updated on June 5, 2020


MITSUI's MONOLOGUES


三井の、昔語り対談掲載公開されました。


 COVID-19という、かつてなかったような新型の疫病により、全世界が脅かされ、震撼している真っ最中、社会経済全体が危機の只中にあって、およそ時代にそぐわないような私の「回顧」対談(長山宗広氏と)が、『商工金融』誌に掲載されました。

 1970年代から80年代、そして90年代、世界的な「中小企業への注目」の機運の只中を生きられた、私の個人的経験の思い出話中心ですが、そういった「後ろ向きのお話し」も、何かの役に立つかも知れません。なお、このピンボケ感は、対談自体が持たれたのが、昨年12月のことだったということで、どうかご寛容下さい。

 この中に重大な記載ミスがあり、商工総合研究所のご厚意で、pdf公開版を訂正頂きました。下記のリンクは訂正版のものです。
 同誌当該ページは、商工総合研究所のwebサイト上から、pdfダウンロード閲覧できます



メイルアドレスに関する重要なお知らせ



 三井は従来、前勤務先の横浜国立大学YNUの提供する「パーマネントアドレス」ynu.jpを公式のメイルアドレスに指定してきましたが、「大学トップマネジメントの決定により」、これは在学生以外にサービス提供しないことになったという通知がありました。2019年9月30日以降、このアドレス宛でのメイル送受信はできなくなります。

 今後メイルを下さいます際には、下記のもの(個人契約しているサービスプロバイダ提供)をご使用下さい。

 

下記=このページの最下部




いよいよ完全リタイアです



 「セミリタイア」を宣言してからさらに9ヶ月、この3月末をもって、公職をすべて終えます。

 この一年間、嘉悦大学大学院客員教授として、院生の指導と授業を担当してきましたが、それもこれで終わりとなります。幸いに、「最後の」院生諸君も無事修了をすることになり、3月20日は「学位授与式」で、学位記が渡されました。「最後の仕事」としての共著・嘉悦大学大学院叢書も刊行されました。それ故、正真正銘「やり残した」ことはありません。


 いまもなお、「頼まれた」仕事、名前のうえの会長職とか委員長職といったものもいくつか続けておりますが、教員職のような責任のもとではないなどと申したら怒られましょうか。「頼まれれば、可能な限り引き受ける」のが私の社会的な務めと考えて参った、それには今も昔も変わりありませんが、この歳でもありますから、自ずと減って参ります。それらを含め、身辺整理のこの頃でもあります。一年前、嘉悦大学から撤収したその後始末も大部分出来ていないままでもありましたので、いまごろ少し精を出し始めております。要するにゴミの山との闘いです。

 40年近い大学教員生活の喜び、やりがい、そして悲しみ、そうしたすべてを胸にしまい、ときに過去のよき思い出に耽り、文字通りの余生を静かに送るのみなのか、静かに送る前にこちらの体が壊れるのか、それに一喜一憂もせず、一日一日の時間の過ぎていくのを、淡々と眺めやっているような思いです。




人生なかばリタイアしました



 一年あまり前の大きな悲しみ以来、積極的な情報発信も、公職や研究者としての責務も、なかば投げ出したような観で過ごしてきました。

 もちろんそれでも、所与の仕事はしてきましたし、「趣味」的な言動、発信も、しなくはありませんでした。絶対的な歳ゆえ、どうにも気力体力の失せていることは否定できませんが。
 それら「やっていること」「思うこと」については、「なんのたしにもならないお話し」の方で、まだ更新追加をしております。また、一年半前からFaceBookには、何かとお騒がせくらいはしております。「仕事」で、ミャンマーネピードーにも、韓国公州市にも行きました。


 その上、いよいよ本年3月をもって正式に公職を退きました。「自己紹介」および「新しい情報(研究・対外活動)」にはすでに記しております通りです。

 現在の私は、名目としては「横浜国立大学名誉教授」、及び「嘉悦大学大学院客員教授」となります。前の方はその通りの「名誉」だけ、あとの方では教育上の責務はあります。そのため、本年度も週一、出講はしておりますものの、正直には、人生半分終えてしまったような観です。よくできたもので、身体の方もあちこち壊れ出しました。


 この先、自分にどれだけの時間が残されているのかわかりませんが、そんなにないこともまちがいないでしょう。
 そうした意味を含め、誠に勝手千万ながら、「なかばリタイア」とさせて頂きます。すでに、JICSBの委員長職も退かせて頂きました。




「和美君の死を前にして」



 齢七〇歳にして、あまりに悲しい出来事に向かい合わねばならなくなりました。

 ひとの定めに対し無力である以上に、自分自身の思いの整理がつきません。

 いい歳をして、恥ずかしいことながら、これがいまの私です。心定まらぬ自分自身をそのままに記してしまいました。

 ひとさまに読んで頂く代物ではありませんが、「なんのたしにもならないお話し」第44回として。


三井の、なんのたしにもならないお話し 44               




HANJO HANJOにコラムを書いています



 依頼を頂き、webマガジンHANJO HANJO誌にコラムを書いています。

 中小企業の経営に関わることとして、所感を記しております。


 下記をご覧ください。

HANJO HANJOのサイトへ               




ドバイと、ボルネオ島ミリに行ってきました


 JICSB委員長として、2015年にはICSB第60回大会の開催されたUAEドバイ市、またACSB第3回大会の開催されたマレーシアサラワク州ミリ市(ボルネオ島 −「島」と言っても日本より広いのですが)に行ってきました。

 ミャンマーヤンゴン市を含めて、2015年は暑いところばかりに行った思いですが、それだけにもろもろの経験の印象は鮮烈でした。特にボルネオ島には個人的なかかわりもあります。

 
 JICSBのwebサイトに、私の「帰朝報告」が掲載されています。

 ICSBドバイ大会参加記

 ACSBミリ大会参加記





ミャンマーに行ってきました



 私にとっては初めて訪れる国、ミャンマーに行ってきました。


 いろいろ興味深い経験ができましたが、その一部を記させて頂きます


 なお、この訪問は、ミャンマー経済・投資センター主催の「中小企業セミナー(ミッション)」への同行です。





駒澤大学三井ゼミ卒業生・北島秀一君への追悼記


 駒澤大学経済学部三井演習(ゼミナール)卒業生で、ラーメン評論家として活躍していた北島秀一君(しう)が、2014年9月に亡くなりました。



 ここに、追悼の思いを記しました




三井は、嘉悦大学に勤務しています


 横浜国立大学を定年退職し、三井は嘉悦大学大学院ビジネス創造研究科に2012年4月から勤務しております。

 嘉悦学園は110年の歴史を持つ、女子実学教育の祖です。嘉悦大学自体は2001年の創立(前身の日本女子経済短期大学は1950年創立)と、まだ歴史は浅いですが、学園の伝統を踏まえ、「豊かな教養と高い経済知識を備えた」人材教育、新しい時代における実学教育をめざしています。

 嘉悦大学は経営経済学部、ビジネス創造学部の二学部(男女共学制)からなり、また大学院ビジネス創造研究科(修士課程、博士後期課程)は「実践知に根ざす学術研究能力を持つ人材の育成」を掲げ、特に中小企業に関する研究・教育を意図する、独自の性格を特徴としています。
 「日本経済・社会の発展のカギを握る中小企業にスポットをあて、その役割やイノベーションに関する研究教育」を明確に示した大学院研究科は全国にも例を見ません。

 三井は、これまで31年間の大学教員生活、自身の研究と教育の経験を踏まえ、東京多摩小平の地で、嘉悦大学の発展と、日本と世界の中小企業研究、企業家論・新事業創造論等の応用実践に尽くしております。

 2012年秋の、日本中小企業学会第32回全国大会も、嘉悦大学において開催されました(大会準備委員長 黒瀬直宏 嘉悦大学大学院ビジネス創造研究科長)。


 嘉悦大学に関するお問い合わせは、こちらに

 三井の、嘉悦大学大学院のすすめ。




これは黙っちゃいられない、某テレビ局の「居直り」と「社会的(無)責任」を問う


 「ブログ知識人」を絶対めざさない私ですが、これは黙っちゃいられないという思いで、あえて某テレビ局の「社会的無責任」を問いました。

 「企業の社会的責任」という概念は、テレビやさんたちには「例外」となるのか、ぜひに聞きたいところです。


  → 「なんのたしにもならないお話し」第36話へ  (2014.01.23記)




三井の横浜国大での最終講義がもたれました


 三井は2012年3月31日をもって、横浜国立大学を定年退職しました。

 それに伴い、「最終講義」が3月24日に大学内で開催されました。
 おおぜいのかたがたが各地から、また学内から集ってくれました。


 詳しくはこちら


☆なお、退職にあたり三井は「横浜国立大学 名誉教授」の号を頂きました。
 11年間しか勤務をしていない私がそのようなものを頂戴するのはおそれおおいことですが、横浜国大の学内規程および諸先生方の特段のご配慮ご推薦あってのもので、一学究としての私には身に余る光栄と感謝しております。

 これはまた、31年間にわたり私とともに学び、研究し、議論を交わし、また世のために尽くしてきてくれた、のべ六百名に迫る卒業生・修了生の人たちの名誉でもありましょう。なにより私はそうした人たち、さらには数多くの企業経営者や行政関係者、実践家などの方々からもっとも多くのものを学んできたのですから。


*皮肉なことに、11年前に前任校駒澤大学を去るについて記したもの、いまだネット上に「生きている」のを発見してしまいました。

 11年間に、ここに記したに相応しいことをなしえたのか、今さらながら問われる思いがします。
 それにしても、11年なんてあっという間ですね。いたずらに馬齢を重ねるとは、よく言ったものです。

 思い起こせば、この11年前にも同僚諸先生方らのご尽力で、「最終講義」のようなものをやらせてもらい、またそのあとの記念パーティにやはり多くの卒業生諸君らが集ってくれました。もう、この次、三度目はないでしょうけれど。




三井の紹介、『毎日新聞』に「ひと」記事が載りました


 「中小企業憲章」や中小企業研究の進展などに関して、三井のインタビュー記事が『毎日新聞』2011年8月29日号の「ひと」欄に載りました。

 こちらもどうぞ



三井の、「ICSBソウル大会に行ってきました」その1、2、3、4、5全編掲載


 2009年6月に韓国ソウルで開かれた、ICSB国際中小企業協議会の第54回大会に出てきましたので、ソウル訪問記を含めて、そのお話を掲載しました





 三井の、「大学を考えよう」シリーズ番外地編・
「セイホク大学のジョーダン」(初稿1998年) 復活を余儀なくされる!


 「ひろまつすずこ」嬢とセイホク大学が演じてきたお粗末な笑劇は、ニッポンの大学の落ち行く先を示してくれたうえで、とっくに大団円でした。


 ところが、セイホク大学はまた一騒動おこしてくれるということで、「あれはどうなんだ!?」とコメントを求める問い合わせが殺到しています。
 やむなく、「復活」に至りました。


 「大学を考えよう」シリーズは、「三井ゼミメモリアルサイト」のここのページをご覧下さい




三井の、「ロンドン絵日記」(1998-99年)後日談、
「10年ぶりのISBE英国中小企業研究学会出席」一挙掲載


 1998年秋にひらかれたISBA(いまはISBE)のダラム大会から10年目、ベルファスト大会に出ることができましたので、そのお話を一挙掲載しました

 「絵入り」です。




  三井の、「なんのたしにもならないお話し」


 新しい「お話し」、第25回「ああ一眼デジカメ」を、掲載しました。
 第22回「デジカメって、ホントにいいの?」の続編です。O社の「デジイチ PEN」登場に思うところです。  

 第14回「土光のメザシ」にも、最新新横浜駅事情の追補をしました。




これまでの、「三井の、なんのたしにもならないお話し」シリーズの目次は、ここ



三井昌志の本・第五作『スマイルプラネット』新発売!!

 私の甥である三井昌志(フリーのライター・フォトグラファー)が 一年近くにわたるユーラシア旅行のなかで出会ってきた、それぞれの地に生きる子供たち、老人などさまざまな人々の表情をとらえた写真集『アジアの瞳』が2003年末に刊行され、多大の反響を呼びました。

 澄んだ瞳と豊かな表情の数々が、見るものの心になにかを呼び覚ましてくれる、「この写真集を手にすると、ページを繰ると、私自身が微笑んでいる」、そんな反響が全国から寄せられています。

 第二弾としてさらにスリランカなどでの大津波の惨禍、その中に生きる人々の表情を描いたフォトドキュメンタリー、『素顔のアジア』(ソフトバンクパブリッシング刊)が2005年9月に発売され、好評を博しました。

 2006年8月には三井昌志連作@『美少女の輝き』・A『子供達の笑顔』(グラフィック社刊)が同時発売となりました。

 さらに2008年10月を期して、最新作『スマイルプラネット』が、パロル舎から発売になっています(ISBN 9784894190764)。ぜひご覧ください。


 

 三井昌志写真・文『アジアンスマイル1 美少女の輝き』
 グラフィック社、2006年8月刊、1680円
    (ISBN4-7661-1679-8 C0072)

 三井昌志写真・文『アジアンスマイル2 子供達の笑顔』
 グラフィック社、2006年8月刊、1680円
    (ISBN4-7661-1680-1 C0072)


 三井昌志写真・文『素顔のアジア』
 ソフトバンクパブリッシング、2005年9月刊、1680円
    (ISBN4-7973-3218-2)


 三井昌志写真・文『アジアの瞳』
 スリーエーネットワーク、2003年12月刊、1600円
    (ISBN4-88319-288-1)


 MASAのページ「たびそら


 

 





  三井の、「ロンドン絵日記」(2003年版改訂増補済)復活!!

 三井が英国ロンドンに滞在した1998-99年の、身辺諸事や見たこと考えたことなど現地から綴った「絵日記」、いまにして評判を得ています。

 その続編として、2003年9月の現地調査行からの「絵日記」を新しく掲載しました。

 英国「最新情報」あり(旅行でホテルに泊まられる方々はぜひご注意!)

 「絵」を大幅追加して、ようやく「絵日記」らしくなっています。

 ここのページをご覧下さい


 1998-99年の「絵日記」は、こちらをご覧下さい

*この「絵日記」の12「血まみれの手はいまも世界を動かす」に、重大なミスがありました。今さらではありますが、訂正を致しました。



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  城北会同期生のための情報、掲載

 三井が卒業した高等学校の同窓会、城北会の同期生同士の交歓と連絡のための場が設けられました。


こちらのページ





  三井の、「ロンドン絵日記」(1998-99年)再録

 三井が英国キングストン大学客員教授としてロンドンに滞在した1998-99年の、身辺諸事や見たこと考えたことなど現地から綴った「絵日記」、いまにして評判を得ています。戦争はなぜ起こるのか、「西欧的社会」の意義と限界、大学や「学界事情」の東西比較など、最近これを読まれた方々から、「予見」ぶりを感じられる向きが少なくないようです。


 そこで、(以前から公開しているのですが)あらためて再録をすることにしました。こちらをご覧下さい

 時間の経過で、いまではつながらなくなったリンク先や写らない画像については、ご容赦下さい。





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