良いお道具を手に入れる`01/2---追補(2)

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・手打ち鉈他、造林用の良い道具類を手に入れる追補(1)

【Web上で買って得するものの概要】
・誰もが知っている名の通ったマスプロダクション製品を業者同士で競争して安値を提示している場合
・同様だが、新機種が出て型落ちになったものを捨て値で出している場合
・オークションでゲットしたもので、出品者が誠意ある人に当たった運がよい場合
・業者がいい人で、その人と個人的に親しくなって、表に出ていない情報やモノを安く出してくれた場合
わたしはそんなに買い物通ではないので思い浮かぶことは以上だが、ネガティブな面としては、
・Web上で商売している業者が営業を止めてしまって保証を受けられない
・現物を見ていないので、来たらイメイジ通りでなかった:これは業者が悪い場合もあるし、ユーザー側が観る目がなかった場合もある
・騙された
 などが考えられる。保証の件は大メーカの製品で有ればメーカ側が対応してくれるだろうから心配ないが、それ以外のモノだったらリスク覚悟で購入した方が間違いないことになる。オークションは結構痛い目に遭っている人が多いから、それ自体が楽しめる位の余裕が無いのだったらやらない方が賢いと思う。わたしは心が狭い人間なのでオークションには手を出さない。
 また自分がやっているWeb上の商売は、誰でもがやる(やれる?)仕事では無く他と差別化出来る仕事のみやっている。安売りはしないが、お客さんが喜んでくれる程度には安くする場合もある。また喜んでお金を出してくださるようにノウハウ付きで販売している(余計なお世話?)。そして責任持って対応しているので、お客さんとは長い付き合いになる人が多いし、また友達になってしまう人達もいる。だから価格は単に安ければ良いというものではないし、また安さだけが勝負のジャンクな商売しか出来ない人だったら、最初から神経と体力をすり減らす戦いを行うつもりで仕事に臨むべきである。それはそれでそういうマーケットがあるが、自分はどういう人達とどの様に関わりたいかで商売のやり方を工夫することが大事であると考える。自分は業者とユーザ側とが互いに育て合える仕事が出来ればと望んでいる。
 地元での商売と考えると鍋屋さんみたいな立場は、割と良いように見える。安売りモノばかりではホームセンターなどと直接当たってしまうけれど、質の高いモノを数多く揃え、ノウハウとメンテナンス付きで販売したなら必ず客は付く。主の親父さんは可なりの年輩ではあるがノートPCでWebを検索して自分の趣味に活かしている。そういう意味では現代に於いてもバランス感覚が良いのであろう。なんでも興味を持って探求する心が商売を活性化する原動力になっているのかも知れない。


 随分と昔から、これからは質と多様化の時代と言われていたが、実際にそうなりつつあると見える。大企業でも個人商店でも創意工夫と誠意、責任感などが更に求められる時代の質になってきた。これは当たり前のことが遂行されていなかったということになるのだが、多くの人が情報を短時間に共有出来るようになって、ネガティブなことは直ぐにあからさまに陽の下に引っ張り出されることになる。荒れて堕ちていくマーケットもあるが、(人間も製品も)質の向上なくして存在し得ないマーケットもある。そうやって一時期失ってしまった精神や伝統を再構築していく時代になっていく感が強い。その意味で、地元で身近にある鍋屋さんはいいサンプルだと考えている。また各地の鍛冶屋さん達が今後どの様な活動をして行くか、自然の再認識と再構築を図ろうとしている人達がどの様に意識転換をして行動を変えていくか興味深いものがある。
 文化や伝統を捨ててしまったような日本が如何に再生して質の高いものに変化出来るかどうかは、テクノロジーや物理的豊かさではなくて、必用のないものは自制してノーサンキューと言える誇り高い姿勢と共に、大自然からのメッセージを受け取れる感受性の豊かさを伸ばすことが出来るかどうかも大事だろう。具体的には苦しくても自然のバランスを崩すような仕事に携わることを我慢したり、便利だからといって他に道があるのにも関わらず無駄に資源を消費するようなモノを買うことを控えたり、自分自身で生き方を選び自分の人生の主人公であれるように自己を高め、他者や社会に責任を転嫁しない当たり前の責任有る行動を取れるかどうか、それら人生の基本的で地道な部分に掛かっているのではないだろうか。
 そういうことを再認識し気づき変化を起こしている人達は増えているようにも思えるが、それが有るレベルを超えた時に社会はガラッと変革するのだろう。勝ち組み負け組みとという皮相的な言葉がもて囃されているが、質の伴わない生活に本当の幸せはない。脅かされて行動しても結果がよいことはない。其れよりも物質的なモノを全て失ったとしても、其処から立ち上がれる力を付けていくことを常にシュミレーションしてみればよい。先ずは最悪の状態を受け入れる心に成れれば、後は生み出していくだけだから気持ちも軽くなるしイメイジも湧き上がってくる、そうすれば智慧や出会いも授かるものなのだ(運がよい状態)。自分がしがみついているものを手放すことが出来るかどうかが、人生に変革を起こす分岐点でもある。

 欲を強く持っているとジャンクな情報に波長が合うものだ。ディジタル情報が飛び交うWeb上でも、出会いや情報も最終的には自分に合ったものしか拾えない。世界を拡げるのも狭めるのも自分の心の在り方、意識の持ち方、行動の仕方次第である。自分自分とエゴの観点からモノを観ているだけでは世間が狭くて当たり前だ。他人の視点で物事を見て、相手の気持ちを思い量り、社長や一国の首相の立場で考え、地球の気持ちになる。自分より立場の上、大きな存在の意識に焦点を合わすことで、巨視的多元的な意識に拡大出来る可能性は高い。
 仏教では入我我入観という。仏の身口意と自分の身口意の波長を合わせていくのである。我が身が対象とする仏と同等になれるように、身体を浄め、話す内容を高め、意識をも仏と同等になれるようにヴァイブレーションを高めていく。其処に初めて高い智慧が宿るのであるから、自分にしがみついて何も捨てられない者には現状のままの生活か、更には社会に翻弄されたもっとご苦労な状況が次から次へと降りかかってくる可能性が高い。今の時代は東洋でも西洋でもはたまた他の民族の伝承に於いても大変革の時とされている。星の運行からみても大変動が起きても不思議ではない時期に入っている。魂が篩に掛けられる掛けられる時代と云われている時代だし、実際その様な現象が続出している。それでも幸せに暮らしている人達も多い。

 こういう時代は、自分自身の心の在り方、感情の在り方がそのまま現実となってフィードバックされる。昔から因果応報とか、孫子の代まで祟るなどと云ったが、今のタイムスパンの短いレスポンスの滅茶苦茶早い時代には、自分の行いや感情の使い方、意識の在り方が即自分自身に返ってくる。だから自分自身の内部的な部分を浄めて高めていかないと、一時的には良くても何か心得違いをすると直ぐに堕ちてしまうような事が起きる(運が悪い状態)。宗教じゃないと学べない人達はやってもいいけれど、そんなことをしなくたって自分自身の中の折り合いを付け(自分自身を騙さないということ)、畏れを持って且つ素直に生きている人達は真っ直ぐな道を歩んでいるし、今の社会現象からでも幾らでも学べる。。。
 ウーン、、、ポケットナイフを二つ買ったくらいで此処まで能書きをコケるなんて、なんていう能書きコキ麻呂だ。これは才能だね...なんちって・・・全然関係ない話まで書いてしまってスミマセ〜ン。(^^;; この頁の構成はグチャグチャや。


【良い道具を手に入れる為のコミュニケーション方法】
 良い道具を手に入れようと思ったら、その形になった理由とか使用方法、そして実際の使い勝手などの客観的な意見が欲しい。今はWebサイトの情報データベースが豊富になったから簡単に検索は出来るが、相手がどんな方でどういうレベルの人かは良く解らないし、商売人は良いことだけ書きたがる。“自分にとって本当に必用な”ものを必要以上の学習費用を払わずに手に入れる為には、左脳的な情報のみではちょっと無理があるだろう。良いご縁を結ぶには違う次元のエネルギーの遣り取りが必用なのである(勿論、一般的に知られているマスプロダクションの製品を、数ある販売者の中から安い業者を探して買うなどと言う簡単な話について書いているのではないことはご理解頂いていると思うが...)。

 人とのコミュニケーションを深くとろうと思ったら、やはり声のトーンだけでなく、相手の眼を観ることは必用である。以前、企業研究所や大学の研究室相手の計測システムインテグレーションの仕事をやっていたが、そのお客さん達の中には人間の機能を研究する人達がかなり多かった。NTT、NHK、KDDI、ATRなどのヒューマンインターフェースの研究者達だ。その中での一分野、音声解析・合成などの研究ももっと早く実用化されるかと思っていたが、多少実用レベルでは進んだものの、根本的な技術としては20年来大革新があったわけではなく、やっていることは昔から同じということだ。その分野で世界の最先端だったアメリカのベル研ももう研究レベルでは手詰まりとなって解散してしまった。その当時のお客さんの中には未だに個人的にお付き合いのある人も居るので最近の話を聞けば、基礎研究レベルではもうやることがなく大方の所で研究は終わってしまっており、もう昔のような勢いや“夢”はない。あとは、実用化の為のハードウェアの進歩とコストバランス、そして実作業の時間の問題だそうだ。

 その仕事をやっていた当時、いろいろな研究者の人達から興味深い話が聞けたが、その中で印象的だったのは、通信情報で幾ら正確な音(音声)や画像をもって相手に自分の意図を伝えようと思っても100%正確に伝えるのは不可能に近いし、それどころか幾らやっても間違う人は間違って受け止めるという話だ。これは、精神的な分野からの見方をすれば当たり前の話で、例え血が繋がっていようが、愛し合っていようが、隣り合わせにいて同じ出来事を経験したとしても人それぞれの意識パターンで現実の認識は異なる。潜在意識の部分でのその人のフィルターが異なるので情報と記憶にバイアスが掛かってしまう。
 この世は、それぞれの様々な意図を持った(本人が気づく気づかないは別として)人間の絡み合いだから、情報が原形を留めて正確な形で伝わっていくことはなく、それぞれの視点や価値観に於いて変形させられるものということを前提に受け止めていった方が実用的であろう。

 なので、これらWeb上の情報はあくまでも参考にして、最終的には自分自身の直感や身体意識に導かれることを大事にした方がよい。またそれらを高度に機能させるような方向に自分自身を鍛えた方がよいだろうと思う。その上でのWebの情報活用であるから、美しい画像や言葉の羅列の行間から裏の意図を見抜く力のスキルアップが欠かせない。もちろん素直に受け止めて良いものも多いのでそれはそれとして、利害関係がある場合や人生にとって大事な選択をする時には直接相手に会って眼を観ながら話を聞き、雰囲気やオーラを感じ取ることは何にも勝る方法だと思うが如何か。

 Webをブラウズしていても、詐欺師とは行かないまでも、根本的に自己拡張の為の欲が強い人が、美しく素晴らしい表現でメッセージをアピールしている場合も間々ある。それが力が無い人だったらまだ良いかも知れないが、社会的にも知られている人だったりしたり、また著名人の名前を使いながら権威付けしていたりする。そういった情報に触れる場合、自分自身の欲が強かったり、頼る気持ちが強いと、こういった人達の所へ惹き付けられていくひとも多いんだろうなと思う(実際にそういう話がある)。
 また、金銭的なことが絡まない様な精神的なことや神様の次元に関わることでも、そういった能力があると思われる人が神懸かり的な言い回しでメッセージを書き、その世界では一般的に知られている知識や高次のメッセージなどを、如何にも自分が見付けた様な言い回しで神の使いとしてのスタンスで“自分の言葉”の如く断定的に言い切っている。これは、この世界で言われる、“エゴの肥大化”、“魂のインフレーション”という低次の自我に乗っ取られた状態と思われるが、こういった低レベルのカリスマ候補生はかなりの数で見受けられる。こういう人達の中には動物的超能力がある人もいるので、我々には分からない感覚で、問題点や未来などを言い当てたりする。が、最終的にはそのメッセージが互いの成長への道筋を付けるものなのか、それともそのカリスマ候補生の物理的利益、精神的満足を満たす為なのかが信憑性への分かれ道ではないだろうか(自分の周りにも少しは名の知れた人達が結構居るので、此の精神の発達過程の様相をみせてくれたりする。ありがたやありがたや...)。
 何か話がかなり横道に逸れている様に思われるかも知れないが、良い道具、自分にとって(大きな流れの上で)必要な情報を見極める為の視点や感覚を確認するという意味合いで書いてみた。

 さて、道具に関して自分もいろいろ書いているが、これは素人からみたレベルのものであって(そう書いてあるからご理解頂いているとは思うが)、実際に職人さん達が使った場合にはもっと違う話があるのは当然である。ただ、どんどん消滅している日本特有の優れた文化を惜しく思う気持ちと、(有る面操作された?)高度成長経済によって空白になってしまった時間を繋ぐお手伝いがささやかでも出来ればという思いで書いている。些少ではあるが十何年先端分野に関わって、有る面テクノロジーの進歩の凄さは実感するものの、関わる人の意識の在り方に根本的な欠落を感じてきた。そのテクノロジーに頼り、なんでも解決出来ると考える所謂頭の良いという人達の精神性も観てきた。自分が認識する現実では、これらがどう考えても砂上の楼閣、地に足が着かないものにしか見えない(勿論、その様な人ばかりではなく地に足が着いた人達も多いが、全体としては今すぐ補正が必用な程歪んでしまっていると思う。これは日本全体が政治経済的にコントロールされる側に立ってしまっていることと、それを受け入れてしまう我々庶民の自己責任自己確立の意識の薄さによる精神性からだけど)。

 インターネットでこのページを観て頂いているわけだが、そういうオマエだってそのテクノロジーを享受しているだろうといわれるのも解る。だが、これら通信と云われるものは、人間が本来持っている超能力的(精妙なレベルの次元での機能)なものを物理次元に現実化しているだけである。人間の持っている能力は、通信ハードウェアがなければ、違う次元の精妙な能力で実現していたのである。つまりテレパシーに取って代わったのが通信であり(昔、読んだカヌーイストの野田氏の本に、確かアラスカのユーコン川を下っているときの話だと思うが、川沿いの部落に着くと、オマエが来るのを待っていたと言われることがあったそうだ。上流の人間から野田氏が来ることを伝えられていたのだが、通信手段を持たないインディアン?イヌイット?がなんでそんなことが分かるかというと、インディアン・テレグラフといってテレパシックな手段で情報伝達するのだそうだ)、これはそういう能力の無い人間が重宝していることと、また欲と権力が絡み合う粗い力の世界に於いて、様々な情報操作によって他人をコントロールし、それによって自己の利益を生み出そうとしている種類の人間達である。

 大したことのない自分の例で恐縮だが、今から35年近く前、アメリカ西海岸のオレンジカウンティで、MTBの原型が作られ山で遊びはじめていた当時、そんなこと知らなかった中学生の自分も貧乏ながら工夫して今のMTBと大して変わらないモノを作り、モトクロス場でジャンプしたりドリフトしたりして遊び、ダウンヒルや崖の登り降りを楽しんでいた。また今最新のショックアブソーバ付きのものも同じイメイジをしていたし、テクニックも(出来るか出来ないかは別として)同様のことが頭にあった。ただ、実行力と資金もなく、その立場でも無かったのでMTBを事業的に作ることはなかった。しかし、このささやかな事例からも遠く離れていても意識伝達は為されるということが実感出来る(そしてそれは受信だけでなく発信に関しても同様で、生命体の意識の深くは繋がり共振ししている)。
 その後、こういった経験だけでなく、日常の中での他人との出会いやコミュニケーションでテレパシーやシンクロニシティを実感しながら、またその恩恵を受けながら日々を生きていると、根幹にはこういった次元の世界を認め受け入れること、そして自分の中での意味ある流れに乗って生きていくことが大事で、それを無視していると、無用な摩擦とストレスと無駄の中で“誤努力”を繰り返しながら、あたら人生の大事な時間を費やしてしまうことになってしまうことを感じる。だが、この様な精妙な次元の流れに乗って、テレパシックに地球と共に生きている人達もかなり多いことを最近はよく実感する。
 自分はインターネットでの仕事が生業なので(個人サイトは手抜きなものですからチャッチくてスミマセン)、充分その恩恵は受けているが(研究所相手の時も電子メイルが使えるようになってから飛躍的に楽になりましたからね)、あくまでも道具であることを頭の隅に置いておくことが大事であろう。自分が発信する側にとってはこの上もなく便利であるし利益率も高いが、これに人生の全て掛けるわけにはいかない。道具はあくまでも道具。その上、自然との調和が無い道具は何時まで保つか分からない。上手くつき合っていくのが賢いだろう。

 だけれども、このページで紹介している様な自然との関わりの中で工夫され残ってきた道具は、智慧と伝統と更には誇りをもって生み出されている。先端分野でよくみられる、個人のエゴから生まれた小さなプライドや知識から生み出されたものではなく、深い人類共有の地球と関わっていく為の智慧の積み重ねである。其処には自然の声を聞こうとする、相手の要求を感じ取ろうとする拡大された柔らかな意識と心がある。目先の利益や自分の欲のみを満足させる為のものではない先人のメッセージが詰まっている道具。それらを使えるようになりたいと思う。
 気づいた人達は地に足が着いた生き方をしているし自分もそれに倣いたいと考える。で、道具好きなので、先ずは此処から・・・(^-^;;

以上


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・【番外編】にわか鍛冶ワークショップ
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