夜を楽しく ★★☆
(Pillow Talk)

1959 US
監督:マイケル・ゴードン
出演:ドリス・デイ、ロック・ハドソン、トニー・ランダール、セルマ・リッター



<一口プロット解説>
インテリアデコレーターのドリス・デイは、ロック・ハドソンと電話のparty line(共同加入線)を共用しているが、ハドソンは始終ガールフレンドに電話していてデイが利用出来る機会がなく憤慨している。ハドソンはある日このparty lineを共有しているのが彼の親友のトニー・ランダールの知人でもあるデイであることをふとしたことから知り、テキサスから来た牧場主のふりをして彼女に近付こうとする。
<雷小僧のコメント>
ドリス・デイとロック・ハドソンというコンビによるいわゆるロマンチックコメディなのですが、こういう映画にしては珍しくドリス・デイがオスカーにノミネートされています。この二人のコンビによる映画は3本あって全てコメディですが、また同時にこの3本全てにトニー・ランダールが顔を見せていますから、三人セットなのかもしれませんね。50年代後半から60年代前半にかけてを代表する女優さんというと、私目の場合には真っ先にこのドリス・デイの顔が浮かんできますが、彼女のキャラクターというのは恐らくこの時代に非常にマッチしていたのではないでしょうか。勿論、1960年生れの私目には確証がないのですが、(このように言うと怒られるかもしれませんが)そばかすだらけで絶世の美女とは言い難い彼女が当時絶大な人気を誇っていたのは、シンボリックな面において当時のアメリカの風潮と彼女がうまく親和していたからなのではないかと思っています。
ただ、ロック・ハドソンとドリス・デイというコンビによる映画が、いかにもこの時代の映画であるなと思わせる点が他にもいくつかあって、それは同じくロック・ハドソン主演なのですが、女優さんにはポーラ・プレンティスを起用していた私目の大好きなハワード・ホークスの「男性の好きなスポーツ」(1964)と比較してみるとよく分かります。一言で言えば主演女優の主演男優に対する位置ということなのですが、ドリス・デイの場合には、彼女がこの「夜を楽しく」や「恋人よ帰れ」(1962)でいくらキャリアウーマンを演じていても、常にストーリーのトリガーとなっていくのはロック・ハドソンの方であり、ドリス・デイはある意味でロック・ハドソンが引き起こす状況の関数として基本的には機能しているということです。これに対して、ポーラ・プレンティスの場合には、状況を次々に変えていくのはハドソンではなくてプレンティスの方であり、彼女の方が常にハドソンの一歩先を行くのですね。まあ確かにこういうコメディでここ迄言い切るのは言い過ぎかもしれませんが、こうしてみるとやはりプレンティスが体現している女性像というのはかなり新しい時代に属しているのに対し、デイの方は50年代的なのかなという気がしてきますね。
それからトニー・ランダールの存在がこのコンビに必要不可欠であったという事も、このコンビによる映画をこの時代的だなと思わせる1つの要因となっているような気がします。トニー・ランダールという人は非常に中庸な雰囲気のある人で、一種のショックアブソーバー(緩衝材)のような役割りがこれらのコメディでは割り当てられていると言えます。つまりこういう類のスピード感を要求するコメディというのは、欺瞞であるとか倣岸さとかいったようなある種の悪意を利用しないとストーリーがスムーズに進展していかないものなのですが(実際「夜を楽しく」でもハドソンはかなり男性ショービニスト的に傲慢な人物を演じていえると言えます)、そういう要素は下手をするとコメディ的な要素を破壊しかねないということが言えます。そこでバランスを回復をする役としてどうしても第三者が必要不可欠になるわけであり、この位置にトニー・ランダールが割って入ってくるのですね。恐らくそういう配慮が働いていたというのがこれらのコメディに共通する点であるように思われるのですが、あまり断言する自信はないのですが悪意を悪意としてそれをそのままコメディにしてしまおうというようなビートたけし的な発想はまだこの頃はなかったのではないでしょうか。
それから、ドリス・デイが主題歌「ピロートーク」を始めとしていくつか歌うのですが、それが実に楽しいのですね。デイは元歌手であるだけにミュージカルでなくともよく映画中で歌うのですが、この「ピロートーク」を始めとして、「知りすぎていた男」(1956)の「ケセラセラ」や「女房は生きていた」(1963)の「Move Over Daring」等が映画を離れても知られているように思います。またセルマ・リッターがいいですね。この人は、本当に女優版シーンスティーラー(脇役で出演しながら少なくとも自分が出演しているシーンは自分のものにしてしまうような俳優さんのことをそう言います。たとえば、「ティファニーで朝食を」(1961)で宝石店ティファニーの店員を演じていたジョン・マクギヴァー等は悪名高きシーン・スティーラーで、先に挙げた「男性の好きなスポーツ」にも出演しています)と言える人で、たとえばヒチコックの「裏窓」(1954)でもグレース・ケリーを唆してシャベルで中庭の地面を掘り返していました。それから音楽を担当しているフランク・デボールなのですが、この人はよく俳優の動作に合わせた音楽(というか音響効果と言った方がいいかもしれません)を付ける人なのですが、当時は斬新だったとしても今から聞くとさすがに古めかしい印象があるのは否めないところかもしれません。でもこれは彼のせいだと言ったら酷でしょうね。最後に一つ付け加えさせて頂きますと、プロット解説でも言及しましたが、この映画で電話の加入形態としてparty line(共同加入線)というのが出てくるのですが、この映画が作成されたのは私目が生まれた年よりも前であり、携帯電話全盛の今となってはさすがに存在しないんでしょうね。でも、他人の会話を盗み聞き出来るというのは素敵じゃないですか(あちらでは、この手合いをeavesdropperと言いますね)。何て言ったら少々具合が悪いでしょうね。

2000/06/18 by 雷小僧
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