読書録

シリアル番号 741

書名

太平洋戦争、こうすれば勝てた

著者

小室直樹、日下公人(くさかきみんど)

出版社

講談社

ジャンル

歴史

発行日

1995/7/12第1刷
1995/9/13第3刷

購入日

2005/12/28

評価

鎌倉図書館蔵

よく太平洋戦争の敗因について日露戦争の勝利によって学習棄却ができず航空機・空母時代になっていたのに戦艦決戦にこだわったから、暗号が解読されていたから、レーダーの開発に遅れをとったから、そもそも技術力、工業力、国力が米国に劣っていたからなどの要因が喧伝されている。そして「歴史にイフはない」といってこれ以上の分析を拒む風潮が日本にある。

本書は本当にそうだろうか?と小室直樹、日下公人 ご両人が互いに素朴な疑問を2日間ぶつけ合った対談の記録である。この本が出たころは仕事に没頭していて知らなかった。鎌倉図書館でみつけて読み出したらすこぶる面白い!

まずイフという拡散思考を二人でやろうというのだが、この拡散思考を忌み嫌う学者を血祭りにあげて、拡散思考のできる度合いで人を5階層に分類している。すなわち

第1階層:作家、シナリオライター、ゲームプログラマーなど自分一人の頭の中で世界を自在に構築できる人

第2階層:実業家、マニュアル書く人など考えて自らの道を探せる人。ただし実際に人を組織して動かすので大きなリスクは犯せない人

第3階層:誤り無きことを期する大部分の学者(東大教授などはその典型である。ノーベル賞級の独自の仮説をリスクを犯しても展開できる優れた学者はこの範疇に入らず)、検査官、マニュアルで人を裁く程度の低い管理職

第4階層:マニュアルがあればその通りにできる大衆の上層部

第5階層:マニュアルがあってもその通りにできない大衆の下層部

グリーンウッド氏は自分は若き頃は第1階層、年齢とともに次第に下がって引退直前は第3階層であったと反省している。第4階層以下には絶対なりたくないと思っているが、次第に劣化し、いずれは第5階層に到達するのではないかという予感はある。

さて同程度の実力を有する海軍同士の海上決戦には「二乗均等の法則」が作用する。海上封鎖に弱い島国の英国は二国標準主義維持して海上決戦主義を標榜して世界を睥睨していた。一方第一次大戦時のドイツは大陸国家だったため、海上封鎖されても自活できた 。故に艦隊保全主義を採用しても問題なかった。第二次大戦のヒトラーも同じ主義だった。だが最終的には英・米をリーダーとする連合国に負けた。

日本海軍が日露戦争で抱えていたジレンマはロシアより少ない海軍兵力で海上決戦するために、司令官は常に海上決戦主義と艦隊保全主義(フリート・イン・ベーイング)の矛盾になやみアルフレッド・マハンのいう意志の集中、力の集中ができなかった 。1904年3月、小田喜代蔵が旅順港外に、機雷を敷設し、旅順艦隊司令長官マカロフが座乗した戦艦ペトロパブロフスクを爆沈したにも関わらず、海軍は旅順港突入のチャンスを生かせず、旅順艦隊を温存してしまった。たまたま陸軍による203高地からの砲撃によって旅順艦隊をつぶしてもらってようやく二乗均等の法則が適用可能になり、バルチック艦隊を葬り去ることができたのだということを真摯に学んでいない。

その結果、海上決戦主義と艦隊保全主義矛盾を抱えたまま太平洋戦争に突入し、空母機動部隊に戦艦・巡洋艦部隊をあわせて海上決戦せずに温存した。パールハーバーにおいて中途半端な攻撃で切り上げ、ミッドウェーにおいては海上決戦主義の権化のようなスプルーアンスにしてやられ た。こうして虎の子のように大切に温存した戦艦・巡洋艦部隊は出撃の機会をのがしてしまった。終盤において無用の長物となった戦艦を暫時沖縄に自滅のために送り出すという愚策しか残されていなかったという論点は後智恵とはいえ説得力があった。

辻政信、東条英機、富永恭次らが参謀でありながら司令官を無視して勝手な命令を出して日本を戦争に引き込んでいった背景には日本の組織が下位代行を奨励したためという。アメリカは絶対に下位代行をさせない。「上の者が自分でやれ」という制度である。それは上でなければ考えつかないことや言い出せないことがあるからである。日本では現在でも 下位代行の考え方が主流である。よく社長が部下に「考えろ」というのがそれである。通産省からエンジニアリング会社に天下りしたK氏が日本の役所では下克上が奨励されているということをおっしゃったがこれも同じ組織文化だろう。

クラウゼヴィッツは「戦争論」で「戦争は、一つの政治的行為である」としたが、太平洋戦争を政治的に収拾するにはハルノートに書かれているように米国の最大関心事だった中国本土からもし撤兵していれば、日本は昭和10年ころから始まっていた高度成長へのラセンが回り続け、米国を貿易パートナーとしてして共存共栄の繁栄を継続できただろうというイフも面白い。

もし日本の戦争目的は亜細亜の欧米の植民地からの解放であったなら、日本の勝利であったことは確かなことだが、残念ながら戦争指導者の頭にそのような目的は無かった。論者二人の発想は後智恵からでているのではあるが、満州、朝鮮、樺太、台湾は独立を認め、インド、中国、東南アジアの植民地解放戦争をリードしていたら、今頃米国とともに世界のリーダーになっていただろうに。当時でもインドは英国にとってインドネシアはオランダにとって収入源というよりは金のかかる属国になりつつあったのである。すでに当時から土地に執着するより国境を無くし、自由貿易で経済繁栄するという方向に向かっていたのである。 そういう意味で北方領土問題にこだわる日本政府の方針は 時代錯誤の感がある。当時も今も日本国民、政治家、官僚はほぼ農民出身で土地の呪縛にとりつかれている。国境をとりはらい貿易で生きるということは商人的発想であり、士農工商の価値観を逆転しないかぎり、国際世界で生きてゆくことはできないだろう。

文官も武官も官僚だが、官僚は秘密主義で大和、武蔵の戦艦も極秘裏に建造し、ハルノートも公表しなかった。そもそも装備は戦争が生じないように敵(米国民)にみせびらかして戦意を喪失させて平和を維持するものなの隠すので巨艦は何の役にもたたなかった。民主主義国間の戦争の何たるかも知らない行動であるときびしい。

ミッドウェーで兵力を小出しにして惨敗し、中国から撤兵できなかったのは制度疲労した官僚制の呪縛であったとする。日本では和の伝統から機能集団が共同体になってしまう。共同体化した陸軍が支那撤兵に頑強に抵抗したが故に日本は米国との開戦に向かわざるを得なかった。戦後、企業も官庁も軍隊式官僚組織を導入し、一億総官僚化したが、悪いことにこれが共同体化してしまって、共同体外の国家または企業にとっては無責任システムとなりはてていると結論している。グリーンウッド氏は同じような分析を1999年11月4日にパストラルで開催された企業内技術士シンポジウムで展開した「組織における個、その新しい役割」で披露したことがある。大学の教養部時代に社会学を選択して学んだ「ゲマインシャフト」と「ゲゼルシャフト」という言葉から展開した独自のロジックだったが、1995年にこの本で論じられていたことを知って嬉しくなった。

ところで明治以降の日本は建前は民主主義国だが、陸軍の支那派兵は国民の合意を得てはじめたものではなかった。共同体化した陸軍が下位代行をさせているうちに既成事実ができてしまったものである。だから陸軍指導部は徴兵した兵の忠誠心を得られるとは思っていなかったので戦陣訓なるものを作らざるをえなかったという指摘は説得力があった。こういう意味において藤原正彦が「国家の品格」で提案するようなエリート教育に悪乗りすることは戒めるべきことのように思える。

「一部分について真であることが、そうであることだけの理由ゆえに全体についても真であるとみなされる」という論理学の合成の誤謬(Paradox Serial No.014)は共同体化した縦割り官僚組織の総体が常に直面する災いである。政治家がしっかりして合成の誤謬をさけなければならないのである。

ほぼ同じ論旨の新野哲也著「日本は勝てる戦争になぜ負けたのか 本当に勝つ見込みのない戦争だったのか?」がある。

Rev. September 23, 2006


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