50年代から60年代に活躍した彼女は、歌手出身であり、しばしば出演作の中でも歌っている姿を見かけます。「知りすぎていた男」(1956)の「ケ・セラ・セラ」や「夜を楽しく」(1959)の「ピロー・トーク」(作品の原題と同じ)などは、よく知られたナンバーです。或いは、「女房は生きていた」(1963)のように、作品の中ではなくともタイトルバックの主題歌を歌ってヒットしたケースもあります。そばかすだらけで(作品中でそのことをわざわざ指摘されるケースすらあります)、これはお美しいとオーディエンスをうならせる程の美女ではなく、また強烈な個性をウリにしていたわけではないにも関わらず、アメリカで当時絶大な人気を誇っていたのは、彼女のいかにもアメリカ的な屈託のないキャラクターのゆえだったのでしょう。個人的には、彼女は、隣のお姉さん的な親しみやすさを大きな武器としてオーディエンスを魅了した最初の女優さんの一人であったと考えています。さらに言えば、オーディエンスとは一線を画した雲上の存在としての映画スターのあり方を根本から変えたのは、彼女であったとすら考えています。そのくらい、ビッグスターであったにも関わらず、ビッグスター的な気取りを感じさせない女優さんでした。彼女が共演した男優を列挙すると、クラーク・ゲーブル、ケーリー・グラント、ジェームズ・スチュワート、ジェームズ・キャグニー、デビッド・ニブン、レックス・ハリスン、ロック・ハドソン、ジャック・レモン、フランク・シナトラ、カーク・ダグラス、ゴードン・マクレー、リチャード・ウィドマーク、ジェームズ・ガーナー、ロッド・テイラー、そして俳優としては疑問符がつかざるを得ないとはいえ何はともあれ将来アメリカ大統領になるロナルド・レーガンなど、各年代の錚々たる面子がそろっていることが一目瞭然であり、しかも驚くべきことに、これだけのスーパースター達を相手にしても、相手に食われることがほとんどまったくなく、いつでも、彼女一流のノンシャラントなキャラクターが光っていました。しかしながら、だからといって相手を食ってしまうような強引さがあるわけでもなく、どんな男優を相手にしても折り合いは極めて良好でした。たとえば、ケーリー・グラントは、40年代には何度かキャサリン・ヘップバーンと共演しているにも関わらず、50年代になるとそれがまったくなくなります。これは、その頃までにはどんな演技も自己パロディに見えるほどまでに己の強烈な個性が凝固してしまった二人が共演すれば、必ずや食い合って互いを打ち消しあうことが分かりきっていたからではないかと考えられます。それに対してドリス・デイは、そのようなケーリー・グラントと共演しても、相手に食われることもなければ、相手を食ってしまうこともありません。相手に合わせながらも、自分の特徴を生かす、このような女優としてのあり方は、グレタ・ガルボ、キャサリン・ヘップバーン、ベティ・デービス、ジョーン・クロフォードなどのかつてのスーパースターのイメージからは大きくかけ離れたものであり、まさにそこにドリス・デイの新しさがあったのです。基本的に彼女は、50年代の前半まではミュージカルを、それ以後はロマンティックコメディを、それぞれメインの活躍の舞台としていましたが、「知りすぎていた男」(1956)、「誰かが狙っている」(1960)などのスリラー作品での彼女も悪くはありませんでした。因みに、1963年に公開された「女房は生きていた」は、天国?に行ってしまったマリリン・モンローが本来は主演する予定だったようであり、要するに、彼女は、モンロちゃんの代わりも務められたということです。 |
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1953
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カラミティ・ジェーン
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1962
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ミンクの手ざわり
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1956
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知りすぎていた男
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1963
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スリルのすべて
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1957
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パジャマ・ゲーム
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1963
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女房は生きていた
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1958
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先生のお気に入り
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1964
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花は贈らないで
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1959
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夜を楽しく
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1966
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マーメイド作戦
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1962
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恋人よ帰れ
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1968
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ニューヨークの大停電
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