最近とみに、ある種の作家に心惹かれています。
飛躍した感性の迸りにとまどう人々や時代に受け入れられず、あるいは地方の一隅でひっそりと一瞬間の光輝を遺していった不遇、無名の作家達。その高揚した清冽な文章には、等しく息を呑む思いがしています。
おもかげをわすれかねつつ
こころかなしきときは
ひとりあゆみて
おもひを野に捨てよ
おもかげをわすれかねつつ
こころくるしきときは
風とともにあゆみて
おもかげを風にあたへよ
尾崎翠、「歩行」冒頭に掲げられたこの詩にも、ひとつの出発を感じていました。
尾崎翠は明治29年12月20日、鳥取県岩美郡岩井村(現在の岩井温泉)に生まれています。父は小学校教師、母は地元の小さな寺の出、3人の兄と3人の妹を持つ男っぽい性格の女の子であったといいます。20歳の時、文学を志して代用教員を辞し、東大農科在学中の三兄を頼って上京、22歳で日本女子大国文科に入学。「無風地帯から」が「新潮」に掲載されると大学で問題になり、やむなく退学することになります。後、郷里と東京を行き来する時代が続きますが、ようやく東京・落合に暮らしはじめ、「木犀」「アップルパイの午後」「こほろぎ嬢」「歩行」「第七官界彷徨」などを発表します。「よほどの遠い過去のこと、秋から冬にかけての短い期間を、私は、変な家庭の一員としてすごした。」という書き出しではじまる、複合感覚の不可思議な世界を描いた「第七官界彷徨」は、若い文学者達に大いなる衝撃を与えましたが、頭痛薬常用による副作用から精神を病み、昭和7年、鳥取に帰ります。以来、再び東京に戻ることなく筆を折り、かっての文学仲間からも忘れ去られていました。ごく晩年、花田清輝が再評価し全集も刊行されましたが、すでに遙かな忘却が余力を奪い去ってしまったのでしょう、昭和46年7月8日、74歳で亡くなりました。近親者でさえも翠が作家であったことを知らなかったといいますから、幻の作家といわれるのも納得のいくことでありましょう。
近年、浜野佐知という女流監督によって「「第七官界彷徨・尾崎翠を探して」という映画が制作され、各種の映画祭で好評を博したそうですし、郷里・鳥取では、尾崎翠の命日の前後に「尾崎翠フォーラム」が開催されています。一度は埋もれてしまった作家が徐々に蘇ってくる様は、読者として嬉しい限りです。
そんな思いを込めて、今回は尾崎翠をアップしました。
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