第12章 シルバーバーチと私(モーリス・バーバネル)
私と心霊との関わりあいは前世にまで遡ると聞いている。勿論私には前世の記憶はないが、エステル・ロバーツ女史の支配霊であるレッドクラウドは死後存続の決定的証拠を見せつけてくれた恩人であり、その交霊会において『サイキックニューズ』紙発刊の決定がなされたのであるが、そのレッドクラウドの話によると、私は、今度生まれたらスピリチュアリズムの普及に生涯を捧げると約束したそうである。

私の記憶によればスピリチュアリズムなるものを始めて知ったのは、ロンドン東部地区で催されていた文人による社交クラブで無報酬の幹事をしていた十八歳の時のことで、およそドラマチックとは言えないことがきっかけとなった。

クラブでの私の役目は二つあった。一つは著名な文人や芸術家を招待し、さまざまな話題について無報酬で講演してもらうことで、これをどうにか大過なくやりこなしていた。それは多分にその名士たちが、ロンドンで最も暗いと言われる東部地区でそう言うシャレた催しがあることに興味をそそられたからであろう。

私のもう一つの役目は、講演の内容のいかんに係らず、私がそれに反論することによってデスカッションへと発展させていくことで、いつも同僚が、なかなかやるじゃないかと、私のことを褒めてくれていた。

実はその頃、数人の友人が私を交霊会なるものに招待してくれたことがあった。勿論初めてのことで、私は大まじめで出席した。ところが終わって初めて、それが私をからかうための悪ふざけであったことを知らされた。そんなこともあって、たとえ冗談とは言え、十代の私は非常に不快な思いをさせられ、潜在意識的にはスピリチュアリズムに対し、むしろ反感を抱いていた。

同時にその頃の私は他の多くの若者と同様、すでに伝統的宗教に背を向けていた。母親は信心深い女だったが、父親は無心論者で、母親が教会での儀式に一人で出席するのはみっともないから是非同伴してほしいと懇願しても、厳として聴かなかった。二人が宗教の是非について議論するのを、小さい頃から随分聞かされた。理屈の上では必ずと言って良いほど父の方が母をやりこめていたので、私は次第に無心論者に傾き、それから更に不可知論へと変わっていった。

こうしたことを述べたのは、次に述べるその社交クラブでの出来事を理解して頂く上で、その背景として必要と考えたからである。

ある夜、これと言って名の知れた講演者のいない日があった。そこでヘンリーサンダースと言う青年がしゃべることになった。彼はスピリチュアリズムについて、彼自身の体験に基づいて話をした。終わると私の同僚が私の方を向いて、例によって反論するように合図を送った。

ところが、自分でも不思議なのだが、つい最近ニセの交霊会で不愉快な思いをさせられたばかりなのに、その日はなぜか反論する気がせず、こうした問題にはそれなりの体験が無くてはならないと述べ、従ってそれを全く持ち合わせない私の意見では価値がないと思う、と言った。これには出席者一同、驚いたようだった。当然のことながら、その夜は白熱した議論のないまま散会した。

終わるとサンダース氏が私に近づいてきて、〝調査体験のない人間には意見を述べる資格はないとのご意見は、あれは本気でおっしゃったのでしょうか。もし本気でおっしゃったのなら、ご自分でスピリチュアリズムを勉強なさる用意がおありですか〟と尋ねた。

〝ええ〟私はついそう返事をしてしまった。しかし結論をだすまで六か月の期間がいると思いますと付け加えた。日記をめくって見ると、その六か月が終わる日付がちゃんと記入してある。もっとも、それから半世紀たった今も尚研究中だが・・・。

そのことがきっかけで、サンダース氏は私を近くで開かれているホームサークルへ招待してくれた。定められた日時に、私は、当時婚約中で現在妻となっているシルビアを伴って出席した。行って見るとひどくむさくるしいところで、集まっているのはユダヤ人ばかりだった。若い者も老人もいる。余り好感は持てなかったが、真面目な集会であることは確かだった。

霊媒はブロースタインと言う中年の女性だった。その女性が入神状態に入り、その口を借りていろんな国籍の霊がしゃべるのだと聴いていた。そしてそう言う現象が起きた。が、私には何の感慨もなかった。少なくても私の見るかぎりでは、彼女の口を借りてしゃべっているのが、〝死者〟である、と言うことを得心させる証拠は何一つ見当たらなかった。

しかし私には六ヶ月間勉強すると言う約束がある。そこで再び同じ交霊会へ出席して同じような現象を見た。ところが会が始まって間もなく、退屈からか疲労からか、私はうっかり〝居眠り〟してしまった。目を覚ますと慌てて非礼を詫びた。ところが驚いた事に〝居眠り〟をしている間私がレッド・インデアンになっていたことを聴かされた。

それが私の最初の霊媒入神だった。何をしゃべったかは自分には全く分からない。が、聴いたところでは、シルバーバーチと名のる霊が、ハスキーで喉の奥から出るような声で、少しだけしゃべったと言う。その後現在に至るまで、大勢の方々に聞いて頂いている。地味ながら人の心に訴える(と、皆さんが言ってくださる)響きとは似ても似つかぬものだったらしい。

しかしそのことがきっかけで、私を霊媒とするホームサークルが出来た。シルバーバーチも、会を重ねるごとに私の身体のコントロールがうまくなっていった。コントロールすると言うことは、シルバーバーチの個性と私の個性が融合することであるが、それがぴったりうまくいくようになるまでには、何段階もの意識上の変化を体験した。

始めのうちは私は入神状態に余り好感を抱かなかった。それは多分に、私に身体を使っての言動が私自身には分からないのは不当だ、と言う生意気な考えの性であったろう。

ところが、ある時こんな体験をさせられた。交霊会が終わってベットに横になっていた時のことである。眼前に映画のスクリーンのようなものが広がり、その上にその日の会の様子が音声つまり私の霊言と共に、ビデオのように映し出されたのである。そんなことがその後もしばしば起きた。

が、今はもう見えなくなった。それは他ならぬハンネン・スワッハーの登場の性である。著名なジャーナリストだったスワッハーも、当時からスピリチュアリズムに彼なりの理解があり、私は彼とは三年ばかり、週末を利用して英国中を講演して回ったことがある。延べにして二十五万人に講演した計算になる。一日に三回も講演したこともある。こうしたことで二人の間には密接不離なものになっていった。

二人は土曜の朝ロンドンを何時も車で発った。そして月曜日の早朝に帰ることもしばしばだった。私は当時商売をしていたので、交霊会は週末にしか開けなかった。もっともその商売も一九三二年に心霊紙「サイキックニューズ」を発行するようになって、事実上廃業した。それからスワッハーとの関係が別な形をとり始めた。

彼は私の入神現象に非常な関心を示す様になり、シルバーバーチをえらく気に入り始めた。そして、これほどの霊訓を一握りの人間にしか聞けないのは勿体ない話だ、と言いだした。元来が宣伝好きの男なので、それを出来るだけ大勢の人に分けてあげるべきだと考え、『サイキックニューズ』紙に連載するのが一番得策だという考えをしめした。

始めは反対した。自分が編集している新聞に自分の霊現象を載せるのはまずい、と言うのが私の当然の理由だった。しかし随分議論した挙句に、私が霊媒であることを公表しないことを条件に、私もついに同意した。

が、もう一つ問題があった、現在シルバーバーチと呼んでいる支配霊は、当初は別のニックネームで呼ばれていて、それは公的な場で使用するには不適当なので、支配霊自身に何か良い呼び名を考えてもらわねばならなくなった。そこで選ばれたのが「シルバーバーチ」Silver Birchだった。不思議なことに、そう決まった翌朝、私の事務所にスコットランドから氏名も住所もない一通の封書が届き、開けてみると銀色(シルバー)の樺の木(バーチ)の絵はがきが入っていた。

その頃から私の交霊会は、「ハンネン・スワッハー・ホームサークル」と呼ばれるようになり、スワッハー亡き後今なおそう呼ばれているが、同時にその会での霊言が『サイキックニューズ』紙に毎週定期的に掲載されるようになった。当然のことながら、霊媒は一体誰なのかと言う詮索がしきりに為されたが、かなりの期間秘密にされていた。

しかし顔の広いスワッハーが次々と著名人を招待するので、私はいつまでも隠し通せるものではないと観念し、ある日を期して、ついに事実を公表する記事を掲載したのだった。

ついでに述べておくが、製菓工場で働いていると甘いものが欲しくなくなるのと同じで、長い間編集の仕事をしていると、名前が知れると言うことについて、一般の人が抱いている程の魅力は感じなくなるものである。

シルバーバーチの霊言は、二人の速記者によって記録された。最初は当時私の編集助手をしてくれていたビリー・オースチンで、その後フランシス・ムーアと言う女性に引き継がれ、今に至っている。シルバーバーチは彼女の事をいつも、the scribe(書記)と呼んでいた。

テープにも何回か収録されたことがある。今でもカセットが発売されている。一度レコード盤が発売されたこともあった。いずれにせよ会の全てが記録されるようになってから、例のベットで交霊会の様子をビデオのように見せるのは大変なエネルギーの消耗になるから止めにしたい、のとシルバーバーチからの要請があり、私もそれに同意した。

私が本当に入神しているか否かをテストするために、シルバーバーチが私の肌にピンを突き刺してみるように言ったことがある。血が流れでたらしいが、私は少しも痛みを感じなかった。

心霊研究家と称する人の中には、われわれが背後霊とか支配霊とか呼んでいる霊魂(スピリット)のことを、霊媒の別の人格に過ぎないと主張する人がいる。私も入神現象にはいろいろと問題が多いことは百も承知している。

問題の生じる根本原因は、スピリットが霊媒の潜在意識を使用しなければならないことにある。霊媒は機能的には電話器のようなものかもしれないが、電話器と違ってこちらは生き物なのである。従ってある程度はその潜在意識によって通信内容が着色されることは避けられない。霊媒現象が発達すると言うことは、とりもなおさずスピリットがこの潜在意識をより完全に支配できるようになることを意味するのである。

仕事柄、私は毎日のように文章を書いている。が、自分の書いたものを後で呼んで満足できたためしがない。単語なり句なり文章なりを、どこか書き改める必要があるのである。ところが、シルバーバーチの霊言にはそれがない。

コンマやセミコロン、ピリオドなどこちらで適当に書きこむ他は一点の非の打ちどころもないのである。それにくわえてもう一つ興味深いのは、その文章の中に私が普段まず使用しないような古語が時折混ざっていることである。

シルバーバーチが(霊的なつながりはあっても)私と全く別人であることを、私と妻のシルビアに対して証明してくれたことが何度かあった。中でも一番歴然としたものが初期のころにあった。

ある時シルバーバーチがシルビアに向かって、〝あなた方が解決不可能と思っておられる問題に、決定的な回答を授けましょう〟と約束したことがあった。当時の私達夫婦は、直接談話霊媒として有名なエステル・ロバーツ女史の交霊会に毎週のように出席していたのであるが、シルバーバーチは、次のロバーツ女史の交霊会でメガホンを通してシルビアにかくかくしかじかの言葉で話しかけましょう、と言ったのである。

無論ロバーツ女史はそのことについて何も知らない。どんなことになるか、私達はその日が待ちどうしくて仕方がなかった。いよいよその日の交霊会が始まった時、支配霊のレッドクラウドが冒頭のあいさつのなかで、私達夫婦しか知らない筈の事柄に言及したことから、レッドクラウドは既に事情を知っているとの察しがついた。

交霊会の演出に天才的うまさを発揮するレッドクラウドは、そのことを交霊会の終わるぎりぎりまでかくしておいて、わざとわれわれ夫婦を焦らさせた。そしていよいよ最後となってシルビアに向かい、次の通信者はあなたに用があるそうです。と言った。暗闇の中で、蛍光塗料を輝かせながらメガホンがシルビアの前にやってきた、そしてその奥から、紛れもないシルバーバーチの声がしてきた。間違いなく約束した通りの言葉だった。

もう一人、これは職業霊媒ではないが、同じく直接談話を得意とする二―ナ・メイヤー女史の交霊会でも、たびたびシルバーバーチが出現して、独立した存在であることを証明してくれた。

私の身体を使ってしゃべったシルバーバーチが、今度はメガホンで私に話しかけるのを聞くのは私にとっては何とも曰く言い難い、興味ある体験だった。

他にも挙げようと思えば幾つでも挙げられるが、あと一つで十分であろう。私の、知り合いにある新聞社の編集者が世界大戦で御子息を亡くされ、私は気の毒でならないので、ロバーツ女史に、交霊会へ招待してほしいとお願いした。名前は匿しておいた。が、女史は、それは結構ですが、レッドクラウドの許可を得てほしいと言う。

そこで私は、では次の交霊会で私からお願いしてみますと言っておいた。ところがすぐその翌日、ロバーツ女史から電話がかかり、昨夜シルバーバーチが現れて、是非その編集者を招待してやってほしいと頼んだと言うのである。ロバーツ女史はその依頼に応じて、編集者夫妻を次の交霊会へ招待した。戦死した息子さんが両親と〝声の対面〟をしたことは言うまでもない。

訳者付記
ここに訳出したのは、モーリス・バーバネル氏の最後の記事となったもので、他界後に、週刊誌『サイキックニューズ』の1981年7月下旬号、及び月刊誌『ツーワールズ』の8月号に掲載された。