第9章 人生は霊的巡礼の旅
(シルバーバーチの交霊会へ招待される人たちは、男女の別、社会的地位の上下を超えて、人生が霊的進化のための巡礼の旅であることに目覚めた人ばかりである。本章ではそうした人達を招待した交霊会の中から〝新人〟を招待したもの三つと、サイキックニューズ紙の〝ベテランスタッフ〟二人を招待したもの、さらにドイツへの移民に失敗した英国人ジャーナリストを招待したものを特集した。

まず最初は二十年間もシルバーバーチの霊言集を愛読していると言う男性を相手にシルバーバーチがこう述べた)


この交霊会においでになる同志の方に私が必ず申し上げていることは、霊的巡礼の旅に立たれた方はみな、同じパターンの人生を体験なさると言うことです。困難、難題、危機、逆境、失望、挫折、こうしたものを体験させられます。

時には失望のどん底に落とされ、あたかも全ての望みが断たれ、奈落の底の暗闇の中に置かれたような、一条の光も見出せない状態となることもありましょう。

しかし、そうした時こそ魂が目を覚まし、真理を受け入れる用意が整うものなのです。奈落の底からの霊的向上が始まります。ゆっくりとして遅々たる歩みです。それも、必ずしも着実とは限りません。時には逆戻りすることもあります。が、光明へ向けて向上し続け、ついに暗黒から抜け出ます。

さて、あなたはただの信仰でなく証拠に基づいた素晴らしい霊的知識をお持ちです。道が示され、導きを受け、そこから生まれた理解が人生の視野を一変させました。

・・・本日はお招きいただいて大変光栄に存じております。私はあなたの霊訓を20年間も愛読致しております。本日こうして出席できるのも、あなたの霊的知識のお陰です。苦しい時は何時も霊言集を開いております。
そこで私はいまその霊的知識を集大成したいと考えております。テープも書物もかなりの数になりました。それを若い世代の為に人生の指針として教えていくためのグループを組織したいと考えているのですが・・・・・・

人類の為の予定表と言うものがあります。私の世界の高級な神霊によって考え出されたものです。その目的は、受け入れる用意の出来た地上の人間を霊的に、精神的に、そして身体的に真に自由にしてあげることです。国家単位の計画があり、個人単位の計画があります。少しずつ着実に運ばれており、決して先を急ぎません。

われわれ全部を包み込んだその崇高な計画に参加しておられる以上、あなたもせっかちな行為は許されません。関わっている問題が余りに多くて、先走りするわけにはいかないのです。私達が提供するのは、まず証拠です。それから各自が自らの霊的新生を成就するための知識です。

私達があなたに代わって救ってあげるわけには参りません。自分で自分を救うのです。その手段をどう活用するかは、その人の自由に任されております。

あなたが霊的存在であると言うことは、あなたも内部に無限なる宇宙の大霊すなわち神の一部を宿していると言うことであり、同時に、霊的武器(能力)と霊力を宿していると言うことです。

それを進化しながら発揮していくことが出来るのです。私達の仕事はこうした霊的真理を一度に一つずつ、受け入れる準備の整った魂に教えていくことです。この点を特に強調しておきます。それが偽らざる事実だからです。

諺にも〝馬を水辺まで連れていくことは出来ても、水を飲ませることは出来ない〟と言うのがあります。イエスはこれを豚と真珠と言う、きつい譬えで表現しました。(豚に真珠を投げ与える勿れ-マタイ)

受け入れるにはその準備が出来ていなければならないと言うことです。あなたも暗い影の谷間を通り抜けるまでは、真理を受け入れる用意は出来ておりませんでした。その間の体験が、こうした基本的な永遠の霊的真理を理解し始める端緒となる決定的な手段ないし触媒となったのです。

今ではあなたは他の人々を救ってあげる立場になられましたが、あなたの厚意が受け入れられなくても落胆してはいけません。その人はまだそれを受け入れる用意が出来ていなかったということです。そういう時は、私がいつも申し上げているように、掛けがいのないチャンスを失った人として、ひそかに涙を流しておあげなさい。

あなたのようにここぞと言う時に素晴らしい道が示されたように、これからも大切な時には必ず指示が頂けます。人生の視野の基盤を提供してくれる霊的知識を土台として信念を持つと同時に、あなたの背後には、真理普及の為のチャンスさえ提供してくれれば何時でも援助に駆けつけてくれる高級霊の大群が控えているという事実を忘れてはなりません。

恐れるものは何一つありません。あなたには人の為に自分を役たてることができると言う喜びがあります。それが何より大切です。その機会を与えられることに感謝しなくてはいけません。

明日の事を案じてはいけません。困難には遭遇することでしょう。が、それは太陽を一時的に遮る雲のようなものです。太陽は少しの間見えなくなりますが、常に存在しているのです。その太陽がもたらしてくれる力と光の存在を片時も忘れてはなりません。

(次はナイジェリアの一部の族長が招待された時の問答である。まずシルバーバーチの方から〝本日はどういうご用で来られたのですか〟と尋ねると―)

・・・私たちは誰しも自分たち自身ならびに同胞の為に何か役に立つことがしたいと言う霊的な欲求を持っているものなのですが、物的世界ではその意図を遅れさせ邪魔をする事情が生じます。そういう立場に置かれている人たちに何かアドバイスをお願いしたいのです。

イエスも同じ趣旨の質問を受けました。それに対してイエスは〝シーザーのものはシーザーに神のものは神に納めるがよい〟と答えました。(ここでのシーザーは俗世の権力のことを意味している)

問題が生じるのは当然の成り行きです。地上は困難と挫折と障害と逆境に遭遇させられる場所なのです。地上生活のそもそもの目的は、伸びゆく魂が、危機において初めて呼び覚まされる潜在的資質を発現する為に、様々な事態に遭遇することにあるのです。

そうした問題を克服していかない限り霊性の向上は望めません。が、実は克服できないほど大きな問題は決して背負わされないのです。忍耐強く導きを祈り求めることです。

時が熟せば必ずドアが開かれ、道が示されます。私はそのことを同志の方にいつも申し上げております。締め切られたドアを忙しく叩いてはいけません。と、

・・・地上はいつの時代にも、いずこにおいても、因果律という基本摂理のみが働いていると考えて宜しいでしょうか。もしそうだとすると、何故因果律によって営まれている自然が正しく理解されなかったり、ひどい扱いを受けたりするのでしょうか。

因果律は全法則の基本的原理であり根底であり、永遠不変のものです。自分が蒔いた種が産み出すものを自分が刈り取るという原理です。一つの原因に対して数学的正確さを持って結果が生じます。

その結果がまた原因となって新たな結果を生み、それがまた次の原因となって行きます。この過程が絶え間なく続きます。種に宿っているものが正直に花を咲かせるのです。

千変万化の大自然の現象は、極大のものも極小のものも、単純なものも複雑なものも、一つの例外もなくこの因果律に従っております。いかなる人物も、いかなる力も、その連鎖関係に干渉することは出来ません。

万が一にも原因に対してそれ相当の結果が生じない事があるとしたら、地球も太陽も、あるいは宇宙全体も大混乱に陥ることでしょう。大霊、神、宇宙の大精神に愛もなく叡智もなく、完全ではないことになります。

宇宙は完全な公正によって支配されております。もしも宗教的ないし霊的な意味があるかに信じられる文句を唱えることによって、それまでに犯した過ちの結果が一挙に取り消されるとしたら、それは大自然の摂理の働きが完全でなく不公正であることを意味します。

大自然は人間の願望にはお構いなく、定められた通りのパターンに従わなければならないのです。果たさなければならない役割があり、それを果たし続けます。人間がその大自然の摂理と調和して生きれば、幸福感を生み出すような結果がもたらされます。

時には、こんな幸せでよいのだろうか、と思うほど豊かな幸せをもたらしてくれることもあります。

反対に自然を搾取し、その摂理に逆らったことをすれば、それは神の無限の創造活動に干渉していることになり、その愚行には必ずや神のお咎めがあります。大自然は定められた目的を成就し続けます。

摂理はあくまでも摂理です。完全な普遍性を持って、人間の願望にお構いなく作用します。つぼみ・・・開花・・・満開、これが自然の摂理のパターンです。原因と結果の不変の連鎖関係、それが大自然の根本原理です。

間違ったことをすればその償いをしなくてはなりません。正しいことをすればその分だけ幸福感を味わいます。理屈は簡単なのです。私達は可能な限りの力を動員して皆さん方を正しい道から逸れない様に努力いたします。問題は人間の方が必ずしも私達の思い通りに働いてくれないことです。

所詮、私達が扱っているのは不完全な人間です。地上には誰一人として完全な人間はおりません。完全性は神の属性です。ですから、あなた方に一点の非の打ちどころがないものを要求するつもりはありません。よく間違いを犯すものであることを承知しております。人間であるが故の煩悩によって過ちを犯しがちであることは十分承知いたしております。

私達は皆さんに対する愛念を覚えるがゆえに最善を尽くして援助しております。時には傍観して為すがままにさせることもありますが、霊的発達を阻害するような過ちを犯しそうな時には、それを阻止するために、可能な限りの手段を尽くして、そのことを皆さんに印象付けることを致します。

ですが、人類の大部分の人について言えることは、今では邪なことより善なるものの方が、悪徳より美徳の方が、不正直より実直の方が、不親切より親切の方が、そして利己心よりも愛他心の方がはるかに多くなっていると言うことです。

(夫婦でスピリチュアリストチャーチを運営している米国人が教会内部の不協和音の悩みを携えて出席した)

・・・現在の混乱状態はもはや手の施しようのないところまで来ております。そこで我々夫婦はそこを撤退しようと考えております。そうすれば事態は変わってくると思うのです。

それが一番賢明です。この世には偶然も偶発事故も奇跡も存在しないと私が申し上げているのはご存じでしょう。全てが自然法則の相互作用から生じていることです。言いかえれば、原因と結果とが交互に所を変えながら連鎖関係を続けていると言うことです。

あなたが遭遇しておられる事態も同じパターンです。かつてあなたは、もはやこれ以上為す術がないと思えた時に啓示を受けられて、人生に一大変革がもたらされました。今日のあなたを導いてきたのは背後霊の働きです。

私の説いている霊的真理の世界へ案内されてきました。そこであなたは魂の幸福と人の為に自分を役たてる機会を見出されました。

それは、このたびあなたが地上へ生まれてきたそもそもの目標だったのであり、それだけはいかなる事態も阻止することは出来ません。霊の力は最高の力です。地上にはこれ以上の偉大な力は存在しません。それは愛であると言えます。

愛が霊力を動かしているからです。愛こそ宇宙最大の力です。バイブルにも愛は摂理を成就することであると述べております。

あなたは大変豊かな恵みを受けておられます。奥さんとは地上で不可能と思っておられたアフィニティの関係でいらっしゃいます。お仕事はこれからもずっと続きます。霊力は地上に根付いております。

本来ならば同志であるべき人達からの反抗は気になさらぬことです。発達、開発、成長、要するに人間の本性に関わる問題です。

同じ霊的知識を携えている人たちから必ずしも意見の一致が得られるとは限らないものです。ですから不協和音に耐えかねる時は撤退なさることです。いずこにいても霊の力は機能し続け、これまで通りあなた方を導き指示を与えてくれることでしょう。

(続いてサイキックニューズ紙のスタッフの二人が招かれた時の交霊会の様子を紹介する。まずシルバーバーチから述べる)

お二人さんには印刷された文字(霊言集)がどれほど素晴らしい結果を生んでいるかは測り知ることが出来ません。しかし現実にはこれまで霊的真理が見いだせなかった多くの場所において徐々に突破口が形成されつつあり、私はそれを心強く思っております。

霊界から見ると地上と言う世界は実に陰鬱で無気味な様相を呈しております。しかし、そうした突破口が灯台の如く地球上の各地に点在しているおかげで、私達がこうして地上を訪れる際の勇気づけとなっております。

その一つ一つが確固とした橋頭保となって、霊的巡礼の旅で道に迷ってしまっている人達を引きつける役目を果たしております。と言っても私達が救ってあげられるのは、差し出した私達の手を捕まえてくれる人だけです。霊的真理、その崇高な力を受け入れる用意の出来ていない人は私達にも為す術がないのです。

受け入れ準備の整った魂は、霊的真理の灯台の光に引き寄せられます。そして模索と無知と迷信の闇から、広がりゆく知識と確実性の光の中へと通じる道を見出してまいります。

あなた方はそうした魂が真の自我を発揮していくのを手助けしておられるのです。内部に秘められた莫大な霊的可能性を理解していく、その端緒をつける役目を果たしておられるのです。

多くの場合それは自分に具わっていた霊的能力を活用することによって人を喜ばせてあげることから始まります。それが、かつては不毛の土地だったところに少しずつ霊力を根付かせてまいります。

お二人も人間としての弱点をお持ちである以上、時には嫌気がさし無力感に襲われることもあることでしょう。そのような時はいったん張りつめた思いをほぐしてから、改めて自分が今地上で実現されつつある大きな霊的事業の一端を受け持っていることの光栄を思い出して下さい。

霊力はすでに地上に根付いております。それを駆逐できる者はいません。都会も、教会堂も礼拝堂も寺院も、僧侶も牧師も、霊力が地上に顕現していくのを阻止することは出来ません。

あなたがもしたった一人だけでも霊的真理に目覚めさせることに成功したら、それだけであなたの全人生が生き甲斐のあるものとなります。幸いなことにわれわれは、たった一人でなく大勢の人たちに永遠の財産として何よりも美しい宝石である霊的真理を授けてあげることに成功しているのです。

以上でささやかながら私からの説教は終わりです。

・・・説教の主題となる聖句(テクスト)は何も用意なさらないのでしょうか。

ありますよ。私のテクストは〝神は愛なり〟です。私達の世界に比べて魅力らしい魅力に欠けるこの地上へ戻って来るのは、あなた方に対して私達が強い愛念を覚えているからです。同時にまた、霊力があなた方を通じて他の大勢の人々の為に使用される、その通路となっていただきたいからでもあります。地上にはもはや霊力の働きかけによる救済しかない人々が無数にいるのです。

現代の宗教は今やその影響力をすっかり失っております。無能と不毛の中であがいております。神学だの教義だの、ドグマだの信条だの、儀式だの習慣だので反目し合い、それが足枷となっております。実在は〝霊力〟なのです。条件の整っているところなら何処にでも顕現する生命の根源なのです。

我々の仕事はあなた方が想像なさる以上に進展しております。地上においてこうした形で永い間貢献できたことを、私達霊団の者は光栄に思っております。振り返ってみると大変成果が上がっていることを知ります。これは私にとって大いなる喜びの源泉です。

こうして他に類のない方法で大霊の通路として働くことは、組織にせよ個人にせよ、霊力の援助なくしては叶えられるものではありません。既成宗教の中にも真摯に最善を尽くしている人が大勢いることは認めます。しかし、霊界からの援助なくしては、それは暗闇の中で手探りしている子供の様なものです。

(訳者注-真面目な気持ちであっても、それが意味のない儀式や慣習に縛られた中で行われている限り霊的な援助の入る余地はないことを言っている)

聖職者を相手にした説得がもしも失敗に終った時は(事実これまでは数々の失敗がありました)あるいはもしもうまく捗らない時は(事実なかなか思うにまかせないものです)あるいはもしも手を取り合うべき同志の中で分裂が生じた時は、せっかくのチャンスを目の前にしながらそれをうまく手にすることが出来なかったその相手の為に涙を流してあげることです。

すでに種はまかれております。芽を出すのもあれば出さずに終わるものもありましょう。我々は宗教界に身を置きながら真理の普及よりも己の地位の確保の方が大事と思う、その人間ならではの煩悩とも戦わねばならないのです。

天使が時折涙を流しておられることがありますと申し上げるのは、そういう事情からです。宗教とは無縁な人なら弁解の余地もありましょうが、神に仕える身であることを自覚している筈の聖職者が人の為より先にわが身の安泰を考えるようでは、一体どこに弁解の余地がありましょう。

しかし、計画は着実に進行しております。すでに地上に堅実な足場が築かれております。私達はただの通行人ではありません。少しの間だけ地上に逗留しているのではありません。永遠に影響力を行使しているのです。人間が自分とはいったい何者なのか、いかなる存在なのか、

憎しみといがみ合いをなくするにはどうすべきかを知り、肌の色、階級、宗教及び国家の違いはあっても霊性において一つであり、霊的団結はそれを分裂させるあらゆる相違点よりも強力であることを知ることによって、自らの力で自らを救う方法をお教えしようとしているのです。

私達の計画はきっと達成します。撤退するようなことは断じてありません。遅れることはあります。邪魔されることはあります。しかし、例え教会、法王、高位聖職者、主教、尊師、牧師と言った宗教界のお偉方が何とおっしゃろうと、私達を追い返すことは出来ません。彼らこそ道を見失っているのです。

我々もパブテスマのヨハネの如く、これから訪れる世界・・・暴力が忘れられ、全ての人が人の為をモットーに助け合い、地上世界をさながら天国に変えていく為の地ならしをしているところです。そういう世界は実現可能ですし、きっと実現します。

お二人は背後から抱擁し導いてくれる偉大な霊力と、危機に際して必ず盾となってくれる愛の存在に気づいていらっしゃいます。あなた方は自覚しておられる以上に人々の為に役たっていらっしゃいます。ご自分ではその努力のもたらす結果が測れません。しかし活字は実に大切です。今こうして私の生の声を聞いて頂いております。これが、有難いことに、活字に一層の価値を付加することになると聞いております。

皆さんと私達とが一丸となって地球浄化の重大なキャンペーンに携わる霊の大群の一翼を形成しております。地上の悪を懲らしめ、暗闇を減らし、より多くの愛をもたらし、人間同士、そしてまた人間と共にこの天体を共有している動物に対しても慈悲の心を向けさせるようにする仕事です。

お互いの協力によってこれまでに成し遂げた成果を私達は心から喜び、これからさらに多くの魂に自由をもたらしていく仕事にも臨んでおります。それが自分の住む世界へ貢献をさせてあげるゆえんとなるからです。

数からいえば私達は比較的少数かもしれません。しかし背後に控えて下さっている力は宇宙最強の力です。これに刃向かえるものはいません。これを打ち負かせる者はいません。

その働きを阻止できる者はいません。いかなる団体も組織も、霊力が地上の人々に光明をもたらすという計画の成就を阻止することは絶対に出来ません。

私はたった今、私の本来の住処である上層界から戻ってきたところです。こうして地上的手段で交信している時の次元よりもはるかに高い次元で気分一新と元気回復を求めてまいりました。

同時に、神の意志の地上への顕現と言う大業を担当する神庁の高級神霊による審議会に出席してまいりました。計画が首尾よく進捗しており、見通しも明るいとのお言葉を頂戴すると、とても元気付けられます。

そうして新たな気持ちでこれまで通りの仕事に戻ってくるわけです。それは地上に美と荘厳さを少しでも増すために、霊こそ実在であること、その霊に無限の神の資質が宿されていることを教えることです。

その結果として貪欲と利己心と分裂と暴力・・・要するに地上天国の建設の妨げとなっているものすべてを地上から駆逐することです。

この暗くわびしい地上世界、あすはどうなるかと言う不安に満ちた世界に戻ってきて私達に断言できることは、この地上にも序々に霊の光が差し込み、その力がすみずみまで浸透しつつあり、明日のことで取り越し苦労するには及ばないと言うことです。

幸いにして霊的実在につての知識を手にした者は、いかなる程度であっても悲観の念を心に宿すことがあってはなりません。霊力は地上世界のいかなる力よりも強力です。それを人間が遅らせることは出来ます。邪魔することは出来ます。妨害することは出来ます。しかし定められた計画の成就の為の霊力の地上への降下を阻止することは出来ません。

すでに可能な限りの数の橋頭保が地上各地に敷設(フセツ)されており、地盤はしっかりと固められております。霊力の灯台にも例えられるべきものも築かれており、道を失った人々の為に間断なく光を発射しております。

その霊力の通路であるあなた方および他の大勢の人々のもとの、その灯台の明かりを頼りにした人達がこれからも訪れてくることでしょう。

霊に秘められた力、生命力、エネルギーの大きさをどう表現したら分かって頂けるか、その言葉が見当たらないのが残念です。人間に正しく理解して頂くための用語がないのです。本日お話したことでも、出来ればお伝えしたことのホンの一欠片に過ぎません。

霊力は無限です。が、そこからどれだけのものを受け取るかは、あなたが現在までに到達した霊格の程度によって決まります。その受容力を少しでも増すことに心掛けることです。そうすれば、それだけ多くの霊力が流入し、その驚異、その美しさ、その安らぎ、その治療力を発揮してくれることになります。

(ドイツへの移民に失敗した英国人ジャーナリストにシルバーバーチがこうアドバイスした)

あなたは教訓を学ぶ為に地上世界に来ているのです。例え判断の誤りから挫折することがあっても、そこから数多くの教訓を学ぶことが出来ます。挫折から絶望へと進んで何も学べずに終われば、それはその人の責任です。あなたの場合は大丈夫です。そのうち道が開けます。

・・・私はかつて住みなれた国(ドイツ)へもう一度行きたいと思ったのです。しかし、同じ川に同じ水は流れていないことを知りました。仕事がどうしても見つかりませんでした。結局私は、思いが叶い快適な場所に落ち着きながら、なおかつ惨めな思いをさせられることがあり得ることを思い知らされました。

問題は、あなたほどの霊的知識を携えた者は霊的砂漠の中では生きていけないと言うことです。砂漠ではオアシスを見つけることはとても困難です。しかし事態は決して取り返しがつかないと言うほどのものではありません。

あなたが巻き込まれた事態は今日の一般的な自体より遥かに困難なものでした。そうした中であなたは霊的な導きを得て、無事切り抜けてこられました。そして、かつては不可能だった自由の中で自我の開発を志す場を見出されました。

元気をお出しなさい。くよくよしてはいけません。取り越し苦労はお止しなさい。心配しても何にもなりません。心配の念は霊界から届けられる援助の通路を塞ぎます。自信を持つのです。

道はきっと開けるという確信を持つのです。何時の日か、苦い体験だったがお陰で精神的ならびに霊的に成長したから悔いはない、と言える日が来る事でしょう。

・・・確かに大変勉強になりました。

同志の方にはいつも申し上げていることですが、信仰に知識を加えることから出発して最後は知識に信仰を加えることで終わります。地上はおろか霊界においてすら、存在する知識の全てを手にすることは不可能です。知識は大霊と同じく無限であり、何時まで経っても蓄えを増やし続けることの連続です。

首をうなだれてはいけません。後ろを振り向いてはいけません。前を見るのです。過去の頁はすでにめくられ、二度と同じページには戻せないのです。生命の書は常に新しいページをめくるのです。その日その日の為に生き、昨日の為に生きてはいけません。あす刈り取る収穫の種を蒔くのは今日なのです。

・・・国外へ出ることによって私はそれまでの流れの外へ出てしまったわけです。元の流れに戻るのは容易ではありません。霊的知識を広めると言う、私が望んでいる仕事を始める方法があるでしょうか。

あなたには果たしきれない仕事が用意されております。ただ、前にも一度申し上げたことで、改めてここで繰り返させて頂きたいことがあります。皆さん方でも霊的知識を手にされた方でもうっかりすると忘れがちなことですが、私達霊界の者はあくまでも私達にとって都合のよいタイミングで私達の方法でしか仕事が出来ないと言うことです。

言いかえれば、あなた方の都合に合わせてあなた方の方法でする分けにはいかないと言うことです。地上へ働きかけるには、極めて微妙で繊細な影響力、この上なく複雑な取り扱いを必要とするバイブレーションを行使しなくてはならないからです。

ところが人間は何かとせっかちである為に、往々にしてその性急さが、本来ならもっと楽に叶えられる筈の条件を阻害して、結局は実現を遅らせることになります。

私たちから要請したいのは受容性に富み、確信に満ち、冷静でのどかな精神、それに、とにかく自分にとって一番良いものがもたらされるのだ・・・但しその機が熟した時に、と言うことを一点の疑念もなく洞察できる能力です。

それにしがみつくことです。焦ってはなりません。地上世界の一番困った点は、何かにつけてせっかちであることです。

私達が皆さんを目覚めさせるまでにどれだけの時間を費やしたかご存じでしょうか。霊に関わることは〝早く片付ける〟と言うことが不可能なのです。無限なる叡智が案出した摂理に従わねばならないのです。
もう一度繰り返します。真理は何度繰り返し述べても良いでしょう。私達は私達のやり方で私達のタイミングで事を運びます。あなた方の都合に合わせて行うわけにはいかないのです。

霊的に見てどうなることが自分にとって一番良いかは、人間自身には正しく判断できません。人間の祈りを聞いておりますと、その願いどおりにしてあげたら霊的にはとんでもないことになると思われるものが良く見られます。そこで私達の判断に基づいて皆さんにとって一番よい形で援助します。指導します。決して裏切りません。見放しません。見捨てる様なことは致しません。

霊の威力についてはこれまで数々の証拠をおみせしてきました。私達と歩みをともにしてこられた方には、霊力がどれほどのことを為し得るかをよくご存じの筈です。

(訳者注-『霊訓』のインペレーター霊団と同じように、シルバーバーチ霊団も高等な思想を説く前に霊の威力を見せつける為の手段として、物理的心霊現象を演出して見せている。これはスピリチュアリズム思想の歴史的な発展全体についても言えることで、最初は目に見える現象的なものが盛んに行われ、それが次第に精神的なものへ移行し、そして現在では思想的教訓が主流となっている)

私達は地上世界の為の仕事を請け負っております。数からすれば決して多いとは言えませんがこの仕事の為に私達を派遣したのは上層界の霊団なのです。その高級神霊は幾億と知れぬ人間に、慈愛に満ちた影響力を行き亘らせる為に、私達を通じて霊力を行使し続ける任に当たっております。

地上には闇黒と疑念と当惑と絶望の中で生きている魂が多すぎます。私達はそうした人たちに手を差し伸べねばならないのです。神の愛の存在を教えてあげなければならないのです。精神的に生まれ変わって豊かな生きがいある人生を送る、その原動力となる霊力の存在を知らしめなくてはならないのです。

しかし私達は着実に困難を突破し、新たな地点に橋頭保を築きつつあります。これ迄に成就しえた成果を喜び、皆さんの援助があればこれからもそれ以上のことが為し得ることを知ってください。

霊的知識を携えた者に楽な仕事はありません。知識が増えれば増えるほど、ますます困難に遭遇するものと覚悟してください。こんなことを言うから私は人気が出ないのでしょうね。

しかし内在する霊的資質を顕現せしめるためには、いくつかの困難を克服し、それを挑戦目標として歓迎し克服していかねばならないのです。もしも霊的知識を授かった者が安易な仕事しか授からないとしたら、それは神の公正を愚弄することになります。

ですから、いかなる困難にであっても絶望してはなりません。自分の内部にも背後にも、それを克服するだけの力が存在することを確信して、それを一つの挑戦として迎え打つのです。

われわれが従事している仕事は実に重大な意義があります。数こそ少数派ですが、背後に控える力は絶大です。それが地上に顕現するにつれて神の計画に組み込まれた役割を果たしてまいります。現時点でそれがどれほどの成果を上げているかは、皆さんにはお分かりになれません。

地上にはそれを計量する道具がないのです。しかし、魂が感動を覚え、精神が開かれて行く人が着実に増えつつあります。

地上の先輩の一人が〝子供は無限の可能性の宝庫である〟と述べています。皆さんも無限の可能性を秘めていらっしゃるのです。が、地上では普通そのホンの一欠片しか発揮させていません。

もしも高級界との波長が合い、霊力をふんだんに受け取ることが出来れば、思いもよらなかったことが成就されるのですが・・・

私は霊的知識に照らして楽観的な福音を説いております。霊的知識を携えた者には悲観的になる根拠はどこにも見当たりません。人生の目的には一つ一つ目的があります。幸運、偶然、奇跡と言ったもので動いているのではありません。改正も廃止もない永遠不変の摂理によって動いているのです。

神は完全です。その神の無限の叡智と愛を超える者は、この宇宙には存在しません。その叡智と愛をあなたも頂けるのです。全てではありません。受け入れ能力が増すにつれて、それだけ多くの叡智と愛を頂くことができ、それだけ生活が豊かで、雄大で高潔なものとなって参ります。

私がお届けするのは永遠の実在を基本とした崇高な真理です。神は決して裏切りません。大自然の摂理はこれからも作用を止めることはありません。いかなる危機が迫りつつあっても、いかなる問題に遭遇してもあなたの内部にそれを克服する力が秘められていることを忘れてはなりません。

同時に、それ以上の強力な力が背後に控えているのです。それを呼び寄せることも出来るのです。

困難に悩まされた時は・・・それは人間としては避けがたい宿命です・・・地上の喧騒から身を引いて瞑想の世界へ入ることです。そこで霊的意識を広げ、あたりに漂う光輝を存分に吸い込むのです。
私は何一つ新しいことは申し上げておりません。真理には真新しいものはないのです。その表現の仕方がいろいろあるだけです。

・・・決断に迷った時は導きを求めるべきでしょうか。それともあくまで自分の意思で判断すべきでしょうか。私達は時として大きな決断を迫られることがあります。そんな時に思い切って突進すべきか、自然に道が開けるのを待つべきかで迷うのです。とても難しいことがあります。

閉め切られたドアを忙しく叩いてはいけません。自然に開くのを待つのです。宇宙全体だけでなく一人一人の人間にも、きちんとした計画があります。そのプランが実行に移されて行くのです。

ここにおいでの皆さんには何度も申し上げていることですが、私達はそのプランのもとに、私達のやり方で私達のタイミングでことを運ぶしかないのです。人間側の都合に合わせるわけにはいかないのです。

その理由の一つは、人間には自分にとってどうなることが一番良いかが判断できないからです。物質的に、精神的に、そして霊的にあなたに何が一番望ましいかを判断する時には、私達の方が有利な立場にあります。
待つのです。きっとドアは開かれます。これまでも幾度となく開かれてきております。