チャーの活動歴
(Pink Cloud(Johnny,Louis,& Char))
メニュー

 年 表 

 人 名 

 曲 目 

 DiscoGraphy 

 テレビ出演 

 ラジオ出演 

 雑誌掲載 

 江戸屋 

〜活動歴〜

Before Debut

  Idle  

Pink Cloud
 (J,L,&C) 

  BAHO  

Psychedelix

  SOLO  

 C,B,& A 

 other 

〜年表〜

〜1975 1976

1977 1978

1979 1980

1981 1982

1983 1984

1985 1986

1987 1988

1989 1990

1991 1992

1993 1994

1995 1996

1997 1998

1999 2000

2001 2002

2003 2004

2005 2006

2007 2008

2009 2010

2011 2012

2013 2014

2015 2016

2017 2018



Char's Home

back to Home

1978年Godiegoとの活動で個人活動のシヴィアさを味わったチャーはミッキー吉野の紹介により加部正義と78年の秋にバンド"Johnny,Louis,& Char"を結成する。

そして三重県は合歓の郷にて2回に渡り合宿を行い12月28日に予定されていた中野サンプラザホールで行われる"Johnny,Louis,& Char Ultra Concert"の準備を進めるのであった。
合宿の合間である11月3日には文化庁主催の'78ミュージックフェスティバル「芸術祭奨励コンサート」 at NHKホールの収録で初お披露目も終えた。
しかし12月5日の新聞記事により活動を中断せざるえない状況に追い込まれた。

そしてチャーが活動を再開するに当たり目立たないが重要なカルメンマキ・バンドへの参加がある。
愛知、大阪、神戸、立川、そして武道館とRCサクションと共にツアーを行う。
チャー自らオーナーの事務所"SPACED OUT"を興し、ファンクラブ"PAPER MAGIC"(6ヶ月分の会費1200円で会報は2ヶ月に1度3回発行)も79年12月1日付けで発足した。
、などは年表〜1979年〜に掲載する。




ラジオ関東 "電撃ワイド・ウルトラ放送局"


1980年になりJLCもいよいよ本格的に活動を開始した。。
2月4日〜8日に一口坂スタジオでレコーディングされたシングル"Song In My Herat / Balcony(両A面扱い)"(キャニオン W-19)が4月21日に発売された。
そして3月10日〜27日に同じく一口坂スタジオでレコーディングされたアルバム"Tricycle"(キャニオン)が5月21日に発売された。

10月のL.A. 市政施行200周年フェスティバル at タイムズプラザの出演をきっかけにプロデューサーごっこしたがっていたスティーヴ・ルカサー達の白羽の矢が当ったCharは秋のツアーの合間の1週間でえ単身アメリカに向かった。
そしてロサンゼルスはサンセット通りにあるスタジオ。毎日お昼の1時に始まり夕方6時までスタジオ入りし、初日に"Give Me Sometime","Nice Changes","You Can't Have Me"の3曲のオケを、2日目に"Cry Like A Baby","Street Information","Smoky"の3曲のオケを録り、ギターをスティーヴ・ルカサーと重ね5日間でレコーディングした結果が翌81年2月に発売されたアルバム"U.S.J(Ultra Speed Job)である。



79年7月14日に"Free Spirit"でJLCは活動を開始したものの想像以上に厳しく解禁問題がのしかかりJLCの曲がラジオでON AIRされたのはChar自らDJを務めるラジオ関東での分が殆どの10数回であった。1981年
2月16日にロサンゼルス入りしサンタモニカで3日間遊び呆けてた後、サンタモニカからフリーウエイで40分位のノース・ハリウッドにあるリーズ・スタジオでリハーサルを2日間行う。そして渡米7日目からサンタモニカに戻りユニバーサル・シティのダブリン・スタジオでレコーディングを1日2曲のペースで行う。その結果No Goodの"OiRa"である。


1982年にレコード会社をキャニオンからVAPに移籍するに伴い、81年12月23日 横浜教育会館のライブを最後にJohnny,Louis,& Char名義からPink Cloud名義にバンド名を変更した。
このバンド名Pink Cloudはマーちゃんがアメリカはバークレーでお世話になった人の通称(奥様がシルバースター)で、1981年の東北ツアー(11月10日の仙台公演と推測する)での移動する午後の在来線特急(東北新幹線は開業前)の食堂車でマーちゃんが口にしチャーが気に入ったからである。

VAP移籍の条件として2年間でアルバム6枚リリースがあり、ベストや各人のソロを合わせれば問題ないと安易に考えたが結局、楽曲の提供やプロデュースなど全てに関わる結果となり消耗しきった に掲載する。

1983年はジョニーとマーちゃんのソロ・アルバムのプデュースを行った結果、チャーは歌うジョニー、ギタリストとしてのマーちゃんを再認識した。
バンド結成当時はチャーが曲を納得するまでアレンジし、凄い難しいことでも絶対に気持ちが良いからと説得していたが二人に敬意を示すように自分の考えを主張することをやめていった。

、は年表〜1984年〜に掲載する。

1985年は自ら望んだとはいえ、好きなように創る音楽家とレコード会社との隔たりを打破すべくVAPから東芝EMIにレコード会社を移籍した。70年代はBeatlesなどを担当していた石坂敬一氏にゼネラル・プロデューサー的な動きを期待したが85年7月に移籍前に野音にてレコーディングした作品をミニ・アルバム"aLIVE"を発売したのみで終わった。

、は年表〜1986年〜に掲載する。

、は年表〜1987年〜に掲載する。

、は年表〜1988年〜に掲載する。

、は年表〜1989年〜に掲載する。

、は年表〜1990年〜に掲載する。

、は年表〜1991年〜に掲載する。

、は年表〜1992年〜に掲載する。

、は年表〜1993年〜に掲載する。

年表〜1994年〜に掲載する。






the Peirod後

the Priod後も3人は機会がある度に演奏を共にしている。

1995年6月24日(土) Son's Of Blues Guitar Battle Night at 六本木 Pit Inn

1997年10月25日(土) Music Bazaar in 日比谷野音1998年 9月19日(土)MUSIC BAZAAR 98 at 有明とジョニー吉長が企画したチャリティ・コンサートでライヴを行った。


1998年 3月22日 ジョニー吉長の49th Birthday Live at 渋谷クロコダイルで演奏を行った。


1999年 3月21日 やはりジョニー吉長の50th Birthday Live at 渋谷クロコダイルで演奏を行った。


2007年 3月21日 やはりジョニー吉長のGroupWide Super Live Vol.5 "J-58 Party" at 原宿Crocodileにて3人で演奏を行った。











その後

1949年3月21日に福岡県(現在の北九州市小倉区)で生誕したジョニー吉長(本名:吉長 信喜(よしなが のぶき))。2012年4月下旬、体調を崩し入院。同年6月4日4:54に肺炎のため死去した。63歳。