<再訂増補版>
4年ぶりのロンドン行
先のロンドン滞在からもう4年以上も過ぎてしまいました。本当に早いものです。そして、やはり焦ります。
あまりに激しい世の中の変化のうちで、追いつけないことが多すぎます。そのため、結局なにもできないままの人生なのではないかという思いばかりします。
せめて、「なにがおこっているのか」それだけはあらためてつねに知っておきましょう。「現実」にはどん欲であらねばなりません。
そんなことで、機会を得て、スコットランドグラスゴー滞在ののち、4年ぶりに訪れたロンドンから、再び「ロンドン絵日記」をおくることにしました。もっともどうもデジタル画像記録にはなじめない、信頼がおけないので、今のところ「絵」がありません。「絵のないロンドン絵日記」です。(2ヶ月も過ぎて、ようやく「絵」を追加し、なんとか体裁がつきました)
デジタル情報通信革命の進展は確かにこの4年間の大変な変化ではあるので、私も今回の短期間の滞在にも、携帯電話を持ってきています。英国での生活にはこれはある意味欠かせないという実感があります。ほかの通信手段や交通手段がまったく信頼できないので。
ちなみに、インターネットを通じた情報通信には残念ながらこの携帯電話はまだ「技術的な理由により」つかえません。そこで、私には泊まり先の電話を使ったダイヤルアップ接続が欠かせないのですが、ところがそれに関して、今回えらい発見がありました。
英国以外でも経験したことなのですが、最近の欧州のホテルでは、各部屋の電話を外線につながるようにしていないのです。これは直接には、チェックアウト前後のただがけ防止に、いったん接続を切ってしまう、そして新しい客が入っても、そのままにしている、こういった事態です。それはどうやら、単なる手抜きやミスではないらしいと気づきました。故意にやっているのです。そういった接続の申し出があり、またチェックアウトの精算時のためにあらかじめ客のクレジットカードのコピーをとる、こういった手順を経て、ようやく「接続開通」とするわけです。いま泊まっているところでは、「外線につながらない」と苦情を言ったら、「予約の中には入っていない」とまで言われました。どうやら、朝食などとともに、「電話の外線接続」を事前予約しなくてはならないらしいのです。
ふざけた話しであり、そんなことどこにも記されてない(もちろんホテルの「宿泊約款」や各部屋の「案内」にも)のですが、これは現に横行していることです。日本の代理店などは直ちに警報を発し、対応を協議しないといけません。しかも、日本同様にいまでは宿泊客の多くは、外に電話をかけるのに自分の携帯電話を使うので、このように部屋備え付けの電話が外につながろうがどうだろうが、気にしません。ますます横行するわけです。それでは、この電話を使ってローカルアクセスポイントにダイヤルアップでつなぐ私などには、非常に困った話しになります(ちなみに、よく「日本人はいまやどこででも、ひたすら自分のケータイメールを打ち込んだり読んだりしている、異様だ」という声を聞きますが、別に英国人はそんな没コミュニケーション的な習慣に染まらないのではありません。そういう機能が「普及していなかった」だけです。ですからいまやたちまちに、同じような電車内の光景が繰り広げられ始めています。ケータイの画面だけを見つめ、ひたすら指を動かし、文字を書き続けているのです。おそらく近い将来、やはりみんなケータイで写真をとりだすでしょう。まさしく「ユビキタス」?の時代です)。
ハマースミスの町
限られた予算の中での調査行である今回は、ロンドンの都心のホテルに泊まるような贅沢はできません(いまだロンドンは、家賃も住宅価格もホテル代も、びっくりするほど高いのです。ちょっとしたフラットが8千万円、ホテル一泊4万円などといった信じがたい値段が堂々並んでいて、あきれかえります)。
それで、都心からちょっと離れた下町風、エスニックの多い町Hammersmith のホテルに泊まっています。たいしたものではありませんが、それでも一通りのものは揃っており、比較的新しいので悪くはありません。私のいまの足場はキングストンなどロンドン西南部郊外ですし。泊まり客は外国人家族連れ風が多く、いかにもねらいどおりの顧客構成に思えます。
このホテル、Hammersmithという交通と商業地(日本の近郊ターミナルのようなところ)にあるのに加え、すぐそばに「24時間スーパー」があって、貧乏旅行には好適です。正真正銘24時間営業の看板を掲げ、しかも「off license」(つまり酒販免許あり)なので、ニッポンなら「コンビニ」と名乗っているでしょう。ただ、大手コンビニのチェーン店ではない(どっかのチェーンの看板は出している)、本部の指示通りの経営しかできないようすはない(昔からあるよろずや風の「角の店」がもうちょっときれいにしたうえ、24時間営業していると思えばいい)ので、日本人はコンビニとは思わないかも知れません。ともかく、「24時間営業」の看板がここには数軒並んでいるところなんざ、「コンビニ銀座」の観ありです。
ちなみに現K大の某氏は、「ニッポンのゆがんだ経済社会を批判する」ために、いま到るところで「ヨーロッパにないものはサラ金とコンビニです」とぶって回っているようですが、困ったことです。少なくとも英国には、「サラ金もコンビニもあります」なのです。
暑いロンドン
ともかく暑いのです。
北のスコットランドグラスゴーから着いたせいもあるかも知れませんが、夕刻のロンドンは西日が強く、それを背に受けて走るタクシー車内の首筋のうしろがひどく熱く感じました。ホテルに着けばもちろん冷房はないけれど、幸い東向きの部屋だったので、西日の照り返しに悩まされずには済みました。部屋には卓上扇風機が置いてあり、窓も半開きに開けられ、今夏の猛暑ぶりをしのばせていました。
翌日のロンドン市内は快晴で、朝から日差しが照りつけます。いくら何でも9月ですし、湿度が低いのでしのげますが、やはりローカルの方々にはどうしようもない暑さのようで、皆さんこれ以上脱げるものはないくらいの薄着ぶり、背中だけ見ると、「ん?」というような女性の姿も見かけます。もちろん老いも若きも幼児まで、女性のほとんどはヘソ出しというよりハラ出しの格好です。
英国のことですから、それでもフリースを着た男がいたりなど、「個性」を競っているのも相変わらずですが。
テムズ川南岸、サウスバンクにはこの四年間で一番の変わりようを象徴する、巨大な観覧車・ロンドンアイが回っています。そのあたり一帯は新ロンドン市の中心といった様相で、ジュビリーガーデンと名付けられ、出店が並び、「絶好の行楽日和」で大いに賑わっていました。サウスバンクのウォータールー橋とロイヤルフェスティバルホールあたりからウェストミンスター橋までが、川辺の「市民憩いの場」となった感で、チャリングクロス駅に渡る鉄道橋に添え物のようにくっついていたぼろい歩道橋に代わり、その両側にモダンな吊り橋の歩道橋が二本架けられ、川風に吹かれながらの回遊コースともなっています。
このシンボル、巨大な観覧車は大人気で、乗るのに行列と思ったら、とんでもない、その前に切符を買うのが長蛇の行列でした。切符をようやく買えても、それからまた列に並ばなくちゃならないのです。おそらく2時間はかかるでしょう。もっともそこはイギリス流に、切符は予約方式のようですし、1グループで1台を独占できる券とか(観覧車はそれぞれかなり大きく、10人くらいも乗れるのです)、優先的に乗れる券とかもあるようでした。
この券売場を含め、サウスバンクのいろいろな施設や食堂、カフェテリアなどは旧カウンティホールの川沿いの階下に納められています。あの巨大な建物正面にも「County Hall」の文字が躍っていますから、復活したロンドン市の市長ケン・リビングストーン氏は、サッチャー政権によってその座を追われ、廃止されてしまった旧大ロンドン都(Greater London Council)の都庁であったこの建物を買い戻したのでしょうか。ニッポンでいえば東京都なんて無駄な存在と、小泉氏によって「都」が廃止されてしまったようなもので、その際に政府は旧都庁の建物も民間に売却してしまいました。その当時の大ロンドン都「知事」であったケン氏は労働党左派、平和主義者、人種平等主義者を称し、そして自らゲイを名乗ったそのケン氏が、この建物を牙城に、ウェストミンスターの対岸からにらみをきかせているなんざ、サッチャー氏にとっては実に腹の立つことだったのでしょう。
その建物を買ったのがニッポンの誰も知らない不動産会社、その後ホテルにしたりいろいろ利用していたはずなのですが、いまはどういうことになっているのか、これは調べてみないとわかりません。ともかく、労働党政権の復活で「ロンドン市長」職も復活し、その初代市長の選挙ではブレアに嫌われたケン氏が「無党派で」立候補、大差で当選し、再びその座に返り咲いてしまいました。ケン氏ならでは、着々ともとの地位も復元しているようでもあります。
なお、この建物内の公衆トイレはロンドンでは珍しくタダのうえ、清潔で、その辺ケン氏の政策の象徴なのかも知れません。
大観覧車と対照的なのが、その足下に広がる巨大な広場というより空き地です。休日ですからそこの仮設舞台でこどもたちのコンサートをやったりと賑やかで、市民憩いの場に彩りを添えていました。でも、この広場は本来「millennium dome」のあったところのはずです。2000年のmillennium(千年紀)を期して、政府が鳴り物入りで建設した巨大なドーム、その外観もさることながら、キリスト教歴にこだわらず「多様な文化と宗教の共存を示そうという」使い道がどうしたとか、強盗団が侵入しようとしたとか、話題には事欠きませんでしたが、いろいろ建物の欠陥もあったうえ、維持費もかかり、今後の使い道などでまたもめるのもいやだったのか、記念行事の数々の後にはさっさと取り壊しになってしまいました。「21世紀を迎えた」2001年は、実は「ミレニアムドーム最後の年」になってしまったという、できすぎのジョークです(これは私の完全な勘違いでした。98-99年版ではちゃんと書いてあったのに、4年のあいだにすっかり忘れてしまったようです。millennium domeのあるのはここ、サウスバンクではなく、ノースグリニッヂです。この空き地はなんで空き地なのか、確認しませんでした。ただ、millennium domeの方もオープン一年で閉鎖されしまったことは事実ですが、まだ壊されてはいません)。
このドームもさることながら、確かうえのチャリングクロスへの歩道橋も造ってみたら欠陥が露呈、橋が揺れるとかで大騒ぎになり、しばらく使用禁止になっていたはずです。
現代英国の誇るお粗末な技術の数々はそれこそ枚挙にいとまがありませんが、最近は日本でもできたての港のウォーターフロント歩道橋が突如崩壊するなど、信じがたいようなことが平気でおこるので、なんとも言いようがありません。
それでも、ロンドンに向かう前の時間を使って行ってみた、グラスゴーのクライド側南岸、旧パシフィックキー(岸壁)再開発のシンボルである「サイエンスセンター」、まあいってみれば、日本でもよくある「こどもたちに科学の心を教える」展示やエキジビションや「さわって試してみる」ツールの数々、どうってこともないのですが、あまりに象徴的にも、そのランドマークのタワー、これが掲示によると「トラブルが生じ、いまの技術ではまだ完全な解決方法が見つからないので、現在検討中、そのため閉鎖している」というのです。ガイドブックなどによれば「うえまで登って展望を楽しめる」はずなのに。「科学」の心もいいけれど、「テクノロジー」がどうにもついていけません(なかの展示設備も「故障中」の張り紙少なからずです)。
このグラスゴーサイエンスセンターは、地域再開発、産業振興、科学技術振興、教育の推進などを図る、政府(スコットランドの)、EU機関、地元自治体などの総合的な政策の一つの目玉になっているはずなのですが、図らずもいまの英国の現実のもう一つの側面を象徴してしまいました。
ロンドンにおけるニッポン
ロンドンには相変わらず日本人の姿は少なくありません。うえの広場のあたりでも、日本語が飛び交っていました。現地在住の家族や学生とおぼしき姿、もちろんガイドブックや地図片手でおみやげの袋をいっぱい抱えている観光客、どこにでもいます。ただ、休日なのでジャパニーズビジネスマン」の盛衰を確認するすべはありませんでしたが。
しかし、正直に言えば、明らかに中国人のプレゼンスが圧倒的に目立っています。以前からロンドンなど在住の中国人は少なくないのですから、今さらというみかたをするのも民族的偏見になってしまいそうなのですが、それでも学生や観光客風の中国人は非常に多くなったと思わざるをえません。そして、やはり日本人と中国人との外見や行動、態度は、非常に違っているように感じられます。自分たちがそうだからというのを重々承知で、一見して見分けがつきそうです。「態度が違う」、そういうことにとりあえずしておきましょう。
その中国系の人たちのことはあとでまた触れるとして、「ロンドンにおけるニッポン」をいま見直すと、感慨深いものがいろいろあります。
ともかく、一般的にはビンボーというか、モデストになりました。私が落ち着いたHammersmithで、スーパーをのぞいたらニッポンからの観光客とおぼしき人たちが食料を仕入れているのです。街角でも、ファーストフード系を手にした姿が目立ちます。まあ、日頃の生活と同じようなスタイルで、外国での日々も過ごす、それは当たり前のことなのでしょう。一時の、バブルの勢いのような贅沢を日本人が世界の到るところでエンジョイしまくるという姿のほうが異常だったのでしょう。
それと同じように、「サプライサイド」としてのニッポンもきわめて庶民的な存在になってきました。うえの、プロムナードに並ぶ屋台の一つに「ジャパニーズフード」の店も見つけました。要するに焼きそばや+αで、それだけに大人気ですが、まあこれを「日本食」と称していいのかどうか。
さらに、「ジャパニーズフード専門」のテイクアウェイの店も街角で見つけました。これは日本系の経営ではありましょう。ものは、ショーケースに並ぶにぎり寿司、巻きずし、おにぎりなどを適宜自分で箱に入れ、その合計の値段を払うという方式、手軽です。こんな店がやっていけるほど「ジャパニーズフード」は一般化していると言えましょう。その兆候は4年前にも感じました。もう決して贅沢なもの、奇異なものではなく、日頃の食べ物の一つの選択になっているのです。
なんしろ、このハマースミスの町にさえ「SUSHI」の看板があるのです。のぞいてみたところ、「回ってない」せいかとんと客の姿がなく、板前が手持ちぶさたに新聞を読んでいましたが。並びのChineseはそれなりにはやっていて、私はそこで夕食を食べました。
またまちなかで、「SOBA」の看板を出して客引きに懸命のところもありましたが、これは中国系なのかも知れません。対照的に、以前から日本食の販売に熱心だったデパートSelfridgeでは、いまや「ジャパニーズフード」のコーナーだけではなく、「サシミ」のコーナーさえあり、きれいに盛りつけられた姿盛りなどを堂々並べています。思い出します、15年前には「日本人が生魚(raw fish)を食べる」というだけで変な顔をされたことを、魚を切り刻んだうえに、ついている顔がにらんでいるようでいやだといわれたことを。
ちなみにそのSelfridge の日本食品材料の棚には、「Pan-ko」の袋もありました。これは以前英国では容易に手に入らなかったものです。日本流の「パン粉」というのは実は欧米にはない代物で、入手困難の一つでした。
「プロム・ラストナイト」
うえのように、ロンドンに向かう日の午前中に訪れたグラスゴーサイエンスセンターでは、折しも多くの中継車が集結し、また広場には巨大な特設ステージがつくられ、中継放送の準備中でした。はて、なにをやるんだろうと思いながらその場をあとにしましたが、夜になり、その真相がたまたまわかりました。9月13日は恒例の「Proms Last Night」だったのです。
ご存じの方もありましょう。ロンドンの夏の行事の一つが、もう百年以上も続いている「Proms」です。オフシーズンに、音楽家たちが夏の夜空の下で気軽なプロムナードコンサートをやるというスタイルの行事が定着し、いまでは非常に大規模なシリーズになっています(あんまり「気軽」ではなくなってもいるようですが)。これは現在BBCが全面的に企画実施しています。
そのそれぞれのコンサートなど以上に重要な意味を持っているのが、言ってみればニッポンの「紅白」みたいな存在になってきた、Promsのラストナイトなのです。場所はロイヤルアルバートホール、そして「今年のPromsはこれで終わり」というシンボリックな行事でもあり、これは毎回全国にBBCで生中継されます。もちろんその切符は非常に入手困難ですが、円形の九段武道館みたいな格好のロイヤルアルバートホールの中央に設けられたオーケストラ席の前の平土間広場が開放され、立ち見客が入れ、そこが常連たちのクロート衆的な場になっています。演奏をじっくり聴くというより、みんな一緒になって大騒ぎして盛り上げる場なのです。まさしく「国民的年中行事」です。
今年は新しい企画が設けられ、以前からBBCはそれを大々的に宣伝していました。これまでも、ロイヤルアルバートホールにはとうてい入りきらない観客のために、隣接するハイドパーク内に野外会場を設け、大スクリーンに場内のようすを映し、一緒に盛り上がるというかたちにしていました。今回はそれだけではなく、スコットランドグラスゴー、ウェールズスオンジー、北アイルランドベルファストという三都市にも特設野外会場を設け、ハイドパークを含めた5つの場を結んで、双方向同時中継で全国で立体的な盛り上がりをはかるという「画期的な試み」をしたわけです。そして、グラスゴー会場が上記の、サイエンスセンターでたまたまあったわけでした。私にはいまさっき見てきたところが今度はTVの公開中継の会場で、画面に映っているというので、誠に面白い印象でした。
もちろん皆さんお気づきのように、これはNHKが各地を結んで「行く年来る年」を放送するといった生やさしい件ではありません。この4つの都市を選んでいるのは決して偶然ではありません。「United Kingdom」というのが実は、イングランドのほか、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドといったそれぞれの「連合王国」であり、きわめて複雑な歴史的経過をたどり、現在の姿になっている、それをこの「プロム・ラストナイト」の機会に再確認するという性格をあえて打ちだしたのです。
かつての「大英帝国」は植民地のほとんどを失ったばかりか、イングランド王朝が他の各国を征服統合するという歴史に対する清算を迫られ続けてきました。アイルランドは激しい武装闘争と戦乱の後独立しましたが、北アイルランドは連合王国に残り、今日まで「北アイルランド問題」と血の抗争を引きずってきています。ほかの各地域も長年独立を要求してきました。
労働党ブレア政権はこうした中で、その地方分権化政策の流れの一環として、スコットランドとウェールズに事実上の自治権を認め、それぞれの議会と政府が誕生しました。今回スコットランドでの地域調査をしてみても、その結果生じている大きな制度上行政上の変化を痛感させられます。もちろん北アイルランドにおいては、選挙で成立をした議会と政府が、リパプリカン・独立派とユニオニスト・連合派との恨み骨髄の対立に加え、テロ事件や武装解除問題から行き詰まり、事実上元に戻ってしまうという現状にあります。しかしそれでも、イングランドの多くの人間を含め、「連合王国」はあくまで事実上の主権国家の連合の方が健全なのだという現状追認に向かっていることは確認できましょう。
そこで「公共放送」BBCとしては、あえてこの「プロム・ラストナイト」の機会を、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドのそれぞれの存在をお互いに確かめ合う、そうした場にしようと企画したことが十分読み取れます。ブレア政権の路線を支える意味を持っているとしても、間違いはないでしょう。
以前の「プロム・ラストナイト」は、終わりを国歌「God save the Queen」で締めくくるだけではなく、エルガーの「威風堂々第一番」、さらに「Rule Britannia!」という、非常に愛国色強い曲が会場の聴衆とともに歌われ、場内では多くのユニオンジャック旗がふられ、おそらく「被征服者」スコットランド人、ウェールズ人、アイルランド人には決して愉快ではない雰囲気もあったと思われます。こういった雰囲気への配慮も今回の一つのねらいでしょう。その辺は、私も注意深く見ていました。
当然のことながら、各会場では、青地に斜め白十字のスコットランド旗、白と緑の二色の中央に獅子の紋章を配したウェールズ旗がそれぞれを圧していました。もちろんハイドパーク会場にはユニオンジャックと白地に赤十字のイングランド旗が林立です。ロイヤルアルバートホールのフロアーは、以前からそうだったのですが、ユニオンジャックやイングランド旗だけではなく、スコットランド旗、あるいは英領諸島の旗、さらにオーストラリア、カナダ、南アフリカ、あまり関係ないはずのフランス、ドイツ、イタリア、ノルウェーなどの旗がてんでに持ち込まれ、大いにふられていました。まあ聴衆もみんなそれぞれ、なかば気軽に「自己主張」をしているわけです。韓国旗も見えました。ただ、なぜかベルファスト会場には白地に斜め赤十字の北アイルランド旗はほとんど見あたらず、ユニオンジャックの方が目につきました。あるいは、緑の旗をアイルランドの象徴とするリパプリカンサイドは参加を拒否したのかも知れません。
そして番組構成としては、「威風堂々」のあとに各会場から、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドそれぞれの地元からの歌が流れ、「ともに参加している」雰囲気を盛り上げました。ただし、スコットランドの時間がえらく短かったのに、北アイルランドからの「ロンドンデリーの歌」(ダニーボーイ)の女声合唱が延々と続いたのには、若干違和感はありましたが。
まあそのあと、「恒例により」ルールブリタニアが演奏され歌われ(ただしかなり控えめに)、さらに讃歌「エルサレム」(W. Blakeの詩)の全員合唱、そして国歌という流れにはあまり変わりはなく、また注意深く見ていると、ハイドパーク以外の各会場ではこれらを一緒にうたう雰囲気は乏しいように見えました。国歌となるとさすがに違いますが、「女神ブリタニアの支配」を誇らしげに礼賛するルールブリタニアには相当に鼻白む思いは如実にあると感じられます。以前のこの「プロム・ラストナイト」では、ルールブリタニアが女性歌手のリードで場内全員合唱というときもあったのですが。
すべての演奏と行事が終わり、これまた恒例で、みんなが手を組み合い、「蛍の光」を大合唱して今年の夏の終わりを告げるというかたちで、番組も終わりました。それぞれの区切りごとにハイドパークでは盛大に花火も打ち上げられ、私のいるHammersmith のホテルはそこからそれほど遠くもないので、生の音が窓から注ぎ、大いに臨場感を盛り上げてくれました。
ただ、こうした会場のいずれでも目にしなかった旗は、日本の旗だけではなく「星条旗」です。残念ながらイラク国旗や旧ユーゴスラビア国旗も目にしませんでしたが(別に官憲が取り上げたわけではないでしょうが)、「心中をともにし」ているはずの「同盟国」の旗は、ハイドパーク内で一瞬写っただけで、少なくともロイヤルアルバートホールのコンサート会場には皆無でした(今回の「ラストナイト」の指揮者は、82歳の米国人、レナート・スラットキンでしたが)。
「ブリタニアの支配」と「星条旗」?
これは、今回の四会場同時中継方式とともに、この英国の「いま」を別の意味で象徴していると思います。わずかではありますが、EUの青い旗はありました。それなのに、星条旗を担いでくる人間はいない(おそらく米国籍の聴衆でも)、いくらブレアがコイズミ同様に「全身全霊をアメリカ合衆国(の軍事政権)に捧げます」「なにがあっても、どんなことをしてでもアメリカ万歳です」だとしても、「ヤッパそれってなあ」という雰囲気はどこかに漂っています。少なくとも多くの「英国人」(それにはスコットランド人もウェールズ人もアイルランド人も入ります)には、「アメリカ」は親戚、一族郎党であるともに、あくまで「弟」のはずです。アングロサクソン系国家としての、「おれたちが世界を指図し、支配するのが一番正しい」という先入観はおそらく多くの人間の骨髄にまでしみこんでいましょうが、それでも「アメリカにしっぽを振る」というのではなんともサマになりません。「兄貴分」の立場があるはずなのです。
自分たちは自分たち流の「論理」で、時には「圧政から人びとを救うために」、「人権と生存を守るために」、「世界の秩序をただすために」、軍隊を派遣し、爆弾を落とすのでありまして、「アァメリカのためにやってやってるんじゃないんだ」(かつての「ピケンズ・小糸問題」華やかなりし頃、株主総会でピケンズ側株主から拍手を受けた、総会屋の言いぐさ)と言わなくては、立場がないのです。ここで今さらのようにひとりでも星条旗を振る人間がいれば、まさしく「ドッちらけ」になりましょう。そこまでやっちゃあ、「親切なアメリカのおじさんが気前よくゼニをくれる」として旗としっぽを振り、喜び勇んで馳せ参じた、ボオランドとか、ユクライナとか、ロウマニアとか、それ並みになっちゃうじゃありませんか。「9.11」以降(ちょうど3日前でしたが)、妄想狂・パラノイアのように星条旗を飾り立て、ふり続ける「アメリカ人」と同じ程度の精神年齢にされちゃうじゃありませんか。
四つの旗を並べ、EUの旗も添え、しかし「星条旗」はふらないという「プロムラストナイト」は、いまの「英国人」の感性と知性をみごとに代表していましょう。添え物に、ドイツ旗やフランス旗まで登場した、この寛容さはいかにも英国人好みでしょう。しかし、世界の「現実」は無情です。「英国人」たちが、「帝国主義戦争を内乱へ」転化しなかった以上(私が最初に書いた『学術雑誌』上の小稿は、第一次大戦下英国スコットランド・クライド河地域の労働者たちの「反乱」をとりあげた研究書の「書評」でした。なかなかいいめぐり合わせです)、どう格好はつけても、米英帝国がそのカネと暴力にものをいわせ、世界中を攻撃し、支配する時代を開いたこの「事実」はどうにももはや後戻りはできません。そして、阿南の「国連」なるものは、その米英の無法と暴力になにもできず、むしろその「片棒」を担ぐと申し出た以上、完全にその役割を終えました。いまの「世界」には、このカネと暴力の支配に隷従し、あるいはこれを黙認し、ひたすらお追従と自己正当化によって日々をおくり、その分け前を期待するか、あるいはあくまでこの無法と不正義の支配と闘い、これを覆すか、その軍事帝国支配の「崩壊」へのあらゆる可能性を探るか、この選択しかないのです。
いまも、むき出しの殺戮と破壊と暴力支配の続く地では、命がけの抵抗が続き、米英軍事政権を動揺させています。一方そのあしもとでは、米軍事帝国とは対照的に、英帝国にあっては、「なにも変わらない」毎日が続き、日々伝えられる「犠牲」にも、声高な反応さえありません。これは私が4年前の「セルビア侵略戦争」の際に経験したことと同じです。遠い地で、抵抗する不屈の人びとによって倒された兵隊たちの命は、毎日の交通事故件数の数字と大差なく、記憶から消えていきます。この「日常性」は確かに、数百年間侵略と戦争を続けてきた「古き帝国」の強みではあります。そのお膝元の一つで、アメリカ製のカネと爆弾により、北アイルランドの住民が大量に殺されてさえ、激昂もしない、日頃の「政治談義」はあっても、パトロールの警官さえ武器を携行しない歴史を守っている、こうした「帝国」は、容易にその内側からは揺らぎません。
たとえブレアがそのウソの数々で最後にその座から追われたところで、帝国主義と侵略支配の歴史をすでに「ただし」、「連合王国」さらには「コモンウェルス」(旧英連邦)を含めて「共存・自治の道」を選んできたのだと自認自負する「帝国臣民」はまた同じあとがまを据えるでしょう。アメリカにしっぽを振ってはいない、あくまで「世のため、ひとのためだ」と弁護して、米英が世界を支配するのが結局一番正しいのだと屁理屈の数々を並びたてるでしょう。そして、その「日常」をエンジョイし、帝国の富とカネの力と権威と栄光に最後まですがって生きる、これが「英国」です。
過ぎゆく盛夏のまばゆい光の中で、今日の休日を談笑しながら過ごす「英国民」の今後にどのような結末をつけるか、落とし前をつけさせるか、これが21世紀における私たちの課題です。そのためには、負けていちゃあいけません。彼らがなにをしているのか、すべてを知り、これを覆すあらゆる可能性を探さなくてはいけません。世界に理性と平和と共存共栄の秩序を回復する、そのために「帝国」を解体するあらゆる道筋を考え、それを少しずつでも一歩ずつでも実行していく、私たちが「帝国」に「対峙」するのはそうした意味があると思います。
このほか、「カネの払いは各停留所にある自販機で事前にチケット購入」となり、混乱気味の各路線バス(本年8月以来)とか、「フォーク並び」が一般化してきたスーパーのレジ前行列とか、いろいろ目にとまったものもありますが、それはまた。
![]() | ![]() |
補足
早速にお読みになった方から、「義憤」はわかるがそのあんたが英国の大学に行ったり、研究者と交流したりするのは矛盾してないかといったご意見もいただきました。
もちろん私は「西欧社会をやっつけろ」とか、「大日本帝国・大東亜共栄圏万歳」などと申しているのではありません。「人間の普遍的な共存」が最大の願いです。そして、「欧米社会」における「知性」のもつつよさ、それから「学ばなくてはならない」ことの多さを十分に自覚しているつもりです。「知性」はおそらく、「知識」と「知恵」と「理性」の総体なのでしょう。「感性」がいらないとはまったく申しませんが、「感性」には多くの矛盾やズレ、齟齬蹉跌があり、いきなり普遍的に語るにはやや難物に過ぎます。「人間同士としての共感」としての「感性」あってこそ、「通じあえる」ものが多々あることを数々経験もしておりますものの、「感性」は一転、憎悪や蔑視や攻撃性に転じる道にもなることを、これまた多くの事実が教えていますので、そう簡単に「感性」だけで塗りつぶすわけにもいきません。
「知性」にあっては、もちろん一方では「西欧文明の優位」信仰と「エイゴ帝国主義」的な要素も不可分にあり、それがグローバリゼーションの時代にますますつよまり、たとえ当人たちが自覚していなくても、米英帝国の支配に大いに寄与もしていることを、私は事実と考えています。しかしそれでもなお、そこにある「知識」と「知恵」を無視して、現代の世界と私たちの享受できる生活、これを支える科学や技術、社会システムを理解することさえもできないことはやはり事実なのであり、もちろん今どき「学んでくる」ばかりではないにせよ、「もっと学ぶべきこともある」と私は日々実感しています。「知識」と「知恵」は双方向的に交流共有され、人類全体の財産たりえています。たとえひとつの「パラダイム」なり「体系」なり「言語系」なりに疑問が呈され、これに対置される新しいものとの緊張関係を強いられるとしても、それはまさしく「弁証法的発展」(今どきこれも死語でしょうか)の大きな道筋であるはずです。ですから、「もっと学ぶべき」といつも思っています。そして私たちなりの「疑問」を示し、対話していってこそ、お互いに多くのものをえられるはずです。
しかしながら「欧米の学問と文化」は、「理性」における限界をいまやさらけ出しました。「セルビア戦争」「イラク戦争」、こういったまれに見るような残虐で卑劣、無法な行為に対し、なにもできなかったこと、文字通り「文明への反逆」「人間性への敵対」を看過したこと、それどころかその「正当化」に「知識」と「知恵」を利用しようとさえしたこと、これは文明史上に永遠に刻まれるできごとです。おのれたちの掲げてきた「知性」を全面否定されながら、これに居直るか、せいぜい目をつぶるかしかできなかった、それは「理性」の欠落であり、「獣性」(まあそんな表現をしたら、獣たちが怒ることは間違いなく、決して適切な表現ではありませんが)への堕落です。それをもし「感性」の問題なのだとすりかえるのならば、これはもう人類滅亡、地球壊滅への道をまっしぐらに進む、「知識」と「知恵」を兵器の作り方と戦争のやり方、「国際社会」のだまし方として、殺戮と破壊の手段に収斂させるのみになってしまいます。
「人道」に、「人権」に、さらには「自然とエコロジー」になにより熱心である方々が、突如「あいつらはぶっ殺していいんだ」とか、「やっちまえ」、「爆弾を落として吹っ飛ばせ」と絶叫するに到っては、これはなんら「知性」でもなかったという見事な立証でしかないでしょう。ちなみに、セルビア戦争の時とまったく同じに、ロンドンの街頭に「帝国主義打倒」も「即時撤兵」も、「戦争犯罪者を裁け」の声もなく、あるのは「アニマルライツ」の「運動家」たちの「中国の熊虐待をやめさせろ」の運動だけでした。彼らはこれを、折からなにかの祭りで賑わっているロンドンのチャイナタウンの真ん中でやっていました。「人命より熊の命」、「イギリスの狐より中国の熊」という驚くべき傲慢さ、これは基本的に帝国主義の文化的装置と一体です。もちろん中国人たちはこれまた驚くほどの寛容な理性の持ち主ばかりなので、完全にそれを無視していました。まあ、これから私たちは「イギリスなんとか祭り」がどこかで開かれたら、「イルカ、鯨、熊の命とイラク人の命はどっちが大事か」「イギリスの狐を救おう」という看板を持ち込むことにしましょう。
だいぶ話が逸れました。私たちは今一度、人類の普遍的な「知性」の回復のために、理性にもとづいた知識と知恵を高めるべく、もちろん欧米社会・米英人たちとも交流し、学びあわなくてはなりません。しかしそれは彼らの「支配」の正当化根拠や手段としてではなく、人類が個々の人間同士として、また地球上の人間社会全体として、お互いを尊重し、批判的精神を守り、ともに生きる可能性を探る筋道でなくてはなりません。そのためにはいま、「欧米社会」の実態に迫り、そのつよみとよわみを明らかにし、まずは「帝国の支配」の解体を「外からも」「内からも」実現するあらゆる方法を探ること、そのなかで「知性」の真価を発揮し、「理性」の支配を少しずつでも回復実現すること、それにひとりでも多くの「理性を信じる」「欧米人」を引き寄せていき、彼らの無力感やシニシズムを克服していくこと、そうありたいと願っています。
いま、21世紀を迎えた人類は米英帝国の暴力と無法の支配のおかげで、文字通り「絶滅の縁」(on the brink of exterimination)に立っています。この危機を克服することなく、私たちは黙して生きていくことはできないのです。
2ヶ月おくれの追補
思い出したことがありました。1998年にロンドンのChannel 4 TVで見た映画「Brassed Off」(邦題「ブラス!」)、久しぶりに日本発売のDVDで見て、いろいろ思い出したのです。
この典型的なWorking class movie はそのため、強烈な「ロードーシャ英語」+ヨークシャー訛りですべてのせりふが語られるので、ロンドンで見たときの日本語字幕なしではよくわからなかったところが多々ありました。主人公の指揮者ダニーとトロンボーン奏者フィルが実の親子であったなんて、今回まで気がつきませんでした。あとは、ひたすら「四文字語」が間断なく発射されますから、「英語教材」には絶対に不向きでしょう。しかし、「class culture」がいかに強烈なものか、「奴らとオレたち」の世界がいかに脈々と生きているか、そうした事実をあらためて知るだけでも、「比較労使関係論」や「労働社会学」の教材としては実に絶妙でしょう。
それはともあれ、映画のクライマックス場面はあのロイヤルアルバートホールです。Proms Last Night と同じ会場で、ウィリアムテル行進曲の熱烈な演奏でついに勝ち得た栄冠、しかしそれを受けないとする病身のダニーの演説、トーリー政府の15年がもたらした惨禍と苦しみへの告発と言うよりも呪い(それがいささか「映画」らしくないとすれば、「The Great Dictator」でのチャップリンのそれと類似しましょう)、満場の拍手、すべては同じ会場で収められたのです。これはできすぎのシナリオでもありましょう。
大英帝国の絶頂期に君臨し、文字通り世界の支配者であったビクトリア女帝、その夫を記念して建てられたロイヤルアルバートホールは正真正銘、英帝国主義のシンボルです。その会場が百年来、「年中行事」の最後を飾る祝典の場となり、打ち振られるユニオンジャックと「ブリタニアの支配!」への賛歌で締めくくられ、「英国人」たちの虚栄心と満足感を盛り上げてきている、これは至極当然の筋書きです。その同じ会場で、「炭坑ロードーシャたち」の職場バンドが優勝し、サッチャーリズムとブルジョアジーへの呪いの言葉で締めくくられる、まことにいかにもに過ぎる構図です。
ロイヤルアルバートホールは20世紀の英帝国主義衰退の中では、いろいろな役割を担わされすぎました。それは「武道館」の比でさえありません。地球の裏側のエキゾチシズムのシンボルそのものである「SUMO」ロンドン興業まで開かれたのです。そして、「エリート青年たちの挫折したプロレタリア革命願望蜂起」として描かれたミュージカル「Les Miserables」の上演10周年ガラコンサートの収録されたのも、このロイヤルアルバートホールでした。その中央ステージで赤旗が打ち振られ、バリケードを挟んで壮絶なる銃撃戦が展開されたもようが、長く映像にとどめられ、どこででも入手できるのです。
では、サッチャーリズムとの闘いに敗れ、「技術革新」と「産業構造変化」のおかげをもって路頭に放り出されたサウスヨークシャーの炭鉱労働者たちはいま、再び繁栄し、世界を支配しようとする帝国主義の王国のただ中で、なにをしているのでしょうか。この「ブラス!」や「フルモンティ」はサッチャーリズムの「遺産」ゆえに世界的に成功を収め、英国映画産業に大きな収入をもたらしました。実際のグライムソープ・コリアリーバンドは映画の成功によって、プロ演奏家として生きていくことができるようになりました。この歴史の皮肉はさておき、名もなき数十万の元炭鉱労働者とその家族たちは、どこかでいまを生き、懸命に明日を求めているはずです。カネと暴力で世界を支配し、そのおこぼれで「英国民」に甘い夢を見させている現労働党ブレア政権は、この反サッチャーリズムの社会気運に乗って政権を奪取し、そして「ロードーシャの王国」ではなく、「クールブリタニア」の時代を開きました。ロードーシャたちはいまいちど見捨てられ、しかしなお「帝国」の夢とそのおこぼれ、ささやかな生活の安定にすがって生きているのでしょうか。
英国の社会は深い絶望のうちにあります。それはもちろん、industrial workersたちの苦悩としてではありません。いま全世界を覆う、支配するものと、支配され抑圧迫害されるものたちとの、底なしの憎しみととどまるところのない復讐の連鎖の一部としてです。かつて文字通り路上に放り出されたロードーシャたちは、いままたユニオンジャックを振り、「帝国の支配」に歓呼の声を上げ、「イラクの奴らなんかさっさと片づけてしまえよ」と、「The Sun」を片手に、ビタービールのパイントグラスを傾けているかもしれません。その昔は、「ロードーシャの天国」になったと称された、旧ソ連の一部であったグルジア共和国の「民衆」が"星条旗"を担いで、「腐敗した独裁政権を倒した」と歓呼している(それも10年前のことではありません)のと、あまりに対をなしすぎの構図です。
かつてサウスウェールズの炭鉱に私とともにもぐり、粉塵でたちまち鼻の奥まで真っ黒になる地下300mの坑道の中を歩き、はい回った、もとは炭鉱町の牧師の子弟であるカレル・ウィリアムズ、この映画のモデルとなったサウスヨークシャーの炭鉱の町に生まれ、さまざまな曲折を乗り越えて中小企業研究の第一人者となっている、しかし出自としてのworking class cultureにこだわりのあるロバート・ブラックバーン、日本流に言えば、「中学中退落ちこぼれ」から身を起こし、勤めていた企業の奨学金を得て進学し、研究者になってしまったコリン・ハスラム、こうした私の英国の知人たちの人生は、それぞれなりに重いものです。まあそれに比べれば、私はしょせんは傍観者、観察者を越えることはないのかもしれません。
1998-99年の「絵日記」は、こちら