上野の美術・博物館めぐり

2007年

2007年2月24日(土)、東京都美術館で開催中のオルセー美術館展にT.H.に誘われてでかけた。オルセー美術館は2005年に訪れたことがある。その時観たものが見つかるか期待してでかけた。

いつものように上野精養軒でカレーライスの昼食をとってからにしたが、週末のためか非常な混雑であった。やはりオルセーで気に入ったテオ・ファン・レイセルベルヘの「舵を取る男」が140点の展示品の中にあった。

舵を取る男

テオ・ファン・レイセルベルヘはベルギーの画家で2006年にブリュッセルの王立古典美術館を訪問した時に、彼の画集まで買った 。しかし彼の名前は日本語でどのように綴るのか分からなかった。今回初めて分かった。ついでにこの絵がどのような背景で描かれたかも知ることが出来た。

1992年点描画家のポール・シニヤックがブルターニュからサントロペまで航海したとき、この船にテオ・ファン・レイセルベルヘが同乗し描いたのだとい う。点描法で描かれたものだが、右下隅の船員、左上隅のヨットの帆、その間の波立つ海は、浮世絵の影響の見られる構図で、海にさす灰色の光、白い飛沫がソ フトタッチで見事に描写されている。シニヤックが自作と交換、生涯手元に留めたものだという。

この絵はわがロカ号のキャビンにも飾ってある。

2007年4月1日(日)、T.H.に誘われて東京国立博物館で開催中のレオナルド・ダ・ビンチ展にでかけた。上野駅は折りからの花見客で大混雑であったが、上野精養軒と国立博物館には混雑はなかった。上野の桜は満開で3月28日の三分咲きの桜とは見違えるように咲き誇っていた。

お目当ての絵は史上初めてイタリアを出たというフィレンツェのウフィツィー美術館蔵の「受胎告知」であった。ダビンチが若き頃の1472-73年に制作したものだ。これが描かれた50年前の1421年には鄭和がもしかしたらコロンブスより70年前に世界一周をしていたかもしれないのだ。1995年5月2日にウフィツィー美術館を訪れたときはボッティチェリのビーナスの誕生とプリマヴェーラ(春)を見た記憶はあるが、受胎告知は定かではない。 絵はこれ一つだけであったが、空気遠近法などの展示がよかった。

ダ・ビンチ展のあと、日本橋三越本店7階ギャラリーで開催中の日本美術院主催の第62回春の院展に立ち寄った。T.H.の九大造船学科の同期生で旧日本鋼 管の常務を務めた丸山国生氏の絵がお目当てであった。フランスはボルドー地方のとある僧院の回廊と中庭を克明に描いたもので、ものすごいエネルギーと時間 を費やしたものであった。

T.H.が完読したダン・ブラウンの「Angels and Demons」をもらった。

2007年9月8日(土)、T.H.に誘われて東京都美術館に「トプカピ宮殿至宝展」を見に行った。 トプカピ宮殿はオスマン帝国のスルタンが居住し国政をとり行った宮殿。その宮殿の至宝展である。まあそうだろうという感じであった。

引き続いて院展をみた。この4月の院展でみたT.H.の九大造船学科の同期生で旧日本鋼管の常務を務めた丸山国生氏の絵があった。2002年にコッツウォルドのチッピング・カムデンでみた石灰石で構築した重厚なマーケットホールを描いたものだが、大作であった。すごく細密に描いていてその執念には脱帽。

チッピング・カムデンのマーケットホール

2007年11月23日(金)、T.H.に誘われて東京都美術館でトプカプ宮殿の至宝展を 見る。モンゴル高原北方をふるさととし、南下西進を続けたトルコ民族の一派が、13世紀末にアナトリア高原で創始したオスマン帝国は、ビザンツ帝国との激 しい攻防の末に1453年、イスタンブールを掌中にした。オスマン帝国の君主はスルタンと呼ばれ、強大な軍事力を持つ専制君主、イスラムの庇護者、広大な 領土から得る富の独占者として、その力をアジア、アフリカ、ヨーロッパに示した。トプカプ宮殿は、スルタンが居住した私的空間と国政の場を兼ね備えた施設 で、莫大な富を示すことで他国を威服させるべく、スルタンの生活すべてが、豪華な装飾に囲まれていたという。

ついで国立西洋美術館でムンク展を観る。いままでノルウェーの画家エドヴァルド・ムンクムの「人間の魂の叫び」とも呼べるテーマの絵しまみてなかったので誤解していたようだ。膨大な作品を一覧するともっと平凡な姿が見えてきた。

February 24, 2007

Rev. December 16, 2007


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