廃兵院(パリ)


 2日目、友人にはルーブル美術館に放り出して、私は廃兵院の軍事博物館へ。10年前に行ったときは大したことないものだったのに、今度行ったらびっくり。とんでもない質と量の博物館になっていました。フランスの博物館は基本的にフラッシュなしなら撮影可。


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廃兵院の正面


 奥の塔は付属の教会のドームで、黒と金で派手に飾られています。このドームの下がナポレオンのお墓があるところです。

栄光砲台

Batteries triomphales des Invalides

 廃兵院の北側を守る空堀と胸壁。砲列は「栄光の砲台」と呼ばれています。廃兵院の設立時からある砲列で、廃兵院の住人で砲兵隊が構成されていました。主にパリ市の祝砲や時報を撃つためにあったものです。

栄光砲台 その2

 この砲列はフランス革命にあたって撤去されていました。1804年、廃兵院長であったセリュリエ将軍の要求で回復し、現在に至っています。手前の砲身のみじかいものは榴弾砲。ナポレオン戦争当時、臼砲と並んで炸裂弾を発射できた大砲でした。

臼砲

 廃兵院の中庭にも大砲が保存(?)されています。フランス製のもののほか、戦利品もあり、北京近くのタークー砲台や下関から押収したものも並んでいます。

フランス陸軍のカノン砲(19世紀半ば)

 英国陸軍のものかと思って近づいてみたら、説明書きにはそう書いてありました。ここの博物館はナポレオン戦争だけではなく、中世の甲冑から第2次世界大戦まで、すべて揃っています。全部見ていると3日はかかるので、ナポレオン戦争に絞ってみました。

カノン砲


 説明も何もなく置かれていましたが、おそらくナポレオン戦争当時のものと考えられます。

軽騎兵士官(19世紀初頭)

 博物館にはいるとマネキンが様々な実物の軍服を着て立っています。このコレクションもルイ王朝から現在に至る膨大なものになっています。全部撮っていたらフィルムが何本あっても足らないので、いくつか選んで撮ってきました。とはいえ、どれもガラスの反射が入って散々でした。

大砲の模型

 模型だけを集めた翼もありました。大砲だけではなく、弾薬車、鍛冶車などなども。実験的な3連装砲(先込め式)などもあり、思わず「意味ねー」とつぶやいてしまいました。

ナポレオンの墓

 髪を検査すると、砒素が検出されます。むしろ問題なのは軟禁中のナポレオンがフランスから取り寄せたワインを英軍がピンハネしてしまっていたこと。仕方がないので、ナポレオンは南アフリカ産のもので我慢していたようです。

余は地蔵に非ず


 右手に錫杖、左手に宝珠。一瞬、お地蔵さんかと思ったのですが、実は皇帝姿のナポレオンでした。

「フォンテーヌブロー庭園の入園料と往復で125フラン」


 おまけ。ナポレオンは現在も活躍中です。右手に持っているのはフランス国鉄の切符。その切符の斜め下にある赤いものが改札機です。この改札を通さないで乗るとキセルとされます。


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