Gallery(2010)

                  
江津湖の朝 2010年12月23日(木曜日)  師走も下旬に入り、気温は大きく上下しながら寒気が厳しさを増してきた。
 この所、公的・私的に忘年会に参加することが頻繁になり、昨夜は自分が幹事を務める忘年会だったので、大忙しの一夜となった。会がはねるまで殆ど飲み食いが出来ないほど賑やかな会であった。これは幹事を引き受けた者としては嬉しいことではあったが、何せ酒好きの小生、そのまま家に戻るわけにはいかず、独り馴染みの居酒屋で暫く杯を傾けて帰宅した。
 翌朝、やや寝坊した目を擦りながら外を眺めると、10メートル先も見えないほどに濃いミルク色の霧。慌ててカメラと三脚を抱えて近くの江津湖に向かった。ほぼ無風状態のためにこの霧は薄れることなく日の出を迎えた。ぽっかりと赤い朝日が昇るが眩しくない。そして、そこから自分に向かって赤い線が湖面を一直線に伸びてきた。一年の締めくくりとしても悪くはないなと思いながらシャッターを切る。
熊本城晩秋 2010年11月27日(日曜日)  昨日までは素晴らしい青空が続いていたのに、昨夜の降雨以降、今日は一日どんよりとした曇り空。昨日都合が悪くて行けなかったが、晴天を待つ間に折角の黄葉が散ってしまいそうで我慢が出来ず、熊本城の銀杏の大樹の撮影に朝から出かけた。
 案の定、飯田丸梅園の大銀杏二本のうちの背が高い一本は今が最高潮の黄色で、もう明日には一斉に葉を落としてしまいそうな風情だった。お天気が悪いせいか、この大銀杏の近くまで来る観光客が少なく、とうとう20分ほども待ち受けることになってしまった。
 銀杏だけではなく、城内のたとえば桜や柿の葉は濃い朱色に染まり、松樹などの常緑と混じり合って、「日本の秋の盛り」を感じさせてくれた。  
黒門と紅葉 2010年11月20日(土曜日)  この所朝から快晴、微風と紅葉狩りに最適な好天が続く。今日は福岡県朝倉市にある秋月城跡に紅葉を見に出かけた。秋月城は中世・戦国時代の古処山城の麓にあった秋月氏の館跡を利用して築かれた平城で、福岡藩の支藩秋月藩の藩庁であり、黒田氏が居城していた。
 秋月城跡は現在中学校になっており城自体は残っていないが、5万石時代に城の通用門であった長屋門は当時のままの姿で残っている。また古処山城の城門であった黒門も残っている。この近辺が秋月で一番の紅葉の名所であり、紅葉のシーズンには観光客やカメラマンがたくさん押しかける場所である。今日も大勢の観光客がてんでにカメラを構えて記念撮影に余念がなかった。
 ただ残念ながら、今秋の紅葉は先回見た折に比べると葉の朱色がやや焼けた感じで、鮮やかさに乏しい。それに肝心の黒門周辺の紅葉の輝きがまだ少なかった。これはわたしの到着時刻が午前9時過ぎと早すぎて、日射しが黒門から直ぐに東へ上っている小高い丘に遮られて、紅葉しつつある楓の葉群れには少ししか陽が当たっていなかったためでもある。
 と言うわけで、半逆光の日射しに輝く部分の紅葉した楓と黒門の庇を切り取って撮影してみた。
江津湖の秋 2010年11月18日(木曜日)  市街地でも次第に黄葉が進み始めた。昨日訪れた熊本城では、城の通称にもなっている銀杏の大木の葉にはまだ緑がかなり残っていたが、城に向かって登る御幸坂沿いの南京ハゼはかなり紅葉が進んでいて、緑の残る銀杏並木に深紅の点景を添えていた。
 熊本市内で南京ハゼが最も美しいのは江津湖畔の木立だと私は思う。そこで、今日は江津湖を回ってみた。
 お城と同様、ここの木立も緑が健在だったが、桜とハゼの葉はすでに紅葉は散ってしまっていて、ハゼの枝には黄色のハゼの実だけが残っている。流れに沿って茂る南京ハゼの葉が濃い朱色を付けて秋の日射しを透らせながら光っていた。  
黄葉の銀杏並木 2010年11月14日(日曜日)  熊本県庁前の銀杏並木までが、急な寒波の襲来で一気に黄葉化が進んだ。
 気温の高下が甚だしく、昨日は23度まで上がったのに、今日は16度止まりと朝から余り気温が上がらない。しかも、この寒波だけでなく、時ならぬ黄砂の到来も影響したか、インフルエンザに罹った人が早くも出始めたらしい。
 酷暑の次は短い秋、そして厳しい冬となりそうなこれからが思いやられる。日射しも心なしか弱々しい。
岡城址の紅葉 2010年11月10日(水曜日)  一気に厳しい寒気が押し寄せて、山は一斉に黄色や紅の衣を纏い始めた。「荒城の月」の作曲者である滝廉太郎ゆかりの町竹田市の岡城址の楓も一気に見頃を迎えたとインターネットに書き込みが入ったので、今朝早くカメラを抱えて飛び出した。
 城址は気温9度という冷えようだったが、幸い無風で早朝ということもあり観光客の数はまだ疎ら。本丸地域を中心に紅葉が始まっている城址をゆっくりと眺めて回ることが出来た。
 数年前に訪れた時は今回よりも全体的に紅葉が進んでいて、全山が赤黄緑の錦に織りなされていたのに比べれば緑がやや多かったが、朝の斜めの日差しで半逆光に映える赤い楓の色合いは格別のものだった。  
水前寺成趣園のみずあかり 2010年11月07日(日曜日)  熊本市の水前寺公園(成趣園)内で昨年5月から所有する財団法人永青文庫(東京、細川護熙理事長)が約1億円かけて続けていた県重要文化財「古今伝授の間」の全面修復工事が終わり、10月10日、現地でしゅん工式があった。1912(大正元)年に現在地に移築されて以降初の全面修復で、ふすまや畳なども真新しくなった。
 古今伝授の間は公園内の池に面した場所に構える、かやぶき屋根の建物。1600年、後陽成天皇の弟、八条宮(桂宮)智仁親王が京都で、肥後細川家初代の細川幽斎(藤孝)から古今和歌集の解釈を授かった場とされる。
 11月6、7日には修復工事の完成と幽斎没後400年を記念して「水前寺まつり」が開かれ、私は最終日の7日夕方、水前寺公園を訪れた。この期間だけは入園料400円が無料になることもあり、親子連れなどおびただしい人人が、改修に合わせて手入れがされて普段以上に綺麗になっている園内を漫ろ歩いていた。
 5時近くなって、全部で7,000灯に上る竹灯籠のローソクに灯が入り始めた。辺りが次第に暗くなるにつれて灯籠の明かりが光を増し、夕闇が辺りを包んだ6時過ぎには、竹灯籠と僅かな街灯に照らされた園内は、昼間とはまるで違った場景を見せた。公園の各所にみずあかりの竹灯籠が設けられて通る人々の目を楽しませてくれたが、私には園内にある出水神社境内の「みずあかり」が最も魅惑的であった。
高原に深まる秋 2010年10月23日(日曜日)  高原の秋はすっかり深まった。くじゅう花公園のコスモス100万本が今満開である。その報せが昨日メールで届き、天候に不安はあるものの、明日は雨の予報だし、思い切って朝から出かけた。途中の阿蘇・瀬の本高原のススキ原では白い穂先が風に綿毛のように柔らかく揺れていた。
 登るに従い、雨雲が低く垂れ込め今にも雲の中に入ってしまいそう、そして高原を吹き渡る風は早くも冬のような冷たさを運んでくる。厚手の上着を着てきて良かったと思ったほどで、北からの冷たい空気が南下してくるという予報はずばり的中したわけだ。夏が暑かっただけに、今冬は冷えるかも・・?  
夢あかりライブ 2010年10月09日(土曜日)  例年のことだが、今年も「秋のくまもとお城まつり」が10月8日〜17日まで、また「第7回城下町大にぎわい市」が10月9日・10日に開催され、私はその中でも竹灯籠の火と水が創り出す「みずあかり」の光景が好きで毎年撮影に通っているが、今年はつい先日、急遽、この時期に合わせて開催される「第4回夢あかりライブ」の撮影を引き受けることになり、初日には行けなくなってしまった。
 寡聞にして、私はこのライブの存在をこれまで全く知らなかったが、地元プロ歌手を中心とするオペラ・ガラコンサートをメインにした中々聞き応えのある催しであった。今年は午後6時から9時までの3時間、@オーケストラの夕べ、A朗読劇「のはらうた」、Bオペラ・ガラコンサートの三部構成で、会場周辺は「みずあかり」と同じように、竹灯籠や近隣の小学生が持ち寄った牛乳パックにロウソクの火を点して飾られ、闇が深まるにつれてローソクの光が揺れて趣き深い照明となった。
 特に、傍を流れる坪井川の岸辺に並べられた数百個の牛乳パックの灯りが流れに映える様は誠に幻想的であった。
みずあかり 2010年10月10日(日曜日)  今年で第7回を迎えるこの催し、公式HPを見たら正式名称はこうであった「第7回熊本暮らし人まつり みずあかり」誰が付けたのかは知らないが、。何とも仰々しいというか、持って回った表現だが、まあ仕方がない。昨日と今日の二日間の開催だが、昨日は小生が今年から関わることになった「夢あかりライブ」のために時間がとれなかったので、最終日の今日、暗くなってから出かけた。
 昨日はお昼過ぎまで雨が落ちていたが、今日は朝から晴れたからたいそうな人出。坪井川の流れに浮かぶ「みずあかり」を眺める最高のスポットの御幸橋は三脚を抱えては入れないほどの混雑であった。
 NTT熊本支店から市民会館前周辺に飾られた竹灯籠は前回とほぼ似たようなものだったが、流れの中の灯りは、形状や纏められた形、位置などが微妙に変化していて楽しませてくれたが、昨日の疲れがまだ残っていて長居する気になれず、撮影を済ませると早々に家に戻った。  
彼岸花U 2010年09月23日(木曜日)  昨日は「中秋の名月」だったが、秋雨前線が日本列島に懸かって、月見の気分はどこかへすっ飛んでしまうほどの激しい雷雨となった。落雷で負傷者まで出たらしい。
 秋分の日の今日は秋の冷気が日本列島を覆い、気温は5度ほど下がって秋らしさを感じさせてくれた。午前中は雲が空に広がっていたが、次第に薄れて夕刻には青空になるだろうという予報を信じて、先回はまだ5分咲き程度だった番所の彼岸花を撮影しにお昼から出向いた。
 僅か四日の間に彼岸花は盛りを迎えていた。黄色く実った稲穂が頭を垂れる棚田の縁を深紅の彼岸花が彩る風景は、毎年のことではあるが見事である。でも、彼岸花の半分は萎れかけていた。どんどん新芽が出るから満開状態が保たれているが、個々の花の日持ちは短いようだ。
 緑の斜面に深紅の彼岸花が密生して、赤と緑の響き合いも心地よく、とうとう一時間ほども棚田の中を歩き回ってしまった。 
彼岸花 2010年09月19日(日曜日)  明日は敬老の日、そして秋分の日が間近となった。県北、矢谷渓谷入り口の菊鹿町番所は棚田百選にも選ばれているところだが、ここの稲田を取り巻くようにこの時期に咲く深紅の彼岸花が見事で、第2回農村景観大賞を獲得したほどである。
 ようやく秋らしい気候になってきたが、秋分の日あたりには曇り後雨と愚図ついたお天気になりそうなので、晴れの内に撮影したいと思って今日朝から出かけた。
 少し早いかもと案じていたとおり、開花はしていたものの満開にはまだ程遠かった。あと数日もすれば見事な景色が拡がるだろう。撮影に訪れていた人は僅か。逆にそれだけゆっくりと自由に歩き回ることが出来、これまで入ったことがなかった場所で、綺麗な花群に巡り会えたりした。満足ではないが、それなりの収穫はあったと思う。  
鶏 頭 2010年08月26日(木曜日)  処暑を過ぎても猛暑日が続く。今夏は誠に異常としか言いようがない暑さが日本列島を覆っている。
 それでも、少しは秋らしい冷気に触れたいと、朝早くから久住山系の麓にある「くじゅう花公園」へ出かけた。瀬の本高原から竹田方面へ分岐して暫く行ったところで、梅雨時の豪雨禍で損壊した道路の修復工事が行われていて、迂回路に入らざるを得ず、初めての道で暫くうろうろしたものの、何とか無事に花公園にたどり着いた。
 到着したのが午前9時。早朝の山道は車が少なく、標高が高くなるにつれて風は涼しさを増し、快適なドライブであった。今日の入園者第1号は私。この時期の花公園は、ラベンダーや向日葵が終わり、コスモスはこれからで、やっと「鶏頭」と「サルビア」が満開であった。よく見かける鶏頭は真っ赤なのばかりなのでそれ一色だけかと思ったら、赤、黄、ピンク、薄茶と色違いの鶏頭がレイアウトよろしく植えてあり、眺めが楽しめた。赤、青、白のサルビアもなかなか見応えがあった。
 ここ「くじゅう花公園」は植栽も遊歩道など敷地全体が清掃が行き届き、いつ訪れても久住の山麓に広がる風景が楽しめるので私のお気に入りのスポットなのだが、コスモスに間がまだある今日は、入園者も少なく、山肌を吹く爽やかな風を存分に楽しむことが出来た。 
ひごたい 2010年08月15日(日曜日)  立秋が過ぎて、阿蘇の山地は秋の気配が濃くなってきたようだ。八月盆の中日、おおむねこの日頃から熊本の北辺にある産山村「ヒゴタイ公園」の「ひごたい」が見頃を迎える。「ヒゴタイ」とはアザミの仲間で、太古、九州が中国大陸と陸続きであったことの証左だといわれる植物であるが、近年、純粋種が減少し絶滅が危惧されている。
 市街地の我が家を出るときには、雲はあったものの日差しは相変わらず灼熱の厳しさを感じさせるものであったが、阿蘇山地に入り、北へと坂を上っていくうちに、雲が広がり、吹く風は次第に冷たい秋風に変わった。
 ヒゴタイとともに、今可憐なカワラナデシコやオミナエシ、ユウスゲも今を盛りと咲き競っていた。クレオメの花はこれからと見えた。  
古代ハス 2010年07月22日(木曜日)  今年の梅雨は男梅雨で、特に終期が近づき暴れようが激しくなったために、17日に梅雨が明け、七月盆が終わって精霊流しの記事が目に入るまで、古代ハスのことはすっかり忘れて仕舞っていた。
 例年、お盆の季節が近づけば、今は山鹿市に合併されている装飾古墳館のある「鹿央古代の森」の古代ハスが話題になるのだが、今年はワールドカップのニュースに加えて参議院議員の選挙があり、与党の惨敗振りが予想以上の規模だったことなどで、ハスの話題はすっかり小さくなってしまったようだ。
 私は例年、梅雨の頃の楽しい点景の一つとして、古代ハスの咲いている様を写しに出掛けていたのだが、今年はたまたまボランティア活動の手伝いを依頼され、それで忙しくなったことから、今年はすっかり予定に入れ損なっていたのだった。
 お盆過ぎで、時期遅れでどうなのだろうかという不安はあったが、兎に角一目見て・・・と早朝、出掛けたのだった。確かに咲いたばかりの初々しさは味わえなかったが、紅の滲むような色彩は、いわば成熟した婦人の雰囲気とでも例えようか。初めての眺めではあったが、この時期の景色も満更ではないと思った次第。  
梅雨明けの日の湖面 2010年07月17日(土曜日)  今年の梅雨は久しぶりに良く降ってくれた、というよりも、末期には豪雨が集中して、各地で大きな被害が発生してしまった。
 陽性の降雨のせいで、なかなか撮影行に出掛けられないまま今日の梅雨明けを迎えた。朝から青空が広がった今日は、朝一番にサイクリングを兼ねて江津湖へ出掛けた。連日の雨水を満々と湛えた湖の岸辺には、早くも老若の太公望が竿を連ね、ボート部の艇庫からは一人乗りのボートが早速漕ぎ出していた。電動モーターで駆動するため、ほとんど無音の釣り船も魚影を追いつつ湖面を過ぎる。
 昨日までの厚い雨雲に代わって、空には入道雲に変化しそうな雲形が盛り上がり始めた。「夏来る」である。  
住吉神社の紫陽花 2010年06月16日(水曜日)  「梅雨の晴れ間」というのだろう、朝からすっきりとした青空が広がり、風も爽やか。県下でも指折りの株数といわれる宇土市の住吉神社(住吉自然公園内)のアジサイ園を訪れた。
 初めての訪問だったが、ナビの導くままに走って大した苦労もなく到着。天草に向かう途中の岬にその神社はあった。寡聞にして知らなかったが、この地は古代海運が有力な移動と運搬の手段であった頃、熊本に寄港する際の要衝地点であったようで、当神社の沖合にある岩礁?は「たはれ島」と名付けられて伊勢物語、枕草子、あるいは後選和歌集などに詠まれているという。
 また、神社境内地には1924年に細川藩主によって灯台が寄進されており、日本最古の灯台と書いてあった(なお、昭和8年にコンクリート製に造り替えられたが、ここの灯台は今なお現役である)。
 海に沿って湾曲する岬に面する斜面一帯がアジサイ園で、公称2,000本の様々な種類と色合いのアジサイが栽培され、しかも手入れが行き届いている。次第に強まる日射しの下で咲き誇るさまは見事だった。  
紫陽花 2010年06月14日(月曜日)  漸く梅雨入りしたようだが、さっぱり雨が降らない。中四国以東ではそれなりの降雨があったようだが、九州では今日も、朝のほんの暫くは曇っていたが直ぐに青空が広がり、後は一日夏のような強烈な日射しが降り注ぐ。去年同様に今年も空梅雨かな?と心配である。
 ともあれ、梅雨時は紫陽花がもっとも美しい時である。夏の日射しを浴びつつ、江津湖とその周辺を紫陽花の群落を探し探し歩いた。江津湖では、早くも子供達が泳いでいた。子供達に取っては、もう夏なのだ。
 
薔薇 華麗に咲く 2010年06月03日(木曜日)  梅雨入り間近のここ数日は、朝から抜けるような青空が広がり、吹く風はやや強いものの湿度が低くさらりと爽やか。このお天気の誘われて、久しぶりに阿蘇内牧温泉近くのバラ園「はな阿蘇美」へ出掛けた。
 広い園内には、イングリッシュ・ローズを中心に沢山の薔薇が栽培されていて、いまそれらが次第に強まる日射しの下で咲き誇っていた。帰りしな、薔薇ではないが不思議な可愛い一本に目がとまった。近寄ってラベルを読むと「柏葉アジサイ」とある。梅雨時に咲くアジサイとは全く似ても似つかぬ形であり色であるが、その名前に惹かれて写した一枚。図鑑で調べたら北米系の紫陽花のひとつで、葉っぱが「柏」に似ているからこの名前だそうだ。
 阿蘇谷は早くも田植えが進んでおり、茶褐色に実った麦畑と、満々と水を湛えた田植えが済んだばかりの水田とが隣り合わせに並ぶ。
梅雨入り間近? 2010年05月26日(水曜日)  走り梅雨というのだろうが、今年の先駆けの降り様は「豪快」と言うか、強風に時には雷も伴って、とにかく陽性の雨である。茶褐色に熟れた麦畑が今大急ぎで収穫されている所だが、水前寺の湧き水を豊かに湛える江津湖畔では、アジサイが花を開き始めた。
 咲き始めでまだ色合いは淡いが、若緑の木立の合間から、アジサイの花が見え隠れする様になると、いよいよ梅雨間近の感を深くする。爽やかな「みどりの風」がまもなくじっとりと湿気を含んだ風に変わる日も近い。
 
新緑の久住山麓 2010年05月08日(土曜日)  先週訪れた「フラワーヒル菊池高原」も同様だが、今春は厳しい寒気が幾度も襲来したせいで、春の花々の開花が遅らされた。ここ「くじゅう花公園」のポピー畑は、例年だとGWには満開になって来園客を大いに楽しませてくれるのだが、今春はご覧の通り、GWが終わって漸く五分〜七分咲きの状態である。芝桜にいたってはやっと五分咲き。
 今春は野暮用でGWに来ることが出来なかった私にとって、例年よりも遅い春が、今、実に瑞々しい新緑の木々のたたずまいを存分に楽しませてくれた。
浅 春 2010年04月30日(金曜日)  GWは春らしい陽気で晴れてくれたが、それまでの気温の変化がかなりの寒気を伴っていたがために、今日訪れたフラワーヒル菊池高原の花たちは昨年までに比べてかなり開花が遅くなっていた。
 たとえば、入って真正面に見える丘の斜面は、例年ならばこの時期には一面濃いピンクの芝桜が一面に燃えるように広がり、木立の新緑と競っているのだが、今年はご覧の通りで漸く花が開き初めたばかりの状態である。何とか纏まって花畑を形作っていたのはチューリップと西洋石楠花くらいだった。
 
吉野山千本桜 2010年04月12日(月曜日)  地元のバス会社のツアーに参加して奈良の「吉野山千本桜」を見てきた。今年は開花が早く満開は9日だったとかで、盛りが過ぎて葉桜に移りつつあったし、また折悪しく小雨が降り続くなどの悪条件下ではあったが、初めての吉野山はそれなりの美しさを見せてくれた。
 それにしても、あの狭い山中に驚くほど多くの観光バスが集まり、従って当然ながら、夥しい数の観光客が行き来するさまは壮観としかいいようがない。これで良く事故が起こらないものだ。
 なお、この写真は明け方、それまでに降った雨が霧となって山肌に沿って這い上がる中に浮かび上がる下千本七曲坂?の桜並木である。
百花繚乱のとき 2010年04月07日(水曜日)  桜花の散るのは早く、八重桜を残してもう葉桜である。代わりに、もうハナミズキが、ツツジが、そして藤が風に吹かれながら紫の房を揺らしている。
 これまでは、寒気と暖気が代わりばんこに襲来しては、極端な温度差で我々を翻弄してくれたが、これからは、そろそろ一日ごとに暖かさが増して本当の春が訪れてくれるだろう。というより、昨日のように一気に25℃の夏日になって仕舞わないで欲しいものだ。
 
桜花爛漫 2010年03月27日(土曜日)  寒気がぶり返して、今朝などは零下の気温となったが、桜花は今日明日辺りで満開になりそうな順調さである。
 昨日に比べると今日は寒気が緩み、風も穏やかなので、満開の熊本城の桜を見に出かけた。一週間ほど前のちらりほらりの状態が、今日は枝にはほぼびっしりと花が群がって咲いていて、離れて眺めると淡い紅色の絨毯がかかっているようだ。「花の雲」とは流石に俳聖芭蕉である。
 昨夜の私たちの花見の宴はあまりの寒気に屋内に避難せざるを得なかったが、今日はどうやら屋外で、桜花の下で楽しめそうだ。城内の各所に青いビニールシートが人待ち顔に広げられていた。
桜咲く 2010年03月21日(日曜日)  熊本市の開花が宣言されたのが16日。その後寒暖の目まぐるしい交替があり、昨日などは激しい嵐が吹き荒れたが、今日は朝から見事な青空が広がった。そこで、探桜の始めに熊本城に向かう。
 春分の日を挟む三連休の中日だし、「春のお城祭り」の催しも行われていることから、お城は随分の人出。開花状況は、所により8分咲きかと思えば別の木ではまだ3分咲き辺り。この違いは日当たりの良し悪しだけではないようだ。近づいて眺めると、開いたばかりの初々しい花弁の様子が可愛い。
 
春近し 2010年03月04日(木曜日)  春が近づいて来ているからだろう、低気圧が次々に接近、雨の日が続き、その雨も、以前のような冷たさは無く、寒暖を繰り返しつつも、最低気温はそれなりに上がってきている。日によっては3月下旬〜4月上旬の暖気となることがあったため、3日ほど前から文字通り私には「突然に」いつものサイクリングコース脇の白木蓮が一気に開いた。その白さが眩しいくらい。
 そこで、今日もしょぼしょぼと降る雨の中を市の動植物園へ春の花の様子を見に出かけた。入園者はごく僅か。むしろ来たるべき陽光の春に向けて準備に忙しい植木職人の数の方が多く目に付く。
 白木蓮が満開で、雪柳も今が盛り。紫木蓮とこぶしは蕾だった。トサミズキが黄色い花を付け、しだれ柳の新芽が瑞々しく、猫柳の綿毛が膨らんで今にも弾けそう。厚い雨雲の下、大方がモノトーンの中で、柊南天の赤い葉と時計台の周りの菜の花の黄色が目に残った。
浅 春 2010年02月20日(土曜日)  二十四節気の「雨水」を迎えたのに厳しい寒気が残ると嘆いていたら、翌日から三月の陽気になってくれた。朝から空は青く澄んで日射しが柔らかく暖めてくれる。そこで市の東郊の田園地帯へ春を探しに出かけた。
 ここはこれまでにも毎年この頃に散策して芹やタンポポなどを見つけて喜んだところだが、今日の狙いは土筆である。そのためには地面すれすれの低い位置での撮影も必要かもしれないと、今日は液晶ファインダーがフリーアングルとなるOlympus E-10を何年ぶりかで引っ張り出した。
 小川のほとりでは思いがけず白い綿毛に包まれた猫柳の花が反逆光に光っているところに出会えた。しかし、肝心の土筆んぼが中々見つからない。近頃では農道の整備が進んできたために、土筆が生えるような手つかずの地面が少なくなってしまったのだろう。1時間ほども探し回ったろうか、それでも見つけられず諦めて戻ろうとして辺りを何気なく見回したら、少し先の川縁に野焼きの後の黒い地面があり、そこに何か白い産毛のようなものがある。近寄ると、それはあんなに探して見つからなかった土筆であった。  昔、戦争中の国民学校の国語?の教科書に載っていた次の詩を思い出した。
つくし だれの子 すぎなの子
土手の土 そっと上げて     つくしのぼうやが のぞいたら
外は そよそよ 春の風
 
谷尾崎梅林公園 2010年02月14日(日曜日)  ほぼ2週間ぶりに市の西郊にある谷尾崎梅林公園を訪れた。数日前は南九州に春一番が吹いたと報じられたほどに強い風雨があって、その後再び相当の寒気が侵入してきたりしたためであろうか、やっと5分咲きというところだった。観梅の客はごく疎らで、梅が枝餅を売る屋台で開いていたのは1軒のみ。
 先回訪れたときには浮牡丹と青軸の2種だけが開花していたが、今日になると鶯宿倍は紅白共にほぼ満開、薩摩紅梅も濃い紅の花を開き、薄紅の藤牡丹、薄緑を感じさせる緑萼、光源氏も白い花を開き始めていた。宮本武蔵が座したとされる座禅石がある高台では紅白の梅の花が満開で、近所の幼い子供達がその下で楽しそうに追いかけっこ遊びをしていた。
熊本城飯田丸梅園 2010年02月07日(日曜日)  立春が過ぎ、朝夕の冷え込みは変わらないが、お日様が顔を出す日は結構暖かいと感じることが多くなった。そろそろ梅も開いたんじゃないだろうかという期待も膨らむ。
 2週間前に訪れた時は一株の紅梅だけが花を付けていた熊本城の梅園は今日は白梅も含めてそこそこ花が開いていた。4〜5分咲きというところか。花の開く具合と、入場者数が妙に比例しているように思われて面白かった。
 なお、昨春竣工した本丸御殿では、往時の膳部を復元提供する試みが始まっているようだし、数寄屋丸二階御広間は嘗ては主に接客用として茶会、歌会、能などを楽しんだ建物で、平成元年に復元されたが、今日登楼したらその大広間には緋毛氈が敷かれて結婚披露宴の準備中だった。出席予定と思われる和服姿の女性が数人すでにそこに見られたが、和服と建物の雰囲気とがとてもしっくりと馴染んでいて、素晴らしい宴となるだろうと思われた。(写真には、数寄屋丸から梅園を俯瞰したものを含む)
 
梅ひらくA 2010年02月02日(火曜日)  あっという間に一月が過ぎ、初午の昨日はほぼ一日雨で、夕方には冷え込んだが、今日は青空が広がって気温も上がり、風の冷たさも1月とは違う感じである・・・「春近し」。明日は節分。そこで、そろそろ梅も開いたかな?と谷尾崎梅林公園まで出かけた。
 この公園は市の西郊にあたる金峰山の南麓にあり、細川家の菩提寺の別院跡で13種210本の梅樹がある。かって宮本武蔵が座禅を組んだと伝えられる座禅石があることでも知られるところだが、紅梅白梅とも漸く二本ほどが花を付け、他の木々の蕾はまだ固かったが、昨日の雨に洗われた地面の苔の緑がみずみずしく鮮やかだったのが印象に残った。
梅ひらく 2010年01月24日(日曜日)  朝から雲一つ無い快晴・微風となった。それほど寒く感じない。そこで、そろそろ梅が咲き始めてはいないだろうか?とカメラを抱えて出かけてみた。
 先ずは市立動植物園の梅園。ここには市内の旧家から寄贈された見事な鶯宿梅が何株もある。蕾は随分膨らんできてはいるが、花はそのうちの一株にだけ、ぽつりぽつりと白梅が僅か二輪咲いているのみ。
 そこで、先日地元紙で梅が咲き始めていると書かれていた熊本城の梅園に廻った。一株には紅梅がほぼ満開に近く付いていた。だが他の梅樹は蕾は膨らんでいるものの、まだ開くまでには至っていなかった。しかし、快晴の青空を背景にすっきりと聳える熊本城、そしてその前景の紅梅の取り合わせは、それなりに今日の小春日和の雰囲気を良く現していると思えた。  
菜の花 2010年01月20日(水曜日)  大寒の入りの日なのに、時ならぬ春の陽気の到来で熊本の気温は20.4℃まで上がった。西から寒気団が接近中とかで次第に薄雲が広がりつつある中を、今朝の新聞に掲載されていた菜の花を求めて天草にドライブした。
 天草五橋を渡って松島に入る。ここの松島総合センターの南側の田圃では公称100万本の菜の花が満開だった。さらに海岸沿いの道を走って暫くすると、松島有料道路の高架の下まで黄色い絨毯が広がっていた。ここ天草市有明町浦甫では2,000万本もの菜の花を約30ヘクタールの田圃に栽培して3年目だという。一足早い春の到来を満喫できた一時であった。
 でも、大寒期間中だから、こんな馬鹿陽気が長続きするはずもない。明日からまた寒波が襲来するとの予報である。
雪の朝 2010年01月13日(水曜日)  夜中から降り出した雪が積もって、朝、カーテンを開けると外は一面の雪景色。熊本市内に積雪を記録したのは平成17年12月以来で、積雪量7センチの記録は26年?振りだとか。
 なお雪は降り止まず、この滅多にない機会を逃してなるものかと、朝食もそこそこにカメラを抱えて出かける。目指すは江津湖。道に積もる雪は深く踝に届きそうで、長靴を履いて来て良かったと思った。
 途中の市立総合体育館前には忘れられた自転車がぽつんと一台、ハンドルもサドルも車輪カバーや荷台の上にも厚く雪が積もっていた。江津湖畔に到着した頃、再び降雪が激しくなり、少し離れると何もかも真っ白で見えないし、撮れない。四阿のそばの丸いベンチの朱色が、白一色の中で浮き上がって見えた。
 上江津湖から下江津湖へと雪道を辿って歩いて行くうちに幾らか小降りになってきて、下江津湖の湖中の小島がうっすらと見えてきた。湖岸の柳は風で斜めにかしいで、その枝葉にまで雪が白く付着している。母親と一緒に歩いてきた男の子のホッペタが寒さで真っ赤だった。  
水 仙    2010年01月09日(土曜日)  新年を迎えてのんびりしているうちに、もう松がとれて明後日は成人の日。時の経つのが早いこと早いこと。
 今日は南国熊本でも最低気温が零度以下となり、10時を過ぎても自転車で走っていると耳が痛いほど空気が冷たかった。その中を植物園まで出かけた。
 梅に先駆けて春の近きを知らせてくれる水仙が花を開き始めていた。指先が凍えるほどに冷たい北風にも負けずにすっくと背筋を伸ばして凛と咲いているその姿は健気で美しい。今年もいろんな意味で逆風が厳しいだろうが、この水仙にあやかって私もがんばろうと思う。