HMSウォリアー号



 ウォリアー号は近代的な戦艦の祖とされる装甲艦です。
 フランスの装甲艦ラ・グロワール号に対抗するために、ウォリアー号は1859年5月に起工され、1861年に竣工しました。その塗色から「ザ・ブラック・スネーク」と呼ばれ、海峡艦隊に所属しました。デンマーク王女のお召し艦の随伴をしたこともあり、その際にお召し艦から送られた信号、「王女様はいたくお喜び」が航海用の舵輪に刻み込まれています。
 就役当初は主に帆走し、出入港時には艦尾のスクリューを降ろして機走しました。スクリューを降ろす作業には乗組員のほとんどと約30分の時間を必要としました。
 1875年には早くも予備艦籍に編入され、1883年にポーツマスに入港したのが最後の自力航走でした。以後は港内に係留されていました。日露戦争の始まった1904年には電気学校の一部として用いられ、1929年にはウェールズはミルフォード・ヘヴンで燃料庫として使われます。
 1968年に初めて復元が提案され、1979年にはハートルプールに曳航されて復元作業が始まり、1987年6月16日にポーツマスにその姿を見せました。

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正面

 艦首像を備えたのも、この時代が最後。これに先立つ15年前にはスクリュー船ラトラー号と外輪船アレクトー号が綱引きをし、その勝者がウォリアー号の推進装置となっています。

海上から見た後ろ姿

 艦尾装飾の名残が見られます。ウォリアー号の約40年後に建造された戦艦三笠に比べれば、まだ華麗といえるものですが、ヴィクトリー号のそれを見た後とあっては、寂しいものですね。

艦尾の110ポンド元込め砲

 元込め砲はウォリアー号で初めて採用されました。110ポンド元込め砲は艦首と艦尾に1門ずつ、そのほかに8門が砲列甲板に配置されています。さらに26門の68ポンド先込め砲と、4門の40ポンド元込め砲が周囲を固めていました。

艦橋から艦尾を眺める

 舵輪には「王女様はいたくお喜び」の文字が書いてあります。デンマーク王女はウォリアー号の姿よりも、そのきびきびとした操艦に引きつけられたそうです。とはいえ現代の私の目には、三笠よりも遙かに優雅で、スマートに見えます。

メイン・マスト脇から艦橋を眺める

 艦橋は文字通りのbridgeで、右舷から左舷にむき出しの道板があって手すりがついているだけ。戦闘時には首脳陣がブリッジ真下の装甲版でつくった楕円形の構造物の中に入りますが、これも屋根がなく、艦橋から丸見えでした。戦闘時の舵輪は砲列甲板の中央部、シタデルのなかにあります。

艦首方向を眺める

 背後にはもう一つの艦橋と煙突2本があります。

艦首110ポンド砲


 艦首尾の110ポンド砲はレール上を動かして左右の砲門に向けることができます。

砲列甲板


 ずらりと並んだ大砲。天井からぶら下がる筒状の赤いものは弾薬筒です。「砲列甲板」は高橋泰邦さんの造語ですが、海軍で使われた言葉は「砲甲板」。けれど、この光景を見れば、どちらが「イイカンジ」かはおわかりかと思います。

68ポンド先込め砲


 この当時、信頼を集めたのは元込め砲ではなく旧式のこちらでした。サイズをのぞくと、ヴィクトリーの備砲とそっくり。保守的というか何というか……。

猫鞭


 「水兵の千鳥格子」とはこの猫鞭で背中をむち打たれてできた傷跡を指す言葉。左側の赤い袋はこの猫鞭を納めるためのもので、これもネルソン時代から変わっていません。

配給酒の樽


 これまたネルソン時代と変わらない形。違っているのは書いてある言葉が「国王陛下に神のみ恵みあれ!」の「国王」が「女王」、ヴィクトリア女王陛下になっているところです。

士官食堂


 水兵の格好をした人があちこちに立って、解説してくれました。これを三笠でできたらなぁ……さぞ、反対がキツいでしょうね。艦内は艦長室や副長室を始め士官室、士官次室等々、ほとんどを見ることができます。

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