フリーマンの随想

その83. 矢倉沢往還 ( 続 )

* 神奈川の古道を訪ねて その2 *
( Mar. 6, 2010 )


目次

8.古道歩きその6.足柄峠 ⇒ 静岡県小山町竹之下クリック

前回迄の分に戻る

****************** 現在で未完です。  今後訂正・修正もあり得ます*******************



8.古道歩きその6.足柄峠 ⇒ 静岡県小山町竹之下 2010年5月17日と22日

 「 さて次はどこを歩こうか? 」 と考えてみましたが、秦野市の曲松から更に東京方面に向う道は、車を転がして下調べしてみると市街地化が甚だしく、古道の面影など望むべくもありません。 歩いてみても面白くなさそうに思えたので、逆に足柄峠から御殿場に向って歩く事にしました。 ところが、3月上旬にまたまた結構な雪が峠付近に降ってしまい、それが融けるのを待っているとまた降雪・・・今年の気象は全く異常です。 こんな状況が4月いっぱい繰り返されているうちにうちに、他の用事も重なり、何と5月中旬に遅れこんでしまいました。

 という事でまずは足柄峠から竹之下 ( 静岡県駿東郡小山町 ) までです。 いろいろ下調べしてみると、この 「 足柄峠西坂 」 と言われる区域一帯の矢倉沢往還の古道については、ものすごく綿密に執念をこめて調べあげ、歩き尽くした方の 報告がインターネットに 載っており、これを読んだらもう、私が何のかんのと調べる事は全く不必要だと悟りました。

 この方の研究と踏査によれば、足柄峠から竹之下までの古道のルートは過去の長い歴史の間にいくつも存在し、変遷を重ねてきたようです ( 詳しくはこの方の書いた 地図を参照 )。 そのうちの 「 どれが正しいのか 」 と問われれば、私は、自然災害や、政治的・軍事的な理由で次々にルートが変遷を経て来た歴史を考えると 「 どれもそれぞれ正しい古道だ 」 と思いますし、一方、その現存の各古道の脇に、自然の力の影響か、或いは最近の人為的な造林などによる改修のためか、今は廃道になってしまった古道の跡らしきものが数多く見つかったりするという事実を知れば 「 現存のどのルートだって細部では正しくない 」 と言えるように思います。*1

 私はこの幾つものルートの内、現在もっとも広く認められている 「 古道 」 である 「 虎御石 ( とらごじ ) 古道 」 と 「 直路ヶ尾 ( すぐじがお ) 古道 ( 別名赤坂古道 ) 」 の二つを現状のルートの通りに歩いてみる事にしました

 虎御石古道(A)は古代から中世にかけての道ではないかと推定されています。 これに対し直路ヶ尾古道(B)は江戸時代から明治の末まで駿河・甲斐と相模・江戸との間を交易する商人たちが利用した道だと言われています。 前者は途中から地蔵堂川沿いの戦ケ入り ( せんがいり ) 林道(C)につながり、A+C は B とほぼ平行に走って竹之下 ( JR御殿場線足柄駅付近 ) で合流します。

 インターネットに載っている 「 矢倉沢往還を足柄峠から竹之下まで ( 或いはその逆コースを ) 歩いた 」 という多くの記録では、下りの場合多くが B、時に A+C で、一方、上りの場合は C+B を歩いた人が多いようです。 足柄峠と竹之下の中間あたりに三者の一つから他に移れる交差部分があり、例えば竹之下から地蔵堂川沿いに C を上ってくると A と一旦合流というか接触した後、さらに B の中間点の伊勢宇橋 ( 後述 ) まで林道を進む事が出来ます。 ここから B を上がるのが現在最もポピュラーなハイキングコースである上記の C+B のルートです ( 詳しくは地図12、13をご参照 )。

地図12、13はここから開いてご覧になってください。

 個人的な意見ですが、単なるハイキングのために歩くのでしたら、上りでも下りでも、坂の上半分は B、下半分は C というルートを歩くのが、歩きやすさと景観の両面で評価した場合、現時点では一番良いと思います。 どのルートを選んでも、上りは脚力次第ですが2時間±30分、下りはその半分くらいでしょう。

 さて、相模側から足柄峠に登り着いた旅人たちはそこからは先、どう足を進めたのでしょうか。 現代なら地図12のイ地点から西に遊歩道を進むと、丘の上や林の中の心地よい10分ほどのウォーキングの後、ハ地点に出ます ( 緑の破線 )。 しかしこの経路は城の敷地内を通り抜けるので、昔は通れたはずがありません ( 現在は空堀、曲輪、土塁などの跡が見られます )。 やはり、城の下のロ地点に降りて、ほぼ現在の県道 ( ここからは静岡県道78号線です ) 沿いに歩いた事でしょう ( 赤実線 )。

 そこでロ地点から出発し、現在も盛んに道路の拡幅と足柄城跡側の土手のブロック塀化の工事をしている県道沿いに進むと、上記のハ地点の先の右側に 「 上の六地蔵 」、「 下の六地蔵 」 ( 後者は実際は八体:上左の写真 ) などがあり、やがて 「 目にかかる 時やことさら 五月富士 」 という芭蕉の句碑に達します。 この向い側に左折して直路ヶ尾ルートに入る入口があり、「足柄古道」という道標が立っています ( ニ地点 )。

 ここに入った後、分岐して虎御石ルートにも入れるそうですが、虎御石ルートには現在、通常は県道をあと600mほど進んだ先 ( ホ地点 ) から左折して入ります。 第1回目はまず、直路ヶ尾ルートを下ろうと思います。 地図12の赤線を御覧ください。

地図12、13はここから開いてご覧になってください。

 初日は面倒な事は言わずに ニの地点から道標に従って直路ヶ尾ルートを下りることにしました ( 写真下左 )。 ロ地点から350mほどで右側に上の六地蔵、その50m先に下の六地蔵です。 さらに50m先に芭蕉の句碑があってその向い側がニ地点です。 地図12上では赤い線で示しました。 曲がりくねった、道の真ん中に大きな岩があったりして歩きにくい道 ( 写真下右 ) を3分ほど歩くと再び、先ほど別れた県道78号線に出会い、それを斜め上に横切ります ( ヘ地点 )。 ここにも標識があり、ここから先ちょっとの間石畳の道になりますが、この石畳は新しく敷設されたもののようです。


 石畳が途切れると古道を思わせる狭い土の道となり、ここでもときどき大きな岩が道の真ん中を邪魔しています。 こういう道をどんどん下って行くと、10分ほどで江戸時代に造られた馬頭観音像 ( 写真下左 )がある先で再び峠から下って来た舗装の県道に合流し ( ト地点 )、ここからはこの舗装道路を歩きます。 600mほど歩くと 伊勢宇橋 *2 ( 写真下右 ) があり、このすぐ手前で右に入れば ( チ地点 ) 上記の戦ケ入り林道(C)に通じます ( 写真下中 )。 入らずに進むのがBルートで、唯念上人 の特徴ある字体の南無阿弥陀仏の石碑 ( 駿河・伊豆・相模地域一帯のあちこちで目にします )、南無妙法蓮華経の題目碑など、江戸時代に造られた旧跡が現れ、この道が江戸時代の道であった事をうかがわせます。



地図12と13はここから開いてご覧になってください。

 この広い舗装道路を下って行くと1kmたらずで右側に竹之下一里塚 ( 写真下左 ) がありますので、ここでも古道Bがかつてここを通っていた事が確かめられます(リ地点)。 ここで道は二つに分かれ、左折する広い新設の県道はくねくねと迂回しながら足柄駅に向います。 一方、直進方向は車がすれ違えないほど狭い道 ( 写真下右 ) で、これが矢倉沢往還の古道 ( 上記のB ) です。 第二次大戦中までは立派な松並木があったそうですが、松根油を得るため伐採されてしまったとのことで現在は両側とも荒れた杉の植林地です。


 静かな道は途中からコンクリート舗装になり、幅も少し広がります。 このあたりにもまた、天保や宝暦と言った江戸時代の馬頭観音が左手に見つかります。 この道は馬喰坂 ( ばくろうざか ) と言われ、江戸時代に物資の輸送に携わった人たちが馬に荷物を載せて通った道ですから、あちこちに馬頭観音が存在するのもなるほどと思われます。 道が住宅地に入るとやがて県道と合流し ( ヌ地点 )、目的地の御殿場線足柄駅に着きます。

 2日目は足柄峠から虎御石ルートを下り、途中から戦ケ入り ( 戦返りとも書く *3 )林道を通って足柄駅までのルートを歩きました。 前記の表現ですと A+C で、地図上では青い線で示しました。 前半の部分は曲がりくねった急勾配の道で正確に描けないので、青の破線でおよその感じで示しましたに過ぎません。 まず、地図12のホ地点から左に急に下って行く、古道と言うより古道の跡といった感じの細い道に入ります。 現在は県道の両側に入口を示す道標があります ( 写真下左 )。 ホ地点はロ地点から1km弱、手前の舗装道路の分岐点からは200mです。


地図12と13はここから開いてご覧になってください。

 500mほどで右側に曽我兄弟の仇打ちに関係のある虎御前石が現れる筈でしたが、それらしい石は幾つかあったものの、どれであるか確認できないままに終りました。 たぶん説明の立て札が倒れていたのでしょう *4。 ここから先も荒々しく淋しい杉林の中を縫うように細い道が走り下って行きます ( 写真上右 )。 それが古道の跡らしくて良いとも言えますし、殺風景だと感じる人もいるでしょう。 生えている樹木が主にまださほど古くない植林された杉であるという事から考えても、このルートは中世どころか近々100年以内の間にだって人の手で大きく手が入れられ変貌してしまった可能性が大と考えるべきでしょう。 事実、もとはそっちが本道だったのではないかと思われるような地形が歩いたルートの脇に幾つも目につきました。


地図12と13はここから開いてご覧になってください。

 15分ほど坂道を下った所でチ地点から僅か70mほど入ったル地点で道は合流して戦ケ入り林道に入って行きます。 地蔵堂川を左に見ながら林道をゆるやかに下るにつれて ( 写真上左 )、景観も美しくなり、椿ケ淵、古滝、銚子ケ淵、金時・源頼光対面の滝 ( 写真上右 )、戦ケ入、馬蹄石などの旧蹟が次々に現れます。 嶽之下宮の奥宮も美しい神社でした ( 写真下左 )。 これらについての説明は ここを御覧ください。 この後半の部分は地図上で正確にたどれるので青い実線で示しました。 林道が終ると道は竹之下の集落に入り、滝や神社を見ながら歩いてもル地点から40分ほどで足柄駅前に着きます。 この集落からも富士山の美しい姿を望む事が出来ました ( 写真下右 )。


*1:それにしても、人里も間近かな神奈川と静岡の県境に、つい50年か100年前までは多くの人たちが通ったのに、今は完全に忘れ去られ誰ひとり通らない、いや、危険で通れないほど荒れ果ててしまった、国土地理院の地図にも載っていない山道がこんなに何本もある ( あった? ) なんて、今まで考えた事もありませんでした。 そして、山道なんていうものは、ひとたび使われなくなれば数十年で完全に藪の中に消えてしまうものなのだという事実を知りました。

*2:江戸の豪商伊勢屋宇兵衛がここにも橋を寄付したという事は、矢倉沢往還のこのルートが江戸時代に駿河や甲斐と江戸とを結ぶ大切な交易の道路であった事と無関係ではないと思うがどうでしょうか。 なお現在の橋は平成3年7月竣工のものです。

*3:1335年に竹之下に陣を敷く後醍醐天皇側の軍と足柄峠に陣取る足利尊氏の軍勢との間で竹之下の合戦が行われた際、ここで両軍が最初に衝突したため、この名がつきました。

*4:やはりそうでした。 どうしても気になり、6月24日にもう一度行ってみたら、真新しい木の札が立っていて、直ぐに見つける事が出来ました ( 写真下 )。 地図12のホ地点から道標には0.5kmとありますが、私の歩測では0.35kmほどです。


****************** 以上、2010年5月22日記 6月24日補足 *******************
  
****************** 現在で未完です。  今後訂正・修正もあり得ます *******************

前回までの部分に戻る


ご感想、ご意見、ご質問などがあれば まで。

***************

このコラムは、もともとはグリンウッドで働く友人たちとそのご家族向けに、私や家族の動静、 日本や特に足柄地域の出来事などをお知らせしようと、97年初めから「近況報告」 という名でEーMAILの形で毎月個人宛てに送っていたものです。 98年2月以降はホームページに切り替え、毎月下旬翌月分に更新してきました。 ところが最近、日本に住むグリンウッドをご存じない方々も多くご覧になるようになってきたので、 同年7月から焦点の当てかた、表現などをを少し変えました

この先です。