を撮れば、チャンと其の魚が尺上あるなどと証明できるので、いつも眉に唾付けて話を聞いている友人達に対して自らのリライアビリティを得る絶好の機会を提供してくれるかも知れない。バカと道具は使いようである。おっと失礼。(^-^;; 
 道具ばかり持っていても使えなきゃ只の依存心だけの見栄っ張りであることを証明するだけ。道具を使って作品を作ったり、自分の環境や自身の世界を創造するところに良い道具の存在価値があるんだもんね。そういうのって周りの仲間は見ているのは勿論だけど、子供なんて結構鋭いからお父さんの言っていることとやっていることのギャップをしっかり見抜いていたりするのよ。でもってある時に中身を見抜いてしまったバカな親父の言う説得力の無いことなんて聞かずに好き勝手なことをやるわけ。そんな連鎖だから世の中が荒れて来るんだよ(こういう現象が時空間を越えて他の生命に影響を及ぼすのを形態形成場といい、其の現象を形態共鳴という。下記に書いたルパート・シェルドレイク博士の白眉の研究)。

 さて話はずれるが、うちの近所は観光地への山道が限りなくあるので、よく外国製高級スポーツカーが走っているけど、軽トラに追い回されて交通の邪魔になるような走りをしているんじゃねぇよみたいなのが多い。本人は必死こいて走って居るつもりなのが見え見えなのだが、基本的に道具の扱いや動的な物体のエネルギーの扱い方が解っていない。まあ感性が鈍いんだよね。だったらわざわざ狭い裏道を抜けるなよと思う。
 その上、やたら遅かったりして他の交通の邪魔(余談だが、ゆっくり走っている人が遵法運転している訳ではない。速度に安定性が無く、やたらブレーキを踏むようなメリハリのないタラタラ運転している人に限って、信号がとっくに黄色に変わっているのに停まらず、ダラダラと赤信号を突っ切るもの。只、だらしないだけの運転といえる)になっていても、“そういう奴に限って横柄な運転しかしないし、後ろに大渋滞を作っても脇に避けて後ろの車を先に行かすなんてメンタリティは無い”。そういうのは“大抵はオヤジ共”だ。こういう馬鹿共が今の荒れた世の中、バカなガキ共を生産して来たんだよね。
 そんなんバカ親父が蔓延るんだったら経済なんか活性化しなくて良いし、みんなで貧乏すれば怖くない? 昔はみんな貧乏だったけれど世の中平和だったよね〜。でも、もし今これからそうなったとしたら逆に破綻が起きそうだ。だとしたらそれは何故?日本人は何処で何を捨ててきてしまったんだろう・・・(それでも、山中湖からの抜け道の道志道を走っていても、以前に比べると、自分が遅い時にハザードを点けて速いペースの車を先に行かせる様にする人が多くなった。迷惑を掛けない限り遅く走るのも自由、速く走るのも自由、互いに空気を読んで譲り合えば全体の流れが良くなるし

 いま明らかに時代の流れが変わっており、価値観や生き方が変わって来ている人達が居る。魂のレベル、つまり人格レベルでなく霊格のレベルで進化した人達が増えている。それは子供だろうが大人だろうが関係ない。ただ歳だけ食った様な爺や中年の親爺共なかに其の流れから取り残されている人間が多い。
 先日もNHKの番組で日本のサル学の研究者の先生が出ていたが、この人達のやったこと日本中の猿のフィールド調査で、欧米の猿の個体についての個性を見ないロジックから個々の猿に個性があることを研究としてあからさまにしたことなどがある。その中の一つとして、幸島という離島でサルの行動を研究して世界中の研究者に影響を与えた研究である。此の研究は有名な話なのでご存じの人は多いと思うが話がずれたついでに概略を書いてみよう。詳しくは色々な本で書かれてるので詳しくは其方に譲る(“生命潮流”来るべきものの予感 ライアル・ワトソン著 工作舎刊、“なぜそれは起こるのか”過去に共鳴する現在、シェルドレイクの仮説をめぐって 喰代栄一著サンマーク出版刊などなど)ので興味ある人は其方を。

 その内容だが1950年から始められた九州宮崎の南に浮かぶ幸島という無人島のニホンザルの餌付けに泥の付いたサツマイモを上げていたことから始まる。最初は活発で賢い十八ヶ月の雌の小猿が何かの拍子で、真水の水たまりで泥を落として洗って食べることを学んだ。それを若いサル達が真似、やがて母ザル達も真似ていった。1953年のことである。そしてその4年後の1957年には群の3/4に当たる15匹がイモを真水で洗って食べるようになったそうだ。そして次に一番最初にイモ洗いを始めた此の雌ザルが、今度は小川にイモを放りこんで転がして洗っていた。そしてそれも群全体に拡がった。
 次には、ある時小川の水が涸れてしまったときに、今度は海の波打ち際で最初にイモ洗いを始めた同じく其の若い雌ザルが海水でイモを洗うようになったら、其の塩気との微妙な味が良かったらしく、それも群全体で拡がった。此の過程を監察官は常時見張っていたので、その文化が拡がっていくのが手にとるように見えたらしい。そして若いサル達が全員、汚れた食物を洗う習慣を身に付けた頃、五歳以上の成熟したサルでは、子供達から直接真似して覚えたサルに限られてその文化を受け容れたとのこと。
 また別の本では十二歳以上の大人のサルで特にオスザルはイモ洗い文化が群に定着して十年以上も経つのに、頑なに受け容れなかったそうである。これは笑えるくらいに人間の社会も同じでありましょうぞ。まあ、こういった事は我々の社会に於いて、悪い方に働くと諸悪の根元になりかねない現象と思えるのだが如何?

 此の続編には二つあって、一つはイモ洗いを始めた雌ザルは、次に革新的な行動として、餌の容器から飛び散って砂の中に入ってしまった砂混じりの小麦を海に投げ入れ、浮いた小麦のみ食べる智慧を三歳の時に行ったそうである。
 そしてもう一つは、幸島のサルの群にイモ洗い文化が浸透したところ、今度は離れたところにある高崎山のモンキーセンターのサル達が同じイモ洗いを始めたというのだ。勿論サル同士の行き来はない。こういった行動様式が群の総数に対する臨界値を越えたときに、自然の障壁を越えて他の群にテレパシックに伝わっていくメカニズムをライアル・ワトソン氏は「100匹目のサル現象」と呼んだという内容だ。

 また似たようなメカニズムが働いた例として、イギリスの四十雀は1920年頃に見付けられた各家に配達される牛乳の蓋を開けて飲むことを覚えた智慧が、1947年にはイギリス中の他の四十雀に伝わって行き、やがてデンマークやオランダ、スウェーデンなどでも観察されるようになったという。此の事例などを含む、生物に於ける形態形成場や形態共鳴(Formative Resonance)の研究については、「生命のニューサイエンス」「世界を変える七つの実験」(共に工作舎)の著者であるルパート・シェルドレイク博士の本に詳しい。氏は大問題を解くのに大きな実験は要らないとして「世界を変える七つの実験」の序文に書くほどアカデミズムに固まった科学界とは違った歩み方をしている生化学生物学の研究者であるそうだが、逆に量子物理学のデビット・ボーム博士が内在秩序(Inpricate Order)の理論を持ってシェルドレイク博士の形態形成場の仮説に注釈を加える展開となっているらしい。種の進化、文化の生成に関して形成場が見えないところで構築されていくと、或る閾値を超えたときに爆発的に伝播するという現象が証明されつつあるようだ。

 先日近所の住宅展示会で見せて貰った一般流通材の樹齢20〜30年の杉材。
 いわゆる国産材。年輪が粗い。
 こちらは紀州の樹齢60年の杉材。年輪が非常に密。此の材は山で1mの狭い四方に1本の植生で育てたものなので成長に時間を掛けた柱材用だそうだ。他の部分の建材もそうだが、併せて60年以上保つ住宅にするという意気込みで作っている住宅会社だった。こういった材なので定期的なメンテや訪問が必要で会社としては手間が掛かるが、お客様に納得していただき又住宅への理解も得られると言う。それで一般工法の住宅の1.5倍程度コストとのこと。自然素材住宅に携わっている人達に聞くと大体その位の費用を言うが業者によってノウハウは異なる。
 先ずは山を管理して長持ちする材を育てるというベースが無くてはね。
 同じ国産材でも育て方によって質が異なるという例でした。建ててしまってからでは見た目では解らない内容なので、買う側も勉強して賢くないとそれなりの結果になってしまいがち。

 長々とした引用になってしまって恐縮だが、自分自身で物事を考える力があり工夫して自分の手で何かを創り出して他の人々を喜ばせてきた人、それは会社員であれ、或いは農家であれ、受け身でない人生を歩んできた人の頭と精神は歳をとっても柔軟であり心もたおやかであるが故、我々が其の智慧と経験に学ばせていただくことが限りなくあるが、見栄と体裁と権威に凝り固まって他人を利用してきたようなメンタリティの、モノをコレクションして満足しているような年寄りは、凝り固まっていて過去の自慢をするだけしか能がない、今の人間界に起こっている100匹目のサル現象の流れから落ち零れた存在でしかないということ。早々に心入れ替えて行動を変えないと此の大変革の時代、既に流れが二極化している内の、其の片方である堕ちていく方の流れにしか乗れないぞということである。

 なぜ、こんなことを書くかというと、自分の所の仕事ではフリーダイアルを設置しているのだが、其の番号が某大手飲料食品メーカとほぼ同じらしく、よく間違い電話が掛かってくる。其処のカスタマは老人達ばかりのようで、間違い電話を掛けてきたことを知らせた後の態度が10人中7人くらいまでは横柄であり、自身が間違えているのにも関わらず一言も謝らず、他者に電話料金を負担させている最中にも関わらず其方の番号を教えろだとか詰問したり(自分で調べろっちゅうの...)、何度も同じ事を繰り返し聞き、自分が間違えていることを何時までも認めようとしないからだ。中には間違っていることを伝えた途端にガチャンと電話を切るような無礼きわまりない質の悪い年寄りも多い。
 本当に嫌な気分になること甚だしい。こういうろくでもない年寄りが多く居るっちゅうことは、其の子供である今の社会の中堅の人間のレベルも知れたもの。まあそれらは私の年代の男共だし、下の年代もあり、また我々より上の団塊の世代の連中も然り。彼らの同性として客観的に観ても今の男共は、上っ面は兎も角、中身の伴わない腐った男が多いのは実感するし、団塊の世代の人と話をすると、同年代には嫌な奴らが多いと自らも言う。
 もっと例をあげれば山や近隣の散歩で行き会った年寄り達に挨拶をしても挨拶が返ってこない事も良くあるのだ。それは決して耳が遠いのではなく狭い道で行き会っての話なので一様の傾向であることは間違いない。隣人として付き合えば悪い人ではないのかも知れないが全般に人間の質が悪くなっているようにしか思えない。
 他のページにも散々書いているが、山菜キノコが採れる山の中に捨ててある飲み物の缶や瓶、菓子の袋、コンビニ弁当の器などのゴミは、あまり若い連中が行くような所ではないので年輩の人達が捨てていったとしか思えない。なんで山にゴミを捨てるかなと思う。そして田舎ほど生活ゴミが山に捨ててあるのを目にする機会が多い。通りすがりの人間のゴミではなくて住んでいる人達のゴミだ。
 また、年金貰って閑で金がある人達が多いのか平日から各地に年寄りの旅行者の多いこと。山菜キノコ山も平日から代わる代わるゴソゴソ余所もんの年寄り達が入り込み、みんな根こそぎ持って行ってしまう。タイミングを外して採りに行った日にゃあ嘗てキノコの宝庫だったところで何も採れずにボーズで呆然なんてことが起きる始末。

 話が大きくずれていて全然違う話に思えるかも知れないが、此のページでわざわざこんな事を書いたのは、他の所(例えば南米や東南アジアの森林資源だってそうだ)から奪うことばっかり考えていないで、自分達の周りの山を手入れして生き返らすことに金と労力と知恵を使ってくれよと言いたいからだ。一昔前の人達は自然の摂理の中で生きていたから獲ることのみに偏ることは少なかったと言うことだね。そしてその山は、此のページの道具が活躍する場でもあるし、また山から頂いた木を活かすも此等の道具であるからだ。
 で、思うに、今の年寄りは戦後直ぐは確かに大変だったかも知れないけれどその後右肩上がりの成長経済の中で生きてきて、いま年金を貰って(若い人が支えている訳ではない自分らで積み立てた年金だからやましい気持になる必要はない、役人共が無駄金使ったり返ってくる見込みのない海外に流出させたり、また自分達が良い思いをするようにして年金基金が足りなくなっているのが事実だからね。国の言うことに騙されないように...)老後を謳歌している訳だ。ところがあなた達がやってきた仕事には、貴重な自然を破壊してきたり公害を垂れ流してきたり、金儲け優先で子供達を食い物にしたりして、日本の自然と精神の破壊に荷担している場合が多くあったはずだ。孫子の代の貯金を自分達で浪費したわけだね。

 だったら、せめて自分達がいま足下で出来る事を探して役に立ちながら感謝されて死んで行けよと思うだが如何だろう。死に様が生き様だ。我々日本の知恵を伝授されなかった者達は、いまの年寄り達の持つ経験と深い知恵を惜しむ気持と、自然の中で生き、様為してきた人に対する尊敬の気持がある。まだまだ今だったら後の世代のに残すチャンスはあるし、実際に各地で実際的なことが行われている。しかし、法的な制限もあるし財産に関する事も絡まって日本の森林資源は膠着したままだ。今日日は裕福な年寄り達の懐を狙って、国が税制を変えて吸い上げようとしているようだし、また外国の勢力も躍起になって仕掛けを作って年寄り達の箪笥預金を引っぱり出そうとしている。
 だったら、財産があって其の争いをするような子供らに残すくらいだったら、年寄り達で基金を作って山の保全の場と其の保全のノウハウを残し、自分達の眠れる資産を有効活用する実験場として活きた山にする活動を出来る現場として、有志に開放するようなものに運用しても良いのでは無いかと貧乏人は考える。運営は独立独歩の他者の介在を受けないNGOの中でも精神性も高いところがやってくれればよいと思う。権威意識や既得権などに聡いところはだめだ。またお金を出す側も山のことをしっかりと勉強をして現場にも行き、現場の人間と相対して人柄ややっていることを具に観て其の都度必要な分だけ助けていく位の手間も掛けないとダメだろうな。よっぽど心の修行が出来た人じゃ無い限り、また高いヴィジョンがある人達では無い限り無償のものは無駄には使ってしまうものだから。道具を貸すにしても何にしてもタダというのはダメね。借りる側もお金なり労力なり、何かを差し出さないと。

 さて、戦争で石油がストップしたり、日本経済やアメリカの経済が破綻したり、天変地異に近いものが来たら、今のような植林(補助金欲しさで植えて放ったらかしになった)の山だったら、山の幸は採れないし、山の動物の住処にもならない、そして針葉樹の根と葉のでは保水力が無いので土砂が直ぐに流出し、また其の浅い根のために台風で木が直ぐに倒れるものだから、放ったらかしの手入れされない植林針葉樹の単層林では我々の生活を助けるものには何もならないものであることは少し考える力がある頭を持っていれば誰でも解ることだ。其の保全をやるかやらないかで今後の日本の運命も変わってしまうのでは無いかと思う。少しでも我々が尊敬できる、そして経済力のある年寄りが残っているんだったら日本の将来のため地球の未来のためにその位のことをやって欲しいと思う。日本は世界の雛形という人もいる。日本は良いところもあるが悪いところも沢山ある。だがやりようによってはアジアのパイロットケースとして良いサンプルになれるだけの伝統と底力を持っているのも事実だ。
 我々の仲間のNGOでは東南アジアの農業援助したり、また国内の一地域で森林再生のNPOで活動している者もいるが、もっと国内も大規模に色々な壁を取っ払って山の再生を行っていかねばならないでしょ。日本の文化は木の文化。いまのコンクリや石油製品の構造物では地球を破壊し汚すだけ。家を潰したら処分に困るゴミばかり。そんなのおかしいでしょうが。頼むぜ爺さん婆さん達、あなた達が日本の文化を此処まで変えてしまったのでしょう。他国の良いところを受け容れて学ぶのは良いけれど、自分自身の考えや哲学をもって必要なところだけ受け容れないと汚染されるのよ。身を守ることばかり考えて生きているんじゃあ踊らされるばかり、自身の身を削って誇りや文化を残すってえ位じゃないと他者(他国)の言いなりで身ぐるみ剥がれてしまうわけ。
 世の全体の流れだったとはいえ、受け容れてしまったこと、質の悪いものを買ってしまうことによって、そういう使い捨て文化を受け容れたというカルマ的責任は生じているんだよね。質の悪い使い捨てのものを消費者が買えば、それは食い潰し文明を増長させていると言うこと(私ら夫婦も役に立つものは100円ショップでも買うことはあるけれど、長時間いると気持ち悪くなってくる。仲間にも同じく感じる者も多い。つまり身体に有害なものが多いのか、其れとも石油製品が多くて静電気が多くて体調が今一になるのかも知れない)。

 一般論で言えば世の中本当に悪い奴の数なんて多寡が知れているはず。でも善男善女ぶった人間で、本人自身は法を侵すことはやらないかも知れないけれど、やがては自分達を破綻させる文化や違法を知って見過ごしていたら同罪だよね。他人は知らなくとも自分自身の心は知っているし、それが自分自身に言い訳して自分を騙したとしても、必ず自分の魂の中に潜勢力として残っている。それがカルマの種ともなる。また現実としては文化が変容していったり環境が悪くなっていくことが実際に起きてしまう。
 みんなが保身のために見過ごして仕舞った結果が今だよね。今頃気が付いたって遅いんだけど、先ずは気づかないことには何も変わらない。そしてあとは何処まで復興出来るか最後の花道を自分達で用意して頂戴な。そうでないと、歳とっているからと言って、カルマの連鎖から抜け出られるわけじゃない。霊的な浄化、自分自身の尻拭いは自分達でして欲しい。魂を磨いて死んでいかないから皆成仏せんで、今の世の中どんどんおかしくなって亡者のような人間ばかり増えて行ってしまう。つまり無責任に生きて、死ぬときに自分で覆い隠してきた深い情の部分で悔恨の念を残していくから、現世の形態形成場にくらーい影を残して行くんだよね。生きている人間の思考にもネガティブな影響を与えるわけ。敏感な人はわかるでしょ。自分の思考でないパターン、自分の意識パターンとは違うエネルギーに囚われることがあることを。そういうのを祓い浄めて汚れを落としていくのには、執着しているものを先ず捨てるということ(物でも精神的なものでも)から始まるんだよね。現状を維持しながらなんて事を考えていたら道は開けません。でも、みんなが同じように気づいて、先ずは一旦捨て去って、それから新しく創造を始めたら大きく変わって行くんだと思う。

 それにしても、こういうことは貧乏だと良く見えるんだよね。勿論、貧乏だからって他人様に頼って生きているわけじゃない。年寄り達が此の我々の想いをどう受け取ろうが、残りの人生をどの様に歩もうが、残された我々は自分達の人生を自分達で創っていかなければならないわけだから、我々が出来る方法で足下から変革していくし、お金に踊らされない人生も歩んでいく(別に稼ごうと思えば稼げるだけのものは持っているので負け犬の遠吠えでは無いので悪しからず)であろう。今までの生活の在り方とは反対に、今までのようにメディア(其の裏に居る連中)や企業や国などにマインドコントロールされて仕舞って居る様な、お金や経済中心の拝金的な思考方法じゃあ無くなってしまっている人達が段々と増えているというお話し。当たり前の感性を持っていれば今の世の中の在り方はおかしいのは誰でも解るからね。ただ、その気が付いている人ではあっても、その生き様は自己欺瞞によって自分の魂と身体を売り飛ばすか、それともその様にしないかの違いがその後の人生に反映しているだけ。
 だから、何れはそういった自分自身の魂の在り方を大切にする人達が自然と縁が出来て集まり、やがてコミュニティが出来、その上で進化した人達が多い自治体を選び、その土地で自分達の手で安全な食事を得る手だてをしたり、大自然の循環サイクルの中で少ないインパクトで暮らしていく智慧を高めていったり電気やエネルギーを外に依存しないシステム(しても少量に留め)を構築していくのであろうと思われる。昔の日本の良いところを復活させるのだが、違うのは其処に住むかどうかは自分で選べるということ、それ以前に日本人の深層部分で持っている排他的で陰湿で幼稚なメンタリティも乗り越えられていないと同じ事の繰り返しカルマ的な出来事をなぞってしまうことになる。また破壊的なテクノロジーではなく、創造的共生的エコロジカルなテクノロジーは積極的に運用していきたい。

 それは、何も昔に戻ろうとか古代のような生活をしようというわけではない。代替エネルギーや農作物の栽培についても既に画期的な技術は幾らでもあるのだから後は我々の生活態度で消費に傾いている様なものを少しでも多くの人が矯正していけば今のような無駄なエネルギー消費やカロリー消費をしなくて済むしね。
 貧乏暮らしをしているとそう言うことが実感として理解できるようになるものよ。都会でお金がないと二進も三進も行かない生活をしていると、不安感恐怖感ばかりでそんなヴィジョンも閃きも自身も出てこやしないでしょ。だからつまらないことで行き詰まって精神はおろか身体まで破壊してしまうことになるわけね。自分自身で人生をコントロールしていないと、ドツボにはまったら自らをも助けることが出来なくなるのはあたりまえ。他者に踊らされて虚ろな生活を自由と勘違いさせられた挙げ句はそういうこと。国も会社も自治体も病院も助けてはくれません。神様仏様もです。神は自らを助けるものを助くと言うのでしたっけ、それが平等です。

 平等は、その人の心の在り方行動の仕方がそのまま自分自身や周りに返ってくるというもの。差し出すものが還って来るものという法則を実感できるかどうか。その辺からも魂のレベルが解りますね。おおっと!かなり話がずれてしまったけれど、此のサイトはこういった事も含めての話を書いているので(他にも散々書いていますが書いている人間は何処の宗教にも何処の団体にも関係ありませんのでご安心を)ご了承願いたい。というのも世の中を変えていくのに政治経済のシステムを幾ら変えたって人間のレベルが同じだったら何も変わらないことが一般庶民にもとうの昔に解ってしまっているわけ。其処にやたらなテクノロジーの発展によりキチガイに刃物状態なわけでしょ。だったら何か欠けているかといったら哲学とか理念とか節制とか謙譲とかで、其のバックグラウンドにある霊性が何もないわけですわ。逆にそういうものを貶める仕掛けばかり蔓延っているんだよね。

 人間地に足が付いていないと、自然に近いところで暮らしていないと、身体も魂も腐ります。だったらどうするかというのが此のサイトのテーマ。受け身で他人のせいにして生きていないで、我々一人一人の意識と行動が少しずつでも変わって、其れが形態形成場をつくり、同じ波長の人達と縁が出来て表には出ずに水面下で静かに波及していけば良いのよ。表に出てもてはやされると隙が出来ておかしくなっていくのが常だし、また其処へは腐ったものに蠅が集るように有象無象が集まってくるし、他人を利用したり美味しいところだけ持っていこうとする善人面の人達も集ってくるからね。メディアなんてのも、自分達で創り出すわけではなく他人の資産を利用して話を作っていくのが殆どだしね。そんな連中が書くものなんて、後追いだからメジャーなマスメディアに出たときには、もう既に多くに認知されている内容と思ったら間違いない。
 そんなん相手にしているより、市井の可愛い素直な人達と縁を作って静かに輪を広げていった方がよっぽどしっかりとした根を張るものでしょ。賢い凡人が増えていくのが大きな力となると思うんだけどね。自給と自足とエコロジカルなテクノロジーとでね。此のエコロジカルなテクノロジーについては自分の仕事に関連することなので此のサイトには書かないけれど、不思議な事って沢山有るんだよね。ってことで、貧乏な、凡人が、いや凡人以下だな、、、普通の人になりたいって想いで偉そうな能書き書いちゃって、、、居るわけです。はい。身の程は知っています。でも、自分の足下から出来る一歩ということで足掻いているだけなので、賢い方々は温かく見守ってやって下さいね。。。。。う〜ん。段々丁寧な腰の低い言葉遣いになってきたわ。。。謙虚なポーズをとっていても、、、、ホントは怪しいなコイツ・・・・なっちって。

 でやっと、閑話休題、、、、では、マルチツールについての能書きの続き・・・

 大きさはこの様に違う、そして重量も。
 右からミニ:120g。ウェイブ:240g。ヴィクトリノックスチャンピオン(?):185g。CAMP:80g。何れも手に持つということであれば障害になるような重い重量ではないのだが。
 横から見ると厚さも解る。重たくとも小さく薄かったりすると重量は感じにくい。その逆だと重さを感じる。これは持ち運ぶ時の慣性を身体がどう受け止めるかという事だと思うのだが、この位の100gとか数十gの重量の差は、こういった道具の世界では可成りの差になることを再発見。

 なんといっても長期登山や沢登りなどでは道具や持ち物、食料を数十g単位で削っていくようなこともあるわけだから、その際の道具選びはシビアである。また、その際のザックに入れた総重量を削るということもあるが、こういったナイフなどの道具は身につけることが多いので、その時の重量の差は背負う以上に大きく感じる。
 例えば80gのCAMPを紐を通して首から提げ、本体を胸ポケットに入れておいても殆ど気にならない。でも、レザーマンミニ位になると気になる。ヴィクトリノックスのチャンピオンクラスだと重たくて胸ポケットなんかには入れてられない。レザーマンウェイブだったら冗談じゃないという感じだ。此は服を通して首や肩に掛かる重量と、動作によってポケットの中の物の重量とその慣性による引っ張りのために重さを更に強く感じる為だ。服による肌擦れもあるしね。
 同様にオフロードバイクの様な激しい動きの乗り物に乗る時には、ウェストバッグなどに入れてもこの位の重量と其の慣性の差が他の荷物と重なって結構な腰の負担となったりもする。なので、使用する背景によっては機能と重量とのバランスは気にして機種選択をした方が余計な投資をしなくて済むと思われる。でも、こういう事は使ってみないと解らんのだよね〜。

`06/3/11追記【日野浦司、味方屋の鉈、其の他、職人の誇りなどについて】、あと書いてあって忘れていた桑切り鎌の続きの記事もある。それから臼刳りチョウナの追加画像もアップロード:(今回の更新は親切に愛を持って気を使い、他の更新箇所にも飛べるようにしたぜ...

 久々に鍋屋さんに寄らせて貰った。特に用事という訳では無いが、町に降りて生協に買い物に行くには鍋屋さんの前を通るから、しょっちゅう素通りというのも何なので親父さんの顔を見に寄っただけ。そうしたところ、前からだが、何故かこんなページを観て各地から鍋屋さんに訪れる人が少なからず居られるらしく、時々、「今度はこんな人が来たぞ・・・」と聞いているのだけれど、今回のお話しでは、群馬からお母様の誕生日にプレゼントしたいということでわざわざ重房の包丁を注文しに6時間程掛けて来られた若い方が居たとの事。それも帰りは遅くなって群馬まで帰れないので何処か駅でで野宿して帰るという話だったそうだ。重房は今売れっ子で忙しいのでオーダーが立て込んでいるらしいが卸が顔が利くらしく注文を請けて貰った様子。間に合うと良いですね。

 そんな話があったり刃物談義をしたりして、挨拶して、さあこれから帰ろうという時に、わざわざ奥から取りだしてくるものがある。(^-^;; 「まったく、出し惜しみするんだからな〜...(^-^)」と見せて貰ったら日野浦司の鉈だった。あまり色々知らないわたしでも知っている日野浦司は、もう7,8年前だったか秋葉原の宗正刃物さんで見せて貰った覚えがある。当時から可成りの額だったので雲の上の世界であったのだが。
 それで鍋屋のおやじさんが、棚にあるもう一本の鉈を指して「此の味方屋のも司のものだぞ、知ってるか?」というので出して貰って見たら、造りがまるきり同じじゃない。量産品のために仕上げが機械だったり材質が色々違ったりするが形は殆ど同じだった。値段は5寸5分(165cm)で7560円の値札が付いていた。「おおっ、此で充分じゃん!モノが良いし・・・それに山で高いのは勿体なくて使えないよぉ〜。」って、自分は3万円近い鉈を二本、山でガンガン振り回している癖に・・・

 上が日野浦司ブランド五寸、下が味方屋ブランド五寸五分。刃身だけでなく口金やの造りや柄の材質も違っていた  司の方の、この刃の手元のところの処理が良いよね。円く処理してある所だ、此が美しい。五寸だけど重さもありバランスも良かった

 日野浦司の方の鉈は鍋屋の親父さんのお友達が買ってきて置いていったそうだ。その人は左利きなので、司の左の物を注文してくれと鍋屋さんに依頼してきたそうな。でもって、これまた日野浦司も売れっ子だしということだが、先代の時の味方屋さんに相当数の注文を出していた卸なので、受注を仕切っている日野浦司の奥様と話が合い、なんとかお願いできたらしい様な事を親父さんが言っていた・・・

 此の鎚目の入った司ブランドの方を出してきて、「ほら、手研ぎだ、凄いぞ。」と親父さんがいう。自分が使った上で後々此の研ぎ面に戻せるといいんだけど、どうやってやるんだべ
 機械処理の研ぎと手研ぎとでは、どういった仕上げの仕方が異なるのか、実際に作業の現場を見てみたいものだよね。細々とした手作り鍛冶屋のイメイジはあるけど、数作る鍛冶屋の道具ってのは何があるのかね

 ま、こういうのは実用というよりも趣味の世界なんだけど良いんじゃない、、、実際に使うんだったら。ログハウスが一般に浸透し始めてもう二十年以上経つし、薪ストーブの良さも再認識されたり、其の薪ストーブ自体も進化したりして導入する家も増えてきたから、樹に向き合う機会が一時よりも増えているのは確か。日本の林の現状に対して、一部では以前よりは可成り問題意識が高まってきているはず、、と期待しているわけだが、まずは形から道具から(自分もそうだけど)入るのも悪くはないと思う。
 一般に広がるという現象には先駆者から裾野が広がっていく訳だから、その中間層にマニアックな能書き垂れも多く抱えている訳だし、そういった人達がお金を使うことによって、消えかけている鍛冶屋の世界を支えないと日本のレベルが高い鍛冶の技術がドンドンと失われてしまう訳だからね。良いものは良いわけだしね。其処から現状の再確認のスタートという事もあり得る。但し、良いものでも使わなければ宝の持ち腐れだし、実際のところ本当の良さも解らないから購入者(使い手)もレベルが高くならないとね。そこで、思うのは今の人達って消費者という言葉で終始されるようにお金を使えば偉いと思っている人が殆どということなんだよね。

 こういった魂を籠めた道具の製作者は、作ってナンボ、お金が入ってナンボ、という計算でやっている人は少ないはずだから、使って貰って喜んで欲しいという願いを持ち、その上で職人の誇りをもって手抜きせずにコスト意識を超えて製品を送りだしているはずなんだよね。だから購入者(使い手)は、使ってどの様に良かったかとか、彼処が疑問だったとかを何らかの形で製作者にフィードバック(お礼?)するのが礼儀ではないかと思うんだね。今はWebや通販でこういった職人ものを買える訳だけど、お金払えば済む訳だけど、人の心ってそれだけじゃ無いでしょ。心と心のふれ合いって、受け身で居たり居丈高にしていたら生まれもしないし、逆に自分自身が学ぶチャンスも失っている事もあるんだよね。
 自分の場合、Webでものを買う時にはページ上で手続きを済ますだけでなく事前に電話をしたりする。そして例え電気製品などでも購入後使って良かったら感想や、また担当者の配慮などに対してもフィードバックするようにしている。勿論、反応もない時もあるが、こういった職人ものやこだわりを持って販売している業者さんだったら何らかの反応が戻ってくる。
 その中にはアドバイス的なものもあって勉強させて貰う事もあり世界が広がる。なので、今は電子メイルを受けられる職人さんも増えているので電話のように大袈裟にならずにメッセージを届ける事が可能だろう、またそうでなくとも手紙などにそういった事を書いて送っても良いだろう。勿論、鍋屋さんの様な個人事業者の販売者で卸(問屋)に顔が利けば、卸の人を通して製作者(職人)には要求や話が伝わっていく。使ってみて具合が良かったよとお店に言えば、それは製作者まで伝わることが多いからね。
 その点、Web上でのネット販売では、数が売れているのは機能が気に入られてなのか、其れともブームなのか等の細かい所のニュアンスを製作者側は掴めないと思う。間に入る販売者が余程その辺の心得のある人で、顧客サービスと共に製造者側へのケアも出来る人でないと無理でしょ。でも今後のWeb上での販売に於いてもそういった人柄も大事な要素になるはず(あまり此のサイトでは書いていないが自分の仕事では出来るだけ其の様に行っているので、Webで商売をしていても、お友達になってしまうお客さんも少なからず居るし、結構長い付き合いの人も多い<---Webで10年も販売をしているとね)。

 右片刃の裏に五寸五分と入っている。此方は味方屋量販?ブランドのものなので、裏スキの所の磨きの仕上げは機械研削(ベルトグラインダー?)だが。縦の目で光っている部分のことね。その部分に横に少し曲がりながら線が入っているのが鋼と地金との接合の分かれ目。

 司ブランドと味方屋ブランドでは裏スキの取り方が若干違う、、というよりも研ぎが違うということだろう。大きな画像

※鍋屋のオヤジさんによると、味方屋の鉈に比べて司ブランドのものの方が、刃が薄造りだという。オヤジさん曰く、「よっぽど自信があるのかな。」だそうだが、もしそうだとしても、一般的に考えれば、
「高い鉈--->腕の良い人が使う--->薄造りでも捻ったりしない--->刃が欠けない--->良く切れる(永切れする)--->腕の良い人、喜ぶ・・・」という図式なのではないだろうか。
万が一そうではなくて、
「高い鉈--->懐に余裕があるマニアが買う--->薄造りでも使ったりしない--->刃が欠けない--->良く切れる(永遠に)--->懐に余裕がある人、喜ぶ・・・」でも問題ないしね。勿論、わたしは限りなく後者に近いけど、、、(^-^;;

 1週間後に日野浦司の五寸五分が入ったということなので、此処に採り上げた勢い上、此も載せない訳にはいかんので画像を撮りに行ってきた。以下の二枚がその画像。お客さんに頼まれて左利き用を頼んだ人とは別に右も頼んだ人が居たようだ。右は流石に直ぐに入荷したが左利き用は未だとの事。
 でも、司ブランドのものでも、前回の五寸と今回の五寸五分のものでは、鉈も鞘もそれぞれ造りが変わっていた。裏スキの鎚目の意味は?あと鞘は上に載せた画像のものだと、鉈の向きはどちらでも入る様な造りだったが、下のものは一方の向きにしか挿せない一般的な下げ鞘(右利きの人が左側に下げる)の造りになっていた。さて、鍋屋さんは、此の司の五寸五分を幾らでお客さんに出すのか思案中。

 裏スキが黒皮を被ったまま。裏スキに鎚目が入っているのを見て、鍋屋の親父さんは研ぎ減りしたらどうすんだろう?と悩んでいたが、今時は研ぎ減りする程使い込む人は居ないと言う結論に
 表は鎚目が無くなっていた。その代わり裏に鎚目が?もし研ぎ減りしたら鉋と同じように裏スキを削って整える作業をやれば良いからなと鍋屋さんは仰る。でも鉈は軽くなったら使わないから関係ないかとも...

`06/4/11追加:【司鉈左用】此の左利き用司鉈の部分のみ追加。先日鍋屋さんに鉄鋳物の羽釜の錆落としについてお知恵を拝借しに電話をしたところ、司鉈の左が入ったというので見せて頂きに行ってきた。
 上が五寸五分の鎚目が入った司鉈。下は七寸の標準的な司鉈。左はやはり作りにくいと言うことで、上のもの(五寸五分)が5万3〜4千円。下のもの(七寸)は4万8千円位になるのではないかという話だった。
 裏スキの処理は前に見せていただいたように、地金に鎚目が入ったものは研ぎ上げてあって、ただ黒皮のみのものは裏スキに鎚目が入ったものであった。五寸五分の裏スキ処理の大きい画像はこちら

 まあ、素晴らしい処理だよね。使ってみたいね。表鎚目の裏は研いだ処理のものを。此のお高いのを使えるほどの腕は無いけれど憧れちゃうね。此の左用の二本を頼んだ人は飾っておく人ではなくて使う人らしい。う〜ん、丁度片刃の鉈の良いものは剣鉈くらいしか無いから今にお金を貯めて買いたいものだね。おっとその前に古見製作所の鉈も使ってみなくては。でも、此の司鉈の裏スキを鎚目で処理したものは、自分的には何か違和感があるのでお値段の高そうな方しかチョイスが無い。
 此の裏スキの大きな鎚目は、向こう打ちが居なければベルトハンマーでやっているものだと思うけど昔はこういう処理をした鍛冶屋さんも居たんですかね。それとも鍛冶屋さんは裏スキを独りで鎚打って作っていたのでしょうか。グラインダーが無い時代には、こういった処理は刀と同じようにセンで削るか(綺麗な処理)、鎚で打って凹ます処理(凸凹が残る処理)なのでしょうけれど、その辺のやり方って興味有りますね。4/11追記 以上


 鍋屋の親父さんの所にもあちこちからお客さんが来られるが、ファクシミリや手紙で色々な事を書いてくださる方も結構居られるようだ。親父さんは其れが楽しいということで喜んで居る。また何度も来られる所謂リピータさんが多いのがこの店の特徴だが、まあメンテナンスが必用な刃物や職人の道具類、農具を扱っているからというだけでなく、色々な知恵や知識があるし職人技の良い道具類がたくさんあるから何度行っても面白いからだろうね。

 此方は宗光鍛冶屋の鉈。七寸(21cm)8872円。この鉈も可成り良いものだが鍛冶屋さんが廃業してしまったらしい

 これは、1年くらい前に鍋屋さんに頼んで取り寄せて貰った蕎麦切り包丁。三条の廣友鍛冶屋のもの。量産品

 上右の画像は蕎麦切り包丁だが、本当は、良いものが欲しいタイプの人間なんだけど今は貧乏人故我慢して、安くって良いものをと鍋屋さんに相談したら廣友の量産品を調べてくれた。右片刃九寸で1万1千幾らかだったと思う。手打ちものだと3万円くらいから20万円近いものまであるし2万円以上は出さないと買えないと思っていたからこの金額は朗報だった。
 手に入れてからは、自宅で食べるだけなので1年くらいで果たして何回位蕎麦打ちをやっただろうか。40回(嫁さんを入れて)行ったかどうか位かなぁ。その位だと特に切れ味が落ちた感じはしない。途中、蕎麦切り包丁の研ぎはどんな感じかと砥石に当てて研いでみたが本気では研いでいない。家のまな板で蕎麦を切るんだったら九寸で充分だし、結構満足って、、、貧乏人の歯軋りみたいだけれども、まあ本当のところですわ。。。。刃の切れ味が落ちなければね、其れで充分。

 陽の当たる店先で刃の出来具合を検査する鍋屋の主。

 ま、其れに比べ鉈はガンガンと使うのでそりゃあ切れ味落ちるの早いしね、だから良いもの欲しいよね。。。。おっと話がずれた。それで、此の量産品の11000円台で購入したはずの蕎麦切り包丁。箱の中に、無料研ぎ券が入っているんだよね。一回だけど、送り賃は自分持ちだが、研ぎ代と返送料は廣友持ちになっている。それから二回目以降は研ぎは有料になるんだけど、返送料は廣友持ちになっているんだよね。こういう会社の姿勢をちゃんと書いてあるのにはビックリ。製造者の心意気だね。

 こういった話は大分前から親父さんから聞いていてのだが遅まきながら此処でちゃんと書いておこう。確か剪定鋏などを作っている清秀鍛冶屋だったと思うが、ある時、お客さんから研ぎの為に預かって清秀に送り、返ってきたものを見てビックリ。研ぎだけでなく、無くなして違うネジを使っていたのも本来のものに交換されており磨いてあった為に、使い込んであった剪定鋏なのに新品と変わらない状態だったそうな。ただ、それがその持ち主のものと解るのは自分で巻いた柄の布があったからとのこと。布がなかったら持ち主自身どれが自分のものか解らないくらいに新品同様だったそうだ。其れで、研ぎ代の千円だけだったという話。そういう事が二回もあって親父さんは兎に角ビックリしたとのこと。
 製造者の誇り、職人の誇り、鍛冶屋の誇り、そういった昔からの日本人の心意気と精神文化が未だ残って居た事がひたすら嬉しかったようだ。昔はそういった姿勢で仕事をしている人達が多かったそうだが、今は如何に手を抜くか安くやるかばかりが先に立つ世界になってしまった。それでも個人業者や少数の会社はそういった姿勢を持っている人達が少なからず居る日本である。
 だから、せめて此のページを読んだ心ある方々は、そういった事を頭の隅に置いて頂けたらと思う。そしてそういった当事者になる際には、行う側であれ受け取る側で有れ、先に書いたような姿勢で発信し、受け取る側も何らかのフィードバックを戻して差し上げるのが良いだろうと思う。そういった積み重ねが文化になるのだから。
 エネルギーの交換はお金だけじゃあない。心と心の交感は自分のエネルギーを増大させてくれる。其のエネルギーが高まれば、場合によっちゃあ運までもが良くなる状態にもなる。そういった積み重ねが自分の人生を創っていくんだよね。お金は確かに有効だけど、それだけじゃあ人生を貫く根本のエネルギーを動かしている事にはならない。お金がないとそんな事を実感するサイト管理者である。。。って、今すぐでも稼げる状況なんだけど稼がない所が凄いんだよね...自画自賛、一応嫁さんも賛同。自分の商売は質の高いものを能書き付きで売っている。物や技術を売っているわけだが、実は本質的なものの考え方や意識の在り方を商品に乗せて、お金というエネルギーと介在しながら、お客さんの意識転換のサービスを提供する事も含まれている。其のオフィシャルなサイトとは異なり、このWebページは無償で、自分の経験した事や知識、智慧を分かち合う為に運営している(実は学校の時にちゃんと勉強しなかった為に今文章書きの練習をさせて貰っている面もある)のだが、そういった一方的なお付き合いよりも、オフィシャルな仕事でお金が介在してお付き合いさせていただく方々にはもっと深い部分でのお付き合いが生じる場合がある。それは良いと思われる事を広めて行くにもお金が介在した方が互いに真剣味が増す為に良い場合があるからなのだ。なのでやたら無責任に売りまくっていないだけ。それでも忙しかった時には可成り稼いでいた時もあるんだけど、、、それも瞬間風速。ああ懐かしいなあ...今は仕事を非常に抑えているモード。何故なんだろうか.......

 いけねえいけねえ忘れていた、この画像も大分以前に撮らせて貰ったものなんだけどアップロードを忘れていた。

 今風に言うとペンキ屋さんね。塗師屋が刷毛の毛を揃えるのに使う刃物
 もう、使う人が殆ど居ないのだそうだ

 昔は塗り専門の職人さんは自前で良い毛を使った刷毛を使っていたそうだ。その刷毛の毛を揃えるにの時々使うのが此の小刀だったらしい。その良い刷毛はタップリと塗料を含ませて垂直の壁の色を塗っても垂れてこないようにコントロール出来るくらいのものだったらしい。勿論職人さんの腕もあるけれど、先ず道具が良かったとの事。一回含ませると長く塗れたから仕上がりが綺麗だったそうだ。確かお風呂屋さんの絵を書く人達もそうだったと教えてくれたと思う。

 おおっといけねえいけねえ。まだ忘れていたものがあった。下記の柳刃包丁は12600円だった(過去形ね)。

 左利き用のもの。
 刃渡りは24cm。右用だったら欲しかったんだけどね。

 ご覧のように墨流し(闇流しという鍛冶屋もいる)みたいな紋様が入っている。値段からしてもこういう既製の鋼材があるんだろうね。

 造りもしっかりしていて値段からすると良さ気な出来だった。
 一本だけ在庫していたが、もう、売れてしまったらしい。

 此の柳刃も卸が一本だけ持っていたそうで、可成り安い価格でものが良かったのだが鍛冶屋が廃業してしまったそうだ。ホラみろ!みんな良い鍛冶屋が次々と廃業していっているじゃないか。買う人間が賢くならないと良い市場というのは消えていくんだぜ。本当に昔ながらの知恵の篭もった採算を度外視したような物作りをする人達が消えていくんだよ。
 だから、くだらん使い捨てのものは出来るだけ買わない事ね。消費者が単なる消費する奴隷ではなくて、もっと賢い自立した一個人にならないと。貧乏して色々な無駄なものをそぎ落としていくと色々観えてくるものがあるよ。ただし、飲食物や身の回りのものの質を落とす事で誤魔化しちゃあ解らんけれどね。
 現金なんて大して無くたって豊かに暮らす方法があるんだって。みんな踊らされているんだって、みーんなマインドコントロールされているんだよね。不安と恐怖を盾に他人をコントロールするのは難しい事ではないし。そういう論法で近づいてくるものお金ばっかり必用なものに本物は無いんだよ。まず其処の呪縛を自分で外さないと。其れには、自分自身で自分にあった方法を探らなくてはね。みな抱えているバックグラウンド(業:カルマ、役目?魂の目的?)が違うからね。私は私の道を歩んでいるし・・・コントロールド貧乏ってことで。

P.S.鍛冶の技術ってのは、例えば世の中がリセットされた状態、つまり仮に天変地異で全てを失って人間が丸裸になったときに、木や石を削ったり割ったり、衣食住の基となる金属の道具を作り出す根本の技術なんだよね。日本の智慧:鍛冶屋さんに日本古来の鍛造法でナイフを作って貰ったのページにも書いたはずだけど、戦後の鋼などの鉄、金属資材を供出してしまった後の何もない時代に、手に入るだけの鉄製品を道具に打ち変える鍛冶屋が居て、厳しい時を凌いできた訳だ。その先に進んだ時代はよい鉄を製鉄し耐久性の高い道具を作ってこそ重工業が発展してきたのだが、そもそも日本の伝統文化である木の文化も鍛冶屋の作った優れた道具がなかったら有り得ない訳。だから、最低限守っておかなければいけない技術なのだと認識を改めて欲しい。人間丸裸になっても刃物が一本有れば、其処から道具やシェルターが生み出せるのよ。つまり道具を作る為の道具ということね。

以上

 


新勝流天野刃物工房(刃物鍛冶、野鍛冶)

群馬県万場町(神流町):詳しくは左のリンクから天野刃物Webサイトへ

【天野さんは、2005年の夏に亡くなられたそうです。喪中のお葉書を頂いて知りました。跡を息子さんが継いでいらっしゃるのかどうか。ご冥福をお祈り申し上げます。】

`07/1/5追記:天野刃物工房さんは息子さんの賢さんが継いで四代目になられたようです。
新しいWebサイトは:http://www.kannnamachi.jp/~a-hamono/
おめでとうございます。


 ご紹介いただいた出版社の方のお話では、たまたま秩父でお会いした山間の急斜面で農業をされている老夫婦の方の鋤鍬が、こちら天野刃物工房さんモノと教えられたそうです。その老夫婦の方のお話では、一般市販の鋤鍬では、直ぐに減ってしまい使いモノにならないということで、天野工房さん製のモノをご使用とか。
 こういったこだわりの腕の良い鍛冶屋さんが、ずうっと残って居て戴きたいものと、農的生活に入る準備を整えつつあるサイト管理者はそう思います。また、各地にも優れた製品を作られる野鍛冶の方々がおられるでしょうから、我々消費者も頑張って、そういう方々の作るものを使用できる様に心掛け、良い道具を使いこなし大事にしていく文化を残したいものですね。
 天野さんの刃物は、紹介のサイトでご覧になれますが、農具から林業用具、木を加工するもの(チョウナ、セン、曲がり槍鉋)、他には、マグロを捌くときに使うマグロ刀、刈り込み鋏、花鋏、また牛の爪を切る削蹄用の爪切り?なども作っています。鎌も色々な形のものがあり、刃に玉鋼を使っているものもあるのは、昔からの経緯もあり現在でも玉鋼が手にはいるからとのこと。此の鎌を使っている方の話を聞くと、やはりかなり使いやすいようです。切れるし、また長切れするという。鎌も色々な形に対応でき、厚さもオーダーに応えてくれる。ただ、作る側から売れていくので、在庫があるときは少ないそうです。それに注文ばかり来ても作れないので、あまり宣伝には意欲的ではない天野さんでした。近い内に、天野刃物工房さんの紹介ページをアップロードする予定。
 所は、群馬でも埼玉寄り、釣りでも有名な神流川沿いです。長野側は、十石峠、武道峠越えで、それぞれ佐久、北相木、南相木、川上村へ抜けられるので、皆様お近く?へお出での際には、お立ち寄りになる価値有り。---`01/10

 

 

 天野さんの所で購入したペティナイフ(写真の一番左)を自分なりに研ぎ直し、産毛が剃れるくらいにして、タマネギや雑誌を切ったりしていたのですが、その勢いで、持っていた硬い黒檀の端材を削ったりこじったり、抉ったりしてみたのです。それで、ビックリ! 何と、そんなことをした後でも、産毛が同じように剃れるではないですか。 いやあ、なかなかのものです。あの薄い造りのペティナイフですから、そんなことをするための物ではないのですが。。。(^^;;

 此のペティナイフ用に、ナイフメーカの深瀬信夫氏(東京マタギ)がカイデックス(熱可塑性プラスティック)で鞘を作ってくれた
 此があると便利なんだよね。知り合いのところや山に行く時に持っていって料理するのに。`05/2

 それも、研ぐときにバリが出るくらい砥石ののりが良いのにです。。。そして、刃は横から押すと、かなりしなるくらいの弾性を持たせた造りなのです。
 此のペティナイフは、焔鍛えの中の部分の材を使っているとか、詳しくはお教えいただけませんでしたが、秘伝の焔鍛えは凄そうですね。改めて納得です。(^-^) そして、鉄の不思議を、さらに興味深く思うようになりました。
※その後使っていて此のペティナイフはあまり長切れしないみたいに思えてきた。家で自炊している事が多いのでよく使うし、または野宿や他人様の家に行って料理する時も持っていって使っているのだが、他の包丁と比べてそんな気がする。この所、出張野宿料理セットケースの中に入れてあるままなので、この際だから家ではいつもの包丁と、同居人の彼女用に買った木屋の3番のペティナイフを当面使ってみよう。木屋のペティナイフは炭素綱のもので3番は此の天野さんの所のものと同じ位の大きさ。木屋のものはそんなには撓らない。研ぎはバリの出方なども研いだ感じも同じ様なもの。そうしたら比較になるでしょう。何れ比較インプレッションも書いてみたい。--`04/12

`03/10/3追記
兎に角色々な道具が作り出されている。

 
群馬や秩父の固い山に対応する山中唐鍬

 

   
   
センに鉞。センは玉鋼の焔鍛え。
 鍛造中のマグロ刀、玉鋼入り。箱の中には玉鋼がゴロゴロと...

なんで手打ち刃物に玉鋼がそんなに使われているかというと手にはいるからと言うことが先ずある。
三代前は水戸藩の刀鍛冶であったのが、こちらに移住したそうだ。それからの流れで
群馬に入る玉鋼は天野鍛冶屋が扱っていたことが有ったような話ではなかったかと思う。
焔鍛えは、その刀鍛冶時代の秘伝だったそうだ。その秘伝も天野鍛冶屋は跡取り
の息子さんが現在修行中だから、連綿と技術が受け継がれていくのであろう。

 これは、講習会を受けないと買えない枝打ち用の諸刃鉈鎌。分厚い。そして通常の峯側にも刃がある。元が袋になっていて、此処に棒を差し込んで使う。パテント商品。林業が盛んだった頃は県内は勿論のこと、日本各地でかなり広まったらしい。

 これは北海道の人が頼んだらしい諸刃の鉈?柄が袋状になっていてロックも付いている。フクロナガサのように棒の先に付けて使うことも出来る。

 

ここからは私が購入したもの。すっげえ金使いましたね。
申し上げておきますが、私はコレクターでもマニアでもありませ〜ん。(^-^;;
ちゃんと使っています???

 これは鉈では無い。アウトドア用包丁。。。図面を書いてこういうのをと言って作って貰った。2本作って、1本は人に上げた。自分の分は身が捻れていたし、また積層になったところが浮いていたので酸で処理しているのか尋ねたけれどご返事は貰えませんでした。
 口金にも玉鋼が入った焔鍛えの材を使って貰うように頼んだら、予想外に良い出来で、とても上品な口金に出来上がった。その代わり、固くて作るのが偉く大変だったそうだ。@45000円で作って貰ったと思う。

 

 こちらは標準の鉈鎌。PATを取っている。400g刃渡り17cm 25000円とかその位でなかったかと思う。
 こちらは鉤の部分に刃を付けて貰った鉈。550g刃渡り17cm 27000円位ではなかったろうか。よく切れるよー。

 作って貰った薄物の包丁は今一満足いかなかったけれど、これら山の道具は文句なし。鞘が皮なのは自分の趣味ではないので何れ篭か木のものを用意したいが、皮の鞘に突っ込んで置いたまま放っておいてもあまり錆が来ない。バフが掛かっていてミラー仕上げのようになっているので錆も出にくい。使った後も掃除がし易いので、このピカピカの仕上げも実用的で良いかも。切った木の処理で枝を払うのにも撫でる様にするだけで良く切れる。また切れ味も落ちず長切れする。刃付けは薄目の蛤だ。高いという人も居ると思うけれど、われわれ素人は買って使ってみなければ解らないし、懐に余裕があったので買ってみた。でも小山師匠には包丁の件で散々言われてしまったけれどね。鋼の材質や鍛造の技術は確かなのは素人にも良く解る。あとはデザインとコストのバランスの点で、趣味的に購入する素人がどう考えるか、これらの道具を日常に使うプロがどう考えるかであろう。あとはアフターケアとかクレーム処理については、企業も鍛冶屋のような個人事業者でも同じであろう。その対応如何に事業者の姿勢考え方が表れる。が、個人事業者はトップが対応するので良くも悪くもその色が濃く出る。自分が知っている鍛冶屋はささやかな数でしかないがその殆どが偏屈だ。そしてそれぞれの話を聞くことが出来れば、みんな深い智慧をもった面白い人ばかりである。

 こちらは小型の剣鉈。手書きのデザインを渡して作って貰ったが、天野アレンジが入っている。なので、裏刃付き。口金も先に作って貰った包丁と同じように焔鍛えの材で作って貰う。220g刃渡り14cm
確か75000円だったかと思う。
 この金額は焔鍛えの玉鋼を入れた刃身と口金に出したつもり。通常この金額帯のナイフだと他の細かい部分の仕上げやデザインクオリティはもっとキッチリとしているが、これも手作りの良さ?味の内か思います。ナイフメーカーじゃなくてあくまでも鍛冶屋ですからね。それも腕の良い鍛冶屋。作れるものの幅が広いのも特長。玉鋼を入れていることから考えると安いと思うのだが。
   


玉鋼と他の鋼を何層にも折り返したもの。焔鍛えという。素人が研いだらイカン!

 `04/10/9追記:大分日にちが経ってしまったが、今更ながら載せておこう。実はその剣鉈の刃をボロボロに欠けさせてしまったので修復した。

 理由はお粗末な内容。スーパーで一切れ150円也のマグロのカマを買ったのだが、使おうと思ったロッヂの10インチのスキレットに入らない。とても出刃では役に立ちそうも無いので鉈で叩き切ろうかと思い立った。色々ある中で綺麗な状態の天野刃物工房の小型の剣鉈が思いついた。他のは所々錆びていたり、形がまな板向きじゃないのでね。
 それで、このカマを一撃! ・・・オリョリョ〜!!!欠けちまったあ〜。では、もう一発。アリャリャア、またまた欠けちまった。腕が悪いので捻っちまったかなあ? じゃあ、おまけにもう一発・・・やっぱり欠けた。で、この様。焦って欠けた破片を探したが、結局見付からない。まあいいや、と危なそうなところは調理せずに美味しく食べてしまった。

 それで、小山師匠に、「今度ベルトグラインダー貸して下さ〜い。かくかくしかじかで・・・」とお願いした。すると、「みんなマグロのカマじゃ良くやるんだよな。」「カマは硬いからな。この間もダチがやっぱり同じ様な事言ってきたところだ。みんな欠けさせているんだわ。」「でも、うちの鉈は平気だぞ。」とさりげなく自慢されてしまった。
 そんなお願いはしてあったのだが、なかなか行く時間がないので自分で手研ぎをする事にした。別に、温度を上げない様にサンダーやグラインダーで削ってしまっても良いんだけれど、、、真面目に砥石に向かう。先ずはキングの粗砥のデカいので擦る。およよ、随分と素直に削れるなあ、、、と思っている内に整形できてしまった。あとは中砥と仕上げ砥で整えてパリパリに切れる様に復旧。勿論、削ったら無くなってしまう焔鍛えの紋様のところは触らない様に刃先だけだ。
 天野鍛冶屋の焔鍛えは玉鋼他数種類の鋼を合わせて鍛えているので硬軟の層が重なりっていて研ぎやすいと言う。詳しくは小学館刊「ニッポン鍛冶屋カタログ」かくまつとむ著か古いラピタを見て欲しいが、仰る通り滅茶苦茶研ぎやすい。これだけ研ぎやすかったら或る程度の欠けでも動力無しで修復できる。後は、研いでいって減った時の切れ味と刃の保ちがどの様に変化するか、またはしないかが楽しみだ。大抵は、薄い刃先には焼きが硬く入ってしまうので、研いで減ってからが本当の切れ味が出てくる事は刃物をよく使う人はよくご存じのお話し。

 


鬼石から向かって万場の商店街に入って直ぐの左側

以上


池田太四郎商店(鍛冶屋)

 

山形県酒田市二番町7-5 tel 0234-22-9986 右の写真の、鋸と一緒に載っている鉤付き鉈(約800g)を作って貰ったところ(送料込みで10500円だった。鉤付きのために鞘無し)。こちらで図面を書いて作って貰った。既製品もあり、片刃の鞘付きの鉈で7000円くらい。

 この鉤付き鉈は、わたくしめが森林組合の下刈りのバイトをやっていたときに、山形の池田太四郎商店さんに頼んで作って貰った両刃の鉈。知り合いが使っていて具合がよいとのことだったので自分も頼んだ。
  片刃の方が切れ味はよいのだが、下刈りの作業時には腕ぐらいの太さの樹は鉈で切ってしまった方が早いので、左右どちらからでも振り下ろせる両刃にした。最初の頃に使っていた片刃の泊鉈(福井か富山のものですよね)は凄く良く切れて、手首くらいの太さの樹であれば一発で切れていたが、この両刃のものだと左右から2回程振り下ろすことになった。

 ただ、この時の下刈りは、急斜面でずるずる落ちていくような所なので、刈り払い機は使えずに、大鎌と鉈と鋸で一日作業するので大変なのだ。その為に、左右どちらからで切りやすいものの方が最終的には楽。また、炭焼き用の木の切り出しをするときには、柴の処理で、下から上から自在に枝を払うので、自分みたいな素人は、片刃だと自在に扱いきれないための両刃である(山の人は、片刃でも使いこなすが)。柄にあまり角度を付けていないのは急斜面で雑木を切り倒す為の使用が多かった為。
 此の鉈は800g強。いままで日に2、3度研いでいたのが、この鉈を使うようになってほとんど日に1度の研ぎで済むようになった。凍てつく真冬なのでこの差は大きい。休み時間には先ず火を熾してお湯を沸かし身体が冷えないようにしてから大鎌と鉈の研ぎを行っていた。下草から蔦類や雑木が密集したところを全部手で持つ刃物で切り開いていくのだから、これら道具類のメンテ次第で効率も違うし、切れない刃物じゃ疲れるし危険度も高まるからかなり真剣に研いでいた。

 こんなところの下刈りをやっていた。どうも10年くらい放っておかれたらしい。東京都の中とはいえ、1月2月は結構寒かったね。雪がちらつくことも多かったし。勿論、積もるようだったら山を下りる。下りて炭焼き用の薪割りしたりした。
 春にお役人の監査が入るということで森林組合に下刈りの依頼が入った様だ。でも、その監査の日、まだ大分残っていたので、やばいんじゃあないのと山の上の方の尾根の脇で作業をしていたら、大挙して来ていたお役人達は残っている尾根の方には登って来ずに、下の方だけ観て帰っていった。ふう〜ん、そういうもんなんだというのが感想。案内していた森林組合の親方の力だね。(^^;;

 鍛冶屋さんに鋼は何かと尋ねると、そんなに良いものは使っていないので教えられないと言う。最初は刃先が変な欠け方をしたが、あとは薄目の蛤にしてあるのにも関わらず調子がよい。ホントに切れ味が落ちない。しかも砥石の乗りがよい。小山氏にこれらのことを話すと、それが鍛冶屋の腕だという。鋼の種類よりも、焼き入れ焼き戻しの技術で差が付く。自分も納得。道具とはこうあるべきなのだろう(下刈りのバイトを止めた後、未だに時々使っているが此の刃が長切れするのに感謝している。直ぐに切れなくなるのでは暇な自分でも面倒くさくなるしね。たまにしか使っていないので、もう何年も研いでいないが、時々倒した木の枝払いなどをした後に確認しているが、刃は相変わらず爪に吸い込む位の切れ味が残っている。`04/12)。

 鉤は自分の腕が悪くて、急斜面だと地面もひっぱたくためのガード。請け負ったところが岩の多い山だったので。。。それからこの鉤は枝とかを引き寄せるのにも便利。また、斜面でちょっと身体のバランスを取るのにも、立木などに引っかけたりするのにも重宝する。そして刃先から鉤に掛けて少し刃が立ち上がっている。ここに細い草の幹を引っかけて鎌のように引くと切れるので便利なのだ。ただ、此の鉈は、軟鉄の部分が少し錆びやすいかな。

 今回は取り敢えず以上でお終い。まだ、他にも載せることがあるので、その内にボチボチと追加予定。

by Recycler `01/2/21記


杉本商店機械部

農林業・建設機械販売修理
山梨県都留郡大野(細野)1892 tel0554-43-1881(代)

ハスクバーナチェンソー・新ダイワチェンソー山梨県/神奈川県総代理店
国産〜輸入品まで各メーカ代理店

 以前、山仕事をよくやっていた頃にはお邪魔していたが、最近ご無沙汰しているので記載するのを忘れていた。でも、知り合い達はみんな相変わらずお世話になっているようだ。ホームセンターには無いモノを扱っているし、自分で出来ない修理やメンテナンスを頼むのには、この近辺に他に見あたらないからだ。
 上記の記載内容は4,5年前に頂いた名刺のものだが、チェンソーはスチルから何からみんな揃っていて、交換部品類からメンテ用品まで置いてある。例えば小型のチェンソーで、バーとチェーンだけを30cmから40cmに交換する事などもあるがそういった対応も可能。
 勿論の事、他の動力機械や専門の機器類は多種扱っているし、行くと修理のチェンソーや刈り払い機が所狭しと並んでいる。山で必用な道具や用品類は殆ど揃っていると言っても良いかも知れない。猪や鹿避けの用品から鋤鍬、刃物類等など。地下足袋はスパイク付きのモノから無しのモノも各メーカーのものが揃っている。着るものやヘルメット、ベルト類用具入れ、木登り用具など上から下まで揃う。また棒類も置いてあるが、自分で交換が出来ない人は折れた鋤鍬などの棒を付け替える事も頼める。

 場所はナビやWeb地図で確認すれば解ると思うが、都留ICから割と近い。道志村へ抜ける峠を上がる途中の右だが、確か看板などはなかったと思う(もしかして新ダイワの看板があったかも)。右に曲がる路地を入った直ぐの橋の手前の両脇だが、下流側がお店。朝は確か8時半頃からだったと思うが、午後はお得意さん回りに出てしまって担当者の人が居なくなってしまうので買い物は午前中の方が良いようだ。【日曜祝日は休み】

 自分がチェンソーを買ったのは此処ではなくて、お名前は失念してしまったが、上野原の甲州街道沿いのホンダの看板が上がった、車、バイク、自転車、チェンソー屋さん。藤野方面から行って上野原の街に入ると左折して上野原ICへ向かう信号があるが、その信号より手前100m強の甲州街道沿い左側。随分とお安くしてくれた。動力機械はお得意なのでメンテ可能。その数軒先、都留方面寄りには刃物類を沢山扱う金物屋さんがある。--`04/12/12追加


`01/11/3追記:最近手に入れた本で、面白く、また為になった自然との共生をテーマにしたものでは、深澤光著“薪割り礼讃”創森社刊\2,318+tax ISBN4-88340-105-7がある。東京生まれの著者は、東京農大の林学科を出て、岩手県庁の林業関連の事務職から現場の業務を経て、現在岩手県林業技術センター森林資源研究員を務めている。著者が火付け役となった薪割りクラブが各地に広がっているという。単に里山を利用するだけに限らず、サスティナブルなものにしていきたいと語り、木を伐ることが環境によい理由や、森に利用圧を掛ける大切さが書かれている。
 森林を放っておくと、大きい木に負けて育たない細い木が、光の取り合いの中で負け枯れていく過程で腐朽し生物的分解が行われる。その時に、燃やすのと同じ二酸化炭素を出すという。また、歳をとった樹は枯れ落ちても萌芽更新しなくなる。これは、自分でも、炭焼きの木を切ったりしに行っていた頃に教わった。若い広葉樹は、切り倒すと切り株から、また新しい芽が出て再生するが、何十年もの老齢の樹になると萌芽更新はしないそうだ。また、樹もある程度老齢になると、発生する酸素よりも二酸化炭素の方が多いらしい。それを森の木を伐採して使用し、林の空間を上手く利用することが、二酸化炭素の吸収になることが国際的常識なっていると著者は言う。日本は放ったらかしの森林資源をそのままで(薬漬けの)外材を輸入して熱帯雨林を破壊する幇助をしているわけだから、先ずやるべき事は山の植生更新でしょう。それには先ず出口を作らないとならないから、事業以外に一般の人が目的をもって楽しみながら出来る山での遊びが一般的になり山が解放されるのが大事だ。
※樹木は、倒壊して腐る事によってメタンガスを出したり炭素質が分解される、また燃える事によって炭素を放出する。だが、此等の自然界での営みが地球の炭素循環に役立っている面も見逃せない。地球温暖化に関して言えば、炭焼きは炭素質を固定するので炭の生産に関しては二酸化炭素放出を抑える事になる。しかし、炭を燃やせば当然の事ながら炭素を放出する。しかしながら炭の利用方法は多岐に亘るのでこの件に関して、地球温暖化への加担についてあまりネガティブに考える必用はないのかも知れないと思うのだが。それよりも、氷河期に向かう地球に於ける寒冷化の助けになると言う話もあるし、もっと太陽系の星の運行や太陽の黒点活動の異常化(単なる変化?)によって温暖化が起こっているという話もある。どの辺りの話が実際に影響を起こしているのかは分からないが、今の様な人工林が多くの面積を占めていたり、または東南アジアや南米の森林が無用に伐採されているのでは、自然界のバランスを人間が崩しているであろう事は明らかであろう。
 さて、同書では、薪でパンやピザを焼く方法や、囲炉裏や暖炉での薪の楽しみ方をはじめ、薪割りの方法や道具の詳しい説明、木の伐る時期、その伐り方から、薪の積み方、乾燥のさせ方などまで、薪に関するあらゆることを網羅している。世界での薪の利用率とか、日本での薪利用の変遷、薪のエネルギー計算などをみると、薪に対する認識を新たにするかも知れない。薪を利用している恵まれた?方々には珍しい話では無いだろうが、我々みたいな人工的環境で育ってきたものには、眼から鱗である。また、如何に日本の都会生活が歪んだものであるか見直す機会になるかも知れない。
 著者は“薪割りセラピー”と題して、項をしたためているが、薪割りをやった方ならご存じのように、薪割りは筋肉だけで出来るものではない。フィジカルな部分は慣れれば難しいものではないが、それよりも、集中しながらも頭の中を空にして、無心で斧を真っ直ぐ芯(木の割れやすい目に向かって)に振り下ろせるかどうかが問題だ。これは、都会生活に於いて、より強くなってしまう左脳的意識から抜けだし、全脳的な、また各細胞、神経を統合した上で行う全身運動なので、人によってはとても難しい。力みや想いが入ってしまって、美しい動きが出来ない。薪割りは、ある意味、禅的な行為である。禅と言っても、座るものもあれば、動きの中で行われる動禅がある。ダイナミックメディテーションという洒落た言い方もできる。
 薪割りをしながら、セラピーになり、またその薪で、火を熾し、火を見つめたり、料理をしたりして家族や仲間で楽しむことが、そのまま森林の保全にもなるという、この薪割りクラブの意図は、素晴らしいところを突いていて、わたしも大賛成である。そして、今の人工的生活に染まっている都会生活者のバランスをとるのには最適だと考えられる。いや、それ以上に、無駄にエネルギーを使用し、地球の資源を食い潰す比重の高い都会生活者には義務なのではないかと考えてしまう。
 みんなでやりましょう、薪割り。

`01/11/11追記:此のページに関係するものでは、雑誌ナイフマガジンの記事、“鉈と小刀”日本民族ナイフ考 関根秀樹構成が面白い。`01/12月号では、もう既に第六回の関東編に進んでいるが、各地の鉈の違いが良く解る内容の濃い記事なので勉強になる。小刀についての記事も、日本の文化について良く解る。最近になって、こういう見識を持った有名な方々の文章を読ませて頂いて思うのは、此処数年でわたしが聞いて教わった鍛冶屋の親父さん方の話しや、農や山に関わる無名の野の人達が自分達の育ってきた文化を背景にして行ってきたこととを聞いても、みな同じ事を言っているので、改めて日本の文化に於ける鍛冶屋の重要性を認識し、一昔前では当たり前の技術であり、社会全般に浸透していた文化であったことを今頃理解する次第である。
 足りないおつむで書いているサイトの各鍛冶屋関係のページだが、自分なりに辿っている道が、強ち間違いでもなく、書いた内容は所々勘違いはあっても、大筋は当たっていることを、ご高名な方々の書き物を拝見して再確認させていただき喜んでいる。地球の資源を食い潰す消費サイクルに乗せられ、プラスティックでパッキングされた酸化食物ばかり買っているようなマインドコントロールされた人達には、包丁さえも必要ないかも知れないが、自然と共に人間らしく生きようと思ったら、どういう形にせよ刃物は必要である。そして、その道具は、自分の使いやすいものがよい。その道具を、出来合いのものを使って、もてる機能がそんなものだと思って工夫せずに思考が留まっている人は、自分で何かを創り出すような創造的意識でなく、すでにマインドコントロール下の受け身的意識に陥っていると言え無くはないだろう。
 道具は多様な文化の一端である。鍛冶屋は、自分達の道具は自分で作る。鍛冶屋には、職人が自分達の使う道具を頼みに来る。農、林、漁何れも、鍛冶屋の作るものは必要であるし、自身で自然に関わるなんらかの行為をしようと思ったら鍛冶屋の作る道具は必要になる。より洗練された作業をしたり、技術を高めようと思ったら、よりよい道具が必要になる。工夫には、道具が必要であり、そしてその道具作りを伴う。
 良い道具を手にしてみないと、いま自分が使っている道具が、どれだけのものか解らない。道具は使いこなさなければ、その価値も解らない。文化レベルが低くなり、民度が低くなっているのは、こういった道具の存在によって解る。また、身の回りの物には電子制御製品が多く、これは一見便利そうだが、実は痒いところには手が届かないような機能しか持っていない。しかも壊れやすく修理不可能な製品が多い日本のマーケット。消費者が買うからメーカーが作る訳であり、そんな受け身で与えられることばかりに興味がある人間には、不便で不経済なマスプロダクションの製品であっても充分なのであろう。しかし、こういった質の低下は、社会の在り方に如実にあらわれている。それで、直ぐに使えなくなるから新しいものが売れる。それをテクノロジーの進化と言うなら、目先だけしか見えない哲学も理念もない自己満足的な意識であり、それは破滅へ向かう“力へ依存”した盲目の行為に他ならない。何処かで転換しないことには時代の徒花に終わりそうだ。
 指先は脳に直結している。簡単便利は、脳味噌のしわを少なくしていることにはならないのだろうか。使わなければニューロンは不活発になり、シナプスは錆び付く。えっ?わたしの頭は錆び付いているわけではなく、もとからシナプスが少ないのだ。で、何時も全開。それでこの程度。。。(;_;)
 CPU付き機械が自動化を促し、益々人手は要らなくなる。それでは創意工夫のない使えないロボット人間に出す仕事も少なくなる。受け身で仕事をする人間には世の中益々辛い状況だ。受け身でいれば、自分の得意なことが何なのか、自分自身でも理解できないから、自己存在の確認が取れなくなり、精神的にも粗くなりかねない。悪循環だ。
 斯くして、ますます世の中、仕事の質、人間の在り方のクオリティは下がり、道具も画一化されてくる。自分に合った道具を造り出すのではなく、マスプロダクションとメディアが与えるものを如何に手に入れるかが目標となり、その限られた範囲で満足し、自分自身の創造力を使うこともなく人生を費やしていく。遊びだってそうだ。他人が行っている遊びを真似して、同じ道具を手に入れ同様の行為を繰り返す。多くの都会生活者がそういった状態に堕している。単なる消費者でしかない存在。精神的に隷属状態の、その存在は、何の役に立っているのだろうか。日本人は、他国の、、、地球の、、、限りある資源を食い潰し続けることを何時まで続けるのだろう。
 そこから抜け出すには、根本的には生き様を変えるしかない。先ず、日本は自国の森林資源の有効な活用方法を確立していくことが大事であるし、食糧自給率を上げるための法的改正も必要である。やりたい人間は増えているし、生き方が変わってきた人も多い。そういう人達のためには、個々人にあったそれぞれのユニークな道具を作る鍛冶屋は絶対に必要だと思う。以上


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・【番外編】にわか鍛冶ワークショップ
・【更に番外編】フイゴで炭を熾し、炭焼きバーベキュー

・ある日の小山製作所`01/2
・手打ち鉈他、造林用の良い道具類を手に入れる`01/2---刃物は使ってなんぼ。使わなければ良さは解らない
・フイゴに呼ばれて`01/2---鍛冶の神に見込まれてしまったのだろうか。欲しかった鞴の上物が格安で!
・中古道具屋・砥石屋さん巡り`01/3---少ない投資で充実した設備。新品? 要らんやろう。。。丹念に探せば出物があるある
・火造り遊び`01/6---長野からMちゃんが鍛造ナイフを造りに来た。オイ、止せよ、アブねえなあ。ナイフ振り回すな.....って。(^^;;
・新しく出来たナイフの仕上がりを調べるために、自分の指で試したバカな奴の話。恥ずかしいので知り合いだけにと思っていたけれど、此の切った指の修理方法は結構有効なことが経時変化で解ったので、敢えて恥を忍んで公開。やっぱり、切り傷にはアロンアルファでしょ!--`01/11/14
・東京マタギ深瀬工房製ナイフ、山包丁:まいどお世話になっている深瀬校長のナイフの紹介ページを作ってしまった。沢屋さんにはピッタリよ。
・刀鍛冶のところにお邪魔してきた'02/秋
・特別貴重刀剣認定書付き、太刀姿日本刀譲ります:日刀保の認定書付き、博物館クラスのもの“備後國住正正”。知人に依頼されたものをWebサイトにもアップします。ご縁のある方に。`03/7/5
・家にある道具で口金を火造り?---古く使い込んでボロボロになった鉈や鎌も、柄と口金を新しくすれば元通りに活躍できる。その口金を作るには?
・CT110ハンターカブのその後---整備と部品交換。たかがCT、されどCT。足(たる)を知れと言われても...
『ハンターカブCT110が我が家に!』---CTがやってきた経緯
・新規格以前の四駆軽トラのお薦め---其の一。身も心も軽く、農的生活には四駆軽トラ。良い“足”を手に入れる。って、ちょっと一般的でない角度からの道具としての四駆軽トラの見方。なんでそんなページまで作るかなぁ・・・`04/12/3
・新規格以前の四駆軽トラのお薦め---其の二 ---スピリチュアル軽トラ-ライフ。良い“足”を手に入れたら---`05/1
・良い“箕”を手に入れる?---を追加。昭和28年より前の箕をリサイクル屋さんで手に入れたのだが、もしかして漂白の民と言われるサンカの人達の作ったもの!と期待したのだけれど。。。「手打ち鉈他、造林用の良い道具類を手に入れる」の追加記事内の続編--`04/10/9
・肥後の守の使い易い点?---家の近所の金物屋さんに寄ったら肥後の守で竹とんぼを作っていた。切り出し小刀などより意外と使い易い肥後の守の形状とは???って、大したことではないのだけど取り敢えず書いてみました。(^-^;;--`04/12/5
・東京マタギ、ナイフメーキング教室?`06/3:熱可塑性樹脂カイデックスを使ったシース(鞘)作り& 山菜キノコ採り教室の風景
・小さいけれど本物。ミニ沼田鉈「鍛冶屋の誇りが籠もっている鉈?」`06/8---“趣味のミニ鉈”とは書いてありますけれど
・東京マタギ深瀬教室の仲間とのキノコ&蕎麦の会 `07/11/20---裏々キノコ教室:性格悪い奴はキノコ採れない伝説。楽しい仲間とのキノコ採りの風景と、少しばかり美味しく出来るようになった蕎麦打ちのプチ自慢。性格悪い奴ほど能書きが多い!!!って、、、誰のこと?
・CT110ハンターカブのその後---整備と部品交換。たかがCT、されどCT。足(たる)を知れと言われても...
・新規格以前の四駆軽トラのお薦め---其の二 ---スピリチュアル軽トラ-ライフ。良い“足”を手に入れたら---`05/1
・“山仕事の道具と技術、智慧は、自給と自衛の基本”(社)全国林業改良普及協会刊 森と暮らすNo.2「ノウハウ図解山仕事の道具」(`08/6/10発行)のお薦め-----自給自足、半農半X、田舎暮らし、農的生活指向の方々に必須? 自然と共に暮らそうと思ったら山と木々があってこそ。本書は、山主や林家向けの入門編の本だが、山の作業と道具に関わることから安全管理まで全てを網羅している。当サイト管理やも、鍛冶屋の智慧や、道具類の修理修復、熱可塑性樹脂カイデックスを使った鉈や道具類の鞘(シース)作りのページを70頁ほど書かせて貰った。実践的な智慧が籠もった本なのでお薦めする。---`08/6/11
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