大東亜戦争の開戦責任

2007/11/28

杉本幹夫

講師の杉本氏は東大電気工学科卆で日本セメントの工場長を勤められた技術者であるが、退職後国学院大学で日本史の修士を終了したというユニークな経歴を持ておられる方である。

氏の結論は:

第一次大戦後、貧富の差の拡大により、世界的にマルクス主義、計画経済への憧れがあった。ソ連のスターリンは世界共産化を目論み、コミンテルンを組織した、その第一目標は政権基盤の弱いシナ大陸であった。孫文死後、広東政府の実権を握った共産党は大暴れしたが、南京事件で国際的な反発を受け、標的を日本に絞った。日本人に対するテロ行為の続発が日本の反発を呼び、満州事変、シナ事変を引き起こした。

アメリカの宣教師達は人道的に民族主義に同調し、本国に日本悪者論を吹きこんだ。ソ連の「日本と中国を徹底的に戦わせよ。その争いにアメリカを引きずりこめ」との思惑通りに進んだ。

戦前アメリカは日本は中国を侵略している。中国国民は可哀相だ。そして日本はアメリカの対中貿易を阻害していると主張していた。しかし戦後、蒋介石は台湾に追い出され、中国国民は共産党の圧制によりより不幸になった。そしてアメリカは中国市場から締め出された。

というわけで、負け組:日本、蒋介石、中国人民、アメリカ。勝ち組:中国共産党、ソ連ということになる。こうして本当のことを悟ったアメリカとイギリスは米国政府内の共産主義汚染分子の摘発(マッカーシー旋風)と冷戦を開始し、永年かかって最終的に勝利するのだ。

毛沢東は佐々木更三委員長に「日本軍は中国に大きな利益をもたらしたのだから申し訳なく思うことはない」

マッカーサーの上院証言で「日本は防衛戦争を戦った」

米国政府内の共産主義汚染分子:

アルジャー・ヒス ヤルタ会談の大統領顧問
ハリー・デクスター・ホワイト ハル・ノートの原案作成者
ロークリン・カリー アジア問題担当大統領補佐官
ラティモア 「太平洋評論」編集者
エドガー・スノー 中国の赤い星」の著者
アグネル・スメドレー ゾルゲ、尾崎秀美と交遊

ヘンリー・ルース

「タイム」誌の創立者、経営者
スティウェル中国戦線アメリカ軍司令官とその幕僚  

ウッディーマイヤー回顧録では1944年よりの中国戦線の米軍司令官スティルウェルやその幕僚。

日本の勝機:唯一のチャンスは1942/10前に南太平洋に進出せず、インド洋に展開して、イギリスとインドの連絡を絶つことであった。それでスエズが封鎖でき、スターリングラード攻防戦がどうなったかわからない。これは東条の方針であったが、陸軍と海軍、参謀本部、軍令部、陸軍省、海軍省がばらばらで支離滅裂。

December 16, 2007


レッテルを貼るようで心苦しいが以上の論はいわゆる陰謀史観に属するものと思われる。杉本氏の元ネタは戦前の内務官僚だった三田村武夫が昭和50年に書いた「大東亜戦争とスターリンの陰謀」という本である。GHQによって発禁になった。1987年に復刊され、岸信介が巻末で「近衛、東条そして岸はスターリンと尾崎に踊らされた繰り人形だった」と大東亜戦争開戦責任をスターリンに転嫁している。これを「大東亜戦争史観」というようである。

杉本幹夫氏は同時に沖縄戦で日本軍の関与による島民700人の集団死が軍の強制であったのか、はてまたそうではなかったかを争った大江健三郎を被告とする裁判について「美しい殉国死」を支持するナショナリストのようなコメントをしていた。原告はしかし裁判で負けた。

ナショナリストは陰謀史観がお好きなようである。そして日本国民のかなりはナショナリストのようである。

ナショナリストは日本人は「東京裁判史観」という自虐史観に洗脳されているのでこれを正さねばならないと考える。西尾幹二らが主催する「新しい歴史教科書を作る会」などがその最右翼だ。

日教組が強いところは成績も悪いと発言して解任された中山成彬国土交通相は日教組が自虐史観に立ち、日教組がそのような教科書を書くからいけないのだと主張した。私はしかし文部省が検定しているのにおかしなことだと思った。

「新しい歴史教科書を作る会」のサイトを読むと、ただしくは教育の現場の教師が自虐史観的傾向を好んで選択するということのようだ。そしていまの日本の教科書が偏向する契機を作った犯人は鈴木善幸首相だと書いてある。

昭和57年にマスコミの「高校用歴史教科書の検定をしていた文部省が、教科書に使用されていた『侵略』の語を『進出』に書きかえさせた」 ことに端を発し中国、韓国の両国が日本の教科書記述の改訂を求めて激しい抗議を行った。

中国・韓国の執拗な抗議に屈した鈴木善幸内閣(当時)は、宮沢官房長官談話で「我が国としては、アジアの近隣諸国との友好、親善を進める上でこれらの批判に十分に耳を傾け、政府の責任において是正する」と発表し、検定基準に新たに「近隣のアジア諸国との間の近現代史の歴史的事象の取り扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がなされていること」といういわゆる「近隣諸国条項」を追加し、近現代史に関する自虐的な教科書記述に対して、あまり積極的に修正を求めるということが少なくなった。

その後、村山談話も出て、ますますナショナリストの心を傷つけたのである。

同じようなナショナリストにAPAグループの懸賞論文に応募して2008年10月更迭された、田母神(たもがみ)俊雄航空幕僚長がいる。その論はほとんど「大東亜戦争とスターリンの陰謀」のパクリのようである。

わが友Kもナショナリストのようだ。日本の中国侵略を正当化する論文を書いたとの理由で更迭された航空幕僚長の田母神論文に対しコメントをよせた。

日本で近代史に多様な解釈がある一つの原因にポツダム宣言受諾時に戦犯裁判を想定して重要書類を焼却するように行政機構や軍事機構の末端まで通達を出したことにある。戦犯ですら証拠となる文書がなくなって困ったこと があったという。当時の軍事・政治指導者の無責任さを露呈している。

会社経営者であろうと政府の指導者であろうと結果責任は問われず、意志決定のプロセスに関して責任を問われるとなっている。意思決定の過程を全て記録として残し、 情報を共有できるようにしておけば、責任を問われることがないということだ。ニクソンがウォーターゲート事件で辞任しなければならなかったのはそのような記録の外にあるシステムを構築したからである。東京裁判批判をする人はこのような世界の常識が分かっていないきらいがある。

SEFサロンに戻る

December 7, 2008


トップページへ