後記 2001-11-01 


 

 今回アップした「山口瞳」の取材のため今夏の一日、久しぶりに横須賀を訪れました。「山口瞳」の墓の所在を「江分利満氏に乾杯!」サイトの中野様から情報をいただき、さっそく訪れたという次第です。京浜横須賀中央駅からバスで行く佐野二丁目という停留所近くの妙栄寺という寺がその目的地でありました。しかし後でわかった事なのですが、この寺は山口瞳の母方の菩提寺で「山口家」の菩提寺ではなかったのです。取材を終えて山口瞳の著書を読んでいくと、それは自ずと判明することではありましたが、「文学者掃苔録」の編集方針としては、基本的に先入観を捨て、先ず作家の墓を訪れ、それから後、その作家の著書をできるだけ多く読んでまとめ、必要に応じて再訪問するという方法を採っていますので、このような無駄足(今回は無駄足でもなかったのですが)?も時々発生することとなります。ともあれ、目指す墓が見あたらないので住職に尋ねましたところ、「山口家」の墓は浦賀の顕正寺にあるという話でしたので、又駅に引き返し、浦賀に向かうこととなりました。顕正寺というのは「山口家」の菩提寺であり、先代の住職は母方の出であったという、父、母方共に縁の濃い寺で、名勝観音崎に至る道筋の山蔭にひっそりと佇んでいました。あと何日かすると7回忌の法要が営まれると、案内を願った住職に伺ったのですが、「山口瞳」の訃報記事を眼にしてから、もうそんなになっていたのかと思うと、自分だけが時の流れに取り残されているようで、やるせない気もしてきました。

 取材から帰ってその著作「血族」などを読んでいくうちに、どうしても、もう一度妙栄寺の近辺や顕正寺を訪ねてみたくなり、先日あらためて訪れてみたのです。かって山口瞳が母の秘密を取材するために幾度も歩き、佇み、悩み、怯えたその道を私も辿ってみたいと思ったのでした。作家が衝撃を受けたという母の生まれ育ったその風景は、当時と少なからず変わってしまってはいましたが、確かにその風景は存在したのです。雨の降りしきる夕景の中に、もやもやとして幻の如く、否、まさに幻として。私はその時はじめて、作家の文章の一行に佇んでいると実感したのでした。

 次回は、吉行淳之介・江藤淳・峠三吉などを予定しています。

「江分利満氏に乾杯!」http://www5a.biglobe.ne.jp/~everyman/

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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文学散歩 :住まいの軌跡


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