第4章 若き軍人と語る
シルバーバーチと語ることを永年の夢にしていた英国陸軍第八部隊所属の一軍人が、念願かなってハンネン・スワッハー・ホームサークルに招かれた。本来はフリート街の青年ジャーナリストである。
(訳者注=フリート街は英国の一流新聞社が軒を連ねてるところで、そこの御意見番的存在だったのがほかならぬハンネン・スワッハーで、そういう関係からその青年軍人も出席が叶えられたのであろう)
青年は早くからシルバーバーチの霊訓に魅せられ、これまでの霊言の一語として読んでいないものは無いと言うほどだった。そして輸送船の中で、野営地において、あるいは戦場において戦友と議論を戦わせてきた。それだけにシルバーバーチへの質問には〝永遠〟の問題等、難解なものも飛び出したが、例によってシルバーバーチは直截簡明に答えている。
まずシルバーバーチからこう語りかけた。
「あなたは英国の軍人でいらっしゃいますが、あなたにもぜひ参加していただかねばならない、もっと大きな戦いがあります。何世紀にもわたって強大な霊的軍団が組織されております。霊的真理に対して絶対的忠誠心を持って臨めば、あなたの強大な味方となってくれます。
あなたへ届けられる〝召集令状〟は人のために自分を役立てることを求めています。勲章は授けてくれません。バッジもくれません。襟章も付けてくれません。等級もありません。しかし絶対的忠誠心と堅忍不抜の献身的精神を持って臨めば、必ずや勝利を手にすることが出来ることを私たちがお約束をします。どうかあなたも地上世界を毒している諸悪の駆逐のために私たちの味方になってください。
私たちの新たな道具として一命をささげていただけませんか。あなたの行為によってたった一人の魂でも救われれば、それだけで、あなたの人生は無駄ではなかったことになります。私たちの仕事はそのように推進されていくのです」
── 一人の人間のすることは多寡が知れているように思えるのです。軍隊にいるとただ語り合うことしかできません。
「そのたった一人の人間も、霊の力を背後にすれば大きな仕事が出来るのです。私は決して自惚れてでかい口を利いているのではありません。私にも謙虚な精神と憐みの情はあります。私もかつてはとても無理と思える仕事を仰せつかりました。地上の方には全く無名のこの私が、この声と素朴な訓え以外には何の資質もなしに、たった一人で地上へ赴き、自分で道具(霊媒)を見つけ、愛と理性のみで勝利してみよと言われたのです。
おっしゃる通り、たった一人のすることです。見た目にたった一人です。が、その背後には自分を役立てたいとの願望を抱く者に必ず授けられる強大な霊力が控えております。
私はあらゆる逆境と困難と障害の中にあって一人の人間(バーバネル)に目を付けました。その人間を私の目的に沿って鍛錬し、さらに試行錯誤を繰り返しつつも忍耐強く、真理普及という仕事に協力してくれる人間(サークルのメンバー)を探し求めました。
何かの報酬と引き替えに募ったのではありません。献身的精神を吹き込んでみたときの反応だけで募ったのです。そして、ごらんなさい、僅かな年数のうちに、われわれを伝達手段として、誇りある道具として、霊的真理が全世界に広まりました。
かつても、大きな仕事をたった一人で始めた人がいました。その名をナザレのイエスといいました。そのたった一人の人間が愛を基本理念とした新しい宗教の規範を地上にもたらしました。
たった一人で大きな仕事を始めた人はほかにもいます。その名をリンカーンと言いました。彼は奴隷を解放し、あの大きな大陸を一つにまとめました。
如何ですか、たった一人でも大きな仕事が出来ることを示す例をもっと上げてほしいですか。あきらめてはなりません。真理普及というこの大きな戦いにおいて私たちの味方となった方には〝敗北〟はありません。時として後退のやむなきに至ることはあるでしょう。が、知識が無知を追い払い、光が闇をかき消しながら、我々は絶え間なく前進し続けております。
私は古い霊です・・・皆さんからそう見られております。
(oldという言葉を用いているが、時間のない霊界には古いとか新しいとか、若いとか年老いたとかといった表現は存在しない。ただ紀元前一千年頃に地上生活を送ったことがあり、地上的年齢計算で言うと三千歳になるという意味でそう言ったわけである。霊界には魂の成熟度しかない)
私くらいになると人間の可能性というものがわかります。その私からあなたに激励の言葉を述べさせていただきましょう。一切のあきらめの念を駆逐しなさい。
そうです。私たちは為さねばならない仕事があるのです。偉大な仕事です。喜んでその手をその心を、その精神を貸してくれる人の力を必要とする大仕事があるのです。あなたもぜひ参加してください。あなた自身が手にされた知識を寛容の精神で他人に披露して、その良さを知ってもらうための努力を忍耐づよく続けてください。そのうち少しずつ変革が生じていることに気づかれます。
それしか方法がないのです。集団的暗示や熱狂的教説による陶酔ではいけません。理性と叡智と論理と常識、そして何より愛を持って、真実を説くことによって、一人一人を得心させて行かねばなりません。結局はそれしかないのです。そう思われませんか」
──そう思います。しかしそれには気の遠くなるような時間がかかります。
「ある人が言ってますよ。地球はあなた方が生まれる前から存在し、あなたが去った後もずっと存在するであろうと。その地上でのご自分の束の間の人生を、なんとか価値あるものにすること(余計な心配をせずに)専心なさることです。たった一個の魂のためにあなたを役立てることが出来れば、それだけであなたの人生は失敗でなかったことになります」
──でも、生涯を何一つ他人のためになることをせずに終わる人が大勢います。
「若者はとかくせっかちに考えがちなものです。が、世の中は急激な革命によってではなく、ゆっくりとした進化によって改められていく・・・それが摂理なのです。私は若者特有の熱誠や情熱に水を差すつもりは毛頭ありません。私がこれまでに見てきたままを申し上げているのです。ご自分の経験から得られる叡智を道しるべとする・・・これが一番です。
人間を導く上で私たちはそれを一番の拠り所としています。だからこそ説得力があるのです。そうした方針でやってきて、結構私たちは、多くの方が気づいておられる以上に多くの進歩を遂げております。
失望をなさってはいけません。私たちは決してあなた方を失望させるようなことはしません。自惚れているのではありません。霊的法則に関する知識を駆使して霊的資源を活用する用意があるからです。この資源は無尽蔵なのです。それを活用して、あなたがどんな境遇におかれてもそれを克服できるように導き支援して、あなたの存在をできるだけ有効に生かす道を歩んでいただくように致します。
奉仕こそ霊の通貨(コイン)なのです。宗教とは何かと問われれば私は躊躇なく申し上げます。・・・いつどこにいても人のために自分を役立てることです。と、神学などはどうでもよろしい。教養、儀式、祭礼、経典などは関係ありません。祭壇に何の意味がありましょう。尖塔には何の意味がありましょう。ステンドグラスの窓にしたからどうなるということでしょう。法衣をまとったからと言ってどう違うというのでしょう。そうしたものには惑わされてはいけません。何の意味もないのです。
自分を人のために役立てること、それが宗教です。あなたの住むその世界のために役立てるのです。世の中を良くするために役立てるのです。人の心を思いやり、優しくいたわり、気持ちを察してあげなさい。しかし同時に、邪悪なものに対しては厳然と闘ってください。
私がわざわざ地上へお伝えに戻ってきた真理とは、こうした何でもないことばかりなのです。しかし、こうした基本的な真理にしがみついてさえいれば、道を誤ることはありません。知識を広めることです。時には拒否され、時には嘲笑され、軽蔑され、愚弄されることもあるでしょう。
しかし、気になさってはいけません。そんなことで傷つけられてはなりません。用意のできていない者は当然受け入れることはできません。でも、それであなたはあなたの為すべきことをなさったのです。
しかし一方には、それが千天の慈雨である人もいます。そういう人こそ大切なのです。その人たちの役に立てば、それだけで少なくともあなたの人生は存在価値を持つことになります。
どうか私がこれまで述べてきた知識の中から物的生活の背後で働いている霊的活動、あなたの周りに澎湃として存在する莫大な霊力、あなた方を善のために活用せんとして待ち構えている霊の存在を認識してください。あなた自身の中に潜在する可能性をしっかりと認識してください。それが自我の霊的本性の持つ莫大な兵器庫、魂の宝庫を開くカギとなるからです。神の叡智は無限であるということ、宇宙の宝物は無尽蔵であるということの意味を、しっかりと理解してください。
私たちは金や銀の財宝をお持ちしてあげるわけには参りません。が、それより無限大にして貴重な霊的真理という名の宝石をお持ちしております。これは色褪せる心配がありません。永遠に価値を発揮し続けます。これさえ携えていれば、人生を生き抜く上での光輝あふれる照明となってくれます」
──私たち兵士が外地を転戦したとき、敵のほうが悪いと思って戦いました。しかし、その敵軍を構成している一人一人も、その戦いにかける理想があればこそ戦っているのだということが分かってきました。
こうした場合、罪の報いはどうなるのでしょうか。我々は敵が悪いと思って戦い、敵は自分たちこそ正しいと思って戦っているのです。
「いかなる問題においても、私たちは決して地上的観点から物事を見ないということ、地上的尺度で判断しないということ、人間的な憎しみや激情には絶対に巻き込まれないということ、往々にして人間の判断を曇らせている近視眼的無文別に振り回されることはないということを忘れないでください。
さらに大切なこととして、今定住している霊的世界における神の摂理の働きを体験してきている私たちは、地上の人間を悩ませる問題を人間自身の受け止め方とは違った受け止め方をしていること、あなた方と同じとらえ方をしていないということを知ってください。
以上の大切な前置きを前提として申し上げますが、そうした問題において何よりもまず第一に考慮すべきことは〝動機〟です。自分は正しいことをしているのだと真剣に思い込んでいる人は、魂に罪科を負わせることにはなりません。いけないことと知りつつなおも固執する人間は明らかに罪過を犯していることになります。
なぜなら道義心を踏みにじり、魂の進化を阻害していることになるからです。私たちの目には国家の別はありません。全体が霊的存在で構成された一つの民族であり、一人一人が国家の法律でなく大自然の摂理によって裁かれるのです」
──罪と悪は何を基準として判断したらよいのでしょうか。それとも霊的法則の中に細かく規定されているのでしょうか。
「一人一人の問題です。一人一人の自我の中に絶対に誤ることのない判定装置(モニター)が組み込まれているのです。これまで何度となくこの問題を持ち出されましたが、私には一貫して主張している見解があり、それを微塵も変更する必要を認めません。これまでに獲得した霊的知識を総合的に検討した結果として私はこう申し上げております。
すなわち正常な人間である限り、言いかえれば精神的・知的に異常または病的でない限り、自分の思考と行動を監視する絶対に誤ることにない装置が内蔵されております。いわゆる道義心です。考えること口にすること行うことを正しく導く不変の指標です。それがいかなる問題、いかなる悩みに対しても、その都度自動的に、直感的に、そして躊躇なく、あなたの判断が正しいか間違っているかを告げます。
それを人間は、時としてもみ消し、時として言い訳や屁理屈で片付けようとします。が、真の自我はちゃんと分かっているのです」
この後議論が発展して難解な哲学的思考(スペキュレーション)の域まで入った時、シルバーバーチは一応それに対応したあと、こう述べた。
「私は実用志向のタイプです。今日の地上世界が置かれている窮状を救う上で何の役にも立たないと思われる方向へ議論が流れがちな時はいつもお断りをしております。私は今地球が必要としているのは基本的な霊的知識であると見ています。人間社会の全組織を改め、そこに巣くっている汚毒、汚物、スラム、不平等、不正を一掃する上で役立つ知識です。そうした環境が人間の霊性の発言を妨げているからです。
地上世界を見回すと、素晴らしい花園であるべきところに醜い雑草が生い茂り、花がその美しさを発揮する場所がなくなっています。そこで私はこういうのです・・・まずそうした基本的な問題と取り組みなさい──戦場で戦ういかなる敵よりもはるかに強力なその敵に宣戦布告をなさい、と。
人間の霊性を踏みにじっている敵と戦うのです。人間の霊性を抑圧し、魂を束縛する敵と戦うのです。霊的存在としての基本的権利、神の直射日光を浴び、自由の喜びを味わう権利を奪う、あらゆる敵と戦うのです。
人間はまずそうした問題に関心を向けるべきです。そしてもしあなたとの縁によって霊的知識に何らかの価値を見出した人々がその普及に意欲を燃やしてくれた時は、その方たちにこう忠告してあげてください・・・基本的な目的は難解なスペキュレーションを満足させることにあるのではなく、この地上生活において霊的教訓を学べるような環境にすること、言いかえると、現在のように大勢の者が悲しむべき哀れな姿で霊界へ来るような事態を改めることにあるのです、と。」
──私もそう思います。しかし、インドのような国に目をやり、食べるもの、着るものさえ満足に恵まれない民衆のことを思うと、複雑な気持ちになります。いかにしてインドを救うべきか・・・これは大変な仕事のように思います。
「いいえ、霊界からの声と力による導きと援助を素直に受け入れるようになりさえすれば、さほど大変なことではありません。多くの魂を束縛し、怨念と敵意と憎しみを助長し、神の子を迷信と偏見と無知による真っ暗やみの中で暮らさせている教条主義の呪いから解放しさえすればよいのです。
永い間〝宗教〟の名を持って呼ばれてきた、ただの古代神話、伝説にすぎないものを棄ててその拘束から脱する方法を教え、代わって霊的真理の陽光を浴びる方法を教えてあげれば・・・〝宗教〟の名のもとに行われている欺瞞と、誤謬を地上から一掃することが出来れば、地上を毒している問題の多くが解決されていきます。私はここで改めて、私に可能な限りの厳粛な気持ちで申し上げますが、地上はこれまで教条主義によって呪われ続けてまいりました」
──経済的な側面はいかがでしょうか。
「それも同じ問題の一つに過ぎません。私はどうやら〝人騒がせ者〟のようです。キリスト教の教えと違うことばかり説いていると非難されております。しかし自分では、そう言って非難する人たちよりもキリスト教の本質についてより多くのことを知っていると思っております。
あらゆる地上の問題を煮詰めれば、その原因はたった一つの事実を知らないことに帰着するのです。すなわち人間は本来が霊的存在であり、神からの遺産を受け継いでいるがゆえに、生まれながらにしていくつかの権利を有しているということです。
その権利は、次の生活の場に備えるために、地上生活においてその属性を十分に発揮させるためのものです。その妨げとなるものはいかなるものでも排除する・・・それだけのことです。それをどう呼ばれようと構いません。私はラベルや党派には関心はありません。私が関心を持っているのは〝真理〟だけです。
もしもあなたが私と同じ立場に立って、毎日のように発育を阻害された者、挫折した者、精神を歪められた者、未発達者、何の用意もできていない者が続々と私たちの世界へやってくるのをご覧になれば、多分あなたも私と同じように、この繰り返しに終止符を打つためになんとかして地上を改革しなければならないという気持ちを抱かるはずです。
どうかその若さで霊的知識を手にされたことを喜んでください。それを人生の冬(晩年)になってようやく手にして悔しがる人が多い中で、あなたは人生の春にそれを手にされました。しかし、あなたにはそれを成就すべき夏がこれから訪れます」