ある日、居酒屋での会話。友人と一緒に酒を飲んでいた。
「今度は何処に行くの?」
「北。北海道の北の方。島とかもね、行こうかなぁって」
「ふ〜ん。そう言えば、やまさんのページ、北の方、ないね。どうして?」
う〜ん。痛いところを突かれた。理由は簡単。行ったことが無いからだ。
普段偉そうに「北海道のことなら任せて!」なんて言っているくせに、この瞬間、「似非(えせ)北海道通」だということがバレてしまうではないか・・・
私は「きっかけ」を大切にして旅をしたいと思っている。
今までも何度か「北の方に行ってみようか」と思ったことはある。でも衝動のようなものが無いままに決めた目的地は、時間が経つに連れ気持ちが薄れて行く。
きっかけは言い換えると、衝動なのだ。それが偶発的で些細なことであっても、イメージが私の中で勝手に増幅して、気が付いてみると何を置いても行きたくなっている。
今回の旅で「北」に向かおうと思ったきっかけは、一冊の本が始まりだった。
その本のタイトルは岸本葉子さんの「異国の見える旅」。この本の中に「サハリン」というタイトルの一編がある。サハリン残留邦人の日本への一時帰国を取材したルポだった。
日本という国は他国と陸続きではないために、一般に日常生活で国境を感じることは少ない。
だが確かに国境は存在するし、現に国境問題もあちこちで起きている。そしてまた、日常生活でも常に国境を感じる町もあるのだ。
そんな町の一つが稚内。この町は紛れもなく、最北の町。ここより北に町はない。そして海の向こうに見える陸地は異国の地。そう、稚内は日本最北端の町であり、国境の町でもある。
「国境の町を訪れたい」
旅のきっかけを得てしまえば、後は簡単。例によって「行きたい病」に感染してしまった私は秋の気配が漂いだした9月、稚内を目指すことにした。

私は今、札幌在住の知人のC氏が運転する車に同乗して、
日本最北端の地、宗谷岬に向かっている。
これから宗谷岬を経てオホーツク海側を下り、浜頓別町までC氏と一緒に行動する予定だ。その後の予定はまだ決めていない。ただ今回の旅では「利尻や礼文の島に渡ろう」と思っているので、何れにしても再び稚内まで戻ってくることになる。
一昨日の昼に新千歳空港に到着した私は、空港まで迎えに来て頂いたC氏の車ですぐに
美瑛に向かった。美瑛で1泊した後、
留萌に出て、そこからは
オロロンラインと呼ばれる快適なルートを日本海に沿って北上し、稚内に到着した。
昨夜は市街地のちょうど反対側に位置する
稚内温泉に宿をとった。稚内温泉は日本最北端の温泉だ。
それにしてもこの地は、何にでも「日本最北の××」のような形容詞が付く。最初の内はその形容詞を見つけるたびに面白がっていたのだが、次から次ぎと目にするとさすがに飽きてくる。
稚内温泉では「宗谷パレス」という宿に泊まった。ここは船員保険保養施設だが、一般の人でも利用することができる。料金も民宿並の料金で24時間温泉に入ることが出来るので、コストパフォーマンスはなかなか高いと言える。
食事の前、一風呂浴びていたときのことだ。先客の年輩の方2人となんとなく世間話が始まった。「船員の保養所」という先入観があるので、その2人の日焼けした顔を見た瞬間、「仕事は船乗り」と勝手に決め込んでいた。
「どちらからですか?お仕事はやはり、船ですか・・・」
「いや、船は関係ないです。わたしらは静岡から。私のところとこっち(ともう一人を指さし)の夫婦二組で北海道を車で廻っていてねぇ」
「そうですか、静岡から。私は隣の神奈川なんですよ。いいですねぇ、ご夫婦でのんびり出来て・・・今回は夏休みですか?」
たわいのない世間話のつもりだった。
「いやぁ、ず〜っと休みでねぇ(笑)。私ら2人とも会社クビになってね。で、気分転換に北海道をのんびり観光でもするかって・・・」
言葉が出ない。何か相づちを打つべきなのだろうが、適当な言葉が思い浮かばない。
「ま、帰ったら職探ししなきゃならないから、せいぜいのんびりしますよ。ははは・・・」
お二人の口振りは妙にサバサバしていて、投げやりな雰囲気がない事にホッとさせられた。果たしてそのような状況になったとき、そこまでサッパリ気分を切り替えられるかどうか、私には自信がない。もっともお二人もきっと、色んな葛藤があったのだろうなぁ・・・

そんな会話を思い出している内に、気が付くと宗谷岬に到着していた。何だか唐突に岬が現れた感じだ。
岬というと海に突き出た土地を想像するが、ここ宗谷岬は岬であることを示す「碑」や土産物屋が無ければ、そして大勢の観光客がそこに居なければ、見過ごしてしまいそうな場所だ。道が緩やかにカーブを描くその先端が日本最北端の地なのだ。
なぜか「日本の最北端に着いたぞぉ」と言った特別な感慨は沸いてこない。これは地形的な要素もあるのだろうが、別の理由もあるような気がする。
こうした時、例えば「最北端の次は、最南端だ!」と、ついつい私は考えてしまう。でもこうした思いは、どことなく必然性を求めているような気がするのだ。旅のきっかけは、必然ではなく偶然であって欲しい。で、そんな思いのため、本当は興奮している自分を無意識に抑えてしまうのかも知れない。まあ難しいことは抜きにして簡単に言うと、私はへそ曲がり、あるいは天の邪鬼(あまのじゃく)というわけだ(笑)
それでも、最北端の碑の前で写真を撮ったり、裏手の丘陵にある展望台から遠くサハリンの島影を見つめていると、段々と実感が湧いてくる。「なるほど今見えるあの島はロシアなんだ・・・」と。
さて時刻は夕方の3時過ぎ。再び稚内市街に戻ってきた。
宗谷岬を発った後は、予定通り南下して
浜頓別まで向かったが、浜頓別に到着した時には今にも雨の降りそうな天候になっていた。ここでC氏とはお別れ。C氏はこの後、網走に向かった。
私は
クッチャロ湖畔を散策しながらこれからのスケジュールを考えていたが、一向にこの先の予定が決まらない。考えが固まらない内に小雨が降り出した。そうなると考えることも歩くことも面倒になってくる。「音威子府(おといねっぷ)方面にでも向かうかぁ」と思い掛けていたのだが、立派なバスターミナルまで来てみると稚内行きのバスの方が早い時間に出発することがわかった。で、一気に稚内まで戻ることにしてしまったのだ。約2時間半ほどのバス旅だった。
バスを降りてすぐに、稚内のパンフレットを片手にホテルに電話を入れる。
その名前に惹かれて最初に電話した「ホテルサハリン」は丁寧な口調で「満室」と断られた。しょうがないので別のホテルに電話を入れると、そちらはすぐに予約が出来た。
早速チェックインすることにする。とりあえず町中を歩くにしても、背中に背負った
大型ザックをホテルに置いてから歩こうと思ったのだ。当然ながら歩くには身軽な方が良い。
今回は「足の向くまま気の向くまま」ということをいつも以上に意識していた。そのためには「出来るだけ長い時間」が欲しい。で、遅い夏休みや有給休暇、そして祭日などの合法的な休暇(笑)を総動員して、12日間の休暇をひねり出すことが出来た。時間を忘れるほどの長期休暇と言うほどでもないが、少なくとも「曜日」ぐらいは忘れることが出来そうな日数だ。
さてそうなると、旅のスタイルもいわゆる「
バックパッカー」スタイルが気分。つまりは大きなザックに着替えだけでなく、簡単な昼食を作ったり、お茶を湧かす程度のセットなども詰め込んでの今回の旅だ。テントや寝袋を持ってくることも直前まで悩んだのだが、結局今回は宿泊まりに落ち着いた。

さて宿に荷物を置いてからは、稚内に到着したときから気になっていた、市街地から見上げる丘の上に建つ「塔」まで行ってみようと思った。目指す塔は「
開基百年記念塔」と言う。塔の基底部には「北方記念館」と言う施設が、塔の上には展望台が作られている。
北海道の町は、その大部分が明治期に入ってから開拓されたため、昭和、あるいは平成の時代になってから開基100年を迎えたところが多い。そして100年は一つの大きな区切りであるせいか、ある程度の規模の町ではこうした大がかりな施設を記念に残すことが多いようだ。
ここ稚内も道北ではあらゆる意味で中心となる町。その町にふさわしい施設として、このような立派な塔が造られたのではないだろうか。もちろん「観光客誘致のため」という大きな理由もあるだろう。
丘の上に建つ塔だから、展望台の高さは合計するとかなり高い。天気は今一つだが、せっかくの機会なのでこの展望台からの風景を見てみたい。
塔の近くまでは、日本で一番短い(らしい)
ロープウェイが架けられている。ここでは「日本最北の」の形容詞は見かけなかったが、おそらく「日本最北のロープウェイ」でもあるのだろう。
辺りが薄暗くなりつつある時間だったので、はやく上に上がりたい私はこのロープウェイを利用することにした。
確かにロープウェイの乗車時間はあっと言う間だ。景色を楽しんでいる暇もない。
今乗ったのが上りの最終なので、百年記念塔まで行っていたら下りは歩くことになる。もちろん、そのつもりで上まで上がってきたのだ。

百年記念塔に到着。ところが・・・灯りは付いているのだが中で工事でもしているらしく、その中に入ることは出来ない。駐車場には1台のワゴン車が停まっているだけだ。もしかすると、閉館の時間を過ぎているのかも知れない。
「ここまで来てそれはないだろう・・・」とも思うが、何れにしても事前に確認もしないでここまでやって来た自分が悪い。
この百年記念塔の先へはまだ車道が続いている。そこで目的を「夕焼けに染まる利尻富士」に変更した。失敗が多い分だけ、私は切替も早いのだ(笑)。
この先まで歩くと利尻が見えるのかどうかは知らないが、せっかくここまで来たのだ。歩けるところまで歩いてみようと思った。もっとも「夕焼け」なんて今日の天気じゃ期待できないだろうけど。
1Kmほど歩いたが相変わらず海は見えず、当然ながら利尻も見えない。陽はどんどん落ちて少々不安になってくる。今回の旅では携帯用ライト(ヘッドランプ)も持ってきているのだが、今日は灯りの無いところを歩くつもりは無かったので、ホテルに置いて来た。何だか目論見が外れっぱなしと言う気がしないでもない。
「もう少し先まで行けば、海が見えるかも知れない」
そんな根拠のないことを思いながら黙々と歩き続ける。やがて舗装路は途切れた辺りで、遠くに海と島影らしきものが見えたが、陽はますます落ち、夕陽どころではない。これでは戻る途中には真っ暗になってしまうだろう。
さすがに「この辺で諦めよう」と思い、引き返すことにする。またもや・・・無念・・・。
面白みのない、車も人も通らない寂しい舗装路を再び引き返す。
風が強い。これは山上の道だからと言うことだけではない。
稚内は風の町。山と表現したが、稚内市街を取り巻いているのは、緩やかな丘陵地帯だ。だから海からの風がまともに吹き付けることになる。
道は暗いし、風は強いし・・・ぼやきが出そうなところだが、それでも百年記念塔の辺りまで戻ってくると稚内の町の灯りが見えて来た。少々寂しい夜景だったが、「夜景を観ることができたのだから」と、心の中で自分を慰めていたら気持ちも少し晴れてきた。
さて山を降り、神社の境内を抜けるとその近くには
繁華街があった。歩いたことで程良くお腹も空いてきたし、何より喉が乾いていた。冷たいビールが飲みたい。
さっそく適当な店を探そうと、その繁華街に向かうことにした。
なんとなく勘が働いて入ったお店は、旅人の間では有名な店であったらしい。名前は「
網元」と言う。
地元の常連さんばかりの閉鎖的な居酒屋だと落ち着かないし、観光客目当ての居酒屋も団体客が多かったりすることで、同じく落ち着かない。だから一人旅ではどうしても、店を選ぶにも慎重になってしまうのだ。それがあっさりこの店に決めたのは、何かで「読んだ」か「聞いた」かした記憶があったためだろう。
この店はそれほど大きくもなく、ご主人がなかなか個性的で、その辺りが旅人に受けている理由かも知れない。もちろん酒の肴も良心的な値段で旨い。
暖簾をくぐって先客から離れてカウンタに座ろうとすると、いきなり怒られた。
「詰めて座ってね!」
で、遠慮がちに間にイス一つ分空けて座ろうとすると、さらに追い打ちを掛けられて「ピッタリくっついて座って!」
店はそれほどたて混んでいる訳でもない。だから、実はこれはこの店の主人の演出。こうすることで、隣り合わせた客と自然に会話が始まる仕掛けだ。
「こうしてあげないと、みんななかなか打ち解けないでしょ。せっかく旅している人同士なんだからさ、仲良くしなくちゃ」
う〜ん、参りました・・・でも確かにそのおかげで、隣り合わせた二人連れとすぐに会話を始められた。この辺りがこの店の魅力なんだろうな、きっと。
隣に座っているのは私と同じく旅をしている男性二人。二人は子供の頃からの同級生同士とのことだった。で、私と同じようにこの時期に遅い夏休みを取って、車で北海道を廻りながらどっぷりと「釣り三昧の休暇」を過ごしている。
「鮭を釣ること」が第一の目的。残念ながらその時点での釣果は今ひとつだったようだが、それでも「上流まで入って、
オショロコマを挙げましたよ」と言っていた。
私は釣り人ではないが、自然の中を歩く事が好きでトレッキングなども趣味の一つ。「アウトドア」という共通の話題で会話ができるので、その二人とも自然と打ち解けて話をすることが出来た。
「そう言えば、『泊まり』はどうしてるんですか?」
私がそう尋ねると、彼等は「こっち来てから、ずーっとテントです」とのことだった。でも今日は駅前で呼び込みのおじさんに掴まって、素泊まり民宿のような商人宿のような宿に泊まることにしたらしい。
「今、台風近づいているじゃないですか。だから俺たちも今日は宿泊まりにしたんです。北海道上陸しそうですよ、明日あたり。フェリー大丈夫なんですか?」
全然知らなかった。そう言えば今回旅に出てから、まともにテレビもラジオも、新聞すらも読んでいない。さすがに曜日を忘れるところまでは、まだ旅に入り込んではいないが。
明日は礼文に渡ろうと思っていた。
フェリーははたして出航するのだろうか?

この店名物の「どぶろく」を丼で飲んでいる内に、彼等は一足先に店を出て、私はしばらくそこで飲み続けていたが、段々と酔いを感じて来た。
誰かが酔って「ロシア人」の事を声高にしゃべっていたが、話の内容までは聞き取れない。あまり「耳に良い」話では無いようだが、この辺りについては複雑な歴史的背景など、様々な理由があるのだろう。稚内の公的機関が言っているほど、「友好ムード一色」というわけでもないのだろうと思う。もっともこれは当たり前のことだろうけど。
店を出るときには、地面に吸い込まれそうなくらい酒が廻っているのを感じていたが、外の冷たい空気に触れたおかげで少しだけシャキッとする。
「このままホテルに戻るのでは面白くない。それに少し酒を覚ましてから帰ろう」
そう思い、商店街を歩く。
良く見ると、商店街にはいたるところにロシア語表記の看板や張り紙がある。ロシア語だということはわかるが、見慣れない文字も混じるので読むことすら出来ない。それでも併記されている日本語を見る限りでは「いらっしゃい」とか「歓迎」とかの文字が書かれているようだ。「ロシア人留学生ナターシャの店」なんて言う名前の店もある。
「なるほど、やはりここは国境の町なんだ。俺は国境の町に来たんだなぁ」
あらためてそんなことを酔った頭で思う。
30分ほど歩いてホテルに戻ったときには、確認しようと思っていた台風情報も、風呂に入ることも、そして明日の予定のことも何もかも忘れ、眠ってしまっていた。

さて話はいきなり6日後のこと。
翌日はなんとか無事に礼文島に渡ることが出来た(旅その19をご覧下さい)。その後は利尻島、豊富町と周り、再び稚内に私はいる。
予定を変更して、1日早く今回の旅を終えることにした。また台風が近づいているのだ。今回の旅の間で二度目の台風だ。まるで私の旅に合わせて台風がやってきているような感じだ。
また台風の影響を受けてしまい、帰京できなくなるのは困る。旅の終わりに近づくに連れ、段々と「日常へ戻る寂しさ」みたいなものを感じていた。だから「ギリギリまで滞在したい」という気持ちはもちろんあるのだが、やはり予定日には仕事に復帰していなくてはならない。う〜ん、悲しい悲しいサラリーマンの性(笑)。
帰りはこの稚内から飛行機で帰るつもりだ。
昨夜。3泊目の稚内の夜は、再び「ホテルサハリン」にチャレンジし、今度は泊まることが出来た。中に入ってみると、これは極々普通のホテル。なんとなく異国情緒みたいなモノを期待していたのだが、そんな都合の良いことにはなかなか出会えない。
「一昨日まではず〜っと、団体でいっぱいだったんですよ。昨日はたまたま団体が途切れてねぇ」
なるほどそう言うことだったのか・・・。
ところで、このホテルの支配人は私の住む町に土地勘がある人だった。いきなり「駅前に○○という名前の居酒屋があるでしょ?」などと言われて驚いたのだ。尋ねると「以前、あの近くで仕事していたんですよ」とのことだった。「最北の国境の町」で、そんな「ローカルな町」のことが話題になるとは・・・世の中狭いものだなぁ(笑)
「稚内も昔は田舎でね。札幌辺りに出るとビックリしましたよ、都会なんで。まあ、今でも田舎ですけど。でもだいぶ変わりましたよ、この町も・・・」
チェックアウトの時、コーヒーをご馳走になりながら、そんな会話をして過ごしていた。

フェリー乗り場近くで、
海産物の土産を買って宅配便の配送手続きを終えたら、飛行機の時間まで3時間ぐらいの時間が空いてしまった。
そこで稚内で一番の「お気に入り」になった場所、波止場に向かうことにする。今回はザックを背負ったままなので、嫌でも歩くペースは遅い。その遅いスピードが今の私の気分。
フェリー乗り場近くには「
北防波堤ドーム〜しおさいプロムナード」と呼ばれる防波堤がある。名前の通り、ドーム状になった防波堤だ。ここでのキャンプは禁止されているようだが、稚内の市街地に一番近い
キャンプ場はあの百年記念塔のさらに先に行かねばならない。そこでライダーはともかく、サイクリスト、バックパッカーなどの多くは、ここにテントを張る。稚内名物の強風も、ここなら凌ぎやすい。
6日前に見たときは多くのテントが張られていたが、今日は午前中の中途半端な時間と言うこともあり、張られているテントは一張りだけだった。
ふと気がつくと1枚の張り紙があった。読んでみるとこう書かれている。
「七時に宴会再開致します」
どんな宴会なんだろう。昨夜の「宴」の名残なのだろうか。ここでテントを張った旅人たちが、酒を飲みながら一夜の語らいをする・・・ぜひ見てみたいし、出来るなら参加してみたい。
そのまま防波堤ドームのそばに腰掛けて、出発するフェリーを見て過ごす。今出発したフェリーは礼文島行きのフェリーだ。今日はまだ、海も荒れてはいない。
雲の流れが速い。この防波堤にいると風はほとんど感じられず、北国の9月にしてはとても暖かだ。だが上空はかなり強い風が吹いているのだろう。丘の向こうには段々と雲が広がりだした。
今吹いている風は大陸からの風か。異国の風なのか。国境の町の風はどんな風なのか・・・。

わずか43Km向こうはサハリン。そこは異国の地。
そして稚内。ここは最北の町であり、国境の町でもある。
今、この国境の町とサハリンの間には
定期航路が開設されている。
終戦から50年ぶりの定期航路の復活。これは1990年代に入ってからのペレストロイカの恩恵。今では、観光目的でも自由にこの国境を越えることが出来る。
そう。この国境の町と異国の島は、その間に国境を挟んで結ばれている。そしてまた、風はこの国境を越えて吹いている。