三井のロンドン絵日記(12)

血まみれの手は、いまも世界を動かす
BISものがたり

(2004訂正版)


 10月20日放映のBBC2のドキュメンタリー番組シリーズ「Time Watch」で、興味深いものを見ました。

 西欧メディアのプロパガンダ性を言いながら、それをまともに取り上げるのは、ちょっとおかしいという批判もあり得ますが、この場合、「ドイツナチ党政権がいかにして権力を握ったか」のシリーズもので、英国などにとっては忘れられない仇敵、その「内幕を暴く」というのは、それなりの意味もあり、検討の材料として見ても差し支えはないでしょう。

 この番組シリーズではこれまでも、ナチ党が権力を握り、その力を社会の隅々にまで及ぼして行くには、単なる「圧制」や「宣伝」だけでなく、ドイツ社会の根深い体質を最大限利用してきたことを取り上げたりしてきています。


 今回は、ドイツ以外の国々の金融機関が、ナチ党の権力掌握と再軍備、さらには戦争準備をどう裏から支え、あまつさえ、戦時中のユダヤ人らへの弾圧にどのようにかかわっていたかを描く、というものでした。

 既に、「中立国」スイスの銀行が、ヒトラーの要求で、強制収容所に送られたユダヤ人顧客の口座を凍結し、それを戦後50年間も黙っていたということ、ユダヤ人遺族らの要求でようやく、最近になって謝罪と口座資産の返還に応じ始めたということが、あちこちで大きく取り上げられています。この番組では、それ以外、米国や英国の大手銀行がナチスドイツの侵略に協力し、それで占領地内での営業を許され、さらにユダヤ人らの口座を凍結したり、ユダヤ人行員のリストを手渡したりしていたということが暴かれました。チェース銀行やバークレイ銀行、ウェストミンスター銀行の名が出てきていました。




 ここまでなら、あり得ることだなと、驚きもしませんが、衝撃的であったのは、国際金融機関BIS(Bank for International Settlements 国際決済銀行)の果たした重大な役割でした。BISは、第一次大戦後のベルサイユ条約による、敗戦国ドイツから取り立てた巨額の賠償金の取扱と分配を目的に、1930年に、日本を含む戦勝国とドイツによってスイスバーゼルに設立されたもので、いわば各国中央銀行と大手金融機関の代表の集まる場になってきていました。そして、その役割も各国からの預金、また融資仲介と金融支援にひろがり、きわめて重要な存在になっていったのです。そしてこの番組が暴いたのは、このBISがナチ党の政権掌握以降、積極的にドイツへの融資を仲介し、その再軍備を大いに支えたのみならず、ドイツがオーストリアやチェコを占領するたびに、ドイツ中央銀行の要求に応じて、これらの国の中央銀行がBISに預託していた金準備を引き渡したという事実です。しかも、チェコはドイツの侵略を恐れて、金準備の保管をイングランド銀行にゆだねていたのに、当時BISの理事でもあったイングランド銀行総裁は、チェコ亡命政権の抗議にもかかわらず、これをわざわざドイツに送ったというわけです。

 BIS理事会は、当時の各国中央銀行や大手金融機関の幹部たちの親しいサロンと化していました(今日生き残っている関係者の一人は、キンドゥルバーガー)。戦前ドイツのライヒスバンク総裁であったH.G.Hシャハトらは、この関係を戦争が終わるまで保っていたのです。そして、ドイツのポーランド侵略で世界大戦が始まったのちも、BISはその役割を続けていました。対戦国のカネが、まわりまわってドイツの戦費にも化けていたわけです。

 しかも、驚くべきことは、この戦時中のドイツのユダヤ人らの大虐殺、それはその持ち物の一片までも戦争費用に充てようという、想像を絶する「物理的人間収奪システム」をともなっており、死者の財産、所持品、衣服や貴金属はもちろんのこと、毛髪、眼鏡や金歯、体の脂肪まで搾り取って、「利用した」という、身の毛もよだつような事実があるわけですが、これにBISが手を貸していた疑いが濃いと、この番組は告発したのです。

 SS親衛隊らが、強制収容所で殺した多数の死体からはぎ取ってきた貴金属や金、これをスイス金貨に交換する役割をBISが引き受けていた、というわけです。その確証は残っていないけれど、可能性は大だということでした。もちろんBISの幹部や職員たちは、ドイツから渡される金塊などの「出所」は直接知らされなかったのかもしれませんが。

 戦時中、米国ルーズベルト政権の財務長官であったヘンリー・モーゲンソーは、米国の金融機関を含め、連合国側の多くの銀行などが絡んだBISの役割に、次第に疑念を深めていました。そして戦争末期、ブレトン=ウッズ会議の場で、BISの廃止を主張したのです。しかし、これに反対した一人が、英国政府代表であった、J.M.ケインズでした。彼は、新しい国際金融機関が戦後作られるまで、BISの存在は残すべきだとしたのです。

 結局、連合国はBISを生き残らせ、ルーズベルトの死で、モーゲンソーは職を失い、BISの果たした役割はうやむやになり、今日まで存在してきているわけです。モーゲンソーのもとで、金融機関の敵対国協力を追及していたスタッフは、戦後米国の「レッドパージ」の矢面に立たされ、一方BISの理事を務めた面々は、イングランド銀行総裁はじめ、そのまま名誉ある人生を送り、戦犯に問われたドイツ側のシャハトらも、連合国の「政策一変」で、早期に釈放され、西ドイツ経済界の重鎮をつとめたり、米国チェース銀行幹部に迎え入れられたりしました。



 番組はここまでですが、ここで多くのみなさんが、あることに気づくでしょう。BIS、最近よく聞く名です。そう、バブル崩壊以降の、今日の日本の金融混乱の引き金になったのは、「BIS規制」でした。各国の民間銀行の自己資本比率下限規制を「BIS規制」が定め、バブル崩壊の痛手と、多くの不良債権を抱え、内情が苦しくなってきていた民間金融機関は軒並み、この「BIS規制」をクリヤーするために、経営のリストラや貸し出し抑制を迫られ、果ては経営破綻、あるいは「貸し渋り」などを引き起こしてきたわけです。銀行の信用低下、超低金利下の金融市場逼迫、さらに株価暴落などが悪循環状況を招き、日本経済は「下降スパイラル」に陥った次第です。

 もちろんそれは、戦後日本の金融市場と金融機関の体質、バブルを招いたでたらめな経営の結果であり、「身から出た錆」であることは間違いありません。しかし、そのきっかけが、後ろめたいなんていうもんじゃない、60年前の亡霊BISの存在から出てきたということは、誠に興味深いのではないでしょうか。

 生き残ったBISがなんでそんなに重要な存在にまでなってしまったのか、ものの本によりますと、こういう事情です。 戦後IMF国際通貨基金ができたことで、BISは清算される運命にありました。しかし、1950年発足の欧州支払同盟(EPU)、その後の58年の欧州通貨協定(EMA)、79年発足の欧州通貨制度(EMS)といった欧州の各国間金融業務の事務を委託され、BIS は存続したのです。さらに、70年代以降、先進各国の金融情勢の悪化があるたびに、BISはその支援にあたり、またこれを支える各国中央銀行間の政策協調の場となり、多額の出資金と中央銀行幹部の参加を得て、BISは国際的権威を持つに至ったのです。

 もちろん、現在もBIS の主要業務には、国際機関の決済事務、金取引、各国中央銀行からの預金受入れなどが含まれています。正真正銘、多くの人間の血にまみれたカネを「ロンダリング」(洗浄)してきたその手が、いまじゃあ世界各国の経済を左右する指図もやっているという構図です。



 考えてみれば、「グローバル化」って、そういうことなんでしょう。「世界が一つになって、平和になる」なんていうおめでたい想像とはまったく異質の、「勝者=強者の論理」に、他の世界を有無を言わせず従わせる、これでしかないのです。「勝てば官軍」、それが世界の「物差し」になり、これからはずれるものは、「のけもの」か、「叩きつぶされる」かになる、それを「グローバルスタンダード」ないしは、「世界の秩序」と公称するわけです。そして、その「強者」の過去がどうであっても、これが「世界の中心」である以上、誰もそれを問いただすことはできません。

 「国連」(UN=United Nations=「連合国」)がなぜ、いまも「主権国家」米国の一都市に置かれ、その管理下にあるのか、これも実はわかりやすいことです。あるいはまた、米ソ対立の「冷戦」が終わったのではなく、第一次・第二次大戦同様、「米英が勝利した」=敵を叩きふせた、という構図が実態であることも、これでわかります。

 だいぶまえに、英国の新聞は書いていました。「セルビアを爆撃する」というのに、ロシアがなんのかんのと逆らうのなら、言ってやれ、それならカネはもうやらないぞ、と。「勝ったもの、強いものに従え」、これ以外、「西欧社会」の眼中にある「基準」はありません。

 BISの血に染まった歴史は、「国際化時代」の「未来世界」がどういうものであるかを、「敗戦国」によく教えてくれています。



BISのページ



 *ちなみに、ブレア英国首相が胸を張って、「正しい政府を武力で倒したシェラレオーネ軍人政権を、我が国政府の協力で、『傭兵会社』が追放した、その何が悪い」と言ってのけたその後です。その復活した正統政権は、今度、「軍部クーデターにかかわっていた」容疑のかどで、「英国クック外相の要請にもかかわらず」、多数の将兵を銃殺刑に処したそうです。もちろん、これはほとんどだれも気づかない、ごく小さなニュースでした。


 それから、ホントじょーだんではなく、「シン・フェイン=IRAの政治組織」の長と呼ばれてきたジェリー・アダムス氏は、いまや「自由と平和の戦士」扱いで、先日も米国訪問中(資金集め)に開かれた「誕生パーティ」には、多数の有名人が出席、カーリー・サイモンが「Happy birthday, Mr. President!」と唱ったそうです(彼はシン・フェインの「プレジデント」=党首である。不倫トンじゃないから、「アメリカ合州国」のプレジデントじゃないけれど)。もう少しで、「ノーベル平和賞」にも手が届くところでした。




訂正


 1998年に書かれた上記の文では、米政府としてBISの廃止を主張したのが、ハンス・モーゲンソー(亡命ドイツ人、のちの著名な政治学者)としました。これは間違いであるという指摘をご覧になった方から頂きました。たしかに、調べてみるとブレトン・ウッズ会議に出ているのは財務長官ヘンリー・モーゲンソーでした。お恥ずかしいことでしたが、完全に私の勘違いのようです。

 言い訳をしますと、上記の文はBBCの番組を見ただけで書いたのであるうえ、またロンドンにあって手元に十分な資料などがなかったためでもあります。もちろん私は米国政治史や行政史の専門家でもないので、あとからででもよく調べてみるべきでした。


 読者の方々にお詫びを申し上げるとともに、今さらながらですが訂正を致しました。


January 11, 2004


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