後記 2004-10-01


 

 お久しぶりです。
 月日のたつのは早いもので、あれからもう12年にもなりますね。今夏は真夏日が何十日も続く異常気象でした。秋祭りの季節になっても不順な天候が尾を引いてなんとなく気分が優れません。
 今日は父の13回忌と母の25回忌の法事のため、5年ぶりに田舎の土を踏んでいます。黄色く熟れた稲穂がそよ風にゆらゆらと、畦道には真っ赤な彼岸花、浮島のように小川の畔に集落する墓碑、華やいだ赤蜻蛉の群が喜々として飛び回っています。こともなげな先祖代々の墓に頭を垂れていると、静寂の風音が雲の合間を縫って晴れやかに立ち昇っていきました。そうそう、T君の遺影にも手を合わせてきましたよ。わずか20年の生涯を虚しく宙に捧げ散ってしまったT、なすすべもなく遺された母上が昔ながらの家屋を独り守っておられましたが、去りし日の話をしたとて何を慰むることもなく、香の煙の向こうに遠く霞んでいた曖昧な「部分」のみが、くっきりとした輪郭となって浮かび上がってくるのを感じていました。

 帰郷はあわただしいものでしたが、閉館間近に立ち寄った姫路文学館で、岸上大作のコーナーに展示してあった「ぼくのためのノート」を見てきました。死の寸前まで7時間もかけて書き続けた54枚の原稿用紙、最期の迸りを指先にこめ、几帳面な性格を現した青インクの筆跡、睡眠薬が効き始めたのか、冷静に書かれていた文字もやはり最終行は乱れていました。14年前の初夏、西新宿のホテルの一室、アルコールの臭いが充満し、窓際の机上に置かれた薬の空箱と便箋、書き連ねたあなたの筆跡とだぶって見えてきましたよ。岸上大作が何錠飲んだのかは知りません。最期は縊死したと聞きましたが、あなたの残した数個の空箱には100錠近い薬が入っていたように思います。いざとなると人間の生命力というのは怖ろしいものですね。生きることと死ぬこと、葛藤の凄まじさを思い知りました。岸上大作とは違って、あなたは希望かなわず、生き延びる羽目になって美学に反した耐え難い苦渋の道だけが残ってしまいましたね。追い打ちをかけるように襲ってきた不本意な病には手向かうことかなわず、翌々年の冬、小雪混じりの老神温泉の宿であなたの訃報を聞くことになってしまいました。数年して引っ越した今の住まいの玄関ドアをあけると、都庁舎の並びにあるホテルのあの窓が見えてくるのです。毎朝、眩しい朝の陽とともに。あの日、電話越しに聞こえてきたあなたの無念の声とともに。

 人影もなく静まりかえった館内、時の停止した一瞬の間に「文学者掃苔録」のきっかけにもなった過ぎし日のことどもが走馬燈のように思い出されてきました。「文学者掃苔録」もようやく9年目を数え、三百数十名の文学者の「生き死に」に接して、あなたが事ある毎におっしゃっていた「死生の矜持」という言葉の意味を、朧気ながらも感じることができるようになりました。

 あなたの墓は遠い祖父来の北の地にあり、めったにお参りすることができません。夏が過ぎ、集落のはずれにある小さなお堂の裏山が鮮やかな紅に染まってゆくのもアッという間でしょうね。常に死を意識していながら死後のことなど信じなかったあなたでしたから、のちの世の移り変わりにはなんの感慨もないのでしょうか。20歳に満たない頃にお会いしてからというもの、人生の全ての事柄について教えを受け、指針としてきたあなたの生き方をなぞることは、私にとってあまりにも難しいことでした。

 あと数年、あなたの遺した年に追いついたら、行く先のこと、今一度、今一度あなたのなつかしい声を聞きに伺いたいと思っております。息づく自身の「矜持」のために。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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