2008/7/吉日:by H.T@凡梵庵
8/23:Last updated

ぎょうじゃにんにくぎょうざはどうじゃ?の巻

騙された渓、メタボリック沢登り

(メタボ・ポッターの大冒険)

 沢には汚されていない原初の美しい風景があり、そして美味しいものが沢山ある。天気にも恵まれ、楽しい仲間たちと行けば、それは天国さ。そう、道さえ平らならね。沢は良いのよ、岩有り崖有りゴーロありでも。それが良くて行くんだから。でも、アプローチや帰りの道は歩きやすいところの方が良いね・・・
 それにしても荷物重てぇなあ。一泊なのになんでこんな荷物背負ってるんだろ。足下が良きゃいいけど、ちょっと滑ったら滑落だぜ。俺等なんか勘違いしていないかなー。アッ!あぶねえっ、ポッタ落ちた〜! ぽったん.......


☆関係者各位:皆様お世話になりました!!!☆
 みなさーん。美味しくて楽しい沢でした。ありがとうございます。ナオさん、声を掛けてくれてありがと〜! 今回一緒に行けなかった方も此のアルバムで楽しんで下さ〜い。一緒に行った楽しい仲間達も、このページを観て思いだし、二度楽しんで下さい。
 もし、ブラウズされる良い子の皆さんが居られたらけっして真似をしないようにして下さいね。おじさん達、もしかしたら勘違いしているかも知れませんからね〜。内々で楽しむためと、自己満足で作ったページだけど、こんなメタボな沢屋も居るんだと楽しんで貰えるならばそれも幸甚。でも、ちょっと羨ましいでしょ(って、やっぱり自慢したいんだわ。幾つになってもガキだね)。楽しい仲間と旨いもん作って食べるっていうのは、ほんと幸せね。美味しい食べ物って人を幸せにしてくれますよね〜!!!


【道は平らだから・・・】
 『Hちゃん、こんどS川行くけど、迎えに行くから一緒に行かない?』、5月にナオさんから電話を貰った。沢登りなんて、この5年間に一度も行っていないんだわたくしめは。深瀬教室のキノコ採り講習会のときに少しは山の中を歩いて居るが、日頃の山歩きは近所の標高400m!程度のところを藪漕ぎしているくらいのハイカー程度だ。歳食ってから結婚なんてしちまった日には何故か生活に流されているもので、日頃の不養生なのか、キノコを探して山の斜面を徘徊するだけでゼーゼーするようなレベルだ。

 そんな軟弱ものになったわたしに、『山道3時間半くらい歩いて、それからガレ場を1時間くらい下るけどね。沢は30分くらい歩いてテン場に着くから、荷物置いて、そこから1時間ちょっとでぎょうじゃにんにくがあるところまで行けるし。魚釣りも出来るよ。60Lザック持っているよね。』、『みんな行くからさー、Hちゃん、釣りやるんでしょ?』、とナオさんが電話で畳み掛ける。

 「いや〜、行きたいけど、春からずーっと体調が悪くて、とても体力無いし。」、「其れに歯槽膿漏で歯茎が痛くてろくに食べられないんですよ。この所、豆腐ばかり食べてるし。」、とわたし。

 『関係ないよ、歯槽膿漏なんか。平気平気!!』、と全然相手にしないナオさん。

 「体重10kg以上痩せちゃって、今でも元に戻っていないから、重たい荷物背負って歩けないし。」、と、現実的に考えて及び腰のわたし。

 『平気だって!道平らだし。ゆっくり行けばいいんだから。一本道だから後から来たっていいし。行こうよ!』、『家の前まで迎えに行くからさ〜!!』、と更に強く誘ってくれるナオさん。

 ナオさんがそんなに言ってくれるんだったら、「それじゃあ行こうかな〜。お願いします。」、ということで腹を決めたわたしだった。

 メンバーは昨年の秋に仲間に入れて貰いキノコ&蕎麦の会の時にご一緒したいつもの深瀬教室の方々だというので、久々に会うのが楽しみということもあった。半年ぶりになるのかな。ナオさんミキさん夫妻にアオちゃん、A本さんとM井嬢、まいど愛知から参加するポッターに、それからM屋さんとわたしというメンバーだそうだ。キノコ大好きS井御大は家のお手伝いでやらなければならないことが有るから不参加なんだそうだ。深瀬校長は講習会があるはずだから声を掛けていないらしい。

 メンバー全員、沢屋だけど、食べることが好きなもんで、山菜キノコ採り、イワナ釣り(女性陣は食べる方)にもご執心。今シーズンは既に、山菜採りの講習会にY県やN県に東京マタギ(「深瀬信夫のアウトドア教室」)の深瀬氏と一緒に行っている。わたしも、本当は其の両方ともご一緒するはずだったのだが、体調もそして懐も調子が悪かったので行けなかった。それで心配したのかナオさんが、家まで迎えに来るからと誘ってくれたのだろう。みんな優しいねぇい。いい人達だねー。
 ということで、激流を徒渉し、岩を飛び移り、滝を登攀する様な沢登りじゃなくて、沢に行って美味しいものを採り、それをメインに宴会をすることが目的のメタボな沢行き計画らしい。

 

 そして、あっと言う間に当日になり、その日、日中はバタバタしていたので、やっと夜になってから道具類を引っぱり出して荷物の整理を始める。ザックは80Lにしようか60Lにしようか一瞬悩んだが、ザック背負っての沢歩きが短いというので、ちょっと重たいけどパッキングと出し入れが楽な、下部にファスナーがある縦走用の80Lにした。
 あれっ?こんな大きなザックを担いで長時間歩いた事なんて有ったっけ? ・・・そう言えば、無いわ。東京マタギの山菜やキノコ採り教室に行くときに電車に乗って深瀬氏の家に集合するときだけしか使ったことがない。ザックも何時買ったのだか覚えていないくらい昔のミレーのザックだ。
 そう、わたしは道具から入るタイプなのだ。きっと当時は山奥を歩き回るつもりだったんだろう。イメイジ力だけは人一倍あるけれど、体力と根性は無いんだよね。

 ま、いいや。“道は平らだ”と言うし、ゆっくり行けば合流できるだろう。沢は歩くだけというので、ハーネスも登攀具もザイルも持って行かなくて良いというからパッキングも気楽だ。その代わり、調理器具はちゃんと持っていく。バーナーのボンベも大きいのを持ったし、片手中華フライパンもチタンの尺ものとチタンのお玉も持つ。
 あとはリサイクル屋で見付けた、山用の厚手アルミの折りたたみフライパン。テフロンコーティングもしっかりしている。アルミだけど可成り厚手なので蓄熱も多少良い。これで50円。へっへっへ。他にも、近所のリサイクル屋ではチタンのフライパン27cm(以前ハンズで1万円位リサイクル屋で安く手に入れた話しはこちらのページ)を100円で手に入れている。

 それから皿代わりのチタンのフライパン(右写真:チタン製のフライパンやコッフェル類の特性や重量はこちらのページ)も持つ。これは取っ手がついているので、山で食べるときには使いやすいのだ。料理を作って、みんなで回し食いする時には便利だし、特に酔っぱい相手だと落としてしまう事故対策にもなる。258gだから、“道は平らだ”、とナオさんが言っているし、大した重さじゃないのでこれも入れちゃおう。あとは、コッフェルセットとまな板とペティナイフね。その他は調味料類だ。
 大体、大勢で沢に宴会?に行くなんてのは初めてだから、道具立てが良く解らない。協同装備のタープはわたしが持てば良いらしいけど、あとは決めてないから、適当に必要そうなものを放り込む。鋸に五寸鉈。遊び道具の釣り竿はルアー用と餌釣り用。餌釣り用は3.5mで固定できるのでテンカラにも使える。あとはそれぞれのタックルを、って、、、へー! ルアーと餌釣りとテンカラ全部やる気なのか?
 だって、ナオさんが、“道は平らだ”と言っているから、多少重くても、そして病み上がりでフラフラしていても平気だろうと高を括った、いや肝(はら)を括った。

告知:皆さんにお伝えするのも忘れていたんだけど、深瀬校長の雑誌記事についてお知らせ。今度は、`08/7/15日発売の、山と渓谷8月号「沢旅へのいざない」の記事の中、「渓谷での生活術」として「焚き火」と「沢での料理」、「 ゴルジュ突破用の秘密兵器:写真下」を掲載予定だそうです。
 焚き火は、雨中での焚き火や飯炊きのポイント、後始末などについて。料理は沢ならではの現地調達の料理。

 そして、両側が切り立った岩壁の底に流れる渓谷(ゴルジュ)を泳いで遡るための道具についての記事になる様子。
 ま、皆様方に於かれましては既にご存じの内容かと存じますが、大深沢行かないで原稿書きして居られたらしいのでお伝えします。

 あとはつまみと酒だな。前夜と本チャン用の二日分だ。山菜は時期的にも地域的にも無いらしいので、ぎょうじゃにんにくと岩魚だけ現地調達らしい。現地用は各自米一合あればいいと言う。前夜、待ち合わせは夜中の12時なのでそんなに飲まないから少しで良いよ、とナオさんが言っていたから、本チャン分と同じで良いやと、材料じゃなくて調理済みのものを持ち込むことにした。
 沢での昼飯は、出掛ける前に嫁さんがチャーハンのおにぎりを作ってくれたし、わたしも、酒の肴を幾つかバタバタと用意した。酒は芋焼酎1Lとあとはビールを2L位。あとは小さいチタンスキットルに96度のスピリッツを消毒用に入れておいた。

 それにしても、久々にザックのパッキングをやると、まず散らかっている道具を揃えるところから支度が始まるから時間が掛かってとても大変ね。日頃の整理が悪いんだよなと反省。それも、ナオさんのお迎えが大分遅くなったのでパッキングが無事終わったような次第だった。

 装備も今晩の宴会の準備も全部調えて、やっと支度が出来上がったところで、丁度良くナオさん夫婦が迎えに来てくれた。ナオさん達は、前回の“キノコ&蕎麦の会裏々キノコ教室:性格悪い奴はキノコ採れない伝説)”の後、今年の初めに嫁さんの蕎麦屋と当家にも足を運んでくれていたのでスムーズに来てくれた。
 新しくなったナオさん夫妻の車ボクシィに荷物を積み込み、「前に乗って下さい、どーじょー!」と、助手席に同乗させて貰い一路現地に向かう。荷室が広くなって荷物が積みやすいが、それよりもナオさんはきちんとした性格の様で、荷室がしっかりとシステマチックに片付いていることにビックラ。そういえば、以前当家に上がって貰ったときに、ゴチャゴチャと本が積み上げられているわたしの部屋を見て、「Hちゃん! 片付けろよ。」、と言っていたっけ。確かに大事なんだよね。家の中が汚くなってくると不思議と運気が落ちる、頭の中身も整理がつかなくなる。外と内は相似的なのだ。また、その逆も真なりだからね。何か調子が良くないときは、先ずは、周りのお掃除と片付けから始めるのがよいと思う。

 

【前夜祭は軽く済ます予定?】
  途中、コンビニで買い物をして、待ち合わせの現場(宴会場)に着いた。既に他のメンバーは到着していて座って和んでいる。ポッターは11時にトップを切って着いていたそうで、もう可成り出来上がっていた。愛知からは相当遠いのに一番乗りだ。アオちゃんと、おお! K原さんも居る。K原さんは、昨年は体調を崩していたそうなので、どの教室でも会わず仕舞いだったから可成り久々だ。K原さん、確かにやつれている。私と同じだ。病み上がり同士で労り合う再会だった。
 そう言えば、K原さんて、深瀬校長が書いている山渓の沢登りの本、“山と渓谷社刊 登山技術全書4「沢登り」”のレスキューのところに載っていなかったっけ?  その「沢登り」には、今回来られなかったMieちゃんや、前回わたしが参加したキノコ&蕎麦の会の時に来られなかったT原氏も載っているしね、その他にも、以前の受講生達がこの本には登場しているよね。件のT原氏は都内で飲み屋さんを始めたって言っていたけど、つまみにキノコや山菜も出るのかな。こんど乗り込むときは誘って下さいね。いきなり行って驚かせましょうぜ。

 さて、A本さんは、会社で退職者の方の送別会が入っちゃったから翌朝合流ということになり、M屋氏は、やはり夜勤明けできついために今回はパスとなったそうなので、今晩合流するのは全部で6名になった。明朝にA本さんが合流して全部で7名の予定。M井嬢は、今回重たい荷物を持っての歩きだから誘わなかったという。たしかにM井嬢は、空身でも登りが嫌いだって本人が言っているしね。確か沢登りはやっていなかったらしいから危ないもんね。なので、このレポートページだけご覧頂いてのご参加かな。M井嬢をもふくめて、わたし以外の他の皆さんは、此の春の山菜採りでは一緒に山からの恵みを堪能しているはずなので、参加できなかった今回のぎょうじゃにんにく採りについては、此のレポートページから、まいどの楽しい雰囲気を思い出して下さいな。

 さあ! 12時半の真夜中に我々ナオさん号が着いて、其処から本格的に宴会の始まり。待ち合わせ場所の建物の正面玄関の庇の下辺りに、シートやマットを敷いてテーブルとコンロ、ランタンをみんなで持ち出して設置し、いよいよ前夜祭の始まりだ。
 でも、朝が早いからサッサと終わるはず、とナオさんから聞いている。軽く一杯やって直ぐに寝るはずなのだ。

 他の皆さんとは昨年の深瀬教室でのキノコ採りや蕎麦の会で何回もお会いしているが、K原さんとは1年以上会って居なかったので、お久々〜、と再会を祝しながら挨拶をして、みんなで乾杯! 明日のぎょうじゃにんにく採り、イワナ釣りの大収穫大漁を祈念して前夜祭突入だぁ〜!!!

 みんな各自色々調理して次々と美味しいものを出してくれる。このメンバーでは、乾きモノなんて有り得ない。例え出来合いのものでも一手間掛けて出てくる。えっ、朝が早いから簡単に飲んで寝ちゃうんじゃ無かったの? ナオさ〜ん、話し違うじゃん、なんてことは言わずに、美味しいし楽しいから一緒に盛り上がってしまうわたし。

 え、何?アオちゃん、自治会の会長やってるんだって? 今度の休みは用事があるって言って、理事会を他の日にして貰ったって...  昨年秋の、キノコ&蕎麦の会には、来られなかったナオさんの奥さんのミキさん。手打ち蕎麦をゴチしたかったけど、今回は無し。

 屋根無しの青空宴会場。屋根があるところは先客が居て使えなかったためだ。天気が良くて良かった。沢に持っていくコンロや調理器具、食器なども併用するけど、車での集合だからクーラーボックスやカセットコンロ、その他調理器具、テーブルなども持ち込んで居心地の良い宴会となる。それにしても深瀬教室の女性陣は、こんな青空宴会でもノビノビと楽しそうにやれるんだよね。もし仮にブルーシートハウスの住人になっても逞しく生きて行けそうなところが頼もしい。

 K原さん、此のダイナミックな食べ物はなに? あ、思い出した、温めすぎた豚角煮をスライスしたつもりのものだ。酔っぱらってたのねK原さん。因みにK原さんは外科の看護婦さんだ。  アオちゃんは何を語る? 大岩魚を釣り上げた話しか、はたまた、道に迷った山奥でキノコを沢山ゲットした話しかな。それとも「ボクだって結婚したいっすよ〜。」って話しかな・・・

わたし:「アオちゃん、最近仕事どうしてるの? 前に仕事していないとか言ってたじゃん。」
アオちゃん:『???』
ミキさん:『アオちゃん、公務員よ〜。仕事してるってば。』
わたし:「あれぇ〜、そうだっけ? 仕事してないって前に聞いたけどなぁ。」自分がろくに仕事していないので仲間が欲しいのか、それとも以前に酔っぱらって話しをしていた記憶違いか。そんな話しも何年も前の事だからなあ〜。
わたし:「アオちゃん、調理師だって言ってたよねー?」
アオちゃん:『ハイ。』、『フランス料理系で〜す。』
わたし:「え〜っ!そうなんだぁ・・・」 だから、山菜採りやキノコ採りの宴会の時に、凝ったデザート(ケーキ)類持って来るんだ。。。

 いやあ、でも、昔、たしか仕事していないって言っていたような気がするしなあ・・・って、あくまでも自分のイメイジにはめ込みたいわたしだった。大体、この仲間のことで仕事何しているのか詳しく突っ込んで聞くこともあまり無いし、聞いても酔っぱらっているから直ぐ忘れちゃうもんね。昼間は山か沢を登っているし、山菜かキノコを探しているからそんな話し出ないからさ。
 でも、ようやく仲間の姿が見えてきたぞ〜。んじゃあ、M屋氏は元パティシエでコックだったし、料理のプロが二人もいるわけ。ひょえ〜!!! 贅沢。みんなわたしと違って奥ゆかしい方々ばかりだから、自慢話しないのね〜。

 そのアオちゃん、ミントの葉っぱを摘んで美味しいって食べていた。アオちゃん、ワインを何本も持ってきて、沢にも重いのにワインを2Lペットボトルで持っていった。  ミキさんがラディッシュを囓る。ポッタはミキさんが焼いたピザを片手にワインがぶ飲み。ミキさんはポッタの事をコーチャンとかぽっちゃんと呼んでいるが、画をみると姉弟みたいだ。

 今回、わたしは様子が見えないので、現場で調理する様なものは持ってこなかった。前夜祭は直ぐに終わって寝るってナオさんから聞いていたし、沢ではみんなが色々作るからあまり持ってこなくていいよ〜、とナオさんが言っていたので、病み上がりで体力無いから、少し楽させて貰うつもりだった・・・というよりも、沢で其れなりの状況を活かした料理っていうと、わたしは何作ればいいの状態だったのだ。採れるのがぎょうじゃにんにくと岩魚だけだと言うし、S川には、みんな何回も行っているベテランさん達ばかりらしいからね。

 なので、ホタテの稚貝48枚を酒蒸しにして調理しておいたのと、あまりマッシュしていないホットポテトサラダ(の冷えたもの)、それから生の青海苔を嫁さんの蕎麦屋のつゆに浸したものを提供。あとは、嫁さんのオトッツァンが畑で作っている葉っぱ類だ。ミントやパセリなど、あとはラディッシュもそう。蕎麦つゆもそう、嫁さんのオトッツァン作。どれも美味しく食べて貰えてよかったけど、人の褌で相撲をとるは止めれ!とは誰も言わない。みんなわたしよりも嫁さんの蕎麦屋のつゆが大好きだ。

 出身校の話しになったら、何故かナオさんの後輩になってしまったわたし。
 やさしい先輩で良かったよ〜。

 ポッタがT大出だというのは前に聞いた覚えがある。深瀬教室はT大出とか医者とかインテリゲンチャな人もけっこう、多いからね。

「ポッタ、T大の大学院まで行って物理の何を専攻したんだ〜?」、とわたしが聞く。
『言っても解んないよ・・・』、とポッタ。
「 (カッチ〜ン!)・・・・・(*_*#)」、「この青海苔美味しいねえ!誰作ったんだ。あっ、俺か・・・(ばかやろ、お釈迦様だって三つの子に解るように法を説くって言うじゃないか。例え、解らないにしたってそんな言い方はね〜だろ)」
 と、楽しそうに夜は更けていく。(^-^)

 正直者のナオさんは何を語っているんだろう。ナオさんってば!!!  K原さん、ナオさんの話、そんなに真面目に聞いちゃって・・・

 ナオさんのお話は、ついこの間、南アルプスに釣りに行ったときに、魚が居そうもない上流部で突然表れたオッサンに釣り券代取られたのにも関わらず、やっぱり1尾も釣れなかった話しかな。それとも、直ぐ目の前に黒い塊が表れたら、熊だったって話しかな。ナオさん仕事場の人とも釣りに行っているから、しょっちゅうどこかの山に入っているようだ。
 「俺が一緒に行くと、結構骨折者が出る確率が高いって言われてる。」っていう物騒な話をしていたのも知れない。でも、そんなの今回は勘弁だよ〜。ナオさんは男三人兄弟の末っ子でガキの頃から兄貴達に理不尽を仕込まれているから可成り根性が座っている。若い頃は大分暴れまくっていた様子だ。だから、「歯槽膿漏で歯が痛いくらいで沢に行かないなんて、冗談っじゃねえっ!」ってノリなんだろうね。

 結局、直ぐに寝るはずとナオさんが言っていたが、やっぱり何時も通り3時過ぎまで騒いでいた。お陰様でポテトサラダも美味しいって食べて貰ってしまい、沢に持って行かなくて良くなった。みんなに会ってから、やっと今回の山行の全容が解ってきたから少しでも荷物減らしたかったのだ。
 其の前回とか以前のS川ぎょうじゃにんにく採りの話しを聞いていると、なんかすっげー大変な様子。靄って道に迷い、遠回りしたとか、ガレ場で右往左往して下る道が見付からなかったとか、帰りには同じくガレ場が霧で道に迷い、ガレ場を比高400m位を2時間近く掛かって上り詰めてしまってボロボロになり、そのお陰でウスヒラタケモドキをずっしりと山ほど採れたとか言うもんで、ちょっとやばそうだなと、早速荷物減らしに入ったわたしだったのだ。その上、ヌカカに刺されまくったので顔中腫れてしまい、沢から帰って病院に行ったという人まで居た。

 K原さんと二人して、我々病み上がりの人間はちょっと大変だよね〜、と戦々恐々。其処へ、ミキさんも何故か、「わたしも病み上がりだから。」と仲間に入る。じゃあ病み上がり3人組みで頑張ろうねと誓うが、ホントーか〜?

 それじゃあ、7時くらいには起きますか、と言うことで、そのまま青空宴会場の脇でシュラフに入った。

 

【恋する男は声がでかい?】
 そうしたら、うるせ〜うるせ〜、、、お日様が射して可成り明るくなった頃、『みなさ〜ん、おっはようございま〜す!!!』、と、でかい声で騒ぐやつがいる。
 あれぇ〜、来たよ。来ないはずじゃなかったのかなM屋氏・・・でも、しかとして寝ているわたしなのだが、あ〜あ、みんな起き始めちまった。しょうがない!起きるかぁ。まだ、6時半くらいだ。

 M屋さん、夜勤明けのお疲れのところをありがとうございました。

 愛妻の靴の紐を結ぶナオさんと幸せそうなミキさん。

 A本氏も既に到着していて、車で支度をしている。起きてみんなに挨拶して顔を洗い、それから片付けながら朝食。宴会場も片付ける。酔いどれポッタは、例の如く未だ寝ている。この人は毎回、前の晩に深酒するもんで、朝は何時も一番最後なんだ。まいどのことだが声を掛けても揺すってもなかなか起きない。もし誰も起こさなかったら置いてけぼり必至なんだぜ。
 それぞれにザックに荷物をパッキングする。天気も良さそうなので、カメラの防水ケースを減らしたり荷物(おもちゃ)を少なくして余計なものを持たないように心掛けた。

 M屋氏がクエン酸を振る舞ってくれたので飲んでおく。そのM屋氏は、今日は頼んでおいた沢シューズが届く予定だし、明日は人と会う予定があるし、もう五十路を目前にして体力落ちているから今回は遠慮したという。見送りに来ただけだそうだ。

 おっかしいなぁ〜、深瀬教室に於いて、集合の夜は宴会を明け方までやるから殆ど寝てないのと同じ様なもんだ。まいど、そんなパターンだからM屋氏が体力がどうこう言うのはおかしい。もしかして、そんなに歩きがハードなのかなー、とちょっと不安。
 それとも、M屋氏、沢シューズより大事な用事があるのかな。人に会うって、もしかしてアレですか。ぎょうじゃにんにくと岩魚と楽しい仲間よりも大事な会う予定の人ってアレですか、新たなる恋の予感が・・・

約一名、酔っぱらいが・・・

 M屋氏は行けない自分の代わりにと冷凍したキノコを沢山持ってきてくれた。律儀な方だ。炊き込みご飯にして食べて下さいとたっぷりくれた。M屋氏のフィールドで採ったやつだ。去年のかな、それとも今年の春に採ったのも入っているのかなと、アオちゃんが気になって仕方がない様子だった。
 M屋氏の家は代々山の民。M屋氏は仕事のために街に降りてしまっているが、時期になると毎週実家のある山の奥の方に通い詰めて、山菜、キノコ採り、沢登に源流釣りに余念がない。去年、M屋氏にハルシメジを乾燥させたものをたっぷり貰ったが、出汁を採っても絶品だし、そのまま囓って食べても深い味わいがあり、おやつにもビールのつまみにも最高だった。そんな旨いものばかり食べている元コックのM屋氏だ。

 『本当に行きたいんですよぉ。みんな気心の知れた人達だし、知った場所だし、天気は最高だし!』、とM屋氏。じゃあ、何で行かないんだよ? やっぱりアレだな。

 

【さて、平らな道を歩こうかな】
 さ、準備が出来た順に歩き始める。M屋氏も林道入り口まで来て見送ってくれる。A本氏とナオさんとわたしとがスタート。後続部隊は全然来ない。わたし以外全員何度か行ったことがある場所だからと安心して先に進む。

 ナオさん、実に楽しそうに歩いていく。まだ、この頃は前夜のアルコールを抜いている最中。  林道に標識が。我々のことか? あ、字が間違っている。書いた奴がバカだった。字も頭悪そう。

 後続の四人がなかなか来なかったが、30分くらいの林道の終わりくらいにだいぶ追いついてきた。後から聞いたら、ポッタが重たいザックを背負えずに、持ち上げられなかったり、担ごうとして地面に倒れたりして居たんだそうだ。それで、側にいたバイクの人に、荷物を背負うのを手伝って貰ったらしい。おいおい、バイクの人も登山靴履いて居たから多分山歩きに来た人だぜ。『この人達、こんな重たい荷物背負って平気なのかな。素人じゃないの?』、って絶対思ったに決まっているよね。
 ポッタのザックには一体何が入っているんだ? 他の人の荷物を持ってみたけれど、10kg半ば前後から20kgは無いくらいだろうという感じ。長期縦走だったらもっと重くなるだろうけれど、一泊でこれは無いよねと言う重さ。見た目もパンパンのみんなのザックだ。

 大体、ポッタは朝食の紅茶にブランデーをドボドボと入れていたらしいからなー。迎え酒ったって、山をナメてると危ないぜ〜。其れにこの1年で12kgも太ったという。やつは大手自動車部品メーカのエンジニアで、その仕事のストレスが食に出てしまうらしい。『メタボですよ!』とポッタ。

 去年だか一昨年だったか、会社辞めて自営業で食っていくとか言うから、みんなで、「おまえにゃ自営業は無理だから止めておけ!」と諭したことがある。理不尽な業務の内容にストレスが大きいらしい。それにしても12kgと言ったら、小学生低学年を一人、または中型ザック一つの重さだよ。平気かよ、ってみんなで言う。我々病み上がり隊よりも心配だ。

 さて、山道の手前で一旦集合してから再スタート。ナオさんの言う平らな路とはどんなもんやら。わたしは重たい荷物を背負った林道歩きで、既に肩が痛くて仕方がない。ザックを調整して腰に荷重が掛かるようにしても、いまの自分には土台荷物が重たすぎる。

 登山道を大分歩いてから分岐点に差し掛かる。我々はピークを目指すわけでは無いので、獣道の様な細い道の方に入る。そして杣道だか獣道だか解らない細い道を暫く歩いてからみんなが気がついた。ポッタが来ていない。
 さっきまで、『平気だよ、道解っているし、ゆっくり先に行っていれば来るから。』と言っていたナオさんだが、待っていてもあまりに来ないので。アオちゃんと二人して戻って行った。我々も待つにしたって、急斜面の途中にある狭い道なので、荷物を降ろすのにも場所を選ばないと転がして落としてしまうような所だ。

 結局、ポッタはまだ酔っぱらってボケーッとしていたもんだから、以前来たことがある道なのに違う方に登って行ってしまったとのこと。ナオさん達が呼び子を吹いたり呼んだりして、やっと気がつき、ショートカットして山を落ちてきて合流。ナオさん、アオちゃんお疲れさま。

 ポッタが道を間違えた、その結果の尻。大体、ザックのパッキングがいい加減だ。

 ナオさんの言う平らな道。空身なら普通に歩けるけど、荷物が重たいと危なくて。

 荷物を背負っていたらすれ違えないような急斜面に付いた細い山道。落ち葉で滑りやすい上に、路肩が柔らかくて崩れやすい。それなりにアップダウンもあるし、場所によっては崖っぷちが可成りある。
 ポッタが重たい荷物(酒ばっかり入っている)と二日酔いでフラフラしているので先に行かす。ズルッと、なんども路肩を踏み外して細い踏み跡を崩壊させている。あぶねえなあ。なんと、一度は両足とも落ちた! 「ポッタ〜!気を付けろよ。踵から足降ろすなよ。親指の付け根に力入れて歩けって・・・」、『頭じゃ解っているんだけど、身体が言うことを聞かなくて・・・』
 『ズルッ!!!』
 「T大、大学院物理ってバカなんじゃねえの〜!!オーイ!」 ああ、スッキリ!(^-^) 山で叫ぶと気持ちよいねえ。

 山道の途中、トラロープが設置しているところがあって、手足全部を使わないと上り下りできない岩場が一カ所有る。一人ずつ通過したことを確認してから後続が越す。他にもしっかりと手を使わないと安全確保出来ないところも多いが、確かに稜線歩きとは違って大きな高低差は少ない。『Hちゃん! 深瀬さんだったらこんな道、真っ平らだって言うよ!』、と、ナオさん。

 確かにそうなんだけど、道が細いから危なっかしくて。荷物が重いと足下が定まらないからね〜。それに病み上がりだし。。。荷物が重く歩みが遅い上、倒木越えたり岩場を貼り付いて越えたりしながらするもんで、こんな調子で3時間だもんね。結構ヒヤヒヤものだった。ハイキングレベルしかやったことのない人が重い荷物を背負っていたら死ぬ思いだったかもしれない山道だ。ステップの切り方やハンドホールドの採り方を間違うと進退窮まるような場所もある。崖っぷちの、それもザックの頭がいきなり岩に引っかかったりするのだからバランス崩したりする。

 病み上がりで足下がフラフラなのに重たい荷物を担いで沢シューズのフェルト底で歩いて居るわたしと、何を持ってきたか解らないけど(酒は相当入っている様子)でかいザックを担いで二日酔いでフラフラ歩くポッタにはきつい場所なのは確か。あと、食糧を沢山持ってきてくれてザックが大きかったアオちゃんも大変だっただろう。えっ?同じ病み上がりのK原さんも大変だったって? そんな風には見えなかったけどなあ。ミキさんはわたしと同じくらいの重さの荷物だったけど安定して歩いて居たしね。女性陣も上手だし足腰強いよね。

 わたしが、「ッエ〜ッ!これが平らな道なの?ナオさ〜ん!!!」、って文句たれていたら、奥さんのミキさんが、『Hちゃん、またHP作るんでしょ。タイトルは、“騙された渓(たに)”ってするのかな?』、っていうから、もうドンピシャ、大受けでそのまま使わせていただいた。ということで此のページのタイトルが決まったわけね。ミキさんグッ! それから赤文字のところは、説明しなくても分かる真っ赤な正直という意味あいでしょう。

 山道だから当然上り下りは可成りある。まあ、それでも確かに高低差は少ないね。

 こんな道はハイウェイみたいなもの。ガレ場の上の100m程度の長さだけの天国。

 山道を汗ビッショリで3時間半歩いて下降口に辿り着く。此処から200m程のガレ場下りに入るところだ。が、写真は無い。撮るのを忘れた。此処は前に来たときには、霧が出て良く見えずに此のガレ場でも迷ったらしい。いや、それ以前に獣道になった山道の最初の辺りでも道を間違えて大回りをしてしまったんだと、前回のその迷い道も教えてくれていた。なるほど、ナオさんの『一本道だから後から来たっていいし。』、ってのも、沢の上流に向かったどん詰まりの方角だから、行けば分かるだろうという程度の意味だと了解する。

 さて、毎回ポッタが斜面の上側にいる場合には、必ず石を落とされるので戦々恐々なのだが、今回ポッタの歩きが可成り遅いので諦めて先に下降する。危なそうなところは岩や倒木の陰に入りながら上からの落石に注意して降りていく。時々、『ラークッ!』と声が掛かって石が落ちてくるが、深刻な状況にはならなかった。

 実は以前キノコ採りの時に、落の声もなく、ポッタに二回くらい落石を食らわせられているわたしなのだ。一回は膝を直撃。いってっぇ痛え。浮いてる石があって仲間が居るときには、石や岩を落とさないように、また片付けられるときは危なくないように処理するのも技術、そして心構えの内だと思うんだけど、T大の物理では浮き石に重力場は働かないと教えているらしい。

 でも、みんな無事に下降して一休み。下降に40分くらい掛かった。荷物が重いと急な下りは膝とその周りの筋肉に効くよね。荷物を降ろして汗を拭き、沢靴を履き替える人もいる。こんなやらしい道だったら他の人みたいにアプローチシューズがあった方が楽だったかもね。そのアプローチシューズを履いてきた人はビニール袋に入れて山にデポした。

 みんなに心配を掛けたポッタ君は、ガレ場を降りてきて荷物を降ろした途端、沢にへたり込む。これで、やっとアルコールが抜けたと言う。この時には白状しなかったが、渓からの帰りの温泉でポッタの胸の両脇が赤黒く成っているのを見た。実は、此の時点で既にガレ場で軽く滑落していたんだそうだ。

 

 

【荷物を置いてのお楽しみ。メインイベント】
 其処から沢を暫く歩いて、テン場に着いたのは1時頃だったか。ほぼ、予定通りだそうだ。荷物降ろしてまずは昼食。わたしはお湯を沸かしてインスタント味噌汁を作り、あとは嫁さんが昨日作ってくれたチャーハンのおにぎり。それから漬け物を食す。あまり食欲が無くて、3つのおにぎりの内、一つしか食べられない。ちょっと疲れたもんね。
 食後に急いでタープを張ってマットを敷き、宴会場兼寝床を用意。それからみんなで薪集め。こんな時は鉈より鋸が役に立つ。ナオさんとわたしがそれぞれ鋸を持ってきたので、流木が岩に挟まって積み上がったところから太くて乾燥したものを切り出す。女性陣も沢を渉りながら拾い集め、そして切ったものを運んでくれる。さあ、薪が山ほど集まって豪華な夜になりそうだ。

 ビールも沢で冷やしておこう。『Hちゃん、ビール冷やしておこうか?』とナオさんのありがたい声。「すんませ〜ん、お願いします。」と500mlを2本渡す。ホントはもう一本あったんだけど、重たいからいいやと出掛けにM屋さんに上げてしまったから、残りの貴重な2本だ。
 すると、『あ〜!駄目だこりゃ。』、とナオさんが流れの脇で声を上げる。そして泡を吹いている500のロング缶が戻ってきた。『投げたら丁度岩に当たってよ。重たい思いして持ってきたのに残念だったねHちゃん!』、残念、病み上がりの為のお薬が一本パーになってしまった。

 さて、ぎょうじゃにんにく採集班と釣り班が遡行開始だ。これの為に来たのだ。殆ど空身の様なものなのでホイホイと飛んであるけそうなのだが、朝から4時間以上の、それもとっても歩きにくい平らな山道を重たい荷物でよろけながら歩いてきたので、足が固まっていて思うように動けない。それでも、沢を歩いて居たらなんとか普通に歩けるようになってきた。

ナオさんはテン場を出たら、早速竿を出していた。
テンカラでお楽しみ。釣果を祈って我々は先を急ぐ。

 身軽になってやっと調子が出てきたポッタ。  何回も渉り返して遡行していく。

 ポッタちゃんは、腹周りを始め全身に12kgの体温保護帯を纏っているので、冷たい水も平気で入っていく。でも、我々病み上がり隊は高巻いた。水線通しの方が危なくない場合が多いが、まだまだ水が冷たいので、デブのポッタとは違うルートを採った。あ、ゴメン。ふくよかなポッタさんに訂正ね。

 淵を高巻きしたら、降りられない5m位の崖に出会した。A本氏が短めのザイルを2本持ってきているので、立木に回して下降することにする。ザイルを折り返して立木に掛けておろすと、先端は地面に届かないものの、先からはなんとか飛び降りれる位の高さだった。ハーネスもカラビナもないので、素手のゴボウ握りでA本氏から順番に下降する。
 わたしは何時でもスリングを一本持ち歩いているのから、それでバックアップを右手に採って下降。万が一手が滑って支えきれなくなっても、プルージック結びの部分を握っている右手を離せば、その手首に絡ませたスリングのプルージック結びがザイルへの制動が効いて墜落だけは免れるというわけ。

☆ちょっとしたところでも安全対策を☆:登山でも、植木屋さんでも、何でも無い様な所やちょっとした中途半端な高さでの事故事例多し

安全確保用の軽装備:軽くて容量も少ないけれどいざという時に役に立つ道具。
 って、あまり役に立って欲しくないけれど、保険としては有用なもの。特に山に慣れない人を連れていく場合にはね。この内容だと小さくまとまるのでデイパックの片隅に入れても差ほど邪魔にならない。
 クライミング用のザイルとは違って細引きロープでは墜落時のショック吸収には役に立たないけれど、数mの懸垂下降したり、崖の登り降りに際して安全確保には充分役に立つ。
 8環もカラビナと比べて貰えば解るように可成り小型のものだ。その為に懸垂下降時に太いザイルでビュンビュンやると熱を持ちやすいけど、保険用軽装備としては充分。万が一、重たい人をシングルロープで確保する際には、ロープ自体が細いので小さい方のアイを使えば制動も効く。ただ、そんな荒い使い方をしているとロープ自体も傷みやすいので早めの交換が必要だろうね。

 何時もは、近所の低山に行くときでも5mm*12mの細引きロープと腰ベルト(スワミベルト)とカラビナ、スリングだけは持って歩いている。腰ベルトだけでは墜落時のショックに対応出来ないことが前提だが、垂直の崖を高高度下降するするのでなければ充分に有効だし、大体近所の山でそんなところは降りない。万が一、そんな所を降りる場合にでも、スリングでレッグループを作って腰ベルトに追加すればよい(でも締まると痛い位だから腰ベルトが胸にずり上がるのを防ぐくらいの意味しかないかもね。ベルトが脇の下までずれて長時間吊られた其のままで居ると鬱血死するそうだ)。
 そんな簡易で軽いものだし、この程度の崖を降りるのには充分に有効なのだから、手抜きしないで持って歩いていれば万が一ということが無くなる。有ると無いとでは安全性がまるで違うからね。

 下の写真でK原さんは、ちゃんと崖に対して垂直に足をつっぱっている。手はゴボウ握りでザイルを掴んでいるから滑りにくいので、体重をザイルに掛けられるわけだ。足で崖を降りようとすると、足下が滑ったときにいきなり手に荷重が掛かるので握って居られずに破綻することは、実際にやっている人は知っていること。だから、ただの順手でザイルを掴むだけでは、手が滑って墜落することになる。ザイルの摩擦を使ったゴボウ握りで体重を支える。そのザイルを使っての垂直の壁の下降の場合は、足はあくまでも補助と知ろう。
 こういう事は沢屋には常識なんだけど、一般の人達には頭では解っていてもいざとなると出来ないものなので、こんな所に行く可能性の有る方々は、然るべき人にちゃんと教わるか講習会で習得すべし。
 山菜キノコ採りの人達もそうだし、中高年の登山者も山で迷ったときや遭難したときのために、最小限の装備、ロープやスリング、腰ベルトにカラビナを装備し、基本的なザイルワークは習得しておけば、大事を小事で収められるかも知れない。例え、ザイル一本しかなくとも肩絡み懸垂下降やゴボウ握りをマスターしておけば、それだけでも違う。そしてスリングのプルージック結びでザイルにバックアップを採るやり方も併用すれば登りでも下降でも更に安心だ。登山やこういった遊びは自己責任、自己脱出が基本スタンスだと思う。

 そして、何事も自然と出来るように身体に覚え込ませるまで習熟しないと、いざというときに出来ないもの。また、この様な危険を孕むクリティカルレベルの技術は、失敗したときや間違えたときには、深刻なダメイジを負うので基本からの積み重ねが必要だと思う。

 いざとなれば出来るさ、というのは何事に対しても実体験が少ない頭ばかりの人間であるという証明。怖い現場や社会生活でのシリアスなトラブルに陥ってしまったら頭なんか真っ白になってしまってまともに働かなくなるという経験は、乗り越えてきた人達には嫌と言うほど実感していることだろう。いざとなっても、出来ないものは出来ないって。それで場当たり的にやってしまうから失敗するんだって。人間の表層意識なんてのはそんな程度だ。
 だから幼稚な想像力で机上の論理を繰り返したって現実には対処できない。恐怖や不安から来る衝動や情動は、論理ではコントロール出来ない。身体にプログラムされて居ないことは理性だけでは手綱を上手く捌けないものだ。やっぱり怖い現場、深刻なトラブルを処理して乗り越えて来た経験がある人間の方が、いざというときに冷静に頭が働く。脳は心に追従する。心は身体(身体意識)に反応する。
 気持の余裕は心が平らかでないと生まれない(自分自身に言い聞かせている..)。想像力が豊かで的確かどうかは実体験の量と質に関わるだろう。実体験を経ない頭だけの想像を妄想という。妄想は問題や摩擦を増幅することはあれ、解決の力にはならない。幼稚な精神に基づく想像は妄想と知れ。(Hちゃんの格言アーカイブより

 こんな5m程度の所を下降するにしたって、立木へのザイルの掛け方から、一歩目のスタンスの採り方まで手順や手続きがある。5mと言ったら二階の屋根くらいはあるからやったことが無い人には恐怖心が先に立ってしまって身体が言うことを聞かなくなる可能性があるのだ。でも、馴れればそんな恐怖心は起こらなくなる。
 そして其の馴れは狎れにつながり、いい加減なことをやり始めると、これまた事故に繋がりやすくなる。馴れたときが危ないとはよく言う話し。また、高い所なんて怖くないって人程、確認作業を怠ることもあり得る。だから、何時もシステマチックに確認作業を行う精神性を自分自身にプログラムすることが大事だ。また他の人が大丈夫だからと、依存的に物事を考えないことね。自己のリスクマネージメントシステム(プログラム)はパラレル(並行)に幾つも構築しておくことが肝要だ。左脳(ロジック)、右脳(イメイジ力)、身体意識(直感、閃きなどの感覚。身体記憶、ファームウェア)などが複合的に働く高度なシステムを自らの意識にしっかりと構築することだと思う。

(※沢屋:岩場だけでなく大自然の中でのクライミング、そしてこういった足場の悪いところの下降は、登ることが目的のロッククライミングの世界とは違う。そもそも、立木だけでなく細い雑木や篠竹をスリングで束ねて支点にすることさえある。そういった臨機応変の智慧と経験が沢屋には求められる。そもそも、沢の遡行には時間の制限がある場合が多いので、道具を多用するよりも少ない装備を応用してスピーディに乗り越えて行くことが要求される。ザイルを出すまでも無いところでは、短いお助けロープでこなすなどだ。じゃないと、テン場に適したところに辿り着けずに、岩場でフォーストビバークになってしまう。それが天気が悪くて増水するような可能性がある逃げ場のないところだったら命取りになることも)

 わたし?わたしは高所恐怖症なもので何時も慎重。それにこの所、沢に行っていないので基本的なことも忘れちゃっていたりして・・・ さて、そんなこんなで、楽しく沢歩きをして、ぎょうじゃにんにくの出ているという沢に入った。A本さんと、K原さんと、ミキさんとわたしの四人がぎょうじゃにんにく採集班だ。

 

 ミキさん、K原さん、ちゃんとゴボウで下降! 上手上手。  猿じゃないって!ぎょうじゃにんにくを求めて崖を登るミキさん。

 

【沢山のぎょうじゃにんにくとヌカカの大群】
 来る前の車の中でナオさんに聞いていた。『前に来たときも、みんな凄いんだよ。Mieちゃんとか女の人達は、ガレ場の崖の上の方まで登っていってぎょうじゃにんにくをウハウハ採っているんだぜ。あれにはたまげた!』、ってさ。そうしたらやっぱり今回もそうだった。写真じゃ分かり難いけれど、可成りの急斜面だよ。それも所々崖ね。濡れた岩場も多いし。素人さんだったら滑落必至だね。みんな欲も強いけど根性も経験もあるから、あ〜!も、う〜!もなく黙々と採取している。凄いねっ!
 ぎょうじゃにんにく畑! ガレ場のずーっと上。  猿人じゃないって。防虫ネットを被っているだけ。

 来る途中の山道でも、休んでいるとヌカカの大群が来てチクチクとやられていた。沢沿いでも沢山いて、立ち止まっているとやられてしまう。ぎょうじゃにんにく採りのところでは、ヌカカとの戦いだ。わたしは防虫ネットが行方不明だったので、山菜採り用の洗濯ネットで代用しようと思っていたが、うっかり一つしか持ってこなかったために、ぎょうじゃにんにくを入れたら後は素肌を晒すしかない。
 長袖を着て、頭からタオルを被って首筋や耳は守るが、顔面は無防備だ。崖では片手でザイルを掴んで、片手でぎょうじゃにんにくを採り、そして袋に入れる。時々タオルをパタパタと仰いで顔の前のヌカカを追い払う。それでもチクチクプツプツとやられる。
 みんな防虫ネットを被っているけれど、それでもチクッとやられているのは隙間から入り込まれているのか、針の先のように小さいヌカカが網の目を潜り抜けてくるのか、とても質が悪い。

 K原さんも随分登ったねー。

 うっひゃー!登りはよいよい下りは怖い。

 わたしは先程使ったA本さんとザイルを持っていたままだったから、それを使って崖っぷちのぎょうじゃにんにくを採っていた。可成り上の方まで上がって採取し、ぎょうじゃにんにくの植生が少なくなったところで、横の方に居たミキさんに声を掛けて降りることにした。わたしは、かつて何処かでぎょうじゃにんにくを採った記憶があるんだけど記憶が朧気。でも沢山採ったのは今回が初めて。北海道では道端に生えていると言うけれど本州では寒いところに行かないと無い。根から採らないようにとA本さんに最初に注意を受けて気を付けて沢山採取した。  

 ガレ場から降りていったら釣り班の人達も居た。ナオさんは、『寒い!』と言って焚き火をしていた。水の中に可成り浸かったみたいである。時間も遅くなったので、釣り班を残して、ナオさんと我々は沢を下ることにした。料理の下準備もあるからね。

 ほーら沢山でしょ、と記念写真。この辺の、ぎょうじゃにんにくは、軸も細くて葉も小さい。  ミキさんとK原さんが下ってくる。二人とも流石に沢屋さん。安心して一緒に沢を歩ける。

 ヌカカの大群の攻撃をものともせずに、ぎょうじゃにんにくは四人でたっぷりと採った。小さいものが多かったのは仕方がない。一般に売られている栽培ものとは違うし、また北海道産とも違うからね。でも、香りとか精は強かった。家に持って帰ってから醤油漬けにしたけれど、そのエキスが出た醤油が美味しいこと。感謝感謝。

 ぎょうじゃにんにく大量の収穫あり。腰に下げた袋にそれぞれたっぷり入っている。  降りていったらアオちゃんに出会った。岩魚を何本も下げていた。ありがたや。

 

【気づきと悟り】
 テン場に着いて冷たい沢靴を脱ぎ、靴下を乾いたものに履き替えたら足も温かくなった。たしかA本さんが水温は10度と言っていたはず。釣りをやる人は水温計を持っているのね。わたしはズボンはそのまま着て乾かす。女性陣も着替えたので夜の宴会準備に入り、ミキさんは餃子用のキャベツを河原の石の上で刻む。

 『Hちゃん、フライパン貸して。餃子の具を練るのに使うから。』、と、ミキさんの要求。「喜んで!」と、チタンの中華フライパン30cm(630g)を持っていく。鉄の中華フライパンの半分くらいの重さだ。
 「沢で、ぎょうじゃにんにくの餃子なんて最高だね〜。」、わたしが言う。
 『他の沢登りの人達って何を食べているのかしらね。』、と、ミキさん。
 「やっぱり、ドライフーズとかレーションに、後は沢でちょっと採ったものなのかな〜。」と、わたし。
 『可愛そうだよね〜。私たちはいつも美味しいものばかりだものね。』、ミキさんが同情。
 「そうだよね〜。わたしら何時も美味しいものばっかりだね。でも、彼らにしてみたら、お前らの方が沢登りを勘違いしてないか?って言うんじゃない。」、「実は、勘違いしているは俺等だったりして・・・」、と、わたし。
 『やっぱり?』、激しく同意するミキさん。

・沢に行く=採取、漁労=危ないところも道具を駆使して登攀=旨いものゲット=宴会=楽しい
・旨いものが食いたい=沢に行く=料理が上手い仲間が居る=酒が旨い=楽しい 
・四季折々沢に行く=あの時期になったら出そうだ=下見=次に来るときは採って宴会だ=楽しい

 多分、この方々の思考ループは以上の様な何パターンかの指向(嗜好?)が強いかも。わたし?わたしは滅多に沢行かないしなあ・・・

 普通は下記のような動機に基づいて沢に行く様な気がする。
・沢に行く=手つかずの美しい大自然を満喫=水遊び=滝を完登=尾根やピークまで詰める=ルート攻略完了=危険を乗り越えた達成感、充足感=楽しい

 みなさんはどちらのタイプ?

 大自然の中で、例え特別なものが無くとも、火で沢水を沸かしたてお茶を飲んだり、沢で調理して食べると何でも美味しいものなのだ。例えレトルトであってもだ。それに今の山用のドライフーズは美味しくなったしね。そして少しのアルコールがあれば、ちょっと幸せ。

 そこに、沢で採った自然のもの、精が強い新鮮なものを採り入れればもっと美味しい。さらに料理が上手で応用が利く人が居たらもっともっと幸せだ。その上、大量のアルコールが沢山あって楽しい仲間が居たら沢が天国に変わる。それにゃあ、豊富な基本食材と酒、調理器具、おもちゃ(釣り道具類など)を詰め込んだ重たいザックなんてなんのその・・・って、俺等勘違い街道爆走中?

 ぎょうざ用のキャベツを刻むミキさんが手にしているのは、今回来られなかったS井氏お手製の包丁。レンタル中だそうだ。この包丁、ATS34材で作ったもので、ペティナイフより一回り身幅のあり、台所包丁よりも少し小さい山で使いやすい大きさ。凄くよく切れるとミキさんは大のお気に入りに。ミキさんの言うレンタルってのは、イコール貰ったと同義らしいよS井さん?! だいじょぶかな〜。

 

【ぎょうざにんにくぎょうじゃで、ええ〜んかい?...アレッ?】
 ミキさん、『ぎょうざの具材60個分用意したのよ。』、子供達、『わ〜い、わーい!!!』

ぎょうざにんにくぎょうじゃ?
ぎょうじゃにんにくぎょうじゃ?
ぎょうざにんにくぎょうざ?

 

 釣りに行ったポッタやアオちゃん、A本さん達はなかなか帰ってこない。ま、釣りってそんなもんだろ。しょうがないから、待ってないで練習しようよ練習!!!
 と、ビールを開けて、みんなが揃う前の予行演習、練習? ぎょうじゃにんにくぎょうざも焼いちゃおう〜、ってミキさん。うぉ〜!!!旨いよナオさ〜ん!絶品!ミキさんっ、旨すぎる〜!!! 60個あるから〜、と、ドンドン焼いてくれるのでビール飲む飲む、ぎょうざ食べる食べる。幸せだ〜・・・

 ミキさんがぎょうじゃにんにく入りの具を混ぜて作り、ナオさんが皮に包む。夫婦で素晴らしい手際の良さ。  そして超旨!!! 一口噛んだ途端、口の中にフワッと拡がるジューシーな肉汁の深い味と具材の香り。旨すぎる!

 わたしは餃子に詳しいわけでは無いし、化学調味料が駄目なので旨いという評判の一般的なラーメン屋さんにもあまり行かない。だからささやかな経験しかないが、このナオさん夫婦が作ったぎょうじゃにんにく餃子は、新宿南口にある老辺餃子館右写真:中国の本店以外、日本では此処だけ。蒸し餃子でメッチャクチャ美味しい。でも一般的にはちょっと高めかな。以前、仕事仲間3人で、美味しかった頃の青島ビールと餃子や料理各種を好きに飲み喰いしたら4万円位になった。ご参考に個人の方のWebサイトでも面白い話しが紹介されているのでどうぞ)と同じくらいに旨かった! 何度でも食べたいよミキさ〜ん!

 沢だから道具が道具なので餃子をピシッと焼くのは難しいけれど、そんなこと問題じゃない。旨かったなあ......ミキさん、ナオさんの餃子。パクパク食べちゃったもんね。ビールもグイグイと・・・孔が開かずに一本だけ残ったエビスの500がスーッと直ぐに無くなったので、「ナオさん!ビール無いよ〜。」と言ってみたら、『ハイハイ、スミマセンね。どーぞ!』とビールを注いでくれた。昼にロング缶に孔開けてパーにしたのを覚えていてくれたみたいだ。いい人だね〜。んで、酔っぱらっていてビール二度も零したら、『何やってんだ、Hちゃんっ!』と怒られた。ああ、勿体ねえ貴重なビール・・・やっぱ疲れていたんだわ。しょうがない、後は焼酎だ。

 さぁ〜、そして釣り班も帰ってきました。お疲れさ〜ん! 濡れた履き物を履き替えて、お疲れの所を岩魚捌くのもやってくれる。ゴメンね〜!! おれ上手に捌けないんだ〜。今度練習して於くからね。釣り班も餃子喰って身体を温めてから料理に入る。
 魚釣りでとっても疲れている...?....はずの、アオちゃんに、「味が濃い料理より先に岩魚の刺身が喰いたい!」、って我が儘を言って、岩魚の刺身を作って貰った。

 岩魚の刺身。感謝! これが食べたかったんだ!  ミキさんが途中で採取した山椒の葉を刻む。

 岩魚の刺身旨いよね! 海の魚にも負けない。って、もとは海の魚、鮭科なんだからね。秋の脂が乗ったのはマグロのトロみたいだし。わたしはヤマメなんかより全然旨いと思うなあ。それに岩魚は冷水域の魚だから虫の心配も無いしね。養殖岩魚の刺身を出す店もあるけれど、やっぱり天然の渓流で鍛えられて育った方が、味に力があるね。

岩魚のナメロウ。
絶品!!!
A本さんが味噌と醤油で細かく叩いて、刻んで於いた山椒の葉を混ぜて作ってくれた。
うめ〜うめ〜。
これも食べたかったんだ!

 

 

【メタボな夜は更けていく】

 これやりたかったんだってさ。豚肉を600gも背負ってきてくれた。
 他にもワイン2L? パスタも出来るって材料を色々背負ってきてくれていた。アオちゃんありがと。
 これまた絶品。熾き火でローストポーク。そしてぎょうざ用の残り具材でピーマン肉詰めね。ミキさんが、『餃子の具が残ったから焼こうか?』、って言ったら、アオちゃんがすかさずピーマン出した。

 アオちゃんが、豚肉とピーマン肉詰めをアルミホイルで巻いて、焚き火の火の横の熾きの中に置いた。火に近いように思えたんだけど、流石にアオちゃん上手に焼いたね。

 今回、荷物が重たくて一番大変だったのはアオちゃんかなあ。みんなのために食材やワインを大量に背負ってきてくれたもんね。でも、次回は嫌だと言っていたような言っていなかったような・・・

 旨いものが乗った皿が次から次へと回ってくる。みんな直箸で皿から食べて隣の人に回す。自分の皿に取り置くのは、よっぽど沢山ある料理か、確実に確保しておきたいときだけ。お行儀はよくないかも知れないけれど、そんなこと気にしない方が更に料理が旨い。
 アルコールも進んでほろ酔い加減になってくると、普段は必要以上にでかく聞こえるナオさんの声も沢音に混じって心地よく感じる。

 凄いねタコスまで出た。ビールにピッタリね。by K原さん。  ペンネのサラダも美味しいね。こういう小技を効かすのもアオちゃん。

 A本さん作、マーボー茄子も美味しかったし。  食べるものが一杯だ。茗荷の浅漬けなどもある。

 次から次へと出てくるので、昨日持ってきた生青海苔の蕎麦つゆ浸しは夕べと同じに出したけど、ホタテの稚貝の酒蒸しは出せず仕舞い。嫁さんのオトッツァンの50年ものの糠床で漬けたぬか漬け出して、それから市販の豚肉辛味噌ね。ぎょうじゃにんにくを炒めて、それに昼飯の残りのチャーハンを混ぜて炒め直したぎょうじゃにんにくチャーハン。ごめんね〜!手抜きで・・・ 洗い物するからご勘弁。・・・と言っても、各自それぞれに片付けながら調理して食べ進めて行くので、まとめてから洗うということが無い。

料理も酒も沢山あって消費しきれない。ほんと、メタボだなあ。食べきれない。
結局、夜は飯も炊かずパスタもやらず、ぎょうじゃにんにくチャーハンが少々だけで、あとは酒のつまみを食べまくった。

 「ポッタ、お前みたいなのは、年上の少しきついタイプで、すいも甘いも知ったお姉様にパクッと喰われちゃうんだぜ。」、と、わたし。

 『会社には綺麗な人多いんだけど、みんな強くて。』、ポッタが言う。その時にナオさんからの又聞き。『ポッタの奴、仕事でスペインに行ったんだって。それで、昼休みは向こうのヌーディストビーチじゃ、会社の秘書の女の子達がみんな○っぱい出して横になって居るんだってさ。ポッタ、一回は海岸に見に行ったららしいけど、あとは仕事が忙しいとか言って何もなかったんだってよ。』・・・「にゃにお〜!」・・・『ほんと忙しかったんだって!』

 「ポッタ、絶対に年上だよな。そういうタイプだわ。」
 するとA本氏。『うちの会社でも姉さん女房が多くて。最近、結婚する奴ら、みんな年上とばっかりだからな〜。』A本さんは大手電機メーカの管理職側だから、会社の若手の結婚傾向をよく知っている。
 「ポッタ、いい加減に○○ちゃん諦めろ。絶対に年上のお姉さんがいいぞ〜!」

 ヌカカに刺された痕がもう発症。  おお、何が受けているんだろう。きっとナオさんだな。

あっ、年上のお姉様達だ! うちらのお姉様達は、なっ、優しいだろー。

さて、夜も遅くなって冷え込んできて、上着を着込む人が多くなったところで、アオちゃんがデザートを・・・

 クレープの生地を煮ちゃうんだね。  そして、おお〜っ!

デザートにクレープシュゼットってぇのを作ってくれた。
旨かったよ〜。沢でこんなものが食べられるって予想もしないことが起きると幸せが二乗倍に。
アオちゃん、やるねー。

 (ボクには無いの?....) アオちゃんが、『先ずは女性からね。』とサーブする。この優しさが大事なんだぜポッタ君。  甘酸っぱくて温かくて柔らかくて美味しいの・・・アオちゃんがサーブしてくれたクレープシュゼットを堪能する。

 うちの嫁が此の写真を観て、「アオちゃんさんみたいな素敵な人が、目の前で作ってくれた上、サーブまでしてくれるなんてステキー!」と曰っていた。因みに、プロのアオちゃんは、自分がまず食べて味見してから出すなんて事をしない。な、ポッタ?

 5時頃から調理を始めて、直ぐにぎょうざとビールでスタート。その後、延々と11時頃まで作っては食べて飲んでいた。旨い楽しい旨い楽しいの繰り返しだ。ヤギじゃないけれど、食べる度に、「ウメェ〜!」、と発しながら食べていた。いや、ホント旨いのよ。だから楽しいんだよね。

 これで、山菜の季節やキノコの季節にやる宴会は更にブーストが掛かるから、もう大変。まあ、幸せだよね。楽しいよねえ。わたしら、沢に一体何しに来ているんだろ〜。

 その時のアオちゃんの話。『この間、仲間と二人で釣りをしに沢に入って、テン場に着いたら沢屋さん達も居たんですよ。』、『自分達は、岩魚の刺身とか沢山あったから、沢屋さんに刺身の差し入れをしたら大喜びされて、逆に向こうの方も気を使ってくれて、後から春雨とか幾つか持ってきてくれたんです。』、『ありがとうございます。でも、食べるもの沢山ありますからって、丁寧に断っちゃいました。』・・・

 

 遅くなって、可成り冷え込んできて吐く息が真っ白になるくらいになった。

 持ってきた日本酒1.5Lを更に燗付けて全部飲みきろうとするポッタ。  焚き火で和む。夜は可成り冷え込んだので豪華な焚き火は大御馳走。

 後は、焚き火の回りに座を移して温まりながらまったりする。山道を汗をかきながら歩いて居るときは、ひと吹きの風が御馳走。酔っぱらった夜のテン場では、焚き火が御馳走だねー。

 ポッタは火遊びが好きなようで、去年の秋のキノコの時も独りで最後まで火をいじくっていた。ただ、まったりとせずにやたらと火を弄くり回す素人さんなので困る。止めれと言っても弄くり回すので、96度のスピリッツを口に含んで、薪を弄くっているときを狙って噴霧してやる! ボボォ〜ッ!!!

 ダァー! 惜しい! ちょっと遅かったー。もうちょっとで手が炎上するところだったんだけどなポッタ君。

 結局、12時頃まで焚き火で和んでいたのかな。

 やがて、ポッタのみを残して皆は順々にシュラフに潜り込む。(_ _)

 

 そして翌朝。

【朝の始まりはメタボな朝食から?】

 アオちゃんは明るくなり始めた頃から姿が見えなかった。  先ずはお湯を沸かしてお茶の儀から。

 アオちゃんは、大分経ってから戻ってきたが、かなり大物を掛けたらしく竿を折って帰ってきた。残念だったね〜。わたしは出来たら釣りをやろうかと道具は持ってきたが、ルアーのリールは、出掛けに荷物を減らそうと思った際に他の道具類と一緒に車に置いてきてしまっていた。餌釣りをやろうかと思ったけれど、そういえば此の七年くらいの間、釣り針に糸を巻いたことがない。どうやったっけ?それよりも老眼で糸を見るのが辛いので、ええ〜い、面倒だから今回は見逃してやると、淵の大物は難を逃れたというわけだ、なんちって。

 夕べも食べきれずに残ったものがある。でも、朝は朝。お茶を飲んでゆっくりしたところで朝飯の支度に入る。わたしは税務署に税金を納めに行くついでに薪拾い。持って帰って鉈で苅り揃えて燃やしやすいように置いておく。

 岩魚汁を作って、ご飯を炊いてくれる。ご飯は地獄炊き。  ベーコンとぎょうじゃにんにくとキノコと卵の炒めもの。by K原さん。

 ご飯は、昨日M屋さんが渡してくれたキノコの炊き込みにする。地獄炊きと言うのだそうだが、お湯を多めに入れて強火に掛け、沸騰したら箸でグルグルにかき混ぜて全体に火を通す。そして余分なお湯を捨てて炊きあげるんだそうだ。
 『ご飯を炊くのに途中で絶対に蓋を開けるなというのはウソ!』、と、ナオさん。『だって、炊けるもんね。』、と言う。今回は、蕎麦つゆがあるので、これも足してベースの味付けをしてくれる。これもナオさん夫婦やA本さんが作ってくれる。アオちゃんも調理する。これで、M屋氏が来ていたら大変だね。食べるものだらけになってしまうだろう。
 わたしは鍋や皿洗いだけ。油ものには、無害な石鹸、シャボン玉の粉石鹸を持ってきたので其れを使う。それにしても、食器も調理器具もみんな各自が綺麗に片付けていってしまう。

 朝から旨〜い! 美味しいものだらけ。  サラダはアオちゃんが出してくれた。

 朝から豪華で美味しい食事。ま、これがやりたくて来たわけだからね。沢登りに来たわけでは無いので勘違いじゃない。沢で旨いものを採って頂き、みんなで楽しく宴会するために来た沢だ。昨日、今日で目的達成。凄く満足。この充足感は何とも言えず幸せね。

 残してもしょうがないから食べようよ。  でも、食べるものが残ってしまった。

 結構、残っちゃったね。なので、うちの嫁用ののお土産に貰ってもいい?と、タッパウェアにキノコ飯他を詰め込んだ。あまり気温が高くないから夜くらいまでだったら充分に平気でしょ。

 沢の朝日の中での食事。贅沢だね。  ポッタがお抹茶を点てる。

 朝食の途中から日射しが出てきた。ああ、弛むねえ。

 『ポッタ!お前、夕べもそうだけど、みんなに背中向けて何やってるんだ?』とA本さん。みんなに背中を向けて丸まって何をしているのかと思ったら、ポッタが抹茶を点てていた。
 一口ポッタが飲んでから、『よし!』、とみんなに振る舞う。ポッタ、おまえ何処の流派だ? 主人自ら飲んでから客人に振る舞うお点前は知らなかったぞ。

 

【面倒をみたくなる人柄?・・・どーですか誰か居ませんか〜?】
 まあそうは言っても、これでもポッタも大分進歩しているんだ。教室に来た最初の頃は何も出来ない只のお客さんだったけど、下手ながらも少しずつ料理をしてみんなに出すようになった。最初はジャガイモの料理だったかな。校長に“あいちけん”と呼ばれていた最初の頃、かなり昔の話しだ。渓流釣りに夢中になっていて、沢歩きが危ないと思ったので、沢登りの基本技術を習いに来たのがきっかけだったはず。その後、ポッタは沢登りからキノコ山菜採りに毎年毎年相当来ているみたいなので、教室に行けば、採ったものの処理から下拵え、調理まで、何かしらやらないといけないから自然と調理が出来るようになってくる。それに伴い自分自身の自炊の内容もグレードが上がった様だしね。

 それにしてもこ奴はお騒がせ男で、何時も何かやらかしている。大分以前に、キノコ採りでみんなでテン場に戻ってきてから、再度わたしと二人だけでありそうなところに採りに入った。そうしたら車の鍵を無くしたとかで山の中を二人で探した覚えがある。そして、その二年後、たしか一昨年の山菜教室でも再び同じ事を。
 新潟の山奥でのこと、車に分乗して移動し山菜採りをしていた最中に、いきなり車の鍵を落としたと言い出し、今度は、深瀬校長を始め受講生全員15名ほど全員を山の中で這い蹲らせた。コシアブラの幼木や下草の下を掻き分け鍵を探すこと数カ所を小一時間。結局、見付からずに疲れてテン場に戻ったら、停めてあった自分の車のトランクのキー孔にキーが挿してあったという顛末(此処で凄いのは、誰も怒らない。良かったねで終わってしまうところ・・・)。

 その他にも、深夜の宴会も終わり、明け方4時頃になってみんな寝付いているのに、まだ独りで飲んで騒いでいるものだから、深瀬校長に『ポッタ、寝れ!』、とどやされる。それでも寝ないポッタに何度も怒鳴る校長のでかい声でついにみんなが起きてしまい往生したなんてのもある。
 それにコイツが酔っぱらっているときに、その脇でちょっと難しいことを喋った日にゃあ、『それは、こうこうこうで・・・』と偉そうに蘊蓄を延々と垂れるというのも毎度のパターンだ。確かに色々なことを詳しく知っているし其の内容もしっかりしているから頭は良いんだろう。そのくせ、世間を舐めていて、でかい会社を辞めて、深瀬校長みたいに魚釣りやキノコ採りを教えて暮らしていきたいなどと曰うから、お前に出来るわけ無いだろ、と切り捨てられる。

 そんなポッタだけど毎回遠くからまめに来るし、本人なりに努力しているのが見て取れるので、みんなはいい仲間として認めているみたいだ。わたしにとってポッタは弄くり甲斐のあるやつだから何時もチクチクと楽しませて貰っている。ま、それもしょうがないよね。ポッタは結構お騒がせ男で時々何かやらかしているからさ。わたしは何度もポッタが落とす石で危ない目、痛い目に遭っているし。深瀬教室のメンバーは、みんな優しいし包容力があるから、わたしみたいにチクチクしないだけ。でも、一言言いたくなるのも解るでしょ。
 ま、今回の沢行きもポッタのお陰で彩りが増えたから、ちょっとポッタをフィーチャーしてページを構成してみた。悪気は無いから勘弁な、ポッタ君。君は他人の面倒をみるというよりも、面倒みて貰うタイプだと思うよ。わたしには、ポッタがお姉様に連れられて、沢に一緒に行ってあれやこれや指示されているヴィジョンが目に浮かぶんだわ。多分、ポッタは姉さん女房に文句ばかりを垂れる人生になるだろうけど、きっとその方が幸せなんだよ。ね! わかったぁ〜、ポッタ?。

 

【山の恵みありき】
 さ〜て、食事が終わってから、少しずつ片付けを始める。其の段で、『ぎょうじゃにんにく、どーする。駐車場に戻ってから分ける?それとも此処で分けていく?』、とみんなが言う。
 荷物が多いアオちゃんが、『駐車場にしませんか?』と答える。「ここで分けていこうよ。」とわたし他、採った人数名。だって、結構重たいんだもんね、ぎょうじゃにんにくの入った袋。でも、そうだよねアオちゃん荷物多いしね、と、暫く膠着状態が続く。
 「どうすんのかなー。アオちゃん要らないみたいだし・・・」、と、言ったところ、『そんなこと無いですよ〜!』ってアオちゃん。それじゃあ、ここで分けましょうとマットの上に全部広げてくれた。みんなそれぞれ欲しい分だけ取る。これで一件落着。アオちゃんは荷物が多いので可愛そうだったけど、ま、しょうがないか。

 日射しが出て気持ちがいい。K原さんは、ポッタが点てた抹茶を頂いている。アオちゃんは釣りで濡れたズボンを焚き火で乾かす。  沢を下って、ガレ場の下に到着。靴を履き替える人も居て、此処で登る前に一服。わたしは、ナオさんにアミノ酸を飲ませて貰う。

 さて、熾きが残っていた焚き火の火を強くしてティッシュなど燃やせるものは処分してしまう。
「ナオさん、便所がみ入れたでしょ?」(^-^;;
『知ってた?風向きがどうのこうの・・・』、と図星をビンゴされてちょっとしどろもどろのナオさん。
「え〜っ!したところで燃やしてくればいいのに・・・」、火の番をしていたわたし。
『だって、なかなか燃えないじゃん。』、おっ、ジャンだって横浜弁じゃん。
「そうかなあ、俺のは燃えるけどなあ・・・」 良い子の皆さんは、焚き火があるときは、他の人に気付かれないようソッと燃やしましょう。ナオさんみたいに、なかなか燃えないタオルとかと一緒に突っ込んでバレないように。

 また、山で用を足して焚き火が無いときには、使ったティッシュをあまり固めないでおいてライターで火を付ければ殆ど燃えるから、ゆっくりと余韻を味わいながら紙を焼却してから土を被せ、その上に大きな石や倒木を置いておきましょう。水溶性のティッシュもあるけれど、持っていないことが殆どなので燃やして炭化した方が大地に還りやすいし、微生物が働いている場所だったら、税金も含めて直ぐに有機物にしてくれるでしょ。もっとも、ティッシュより蕗の葉っぱでも使った方がもっと良いかも知れない。あなたのお尻とご相談の上決めれば宜し。また、其の期間中に動物達がほじくらないように重石を載せておくのが良いとされているのでご参考まで。

抜粋:略---また、いまの世の中の知識から、薪を燃やすことで二酸化炭素の増大を懸念する人も少なからず居ると思いますが、木々が山で生命活動を行っていく中で、老齢期になると酸素を盛んに出すよりも二酸化炭素も多く出すということが解ってきました。また枯れて大地に戻っていく過程でも二酸化炭素を大量に放出していくということも解っています。
 ですから二次林を利用し、植生更新させて若い木々を多くすることは二酸化炭素の吸収においても有効とされているそうです。こういったことから、イギリスやドイツのエコロジカルハウスの建築ガイドブックには薪などの木質燃料を使うことの地球温暖化への影響はゼロと書かれているいるそうです。---後略

 ついでに書けば、山で自然に木が大地に還っていく過程で出す二酸化炭素と、木が燃えるときに出す二酸化炭素の量にあまり違いは無いそうなので、欧州では生活の基礎に薪文化が定着しているという。だから、断罪的であったり被害者的な姿勢の、ヒステリックな環境保護の見方は転換すべきだと思う。※右の囲みは別ページに紹介した林業関係図書のカットになったボツ原稿に書いたもの。折角だからご参考に抜粋転記する。

 そもそも、地球温暖化の原因が二酸化炭素のみが原因というのも怪しいという科学者も多い。太陽の黒点活動によるフレアの増大でも気温が上がるというし、近年の太陽光線の強烈さは外で長時間活動していれば実感することである。また、6000年くらい年前の縄文海進の頃、縄文前期中期頃には平均気温が今よりも2度くらい高く(温度変化のグラフと詳しいことは、こちらの“団藤保晴の記者コラム 「インターネットで読み解く!」”Webサイトの第7回「縄文の人々と日本人の起源」 (97/06/19)に載っておりますのでご覧になると面白いと思います)て、その頃の横浜(元地元なので)も、ずーっと奥の方まで海だったそうだ。縄文後期の頃の平均気温が1度くらい高かった頃には八ヶ岳の西から南麓に掛けて縄文文化が花盛りだったらしい。こういった例からも解るように地球の気候は年代によって可成り大きく変動しており、当時はその気候と植生に合わせて移住しながら暮らしていたということだ。そして現在は氷河期の間の間氷期であり、同様の過去の間氷期には現在のような温暖化が起こっていたそうだ。

 つまり今の温暖化について、人工的な要因は勿論あるけれども(アスファルトジャングルの気温とか、森林の減少、工業や車からの排気などなど)、それよりももっと大きな自然界の中での振れ巾の内であるといわれている。それをミクロの部分のみを増幅し、環境やエネルギー問題にのみフォーカスして、政治的に経済的に利用して物事を動かそうとしていくのには何か裏があると考えた方が自然だ。それは、エネルギーメジャー同士の裏の鬩ぎ合いというまことしやかな噂もある。ノー○ル賞を受賞したという某政治家も片方のエネルギーメジャー、世界を裏で動かすエスタブリッシュメントの一方のただの手先だという話しも有名だ。本当かどうかを確認する術は無いが、世界の裏の力関係についての話しを聞いて流れを観ていると、充分にありそうな気がする。
 またこれに関して言えば、○リン○ース創設メンバーの一人であるマイ○ル○○リー氏の講演を聞いたことがあるが、その内容は此の政治家の業績アピールに終始していたことだ。そして其処で流す映像では、相変わらず、湾岸戦争の時に流出した重油で油まみれになった瀕死の海鳥がフィーチャーされていた。此の海鳥の映像自体は、アメリカが制作させたたやらせ映像で、戦争を肯定するためのもので有ったことは既に明らかになっている。こういった映像をいまだに使って重油と中東のネガティブなイメイジを作り上げ、逆に特定の政治家を持ち上げる活動をおこなっている環境保護団体も、表向きのものと裏の活動目的があることが、書籍等でも言及されている。
 世界の裏の力関係と覇権争い、経済戦争は、原油、株式、穀物、バイオ、新薬、エネルギー、兵器関連の市場操作、そして国自体を裏から操作する、などの結果、我々一般庶民の生活にもろに響いて来るから他人事と捨て置かないで、みんなで賢くなって自衛策を講じていかないとこれから先々が危なっかしくて仕方がない(ウォータビジネスの一環として日本の水源の山が多国籍企業に買い占められていると声高に叫ばれ始めている噂もそうだ)。

 其の我々が、この自然界の法則を学び本当の環境保護がどんなものか知っていくのには、日本の昔からの生活形態について追体験をしてみれば良いと思う。つまり自給自足を基本とした助け合いだ。其のベースは森林資源で、燃料や住居の用材、道具の素材は森から得てくる。森林の再生と利用を繰り返す循環サイクルをもった木の文化の智慧だ。森から得られる山菜キノコ木の実以外の基本的な食糧の自給以外に於いて、生活を成り立たせるためには木材無くしては有り得ない。定着型であれ移動型であれ、生活するのには何らかの形で木材が必要だ。そう言う意味で、沢登りというのは自然の中で移動しながら生活していくミニマムのシステムだから、自然界理解への一つの切り口として面白いと思う。

 勿論、今回はメタボ仕様の豪華なものだったので、ガスや様々な調理器具、そして持ち込んだ食材とアルコールが沢山あるが、そういったものが無くとも最低限のもののみ持って行き、あとは有るものの応用や現地調達で移動していくことも出来る。採集しながらの生活のノウハウと、安全確保、自然の見方などの智慧を身に付けて行きたいというのが此処に登場している仲間達であり、深瀬教室の人達なのだと思う。

 勿論、各地にもそんな方々が居られるだろうし、深瀬教室と似たような講習会も可成り増えてきたから、より多くの方々がこういったスタンスで大自然の中に入り込み、その自然の不可思議さや強さ、そして脆弱さを体感されるのがよいと思う。ただ、毎度書くけど、危険な領域に踏み込んで行くには心の在り方、意識の問題とか人柄ってのが大事な要素に思える。こういった遊びは技術は当然必要だし、経験や智慧も大事だけど、心の向きはもっと大事だと思う。キャパを超えた領域に踏み込んでしまうかどうかというクリティカルレベルに於いて、そういった微妙な要素が分岐点になることが多々ある。おお、また長文能書きを書いてしまった。こういった事をエラソーに言いたいが為に、こういったページを起こしていたりして・・・ま、勘弁してやって下さい。

 

【ポ、ポッタ〜!!!------- ぽったん!】
 ということで、心置きなく焚き火をやって、ナオさんが突っ込んだタオルや便所がみも綺麗に燃やし、テン場を綺麗に片付けてスタートしたのが10時半頃だったのかな。一旦、沢を下ってガレ場の下に到着。そして、登る前に一休みね。アプローチシューズに履き替える人、荷物を整え直す人、そして沢での集合写真を撮ってから登り始める。

 ポッタに先に行かせてくれと断ってから登り始める。わたしはナオさんと違うルートを採って登っていく。ガレ場なんて好きな人は居ないと思うけれど、ルートを選んで根を張っている石を足場にして登っていけば思っているほど歩きにくくは無い。但し、手も上手に使って一つの足場に荷重全部を掛けないようにする微妙なバランスは大事だ。浮いている石や岩ばかりだからね。なので細い灌木や、根も、頼らない程度のホールドにしてバランスで登っていく。浮いている岩を動かさないように山を崩さないようにだ。

ガレ場の風景
岩がかなり浮いているので危ない。所々崩落していてもっと急に成っている。
こんな所もこなして比高200m。ザックが重たいので、40分以上掛かる。
尾根を間違うと更に200m登り詰めてしまうらしい。
ガレていて所々踏み跡が消えるためにルートが分かり難い。

 この画像だと雰囲気が解らないかも。結構斜度がきついんだよね。  ポッタがやっと登ってきたので、みんなで拍手で迎える。

 ガレ場も上部になると広くなっている。そのまま登ってしまうと違う尾根になってしまうので、尾根を巻いている山道を探し出す。体調が芳しくなかった割にはあまり苦しくなく登れた。と、言うよりも山に入ったら元気が出てきたのだ。大体、二晩の連続宴会でも、歯槽膿漏関係なかったもんね。

 1時間近く掛かったのか、やっと尾根の広い山道まで出て一服。ポッタ達を待つ。ナオさんは最初、わたしと一緒にトップで登ったんだけど、面倒見がよいのでポッタに着いて最後に登ってきてくれた。みんなで拍手で迎えると倒れ込むポッタ。クエン酸キャンディやバナナをミキさんやナオさん、K原さんが分けてみんなに回してくれる。わたしは、途中にある水場を当てにして水を担ぎ上げてこなかったので、ミキさんにお茶を分けて貰った。お陰で荷物を楽させて貰った。

 暫く休んでから再スタート。歩き始めたら、ポッタが危なっかしいので再びナオさんがサポートについてくれた。此処から3時間くらいは掛かるはず。斜面に辛うじてついている踏み跡の様な山道をトレースするのだ。途中、ポッタ達がなかなか追いついてこないので、可成り長時間待つ。

 やっとナオさんに声が届いてみたら・・・ やっぱり!やってもうたー。ポッタが、ポッタがー、ポッタん!って落ちてしまったらしい。5m位滑落したそうだが、岩とかが無かったのでなんでもなかったそうだ。良かったよー。

 このルートは下手なところで落ちると10mから数10mは滑り墜ちそうなところが沢山ある。岩が多いから危ないしね。大体、山自体が落ち着いていない。その上、崖っぷちでザックの天井部が岩に当たったり木に当たったりして、バランスを崩すところも幾つかある。大体、飲食物や調理器具などで満杯になって膨らんだ60Lザックを担いで通る路じゃないんだよね。
 ポッタは怪我もなく、ズボンの尻を再度泥だらけにしただけで復活。

 

【ストックの有り難み】

 ポッタとサポートのナオさんを待つ。  こういった場所ではストックを山側に突きながらバランスを採る。

 其の後も、なかなか追いついてこないので2カ所ほどで、ポッタとナオさんを待つ。わたしはヘタレて来たので、みんなに先に行って貰ってゆっくりと一人で歩いていった。危なっかしいルートなので、重いザックに与太りながら一人で歩くのも寂しいものがある。途中でナオさんやポッタを待つがなかなか来ない。
 時々ナオさんのでかい声が風に乗って聞こえてくる。何か叫んでいるように聞こえたので、呼んでみたり呼び子を吹いてみたりするが、こちらのは聞こえないらしい。丁度、水が流れる小沢の辺りのようで水音で聞こえないのだろう。尾根と谷が一つ半くらい違う下の方に居る。呼び子を吹いたので、尾根一つ先に進んでいるみんなの足を止めてしまったらしい。
 やがてナオさん達と声が届くようになって無事を確認。再スタートする。

 こんな急斜面をトラバースするような細い踏み跡を歩くときは、上の画像のアオちゃんのお手本の様に、山側にストックを突いてバランスを採りながら歩くってA本さんに教わる。深瀬教室でも教えているそうだが、幸い?わたしはこんな所を重たい荷物持って3時間も歩くなんてやったことがない。ザックの大きさと重量で歩き方は変わるよね。今回はストック持ってきて良かったと、其の有り難みを実感した。

 ストックは、A本さんとポッタ以外は持ってきた。A本さんは往きに山道の入り口で誰かが置いていったであろう杖代わりの木を拾って使っていた。ポッタは往きも帰りも無し。でも、こんな平らな道でも、それなりに段差や木の根っ子を越えていく箇所が次から次へとあるのだから、高い段差を降りるときにはストックや杖があった方が足下が安定する。重たい荷物を背負って段差を降りるのに、その直ぐ脇が崖だったり急斜面だったりするわけだから、ちょっとバランスを崩したり、足を滑らせば直ぐに滑落に繋がるからね。段差が高い所を降りる一歩目のときにストックでサポートするだけでも全然違うし、歩く際の滑りやすい所でバランスを採り直すのにも有効だ。特に、疲れて膝に来たときの下りでは有ると無いとじゃ全然違う。

 なので、ポッタがやっと追いついた休みの時に、ザックの横に装着していたナオさんの鋸を借りて丁度良さそうな立木を切ってきて、鉈で枝を払いグリップ部分を削いで握りやすくして杖を作ってポッタに渡した。こんな時には鉈が一番便利だ。もっと、早く気が付いてやれば良かったとちょっと後悔。

後悔:スンマセン、話しついでに。PCに昔の画像をストアしてあったので載せちゃおう。
 昔、朝日連峰の飯豊山に行ったとき。昭和55年5月となっていたから28年くらい前だろうか。大石ダム側から西俣を登り、稜線まで出たら吹雪のため確か閃内小屋で二日間の停滞。飯豊のピークは踏めずに小国側に下山する途中。ザックは借りたフレームザック! 杖は拾った枝ね。
 そんな昔、イワナ釣りの聖域に行ったのにも関わらず沢には目もくれなかったのよ〜。今になるとひたすら後悔。懺悔? 本当にガッカリなことをしたものだ。

 岩場じゃ邪魔だからと、自分自身あまりストックを使う方ではないので、サポート程度に、それからテン場でもタープの補助にも使えるだろうと持ってきた。でも、荷物が相当重たいときの下りには有効だし、またこんなきつい斜面のトラバースの様な歩きにも有効なのが改めて今回解った。
 昔、縦走をちょっとやった頃は体が強かったので、20kg以上の荷物を背負っても杖の必要性を感じたことはなかったし、南アの聖の頂上(3000m)からはサブザック担いで岩場を駆け下りて遊んでいた。あ!思い出した。そう言えば、その元気だった昔の頃も、でかいザックに鍋入れて当時の仲間と丹沢などの山に登ってで薯煮会をやっていたんだわ。歴史は螺旋状に繰り返すって、これ書いていて思いだした。
(※思い出したついでに:今回の宴会でも少し話したんだけど、南アルプスの聖岳に昔の仲間に連れていって貰ったのは多分29〜30年くらい前。何日も縦走した帰り、夜明け前にヘッデン点けて聖沢を降りた後は畑薙湖までの林道歩き。全部で13時間くらいの下山行程だったけど、その林道の途中でヘタレて川に足を突っ込んで冷やしていた。畑薙湖の上、つまり大井川の上流域でね。そうしたら、今から考えれば尺以上の大きさの黒い魚がウヨウヨ居て、バシャバシャやるとちょっと逃げる位だった。当時、誰も釣りをやらなかったんだよね。へーっ、こんな所に魚が居るんだ?てなものだった。後年もバイクで北海道に行って静内川の上流域にまで入ったけれど、やり始めだった仲間が一人竿だしても釣れなかった。何れも今から考えると本当に惜しいことをした。当時は釣り荒らされて居なかったんだもんね。畑薙湖の上に居たのは、やっぱりヤマト岩魚だったんだろうな〜。それも砲弾みたいにでかいのがウヨウヨ・・・くぅ〜っ!!! ということで、四半世紀で自然環境がガラッと変わっちゃったという証拠。渓流魚が少なくなったのは釣り人が増えたと言うこともあるけれど、山の環境破壊、不必要な堰堤、ダムなどの人工的な変化の影響が大きい)

 それにしても予想通りというか、危なっかしいなと往きの時から思っていたポッタが落ちたのは、ちょっと考えないといけないね。A本さんは、ポッタの奴、あんなに呑んだくれだったっけ?と言っていたけど、キノコや山菜採りの時は、結構二日酔いで歩いて居る酔いどれポッタなのだ。お前、なんでそんな酒飲むんだ? と、聞いたら、『酒が美味しくて!』、という答えだった。まあ、確かに深瀬教室及び、仲間達との酒は、ちょっと普通無いくらいに楽しくて旨いわな。次から次へと誰かが料理して旨いものを出してくるし、酒も色々出てくるし、話しも尽きないからね。
 それでも翌日に残るくらいに呑むのが毎回だからねポッタは。「懲りないのか?」、と、尋ねると、『学習能力無いから〜!』、と開き直るポッタなのだ。

 

【楽しみは続く〜、そして沢登りは歯槽膿漏の治療にもGoo!】
 山道を抜け出たところで、みんなでポッタを待っている間に相当身体が冷えてしまった。もうちょっと休んでいくというポッタを独り置いて残り全員で出発。林道を下って順々に駐車場に到着。荷物を片付けながら着替える。ああ、重たかった〜。やっと、足が解放されて緊張感が溶ける。
 やがてポッタも帰着。駐車場には老夫婦やおじさん達が居たが、駐車場のど真ん中で、ヌーディストビーチ馴れしたポッタが丸裸になって着替える。赤ちゃんの様なポチャポチャの身体は、やっぱりメタボだった。写真?写真は、集合写真用に1枚分残してあったが、メモリーカード2枚とも一杯のために撮り損なった。

 そのメタボ・ポッターは、今回は流石に大変だったらしく、殊勝にも全員に握手して礼を言っている。珍しい。作ってやった杖も、「山道出たところで、もう要らないや。ポ〜イ!って捨てて来ちゃうんじゃないの〜。」、って憎まれ口を言っていたけど、ナオさんが、『愛知まで持って帰るって車に積んでたよ。』と言っていた。そうだよ、記念に持っていて今回の大変且つ楽しかったことを思い出せよと思った。でも、こいつ懲りないんだろうなあ。また次の時も酔いどれて山道を歩くんだろうか。それとも、今回で学習するのだろうか。
 A本さんは、これに懲りてもう来ないなんて事はないだろうか、と心配していたけど、学習能力の無いポッタには無用な心配の様に思えたわたしだ。

 無事帰着。これから温泉だ。  後日。ヌカカにやられまくった痕が腫れて痒くなった。

 さてさて、挨拶をして、現地で違うルートで帰る人達と別れ、我々は途中の温泉に寄ってから帰る。やっぱり高速は渋滞していて難儀したが、ナオさんが終始運転をしてくれて楽珍な帰路となった。

歯槽膿漏その後: ナオさんの言うとおり、沢では歯槽膿漏なんて関係なかった。その上、帰ってきて放って於いても歯茎の腫れは沈静化に向かった。前に友達がその友達の歯医者に詳しく突っ込んで確認したら、奥歯の歯槽膿漏は、肩の凝りとか肩胛骨の所の凝りを取らないと完治しないって教えてくれたそうだ。そういえば、去年の秋も、歯槽膿漏で熱が出て寝込んだ後(この時は医者に治療に通っていた)に深瀬教室のキノコ採りに行ったら、酒飲んで騒いでも全然平気だったし、却って楽になったくらいだったもんね。冬と此の春にまたまた再発して(最近免疫力が落ちているらしく調子悪い)、それぞれ自分で直すようにやってみた後だったが、今回の沢で汗をかく体験でも肩凝りとの関係を感じた。
 それから、うちの親や他の友達達に聞いても、歯槽膿漏と肩凝り、そして眼の方まで関連しているという人が多かった。首や肩のマッサージをして凝りを取ると歯茎の腫れが退くのが分かる。そして今回重い荷物を背負ってどうなるかと思ったが、確かに肩はきつかったものの、逆に違った刺激を与えて良かったみたいだ。
 去年、掛かり付けの歯医者さんに言われた。『パソコンとかデスクワークはダメだけれど、なにか集中できることをやった方が歯槽膿漏の治りが早い。』、って。つまり、肩が凝るような事じゃなくて、身体を弛める様なこと、頭を真っ白にして集中出来る様なこと、と理解した。そして、身体の芯から熱する様ないい汗をかくことが大事なんだろうね。免疫機構を正常に働かせるには、精神衛生も含めて、こういった身体を使う事をやっていることが大事なことを改めて感じた。山や農、海に暮らす身体を使う仕事をしている人達が、綺麗な飲食物を摂取して、住環境さえ汚されていない場合は本当に皆さん歳をとっても健康だものね。

 今回は、歯医者にも行かず、特に薬をを採るわけでもなく、山から帰ったら歯槽膿漏は収束に向かっていた。身体を動かして芯から汗をかいたのが良いのか、それとも楽しくて美味しかったのが良いのか、ブナの林の中を良かったのか、それらの複合的な作用なのか。兎にも角にも調子が良くなったのは事実。

 かなり遅くなって家まで送って貰い、降りるときに、「二度と行かないよ!あんなとこ。」、等と言う罰当たりなことは言わずに、「本当にありがとうございます。ナオさん騙してくれて有り難う!!!楽しかった!」と感謝を籠めてナオさんミキさんに心からお礼を言った。

 帰りの車の中でも話したけど、最初から事細かにどんな所を歩くなんて説明されていたら、俺絶対に行かなかったもんね。大体、めんどくさがり屋だし。今回は、ポジティブに騙されて良かったという顛末。それもこれもナオさんのお陰だ。
 でも、其の後は数日ダウン。単に疲れたとかじゃなくて、何かお土産を拾ってきてしまったみたいだ。あの場所かなあ、それとも温泉に一緒に入って居た唸り声をずーっと出していた変なオッサンかな。なかなか質が悪くて抜けなかったけどね。肉体的な疲れでは無いのは確か。

 身体の方はいい汗をかいたお陰で毒気も抜けて却って体調が良くなった。心配した歯槽膿漏は悪くなるどころか逆に快方に向かった。やっぱりいい汗をかくことと、あとはちょっとスリリングな想いをするのは身体と精神の衛生上とても良いことなのを改めて認識。その上、普通食べられない旨いものの連発だもんね〜!

 都会暮らしやインドアでの仕事が主な人は、こういった良い遊びでいい汗をかかないと健康は保てないことを再認識することが大事だろうね。思い当たる人は自分に合ったものを探すと良いよね。今更ながらだが、大体、体調が長期間思わしくないと気持も後ろ向きになってしまうからね。わたしみたいに生活に流されて、そう言うことさえも忘れてしまう事って多分少なからずあるはず。

 今回は、ナオさんのいい加減さ、いや、良い加減さ、いや、ポジティブな適当さが良い結果に結びついた。結婚してから危ない遊びから遠ざかって居たけど、やっぱりわたしにとって、沢に行ったり、バイクでのオフロードライディングで汗をかくのが一番の手法と改めて認識した。楽しんで(結構怖い思いをしながら?)汗かき楽しんで帰ってくると本当に体調も精神状態も良い。実際、今回も良くなったし。

 いや本当に、ありがとうございました。感謝感謝です!!! ナオさん夫婦を初め、素敵な仲間達みんなに感謝だ。今回もわたしの能書きの題材にされてしまった方も居られますが、内容はみなさんに対して申し上げていることではございませんのでご理解を賜れればと思います。

 それにしてもなあ・・・また行くとなったら、あの山道はちょっとなあ。ヌカカも嫌だしなあ。でも、ぎょうじゃにんにくは食べたいし、ミキさんのぎょうじゃにんにくぎょうざは絶品だし、岩魚の刺身やナメロウも旨いよなあ。今回行けなかったS井さんは後日メイルをくれて、『ナオさんの岩魚の骨煎餅、唐揚げが食べたかった。』、って、書いてあったから去年はこんなメニューも有ったんだな。今年は食べきれなかったからやらなかったんだ。あとは、ローストポークもクレープシュゼットも旨かったし、みんなが作ってくれた料理のどれもこれも美味しかったしなあ。そうだ!お抹茶も美味しかったぜ、ポッタ。みんなそれぞれにカラーが有って楽しい人達だしなあ。また、行こうよってみんなが誘ってくれているし。
 で、困ったなあ・・・と、来年のぎょうじゃにんにくの季節まで悩むことにした。

 そうそう、ヌカカに喰われた痕は、腫れてずーっと痒く2週間は沢に行った名残を楽しませて貰った。おでこも顔も喰われていた居たけれど、面の皮が厚いのか、こちらの被害は少々で済んだ。帰ってきてから二日くらい経ってから痒くなり始めたんだよね。時限装置付きなのか?

 そして、痒い腕を掻きながら思い出すのは、あの美味しかった食べ物とみんなとの楽しい一時。撮った画像をモニターで嫁に見せながら、その時の楽しさや語らいの内容、料理の旨さや、みんなの手際よさなどを自慢した。
 旨いものが好きな我々夫婦には、何度でも楽しめるのが、この仲間との遊びなのだ。みんなと一緒に遊んで、持ち帰った山菜やキノコ、今回はぎょうじゃにんにくも、周りの人に配れるから他の人達まで楽しめるし。う〜ん、再びナオさんに騙されてしまう日も近いのだろうか・・・

以上

 

追記`08/7/27その後:此の記事を起こしたのは6月だったが、その後皆さん7月には2回沢に行っていた。残念ながらわたくしめは行けず仕舞い。其の2回目は7月末の土日だったのだが、出発予定と聞いていた金曜の夜になってから試しにナオさんに電話をしてみたところ、ミキさんが電話口に出て、丁度荷物のパッキングをしている最中とのこと。もうすぐK原さんがナオさんと合流したら現地に向かって出掛けるという。今回の目的地は中央アルプスの○○○川だ。メンバーは前回参加の私以外全員だそうだ。土曜の朝4時に現地待ち合わせらしい。ところが、電話をした時点でアオちゃんは既に他の河川に釣りに入って釣果を上げてから、夜になって一人で美味しく酒を呑んでいたところだったそうだ。みんな好きだね〜。

 わたしは土曜日には自治会の盆踊り大会で出店を手伝い、その売り物である山形のコンニャクやフランクフルト、そして中華のプロが仕込んでみんなで作った激旨肉団子と生ビールで美味しく楽しくやっていたが、あまりに気になるのでナオさんやA本氏の携帯に電話をするも、虚しく呼び出し音がなるだけだったり、電波が通じないメッセージが聞こえるだけだった。
 そして明くる日曜日の午後。ナオさんから、「わるいわるい、電話気がつかなかったよ。今回も食べ物沢山あって、旨いものばっかりだったわ。」、と電話が入る。荷物も片付け終わったので、これから現地の旨いものを食いに行って、それから温泉入って帰るという話しだ。「これこそ平らって道だったし、水は澄んでいて凄く綺麗だった。Hちゃん残念だったね。」、って。A本氏に途中から電話が代わって、「尺が出たよ。オレンジの斑点のヤマト岩魚。刺身で喰ったけど旨かった。」、と羨ましい報告。くそ〜! ぐやぢぃ〜〜〜...
 男連中が釣りをやっている間、女性陣のミキさんとK原さんは沢登りに行っていたらしい。二人だけで凄い崖を登って林道まで詰めて登って、上を歩いて居たアオちゃん達と合流したとか。ポッタは相変わらず飲んだくれていたらしい。そして草履履きで釣りをしていて、なにか毒虫にやられたらしく、足が腫れてつま先で歩いて居たとか。K原さんもメイルをくれて、今回一緒に行けなくて残念だったと慰めてくれた。皆さんありがとね。

 こんなところを歩いてきたらしい。  後日、ミキさんがメイルで写真を送ってくれた。

 相撲部屋一家、とファイル名がついていた画像。  ヌメリスギタケモドキも採れたんだってさ。

 そのまた後日、この中央アルプスには行っていないM屋氏からも電話があって、今度N県の川に潜水艦岩魚を釣りに行かないかというお誘い。そーか〜。そう言えば、此のメンバーって、沢屋というよりも釣り師集団だったんだ。なもんでアクティブなのね。しょっちゅう山に入って居るもんな。
 そのM屋氏に7月の沢一回目はどうったのか聞いたら、その時はM屋氏の他、A本氏とE本氏、それからM井嬢の4人で、釣り&沢で奥多摩の某川に行って一泊してきたらしい。これまた岩魚釣って、夏キノコ採って美味しい沢だったとのこと。こんど秋には、何処か一緒に連れていってくれと頼んだけど、その前に深瀬教室の(裏)キノコ採り講習会で一緒かな。さて、こんな天候の今年はキノコはどうなることやら。まずはみんなに会うのが楽しみだ。その時には詳しく自慢話を聞かせて下さいな。追記、以上

 

再追記`08/8/20どーでも良いことだけれども...:今年の夏は一段と暑い。エアコンの無い仕事場(自宅)は地獄と化す。明け方から夕方まで容赦ない日射しで炙られる近代建築の家でPCに向かう仕事は有り得ないだろー。ある日には、あまりの暑さに数台有るPCの内、2台がおかしな動きをを始めたくらいだ。それなのに`08/8/17は雨が降り冷たい空気が流れ込んだとかで秋の陽気になり日々34度以上だった気温が25度くらいまで落ち込んだ。あまりに寒いので上着を着て靴下まで履いちゃったもんね。自分にとっては正しく仕事日和だった。
 そして翌日。空は晴れ渡り空気は澄んで爽やか。日射しはあるのにあまり暑くない。此また仕事日和なのだが、朝起き抜けに閃いた。今日は山だ。この所、汗をかいていないし、蕎麦屋の嫁は休みだし、其の嫁は弱っちょろくて少し鍛えないともっと山奥にも連れていけないしということで近くの丹沢の山にハイキングがてらキノコの様子を見に行くことにした。目的地はタマゴタケがわんさか出るという噂の山だけど、今まで何回も行ったがお目に掛かったことがない。それよりも、今の丹沢は鹿が増えたり猪も活躍したりで、此等の動物を媒介として蛭が増殖して要注意のエリアになってしまった。

 毎度、丹沢の山に入る度に蛭に身を挺して食糧を供給している。丹沢の山蛭なんちゃあ紀州のぶっとい蛭からみたら可愛いもんだけど、あの姿はあまり気持ちよくないもんで、身体を這いずり回られるのは全然嬉しくない。知らない間に服の裏側まで入り込まれるのは気分悪いよね。なので、夏で暑いけど夫婦揃って長靴で登ることにした。でも、やられたね。先ずは履く前に靴下やズボンにキンカンを染み込ませておいた。そして長靴の口の周りにもキンカンを塗った。蛭には塩なども効くけれど身近にあるキンカンが扱いやすいので愛用している。充分に有効だ。
 蛭は引っ張って剥がすと傷口がなかなか塞がらないで往生する。ライターの火とか塩、そしてキンカンなどで自らサヨナラして貰う方がよい。案の定その蛭たちは、山に登り始めた早々から長靴を這い上がってきていた。弱っちょろい上に体調が悪い嫁は、登山道を休み休み登るので、その度に足下をチェックしているのにも関わらず、長靴の中のズボンの裾まで入り込んでくる。長靴に塗った場合にはキンカンが直ぐに乾いてしまうのでプロテクト効果が落ちるのが早いようだ。
 わたしはキノコを探しながら藪の中を歩くので尚更だ。ズボンの縒れた間にでかいのが二匹も入り込んでいたのを発見。キンカン塗ってまた塗って、、、蛭ちゃんとおさらばする。

 そんな蛭のお陰で晩夏の爽やかな山歩きが鬱陶しいものになってしまった。それでも乾燥した尾根まで上がったら長靴に這い上がってくる蛭の姿もなくなり、気持の良い山歩き、キノコ探索が出来るようになった。
 でも、居ないんだよね〜タマゴタケ。それでもミルダケやケトバスダケなどは出ているので、キノコが無いわけではない。気持ちの良い林の中を徘徊して探すが無い。藪の中に入って探しているわたしよりも、山道を歩いて居る嫁の方がキノコを見付けることが多い。やがて、わたしがタマゴタケ発見!喜んで収穫する。・・・がよく見るとちょっと違う。傘裏の襞がなくイグチ系の赤いキノコだ。近くにも発見して全部で4本採ったが触ったところが青く変色する。よく解らないが取り敢えず網袋にひとまとめにする。
 そんな事をやっていたら、嫁が騒いでいる。おおっと、でっかいキノコ。これはイグチ系のアカヤマドリかドクヤマドリだろう(実際見た目がちがうのだけど、うろ覚えの素人なもんでその場では良く解らなかった)と確保。その他にもイグチ系のキノコを採ったけれど、結局タマゴタケには出会えず仕舞い。

 毎日暑かったのに、この日だけ爽やで涼しく山歩きには最高だった。  蛭さえいなければ地面に座ってノンビリできたのにね〜。

 山の麓の車を停めたところまで戻ったら、出掛けには犬4匹がわんわん煩く騒いでいたファミリーだけでなく、戻った時にはさらに若者10名ほどのキャンパーが増えて山中に響きわたるほどの低音が効いた音楽を流しながらドンチャンと盛り上がっていた。そして、車まで戻って、靴と靴下を脱ぎ、蛭をチェック!大丈夫だった〜・・・今回は免れた、、、と、安心していたら下山中の車の助手席で嫁が騒ぐ。ズボンをたくし上げたスネのところに蛭が吸い付いて膨らんでいた。どうも、ズボンの裏まで入り込まれていたようだ。ガッカリ。
 直ぐに車を停めて、降りてからキンカン塗ってまた塗って。蛭さんとおさらばする。血は出ていたが夜には止まっていた。と言うことで、今回は一匹だけの被害だった。去年、仕事の帰りに此の山の方面を通ったもので寄り道して山の奥に入っていき、その時はキンカンなぞ無いからズックで登ってキノコの様子を見に行った。駆け足で登って降りてきた。止まるときには足下と靴の周りをチェックしていたが、結局車に戻って靴下を脱いだら血を吸って丸々太った蛭が二匹張り付いていたこともあったから、今回は二人で行って一匹だけの被害だったら、まあ上等だろ〜。

 アカヤマドリ。帰宅して図鑑で調べたらアカヤマドリ以外の何物でもなかった。知ってはいたしキノコ教室でも仲間が採っていたけれど、実際に自分で採って食べないと覚えないね。  ということで、アカヤマドリはタマネギとニンニク&バターでパスタに。前日は、アカヤマドリともう一つのウラベニイロガワリを颪和えにして美味しく頂いた。

 さて、キノコ採りの深瀬教室も散々行っている癖になかなかキノコのことを覚えないわたしは、山から帰ってきて図鑑を調べて、アカヤマドリとウラベニイロガワリと同定した。と、言ってもキノコは似たりが多いし、成長過程で変色するので確たる自信が持てないことが多い。でも、今回は平気だろ。
 まずはキノコの先生、S井氏に電話をしてみるが通じない。会社の昼休みを狙ってA本氏に電話をして調理法や注意点を教えて貰う。A本氏は料理も上手な上、記憶力が良いので頼りになるのだ。そして、その勢いで、夕方には夜勤の出勤前のM屋氏にも電話をしてみる。なんっていったって元コックだから細かいところや風味の活かし方まで調理法を教えてくれた。

 先に書いた新潟の潜水艦岩魚を釣りに行ったかどうかを聞いてみたら、M屋氏とE本氏、それからアオちゃんとで行ってきたらしい。でも、釣果は普通の岩魚が釣れただけとのことで、E本氏がサクラ鱒をバラしたとか。誘われたときに、「今時、潜水艦岩魚なんて居るわけないじゃん。」などと申し上げてしまったら、やっぱりだめだったのね。勿論、釣れなかっただけで絶対にいないと言う訳じゃないからイメイジしてアクションを起こすのは大事だよね〜。でも残念だったねー。

 さて、アカヤマドリの事を書いていて思いだした。去年の東京マタギのキノコ採り教室の時にF県の山奥でポッタがアカヤマドリを採っていたじゃん・・・ 写真を探してみたらやっぱりあった。この時、ポッタはまだあまり太っていなかった。1年も経たない内に様変わりしてしまったんだねぃ。それにしてもわたしの脳味噌の記憶領域の損傷は進んでいるようで、そんな事もなかなか思い出せない様になってしまっているのが怖い。

 アカヤマドリ。この時は三つ位採れた。まだ普通の頃のポッタ。  昨年`07年のキノコ教室。写真はM井嬢、深瀬校長、A本氏だ。他には遡行同人梁山泊N須さんとポッタ、そして受講生の方々だった。

 アカヤマドリのパスタの味は美味しかったが、タマゴタケの方が食感も良く美味しいと思う。アカヤマドリは、M屋氏が言っていたみたいに生クリームを使ってまったりとしたパスタにした方が合っているかもしれない。・・・と、こんな追記を書いていたら、隣でキノコ図鑑を観ていた嫁が、「このアカヤマドリの幼菌って、山道に出ていたけど良く解らないからって採らなかったのに似ているね・・・」、と曰う。採った画像を引っぱり出して図鑑と見比べると、「アカヤマドリじゃん!!!」「ゲゲー!ガッカリ〜。」うわ〜、参ったなあ。知らないってのはおとろしいね。くっそ〜!明日の朝早くに採りに行くことにした。誰か山に登っていたら無いかも知れないけれど、もし未だ有って四日後だったら少しは大きくなったのが何本も出ているはず。さて、ど〜なりますことやら・・・

 なんて書いた翌日にバイクに乗って一人で現場に行って来た・・・くっそ〜....

なんだか良く解らないもの。

裏を見てもSTDなに見えるんだけど。

ニガイグチモドキ?

実物の傘裏は図鑑の様な紫色っぽいものだった。
ダイダイイグチ? キッコウアワタケ? アカジコウにも似ているのだが コガネヤマドリ?

 肝心なものは無かったけれど、あんなのがあったり、こんなのがあったり、こういうのも出ていたけれど、喰えるのは此と此かな。さて、今晩もチャレンジでしょうか・・・

 その後、喰えそうなものを先ず少しだけ切って茹で颪和えに食べてみる。その晩を無事に過ごしたので、翌日はパスタにして食べた・・・ウウウ、ウ〜・・・うまかったぁ〜〜〜〜。でも、コガネヤマドリ?って書いたのはあまり旨くもなかったね。

再追記、以上

 

おまけ:
☆少々、歩きに関する考察☆
 帰りの沢でポッタの後、しんがりを歩いて居て気がついた。どうも、ライン取りや足場の選び方をあまり考えていないのかも知れないポッタなのだ。浮き石や大小の岩がある沢の歩きは簡単には説明できないし、山の岩場とはまたちょっと異なるところもあるけれど、要約して書いてみよう。

 さて、深瀬校長と沢を歩いても、身体のバネが違うから同じ所に足を運ぶことが難しいので真似をすることは出来ないが、上手な人は頭の上下動が少ないことが共通項。此はバイクのオフロードレース(以下MXという)でも同じ。速い人はどんな凸凹の所をハイスピードで抜けても頭の上下が少ない。
 この沢歩きとMXライディングには通ずるところが有るように思う(普通の道は全然関係ない。3次元の動きが激しいオフロードのみ)。足首と膝のクッションを自由にして、腰も柔らかく屈伸しながら肩から上があまり動かないようにする(バイクの場合には手首、肘、肩も突然のショックに対応できるように)。腰と身体のバネで乗りながら瞬時にバランスを採っていく。

 例えば、自分の場合、沢沿いや河原歩いていくときは、根が張った大きめの石のてっぺんや大きな石のフットホールドを選び、高低差の少ないルートを見極めて渡っていく感じだ。勿論、砂地だったり歩きやすい大きさの石が揃った高低差が無い河原だったら、高いところよりも低い地面を歩く。ただ、その地面に高低差が大きくなり膝を使っての上り下りが入る場合には、先のように自分のステップにあった高い部分のみ拾って、上下動の少ないルートを採るようにする。これで、疲れ方と速度が全然異なってくる。
 これは先のMXのコースで、フープスとかギャップと言われる極度の凸凹が連続するときに、上手い人は其の頭だけをなめるように飛んでいく(スピードと身体能力が必要)のと同じだ。此が出来る人にはその方が楽で速い。

 そして、沢には浮き石があるが、見極めたつもりでも乗った途端動くことが多い。歩くときは、そう言ったことが起きることも予想して、石が動いて転けた場合の対処についても足を乗せる前に想定しておく。動いて滑った後、身体がどちらに倒れるか、転倒しても頭を打つことがないかなどだ。片足が滑った後に、もう一方の足が先に着地してフォローできるかどうかも想定の内である。そうやってルートを採る。
 足を置くときにも、その置き方のベクトルと荷重の掛け方、滑ったときの事を想定して、膝を全部伸ばさないで、若干曲げて直ぐに反応できるようにしておくとか、腰も直ぐに曲げて対応できる様な余裕を持っておくなどがある。つまり、ファッションモデルさん達の様なショー向けの踵からカツカツと歩くウォーキングスタイルとは対局にある。

 こういうのは、一々頭で考えて瞬時の対処が出来るわけがない。全て、身体意識というか潜在意識というか、身体にプログラムしておいて、何か想定外のことが起こったら瞬間的に無意識に反応できるようにするわけだ。体技というは頭で考えなくとも自動反応するように訓練するのは何事も同じ。ただ、その前にプログラムの良し悪しがあるから、訓練時には、当然理論も大事なことは言うまでもないだろう。

変わった人達:
 山での歩き方を教えてくれた偏屈木地師のS氏。昔は不耕起自然農をやったり林業の下請けをやったり、時にはインドまで炭焼きの指導に行っていたりした。もう、何年も会っていないが、今は都会人に木工製品を売りつけて生業にしているらしい。一時はシュタイナー学園で木工を教えているとの噂を聞いたがS氏の性格には合わないような・・・
 隣りに転がっているのは死体じゃなくて、呑んだ後に炭焼き窯の横に寝ている仲間のM氏。長年続いた世界各地の秘境を回る某冒険番組のプロデューサなどをやっていたが、相変わらず世界の僻地を飛び回っている。
 日本人と解ると金目のものを持っていると思われるので、危険地帯に行くときは、ボロボロの服を着て、ずた袋にザックを隠して持ち歩くそうだ。だから、筵を被って寝るなんてのはどっうてことはないこと。シベリアでは零下50度の雪原で穴を掘り、ダウンウェアを着込んだだけで寝たり、アンデスでは現地人と同じようにサンダルで登っていたという人だ。
 そんな彼は、昔アメリカでレストランをやっていたくらい料理が上手い。そんな特技があると、現地で知り合いになって家に転がり込み料理を作って上げることで暫く住まわせて貰うなんてことが出来るらしい。知り合った者同士、仲間の家でシェアしながら暫く暮らすのだそうだ。そんなこともあってか世界各地に友達が多い。ペルーにも拠点があるし、毎年フランスに行ってワイン作りしていたりする。其処で旨いオリーブオイルや旨い食い物を手にしているので、我々も時々ご相伴に与るが、そりゃあ旨〜い!

 当サイトの鍛冶屋関連のページに時々出てくる、偏屈木地師のS氏は、昔森林組合の下請けで山の下刈りや間伐、薪炭材を切り出しをやったときの仲間で、ある意味わたしの山の先生だった。奴は武道にもうるさいので、鉈の振り下ろし方とかをレクチャしてくれたり、柳生心陰流のぶっとい木刀をくれて、此で素振りをしろなどと其の当時には言われたものだ。
 何でも新聞紙を広げて両脇を糸で吊し、その新聞紙を木刀でスパッと切れるくらいに練習しろと曰う。わたしは体が固いため肩が後ろの方に行かないので鉈の振りに溜が無いという。円運動になっていないんだと。ま、それでもわたしは若いときには和太鼓の大太鼓を10年くらいやっていたし、MXもやっていたから手首や肘は良く動く。結構太い木でも鉈で切り倒せるのだ。おおっと、いけないまたじまんしーになってしまった。

 話しはそうじゃなくて、その彼が言うには、山歩きに、それは林業の時のことだけど、猿拳という拳法の歩き方が良いという。字の如く猿のように膝と腰を曲げて歩くんだそうだ。登りは前屈みになって重心を前に持っていき、倒れる前に足を出す。その足が伸びきらない内に身体が前に倒れていくようにしたところで、後足を引き上げて前に出す。つまり足を蹴って身体を上に持ち上げるのではなく、倒れ込む勢いも使って前に進み、その足を持ち上げるときのベクトルを上手に利用して上がる方向に使うということだ。後足が伸びきる前に次の足がステップを押しだしているということになるだろうか。

 下りも、膝を伸ばしきらないで、其の膝と腰のクッションを使って降りていく。その時に滑っても、それぞれが伸びきっていないので柔らかに対応できるというのが味噌だ。

 これは、バイク関連のページにも書いたけれど、昔のオフロードバイクの欧州車は、1G(車両重量以外無荷重)の状態でも、サスペンションが可成り沈み込んでいたのが国産車との顕著な違いだった(今は追いついたが)。
 初期荷重に依る、サスペンションストロークの縮み分が多きなことで
、コーナーでドリフトしたときや突然のギャップ(凹)にハイスピードで入ったときに、その伸び分がタイヤが地面をグリップするサポートになり安定性を保てる要因となるわけだ。

 わたしは元々申歳なもので、歩き方が猿人みたいだと嫁に言われるが、山に入ったときに登りで此の歩きをすると多少楽になることは実感している。興味ある人は、この猿拳の歩き方を試してみて欲しい。(※あ、そうそう、先に書いた南アルプスでの長時間林道歩きの時に、インディアンウォーキングって言ったと思うけど、つま先を少し内側に向け内股気味にして、猿拳と同じように少し前に身体を倒して重心を前に持っていき、一歩のスライド量を大きくとった歩き方をやったら可成り有効だった記憶がある)

 以上の例からも、沢やゴーロ、岩場歩きの時には、なにも考えずに踵から足を降ろすというのは余り良い方法じゃないことが理解できるだろう。濡れた岩や土のところのフットホールドの採り方とともに、足首と膝と腰のクッションを上手く使うこと、そして滑ったときや浮き石が動いたときのことも想定内に入れて歩いたりルートを決めたりする。

 こういった不安定なところを歩く際には、期待のみでフットホールドやルートを決めないことが肝要だと思う。確信を持てる選択をする。其の確信持てる選択が出来るように自分自身の経験とスキル及び直感などのレベルをアップする。確信が持てないところに足を於く場合には、想定外の事が起きても対処出来る体勢にしておくということね。また、気になったら確認をしっかりと採るという、当たり前のことを実行することが肝心だ。

 此って、人生に於いて突然起こるイベント(トラブルなど)に対しての姿勢も同様だと思う。わたし自身の意識の流れを観ていたり、他人様を観察していて思うのは、物事の技術の習得とか人生に於ける対処など、どれにも通じるのだが、心の姿勢が、“期待のみ”で行動してしまう場合が多い様に思える。つまり依存的な性向に於いて、なんとかなるだろうとか、平気だろうとか、確認も採らずに期待のみで次のステップに踏み出してしまうのだ。すると案の定、その期待を裏切る出来事が起きるというわけだ。

 調べられる(確認出来る)状況であるのにも関わらず、それをやらない。考えない。無視する。その自助努力しない分、他人や社会に対しての期待が強くなる傾向がある。例えば、刃物でモノを削る時にも、結果のみを求めてろくに考えないで力づくでやるものだから怪我をするなどだ。
 外での作業、例えば木に立て掛けた梯子がしっかりと安定しているかどうか、地面の状態を確認するとか揺するとかして負荷が掛かったときの事を想定しないで登るものだから、地面が負荷に耐えられなくなった時に梯子が傾いたり、また身体がバランスを崩したときに過大な負荷が生じ、梯子が傾いて墜落する。危なそうなときは梯子を木にロープで固定するとか、誰かが近くにいるなら、押さえて貰うなどの手だてを採ることを行わない。
 肝心な部分は、すべて期待のみに終始し、次の行動を起こしている。だから何か起きたときに対応できないのは、因果応報というか自己責任というか、自ら引き寄せた結果ということになる。其の癖に、何かあると保障を得ようとか、他者を悪者にしようとする。

 こういった粗いレベルの失敗が多い人は、どうも依存心が強いような気がする。例えば、人生に於いても、当たり前のことを調べたり確認もせずに安易に他人の保証人になったりすることも、そいうった性向が要因であるかもしれない。安易に請け負ってしまうと言うことは、(体面と)期待のみで決断しているとも言えないだろうか。
 話しが直ぐにこんな方向に行ってしまうが、当サイトの一つのテーマである自己責任とか自己確立に関連することなのでご勘弁。これは自立精神というものが根幹にある自給自足の精神にも関わることだと思う。自分でなんとかしようと思ったら智慧を絞って、汗をかき、間違いが無いように確認しながらステップを進めていくだろう。勘違いや失敗があったら、自分自身が損をしたり痛みを背負うわけで、誰も身代わりになってくれないから真剣になるのだから当たり前。でも、其の当たり前のことをやるかやらないかはその人の人柄?ね。
(※その人柄を、“運”“因縁”“カルマ:業”とも言う。人間には、頭じゃ解っているけれど、出来ない、やらない、という理性とは別の動力が働いている。頭で考えたとおりに自分自身をコントロールできたら、人は誰しも幸せだ。でも、それが出来ないのは、自分自身の意識下、潜在意識とか感情に偏ったプログラムがあるからである。それが何処から来るかというと、自分自身の内側の意識と対峙せずに自分をも騙す意識の偏向性、それから前世からの因縁と家系の因縁である。何れも意識の偏向性、思考の偏り、歪んだ感情が創り出したものであり、その家系に生まれてくるのも、全て自分の精神活動の結果、意識の偏りの結果である。それを是正し、歪みを解消し、プログラムを書き替えるチャンスを与えられたために、様々なトラブルや摩擦が起きる。全て、自分の中に因が有るために縁が出来る。自分の中に現象を引き起こす因が無ければ、縁が出来ない。全部、自分が創造しているが故に自己責任の結果である。それが解らない人は、自分の責任で人生を送っていない依存意識、もの貰い根性、被害者意識に凝り固まった人間であること、またトラブルというものを、自分の責任でもって処理し、自分自身がより高いレベルに変化することを行って乗り越えた経験(つまり魂を磨くってことだな)が無いことを表している。いつも、自分、自分、と自分の内側からしか発想が出来ない、振動数の粗い思考パターンだから、了見が狭い故に世間も狭くしている。文句言いの人やトラブルメーカの人間は殆どこんなタイプ)

 今の日本の状態も、金太郎飴作りが好きで、突出する人間を村八分にする悪しき村社会のメンタリティから抜け出られず、目立たないように後ろ指さされない事を人生の大きな指針にしてきた人間が多いからこんな社会になったと思える。赤信号みんなで渡れば怖くないとばかり、自己確立、自立性がが無い上の無責任さ、みんなで助け合おうの精神の裏に隠された依存心、そういったメンタリティのコミュニティでは、何かあって物事が上手く行かなくなった時には互いの非難しあいと責任転嫁しかない。
 依存心が強い同類相哀れむ的な人間関係は、切磋琢磨というよりも足の引っ張り合いになりがちだ。自分達と違う価値観や生き方の人間を認めないから、仲間の中で、自分達と違う生き方を始めた途端、心配を装ってネガティブな事を吹き込み出す。閉塞的な価値観を一生懸命プログラムしようとして、同じ価値観の世界に引き留めようとするのが特徴だったりする。日本人は特にこの様な精神性が強い民族に見える。依存心が強く自己責任の意識が希薄で何処か御上任せの様なところがある。最後まで、御上任せ、人任せで居れば、相手の都合の良いようになるのは当たり前。

 ところが、沢登りは自己責任の世界だ。自分が登攀や徒渉するに当たって一挙一足確認するのは自分の責任であるし、登れる登れない、渉れる渉れないは自分で判断するしかない。沢で現れる難関は、一般登山の様に、周りと力を合わせて、なんとか乗り越えれば良いというレベルのものばかりではないからだ。サポートが居ても登攀力の無い人を引っ張り上げられない場合だってある。課題を乗り越えられない人は、他の人と違う方法で乗り越えるやり方をその場で考えだす必要に迫られる。自分自身と向き合うチャンスが多いと言えばそうかも知れない。その上で、同行者と解決方法を探る。

 だから、同時に信頼の世界でもあると思う。他人の補助をするに当たっても、命を預かる訳だから、支点の確認を忘れたとか、ロープワークを失敗したじゃ済まない。全て、自分の責任に於いての確認から始まる。期待で物事を為すことは済まされない。また、安全確保を受ける側、遡行者も、相手である安全確保者が技術や方法論を確実に身に付けている人なのか、そして自分自身の行動に責任を持つ心がある信頼できる人であることが前提でないとシビアな場所には一緒に行けない事が納得できるだろう。だから互いのパートナー、仲間をどう選ぶかも自己責任だ。その選ぶと言うことに関しても表面上から解らない場合には直感とかの感覚が大事だろう。

 それは社会生活でも仕事でも同じである。より高度なレベルの内容の事を実現しようと思ったら、確認や調査は確実に行うし、其のグループに於いて依存心が強い人間はオミットされてしまうのは仕方がない。この様なビジネスプロジェクトに於いても、互いの相性とか人柄というのは成功のための大きな要素だ。そして直感や感覚という要素も大事だろう。質の高い仕事ほどこういった事が大きく影響することは、世界の成功者達のビジネスモデルのアナリシスに於いても言われていることだ。

 依存心が強い人間は、類は友を呼ぶで、同類の波長の人達の中で摩擦を起こしながら、その問題となる自分自身のメンタリティに気付くまで人生の上で学ぶのが魂の法則の様だ。それでも依存心が強い人は責任転嫁能力(自己肯定のロジックを頑なに作り上げている:心理学で言う社会的自我、仮面で生きている)も高いから、自分自身がまず自分自身の憂う問題の中心原因だということに気づけない。
 それを気づかず、自分自身が変わらずに、力尽くで問題をやり過ごすと、必ず後の人生で同じ様なことが起きる。本当の意味で転換が出来ていないと自分自身の質が変わらないので、同じ様な出来事や似たタイプの人間を引き寄せてしまうみたいなのだ。だから仕事などで摩擦が多く嫌になって転職すると、その先に勤めたところでも、同じ様な人間が居て、同じ様な目に遭うのである。

 そして、その人は言うんだよね。世の中は理不尽だ!おかしな人間ばかりだ、と。本当はそうじゃなくて、自分自身の想いが原因となって、その因に応じた縁を創り出すが故に、波長が合う人を惹き付けているだけ。その人の想いに応じた現実を創り出しているわけだ。自分自身の何処かがおかしいと気づけないから変われない。それは、依存心と責任転嫁の塊であることに原因する。何時も流されて、社会や周りに適合することだけに焦点を合わせて生きてきているから、自分の人生を本当の意味で自分の力で生きたことがないことの証明である。それは、自分の周りの環境を良くするように積極的に働きかけたことがないと言うことであり、ギリギリの自分自身の殻を壊さないと、其の先に進めないような、高度なレベルのチャレンジをしたことが無いと言うことを表している。

 こんなことは、わたしの様な馬の骨が言っても説得力が無いかも知れないけれど、スポーツでも芸術でも、またビジネスでも、本当の意味でクリエイティブなことをやっている人達は乗り越えて来ている世界であり、チャレンジしている人達が一様に感じる法則性がある。自分の心懸け一つで、周りの人間の反応自体も変わる。例え、同じ人間であっても、相手によって態度が変わるのは、その相手の本質に共鳴しているだけなのだ。だから、周りが嫌な人間ばかりだというのだったら、そう思う人間自身が嫌な波動を発信しているだけである。口先だけでなく、心から感謝をもって幸せに暮らしていたら、縁が出来る人達も似たような人になる。

 自分自身の人生に起きることは、例え貰い事故のようなことでも、その場に居合わせる事を含めて、全て自分自身の意識(認識できない意識下の意識、感情を含めてだが)に原因があることを理解できるかどうかが魂の進化状況を見極める参考値になる。今の時代は科学的アプローチの手法も高度になり、心理学や医学でも人間の意識下や魂についても理解できるようになってきているから、子供の魂が生まれる前に親を選んでいるとか、生まれてから一切の情報がない遠い地域の過去の言語を喋れるなど、催眠下で再現するデータが蓄積され科学的検証方法に於いて学者達が調べている。
 他人とのトラブルに於いても、相手にも原因があるかも知れないけれど、自分自身にも原因がある。それがシンクロするから縁が出来て出会いがあるわけだ。それを一方的に相手だけ責めても、自分自身の学びがないから状況が好転しない。

 自分自身を観ること無しに、良い状況にステップは進まないようなのだ。やがて、自分自身の意識下も観られるようになり、自分自身の意識の在り方(感情も含めて)や行動(言動も)に責任が持てるようになると、ポジティブなご縁、つまりシンクロニシティ(不思議な意味のある出合い、偶然、奇跡)が起こることが次第に多くなる。不思議な巡り合わせ、シンクロニシティが自分の人生の中でどれだけ起きるかが、その人の進んでいる方向が見えない力にサポートされているか、進んでいる方向が間違っていないか、心懸けを勘違いしていないかを表す参考点だと思う。これも魂の進化状況を見極める参考値にである。

 逆に、自分の計らいばかり押し通したり、自分の想い(我執)を実現すること“ばかり”にエネルギーを注いだり、自分が変わることよりも他人を変えること、引いては自分のコントロール下におくことばかり仕込んで、全体の大きな流れから外れていくのが多くの人がやっていることだ。不安と恐怖感の下に思考し行動するから、常に他の人や、社会、そして大いなる存在(神、大いなる意志、宇宙理性)から分離してしまう。何時も否定的なことが頭にあり不安ばかりで暮らしているタイプの人達だ。
 その人達の想いが引き起こすネガティブなシンクロニシティは、事故や病気、他人とのトラブルである。悪いご縁を貰っちゃうわけだし、自分自身悪い縁をまき散らしている。低い振動数、固まりの様な固い粗い心癖を持った人は、同じ共振しやすい人達や場所(事故や病気が起きやすい土地)に縁が出来やすい。全て、心根の問題なのである。
 自分が変われば縁が変わる。縁が変われば結果が変わる。これは、仏陀、釈尊が教えてくれた縁起の法という此の宇宙の法則の一つ。先ずは良い縁を貰ったときに、其れに気づけるかどうか、気付く力があるかどうかが大事なんだよね。それが第一歩。

 こういった意識の法則、連綿とした魂の繋がりは、全て自己責任である。自分の想い“気付きにくい言語外のもの、感情や、押し殺された記憶”をただ実現しているだけであるから、とんでも無い嫌なことが起こったとしても、それは他の誰でもない、自分自身が創造(多生に於ける魂のプログラム)しているだけの話しだ。自分の周りで起きている出来事は全て自分にも原因があるということ、自分自身の責任であると言うことを深いレベルで認識できるかどうかが、その人の人生の幸せ度に掛かってくる。そして、自分が変われば、劇的に物事の生起の仕方も変わっていく。

 自分が変われば、縁が深い相手だったら、その相手も段々変わっていく。勿論、変わらない自由もあるから、それは本人の問題。あまりにも波長と質が変わってしまったら縁は切れる。因が変われば縁が変わる。そして縁を変えれば、因が変わりやすくなる。自分自身が変化しようとして努力しているのにも関わらず、なかなか変われない場合には、付き合う人の縁を変えてみるもの一つの方法だ。これを別の言い方で、有名な野口整体のお弟子さん三枝誠氏は、“外経路”を変えろ、と言っている。付き合う相手、師事する人間でも、自分の運や意識は大きく変わる。後ろ向きの人間とは深く関わらない方が、自分の人生と相対して本気で格闘している人には大事なことだと思う。

 そして、今の時代は人間のカルマの総決算の時代と言われ、新しい千年期とか、アセンション、次元上昇とか言われるような、根本的な改革、物質と魂の在り方がまるっきり変わってしまうと言う大変化の時代の真っ直中といわれている。それが本当なのかどうかは良く解らないけれど、今の時代は、自分自身を押し殺して来た人、自分を騙してきた人達(他人は勿論だ)の意識の歪みが噴き出していることは実感する。きっとそれが時代のエネルギーの質なのだ。あらゆるものが増幅される時代であり、有る意味、浄化の時代である。これは地球の変動とも深く関わっているのだろう。
 だから、自分自身の振動数を保つように細心の注意を持たないとならない。自分自身の意識の乱れや、鬱屈した感情が原因となって、とんでも無い種類の人間や事件と、縁が出来る因となってしまうかも知れない。全て、自分自身の潜在意識、深層意識、感情の現れなのである。だから、あなたの周りにどんな人が居るのか、どんなにとと付き合っているのかが参考値となる。そして増幅された此の時代に於いて、ポジティブで不思議なシンクロニシティがどれだけ身の回りで起きているのかと
うことも自分の意識の在り方の現れであるはずだ。

 人間の意識下は深い部分でみんな繋がっているし影響し合っている。だから自分の意識の在り方にも責任を持つ姿勢も問われる。それは、自分だけの問題じゃなく、テレパシックに伝わってしまって他人のエネルギーを削いでしまう重たい思考ノイズ、エゴのブロックの固まりを如何に溶かすかということだ。この深い部分の意識レベルでは、人間だけでなく、動植物から昆虫微生物、鉱物、そして地球にまで繋がっているという(自分の仲間が教えている世界的な超感覚能力開発講習では、例えば瞑想して鉱物の中に間で入り込むことなども行う)。だから一人一人の意識の反映が今の地球上の出来事の在り方だいうことだ。それを一人一人の意識が深い部分から変わることによって、全体が変化することが出来るベース造りとなり、其れがオメガ点に到達したときにブレークスルーポイントがやってくるという。

 自分自身のエゴに染み込ませた不安恐怖に基づく思考プログラムや行動パターンを自分自身で認識して、更にそれを解放できれば、ポジティブなシンクロニシティの流れに乗れる。不思議な出来事、巡り合わせが展開していくのである。そういった経験を多くの人が積み重ねることにより、自らを守るために作り上げた社会的自我や権威、知識、資産やドンガラから解放され、有ればそれで善、無ければ無いでも善、必要が有れば巡り合わせによって引き寄せられるという柔らかな世界に、多くの人が参入出来きる様になれば、自らの人間関係やコミュニティの中が、自由度が高く楽しいものになり、みんなの人生が変化していくだろうと思う。
 今のメディアが面白半分に扱う変なスピリチュアリズムではなくて、こんな当たり前のところに本当のスピリチュアリティがあり、そのものの見方、行動の仕方についての実践的な意味及び価値があるはず。

 いつも引き合いに出して申し訳ないが、ここに登場する本人達はいちいちそんなことなんか考えていないだろう。わたしは逆にそんな切り口で物事を観る方が多いタイプ。
 なぜなら、世の多くの人達が勘違いした人生を送っているのが良く見える(様な気がする)からかも。他人の言葉の裏の意図とか、押し殺した感情とか、口と外と心の内の違いとかが、無意識レベルでも伝わってきてしまうタイプなのだ(結構辛いけどね)。そして本音で生きていない人があまりにも多すぎる。それは、他人を利用しようとか、自分を守りたいとか、損をしないようにとか、執着が強い人の意識パターン、言葉とは違い、肝に裏の意図を隠していることが理由だ。
 そういうタイプの人は、確かに立ち回りは上手で、表向きは一般受けする善人なんだけど、腹の中では違うことを考えていたりする。それは悪いことをしようとかそんなレベルでなくとも、自分の中にある意識のギャップ、つまり、立て前=理性=顕在意識と、本音=感情=潜在記憶、との間の長い人生に於ける自分自身の中の記憶の違い、ギャップや
歪み、が自分自身の意識の波動を乱すわけだ。すると邪な存在や出来事に波長が合ってしまう。

 すべて自分自身が見て見ぬ振りして無視してきた本音や、感情に起因する、自分自身の奥に隠された歪みが原因である。人生に於いて嫌なことや摩擦が起きた際に、全て相手のせいにしたり、社会や国のせいにして原因を相手だけに転嫁することで、自己肯定して自分自身の問題に関して頬被りしてきたからだ。自分自身の問題をあからさまにして、其れを乗り越えてパワーアップするチャンスを自ら潰してきた結果なのだ。それも自己責任であることは言うまでもない。
 物事には双方に原因がある。だから縁が出来て生起する。自分自身の中にある因に気づくチャンスだったのにも関わらず、被害者的に立ち回ったり、文句や批判に明け暮れたために、意識転換のチャンスを失うどころか、逆に不徳を積んで、自分の中にあった先祖や自分自身が作ってきた徳分を失った訳である。薄福小徳という言葉があるが、徳分が少ないと運が悪くなる。それは自分が不徳を積み重ねたからであり、自分や自分達のことばかり考えてきたという証拠でもある。

 別ページにも書いたが、善人面した小市民が一番質が悪いということがある。自分自身をも騙して良い人間を演じている人(人間は自分を騙せます)ほど、今までの自分から変われるチャンスを潰している。社会的自我(仮面)ばかり鍛えてしまって自分自身の本心をも自分で認識出来ない状態にまでなってしまい、口と肝(はら)があまりに違ってしまっていると、自分自身の実際の本音さえ解らなくなってしまう。そういう状態だと、気づきも生まれないし、身体からの信号も解らない(病気の信号もね)、そして神様(普遍的自我?)からのサインにも気づけなくなるものだ。

 大体、そういう本音(本性)に対して、他人や社会ってものは、客観的に素早く見抜き、其の持っている本音の質に対して相応の反応をしてくるものだ。他人の意識ってのは、始めて会った人間の本性を見抜ける位に敏感なものなんだよね。シンプルなマインドを持っている種類の人間程、此処に書いた様な仮面を被っている種類の人とは皮膚感覚自体が馴染まない。そして共有できるシンクロニシティ自体も起こらない。波長があまりにも違いすぎると共有する出来事やタイミングがドンドン少なくなっていく。

 其処へいくと、この仲間達は付き合いやすいだけでなくとても楽しい。それは色々な意味で心が軽いからだ。みんな差し出すこと、分かち合うことが自然と、そして何の気負いもなく、人に恩を着せることもなく、自然に出来る人ばかりなのだ。採取、漁労に行くにしたって、料理をするにしたって、テン場の設営をするにしたって、誰一人として仕切る人が居ない。勿論、手が足りなければ、手伝ってくれ〜、と一言言うだけ。みんな、周りを観て、自分の出来ることをやってしまう。それで、全体がスムーズに物事を成し遂げてしまうのだから気持ちがいい。
 深瀬校長の沢登りなどの講習会の時は校長や講師の人が段取りして行くけれど、仲間内での山菜キノコ採りの“裏”教室のときには、殆ど仕切り無しで進んでいく。出来る人、手の空いている人が、何も言わないでも自発的にやっていってしまうからだ。何時も、有機的に成し遂げてしまう。

 これは、それぞれ構成するメンバーが自立しているという要素が大きく、沢屋の持っている自己責任意識が高いという面があるからではないかと想像するわけだ。大体、沢は危ないところばかりに行くわけでしょ。激流に流されるかも知れないし、崖を滑落するかも知れない。滝壺に巻かれて浮き上がってこられないかも知れない。突然、熊さんにパンチを喰らうかも知れない。その他、マムシやスズメ蜂、山には怖いものが沢山いる。
 そんなところへ行く人間が、不安と恐怖の塊だったら、危険なこと痛いことを自己実現しちゃうものね。だから、わたしは、沢に一緒に行く仲間には、明るいこと、楽しいこと、心が軽いこと、というが大事な点だと思ってしまうわけだ。
 そりゃあ、世の中の沢屋が全部そうだということもないし、我々にだってそれぞれ個性がある。でも、全体を通してこの様な方向とレベルを保持しているのかなと思う。

 自分の生活の仕方がしがらみに囚われないようなものだから、仕事のお客さんであれ、友達であれ、仲間であれ、物事の流れがシンクロした場合、気持の方向が有った時にのみ、連絡を採ったり、会ったりしている。そうやっていると不思議にシンクロして、どちらからともなく必要なときに良いタイミングで、互いに繋がったりする。
 例えば、送った本とか、連絡して伝えた情報が、当にその人に今必要だったものなんてことはしょっちゅうである。閃いたときにアクションを起こす。すると、正しくシンクロニシティが起きる。だから、滅多に連絡を採らない人も少なからず居る。でも、連絡を採るときは、互いに必要なタイミングだったりするわけだ。その出来事は互いの向上にもなるし、質の高い良い仕事をさせて貰えたりもする。
 そして、それぞれ自立して相手のことを認めているから、繋がりを保つだけとか、様子伺いの為だけとかで、連絡することもない。何かの物事が生起したときだけ、顔が思い浮かんだときだけ連絡する。何年も会わない場合もある。それでも、互いが、閃いたときに連絡すると、不思議とドンピシャと繋がり、必要なものがもたらされる(その時にそれに気付くかどうかは別)。

 ところが、自我の計らい強かったりや、言葉の裏に隠された意図を持ったタイプの人間とは、全然シンクロしない。現実的にも行き違いが多いし、価値観や考え方も分かち合える部分がない。連絡を採ろうと思ってもなかなか繋がらなかったりするのだ。
 此は、ビジネスに於いてもそうなのだが、そうやって電話が繋がらないことが多かったり、行き違いが多い場合には、何かしらの意味がある。進むこと能わずのサインかも知れないし、自分側にやり残した課題があるかも知れない。兎に角、タイミングでは無いという印なのは確かだ。そう言ったときに、力尽くで物事を推し進めると、何れトラブルが出る。ピュアに物事をシンプルにした考え方や生き方をしていると、そういったサインがハッキリと出ることが多い。

 こんなものの見方、生活様式をしている自分だが、生活は大変だ、、、違う違う、そんなことを言おうとしたわけではなくて、、、楽しい、、、だ。不思議な巡り合わせが本当に多い。いつもビックリさせられている。
 そして、此処のご登場の仲間達とは、年に数回しかご一緒しないけど、行ったときには本当に楽しいありがたいお仲間だ。本ページのあちこちで誉めまくっていて、ちょっと?と思った人も居るかも知れないけれど、変に持ち上げているのではなくて、こういった物事や気持がシンクロすることや、その仲間と付き合いましょうよということを強くアピールしたいということを言いたいとご理解いただければと思う。付き合う仲間でも運は変わる。

 勿論のこと、此処にご登場の方々のオフィシャルな仕事内容、また家庭での生活について詳しくは知らない。実際にどんな方々か全容は存じ上げないのだ。だから、本当は仕事では凄腕ネゴシエータでビシバシとやっているかも知れないし、のほほんと働いているかも知れない。家庭でもまめにやって居るとは限らない。性格だって、家に戻れば本当は暗いかも知れない。
 でも、、、でも、、なんだよね。一緒に行動しているときを観ていると、調理でも作業でも、遡行についても手際が良いしちゃんと成果を上げる。段取りも良い。だから、多分仕事もちゃんと出来る人達なんだろうと思う。

 彼らと話しをしていたって否定的な批判のための批判はやらないし、大体話しの内容が明るい。そしてピント外れな事は言わないし、こんな沢の中で腹に一物を抱えてものを言うなんて事もない。そもそも笑顔が良い。深瀬校長が、よく、『岩魚は顔で釣るんだ!』、って冗談言っているけど、心の状態は顔に出る。目は心の窓だもんね。他人様の嫁さんもメンバーだから、やたらアイコンタクトしないけど(あら...Hちゃん、私に首ったけ?って思われても困るし...)、濁った目をしている人居ないもんね。

 ということで、プライベートの事もよく知らないけど、兎に角、沢やキノコ、山菜に同行したときに、シンクロしていて楽しくて美味しくて、そして安全である結果が大事なんだよね。それは友達でも仕事関係でもそう。如何にシンクロしているかどうかというのが、この混沌とした時代の、そして価値観が多様化している時代の参考値だと思う。
 確か10年くらい前のアメリカの本だったと思うけど、“パワー・オブ・フロー”という題名の、ビジネスの中での、此の眼に見えない意識のパワーの流れに如何に乗るか、活用するかという内容が書かれているものがあった。シンクロニシティの積極的な活用方法について具体的に書かれている。全て、精神生活に起因するもので、人間同士の相性とか、意識下の指向性の問題を活用して、実際のビジネスや日常生活に応用して素晴らしい実績を上げている人達の話が載っている本だ。(パワー・オブ・フロー:チャーリーン・ベリッツ+メグ・ランドストロム著 管靖彦訳 河出書房刊---本稿を書いた勢いで久々に引っぱり出して読んでみたら、私が書いている能書きのエッセンスはみんな此の本に書いて有るじゃないですか。十年経って自分自身の実体験として得られたわけね。良かった良かった。此の本、凄く良い本です

 だから、此処で書いていることは、なんら特別なことでもなく、マイナーな事でもない。普遍的な活用すべき事実であり、気付いている人達はみんな使っている意識の法則、パワーである。それが解らなかったり認めないと言う人達は、囚われの心、迷妄に陥っている依存的思考が強く因果が見えない無明の世界にはまっていると言える。自分自身の心の闇に光を当てる決心と勇気が有れば、其処から抜け出て明るくて軽い世界に移行できるのだが、何れにしても依存的であったり責任転嫁の意識が強いと因果が見えないから何時まで経ってもそのままの状態から変わらない。それもまた自己責任であることは仕方がないことだ。ただ、それに気づいたり、ポジティブな性向の人に縁が出来ることがあったりしたら、それは機が動いたのだから、チャンス到来の流れだろう。ものごとが生起したときには、何か流れの中で意味がある。それに上手く乗って行ければ転換の展開はスピードを増していく。其れこそ、フローなのだろう。

 またまた話しが大袈裟になってしまったが、沢登りの様に、危なっかしくて結果が直ぐに表れてしまう遊びの場合には、こういった要素が強く出てしまう。人の無意識レベルの行動、(言語外の)感情のレベルが織りなす現実化の力をどの様にコントロールするかと言うのも此のサイトのテーマの一つであるから、沢登りという遊びが、その法則性を説明し易いために、引き合いに出させて貰っている。
 こういった話しは此処に登場している仲間の皆さんには直接的に関係無いことなのだけど、この仲間達は可成りレベルが高いと思っているので、参考に紹介させて貰っているのだ。ゴメンね〜。

 さて、話しを戻すが、沢の歩き方のこういった分析的な切り口は、普通、講習でも仲間内でもわざわざ言わない。実際に登ってみせるとか、歩いてみせるとかで、膝を柔らかくしろとか、親指の付け根に力を入れろなどという抽象的な、でもその場その場に於いて実践的で的確な表現で教えられる。これも教わる側が自分で意識しながら経験を積み重ねていけば段々身に付いていくはずだ。やることは、そんなに難しいことではない。
 わたしの場合、簡単なことを難しく書くのが得意だ? まあ、分析的に文字にすると難しくなってしまうが、行為としては難しいことではない。でも、其の簡単なことが出来るかどうかは、その人の心の問題が大きい。簡単なことなのに出来ない人が多いことは様々な分野に於いても色々ある。此処では凸凹のところを歩くという簡単なテーマなんだけど、安全にスムーズに歩くことがちょっとだけ難しい沢歩きについてのノウハウである。出来る人には大したことのないことだが、文章で伝えるとなるとこんな感じになってしまう。そして安全性のマネージメントという事まで言及すると意識下の性向も関連してくる。

 但し、これらは言語的なアプローチではなくイメイジや感覚の世界だ。頭で考えるというよりもセンスの問題だ。この原初から続く大自然の中で危険要素をより少なくして行動するには、超感覚の世界に踏み込むことが必要だろう。勿論、安全確保や登攀、徒渉には、ロジカルな方法論のベースがある。他のどこかに書いた覚えがあるが、沢登りには、左脳意識(論理)、右脳意識(イメイジ)、身体意識(感覚、閃き、直感)などを高度に働かせる要素が沢山ある。かなり深〜い遊びの様に思えるが如何だろうか。
 その上、沢や山には旨いものが沢山あるときたらこれは堪らないでしょう。(^-^)

 何れにしてもリスクが大きい遊びやスポーツを楽しむに際して、自立意識や自己責任の意識の成熟度が、末永く安全に楽しめるかどうかの境目になるように思える。歩くという基本的な事でさえ、不安定な大地の上では、期待のみで行うと其の反動は大きいと言うこと。ましてや沢登は不確定なホールドを取っ掛かりに危険な領域を登下降するものだから、確認行為と意識的なコントロールの積み重ねが安全を後押ししてくれるはず。この大事な要素をいちいち頭を使って行うのではなく、自動反応で行えるように身体意識(ファームウエア)に確実にプログラム出来るように実体験を得ることが必要だろうと思うのだが如何だろうか。

 深瀬教室の仲間は、そのベースの部分を講習会で身に付けているから安心して、こんなメタボな遊びも出来るわけね。ポッタは悪酔いするわけでは無いから良いんだけど、荷物が重いときや悪場のときはもうちょっと酒を自重した方が良いかも知れない。それと、大分以前にポッタと話しをした時のことを思いだしたが、釣りや沢歩きの時に転倒することが割とあるようなことを言っていた記憶がある。
 もし、違っていたらゴメンだけど、今は、基本的なことは解って来ているんだから、足の置き方をもうちょっと心得て歩いた方がよいかも知れないね。別に、ポッタが前述したような依存心の強い人間とは思わないけれど、ちょっと気になるところも有ったから、取り敢えず、今回の事をステップに、酒と歩き方のコントロールを更にレベルアップしてくれよ。こんないい仲間が居るんだからさ。わかったー?ポッタ〜。

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`08/7/ 高澤 弘明@凡梵庵 記


☆下記リストは、当サイト(Room full of mirrors)内の、自給や自衛のための山や農の道具に関連しそうなページリスト。本ページをはじめ、当Webサイト内の各ページの内容やものの見方は、全てサイト管理者の個人的な考え方です。此処に登場する沢の仲間達とは一切関係がないことをお断りしておきます。

 Webサイトを開設して本年`08年で12年になるが、特に道具や自給に関して意識して作ってきたわけではない。自分の趣向と共に内容を書き加え、そして日本人の精神面で足りない部分、自己確立とか自己責任などの意識の希薄さに注目してきたら、この様な自給や山関連のページが積み重なってしまった。

 サイトのトップ(INDEX)ページの一番下の方に書いたように、自給の基本は鍛冶屋が作り出す道具であることは想像力を使ってみれば解るだろう。仮に途轍もない自然災害が起きて全ての人工物が破壊されてしまい丸裸になったとしたら、欲しいものは肌に付ける衣服とそして食糧、それから雨風をしのぐための屋根や壁である。その欲しいものを手に入れるためには、先ず道具類が必要だ。石器でもなんとかなるのかもしれないけれど、出来れば鉄器が欲しい。
 取り敢えず鉄材はその辺に転がっているとして、それを加工して自分の道具とするには鍛冶の技術があれば、色々な道具類を生み出すことが出来る。刃物類は道具を生み出す道具でもある。そして山や樹が豊かなら食糧や資材が沢山あるということになる。

 別にそんなことになるとは思えないが、仮にその様な状況に置かれても自分や家族を守る力、自信があるということは、自らの魂の尊厳を護る力にもなると思う。今の時代、魂を売り渡してしまった様な人達が増えていて世の中がどんどん荒れている。その世の中を魂を傷つけずに切り抜けて行くには、“自給”のキーワードは大きな力になるだろう。

 アースチェンジとも謂われ、惑星系の変動レベルが地球全体を覆っており、地磁気の減少や、太陽の黒点活動の活発化による宇宙線の影響などが、目に見えない部分でも、地球上の天候異常や人間の精神にまで影響している。
 おそらく今後何らかの大変動が起き、今までの価値観がひっくり返る様な出来事が頻発するのかも知れない。次に来る未来社会は明るいかもしれないが、一時期には、その変動によってリセット現象が起き、今のようなスイッチポン!のオール電化文化は、暫く機能しなくなることは充分に考えられることだ。

 その時に、自給と農、そして山と森林の価値が、誰の目にも解る様になると思われる。銀行預金の多寡よりも、借金して作った立派なオール電化の住宅よりも、山や自然からの恵みを頂ける状況の方がどれだけ豊かで幸せか身体を持って理解できることと思う。また、今のような資源食い潰しの消費文明が転換されるのにも、そういった何らかの他動的な力が無いと、人間自らは革新出来ないところまで来てしまっている。ストラクチャは出来上がったときから崩壊が始まっていると言われるように、既に今の資本主義文明はメルトダウンが進んでしまっている。それは人類の集合無意識が、通常認識できない言語下で望んでいることなのかも知れないのだ。

 そんな事を感じている人達は益々増えてはいるのだが、まだ家庭菜園くらいでお茶を濁している。でも、我々には森林と山が健康に保全されていないと、その農的生活に危機を及ぼすことを真剣に理解している人は少ない。降雨しかり、川からの水の補給しかり、全ては山と森林の機能により保たれているのだ。今の時代は、我々一般市民が山の保全に参加しないと、山と森の健康は保てなくなって来ている。

 下記のページは、その解決策と言うわけではないが、こういった内容の周辺を理解する上で何らかのお役に立つかも知れない。病気をしないことも、怪我や病気を自分で治せることも自給の手段の一つと考える。車やバイクなどだって、自給的自立的なタイプってものがあるんだ。
 そして、異常気象が多い今の時代、自給は自衛につながる手段になる。我々は他者依存的でなく、それぞれが自らを守り、そして他者を助けられるくらいの地力があればと思う。国や自治体だって、市民レベルでの自衛が出来ていれば、本当に必要なところに注力が出来る。我々日本人は依存と吸い取り会いの無責任な意識レベルから脱却して、新たなる自給と分かち合いの世界に進化しないとならないと思う。わたしが好きな経済学者ラビ・バトラ教授(バトラ教授の経済予測は的中率が非常に高く、有名なところでは共産主義の崩壊について1978年に本を出版。予測した期限内にソビエト連邦、東ドイツが無くなった。資本主義は2010年前後!と予測している)は、日本の社会は、その可能性を持っているという。今回全林協さんにご縁を頂き、本ページで紹介の書籍のページ作りに携わらせて貰って、改めて山(森林)と自給との関連について更に突っ込んで考えた。今後は、当サイトのページも少しずつ整理しながら、自給と道具に関する周辺についてもっと分かり易いものに出来ればと思う。(^-^;;

 

☆鍛冶屋は自給の要。日本特有の木の文化の裏方。道具のそのまた道具を自分で作り出す世界。その関連ページ

 

 

・“山仕事の道具と技術、智慧は、自給と自衛の基本”(社)全国林業改良普及協会刊 森と暮らすNo.2「ノウハウ図解山仕事の道具」(`08/6/10発行)のお薦め-----自給自足、半農半X、田舎暮らし、農的生活指向の方々に必須? 自然と共に暮らそうと思ったら山と木々があってこそ。本書は、山主や林家向けの入門編の本だが、山の作業と道具に関わることから安全管理まで全てを網羅している。当サイト管理者も、鍛冶屋の智慧や、道具類の修理修復、熱可塑性樹脂カイデックスを使った鉈や道具類の鞘(シース)作りのページを70頁ほど書かせて貰った。実践的な智慧が籠もった本なのでお薦めする。---`08/6/11
手打ち鉈他、造林用の良い道具類を手に入れる`01/2---刃物は使ってなんぼ。使わなければ良さは解らない----`06/4/11-追記(紹介の道具類がまた更に増えた)
家にある道具で口金を火造り?---古く使い込んでボロボロになった鉈や鎌も、柄と口金を新しくすれば元通りに活躍できる。その口金を作るには?--`04/10/14
中古道具屋・砥石屋さん巡り(チベットの忿怒尊に呼ばれて)`01/3---少ない投資で充実した設備。新品? 要らんやろう。。。丹念に探せば出物があるある---`01/3/10記
鍛冶屋さんに、鍛造ナイフを作って貰った。日本の刃物と鋼の智慧“火造り打ち刃物製作過程レポート`98 + ”&“加筆修正分”---`98/12
野鍛冶のおやじさんの手から、次々と生まれる数々の道具。そこには古人から伝えられた智慧が沢山詰まっている。現代のマスプロダクションとは違う、自然と共に生きてきたテクノロジーが残っていた。ちょっと前の世代では、生きていたこの智慧が、なぜもっと大切にされないのだろう。
ある日の小山製作所`01/2---火造り打ち刃物製作過程レポート`98 + の“+”の部分、追加その一弾。こんな火造りの方法もあるということ..... `01/2/8記
フイゴに呼ばれて`01/2---鍛冶の神に見込まれてしまったのだろうか。欲しかった鞴の上物が格安で----!`01/2/21記
火造り遊び`01/6---長野からMちゃんが鍛造ナイフを造りに来た。オイ、止せよ、アブねえなあ。ナイフ振り回すな.....って (^^;;
やっぱり、切り傷にはアロンアルファでしょ!--新しく出来たナイフの仕上がりを調べるために、自分の指で試したバカな奴の話。恥ずかしいので知り合いだけにと思っていたけれど、此の切った指の修理方法は結構有効なことが経時変化で解ったので、敢えて恥を忍んで公開。`01/11/14

※暫く前に、アウトドア系の雑誌数誌に七輪などを使って行う簡便な鍛冶の記事が載っていた。以前から七輪や耐火煉瓦などで炉を組み、ブロアーやドライヤーなどを使って送風して炭を熾して簡単な小物の鍛冶を行う人が居た。日本の鍛冶の智慧というものは、相当にレベルが高い。

 

☆軽トラだって、リアにデフロック機構が付いていれば柔なRV車よりオフロード性能は高い?
 CT110ハンターカブは、形はカブだが、副変速機とアンダーガードとブロックタイヤを装備しオフロードユーティリティレベルが高い。どちらも燃費が良く、そして小型で荷物が沢山積める。
 山奥や災害時には此等の小型で踏破性の高いトランスポータは有効である。でも、ガソリンが無ければ、MTB、リアカー、フレーム式背負い子、あとは手足ね。

 

 

 

 

 

 4WD軽トラも、デフロック機構が付いているタイプなら半端なSUVよりも踏破性が高い。

・CT110ハンターカブのその後---整備と部品交換:大震災などの初動に関してオフロードバイクが有効であることは、消防のレスキュー隊にトライアル車が配備されていることからも解る。ハンターカブは、名の如く当初は山の中でハンターが使用することなどのイメイジをアドバルーンにしてリリースされた。1960年代終わり頃にライフルケースを装備したCT110の前身、CT50の広告を観たことがある。他の使用用途としては牧場などがあり、道無き道を行ける様に副変速機やガード類も付いた仕様である。そしてそのコンセプトとして、ベースが商用バイクのカブだから、大きな荷台も付いて荷物が大量に積めることが目的だ。そんなユーティリティレベルの高いものだから、災害時用に各自治体が導入しても良さそうなバイクなんだけど・・・輸出用も生産中止? こういう時期だからこそ日本で再販しませんか、副変速機付きのCT110を、ホンダさん? 昔、国内で販売したときは、副変速機が付いていなかったことと、時代の流れが今と違っていたからで、この時代こそハンターカブCT110の出番なのでは? 売れると思いますよ。もしリリースされたら自分ももう一台買いますね。
・新規格以前の四駆軽トラのお薦め---其の二 ---スピリチュアル軽トラ-ライフ。良い“足”を手に入れたら---`05/1 デフロック機構を装備した4WD軽トラックには、素晴らしい踏破性がある。皆さんの代わりに試してみた。
・新規格以前の四駆軽トラのお薦め---其の一。身も心も軽く、農的生活には四駆軽トラ。良い“足”を手に入れる。って、ちょっと一般的でない角度からの道具としての四駆軽トラの見方。なんでそんなページまで作るかなぁ・・・`04/12/3
スバルサンバーは真のオフロードユーティリティカー? ---1996.8.21 riv-up

※上記の該当ページの画像をご覧頂けば、軽の4WD貨物自動車(旧規格のホイールベースの短いタイプ)の障害物に対する踏破性の高さがご覧頂ける。また、CT110ハンターカブのその後のページの崖に落ちたバイクの引き上げに関する記事では、山の中での重量物の引き上げや降ろしにも、ロープやカラビナだけで応用できる手法を書いてある。
 また、道を外れたオフロードでの運転技術や、誰も居ないところで車がスタックした際の自力脱出ノウハウは、これまた自給的、自立的な智慧に繋がる。この様な、自分自身でなんとか困難や障害を切り抜けるための経験に基づく智慧やノウハウを身に付け、そして道具類を装備することによって、今まで不安と恐怖感で近づけなかったエリアに安心してアクセス出来る様になる。ただし、これは自然に負荷を与えるものとしてではなく、林業者や山主が、鬱蒼として入れなくなってしまっている既存の山道や林内にアクセスするためである。
 勘違いしている人が多くいるが、人の手の入った二次林は、メンテナンスされることによって健康な林となるのである。放ったらかして藪になった山では、植生も偏る上、里に近いところで山の獣達の住処になるので、畑などの鳥獣害の被害をさらに増やす。里山には人や犬が入れないと、山自体が荒れて崩壊していく元になってしまうのだ。林道も車が入らないと直ぐに荒れていってしまう。尤も、そんなハードな山道でなくとも、今後多くの人達が森林ボランティアなどで山の保全に未舗装路の奥に入る際に於いても、滑りやすい道での車両の安全な運用方法について知っておいて貰った方が、すそ野が広がり、より多くの方々を誘うことが出来るだろう。
 また、余裕があれば、上記ページに引き続いて、山道での車の安全な運転方法や、スタックした際の自己脱出方法などの基本的智慧についてもページに書いてみたいと思う。全林協さんの編集部長が、自給関連の本も出したいという意向があると仰っていたので、場合によっては其方でご覧頂くことも出来るかも知れない。地震国の日本に於いて、不安定な道を安全に通過するための現況を見極める眼と操作の技術は、非常時に於いて多少なりとも役に立つのではないかと思う。やはり自給と自衛は繋がっているのだ。

 

☆沢登りは、原初的な深山へアクセスする遊びだ。激流を徒渉し、滝壺を泳ぎ、大滝を登攀し、崖を高巻いたりザイルを使って下降を行う。
 沢登りは道無き道、険しい深山の渓谷を登攀していくために、最低限の荷物と装備でもって臨むミニマムの生活形態である。山で山菜キノコ、木の実を採り、渓魚を釣って食料とし、少ない食材と調味料にて美味しい食事を生み出す。夜営は基本的にはテントは持たず、極軽量のタープやブルーシートで雨風を凌ぐ。沢登りには、人間が山奥で移動しながら確実に生きていく上での智慧が沢山ある。

 

 

 

 

 

・東京マタギ深瀬教室の仲間とのキノコ&蕎麦の会 `07/11/20---裏々キノコ教室:性格悪い奴はキノコ採れない伝説。楽しい仲間とのキノコ採りの風景と、少しばかり美味しく出来るようになった蕎麦打ちのプチ自慢。性格悪い奴ほど能書きが多い!!!って、、、誰のこと?
東京マタギ、ナイフメーキング教室?`06/3:熱可塑性樹脂カイデックスを使ったシース(鞘)作り& 山菜キノコ採り教室の風景--`06/3/18
「白井氏にレザーシースを作って貰った」を`06/4/13追記。
東京マタギ深瀬工房製ナイフ、山包丁--まいどお世話になっている深瀬校長のナイフの紹介ページを作ってしまった。沢屋さんにはピッタリよ。---`01/11/28
・`03/7 丹沢本谷川水系キュウハ沢「巻き巻き」の巻き:久々に行ったキュウハ沢(中級の沢を初級にしてやるぞ)
・2000年5月某日某所、東京マタギの沢登り講習会の前夜 :講習会の前夜に必ず執り行われる儀式
99/5/23 丹沢、神の川水系伊勢沢:ほとぼり冷めたかなあと思って載せたけど。またまた能書き満載
・丹沢本谷川水系キュウハ沢`99/6/6:沢登りの滑落から学ぶ、量子力学、神、そしてシンクロニシティの実際・・・ホログラフィックな観点から見る。
・山岳渓流ガイド:東京マタギの講習会`97/`98
・本間沢での事故教訓談。M・N氏へのメイルのリプライを転記。
・小川谷廊下遡行2:ちょっと柔らかかったガバホールドの巻`98/7/26分
・奥秩父笛吹川 東沢 釜の沢 遡行:鍋を担いだ沢登りレポート `97/10/11分
・本間沢遡行後日談(F10直下で血だらけのタオルを発見)`97/9/2分 
・丹沢-小川谷廊下Uターン(傷ついたこころの巻)`97/8/9分
・ど素人3人組、早戸川本間沢に怖い思い顛末記 `96/6 :渓流釣りをやったぐらいの素人が沢登りを甘くみると地獄を見る。でも、面白い!登山みたいに登るライン(登山道)が決まっていないのが良いね。
・東北渓流釣り旅行記:山はいいなあ!会社を辞めて1年半遊んでいました
・渓流ウォッチング---川面を叩くフライマン他---マスコミや業界が作った流行に乗せられやすいタイプの人が多いように見える遊びを通して、日本人の意識下を陽の下にひっぱり出す。鱒が反射するあなたの心

「深瀬信夫のアウトドア教室」:東京マタギのオフィシャルサイト。最初、鍋奉行のT原氏がこのHP、東京マタギのファンサイトとしてページを作った。其れを元に、近年はマタギもテクノロジーを採り入れご自身でもって情報発信出来るようになったので、HPの内容を更新して更に充実させている。ページの中の教室レポートは、我々が「表」と言っている正式な講習会のレポート。深瀬校長と仲間内と紹介者のみで行うものは「裏」教室ね。そして、今回は、忙しい校長抜きで親しい仲間だけで行った「裏々」教室のレポート。一般の受講者の方はこの東京マタギのオフィシャルサイト記載の各「表」教室にご参加下さい。

東京マタギ、深瀬信夫の『アウトドア教室』山岳渓流ガイド2008年予定表:仲間が作っているページ。キノコ採り裏教室のレポートなどなどがリンクされている。許可を得てインデックスページでなく直にページリンク。

※沢登りのクライミング&安全確保技術は、ロッククライミングと違い、より少ない装備と用具の応用から成り立っている。例えば、アッセンダー(登高器)は金属製の器具を使わずに、スリング(シュリンゲ)という細引きロープを輪にしたものを使う。スリングが三本あれば、垂直のザイルを登ることが出来る。そのスリングは支点確保のハーケンに使うだけでなく、木に回して支点にしたり、生えている細い篠竹などを束ねて支点にすることなどにも使える。また、薪材などに回して沢山運べるのでテン場(泊まり場)での薪集めにも重宝するのだ。
 これらのザイル、ロープ類とカラビナを併せて、滝や崖の登下降だけでなく、激流の徒渉及び、渓谷の空中を架線の様にして人間や荷物を対岸に渉す流星法、高所での事故者のレスキューなどの手法は、山奥に入る人達にとっても、また震災時にも、二階や上の階に取り残された人達を安全に地上に降ろしたり、上に登っていく技術にも繋がる。大きな災害時には、消防もレスキューも自治体も対応しきれないから、自分達で急ぎなんとか乗り越えなければならない場面がある。そんな時に手をこまねいていて悔やんでも取り返しが付かないだろう。興味がある方は、然るべき指導者が居る講習会で安全に技術を習得されると良い。

 

☆電気やガスなどのライフラインがストップしたら調理も出来ない? カセットコンロ? 長期に亘ったらどうするの? 薪や炭があって、調理器具も熱効率の良い(蓄熱量の多い)鉄鋳物や土鍋などなどを使って自然の火で調理したものは、それだけでも凄く美味しい。調味料で人工的に付けた味ではなく、素材そのもの味が生きている。身体が喜ぶものは、咽の通りも良い。
 外食すると食が進まず何か変なのは、食欲がないんじゃなくて、身体が拒否する食べ物が多すぎるから! 薪や炭で炊いたり焼いたものを食べてご覧よ。偽物ばかり採り入れていると人間も偽物になりますぜ。
 薪を自分で調達したり、炭焼きに挑戦する人達は増えている。

 

 

 

 

 

 

飯炊き用の鋳物竈をスモーカーに転用 :鋳物の飯炊き竈は骨董コレクションで買った訳ではない。電気ガスなどが無くても生活できる基盤を確保しておく為だったが、そんな事態になる前に、燻製器(スモーカー)にも転用されて自家製ベーコン作りに大活躍。---`06/2/27 ついでに竈本来の使用方法に則って、大豆を炊いて味噌作りを行った(鉄鋳物の羽釜のメンテナンス完了)を4/12に追記
パン屋さんに居た猫の“ニャに”の画像&石窯作りワークショップの画像若干 ---薪で焼く石窯焼きのパン屋さんに居た猫のキャラが何とも言えず良い。そのパン屋さんはホンマモンの“薪窯(薪で焚く石窯)”+“天然酵母”、“国産小麦”、“全粒粉”使用の四拍子。此よね此。あとは、友人が行った石窯作りのワークショップ画像をちょっと---`06/2/28 【ニャン何だコイツは〜?】を追加。招き猫のニャにの実の名は“ふにゃゴロ〜”を`06/4/12追記

サバイバルお箸セット & チタン製野外調理 セット(発色加工チタン材は、水を美味しく、空気も綺麗に、体調も整える?)`99
料理を美味しくする調理器具、不味くする調理機器具`99--バカチンのわたくしめは、またまたスキレットを買い込んでしまい、鉄鋳物の大小スキレットがこれで全部で10台。錆びたらどーすんの。でも、その後、100円ショップの14cmスキレットに合う蓋を、他の鋳物スキレットの蓋を改造して使える様にしたら、その格好良さ可愛さに大満足。その他、リサイクル屋さんでチタンのフライパンを100円で見付けてウッヒッヒ。
鍋でご飯を炊く男:ステンレス多層鍋を使いこなせ`99(栄養を壊さない逃がさない健康調理法)

※わたしの作る料理を美味しいと言ってくれる人は結構多い。でも、料理が上手な訳じゃない。道具だね道具。やっぱり道具で料理の味は全然違う。でも、火加減とかタイミング、段取りで全然結果が異なるから、道具も使いこなさないと猫に小判、アームチェアフィッシャマンにJeepってところかな。


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