バックパッカーというと、「アジアの安宿を泊まり歩いて長期間旅をする人」というイメージがあります。現在定着しているこういうイメージを否定する気は全然ありませんし、むしろその方が今では一般的なのでしょうが、私の場合はちょっとイメージが違います。
私が高校時代、ワンダーフォーゲル部という部に所属して山などを登っていましたが、そんな時「アメリカの文化」として触れたのがバックパッキングでした。1970年代のことです。
ここで触れたバックパッキングとは、「広大な自然の中を、生活道具一式を背負ってどこまでも歩き続ける」という、どこまでも自由で、自然にどっぷりと浸かった旅のスタイルでした。その頃「自然に入る」とは「山に登る」ことであり、「頂上を目指す」ことでした。しかしバックパッキングは「頂(ピーク)に特別に拘るわけではなく、広大なトレイルで時を過ごしながら自然の大きさ、素晴らしさを感じる」というもので、山に登ることがよりスポーツ的であるとすると、バックパッキングはより旅に近いという感覚で、これがとても新鮮に思えたのです。
残念ながらアメリカのように広大なトレイルを無数に持つわけではない日本では、すぐにバックパッキングと言う言葉が死語に近いものになってしまいました。次にこの言葉に触れたときは、冒頭のような「アジアの貧乏旅行」のような特に限定されたスタイルで、私が抱いていたイメージのバックパッキングは、いつの間にか「トレッキング」などの言葉に置き換えられていました。
さてそんなわけで、私は意識的に最近はバックパッキングとは呼ばずに「歩き旅」とか「徒歩旅行」などと呼んでいます。
何からも束縛されない、真の自由な旅の姿。疲れたらテントを張って一夜を過ごし、足の向くまま気の向くままの旅。
しばらくこんなスタイルの旅から離れていた私ですが、ここ数年またこんなスタイルの旅の魅力を再認識して、ポツポツと歩いているところです。現実には「完全に自由な旅」なんて、難しいんですけどね・・・何だか昔の想い出って、知らず知らずに「理想的なカタチ」に変質してしまうようで(笑)
このテーマでは、北海道編以外に「歩き旅」のコーナーを作っています。そちらも宜しかったらご覧下さい。
また「バックパッカー」「バックパッキング」については、どこかで、いつか"ちゃんと"書いてみたいなと思っています。