&nbsp登山NO.0076 御 嶽( 御 嶽:3,063m ) 1998.9.12登山


 剣ヶ峰頂上から見た二ノ池( 1998.9.12 )
【御嶽登山記録】

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NO.76 御嶽登山記録

今夏の登山を締めくくる意味で、御嶽に登ってきた。 それもマイカー登山、しかも日帰りである。
この御嶽登山に対する思い入れ、そして今回王滝口コースをとった経緯 (イキサツ) などは 「山の雑記帳:夏山登山の締めくくり」 に書いたので省略するが、 それにしても御嶽は夏山登山の最後を飾るに相応しい立派な山で、大いに満足することができた。

横浜の自宅を出発したのは午前3時50分、本当はもう少し早く出たかったのだが、 午前3時に鳴ってくれた目覚まし時計を止めたあと再び寝てしまい、ハッと気づいたら 20分ほど起床予定時間をオーバーしていたのである。
しかし、3時間半程しか寝ていなかったのだから、20分オーバーで済んだのであればラッキーと言えよう。
いつも通り八王子ICから中央高速に乗り、まだ暗い中をひたすら走り続け、やがて岡谷ジャンクションから長野自動車道へと入って塩尻ICで下りた。
塩尻ICからは国道19号線に入り、木曽福島目指しての一直線である。

天候の方は曇り空であったが、それ程空は暗くなかったので雨の心配はなさそうであった。
やがて、開田高原への道を過ぎると 右・御嶽山の標識が見えたので右折し、 王滝の文字を頼りに進んでいったのだが、意外だったのは道が立派で広かったことである。
やがて、道の脇に石碑が多く見られるようになり、御嶽が信仰の山であることを改めて思い出させてくれたが、 それと同時に周囲が開発されてスキー場だらけになっているのにも驚かされた。

しかしそれにしても、目的地の田ノ原は遠く、 御嶽の懐の深さを思い知るとともに、 麓から登りたいなどと考えていた自分の浅はかさを恥じた次第である。
途中、目指す御嶽の姿が正面に見える所があったので車を止めて写真を撮ったが、 頂上付近までしっかり見えているこの状態が今日 1日続いてくれることを願わずにはいられなかった。
クネクネと蛇行する道を登っていくと、やがてカーブの先で道路が大きく広がっている場所となったが、実はそこが終点の田ノ原で、 広い駐車場の左手にはこれから登る御嶽が曇り空の中でもハッキリ見え、 早く登りたくて登山靴に履き替える手間ももどかしく思えたのだった (午前8時20分出発)

広い駐車場の中を先に進んでいくと、大きく御嶽山登山口と書かれた標識と鳥居があり、 そこから参道のような砂利道が御嶽に向かってまっすぐ伸びていて、なかなか気持ちが良い。
そのまっすぐで、かつ平らな道 (実際はやや勾配がある) を進み、途中 奥ノ院遙拝所などを右に見て、 やがて大江権現と書かれた祠を過ぎると、勾配がきつくなって登山道らしくなってきたが、 石や丸太で作られた階段状の道のため結構ペースを乱された。
暫くは樹林帯の中を進んでいったが、登山姿の人達に混ざって如何にも観光客といった風情の人達も大勢おり、 やはり開田口コースにすべきだったと思わざるを得なかった。

やがて樹林帯を抜け、金剛童子と書かれた石碑が立つ場所に着くと周囲の景色が見渡せるようになり、 下方には先ほど登り始めた田ノ原の駐車場、そしてその後ろには屏風のように連なった中央アルプス、 南アルプスの山々のシルエットがハッキリ見えるようになった。
最初は見えなかった富士山も、高度を稼ぐに連れて見えるようになってきたが、 見える山々の中で一番目立ったのは甲斐駒ヶ岳のピラミダルなシルエットであった。
大きな岩を階段状に整備した道が続く中、道の周囲には多くの祠や石像、銅像が建立されていて、宗教的雰囲気が醸し出されていたものの、 ガイドブックに書いてあったような白装束をまとった信者の人達に会うことはなかった。

勾配は 3,000m級の山を目指している割には楽で、さして息も上がることなく午前9時40分には王滝頂上に着くことができた。
王滝頂上の神社でお参りした後、神社左から剣ヶ峰を目指したが、そこからは周囲の雰囲気が一変し、草木も生えていない殺風景な道が剣ヶ峰頂上まで続いていた (途中までは木道)

剣ヶ峰の姿を表現すれば、まるで砂山の上に城があるというか、山の頂上に盗賊の巣窟があるといった感じで、 そこまで続く岩の道周辺には宗教的モニュメントが多く置かれていた。
剣ヶ峰頂上の最後は立派な大理石 (?) の階段になっていて、これは結構長くてつらいものがあったが、 ようやく着いた頂上からの景色は素晴らしいの一言であった (午前10時10分着)
頂上には祠や銅像などが賑々 (ニギニギ) しく置かれており、純粋に登山の範疇に入るものは三角点と標識だけで、 ここが登山の対象ではなく信仰の場所であることを再認識した次第である。

頂上の北端からは眼下にコロシアムのような一ノ池が広がっているのが見られ、 その右下にはコバルトブルーの水を湛えた二ノ池、その後方には摩利支天山、継子岳 (ママコダケ) などが見え、 さらにその遙か後方には乗鞍岳槍ヶ岳などの北アルプスを認めることができた。
おにぎりを食べながら次にどうしようか考えたが、このような素晴らしい景色をもっと味わうべきと考え、 思い切って継子岳まで行ってみることにした。

剣ヶ峰の祠の裏手から一ノ池の外輪山 (?) を回ることにしたのだが、 そこは頂上の喧噪から完全に切り離された登山の世界で、左手には噴気を上げ続ける地獄谷の凄まじい風景が広がり、 右手には一ノ池の大きな広がりとその向こうに剣ヶ峰が見え、更にはガスが上がってくる中、左手に継母岳 (ママハハダケ) をチラッと認めることができ、 大変楽しい縦走であった (無論、縦走路には宗教的モニュメントが多く立ってはいたが・・・)
やがて、眼下に二ノ池が見えてきたので、直接二ノ池新館から賽ノ河原に向かうルートを避け、 一旦池の辺 (ホトリ) に下りるべく、やや不明瞭な道を下った。
池は間近で見ると思ったより透明度があり、魚が棲んでいてもおかしくないように思われた。

二ノ池小屋の横から広い台地状の中を進み、少し下って賽ノ河原へと降り立ったが、 この頃になると下の方からのガスが上まで広がり始め、沢山のケルンのような積み石と地蔵などの石像の中をただ 1人ザクザク音を立てながら進んで行くのは大変薄気味悪かった。
ガスは時々サーッと引いてくれるので道に迷うことはなかったが、全く視界が利かなかったら、 目印となるペンキ印がそこかしこに書かれているとは言え、どうなっていたか分からない。
やがて、賽ノ河原を離れ、緩やかな傾斜を登り詰めていくと賽ノ河原避難小屋で、本来なら谷側に三ノ池が見えるはずであったが、 この時はガスで何も見ることができなかった。
さらに進むと祠が置かれた摩利支天山と飛騨頂上との分岐に着いたので、摩利支天山に登るべく左に道をとったが、 すぐに多くの石碑が立ち並ぶ小高いピークとなって行き止まってしまった。どうやら道を間違えたらしい。
すぐに先ほどの祠の所へと戻ると、今戻ってきた道の手前に文字と小さな矢印が書かれた石碑が置かれていて、 その横から道が続いており、これが正解の道であった。
先ほど間違えたピークの下を通って暫くハイマツなどが生えたほぼ平らな道を進み、最後に短い急坂を登り切ると、 そこは紅白のポールと赤い旗が三角点の上に立てられた摩利支天山の頂上であった (午前11時50分着)

頂上は狭くて明確な標識もなかったためやや拍子抜けさせられたが、 時々ガスが晴れると眼下に賽ノ河原とそれに続く広い原が見下ろせ、 また向かい側正面には先ほど歩いた一ノ池の外輪山がそびえ立っていて、なかなかの眺めであった。

暫く休憩した後、先ほどの分岐点まで戻って飛騨頂上へと道を下ったが、この頃になるとガスも引き始め、 前方には水がほとんどない五ノ池と御嶽小屋、そして祠が祀られている飛騨頂上、 そしてその後ろには継子岳の姿を見ることができるようになった。
道をジグザグに下っていくと、右手下には火口湖の典型のような三ノ池が見えるようになり、 さらに平らな石を石碑のように立てかけてある場所を過ぎていくと、軽井沢の鬼押し出しを思わせる真っ黒な岩の中の道に変わり、 御嶽が火山であることを強く意識させられた。

多くの人が憩っていた飛騨頂上を後にして目の前に見える継子岳を目指したが、見た目より道は険しくなく、 ハイマツの林を抜け、ここでもまた平らな石を石碑のように見立てている所を登り切ると、 壊れかけたドーム状の建物の中に祠が安置してある継子岳の頂上であった (三角点はこのドーム状の建物の後ろにあった。 午後12時55分着
草が秋に色づく湿原と表現した方が妥当な四ノ池を右手下方に見ながら、もう一つのピークへと進むとそこにも祠があって、 あとは眼下に見える四ノ池への下りとなったが、そのピークから下る道はやや不明瞭で分かりにくかった。
御嶽で一番秋を感じさせてくれた四ノ池から、三ノ池 (あるいは飛騨頂上) へと進むには、 結構急な三ノ池の外壁を登らねばならず、思わず 「ウヘッ」 という気持ちにさせられたのだが、 登ってみると意外に簡単で、ほとんど疲れを感じることなく登り切ることができた。
登り着いた尾根の反対側には三ノ池が青い水を満々と湛えていて大変魅力的だったので、急に池の辺を歩きたくなって登山道のないところを池側に下ってしまったが、 これが大失敗であることが後で分かった。

三ノ池は大変静かであったものの、無粋にも池の周囲には多くのヒシャクが投げ捨てられているのが目立ち大変不思議に思えたのだが、 これは信仰の一環で池の水を祠や神仏にかける習わしがあるということなのかもしれない。
なお、先ほど失敗だと言ったのは、三ノ池小屋から昼前に通った賽ノ河原避難小屋へ戻るために再び壁のような斜面を登って行かねばならなかったからで、 三ノ池に下りずに外壁上をそのまま回っていけば、それ程の登下高を必要とせずに戻れたと思われたからである。
賽ノ河原避難小屋からはかなりのスピードで賽ノ河原を抜け、二ノ池の横を通った後、今度は剣ヶ峰を通らずに直接王滝頂上へと向かったのだが、 途中 剣ヶ峰直下の斜面を横切る道は完全に御嶽の荒々しい面を見せていて、 このような今にも上から大きな岩が崩れてきそうな、草 1本ない崩壊地もまた御嶽なのだと一人で納得した。
王滝頂上からは、田ノ原へ直接下らずに奥ノ院に立ち寄ったのだが、この頃になると完全にガスが周囲を囲んでおり、 道の途中にあるはずの 「月の門」 などはガスによってその実体を掴むことができなかった。
ようやく辿り着いた奥ノ院は、その名の通り地獄谷へ突き出た部分の最奥にあって、 奥ノ院と書かれた石碑と祠があり、晴れていたら地獄谷が覗けることが想像できたが、この日はガスのため全く様子が分からなかった。

奥ノ院からは九合目に直接通じる道をとって今朝登ってきた道へと戻り、途中、 一口水で少し休んだだけであとは田ノ原へ一気に下ってしまった (午後4時20分着)
ところで、一口水は本当にチョロチョロとしか水が出ておらず、私の 250ccのコップを満たすのにおよそ 2分ほどかかってしまった。 味の方は待たされた程は美味しくなかったような気がする。
田ノ原の駐車場にて御嶽を眺めると、今朝程ハッキリ見えたその姿は逆光の中で完全にガスに囲まれていてほとんど見ることができず、 せっかく残して置いたフィルムの最後の 2、3コマが無駄になってしまった。
御嶽は大きなマスであるだけに、荒々しい部分、美しい部分、 伸びやかな部分など、いろいろな面を同時に持ち合わせており、 大いに私を楽しませてくれ、本当に夏山の最後を締めくくるに相応しい素晴らしい山であった。


御嶽登山データ

上記登山のデータ 登山日:1998.9.12 天候:曇り時々晴れ 単独行 日帰り
登山路:田ノ原−大江権現−金剛童子−王滝頂上−剣ヶ峰−一ノ池外輪山−二ノ池−賽ノ河原− 賽ノ河原避難小屋−摩利支天山−飛騨頂上−継子岳−四ノ池−三ノ池−賽ノ河原避難小屋−賽ノ河原−二ノ池−王滝頂上−奥ノ院−九合目−金剛童子−大江権現−田ノ原
交通往路:瀬谷−八王子IC−(中央自動車道・長野自動車道)−塩尻IC−木曽福島−田ノ原(車にて)
交通復路:田ノ原−中津川−恵那IC−(中央自動車道・東名高速道)−横浜IC−瀬谷(車にて)
その他の
御嶽
登山
六合目 中の湯−七合目−八合目−九合目−御嶽(剣ヶ峰)−賽ノ河原−摩利支天山−五ノ池−飛騨頂上−継子岳−四ノ池−三ノ池−八合目−七合目−六合目 中の湯   ( 2008.10.12:晴れのち曇り )
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田の原−王滝頂上−剣ヶ峰−王滝頂上−田の原   ( 2012.05.13:快晴 )
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