誰かが狙っている ★★☆
(Midnight Lace)

1960 US
監督:デビッド・ミラー
出演:ドリス・デイ、レックス・ハリスン、ジョン・ウイリアムス、マーナ・ロイ



<一口プロット解説>
アメリカからロンドンにやってきたドリス・デイは、ある霧の深い日に公園でおまえを殺してやるという奇妙な声を聞き、それ以来脅迫電話に悩まされるようになる。
<雷小僧のコメント>
「誰かが狙っている」は所謂ミステリー映画であり、この手の映画のレビューをする時に気を付けないといけないことは、まだ見たことのない人にプロットをばらしてしまってもよいのかどうかということでしょう。所謂ネタばらし云々については、どこの映画レビューサイトを見ても言及されているようですが、これに関しては私目は次のように考えております。勿論、サプライズエレメントという要素はこのジャンルの小説や映画にはある意味で必須なものであり、その楽しみを希薄するのはあまり良いことではないであろうと思います。ただそれも、映画レビューの目的或は対象が何であるかによって多少は変わってくるように思われます。たとえば最新の映画のレビューをする場合ともう30年も40年も前の映画のレビューをするのとでは事情が異なるでしょう。恐らくもし誰かがこの既に40年も前に製作された「誰かが狙っている」というタイトルを知っていて、このレビューを読んでいるとすると多分その人は既にこの映画を見たことがある確率が非常に高いように考えられます。また、今までこの映画を全く見たことがない人が読んでいるとすると、わざわざ骨を折って捜し出しても見る価値があるということを説明するにはどうしても「このレビューではネタをばらしますから、見たことのない人はこれ以上は読まないで下さい。」で済ませることは出来ないでしょう。何故ならそれでは映画館やレンタル屋で簡単に見ることが出来る映画と違って、わざわざ捜し出して見ようなどとはしないであろうからです。本来プロットに全く触れずにレビューが出来ればそれに越したことはないのですが、この分野の映画でそれをするのは極めて困難です。またそれとは別に、これはプロットをばらすことの正当化にはならないのですが、プロットがばれたから見る価値がなくなる映画というのは、最初からあまり大した映画ではないように思います。この「誰かが狙っている」は、私目は少なくとも5回は見ているはずですが、巧妙なプロットやサプライズエレメントだけがこの映画の売りであったとしたら、1回見てハイサヨナラとなっているはずです。というわけで、そうは言いながらもやっぱり言ってしまうのですね、「このレビューではネタをばらしますから、見たことのない人はこれ以上は読まない方がよいかもしれません」と。
さて、実を言えばこの映画のレビューを今ここで行う理由があって、それは旦那が自分の奥さんを殺そうとするプロットが、直前にレビューした「ダイヤルMを廻せ!」(1954)とよく似ているにも関わらず、映画自体のハンドリングの仕方が全く違う為、全然違った雰囲気の映画になっているのが非常に面白いからです。「ダイヤルMを廻せ!」とこの「誰かが狙っている」で決定的に違っているのが、後者が完全なミステリーであり、誰が犯人であるかが最後までわからない設定になっていて、張り詰めたプロット展開の中に常にサスペンス的要素を維持していくのに対し、前者はもう最初からネタが提示されているわけであり、サスペンス的要素もないわけではありませんが、どちらかと言うと登場人物達の駈引きが描写の中心になっており、そのテーマにも関わらず瀟洒な雰囲気すらそこにはあるという点においてです。また、「誰かが狙っている」の方には、張り詰めたサスペンス的要素を維持するのに、霧のロンドンの街並みであるとか非常に幻想的な雰囲気も加味されていて(フランク・スキナーの音楽も幻想的で秀逸です)、旦那が自分の奥さんを殺そうとするプロットが同様である他の一遍すなわち「ガス燈」(1944)に非常によく似ていると言えるかもしれません。またこの「誰かが狙っている」がただの一回見たらハイサヨナラ映画では終っていない要素の1つとして、この映画が単なる犯人捜し映画ではなくサイコスリラーでもあるという点が挙げられるでしょう。「ガス燈」のシャルル・ボワイエがイングリッド・バーグマンを狂気の淵に追いやろうとしていたのと同様、この映画でも旦那のレックス・ハリスンが、奥さんのドリス・デイをノイローゼ状態に追いつめようとするのです。いくら警察に脅迫電話のことを説明しても信じてもらえず、自分の旦那にまで疑われ始めて(最後になる迄実は自分の旦那が犯人だとは思っていない)だんだんとノイローゼになっていくデイを主人公としたサイコドラマとしても十分に堪能出来るわけです。余談ですが、ドリス・デイと言えばどちらかというとコメディという印象が強いように思われるかもしれませんが、ここではこのサイコドラマの主人公を見事に演じています。それから今まで思いやりのある旦那の素振りをしていたレックス・ハリスンが最後に氷のような形相になるのが実に素晴らしい。いずれにしても、この辺がこの映画がただのサプライズエレメントだけの三流以下映画とは大きく違う点であるといっても過言ではないように思います。
そもそも、ある種の三流の探偵小説やサスペンス/ミステリー映画が何故三流であるかと言うと、犯人捜しやサプライズエレメントのみに焦点が絞られていてそれ以外の要素が消しとんでいるからであるように思われます。私目は、あまり好きでない映画をたたくということはしないことにしているのですが、ここに分かり易い例としてショーン・コネリーの出演していた比較的最近の映画「理由」(1995)を挙げてみたいと思います。尚、私目はこの映画全てが見る価値がないと思っているわけではないことを付け加えておきます(そうでなければ最初から例としても挙げないでしょう)。この映画では、この手の映画の常で最後に殺人の真相が暴かれるわけですが、その真相というのは全く観客にとって予想外なものです。予想外であるということは、この映画が意外性を持つ映画として成功したという意味に聞こえるかもしれませんが、全くそうではありません。何故なら、この映画の意外性というのはストーリー展開の必然性を全く無視した意外性であり、この映画のような展開が許されるのなら作者はどんな結果を機械的にアタッチしてもよかったことになるからです。これは、映画製作者が犯人捜しやサプライズエレメントという点にあまりにも固執して、その点で観客を最後にあっと言わしてやれと何やら山師的に考えていたからそういう結果になったのだと思われますが、ストーリー展開やドラマの必然性を無視して意外性だけに固執してしまうと映画としての有機的統一性もバラバラになってしまうわけであり、そういう映画を2度以上見たいなどということにはとてもならないのですね。それに対して、「誰かが狙っている」は、全体的な有機的統一性を損なうこと無しに尚且つ最後にサプライズエレメントを有しているが故に少なくとも私目は何回も見ることが出来ている次第なのです。
それから最後にこの「誰かが狙っている」はキャストがいいですね。レックス・ハリスンとドリス・デイの他にもジョン・ウイリアムス、ジョン・ギャビン、マーナ・ロイ、ロディ・マクドウォールとかなり曲者が出演しています。また、この映画が明らかに「ダイヤルMを廻せ!」を意識していたのではないかと思われる証拠として、事件の捜査官を同じくジョン・ウイリアムスが演じていますし、アンソニー・ドーソンも出演しています。またレックス・ハリスン(ハリスンはタイプ的にもミランドに似ているように思います)が最後に逮捕され、ジョン・ウイリアムスに向かって「我々はいつもイギリス人を甘くみている。どうして同じ過ちを二度も繰り返せたのだろう。」などと言うのですが、レックス・ハリスンはこの映画の中ではこれ以前にジョン・ウイリアムスに関してミスを犯しているとは思えないので、どうやらこのセリフは「ダイヤルMを廻せ!」のレイ・ミランドを念頭において言っているのではないかと推測されます(確か彼の役どころもロンドンに滞在しているアメリカ人ではなかったでしょうか)。まあ確かにヒチコックの映画や「ガス燈」程に有名な映画ではないのですが、時にこうした小品を発掘するのもなかなか楽しいことでもあり、映画を見る醍醐味の1つではないでしょうか。

2000/09/23 by 雷小僧
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