1977年

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 DiscoGraphy 

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 江戸屋 

〜活動歴〜

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  Idle  

Pink Cloud
 (J,L,&C) 

  BAHO  

Psychedelix

  SOLO  

 C,B,& A 

 other 

〜年表〜

〜1975 1976

1977 1978

1979 1980

1981 1982

1983 1984

1985 1986

1987 1988

1989 1990

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Char's Home

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ロッキンf 83年2月号
「Charのすべて」
〜そしてデビュー〜

そのうち、オレも実力が認められてきて、キャニオンからデビューする話がきたんだ。あのヤマハにいた萩原さんが、プッシュしてくれて。
それで、オレのほうは、アメリカに行って、メンバー見つけて、自分のバンドでデビューしたいって言ったんだ。それで1976年5月アメリカへ行った。
「日本でやんねえか」って話もちかけたんだ。いい連中が集まった。むこうで一晩だけセッションした。それもそのへんに落っこってる弦が2本ぐらいないSGを、これでいいやって、ギュンギュンやって。もう1フレーズで決まったね。
それで、メンバー連れて日本に帰ったら、なにも用意できていない。レコード会社は、オレがほんとにアメリカでメンバー見つけて帰ってくるとは思ってなかったんだ。もめた。
結局1枚目は完成した。そのあと山内テツがちょうどフェイセスやめて帰ってきてて、テツとオレのバンドでツアーをやったり・・・。
事は順調に進んでると思ってたら、突然思いがけないことが起きた。ビザの関係どうのこうという、音楽とはまったく関係のない問題で、ひとりひとりアメリカへ帰っていったんだ。あー、これが現実だ!サイコーいいバンドだったんだけどね





市販本「Roft is Rock / The History Of Roft」

市販本「Roft is Rock / The History Of Roft」にチャーのライヴ情報を見つけました。
そこにチャーのコメント「下北ロフト、荻窪ロフト、新宿ロフトとミニ・ツアーをした」と共に、新宿ロフトのライヴ記録に4/29(土)、5/1(日)、5/15(日)、5/29(金)にチャーを見つけました。

日付名義タイトル
1977年1月19日(水)CharFM東京 21:40から21:55までの間の番組(番組名は不明)で"かげろう"が流された模様。
チャー本人は出演していないと思われる。
1977年1月20日(木)Char翌日もFM東京 21:40から21:55までの間の番組(番組名は不明)で"朝"が流された模様。
チャー本人は出演していないと思われる。
1977年2月19日(土)Char'77 後楽園ロック大サーカス「激突3大ギタリスト夢の競演」 at 後楽園球場特設テント
1977年2月27日(日)?Char新宿ロフト?

2001年4月5日 Ver7.2.21の更新時の情報は「1977年 ロフト」のみでありMCから1977年3月と推測していた。
1977年 4月 8日(金)泉谷しげる&ストリート・ファイティング・メン feat. CharRolling Coconuts Revuw Japan at 東京晴海貿易センター 東館ドーム
泉谷しげるのバックで演奏

この日の模様は41年後の2018年7月25日、CD14枚入りのBOXセット「ローリングココナツレビュージャパンコンサート1977」に収録された。
77年 4月30日(土)Char新宿ロフト
77年 5月 1日(日)Char新宿ロフト

同一内容が「77年?月?日の新宿ルイード」と聞きますが、私もロフトだと思います。
77年 5月15日(日)Char新宿ロフト
77年 5月26日(火)CharGo Rocking Festival at 中野サンプラザホール
共演:Oh!Mango!、矢野顕子
77年 5月29日(日)Char新宿ロフト

16:00〜 サイン会
77年6月2日(木)CharNHK 第1ラジオ 22:20から23:00の間の番組「若いこだま」放送
77年 6月17日(土)CharGo Rocking Festival at 大阪厚生年金大ホール
共演:憂歌団、矢野顕子



87年インタビュー
「J.-Rock In Transition」

Q:メンバーはどういったところから人選したんですか。
,br> A:東京を歩き回ったね、単純に。ディスコ行ったり、もうLAとかロンドンのかわりに、赤坂行ったり、西島龍一(B)が偶然俺の学校の先輩で、リューベンやるんだったら、キャアキャアの世界だなと思って。で、ディビーはディビーで原宿あたりでみつけて。

Q:スカウトマンですね。

A:そう。結構出歩いたよね。そこそこのメンバーを集めようかという話になったの。日本だったら誰もいるし、誰もいるしっていうのがあるわけじゃない。それこそスモーキーメディスンのメンバーだって頼めばやってくれるんだし。そういうの絶対嫌だって言って。そういうのが嫌でこっち側に来てたわけだから。日本のロック界というのは、すごくいいところだったんだけど、その人達が俺達を保障してくれるということは全くなかった時代だから、自分で何かやっていくしかなかったから。

Q:生活するという視点が全く欠落してた。

A:そうそう。俺はそういう意味では、実家通いだったから、それをはっきりしないと、全く自分のやっていることを認めてもらえないし、かといって、家族とけんかしてでていったとしても、音楽で何かやれないと。なんとか1つのビジネスなんだということを・・・。未だにそういう状態であることは確かだけどね。安定産業じゃないだけに。ヤクザな商売だと思うけどね。商売としては。

Q:芸能界に殴り込みをといったら変ですけど、ちょっとかき回して・・・

A:やろうかというのはあったね。そういう意気込みというか、ツッパリみたいなものはあった。メンバーで音楽的なことであっただけに、じゃあ、いいやって言って、じゃあ、ソロっていうものではっきりしてやるみたいな。だけどどっちにしても芸能界だろうが、どこだろうが、俺は音楽家だから、結局はどこでやろうと同じでないといけないな、みたいな覚めてた部分もあったけどね。ここでうまくやったほうが将来やりやすいなとかかんが得て。結局いまくはやれなかったけどね。

Q:商業的には「気絶するほど悩ましい」で、「逆光線」で、最後「闘牛士」かな。連続ヒットみたいでうまくいきましたね。で、同時期に世良公則とか、原田真二とか、"新ロック御三家"という名称がついて。







77年6月25日に2枚目のシングル"気絶するほど悩ましい / ふるえて眠れ"(キャニオン EP:W-4廃)をリリースし、いよいよ芸能界へ乱入することになる。特にNHKでテレビ放送された番組"ROCK FESTIVAL"に、クリエイション、上田正樹、カルメンマキ&OZと共に出演は印象深い。


日付名義タイトル
77年6月18日(日)CharFM東京 25:00から25:30の間の番組「高木麻早の何となく人生」でサブタイトル"チャーと一緒に・・・!"。
"気絶するほど悩ましい"と"ふるえて眠れ"が流された模様。
77年6月24日(金)CharChar Fresh Concert at 日比谷公会堂
1977年 7月16日(土)泉谷しげる日比谷野外音楽堂
泉谷しげるのコンサートにゲストで演奏した模様。
77年 7月21日Charニュー・ウェーブ・コンサート オープニング・カーニバル・イン・日光(日光霧降高原)
紫、バウワウなどと出演。
77年 7月23日Charみうら Rock Festival at 神奈川 三浦海岸特設ステージ

この日の模様は後日、テレビで放送された。
77年 7月??日Char77年 7月23日みうら Rock Festival at 神奈川 三浦海岸特設ステージの模様がテレビ放送された。
Dr(リューベン)+B(ジョージ・マスティッチ)+Kbd(ダニー・マトラッツォ)をバックに赤いバンダナをし銀のメタリックな衣装で白のムスタングで演奏。
(Shinin' You Shinin' Day)
(気絶するほど悩ましい)
77年7月24日(日)CharFM東京 25:00から25:30の間の番組「高木麻早のワンダーランド」で"気絶するほど悩ましい"が流された模様。
チャー本人の出演は不明。
77年 7月25日(月)Charフジテレビ 22:00〜22:55 「夜のヒットスタジオ」
77年 7月26日Charニュー・ウェーブ・コンサート at 愛知勤労会館
紫、バウワウなどと出演。
77年 7月27日Charニュー・ウェーブ・コンサート at 大阪玉出フロンティアランド(大阪万博記念公園緑の広場)
紫、バウワウなどと出演。
77年 7月28日Char、バウワウ、紫ニュー・ウェーブ・コンサート at 武道館
この日もドラム・セットの方に放物線を描くようにギターを放り投げる。
この日の模様の一部がフィルム"翔べChar!!"に。

この日の模様はニューミュージックマガジン誌 1977年10月号に記事になっている。
開演17:00。
77年 7月31日Char'77 Summer in Aso at 熊本県・阿蘇長陽村フィールド
センチメンタル・シティ・ロマンス、小坂忠、上田正樹、加川良、サンハウス、ガールズなどと出演。
77年 8月2日(火)Charフジテレビ主催の神宮祭り フリー・バザー at 神宮外苑
Venturesと共演。前半にチャー、後半にVenuresが演奏。Venuresのステージの最後にチャーも登場し"Caravan"をVenuresと共演した模様。
77年 8月3日(水)CharTBS 17:30〜18:00「ぎんざナウ」
青のバンダナにフランス国旗のようなタンクトップの衣装にブルーのムスタングで演奏
(空模様のかげんが悪くなる前に)スタジオからの演奏にフィルム"翔べChar!!"や幼少の頃やアマチュア時代の写真を挿入。
(気絶するほど悩ましい)
77年 8月 7日(日)Char日本テレビ 14:15〜15:30「日曜スペシャル 大学対抗芸能合戦−学習院女子短大・女子美術大・日本女子大の巻」放送
77年8月20日(土)CharNHKテレビ 「ロックフェスティバル」 公開録画 at NHKホール
77年 8月27日(土)CharTBSラジオ 21:30〜23:30 番組「鈴木ヒロミツ大放送」で"泉ピン子、榊原郁恵、シローティー、鳥居努ほか"の筆頭で紹介されている。
チャー本人の出演は不明。
77年8月28日(日)CharNHKテレビ 17:05〜18:50 番組「ロック・フェスティバル」放送
77年9月11日(日)CharNHK FM 19:15〜20:30 番組「ロック・フェスティバル」放送
77年 9月5日(火)Charフジテレビ 9:00〜10:30 番組「小川宏ショー」
どのようなコーナーで、演奏したのかどうかは不明。

TBS 17:30〜18:00「ぎんざナウ」
コーナー"秋!!気絶するほど感じる子"
"気絶するほど悩ましい"を演奏。



10月1日にファンクラヴが発足(入会金800円で6ヶ月会費1200円)、10月25日に2枚目のアルバム"HAVE A WINE"(ポニーキャニオン CD:PCCA-00679)、11月25日にシングル"逆光線 / Tokyo Night"(キャニオン EP:W-5廃)とレコードを出しながら精力的な芸能界活動をしていた。


日付名義タイトル
77年10月9日(日)Charテレビ朝日 16:30〜17:00 番組「出没!!おもしろMAP」
番組の初回に出演した模様。どのようなコーナーで、演奏したのかどうかは不明。
77年??月??日Char森永 小枝チョコレートCM
77年10月25日(火)Charフジテレビ 21:30〜22:00 「ミュージックフェア'77」
しばたはつみ、野口五郎と共に出演。
野口五郎としばたはつみによる「好きにならずにはいられない」で幕を開けた後、野口五郎が「異邦人」を、しばたはつみが「スーパーマン」を歌った後、チャーが"Smoky"を演奏した模様。
77年10月31日(月)Char文化放送 16:00〜18:00 「桂竜也 夕焼けワイド」


日本テレビ 20:00〜20:55 番組「紅白歌のベストテン」
テーマは「大捜索!オールスター初恋の人総登場」で共演者は西城秀樹、清水健太郎、桜田淳子、石川さゆり、岩崎宏美など。

Charはアルバム"HAVE AWINE"にクレジットされている ”YAMAHA speedy Char model” =SF-1000で"気絶するほど悩ましい"を演奏。
77年11月 5日(土)CharTBSラジオ 21:30〜23:30 番組「鈴木ヒロミツ大放送」で"フォーリーブス、はつみひとみ"と共に紹介されている。
チャー本人の出演は不明。


この番組がファンクラブCFCのスケジュール予定に掲載されているTBSラジオ 「ヤングタウン」か?
77年11月 6日(日)CharNTV 「TVジョッキー」

CFC第1回ファンの集い at 渋谷エピキュラスホール


FM東京 25:00から25:30の間の番組「高木麻早のワンダーランド」で"気絶するほど悩ましい"が流された模様。
チャー本人の出演は不明。
77年11?月??日Char紅白歌のベストテン(97年9月17日 速報歌の大辞テン)
ヤマハSFを使用し"気絶するほど悩ましい"を演奏。
77年11月 8日(火)CharFM東京 14:05〜15:55「歌謡バラエティ」 フォーク・ロック・スペシャルのホット・コーナーにゲスト出演。演奏をしたかどうかは不明。
77年11月 9日(水)CharTBS 17:30〜18:00「ぎんざナウ」
ヤマハSFを使用し"気絶するほど悩ましい"を演奏。
77年11月11日(金)CharChar Super Concert at 中野サンプラザ
77年11月15日(火)CharTBS 「運動会」
77年11月16日(水)CharTBS 17:30〜18:00「ぎんざナウ」
ヤマハSFを使用し"気絶するほど悩ましい"と"逆光線"を演奏。
77年11月18日(金)CharTBSラジオ「ヤングライブショー」放送
三軒茶屋のライヴハウス「三番館」で収録
77年11月20日(日)Charテレビ朝日 16:30〜17:00 番組「出没!!おもしろMAP」
番組に南沙織と共に出演した模様。どのようなコーナーで、演奏したのかどうかは不明。


FM東京 25:00から25:30の間の番組「高木麻早のワンダーランド」で"逆光線"が流された模様。
チャー本人の出演は不明。
77年11月21日(月)CharChar Super Concert at 石川厚生年金ホール
77年11月23日(水)CharChar Super Concert at 広島郵便貯金会館ホール

同日、TBS 17:30〜18:00「ぎんざNOW!」のコーナー「ONステージ貴公子チャー」で出演している。広島にいるチャーがどのように出演したのか?。
この時、プロモーション映像「ヤマハSFを使用し"逆光線"を擬似演奏」が放送されたのかもしれない。
77年11月24日(木)Char文化放送 「ジョイントライブ」
77年11月26日(土)CharTBSラジオ 19:30〜20:30 「ヤングライブハウス」に出演し「チャー・ライブ」。
77年11月27日(日)CharChar Super Concert at 千里万博ホール

FM東京 25:00から25:30の間の番組「高木麻早のワンダーランド」で"逆光線"が流された模様。
チャー本人の出演は不明。
77年11月28日(月)CharChar Super Concert at 福岡電気ホール
77年11月30日(水)CharTBS 「ぎんざNOW」
77年12月 3日(土)Char文化放送
77年12月 5日(月)Charフジテレビ 22:00〜22:55「夜のヒットスタジオ」
77年12月 6日(火)Charラジオ関東 22:00〜「電撃わいどウルトラ放送局」 D.J山田パンダにゲスト出演。
77年12月 7日(水)CharTBS 「ぎんざNOW」。
77年12月 8日(木)CharChar Super Concert at 北海道厚生年金会館
77年12月11日(日)Charフジテレビ 22:00〜22:30「ラブラブショー!」
タイトルは「アイドル青年!泣き虫シンデレラにデレデレ!!」で荒木由美子と出演。
77年12月13日(火)CharChar Super Concert at 仙台市民会館
77年12月14日(水)CharTBS 「ぎんざNOW」
77年12月17日(土)CharTV朝日
77年12月21日(水)CharTBS 8:30〜9:55「奥さま8時半です(モーニングジャンボ)」にコーナー「再会・チャー」に出演。
ゴールドトップレスポールとヤマハL-51を使用し"気絶するほど悩ましい"、"Fraulen"、"逆光線"を演奏する。


TBS 17:15〜18:00「ぎんざNOW!」
タイトルは「シンデレラのラブ・サンド」
ゴールドトップレスポールを使用し"逆光線"を演奏。
77年12月28日(水)CharTBS 「ぎんざNOW!」
タイトルは「激突 チャー&リューベン」



新興楽譜株式会社 ヤングギター77年8月号
「Guitarist Talk」


ギターを始めたキッカケは?
あのね、小学校の先生がオフクロに「この子は、数学やらせるより音楽やらせた方が良い」って言って。とにかく、歌のメロディーを覚えるのが速くてね。でも家じゃ、数学やんないと医者になれないから困ると思ったらしいけど、結局6歳の時からピアノを始めたわけ。一日6時間も弾かされていたんだよね。で兄貴がヴェンチャーズ時代の人で、俺のピアノにエレキ・ギターで対抗すんのよ。でもピアノはね、子供の頃、俺にとって楽器じゃなかったんだよね。要するにさ、楽譜があってさ、ピアノがあってさ、それだけでさ、そこに音楽的な物は何もなかった。数学解くのと同じでさ。小学校時代の悩みの種ね、それの反動みたいのが、ギターに出た訳よ。自由なものでしょ、別に先生に怒られる訳じゃないしさ。暗記する訳じゃないしさ。て言うか、簡単だったの、俺にとっては凄く小学校2年の時だけどね。兄貴が一生懸命演ってた「パイプライン」を一回演ったら、出来ちゃった。で、コードって言うのはさ、構造わかってたじゃない、音楽理論でね。それにタイミングが良かったね、ギター弾き始めた時の。それで色々聞いて4年生頃から一生懸命演り出したわけ。やぱヴェンチャーズとか寺内タケシの大コピーで。この間キング・レコードで寺内さんが弾いてんの聞いたけど、やっぱ凄かったよ。

ロックを聞き始めたのはいつ頃なの?
兄貴の友達が向こう行っててさ、外盤を持って来たり、送って来たりしてくれてね。どんどん新しいやつ聞いてたの。そんで、ビーチ・ボーイズとかヤング・ラスカルズとかを始めとして、フラワー・ムーブメントとかサイケデリック・ブームあたりでバニラ・ファッジ、ジェファーソン・エアプレイン、そんでクリームも入って来たんだよね。やっぱクラプトンのあのビブラートをつけるチョーキングにはまいったね。チョーキングは、もうヴェンチャーズの頃からギンギンにやってたけど。でも小学校6年生で"ギュイン、ギュイン"いわせてギター弾いてたから、回りの奴は皆なびっくりしてたね。

バンドはいつ頃から始めたの?
兄貴のバンドでは、コチョ、コチョ演ってたんだけど。自分のバンド持ったのは6年生位でね、"フォックス"っていうの。そんで、そんなガキの時もうACB(アシベ)なんか出ててね、バニラ・ファッジとかストーンズなんか演ってたんだよね。ガキがそんなの演るんで対バンの"スイング・ウエスト"なんかブッ飛んじゃってさ。その頃って言うのは、やっぱり兄貴の友達が送って来た、ファズ、ワウ、シールド、弦、ピック全部外国製でキメてんだよね。ギターもモノホンのモズライトでさ、もっと格好良いのはさ、もうアクション、ギンギンでね。ストーンズの"テル・ミー"なんか演る時は、イントロで腕振り回したり。

ステージ・アクションは誰の影響なの?
勝手に体から出ちゃったんだよね。不思議だね。自己顕示欲が強いって言うかね。良く言えば、これを演るために生まれて来たんだよね。ジミ・ヘンだって、左利きのギターじゃ目立たなくて、右利きのギター使ったり。もともと、あいつは、サックスだったのね。でもサックス演ってたんじゃ、右か左か分かんないって言うんで親父に頼んでギター買って貰ったんでしょ。とにかく、絶対に目立ちたいと。強いね、そういう人は。それ演らないと、とてもじゃないけど、この世界で大成できないだろうね。巧いばかりが能じゃないよ。誰だって練習すりゃ、巧くなるんだから。
それとサ、俺その頃から思ってたんだけどとにかく、音楽ってのはスポーツみたく健康的なものなんだよ。青白くて、神経質そうなヴァイオリン弾きとかのイメージとは違ってね。何せ、ボクシング・ジム通ってたしね。

中学の頃はどうなってたの?
中2の時、もうあーみんぐ、ギンギンでクリームの"アイム・ソー・グラッド"と"ホワイト・ルーム"演って、関東甲信越大会で2位になったことあったネ。
それからネ、その頃ついにレッド・ツェッペリンが出てきてさ、重大な問題に気付き始めたんだよね。あと、ラスカルズなんかの線からロイク(黒人)のソウル・ミュージックって言うか、当時のR&B聴き始めてたしさ。そんで、中3の終わり頃、ジョン・メイオールが来てさ、あのベースの奴、ラリー・テイラーのベースの弾き方見て、ついに分かっちゃったわけ。つまり、リズムのノリの話なんだけどね。アイツらのリズムのノリってのはさ、全部2ビートのシャッフルなんだよね。そんで、シャッフルって言うのは3連府の変形って感じでさ。例えば、ツェッペリンの"グッド・タイムズ・バッド・タイムズ"ってあるじゃない。あれのイントロのタイコのオカズってえのが、その辺の事分かってないと、絶対格好良く行かないんだよね。ジョン・ボーナムのタイコのノリが3連中心のフレイジングになってんだろうし。
結局、ロックとかソウルってえのは、シャッフル、スウィングなんか3連系のノリなんだからさ、絶対、体はケツで乗んないとウソなんどよね。頭動かして演ってるバカが良くいるけどさ。そんで3連をキチッと把握できるようになればさ、後ノリとか前ノリとかの話も簡単に分かるようになるしね。この辺は、アマチュアの連中にもしっかり勉強して欲しいね。

ところで、マーク・ファーナーの話が出てこないね?
アッ!いけね、忘れちゃいけない恐怖のグランド・ファンク・レイルロード。最初3人組だっつうから、クリームみたいの期待したらさ、全然違う訳よ。でも、あのパワーね、ほんと凄いと思ったね。そんで4枚目までは全部コピーして、高1の頃まで"ガスマスク"って言うバンドでギンギンに演ってたよ。もうギターは投げるし、空は飛ばしてもうタ〜イヘン!客は唖然としちゃってさ。
でもさ、その頃にはやっぱりもうハード・ロック飽きてきちゃってね。そんで、今度はキング・クリムゾンとか、イエス、ジェネシスなんかのさ、いわゆるプログレッシブ・ロックって言う奴ね、聴くようになってたの。
あと、ラリー・コリエルとジョン・マクラフリンの共演した"スペイセス"ってレコードね。あれでコリエルさんにまいちゃったね。もう綺麗だし、とにかく指はメチャクチャ速いっしてんで。そんで、ペンタトニックの使い方覚えたりしてね。あとマハビシュヌ・オーケストラの方も聴いてたね。でも、あれはマクラフリンのギターよりもビリー・コブハムのタイコの方に感心があってさ。そんで、変拍子なんか、メチャクチャ凝ったりして。

ピアノの方はどうなってんの?
それが、驚くなかれ、しっかり高3までは続けてたんだよね、音大に行くつもりでさ。それに、高校の頃、もう少しロックに飽き始めた頃だったし、回りにいる奴らが結局イモだって言う事が分かったしさ。さっき言ったみたいな特にリズムの事でね。そんで、ピアノ10年演って、やっと精神年齢がピアノを理解する所まで行くようになってさ。あと指揮者にもなりたいと思って、指揮科に通ったりもしたんだよね、クラシックの方に進もうと思って。でも、バンドも併行して演って行く内に、スモーキー・メディスン組んじゃってたわけよ。高3の頃。あのバックス・バーニーの金子マリとか鳴瀬喜博とか、今アレンジャーやってて「先生」とか呼ばれている佐藤準、あと今、大貫妙子のバックやってる藤井章二と一緒にね。そしたら、クラシックの先公が俺にロックをやめろって言ってね。でも、俺はスモーキーの方がその時はやりたかったから、結局それでクラシックの方はおしまい。

スタジオの仕事もやってたんでしょ?
高1の時にさ、ヤマハで何かパーティがあってね。そん時、今、俺のレコーディング・プロデューサーやってる人が、まだギタリスト演っててね。そんでギブソンんおES-335持ってんのよ。そんで俺若いしさ、ツッパッてたし、ギブソンで弾いてみたかったし、そのオヤジにそのギター貸して言ったわけ。そして、使ったら、良いのなんおって、いつもの3千倍は巧く弾けちゃってさ。そしたら、そのオジサン、ギター弾くのやめちゃって、次の日からそのオジサンのスタジオ・ワークが全部俺に廻って来ちゃった。エレック関係とか、キャニオン関係でメチャクチャ稼ぎまくってさ。エレキ・ギター、生ギター、ベース、フルートなんでも演ったよ。でも、その頃も色々勉強になったよ。アレンジとかレコーディングのこととか、プロデュースとか、日本の音楽業界とかね。
今でも、まだたまにスタジオの仕事やるけど、色々とバンドと併行して、勉強のつもりもあって、ずっと演ってたね。そんで、何だかんだ言ってる内に、去年キャニオンからレコード出したって言うわけ。

どんなレコード聴いてるの?あとギタリストで好きな人とか?
高校の終わり頃からは、もう真っ黒ネ。アース・ウインド&ファイア、クール&ギャング、スティービー・ワンダー、ダニー・ハザウェイ、クルセイダーズ、あとタワー・オブ・パワーとか、スティーリー・ダン、ボズ・スキャッグス、ジョー・ウォルシュかな。
ギタリストでは、最近は憧れのラリー・カールトンとか、リー・リトナーね。あいつの若さとか白人っぽさが良いね。あとやっぱジョージ・ベンソンね。あのアレンジ力とメロディー・ラインにはほんと敬服するね。あのぐらいテクニックも付けたいと思うし。
前ので行けば、やっぱクラプトンとペイジ、マーク・ファーマー、カクタスのジム・マッカーティー。あとジェファーソンって言うか、ホット・ツナのヨーマ・コウコネンね。あいつらのレコード全部持っているよ。あいつらの影響でさ、フィンガー・ピッキング演りたくて、カントリーもコピーしたもんね。ペイジかグレッグ・レイクの生ギターも好きだよ。

ジェフ・ベックとかジミ・ヘンは?
ベックって、昔何演ってんのか全然理解できなかったのね。"ジェフズ・ブギー"も知らない位で。でも"ラフ&レディ"、"ジェフ・ベック・グループ"の頃から、あのサウンドと共にギターも目茶苦茶好きになってね。ベック・ボガード&アピスで来日した時には、やはりあのギターに感動したね。ステージって言うか、サウンドは全然面白くなかったけどね。ヘンドリックスは、ギターの神様って感じね。あのムードはほんと凄いよ。俺もああなりたいね。

どんな練習したの?
もう、指の方はピアノでバッチリだったし、理論も、もう何でもこいだったからね。ガキの頃から。なんせ、高1でもうギターの教則本作っちゃったぐらいだから。

チャーのフレーズってかなり独創的だと思うけど、何かヒントってあるの?
大体はドリアン・スケールが多いけど、あと巧く、ペンタトニックとか、メイジャーセヴンとか入れてね。でも、やっぱフィーリングだよ。ベックなんか、何にも知らなくたって、あそこまで弾いちゃうんだからね。まぁ、理論知ってりゃ、もっと凄いかも知れないけど。それと、最近なんかラリー・カールトンとかブルース・コントの影響みたいんで、6thと9thの音やたら使っちゃうんだよね。

ギターは何使ってるの?
ギターはフェンダーのムスタング3本。3本ともCBSより前の60年代初期の奴。何本でも欲しいんだよね。凄いシンプルで使いこなすの大変だけど、誰も使ってないから、是非広めたいと。とにかく、安いよ。1本なんて、40,000円だよ。あとアメリカでは150ドル位だし。アームも付いてるしと。
あおれと、60年代後半のギブソン、レスポール・デラックスね。こいつがほんと最高なんだよね。こんなに良いギター絶対他にないよ。ネックの太さ。チューニング、音、ルックス、もう全部良くて言うことなし。
ステージではムズタングばっかりだけど、レコーディングでは、バッキングほとんどレスポールだね。今度のシングルではリードにも使ってるけど。アルバムでは、ほとんどリードにムスタング。"ネイビー・ブルー"なんかは、もらい物のギブソンES-335。
ムスタングは、投げれば投げる程良い音になっちゃうんだよね。ほんと、あれ凄いよ。

アンプは?
フェンダーのデュアル・ショウマンが最高に欲しいんだよ。レコーディングでは使っているんだけど。そんで、今はステージでハイワットとローランド使ってる。俺とにかくクリアであんまし歪まない奴が好きなのね。前使ってたマスター・ヴォリューム付きのフェンダー、トゥイン・リバーブは、もう歪み過ぎてどうしようもなかったね。
何か特にこの頃、ジョージ・ベンソンみたいな音出したいしね。ナチュラルでクリアな感じで。それに、歪んだ音でばっかり弾いてるとギター、ヘタになりそうだし。
そんで、レスポールとデュアル・ショウマンのコンビが最高なんだけどね。あのタワー・オブ・パワーのギター、ブルース・コントみたいなギブソンらしい音が良いね。

アタッチメントは?
あんまし好きじゃないんだけど、一応、MXRのフェイザーと、正体不明の軽薄なパワー・ブースターは使ってる。あとスタジオ・ワーク演ってた頃は、ひと通り揃えてたね。

何か、アマチュア・ミュージシャンにアドバイスしてくれない?
好きなモン聴いてさ、凝り固まれば良いんだよ。サメてちゃダメだね。死ぬまでサメちゃダメだ。
でも、みんあプロにはならない方が良いよ。俺がいる限り、絶対に勝てないから・・・。