三井の、「ロンドン絵日記」後日談
 
10年ぶりのISBE英国中小企業研究学会出席
 
 
 

 
10年ぶりのISBEはベルファストで
 
 JASBS日本中小企業学会のカウンターパートと言える、ISBE英国中小企業研究学会の第31回全国大会に出てきました。
 この前に出たというのは1998年のことですから、ちょうど10年ぶりです。それ以来会費は払い続けてきましたけれど(「滞納」もありましたが)、まあ外国のことなので、なかなかそこまで足を伸ばす機会もありませんでした。
 今回は比較的スケジュールが取れたのと、今次大会がISBC国際中小企業会議の第35回世界大会との共同開催となり、内容も盛りだくさんであったこと、また開催地がベルファストという、いままで行ったことがないところのうえ、南のアイルランド共和国には近年関心を持って訪れてきており、その関係も知り得るということで、がんばって来てみた次第です。
 
 過去のISBE(以前はISBA)への参加のお話はこちらを参照ください。今回は当然、10年でどう変わったかという興味もありますし。

 
 ベルファストにいままで行ったことがないというのはあまり不自然でもなく、機会がなかったうえに、やはりちょっと危ないところという印象も避けられなかったからです。多年にわたる「北アイルランド紛争」の爪痕はまだ生々しいわけですし、政治的社会的に安定してきたといわれるのはつい最近の話ですから。もちろん来てみれば、どこにそんな痕があるのかいなという思いになりますが、よく見て回れば、実はあれ?と思わせるものがあちこちにあります。泊まっているホテルの近く、また会場ヨーロッパホテル周辺はいわゆる「ロイヤリスト」の地域(日本でいう「プロテスタント系住民」)で、壁にUVF(アルスター義勇軍)の姿や賛辞を大書した「壁画」はまだあちこちにあります。セントジョージの赤十字旗とユニオンジャックを組み合わせたものは少なからず見かけます。今回、いわゆるナショナリスト・リパプリカンの地区(日本でいう「カトリック系住民))のところを訪れる機会はありませんでしたが(当然ながら、ベルファストでは前者が多数派)、両者を隔てる「ベルファストの壁」は依然そびえているそうです。また、ホテル近くの警察署はなにごとかと思うような金網と塀に囲まれ、その中から監視塔が通りを睨んでいました。

 
 今回のISBC第35回世界大会を開催地として歓迎するのは地元ベルファスト市に加え、「北アイルランド自治政府」です。これはいままで、リパプリカンとユニオニストの対立から、何度も解散や機能停止、あるいは事実上のマヒに直面してきました。10年前にようやくなった「グッドフライデイアグリーメント」に合意をした、当時の二大党派であるSDLP社会民主労働党とUUPアルスター統一党には歩み寄りはあったものの、その後の選挙で両者は大きく後退、北アイルランド自治議会選挙で一、二位を占めたのは、この合意をともに否定してきたDUPアルスター民主統一党とシンフェインでした。ともに相手を人間としてさえ認め合わない同士が一緒に「自治政府」を組むなんていうことがあるのか、という世界の疑問に対し、結局両者もまた歩み寄り、北アイルランド自治政府の首相、副首相を分け合うということになりました。
 その後も何度も対立と危機があったようですが、「今のところ」アイルランド自治政府は存続しています。そして、今回のISBC第35回世界大会の案内には、現首相ピーター・ロビンソンと、副首相マーチン・マックギネスがともににこやかな顔で収まっています。首相は先頃まで、長年DUPの党首であったイアン・ペイスリーでしたが、彼が高齢を理由に引退したので、もうちょっと「ともに天を戴ける」関係の人間同士になったとも言えましょう。
 
 この二人が開会の歓迎の挨拶に出てきたら面白いな、まれに見る光景だなと期待していましたが、でてきたのは主催のケン・オニールアルスター大学教授のほか、自治政府の産業担当相、ケント侯爵らでした。
 
 それでもなお、私が着いた日の日中には、イラクから帰国した英国軍のRIRアイルランド部隊の「凱旋行進」をロイヤリストが歓迎し、リパプリカンはこれを非難するというデモの応酬がおき、ベルファスト市内は多くの警官が出てかなり緊張していたようです。シンフェインなどは米国のイラク侵略を真っ向批判はしていないのですが、これまで国内で弾圧の先頭に立っていたRIRなどを「歓迎はできない」という理由からでした。第三次イラク戦争はこういった新しい「構図」を生み出したようです。ロイヤリストは「英国万歳」なのですから、米英軍の進軍はすべて歓迎ということになりましょう。いずれにしても、これで「古い対立構図が新しいかたちで浮上した」とも言われています。これも戦争の副産物です。
 当日はシンフェインらの「妥協」で大きな衝突や混乱は起きなかった模様ですが、私が翌日市内を歩いていたら、まだロイヤリスト側の「我々の部隊を歓迎しよう」ポスターや電柱の黄色いリボンなどが残っていました。

 
 ベルファストの様子やISBCの模様の方は別として、ISBEの学会としての姿の方に焦点を当ててみましょう。ISBEはますます活発です。今回はもちろん国際会議と重なったということもありましょうが、参加者は以前に増して多く、また研究発表などはISBC関係をのぞいても、のべ230本にもなりました。これを3日間にわたり、また8〜9個の分科会で続けるのです。

 

 
多くの参加者と、国際性と
 
 ISBC関係もあわせた公式参加登録者は700人以上にのぼっていたようです。これら参加者の名簿は立派なものが、所属の国と機関ごと、また氏名のアルファベット順にそれぞれ整理されたもので用意されており、便利でした。

 
 単に参加者が多いだけではなく、実に国際色が豊かです。ISBEはその誕生からして基本的に英国の学会なのですし、大会は英国外でもたれたことはないのですが、必ずしも「英国の」ということはうたっていません。もちろん会員や発表の資格に国籍などは関係ありません(基本的に英語で、というのは求められています)。今回はもちろんISBCとの同時開催ということもありましょうが、欧州各国、とりわけ東欧、地中海沿岸諸国、中東、アフリカ、さらには東アジアやインドからの参加者も多数見られました。もちろんアメリカやカナダ、オーストラリアからの参加は以前からありますが、雰囲気としては事実上の国際学会です。これは当然ながら、英国のもつ旧植民地との社会面文化面でのつながりの深さ、欧州統合の進展、さらに英国の研究者らが東欧などでの「市場経済化」を支援してきたことの関係が反映されていると申せましょう。
 あとで詳しく触れますが、ISBEの現会長コレット・ヘンリーは女性であるとともに、ダンドーク技術校の所属です。ダンドークは国境の南なので(私の「1998-99年ロンドン絵日記」参照)、その点だけででも異色です。ともかく、私が10年前に感じたことと大きく違って、ISBEは文字通り「国際化」していました。

 

 
実践性と学問性の両立
 
 第二の特徴は「実践性」です。ISBEはその前身ISBA、さらにそのまた前の創立時からを含め、単に大学などの研究者だけではなく、政策関係者や支援機関等の関係者、もちろん企業経営者なども含めた幅広い組織と位置づけてきました。研究、政策立案、教育の3つが当初から重要な主題であり、その意味ユニークです。これは中小企業研究の歴史が比較的新しく、当初は大学に研究者は少なかったことも影響していましょう。しかしまた、会員資格といったものにこだわらず、広く会員を迎え入れる姿勢には、リベラルさとともに、英国でのアカデミズムというものの占める地位とこれを理解する世の中のコンセンサスにあるというのは、先の「絵日記」で「アカデミズムへの社会的評価の定着と制度化」として、私の示したところです。
 今次大会でも、主題が「国際的企業家精神」とされたのは象徴的です。これを学問的にどう理解し、どう議論するか自体が大きな主題であるとともに、各論者の論題や分科会ごとの主題を見ると、「企業家教育」、「企業家的実践」というところが「真に有効な中小企業政策」とともに重要な論点になってきています。特に企業家教育への関心は私も10年前から感じていたところですが、いまやもちろん英国に限らず、世界中の関心の的でした。ICSB国際中小企業協議会の世界大会も毎年そうです。今回のISBEでは、東欧やカメルーンでの企業家教育の報告までありました。

 
 企業家「教育」ですから、まさしく教育方法論的なものも多々あります。しかし、基本的にどのような主題でも、それが学問的な方法論にかなっているかどうかがまず重視されます。背景となる理論なり考え方、それによる研究の枠組み設定、目的、そして調査研究の方法と対象設定、結果の検討、結論と含意、こうした流れがすべて求められ、その枠内での発表となっています。研究を行う目的がきわめて実践的な教育方法や企業経営の手法にあっても、そこにいたる議論と実証的調査研究(empirical studies)の手続き・方法が明確でなければならないのです。
 これも10年前に書いたように、この学会をつくったジム・カランやジョン・スタンワースといった人たちが、アカデミズムの世界で市民権を得られるように苦労をしたこと、またその中で「空理空論」を避け、実証性を重視したことがそのまま継承されていると申せましょう。ただ、もちろん研究対象や参加者の広がりにより、すべて同じというわけにも行きません。また、とかく方法論ばかりかっこよすぎて、肝心のオリジナルな議論や主張が乏しい、あるいは立派な調査方法の話の割に、調査の対象があまりに少なすぎるんじゃないかという疑問を感じさせるものもあります。「空理空論」に議論が走ってしまっている向きもないことはありません。
 
 私が10年前にキングストン大学中小企業研究センターに滞在していた頃のリサーチスチューデントであったジュリア・ローズに今回再会できましたが、彼女はマンチェスターメトロポリタン大学の研究者になっていて立派であるだけじゃなく、昨年のISBE大会での「ベストディスカッションペーパー」に選ばれるなど、学界の評価も高いようです。それは実に嬉しいことでしたが、彼女の研究はいまや「ジェンダー企業家論」とも言うべきもので、文字通り日本でまだ聞いたことのない分野です。今回彼女の発表「体化された企業家 −妊娠という目から見て」というのは、聞くと華々しく挑戦的であるものの、「実証」は添え物で、まさに「空理空論」的なものにしか聞こえませんでした。「女性」であり、「妊娠すること」が多くの女性労働者同様に女性企業家にどれだけの困難をもたらしているか、そこにおける社会の「通念」肉体観と「視点」を突き、逆転の発想を説く議論は実に先鋭的で、会場の共感を呼んでいましたが、ロバートらの考え方や研究の仕方とはずいぶん遠くなってしまったなという思いも私にはありました。
 
 研究方法においては当学会は「量的研究」が比較的少なく、インタビュー調査や事例研究を重視する流れであるのも一つの特徴です。もちろんそこにも新しい方法や議論の発展は欠かせません。やはり10年前にキングストンのセンター博士課程研究員であったジョン・キッチンは今回「批判的実在論(現実主義)」をひっさげ、通説的な「調査」から出てくる、「規制があって事業に困りますか?」→「そうですね」、「以下のうちどれが問題ですか?」→「書類が多すぎて困っています」式の「回答」で短絡的に、「規制・行政負担緩和の政策がいる」などという「含意」を引き出すような発想を批判しました。むしろ実証主義を克服し、仮定されるような前提理論や因果関係論をいったん外し、ともかく客観的現実的に実態を見て、そこに読み取れる関係からこそ含意を引き出すべきだというのです。だから環境条件によっては、規制が事業機会や事業発展につながることにもなります。そのために、インタビュー調査でもできるだけ「事業成果」の方から規制等の存在をさかのぼって確認していこうというわけです。なかなか面白いというか、考えようによっては当たり前にも聞こえますが、要素還元論と単純な因果関係論に落ち込むと、こういったお馬鹿な推論が横行することになる、そこに対する批判でもありましょう。
 ジョンはずっとキングトンのセンター研究員のままなので、やはり10年ぶりの再会にどうなのと聞いたら、「奴隷のようなもんよ」と自嘲していました。ぶっきらぼうなところといい、その辺変わりません。10年前のキングストンのセンターの部屋で、ジュリアが昼時に、「ジョンキッチン、ランチ、ランチ!」なんて声をかけていたのが、妙に耳に残っていますが。

 
 またリンカーン大学のアンドリュー・アサートンという、若くして教授になった観の切れ者は、やはり規制政策論を展開するに、こういった単純な理解の危険を避けるべく、「ワールド・カフェ」という方法を用いたとしていました。調査対象者を集め、いくつかのグループに分け、自由に議論をしてもらう、そこでお互いに影響し合う、新しい発見がある、自分の経験を再度見直し客観化する等が出来て、政策や規制の意味が本当のかたちで、企業家の経験と理解として取り上げることが可能になる、そういった考え方と調査方法と申せましょう。このアンドリューも触れていましたが、以前にロバートらが「フォーカスグループ」の方法を用い、これが注目されたと同じように、調査にもつねに反省と発展が求められていると感じました。
  
 もちろん「計量派」の人たちからは批判もあります。全体会で「中小企業政策と実践」を語ったウォーリック大学のデビッド・ストーリー教授は、私から見れば必ずしも「計量派」にも思えないものの、ISBEで計量的手法を用いる研究の少ないことには不満を述べ、こんなジョークも披露しています。「自分のところにかつてインドの留学生が一人いた。彼は三つの点で自分は少数派であるとこぼしていた。第一にインド人であること、第二にビールが飲めないこと、第三に計量研究をしていることだ」、と。私はストーリー教授の本を授業のテキストにも使っていますし、やはり英国を代表する中小企業研究者の大家の一人(ジム・カランやジョン・スタンワースらとともに、ISBEの名誉会員)と尊敬していますが、非常に多忙であるとか、神経質で厳しいとか、来訪者には容易に接しないとか言われてきました。しかし下記のように、今回「なまデビッド」に接しられた印象からはまるで逆の観があります。
 
 余計なことはさておき、実践的でかつ学問的にしっかりしている、進歩があるというのは、ことほど左様になかなか厳しいものと感じられるのです。その意味、方法論だけで議論がある(そのための分科会が日程の一部で設定されているのです)、その話がすべての前提だというのはわかるのですが、やはり言葉と概念がやたら走っているような観がして、3日間を終えると頭の中をコンセプト、キーワードが渦巻いているような気もしてきました。もちろんまた、非常に単純な実証主義、還元主義的な方法で首をかしげたくなるような結論の発表も聞きました。それは原因と結果が逆じゃないのかとか、もっと大きな枠組みでの背景構造理論を欠いて、末端の事象ばかり見ているんじゃないのかとか、疑問も出てくるのです(ドイツの若手の、自動車階層的サプライヤシステムにおける管理会計や原価管理の「階層性」指摘の研究など)。研究の対象たる「中小企業」や「企業家」の存在が、ますます現実から離れた一記号に聞こえてくるという思いもあります。

 

 
若手対策と若返り
 
 10年前に感じたように、ISBEは若手対策を非常に重視してきています。今回ももちろん、正式日程前に「ドクトラルセミナー」がベルファストクイーンズ大学でひらかれています。ただ、その性格は以前と違ってきているようです。大学院在学中の発展途上研究者の発表と助言の場というかたちではなく、まさにセミナー、研究の進め方、論文の書き方、発表の仕方といったものを丁寧に指導し、またこれをグループ討議方式ですすめるというかたちになっています。そのためか、参加費無料です。
 以前に比べ、博士課程院生の発表の機会が増えたとか、いろいろ日本に似た事情も背景にあるのかも知れません。実際に出席したわけではないのでわかりません(10年前の時には、ドクトラルディに出た院生に、ポスターセッション発表とこれに対する指導助言があって勉強になったという話をあとで聞いた)。それでも注目できるのは、このセミナーリーダーとして、ストーリー教授の名があることです。忙しくてめったに姿を見ないどころか、大物教授自ら、若手指導の先頭に立っているのです。
 
 また、上記の「方法論」分科会というのもいかにもで、一方では方法をめぐり予定論者によるつっこんだ議論も行われていますが、同時にすでに発表予定論文で優秀賞をもらえる候補になっている予定者にもそれぞれ出てもらい、自分の研究方法の特徴を語らせています。面白いやり方と感じました。ただ、研究と「関係性」という主題をあげ、これが政策論とのからみでどうなんだとか、政策評価の課題とどのようになるべきかといった議論が今回は中心で、どうも私には面白くありませんでしたが。
 
 もう一つは優秀論文の発表と表彰です。各分科会トラック及び分類ごとでの最優秀ペーパーが選ばれ、大会2日目晩のガラディナーの席で発表表彰されます。これは必ずしも若手対応というものではなく、ですから去年はジュリアとともに、キングストンのセンター副所長のデビッド・スモールボーンも「最優秀政策ペーパー」で受賞していますが、やはり若手にとっては大きな刺激でしょう。大会最優秀には1000ポンドの賞金も出るそうです。もちろんそれらのお金はすべてスポンサーから頂戴しています。各分科会トラックごとにスポンサーがついているのです。今年はISBCとの共催ということで、ディナーもひときわ賑やかかつ豪勢(料理が、というわけではありませんが)でしたから、受賞した人たちにもやりがいがあったでしょう。
 
 そういう多年のとりくみのせいか、ともかくISBE会場には若手の姿が目立ちます。発表をしているのも、若い研究者が多いのです。そのうちには、英国の大学に留学しているとおぼしきアジアやアフリカの留学生の姿もあります。残念ながら今回日本の学生や若手研究者に会うことはできませんでしたが。
 そして大会の運営や各会場での司会、コメントなどにもかなり新しい世代の姿があります。学会をつくったジョンやジムらが「第一世代」であれば、以前学会運営の中心にいたロバートとか次の世代の研究者たちももう第一線ではないという印象です。うえにあげたアンドリューなど、私もこれまで接したことのない人たちが、いま一番活躍し、学会をリードしているという印象です。またこれに伴い、ISBEの理事会役員構成もかなり若い人が多く、古いビックネームも少なくなってきています。アルスター大学のケン・オニール教授は今大会主催者で一番動き回っていましたが、すでに名誉会員でもあり、今回で理事も退任すると発表されました。この大会のために理事にとどまっていたのでしょう。
 
 ともかく、若い研究者たちに中小企業研究がこれだけ魅力的な存在である、その事実だけでも少々うらやましくなります。もちろんそれは、英国経済復活には中小企業が鍵だという観点からの政府の動き、それに伴う大学向けや研究予算の付け方、世の中の関心といった環境条件あってのことでしょう。この間にも英国ではずいぶん大学がまた増えたと感じます。以前のポリテクニックの大学昇格だけでなく、またその後も新しい大学がずいぶん生まれたものと思うのですが、そういったところで積極的に中小企業研究が行われているのでしょう。うえのアンドリューが属するリンカーン大学というのは2001年の創立です。それとは逆に、出席者リストを見ると古典的な大学の名は少ないのです。オックスフォードやロンドン大学の名はありません。

 

 
大会運営は?
 
 ISBEは相当の予算と人員をこの大会に注ぎ込んでいると思うのですが、もちろんそれはスポンサーあってのことです。会場はベルファスト市を代表するヨーロッパホテルを事実上借り切ってであり、パーティも上記のように華やかです。これはもちろん、ISBCとの共催であったからというより、以前からの伝統です。私が初めて出た1986年の大会はグレンイーグルスホテルでした。あの全英オープンもひらかれる、スコットランドを代表するリゾートホテル兼ゴルフ場です。スポンサーには、インベストノーザンアイルランドやベルファスト市、エンタープライズアイルランド(こちらは共和国の機関ですが)などの政府機関や行政はじめ、バークレイ銀行などの民間企業、それに面白いことに地元各大学も名を連ねています。日本の学会ですと、開催校の方で補助金を出してくれるところもあるのですが、近ごろは逆に会場使用料を取るところさえ増えてきている状態です。これではそのうちに学会大会など開くこともできなくなるでしょう。
 もちろん北アイルランドでは、英国政府がインフラ整備や教育に相当カネを注ぎ込んできている事情もあると思います。開催前にクイーンズ大学に行ってみましたが、建物だけでも立派なもので、整った学生会館やスポーツ施設に感嘆しました(英国の大学では珍しい)。ベルファストでISBE大会を開くのは1997年に次ぎます。こうしたイベントを開きやすい環境はありましょう(来年、2009年はリバプールと発表されています)。ま、金融危機拡大の前にスポンサーなど決まっていたから(カネももう受け取っていた?)ということもありましょう。これからは大変でしょうが。
 
 大会の運営で、10年前のダラム大会の際には、準備も当日会場関係もめちゃめちゃと先に書きました。なんしろいきなり日程変更があり、それを発表予定者にも連絡しない、会場ホテル内に案内掲示がなく、みんなうろうろとか。今回そんなことはなく、実に見事です。大会の案内などは一年近くも前から豪華な冊子で送られ(しつこいくらい)、大会前のプログラムには詳しい日程が記されて、豪華かつ見やすいものでした。それをそのまま会場で使えました。さらに各分科会日程とそこでの発表予定者及び論題、こういった詳細はもちろん当日会場受付の配付資料に全部載っていますし、それらのサマリー集も一緒についています。A5サイズでハンデイです。残念ながらこのサマリー集は分科会及び発表予定と必ずしもあっていないのですが、すべて人名索引があるので、探すのは容易です。そしてフルテキストはCDで一緒に渡されます。重いテキスト集を担ぐ必要はもうありません(10年前はこれで泣いた)。もっとも、このCDを読めないと、また意味がないのですが。そしてこのような配布物セットがISBE、ISBC両方の分用意されたので(私は両方のを申し込み)、準備は大変であったと思うのですが、混乱もなく裁けていました。

 もちろんそのためには、発表希望者のエントリーやサマリー、フルテキストの提出、これに対する選考や編集などに多くの作業と労力が裂かれていることは明らかです。しかも、これらが処理される間にもう、表彰に向けた審査が行われているのです。つまり、別途学会ジャーナルといったものを出してはいなくても、ISBE全国大会での発表は相当のレフェリー制度の手続き手順の上に成り立っています。そのために、サマリーやフルテキストの書式やデザインも細かく定められています。これは昔から変わらないところでもありますが、現在はこれらのフォーマットもたやすく入手利用できるようになっているのでしょう。

 ちなみに、サマリーの形式としては、題名、著者名、所属と連絡先のほか、「タイプ」、「研究目的」、「先行研究(との関係)」、「アプローチ」、「成果」、「含意」、「価値」、「キーワード」といった枠組みが決まっているようです。これはおそらく、アプリケーションのフォームと同じでしょう。

 
 会場のホテルは都市の一流どころということに加え、会場の案内等を含め、懇切丁寧なものでした。至る所に表示があるし、またポイントにはプラズマディスプレイによる画面案内も用意され、迷うことはあり得ません。ホテルスタッフや守衛もきびきびしています。もちろんPCやプロジェクターはじめ各会場の設備等もきちっとしていて、大ホールを頻繁に仕切ったりまた一つにしたりの変更が続いていたのですが、トラブルもなかったようです。会員控え室のようになっていた地下のエキジビションセンターは昼食の場にもなりましたが、常時ネットカフェも開設され、好評でした。
 
 この大会運営の様変わりぶりは、実は一人の人物の力に依っているのです。このひとは2003年のICSB国際中小企業協議会大会を同じベルファストヨーロッパホテルで開催するのを請け負い、その意味で手慣れたものです。そして、近年はその手腕を買われ、ISBEの大会運営も一手に引き受けています。
 私は2006年のICSBメルボルン大会でこのブライアン・ダンスビーというおじさんに会いました。そこにはISBE大会の案内に来ていました。実に商売が上手く、また口も達者、まさに切れ者です。かなりの歳なんですが、長年こういったイベント運営の仕事をしてきたようで、文字通り勘所を押さえた仕事ができます。仕事の流れ、押さえるべきところなどが全部頭に入っているようで、しかも臨機応変に対応ができます。今回見ていると、相当数のスタッフを従え、陣頭指揮を執るだけでなく、なんと自分でテーブル運びなどもしているのです。歳など感じさせません。イベントや風のTシャツ姿も堂に入ったものです。
 もちろんかなりの請負費用を取るのでしょうが、細かいことはアバウトそのものの英国社会、とりわけ大学関係のなかで、こういった人がいることがどんなに大きいかあらためて実感させられます。

 

 
学会運営の方は……
 
 しかし、肝心のISBEの組織運営の方は相当に怪しいものです。私は10年越し会費を払ってきたのですが、会員総会に出るのも今回初めてでした。ところがそれがびっくり、大会第二日の分科会日程終了後、ディナーまでの間に招集されているISBE AGM(年次会員総会)の会場というのを確認してみたら、先ほどまで分科会会場であった部屋、どう考えても数百人なんて入りません。要するにどうせそんなに集まらないと見越しての設定です。実際に集まったのは50人あまり、それでも席は足りなくなりました。

 別に定足数確認をするでもなく(そもそも会員制というのがテキトーなのは、先に記したところです)、だいたい総会議題や資料配付もなく、コレット・ヘンリー会長の司会で議事は始まり、予定議題いいですねであっという間に終わるかと思っていたら、この前の役員選挙でほとんどの理事を交代、その互選で会長副会長を選んだうえで、役員の仕事柄上会長副会長の任期は2年にしたいと(ほかの理事任期は従来から1年ごとのよう)コレットが言いましたら、先のブライアンおじさんがかみつきました。彼は忙しいなか、ISBE会員としても出席していたのです。役員の仕事は会全体の運営に関わる重要な件だ、その任期を勝手に2年に延ばすというのは一般会員の権利侵害だ、これはまた信託有限会社およびチャリティ団体(ISBEは保証有限会社であり、かつチャリティ団体であると登録されています)の規定に抵触するおそれもある、少なくともしかるべき専門家の意見を聞け、このことは昨年の大会の際にも申したはずだ、だいたいこういうことなのです。
 コレット会長はこれに困ってしまい、議事はかなり行き詰まりました。当初は数分で終わると思っていたのでしょう。そして会長以下の役員も、簡単に終わるとしか考えていなかったのでしょう。若干のやりとりののち、「決」(!)を取ることになりました、結局こういった役員人事の件は可とするかどうかで、反対はブライアンおじさん1人のみ、保留が若干で、多数決で承認されたかたちにはなりました。
 
 びっくりするのは、30年以上の歴史を持つ組織がこうした選挙や人事の規定などをもっていないらしいということです。アバウト千万です。あとでブライアンおじさんが言うところは、「相当の金額も動かす組織なのに、アマチュアなんだよ」とのことでした。

 その辺おそらく、ブライアン氏もつきあってきて、自分の仕事ぶりに比べISBEサイドの運営がいい加減きわまりないという思いが募ってきたのではないかと思えます。あるいはまた、ISBEの中で、仕事きっちりでもブライアン氏が相当のカネを取るので、任せがたいなどという意見が出ているのかもしれません。その辺は想像を出ませんが。
 
 まあ、私は英国などでの「組織」(営利法人や公的機関を含め)のいい加減さは飽きるほど見てきていますので、今さら驚きもしません。今回のISBC・ISBE合同大会なんて、奇跡的なくらい上手く動いたと感じているくらいです。それでも日本のISBC大代表団の方々には、至る所不満だらけであったようですが。特にISBC開催当夜の「ウェルカムパーティ」が期待はずれであったという声がずいぶんありました。私から見れば、ワインが豊富にあったというだけで十分なものと思ったのですが、要するにほかにろくに食い物もない、さんざん待たせてバスでオデッセイという建物(ラガン河畔の大きなアリーナ兼科学遊園地みたいな妙なところ、ISBCの今次大会のテーマそのものが「An Entrepreneurial Odyssey」)まで連れて行き、これかなどという不満です。韓国の大代表団(韓国では2009年ICSBを開催予定)はその場を一瞥してさっさと全員でどこかに転進をしたそうですが、日本代表団はパーティ主催の市長に義理立てして、お腹の方がはなはだ寂しかったようです。たしかにパーティ会場とするには妙なところで、おかげでやたらにワイングラスが床に落ち、壊れていました。その後始末だけでも大変であったと想像します。
 
 いい加減なことはほかにもありまして、私はInternational Small Business Journalという研究ジャーナルの編集顧問委員になっているのですが、そしてあんまり役にも立っていないのですが、毎年このISBE大会の際に編集員会を開くというので(別にISBEの機関誌というわけではありません)、せっかくながら出てみました。これはジム・カランらが創設し、かなりの歴史を数え、いまはロバートが編集長、そして実務は私がいた頃からキングトンのセンター秘書のバレリーが一緒につとめています。

 議題の主なものは、雑誌の売れ行きとともに「評価」の問題でした。売れ行きといっても、現在予約でハードコピーを送付している数は少なく、実際には有料電子ジャーナルが主になっているようです。そしてそうなると、特に「引用回数」と「インパクト指数」が重大になるようで、このへんの詳しい資料を発行元の出版社秘書が持ってきていました。類似他誌との比較でどうも低い、もっと何とかならないのか云々の議論がずいぶん続きました。私には、その「インパクト指数」がどういうかたちで測られるのかさえもよくわかりませんし、日本の「社会科学系雑誌」なんていったら、こんな議論さえも成り立ちがたいので、なにも申すことがない状態でしたが、いまや世界の「学術雑誌市場」というのも価格と収益指標での市場原理だけでもないようで、なかなか難しいことです。
 
 この議論のついでに、同誌の各掲載論文につけている、英文だけではない、独文仏文中文の要旨をどうするということになりました。その分削れば掲載論文が増えるじゃないか、うんうんの議論です。ドイツからの委員が「ドイツ語要旨なんか要らない」という見解で、中国語のだけ残りそうになってきたので、私が実物を確認してみますと(実はこれまで中文の要旨もついていることを気にとめていなかったのですが −独文欧文をつけるのは「国際」をうたった意味だと、以前にジムに聞いた記憶もあります)、これが簡体字なのです。キングストンの学内で、英文の要旨を中文に直せる人間がいるのだそうで、間違いはないのでしょうが、問題があります。元々「台湾での縁故と雑誌普及ということからこうなった」なんていう話が出たので、私は申しました。これは台湾のひとには読めないと思うと。台湾は基本的に旧字ですから。そのことはほかの皆さん知らなかったようで、びっくりしていました。そんなでこの件も保留になったようです。だいたい、明確な目的や用途もなく、中文の要旨をつけてもあまり意味はないでしょう(本文は英文なんですし)。
 
 この件、会議が終わってから、出席していたデビッド・ストーリー教授より感謝されました。知らずにいた、教えてくれて助かったと。ま、細かい数字の議論とは裏腹に、アバウトなことはあるのです。また、会議後近くのレストランにみなで食事に行き、私は隣の席のフランシス・チッテンデン教授(ISBE元会長で、現在マンチェスター大学)と大いに意気投合しました。マンチェスターには旧知のカレル・ウィリアムスがいる、もちろん彼もよく知っている同僚で、なかなかユニークだろう云々です。また、フィンランドからの編集委員ヤルナ・ハイノネン氏はツルク経済大学所属で、一昨年そこに滞在した寺岡氏(日本中小企業学会副会長)の話題も出ました。そういうことで大いに食事は盛り上がり、私は初めてウサギ肉料理というのも食したのですが、終わりは12時近くでかなりくたびれました。ホントは大会参加予約をした際に、この晩の「アイリッシュナイト」というのもカネを払っていたのですが、さすがにもう出る気もしなくなって自分のホテルに戻りました。もっともそこで損した分、この夜の食事代は出版社もちか編集費か、払わずに済んだので、トントンというところです。

 

 
ほかに
 
 ほかには、うえで記したような女性企業家などの議論が多くあること、社会的企業も大きなテーマとして取り上げられ、そういったところでは「ソーシャルキャピタル」の概念がごく普通になっていること、政策「評価」の重要性がいろいろなところに登場すること、そういった政策の効果や社会的経済的インパクトの観点から、成長性や影響力ある中規模企業ないしそれに近い層に関心が集まり、どうも「家族経営」や「創業」の話とずれが生じていることなどが感じられました。最後の点は、ストーリー教授やさらにISBCゲストでスピーチした、米国のゾルタン・アーチ教授の強調するところでもありました。彼は「ハイインパクトファーム」の概念を用い、バーチ説以来の「中小企業貢献論」への見直しに言及していました。もっとも、「インパクト」とは何なのか、私にはまだよくわかりませんが、今後の流行語になりましょうか。またこういった動きの背景には、ブレア政権退陣とブラウン政権への交代、それと時期を一にするSBS英国中小企業サービスの廃止、BERR企業・経済・規制改革省企業局への移管、「企業戦略」の推進といった事態の影響もあるように思います。そうなると、「Think small first」理念と「企業家精神政策」はなにをめざすのか、まだまだ不透明なところを多々感じました。
 
 いま話題の世界的金融危機に伴う件は、話の端端に出てくるものの、そしてそれゆえに経済と中小企業の将来への不安には触れられるものの、まだあまり深刻なかたちでの理解や問題視は少ないように思えました(「オバマ当選」の方が話題性があったようです)。英国はすでに相当の金融危機と株価や不動産価格暴落に直面しているはずなのですが、あまり目に見える状況はありません。いまだこの間のバブルに酔っているのでしょうか。中小企業の金融難が広がるおそれも、まだ基本的な危機感として共有されている段階には思えないように感じます。
 
 日本の学界と学会に参考となる点はもちろん多々あったように思います。ただこれも、落ち着いてじっくり考えたり、またいろいろな資料などを読み返したりしていかないと、実にならないでしょう。てなことを言っているうちに、記憶の方が薄れるおそれもありますが。


 いずれにしても、今回ISBC公式日本代表団のメンバーとして、またISBC会議の運営に貢献され、大変にご苦労された伊藤教授、足立教授、そして井出教授にはあらためて、深く感謝申し上げるしかありません。私はあくまで「ヨコから勝手に参加」でもありまして。特に井出教授はいまやISBC国際事務局を担い、多くの困難を一手に引き受けられている観です。本当にご苦労様と申し上げます。

 

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