読書録

シリアル番号 890

書名

日本は勝てる戦争になぜ負けたのか 本当に勝つ見込みのない戦争だったのか?

著者

新野(にいの)哲也

出版社

光文社

ジャンル

歴史

発行日

2007/8/17発行

購入日

2007/09/08

評価

元勤務先の先輩達が集まるSEFサロンへの参加の誘いが来た。11月28日に元日本セメントの杉本幹夫氏が「大東亜戦争の開戦責任」というテーマで話すという。「アメリカの戦争目的は何であったのか。その目的を達したのか。蒋介石は何故戦争を始めたのか、そして何故敗れたか。蔭で笑ったのは誰か」と言う視点に立って大東亜戦争開戦の責任追及についてお話を頂く予定ですとあった。

この講演は実際に聴講して大東亜戦争の開戦責任にまとめた。

講師が事前勉強の参考資料としていくつか上げている。

(1)三田村武夫著「大東亜戦争とスターリンの謀略」自由選書 自由社。この本を読んだ岸信介は「この私まで含めてシナ事変から大東亜戦争を指導した我々は、言うなればスターリンと尾崎に踊らされた操り人形だったということになる」 と書いているという。

(2)ウェデマイヤー著妹尾作太男訳『第2次大戦に勝者なし』(上下)講談社学術文庫。終戦時の中国駐在アメリカ軍司令官ウェデマイヤー将軍の回想録で前任者 スティルウェルやその幕僚が如何に共産主義に汚染されているかを嘆いているという。

(3)佐藤晃『太平洋に消えた勝機』光文社。この本は大東亜戦争は、負けるに決まっている戦争との意見が支配的な中、日本にも勝つチャンスがあったと主張する。南太平洋は専守防衛路線を取り、インド洋でインド・スエズとイギリス本国との補給線の破壊に全力を注入すべきであったとの説である。米軍の戦力が充実し、反撃に転じたのは17年10月である。この間にインドの独立運動を激化させスエズ運河を叩くことが出来れば、可能性は零ではないと感じる。尚この案は東条の案でもあったという。それを阻害したのは、陸軍と海軍参謀本部・軍令部と陸・海軍大臣の意志を統一するシステムの不在であったというのだ。

たまたまT.H.と上野の美術館に出かけた折、本屋で(3)と類似の論旨の本を見つけた。軍国主義好きの武勇伝でもなければ、忌まわしき東京裁判史観でもない、これまで定説化された歴史の虚飾をはがす独創的戦争文化史という宣伝文句に引かれて買った。2年程前に小室直樹、日下公人 の「太平洋戦争、こうすれば勝てた」という本を読んだが大筋において言っていることは同じである。ただ石原莞爾や統制派など陸軍側のディテールで知らなかったことも多く、驚き とともによんだ。日本の過去と現状に私が抱いているある種の危惧が説明できるところが気に入った。新野哲也氏がどういう人か知らないが、ジャーナリストという。

支那事変や太平洋戦争を振り返れば、後智慧であるが、こうすれば勝ったかもしれないのに、なぜ負ける方向に舵を切っていったのか疑問に思うことが沢山ある。ではなぜそのようなことになったかという理由を考察して著者は 「当時の軍から日露戦争を戦ったタタキアゲの軍人が消え去って偏差値エリートが学歴や学業成績だけで、高いポストについたためと説明する。もともと、資質も指揮能力もないため、失敗を犯してしまった」という単純なケースだったというのである。

当時は日本軍は、十代から二十才そこそこの若い時の学業成績だけで、地位から退役後の天下り先まできまる完全な学歴社会となっていた。しかも抜擢や降格を禁止する内規である「軍令承行令」や天皇から任じられた地位や役職は、他の者によって罷免されることも、引責辞任する必要もないという「親補職制度」で幾重にも身分が保証されていた。

学歴偏重は明治維新以降、欧米に追いつくことが焦眉の急だった日本の宿命的欠陥である。適性や才覚、熱意とはおかまいなしに、ペーパーテストだけで、エリートをつくりだす、昔の軍隊のやり方を戦後六十余年もひきずってきて、現在の日本に弊害がでないわけはない。権限や規制のない社会になると、学歴だけで高給がえられる安穏な身分社会が崩壊するので、彼らは自由化に断固、反対するのである。

戦後、霞ヶ関の権力の中枢が、国家公務員試験一種合格組に独占されているのと同じく、戦時中は、海軍のハンモックナンバー一桁組、陸軍の賜刀組、高等文官試験のパス組が軍部の要職を独占していた。

学歴偏重は、陸軍統制派、海軍の留学組、革新官僚が自分達に都合のよい特権的な社会を作るために利用した、差別的・独善的な風習で、これに官僚組織の閉鎖性・排他性がくわわって、日本軍の上部機構は、始末に負えない集団になっていった。天皇制度、特にその「統帥権の干犯」は彼らの都合によって利用されたのである。権力はかならず腐敗する。権力を運用する側の責任感や覚悟が薄まると、権力の私物化や内部抗争、背信や裏切り、利敵行為がはびこり、やがて権力が、その権力をつくりだしている体制そのものを破壊するのである。

これが太平洋戦争中起こったことであり、戦後の日本がいまだに抜け出せずにいる状況である。例を一つ挙げればバブル崩壊前夜、アメリカが仕掛けてきた金融戦争に国際派エリートや官僚は何の手も打たなかったばかりか、旧大蔵省は「総量規制」、日銀は「金利の逆操作」で日本経済を叩きつぶし、日本の富がアメリカに持ち去られてゆくのに、手を拱いた。この第二の敗戦で日本は第二次大戦以上の経済的損失をこうむったのだ。

著者は更に一歩踏み込んで、「日本明治以降、日本を敗北にみちびいたのは高学歴ゆえに、支配階級の中枢を担ってきた国際派で、これまで、そうしてきたように、今後も、かれらは、幾たびも、日本を危機に陥れることだろう」という。しかし著者は学歴の低い、国粋主義者が国を治めるべきであるとは言っていない。

高学歴で国際派であると自認するグリーンウッド氏にとってみれば、高学歴で国際派であることがいけないのではなく、「軍令承行令」や「親補職制度」があったため、指導層が国のためでなく、自分達のために行動したノブレス・オブリージの欠如だったと理解する。藤原正彦氏は「国家の品格」でこのことを指摘して、旧制中学・高校がその教育の役目を担っていたとする。しかしグリーンウッド氏は戦中世代が誤ったのだから旧制中学・高校もダメだったことになるし、陸軍士官学校も海軍兵学校も無論、無力だったと考える。戦後の教育も官庁の役人の堕落を見れば失敗の見本だろう。こうして高山高麗雄の「フーコン戦記」の言葉「あいつらの言う国家とは、結局、てめえだけのことではないか。何万人もの兵士が餓死しても、全て、国のためだと言って、平気なのだ」という言葉になるのだ。

ノブレス・オブリージは性善説を前提としている。将来の指導層にノブレス・オブリージを教育で教えられないならむしろ、性悪説にたって、相互監視体制しか残された手はなくなる。そういう意味で民主的に選ばれた政治家がしっかりしなければならないことになる。戦前は政治家は軍 人出身者に乗っ取られてしまった。チャーチルが「デモクラシーは最悪の政治形態だ、これまで試されてきたどんな政治形態よりもましだが」と言っている。

世間一般では石原莞爾の評判は悪いが、この本でグリーンウッド氏の石原莞爾の評価は大分変わった。満州の馬賊で親日的だった張作霖を関東軍参謀の河本大作らが愚かにも独自の判断で殺害した。しかし張作霖の跡を継いだ張学良は日本の侵略に抵抗する意を鮮明にして、国民党寄りの姿勢を強めた。1931年、 石原莞爾率いる関東軍が満鉄の権益保護と折りからの世界恐慌で日本から移住した移民保護のため、柳条溝事件に端を発する満州事変を引き起こし、約1万の兵で半年で張学良を追い出し た。翌1932年、満州の地に孫文の辛亥革命で満州に追い出された清朝の人々による傀儡政権を樹立。1933年に塘沽(たんくー)協定を結んで国際法的には合法とすることができた。当時の欧米の植民地獲得と全く同じ手法をとったので欧米はこれに文句を言えなかったのだ。そこで米・英はなんとか中国の権益を獲得しようと蒋介石を炊きつけ日本たたきに出てくるのだ。

1937年の東条の取り巻きの牟田口指揮の盧溝橋事件に端を発する支那事変は英・米・ソが蒋介石を傀儡にして日本に戦争を売ったのであり、この誘いに乗ったのは愚かというしかない。東条は中国を植民地化して利益を取り出せると早合点したようだ。この辺の判断は東条の歴史観の浅さを示すものだろう。石原莞爾が満州で成功したように日本は蒋介石と共闘して中国が欧米の植民地政策から抜け出せるように助けて恩を売るべきだった。石原莞爾はトラウトマン工作をして蒋介石と和平に持ち込もうとしたが、陸軍に反感を持つ米内光政海軍大臣がトラウトマン工作を妨害し、井上成美に蒋介石の重慶政府への爆撃をさせている。

東条のとりまきだった瀬島龍三は自らの戦争責任を語ることなく、2007年に大往生したが、朝日の記者に「国威の進出は満州国までよかった。万里の長城の先へ行ったのが失敗でしたね。軍対政治、陸軍対海軍の対立が絡んで、戦略がなかった。永田鉄山がいれば調整できたかな。日本自身が日本を壊したんです」と語ったことは的を得ている。その永田鉄山は陸軍統制派である。ただかれは同じ統制派の東条より有能で柔軟性があったのでもしかしたら支那事変を避けえたかもしれない。しかし陸軍内部の皇道派との派閥争いでこれをおさえる人事をして皇道派に惨殺されてしまう。 そして皇道派にそそのかされた青年将校が二・二六事件を起こすが、制圧されて皇道派は消え去り、陸軍は秀才型軍人を中心とする統制派の天下となる。 外交官出身の広田首相はおびえたように軍部の言いなりになるのである。こうして統制派のトップとなった東条は歯止めを失って支那事変にのめりこむのである。

陸軍はナチとの戦線でいそがしかったロシアを叩くために北進すれば、英・米・ソを分断できて和平にもちこめた可能性は高かった。1939年に辻参謀が指揮に失敗したにも関わらず勝利に近い引き分けであったノモンハンを内密に敗戦として処理し、日ソ中立条約を締結して支那主戦論、南進論に傾くのである。東条は支那を叩くためにドイツを利用しようと 1940年に日独伊三国軍事同盟を調印する。

しかし日露戦争で英国に助けられ、英国式の教育を受けている海軍の永野修身(おさみ)米内光政山本五十六、井上成美ら海軍のエリートはヒトラーと陸軍嫌いである。英国がインド洋経由で蒋介石に軍事物資を送っていたのだから三国軍事同盟を締結した以上、インド洋にでてアラビアで暴れているロンメル将軍指揮のナチス陸軍と共同する軍事行動をとうのが戦略の基本だ。しかしそれはしたくない。 南進して戦争に必要なインドネシアの石油を確保するだけで良いのに、なぜかハワイに向かのだ。

大村益次郎が「戦術のみを知って戦略を知らざる者は、ついに国家をあやまつ」と言っているのに先輩の言葉を理解していなかったのだろう。

こうして1941年のハワイ奇襲攻撃で太平洋戦争が勃発するのである。これには合理的説明ができなくて著者は陰謀説をにおわせるのだ。だがしかし、この本を読んだ後、対米開戦の合理的説明は当時の思想家大川周明が「米英東亜侵略史」に、反植民地主義で欧米に対向するという基本姿勢を著していたと知る。しかし仮に錦の御旗が正しかったとしても自ら中国に対し植民地主義的に動くという論理矛盾を犯し、孫子の兵法にもとる 負け戦をした軍部はダメ組織であったということであろう。

ダメ組織の例として著者は「軍令承行令」を楯に辻参謀の拙い指揮が出した犠牲の責任を問わず、1941年にはじまった太平洋戦争に嬉々として辻参謀を送り出し、ポートモレスビー、ガダルカナル、インパール、フィリピンで無謀な指揮をさせ、膨大な日本兵の犠牲をだしたのだ。

海軍の指揮の拙さも同じようなものだった。南雲はミドウェー海戦で戦わずに主力空母4隻を失うし、栗林は「レイテ沖の謎の反転」をしてマッカーサーを救うのである。前線に無能な指揮官が淘汰されなく残っていたのはすべて抜擢や降格を禁止する内規である「軍令承行令」や天皇から任じられた地位や役職は、他の者によって罷免されることも、引責辞任する必要もないという「親補職制度」のなせるわざであったのだ。

ミッドウェー 雲の上とぶ 索敵機    座一

「風林火山」では山本勘助、「三国志、諸葛孔明のように軍師、名参謀が人気があり、強いリーダーは織田信長を例外として嫌われる。これはアメリカはスタッフがセットになって交代するようにトップダウン型であるのに対し、日本はボトムアップでスタッフがリードし、トップはハンコを押すだけというスタイルが好まれるためである。また日本のような農耕ムラ社会では仲間のクビを切るというのは最大の難事であるのに比し、アメリカのような狩猟民族の社会ではリーダーが絶大な権限を持っているかわりにその集団の生存を危うくする何かがあれば一発でクビになる。こういう文化の下では戦争にまけてもスタッフたる役人は首も切られずにそのまま居残り、無能をさらし続けるということが生じるのである。防衛事務次官のクビを防衛大臣が切れないということになるのだ。

ムラ社会 次官のクビも 切れず降り   座一

この他にも革新官僚とは満州国の建国に貢献したモスクワ大出身の宮崎正義、統制経済や国家総動員法を推進した岸信介がいて、戦後の統制経済や官庁の許認可が国の成長のブレーキをかけ続けたのである。

国家間のパワーポリティックスも戦争も囲碁と同じ く記憶型秀才が得意とするような定石は役に立たない。全体を俯瞰して相手の出方に応じて考え抜かれた手を打つしかないのだ。

「統制主義はうまく行かない」という見方はジョージ・ソロスとクオンタム・ファンドを設立してカリスマ投資家となり37才で引退し、世界中をバイクで旅して廻ったジム・ロジャーズが国家統制主義の国家が全て低迷するか崩壊しているのを目撃して「共産主義や社会主義者そして、多少ともその影響を受けた多くの民主国家にとって国家統制主義は20世紀の大いなる政治的な病である」と喝破しているのと同じ見方だ。

さてこの本は軍官僚の仕組みの失敗を告発するところは分かり安いが、スターリンの謀略に踊らされた国際派の陰謀説を匂わせるところは推測に過ぎず、ジャーナリストが陥る陰謀史観でにわかに信じがたい。 アメリカがオレンジプランを策定して日本を仮想敵国にして戦争せざるを得ないように仕向けたという陰謀説も軽率である。米国はドイツは黒、イギリスは赤、メキシコは緑、中国は黄色として20近いカラープランを策定して用心したに過ぎないのだ。日本はオレンジというだけ。11月28日にしっかり講演を聴いてみよう。

昔読んだ「失敗の本質   日本軍の組織論的研究」は政治レベルの意思決定は論じていないが、軍組織に限って社会科学的手法で詳細な分析をしている。

「失敗の本質」を再読しようと書棚から引き出すとトーメン参与石丸義富氏がニッケイ・ビジネス誌1983/6/27に書いた小文「戦史の研究 下 セクショナリズムと学歴偏重の病弊」がポロリとでてきた。ここにセクショナリズムは日本軍だけの病弊ではなく、どの国にもあることの例としてマッカーサーの「陸軍は対日戦重点に指向せよ。そうせねば対日勝利の栄光は海軍の手に帰する」という言葉をあげている。なぜ日本軍がセクショナリズムで自滅し、欧米はしなかったかというと、欧米は政治家=戦争指導者となってセクショナリズムを越える判断と指導ができたのに対し、日本は統帥権が政治の外にあったため、政治家が戦争指導できなかったと指摘している。

Rev. November 4, 2009


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