英国に行ってきました!


 1999年4月1日より4月20日にかけて、パリと英国に行ってきました。経路はパリ、ロンドン、ストラトフォード・アポン・エイヴォン、ポーツマス、カンタベリー、ドーバー、ロンドンで、パリ経由で帰ってきました。英国海軍と海事史以外にもディケンズやシャーロック・ホームズなどにも色目を使ったために、私としては強行軍に近い旅程となってしまいました。
 ここでは行って来た順にスポットごとに紹介していきます。もともとフランス革命とナポレオン戦争関係を中心にした旅行で、写真も資料として撮るほうが圧倒的に多いため、「ねらった」写真が少ないです。それでもリクエスト等ございましたら、随時付け加えますので掲示板やメールにてお伝えください。

ヴェルサイユ宮殿(パリ郊外)

 言わずとしれた『ベルサイユのばら』の舞台です。お約束な写真はガイドブックや写真集をどうぞ。といっても、あまり撮ってきませんでしたが……。

廃兵院(パリ)

 廃兵院とは陸軍病院のこと。現在もその機能があるため、建物の一部は立入禁止です。目玉は付属の教会にナポレオンの墓があること、そして陸軍博物館です。日本人がじぇんじぇんいない観光地その一。

エトワール凱旋門(パリ)

 これもナポレオン時代の遺跡、そしてフランス・ナショナリズムの聖地の一つです。

「近衛兵の鉄人」陸軍総司令部編

 英国について真っ先に行ったのが衛兵の交代、しかもマイナーな方。なんだかなぁ。
ホーンブロワーの見た目1
ストラトフォード・アポン・エイヴォンの運河

 コッズウォルドに近いストラトフォードで運河の閘門を見つけました。

ポーツマス軍港

 軍港のなかを観光艇でまわりました。

HMSヴィクトリー号

 ネルソン最期の乗艦。そして、世界最古の現役軍艦でもあります。ちなみに2番目がUSSコンスティテューション号ですね。

HMSウォリアー号

 近代戦艦の祖、HMSウォリアー号。HMSヴィクトリー号とは対照的に実戦経験はなく、第一線で活躍した期間もわずかに15年(ヴィクトリー号は60年!)でした。

ドーバー城

 海からドーバーに近づくと、立ちはだかるような白い崖の上に、黒い城壁が屹立し、特に天気の悪い日には人を寄せつけない凄惨な光景となります。実際、ドーバー城は「イングランドへの鍵」とされ、ノルマン征服(11世紀)の昔から20世紀後半に至るまで、国防の第一線として現役だったのです。

女王陛下のベルファスト号

 テムズ河にゆったりと浮かぶ第2次世界大戦時の軽巡洋艦ベルファスト。主に北海で行動して、北岬沖のシャルンホルスト撃沈にも参加しています。大戦後は極東に配置されて朝鮮戦争にも参加、沿岸砲撃などに活躍しました。「エグゾゼを跳ね返す装甲を誇って、まだまだ現役」とは案内のテープが主張するところですが……よほどエグゾゼ・ショックが大きかったようですね。

テムズ河クルーズ(ホーンブロワーの見た目2)

 ホーンブロワーが英国の陸地にいる風景というのは、あまりありません。しかし、「トルコ沖の砲煙」(Hornblower and the Atropos)ではホーンブロワーがテムズ河を相手に悪戦苦闘します。ホーンブロワーが見損ねた景色を見てみましょう。もっとも、現在と200年前ではずいぶんと違っているようです。

倫敦塔

 漱石の作品なんぞ読んでいないくせに……観光スポットの1つだと思って、行ってみたら大間違いでした。歴史・ミリタリーのファンは必見の場所です!

聖ジェームズ宮殿とその周辺(ホーンブロワーの見た目3)

 「バッキンガム宮殿と……」とするべきなのですが、ホーンブロワーの時代には、まだバッキンガム宮殿は建築されていませんでした。衛兵の交代までは、まだ間があります。トラファルガル広場からバッキンガム宮殿に向かって、ぶらぶらと歩いてみましょう。

「近衛兵の鉄人」バッキンガム宮殿編


 「衛兵の交代」と言えば、このバッキンガム宮殿のものがもっとも有名です。エリート中のエリートだけあって、行進する姿や、気をつけ、休め、担え銃など、動作の美しさと力強さはとても見応えがあります。

ウィンザー城

 ロンドンから2時間ほどの、比較的新しい(といっても英国のことだから数百年の歴史がある)お城。現在は王室の休日用居城として使用中です。平日は、もちろんバッキンガム宮殿です。

「近衛兵の鉄人」ウィンザー城編

 わざわざ来たからには、見ないで帰る法はありません。きっちり見てきました(というより、それが目的?)。


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