山の雑記帳7

 日本武尊の足跡 完結編  1998.09.28 記

 深田久弥著 山岳遍歴  1998.10.08 記

 登山の効用 驚くべき運動強度  1998.10.11 記

 八幡平、蔵王の山旅  1998.10.14 記

 山より登山  1998.10.21 記

 森永チョコボール  1998.10.26 記


日本武尊の足跡 完結編  1998.9.28 記

以前、この山の雑記帳でご紹介した、東北新幹線・上越新幹線の往復料金+運賃がほぼ半分になるという 「新幹線の割引サービス」 の期限はこの9月30日となっており、 もう残り期間が少なくなってしまったことから 結局使うことができないで終わりそうである。

このサービスを利用して蔵王に行く最後のチャンスとして期待していた9月26日、27日も、天気予報は東北地方の雨を予想していたために見合わせてしまったし、 また現在、 会社を休んでいく程のモチベーションはないことから、 来年も同じ企画が出されることを期待するか、 あるいは今秋、 思い切って正規料金で出かけるかということになってしまったわけである。

そういうわけで、ポッカリとヒマができてしまった26日の土曜日だったが、それではと、長い間気になっていた丹沢の 「日本武尊の足跡」 を見に行くことにした。
前に述べたように 「日本武尊の足跡再訪」 参照) 丹沢表尾根二ノ塔から 「日本武尊の足跡」 の所へと下る道は不明瞭だったので、 今回は秦野市役所の方が言っていた菩提峠の方から登ってみることにしたのであるが、「日本武尊の足跡」 を見た後に表尾根を登って塔ノ岳まで行くのも何となくマンネリと億劫さを感じ、 今回は単に 「足跡を見に行く」 ことだけを目的とすることにした。

そうなると 「山に対するこだわり」 によって、普段なら小田急線秦野駅からバスで蓑毛まで行き、そこから登り始めなければ気が済まないというところを、 車を使ってヤビツ峠まで行ってしまっても罪悪感を感じなくて済むわけで、 気楽な気持ちで朝5時半に横浜の自宅を出発した。

国道246号線を進み、小田急線愛甲石田駅を過ぎて、やがて新善波隧道を通り抜けると、右ヤビツ峠の標識が見えてきたので、 右折し、あとは山に向かってひた走るだけであったが、 途中、蓑毛付近では立派な石の鳥居が道路の真ん中に 中央分離帯のようにして建っているのを見かけた。

これは、蓑毛が大山 (オオヤマ)信仰登山の裏参道登山口 (蓑毛−蓑毛越−表参道16丁目−大山頂上)として栄えていた頃の名残で、 当時は東海道線 (今は御殿場線)が松田を通っていた頃、 登拝者は松田駅で下りて蓑毛まで入り、 御師 (講の案内人)の家に一泊して翌日大山に詣でていたのである。

しかし、丹那トンネルが開通し、松田が東海道線からはずれてローカルな御殿場線となってからは、大山登山に利用する人たちが少なくなって寂れてしまったとのことで、 確かに今この蓑毛への道を通っても 往時の繁栄を想像することはできない。

蓑毛を過ぎ、蓑毛橋を渡ってからはクネクネした山道となり、途中展望台を過ぎる頃には完全にガスの中となってしまったが、 頂上を目指すのではないと思うとこのガスも気にならなかった。

6時40分にヤビツ峠の駐車場に車を止め、6時45分に登り始めた。
最初は、 富士見橋経由で菩提峠に向かおうと思ったのだが、 昔登ったことがある岳ノ台経由にて菩提峠に行ってみたくなり、 ヤビツ峠売店横にある岳ノ台へのコースに入った。

いきなり、丸太によって整備された急坂となったが、それも長く続かず、傾斜が緩やかになると右下に送電線の鉄塔、 目の前には岳ノ台が見えるようになって、 道は岳ノ台の右手を巻くように続いていた。

登り切ると、手入れがあまりされておらず、かなり草に囲まれた休憩舎があり、その前で左にカーブして暫く登っていくと、 やがて目の前に 岳の台頂上の展望台が現れた。
10年前にここを訪れた時は、 頂上にあったベンチで寝転がって30分程昼寝をした記憶があるが、 今の岳ノ台頂上は完全に草に覆われて荒れ放題の状態で、 当時のベンチの所在など分からず、 また展望台は階段に紐が張られていて登れないようになっていた。

ここに来るまでの道はしっかり踏まれてはいたものの、下草がかなり伸びているとともに、最近人が歩いた雰囲気があまりなく、 また所々で蜘蛛の巣が道を塞いでいたことから少しおかしいなとは思っていたのだが、 この岳ノ台の頂上の荒れ放題の状況にはびっくりしてしまった。
これでは 「散策コース」 の名前が泣く。

しかし、もっとひどかったのが岳ノ台から菩提峠へと下る道で、背丈ほどに伸びた笹が道を覆っており、おまけに前日降った雨なのか、 かなり葉に露を含んでいて、 笹をかき分けて下っていくとアッという間に衣服がビショビショになってしまった。

道は土嚢を積んだり、丸太の階段になっていたりとかなり整備してあるのに、その後のメンテナンスが全くされておらず、 これでは山道の整備に携わった人たちが気の毒である。

笹やススキの茂った道をようやく抜けると、やがて植林帯の中の滑りやすい赤土の道に変わり、 たどり着いた平地が 「太志の広場 (記憶が間違っているかもしれない)」 という所で、 傍らには小さな祠もおかれていた。

そこからは暫く登りが続いたが、やがて展望も開けて気持ちのよいススキの原となり、ハングライダーの飛び出し台なども設置されていて、 台の上からはややガスで霞んではいるものの、 眼下に広がる秦野の町並みを望むことができた。
ハングライダーの飛び出し台から一山越えると菩提峠で、 時計を見ると7時35分であった。

なお、余談だが、昔の記憶ではヤビツ峠と岳ノ台の間には立派な祠が置かれており、またこの岳ノ台付近の道に関する記述が書かれた看板もあったという気がするのだが、 今回は見過ごしてしまったのか、 あるいは道が違っていたのであろうか ?

菩提峠には、秦野市役所の方がおっしゃったように、鎖で封鎖された林道の傍らにやや消えかかってはいるものの 「日本武尊の云々」 と書かれた手製の標識があり、 そこから山道が杉の植林帯の中に伸びていた。

10年前は、このような立派な標識はなかったものの登り始めは同じ場所で、途中から道を間違えたのか、藪こぎのひどい登りとなってしまったのだが、 今回はしっかりとした道が最後までつけられ迷うことはなかった。
やや急ではあるが、 先までの岳ノ台の道とは違って下草がきちんと切り払われ、 しっかり整備されていて気持ちがよい。

30分ほど登っていくと、樹林帯の中、やや不明瞭な道が右に分かれている所があり、その傍らに朽ちかけてはいるが 「日本武尊の足跡」 と書かれた白い板が認められたので、 右に道をとった。
ほんの1分ほど進むと、 小さな広場となり、その端には 「日本武尊の足跡」 と書かれた白い標柱と、 その横に平たい大岩があって、 大岩には日本武尊の足跡がつけられていた (足跡には雨水が溜まっていた。 8時7分着)

周囲の様子は10年前の記憶通りで、左上にはこの岩の由来を書いた白い看板もあり、ガスが漂う中、周囲の岩が古墳のようにも見えてなかなか神秘的であった。

足跡はただの岩のくぼみといえばそれまでなのかもしれないが、前にも書いたように、なかなかロマンがあってよいではないか。

この後は、再び分岐に戻って二ノ塔へと向かったのであるが、ここからの道はほとんど整備されておらず、岳ノ台の下山道のさらに上を行く、 ものすごい笹の海であった。
足下の道はよく踏まれていたので安心であったが、 露を含んだ笹の海をかき分けるのは大変しんどく、 時間にして約10分ほどで二ノ塔に飛び出すことができたものの、 完全に体はびしょ濡れであった (8時20分着)

なお、飛び出した所は、二ノ塔の富士見橋よりの道で、前回「日本武尊の足跡再訪」 参照)途中まで下りて引き返した道であったのは皮肉である (沢山分かれ道があったので この道だけが正解というわけではなかろうが・・・)

10年前、「日本武尊の足跡」 を訪ねた時も途中で藪こぎを強いられ、ズボンがビショビショになってしまったのだが、 今回も同様にビショビショになってしまい、 何となく因縁めいたものを感じた。
もっとも、 前回はそのまま塔ノ岳へと進み、鍋割山から雨山峠を経由して寄 (ヤドリギ)へと下ったのだが、 雨山峠からは雷が鳴り始めて寄沢の河原を歩く時は生きた心地がせず、 また寄近くの林道に入ってからはバケツをひっくり返したような大雨に遭ってしまい、 散々であったのに比べれば、 今回のように二ノ塔からの下りで少々の雨がパラついたのは可愛いものである。

しかし、天候はあまり良くなかったとは言え、とにかくようやく 「日本武尊の足跡」 に再会することができたので 満足の1日であった。

なお、「日本武尊の足跡」 の写真は ここをクリック して下さい。


深田久弥著 山岳遍歴  1998.10.08 記

先日の山の雑記帳 「続 夏山登山 他」参照) でその購入について少し触れた 深田久弥氏の 「山岳遍歴」(主婦と生活社:TODAY BOOKS) をやっと読み終えた (他にも読みたい本が沢山あったため、 読むのが遅れたのである)

この本が最初に発刊されたのは1967年のことで、深田氏が当時いろいろな所で発表していた紀行文・随筆の中から深田氏自ら選んで編纂したようであり、 構成は 「愉しき山行」「山によせて」「憶い出の人」「山の本と映画」「雑嚢」 という5つの章の中に、 それぞれ数篇の紀行文・随筆・書評などが収められているものである。

従ってこの本を読むと、深田氏の登山に対する考え方や、1960年前後における登山ブームの様子、当時の世相などが分かってなかなか面白いのであるが、 中でも特に興味を引いたのは 「愉しき山行」 に収められている山の紀行文である。

これは、幌尻岳トムラウシ太郎山大峰山高妻・乙妻伊吹山那須岳祖母・傾阿蘇山塩見岳 の10篇からなるもので、 還暦前後の数年間に深田氏がこれらの山に登られた時の様子が記されていて、 より生身の深田氏を知ることができる。

ご存じのように、これらの山は太郎山を除いてみな百名山に選ばれいるわけで、名著 「日本百名山」 がその山に対する蘊蓄 (ウンチク)や、 山の姿、 眺望、 思い入れなどに文章の多くを割いていて、 作者がその山に登った時の様子は簡潔にしか記されてないだけに、 自分の登山を中心としたこれら 10篇 (9篇) の紀行文は大変興味深いものがある。

言わば、「裏版 日本百名山」とも言えるもので、当該の山について 「正式版」 とこの 「裏版」 を読み比べてみると 大変面白いし、 これに加えて当該の山に私自身が既に登っていれば もう言うこと無しである。

自分の記憶とダブらせながら、今から30年以上前の山の様子を読んでみると、今とほとんど様子が変わっていないことに気づくし、 特に大峰山は本当に昔のままであるように思われる。
私は深田氏とはほぼ逆のコースを辿ったのであるが (これを順峰 [ジュンブ] という) 山上ヶ岳、日本岩、 小笹ノ宿、大普賢岳、行者還岳、一ノ垰、弥山小屋、八経ヶ岳、狼平 などの記述を読むと、 完全にその場所の様子が頭に浮かび、 懐かしさが込み上げてくるのである。

ところで深田氏は、当時、近代産業の寵児であった 「観光産業」 によって、いずれ大峰山「女人禁制」 も解禁せざるを得なくなるであろうという地元の話を紹介していたが、 今もってこれが解禁となっていないというのも大変面白い気がする。

伊吹山も、 私が登った時には スキー場や中腹にあるホテルなどに少しがっかりさせられたのであるが、 1960年当時からすでにスキー場の開発は進んでいたようであり、 今とあまり変わらない状況だったようである。
しかし、 深田氏も私もシーズンオフにおける登山だったために、 観光客などほとんどいない純粋な登山を楽しめたのは幸いであった。
深田氏が伊吹山に登られた後、 昭和40年に伊吹山ドライブウェイが完成して 山頂まで車で行くことができるようになったわけで、 もし深田氏が登られた時にこのドライブウェイが開通していたら、 氏はどのようなことを思われたであろうか ?

この他、 高妻山なども昔と変わっていないようであり、 いろいろ比較しながら楽しく読むことができたのであるが、 読んでいる途中で、 景色などは当時とそれ程変わっていなくても、 登山道の状態は当時と比べものにならないくらい整備が進んでいるのではないか という考えがフッと湧いてきた。

丸太の階段や木道、土嚢などが敷かれてしっかり整備された道などは、恐らく当時にはなかったと思われ、深田氏がそれらについて触れていないのは、 登山道が登山道然としていたからではなかろうか と推測できるわけである。

つまり、当時あったものがなくなっているという場合は変化が分かりやすいし、また当時なくて現在はあるというものでも 建物などはこれまた変化が分かりやすいのだが、 これに引っかからないのが登山道であって、 昔と変わっていないと 単純に喜ぶ訳にはいかないかもしれないということなのである。

あまりに多くの人が入って山道が荒れたためであったり、心ない人が道以外の所を歩いたためであったり、酸性雨などによる山の荒れだったり、 安全確保のためだったりと、 登山道整備の理由は多くあろうが、 やはり登山道は極力自然に近い方が良いに決まっている。

ほとんど昔と変わらないと思われる山々も、登山道には多くの人の手が入っており、こんな所にまでも と驚くくらい高い所にまで 丸太の階段ができていたりして驚かされることがあるが、 このことは見方を変えれば、 この 30年の間に確実に自然を失っていると言うことなのかもしれない。

そうそう、 このことに関連して言えば、 氏はこの 「山岳遍歴」 の中で、 缶入りジュースの普及により登山道に空き缶が多く捨てられるようになったことを 嘆いた文章を書いておられるが (「雑嚢:ジュースの空きカン」) 当時に今日の問題の萌芽が見られたことが大変面白い。
自動販売機が普及し、 今では缶ジュースは行楽の友ではなくなり、 そして一般道の端や自動車道の中央分離帯などにも多くの空き缶 ・ゴミが捨てられるようになった現状を知ったら、 深田氏はさらに嘆かれるに違いない。

と、 つまらないことまで考えが広がってしまったが、 とにかく登山の好きな方はこの 「山岳遍歴」 を一読されることをお奨めしたい。

ところで、同時に購入した真保裕一氏「ホワイトアウト」(新潮文庫) も大変面白く、山岳冒険小説として ボブ・ラングレーの傑作 「北壁の死闘」(創元推理文庫) にも負けないくらい私を楽しませてくれたことを付け加えておく。


登山の効用 驚くべき運動強度  1998.10.11 記

10月8日付の朝日新聞の 「元気とからだ」 という欄に、登山のことが載っていたが、お読みになった方も多いことであろう。
登山の効用に関することが記事の中心であったのだが、 私のようにただ登っているだけの人間にとっては、 結構勉強になることが多かった。

記事によれば、登山は急激な負担を体にかけることが少ない割に、エネルギー消費量が多く、運動強度も高いとのことだそうで、 そのことはもう実感済みである私にとっては言わずもがなのことなのであるが、 これを数値化したもので示されると結構驚かされる。

まず、登山のエネルギー消費量であるが、20代の健康な人が登山をした場合の1時間当たりの消費エネルギーは700キロカロリーなのだそうで、 1日8時間ほど山を歩くとすると 5,600キロカロリーとなって、 これはフルマラソンの約2倍の消費量になるというのだから驚きである。

従って、「登山は、無理なく体脂肪を減らしたり、心肺機能や筋肉の働きを高めたりすることができる」 ということになるのだそうだが、 私の場合は1ヶ月に1度ほどの登山しかやっておらず、 せっかく登山で体脂肪を燃やすことができても、 残りの29日間でそれを上回る体脂肪を身につけてしまう (よく食べる) のであるから、 徐々にではあるが肥満 (特に腹周り) が進行している。
自分の体型をキープするには、 私の場合、 1ヶ月に2回以上登山すべきなのかもしれない (食べる量を減らすことなど考えられらない・・・)

それにしてもフルマラソンに匹敵するエネルギー消費量というのは凄いの一言で、3日ほど重い荷物を背負ってテント泊の縦走を行い、 質素な食事を続ければ、 脂ぎった体も脱脂され ?、 スマートになること間違いなかろう。

そういえば、日帰りの山行でもかなりハードと思われる行程をとった時など、体重が下山後3、4キロ減っていることが多々あり、 なるほどとも思う。
但し、 私の場合、 その後の飲み食い、 特に水分を非常に体が欲することから、 ビールや水をガブ飲みしてしまい、 元の体重に復するのにそれほど時間を要さないのであるが・・・。

運動強度 (運動の強さ) については、酸素消費量をもとに示す指標として 「METs」(メッツ) というものがあって、 これを使って他のスポーツと登山を比較している。

「スポーツ医学基本用語ゼミナール」(臨床スポーツ医学、vol.5 臨時増刊号 1988 文光堂) によれば、

METs とは metabolic equivalents または metabolic unit の略語で、労作強度を示す一つの指標である。
安静座位のエネルギー消費量は、 性、年齢、体格 などの要因で多少変動はするが、 (酸素)O2 消費量にしておよそ 3.5ml/kg・分である。
運動時のエネルギー消費量が安静時の何倍に相当するかは、 その運動の強さを知る一つの指標となる。
METs は運動時の(酸素)O2 摂取量(ml/kg・分)を安静値(3.5ml/kg・分)で除した数値である。
最大酸素摂取量は 一般健康成人の場合 10 − 12 METs に相当するが、 一流長距離選手では 20METs にも及ぶ。 (・・・以下省略・・・)

ということだそうである。
この METs で比較すると、 登山は下記のように、 テニスなどよりも運動の強度が強いそうで、 昔健康によいと思って熱中していたゴルフなどとは 終了後の爽快感が全然違うのも肯ける気がする。

運動強度の目安(朝日新聞 10.8 の記事より)
  3 − 4METs バレーボール (6人制)、 ゴルフ
  4 − 5METs 卓球、 テニス (ダブルス)
  5 − 6METs サイクリング (時速16.1キロ)
  6 − 7METs テニス (シングルス)、 フォークダンス
  7 − 8METs ジョギング (時速8キロ)、 登山
  8 − 9METs バスケットボール、 スキー
  ★安静時は1METs

これを見ると、バレーボール (6人制) は楽だなどと思えるが、 コートに立った試合の運動強度は小さくとも、 上手くなるための練習は相当きついはずである。

その点、ゴルフの練習で音を上げるというのは、ゴルフ部とプロの卵位で、一般人は練習さえしない人も多いのだから、 ゴルフは老人でも十分にできるスポーツということになろう。
山も老年の方は多いが、 運動の強さを、 登るペースで調整をとっているのかもしれない。

この他、 記事では森林浴の効果にも触れており、 山道、森の中を歩くことで、 よく聞く 「フィットンチッド」 の働きを受け、 人間の精神を安定させるのに効用があることを述べている。

こうなると登山は心身にとって良いことずくめということになるが、 そこは抜かりない新聞社のこと、 自分の体力に合わせることの重要性、 十分な装備の必要性、 高山病や温度変化についても触れていて、 その危険性も説いている。

この記事を読んでまた山に登る人が増えることは大変好ましいことであるが、 私としては、 これに 「登る山を選べ」 ということも付け加えたいという気がする。

どこの山に登ろうとそれは個人の自由なのであるが、いきなり高い山、難しい山に登ろうとはせずに (百名山ブームなどに惑わされず) 自分の技量を少しずつ上げていき、 自分の技量よりチョット上の山に登ることを積み重ねていくべきだと思う。

その方が山に対する余裕も生まれ、単に健康のために登ることだけではなく、景色を楽しみ、花を愛で、山の素晴らしさを満喫でき、 自分に何らかのプラスをもたらすようになるのだから。

深田氏も書いているではないか、
「・・・山は私の人生の何分の一かの時間を占めた。 それに悔いはないが、 肝腎なのはそれが私の成長にどれだけ役立ったかということである。 それはただの趣味であってはならない。 それから摂取し、 蓄積し、 それがエネルギーとなって再び有意義に発散するものであらねばならない。 ・・・」 (「山と還暦」より) と。


八幡平、蔵王の山旅  1998.10.14 記

私の会社には時々変則的な休みがあるのだが、この10月12日(月)もその一つで、10月10日から3連休であった。
しかも、 天気予報ではこの期間中 高気圧が大きく張り出しており、 かなりの好天が期待されるようであったから、 この機に山へ行かなくて良いのだろうか ? (イヤ、行かねばなるまい)

ということで、早速、登ろう登ろうとしながらなかなか機会に恵まれなかった蔵王に行くべく計画を練ることにした。
蔵王は前にも述べたように日帰りが十分に可能で 「特選 日帰り百名山」 参照) また7月21日から9月末までは新幹線の割引サービス (約半額となる) もあったことから狙い目であったのだが 「新幹線の割引サービス」 参照) 何やかんやでチャンスを逸していて、 心の中でかなり引っかかっていた山なのである。

ようやく念願が果たせるわけであるが、とはいえ、せっかくの割引サービスがついこの間まであったにもかかわらず、 少し期間がズレただけで正規料金で行かねばならないのがシャクで、 何とか蔵王山行に付加価値を付けるべく頭をひねり、 結論として八幡平、 蔵王という2つの百名山を登ることに決めた。

計画 (そして実際も) は下記の通りであったのだが、目論見通り最高の天候に恵まれ、陸奥 (みちのく) の秋を大いに楽しむことができた。

範疇行         程(備      考)
10/10
(土)
交通 東京駅八重洲口 (23:10)− 盛岡駅 (翌日 6:30) 夜行バスやまびこ号
宿泊 車 中 泊
10/11
(日)
交通 盛岡駅 (7:27)−黒谷地 (9:27)バス(岩手県北自動車
登山 黒谷地−源太森−八幡平−畚岳−諸檜岳−
嶮岨森−大深山−三ツ石山−松川温泉
裏岩手連峰縦走
交通 松川温泉 (17:05)−盛岡駅 (19:22 渋滞30分遅れ)バス(岩手県北自動車
宿泊 盛岡のビジネスホテル泊
10/12
(月)
交通 盛岡駅 (6:21)−仙台駅 (7:43)やまびこ32号
仙台駅 (8:30)−表登山口 (10:02)バス(宮城交通)
登山 表登山口−峨々温泉−猫鼻−名号峰−追分−
自然園−熊野岳−御釜−刈田岳
ちゃんと登る
交通 刈田岳山頂 (15:20)−白石蔵王駅 (17:08)バス(宮城交通)
白石蔵王駅 (17:35)−東京 (19:36)−横浜やまびこ108号

登山の詳細は追々登山記にアップするが、 基本的に八幡平頂上や蔵王の刈田岳・御釜は完全に観光地で、 多くの観光客の中で40リットルもあるリュックを背負って歩いている私の姿は、 完全に周囲から浮いていたようであった。

しかし、今回の八幡平山行のハイライトは、頂上駐車場から車道を暫く下り、畚岳 (もっこだけ)への登山道に入った瞬間から始まったのであり、 そこからは完全に登山の世界となり、 雲一つない青い空に太陽は最後まで姿を隠すことなく照り続け、 雄大な岩手山はいつも左手にその姿を見せ、 気持ちの良い草原、 銀色に輝くササハラ、 美しい池塘や池、 紅葉した木々などが私を大いに楽しませてくれた。

最初、八幡平へは松川温泉から登る今回とは逆のコースをとろうと考えたのであるが、そうした場合、最終目的地である 八幡平頂上発のバスの時間に間に合わなくなるので、 やむなく八幡平から松川温泉に下るコースを選んだのである。

これはいつも言う 「私の山へのこだわり」 からくるもので、八幡平の頂上までバスで行ってしまっては登山ではない (あくまでも私個人の基準) 気がしたためなのであるが、 残念ながら物理的に松川温泉から登ることが叶わないことが分かったので、 それではせめて八幡平頂上手前から登ろうと、 手前の黒谷地でバスを降りることにしたのである。

本当は、黒谷地のもう1つ手前の茶臼口から登ればもう少し後ろめたさを感じないで済んだのであろうが、そうすると 今度は松川温泉発の最終バス (17時5分) に間に合わず、 黒谷地下車は地図と時刻表を睨みながらの妥協案なのである。

しかし、八幡平から下るにしてもこの松川温泉17時5分発のバスに乗るにはかなりギリギリで、 特に三ツ石山からの下山路は大変な悪路 (ぬかるんでいてスピードが出せない) に苦労させられ、 松川温泉に着いたのはバス発車10分前であった。

八幡平に対し、登るという行為がほとんどできなかったため、私の心に若干忸怩たるものが残るのであるが、 その後の裏岩手の縦走を果たしたことで、 何とか 「登山」 と認めてもらえる (誰に ?、 恐らく自分自身に・・・) だろうと思っている。

それでは翌日の蔵王はと言えば、 これまた刈田岳の頂上までバスが延びており、 そこから歩いたのでは私の心が許さない。

従って、前から提唱していた峨々温泉から登るコースを選んだのであるが、これは途中の名号峰 (みょうごうほう、みょうごぼう) が大変儲けものであった。
頂上は白砂の上に岩が点在していてアルプスを思わせ、 そこから仰ぎ見る熊野岳は雄大で、 また周囲に遮るもののない展望も素晴らしく、 すぐ目の前には なかなか形が良くて登高意欲をそそられる雁戸山 (がんどさん) や、 また遠く月山、 鳥海山なども見ることができて大変素晴らしい所であった。

名号峰から熊野岳への登りは、私の目論見通り本当に 「登山」 で、昨日の今日だけに大変つらいものがあったが、 それだけに登り切った爽快感は格別であった。

熊野岳からの展望も素晴らしく、朝日連峰なども眺められ、名号峰と同じく時間があれば何時間でも居たかった場所であった。

熊野岳からは御釜の縁 (へり) へと下り、ようやく御釜の姿に接することができたのだが、水はエメラルドグリーンというのであろうか、 火山活動の凄まじさを示して殺伐 荒涼たる茶褐色と灰色の世界の中で、 そこだけが放つ緑色は美しさを通り越して、 逆に異様さを感じさせるものがあった (また、 草津白根山の湯釜が白濁したエメラルドグリーンだったので、 それと比べても面白かった)

そして御釜から刈田岳へと近づけば、もうそこは観光の世界で、月曜日というのに観光客が多く、これが土日・休日だったらと 空恐ろしくなるような状況であった。

バスで山を下りながら、振り返ると、蔵王全体として大きな山容となっており、これは御嶽と同じように山全体が一つのご神体で、 刈田岳、 熊野岳もその中の1つのピークと捉えるべきだと思われた。

今回の八幡平、蔵王とも観光地化され、もはや 「登山」 といえる範疇ではないような気がしたが、 工夫次第で充実した 「登山」 気分に浸れることが分かり、 大変満足した山行であった。


ところで、話は全然変わるが、 携帯電話のバス車内での使用について、 神奈川では 「他のお客様のご迷惑になる・・・云々」 というアナウンスで注意しているのに対し、 岩手県では

「ペースメーカーなどの医療機器に悪い影響を与えることがある・・・云々。 スイッチを入れているだけでも電波が出ているので切って欲しい・・・云々」
というアナウンスをしていた。
後者の方が現実的であるし、 やはりこれを聞いた人はドキッとするに違いなく、 掛かってくる電話は仕方がない という風潮があるやに見受けられる神奈川よりも ずっと自粛させる効果があるのではないかなどと、 旅の途中で感じた次第である。


山より登山  1998.10.21 記

19日の月曜日、朝会社へ行くために家を出ると、台風一過のような澄み切った青空が広がっており (実際は台風は通らなかったのですが、 日曜日の朝は大変な風雨でした) 駅へ向かう足も心なしか弾むようであった。

このような天候を見ると、すぐに山に行きたいと思ってしまうのであるが、加えて瀬谷駅へ着くと登山姿の年輩の方がいたものだから、 ますますその気持ちを強くさせられたのであった。
その人は、 小田急小田原線との連絡がある海老名方面に向かったので、 丹沢に登るのだなと想像できたのだが、 丹沢と思った途端にあの大倉尾根が頭に浮かび、 先ほどまでの登山に対する気持ちが少々萎えてしまった。

どうも私は性格に飽きっぽいところがあり (小さい頃は親によく 「三日坊主」 と言われていた)、 登山に対する気持ちの方は この10年間ほとんど変わってはいないものの、 既知のルートを何回も登ることにはすぐに飽きを感じてしまうのである。

従って、十数回登った丹沢大倉尾根などは、もう沢山といった気持ちの方が強く、それがあってか なかなか丹沢には食指が動かない。

よく、日本は四季の区別がハッキリしているから四季それぞれに登山の楽しみ方も違うということを聞くし、 確かに山の様子は春と秋とでは大きな差があることから、 登っていても新しい発見や驚きはそれなりにあるのだが、 どうもそういう小さな変化だけでは物足りないのである。

つまり、一度でも通ったことのあるルートだと、地形などが結構頭にインプットされているから、次は長い登りだとか、 ここを登り切ると平坦な道が続くだとか、 この岩からあと1時間はかかるなど、 すぐ先が読めてしまって、 周囲の微妙な変化はあっても、 登山全体にあまり刺激がないからイヤなのである。

同じ山に、それも同じルートで何回も (人によっては毎週とか、毎日とか) 登っている方がおられるが、 私はそういう人に尊敬の念を抱く。

未知のルートを進み、そしてそこで自然が作り出す色々な造形美に初対面するということが私にとっては麻薬のようなものになっており、 ほとんどの状況がインプットされている既知のルートを登るのとは 刺激が全く違うのである。

このことは、先日八幡平頂上から裏岩手連峰を縦走した時につくづく実感したのであるが、もしかしたらこれは山のとらえ方、 楽しみ方の違いから来ているのかもしれない。

私は、道ばたに咲く花の美しさや、移り変わる四季の中で変化する木々などにも目を奪われはするが、 どちらかと言えば 自然の作り出すもっとスケールの大きな造形物の方に惹かれるのであり (それは山の形であったり、 池塘であったり、 広々とした草原であったり、 岩の形であったりする) また初めてのコースを歩く時の 次に何が飛び出すのかというワクワク感が堪らなく好きであるし、 コースは変化に富んでいる方を好むし、 さらに身体的に少々ハードなコースの方が嬉しく、 そして何よりも頂上を踏むのが好きなのである。

山を愛するというよりは、「山に登る」 という行為そのものが好きだということになるのかもしれない。
そして 詩人のような繊細な心は持ち合わせてはおらず、 肉体的な刺激や感覚に大きく訴える刺激でないと満足しないのである。

だから、道ばたに咲く美しい一輪の花よりは斜面全体に広がるお花畑を写真に撮るタイプだし、 季節の移り変わりから来る周囲の変化には気づいても、 そういう小さな自然の変化を楽しむ術 (スベ) をあまり知らないのである。
こういうのを肉体派というのかもしれない。

だから丹沢は好きだけれど、「山に登る」 には飽きてしまった山というわけで、今後丹沢に登るとしたら、 インプットされている状況を一変させる積雪期が一番良い気がするのである (事実、このところ積雪期に登ることが多くなっている)

丹沢だけでなく、一度登った山は余程悔しい思いをしたのでなければ、2度以上登るのは何となくイヤであるし、 単身赴任していた宮崎では同じ山に何度も登ることが多かっただけに、 登山をしても心底満たされることはなかった気がする (無論、登山を始めた頃はそうではなかっのだが ・・・・・・)

だから、年初に誓ったように、極力初めての山、あるいは初めてのコースに挑むことを今後も続けて行こうと思うし、 そうしないと満足しない体と心になってしまったようである (大袈裟!)

まさに 「登山」 中毒であり、これまで山を楽しむ云々といったことを色々書いてきたが、その頃には漠然としていた山に対する考えが、 だんだん固まってきたことだとも言えよう。
山も好きだが、 「登る」 という行為をもっと楽しむようにして、 そしてハッとさせられることに大いに期待を抱きながら、 まだ登っていない多くの山にチャレンジしていきたいと思うこの頃である。


森永チョコボール  1998.10.26 記

私の話は堅い話が多いので、今回は山とはあまり関係ないくだらない話を少し。

皆さんは山に行く際、 主食とともにどんな食べ物を持って行かれるだろうか。
やはり、 疲労回復のために甘いものを持参される方が多いと思われるが、 私の場合はビスケットなどとともに必ずチョコレートを持っていくことにしている。

但し、チョコレートならば何でも良いという訳ではなく、製品指定があり、森永チョコボールでなくてはダメで、 しかも1箱60円のものが良いのである。

ご存知ない方に少々解説させて頂くと、チョコボールとは小粒のピーナッツをチョコレートでくるんだ、長い部分が 1.8p、短い部分が 1.3p 程の卵状のチョコレートで、 60円の製品の場合、 それが1箱に25粒程入っているのである。

ピーナッツの他にキャラメル、イチゴクリーム ? などを中身としたものがあり、近頃ではバナナも出ているようで、 また箱の大きさも60円のものを最小として かなりのバリエーションがあるようである。
しかし、 何と言っても私はピーナッツが好みで、 60円のピーナッツ以外は買ったことがない。

そして、このチョコボールを語るに際して、忘れてはいけないものが2つある。
1つは、 この森永チョコボールには立派なキャラクターがいるということで、 名前はキョロちゃん 「クエ クエ チョコボール」 と鳴きながら登場するTVコマーシャルを見た方もおられると思うが、 目玉とくちばしに特徴がある鳥である。

※:ちなみに、この「クエ クエ チョコボール」 というのは、 日本語に訳すと 「チョコボールを食べます」 という意味だそうで、この他にも沢山の 「キョロちゃん語」 がある。

種類はカラスのように見えるが、このキョロちゃんには熱烈なファンがいるから、うかつにカラスなどと断定して それが間違っていたら抗議を受けること間違いなしで、 私にはカラスに見えると言っておいたほうが無難のようである。

そして、チョコボールを語る際に忘れてはならないもう1つのものは、キョロちゃんのくちばしをイメージした黄色いフタ (赤い字で くちばし と書いてある) を開けた時に、 そこに金か銀のエンゼルマークがついているかどうか というお楽しみがあるということである。

金のエンゼルマークなら1枚、銀なら5枚を集めて森永製菓に送ると、もれなく 「おもちゃのカンヅメ」 がもらえるということになっていて、 これをもらうのに躍起になっている人も多い。

ついでに言うと、この 「おもちゃのカンヅメ」 には、不確かではあるが今は 「ピーナッツ缶」「いちご缶」 の2種類あって、 応募する時に選べるようになっており、 それぞれ中・高生向け、 小学生向けとなっている。

この不確かというのは、少し前までは 「角缶」「丸缶」 と言っていた時期があるからで、 缶の中身を変更する際に呼び方を変えているようである (ピーナッツ缶、イチゴ缶もそれぞれ角缶と丸缶である)

この 「おもちゃのカンヅメ」 を手に入れたいがために、エンゼルマークがくちばしに書かれたチョコボール 箱の外観だけで見分ける方法について色々な情報が飛び交っており、 例えば、それは色の微妙な違いであったり、 ちょっとした印刷の違いであるらしいのだが、 各人秘密の見分け方を探っているらしく、 私では分かりようがない (完全に把握したと豪語している人もいると聞く)

ついでにカンヅメの中身について言うと、以前私が手に入れた 「ピーナッツ缶」 は、キョロちゃんをあしらったクリップ&ケース、 紙を夾んで強く押すとキョロちゃんの形が残るエンボッサー、 キョロちゃんの形をしたミニライト、 ミニトランプ、 キョロちゃんのシール、 カンヅメカードなどが入っていた。

このように書くと、 私も必死になって 「おもちゃのカンヅメ」 を集めているように思われようが、 あくまでも私は山のお供としてチョコボールを持っていっているのであり、 開けた時に エンゼルマークが付いていれば儲けもの という考えでいるだけである。

では、何故チョコボールかというと、子供の頃からチョコレートが大好きであり、またチョコは疲労回復に一番利きそうな気がする ということを前提として、 板チョコなどでは夏の暑い盛りに溶けてドロドロになってしまうし、 何よりもピーナツとの味の配分が絶妙だということ、 そして手頃な大きさであるし、 箱入りだから持ち運びに便利で、 しかも安価であり、 昔から慣れ親しんだ味であるということなのである (無論、「おもちゃのカンヅメ」 がもらえるということも理由の1つである)

10年前に山を始めた当時は、チョコボールを意識的に山に持っていくことはなかったのだが、 7年くらい前からはいつも山には2箱ほど持参するようになり、 おかげでこれまでに3缶ほど 「おもちゃのカンヅメ」 を入手している。

しかし考えれば、当時からこれまで100回近い山行をしているので、200箱のチョコボールを買っていることになり、 その中で銀のエンゼルマークが当たったのが18回位というのだから、 かなり確率は低い。
また、 金のエンゼルマークは1回も当たったことはなく、 是非とも1度は見てみたいと思っている。

しかし、当たる確率が低いと言っても、必死にエンゼルマークを集めながら、未だ 「おもちゃのカンヅメ」 を手に入れたことがない人も大勢いる中で、 私のようにこれまで3つのカンヅメを入手したことがあるというのは、 幸せなのかもしれない。

ちなみに、銀のエンゼルマークが5枚集まると、子供の名前で森永製菓に応募しており、送られてきた 「おもちゃのカンヅメ」 はすぐに子供たちの手に渡って、 カンヅメの中身はその後壊れたり、 なくなってしまっているものの方が多い (従って、私の手元には何も残っていない)

これでは純粋なキョロちゃんファンの人に申し訳ない気がするが、今後も山に登る限り、チョコボールをお供として連れていき、 その結果として 「おもちゃのカンヅメ」 を手に入れていきたいと思う。

なお、余談だが、うまく「おもちゃのカンヅメ」 を入手すると、中にさらに応募用紙が入っており、それに銀のエンゼルマーク3枚 ? を添えて送れば 「キャラメル缶」 が手に入るようになっているらしく、 その 「キャラメル缶」 の正体は 「オルゴール」 ということらしい。

また、金・銀のエンゼルマークのついていないただの黄色いくちばし (ハズレ) でも、10枚集めて応募すれば、 抽選で毎月 1,000名に 「おもちゃのカンヅメ」 が当たるようにもなっている。
是非興味ある方はトライされたらと思う。

尚、私は森永製菓とは全く関係ないことを申し添えておく。


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