女王陛下のベルファスト号



 HMSベルファストが所属するサザンプトン級は大日本帝国海軍の新型超軽巡洋艦、最上級に対抗して設計・建造されました。艦内の撮影は許可されているのか、されていないのかよくわからなかったのでしたが、結構、撮ってましたね。極悪。
 ベルファストはテムズ河上、タワーブリッジの上流に係留されています。最寄り駅の1つ、ロンドンブリッジ駅からベルファストに向かって川岸を歩くと、19世紀中頃に紅茶の荷下ろしに用いられたドックを改装したヘイズ・ギャラリーがあります。入り口に立って見渡すと、ティー・クリッパーの小ささが実感できます……というのは、グリニッジのカティ・サークは開けたところにあるので、大きく見えるんですよ。
 さて、話戻して。
 HMSウォリアーに比べると、ベルファストのスタッフは数が少ないようですが、やっぱりしてるんです、コスプレ。見たとたんに、ふへへ……と表情がゆるんでしまいました(アヤしい奴)。舷門で迎えてくれた下士官(の格好をした人)はすごい早口の英語。これがまた、いかにも、いかにも英国海軍艦らしくって!

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HMSベルファスト&タワーブリッジ

 ちょっとレンズを向けるだけで、英国の風景はポーズを取ってくれます。それだけに、わずか2週間の滞在でヒネリの効いた写真を撮ろうというのは、無理な話。日本にいて日本を撮るだけでも、すごく難しいのですから、陳腐なアングルはご容赦を!

ギャングウェイ上より

 入場料を払ってから、艦尾へと続くギャングウェイを渡ります。こういう観光コースから外れない姿勢もまた陳腐なアングルの原因ですね。とはいっても、この日はカンタベリーからの移動、そしてロンドンでのホテル探しを終えて、すでに疲労困憊でした。

ベルファストのシップ・ベル

 艦尾近くのY砲塔基部には船鐘が吊ってありました。そういえば現在の駆逐艦、HMSヨークもヘリコプター格納庫の後縁についてましたっけ。ネルソン時代の戦列艦では、艦首楼後端に船鐘がありました。移動の理由は不明ですが、何かありそうですね。

天をにらむA砲塔とB砲塔

 仰角は最大射程にあわせてあるようです。艦には迷彩が施されていますが、どうやらこれは1942年頃のもののようです。重装備のマスト(1942年当時は軽い三脚マストでした)と不似合いなので、通常の塗装に戻して欲しい気もします。

艦橋脇、左舷機銃甲板から後部を望む

 この機銃甲板には連装機銃が2基ずつあり、現在も旋回させたり仰角を変えたりできるようになっています。子供たちは勝手によじ登って操作し、親たちはそれを見守ったり、自分で動かしたり。私も動かしてみましたが、結構ハンドルが重かったです。これで航空機が追尾できたのかなぁ……単装機銃が重宝された理由が体感できました。

司令官艦橋の司令官席

 座ってみました。堅かったです。でも、見晴らしの良さは現代艦とは違います。なんといっても、背負式に配置された3連装砲の、そのまた上ですもの。でも、三笠の露天艦橋にはかないませんけどねっ! 三笠、ようやく1勝。しかし、これ以外は全敗……やはり、本家本元には勝てないのか。

航海艦橋後部の副長席

 副長が下士官の報告に耳を傾けています。航海艦橋は北岬沖に独巡戦シャルンホルストを追ったときの状況が再現されています。厳しい気候、そして劣悪な天候のなか、有力な敵艦を追う緊張したやりとりが音声と効果音、そして厳しい表情の蝋人形で再現されていました。

弾薬庫内部

 誰もカメラを出す人がいないので、てっきり撮影禁止と思いこんでしまいましたが、このとおり。奥の木箱も弾薬が入っています。手前の弾薬は砲塔基部をぐるりと取り巻いていて、必要に応じて木箱から出された弾薬が載せられたようです。けっこう原始的ですね。

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