山の雑記帳 26

 21世紀最初の登山  2001.01.06 記

 見かけの高さ  2001.01.25 記

 長期のご無沙汰  2001.05.29 記

 とりとめもない雑文  2001.06.11 記


21世紀最初の登山  2001.01.06 記

明けましておめでとうございます。
本年も我がホームページを宜しくお願い申し上げます <(_ _)>。

さて、新しい年、それも新世紀を迎えての初登山をこの 1月4日に行ったのだが、今後の我が登山の苦難を物語るかのように、 あるいはこれからの登山に当たっての戒めとなるかのように、 かなりキツイものとなった (少々大袈裟ではあるが・・・)

とは言っても、登った山は 黒川鶏冠山大菩薩嶺の北に位置する標高 2,000mにも満たない低山であり、ガイドブックに書かれているランクでも 「一般向き」 とか 「初心者から」 と位置づけられている大変易しい山である。

この山は、丹沢山塊以外の山にドンドン登ろうとして購入した 「東京周辺の山 (山と渓谷社)」「奥秩父・大菩薩周辺の項」 を読んでいるうちに、 雁ヶ腹摺山 とともに登っておきたい と思うようになった山であったのだが、 地図をご覧戴ければ分かるように、 そのアプローチが大変で、 登山口となる柳沢峠まではタクシーかマイカーを使うしかなく、 当時マイカーなどでの登山など思いもよらなかった私には 近くて遠い山であった。

そしてマイカー登山が中心となった現在の私にとっては、とても簡単にアプローチできる山になった訳なのだが、そうなったらそうなったで柳沢峠からわずか 2時間足らずで頂上に達することができ、 しかも柳沢峠との標高差が 240mしかない というシチュエーションが今度は気になりだし、 これまた登るのに二の足を踏む山となっていたのである。

そうこうしているうちに、昨年末 10年ぶりに小金沢連嶺を登り、本当に久々に大菩薩嶺の地図 (昭文社) を見る機会を得たところ、 大菩薩嶺の登山口である裂石 (サケイシ) から 丸川峠を越えて六本木峠へと至り、 そこから黒川鶏冠山 (実際には黒川山と鶏冠山) に登れば、 私の好みにも合う登山ができる ということに気づいたのであった。 そして早速 新年最初の登山に組み入れることにしたという訳である。

さらに、先に述べたコースで丸川峠から六本木峠へと至る道は標高差があまりない平らな道のようであり、これでは少し物足りない気もしたことから、 登山前日の準備段階では調子に乗って、 裂石から上日川峠に登り、 峠からは唐松尾根を登って大菩薩嶺頂上を踏み、 そこから丸川峠へ下って 先に述べたコースに合流するつもりでいたのであった。
これは一見ハードだが、 昨年末に小金沢連嶺を辿ったことを考えればできないはずはなく、 さらに小金沢連嶺登山からわずか中 5日であれば 身体もまだ軽いはずであるから、 低山とは言え心身とも充実感を得られる山旅になるに違いない と思っていたのである。

ところがである、裂石の雲峰寺駐車場に車を止め、林道を山に向かって歩き出すと身体が重い。 6日前の登山の時とは雲泥の差なのである。
考えたらそれも道理で、 この 5日間食っては寝、食っては寝の生活が続き、 運動らしい運動は 風呂場の掃除と洗車だけ というものであったから、 (モチ) 太り状態に陥っていた訳である。

こうなると途端に当初考えていたコースを踏破する自信が無くなり出し、林道左手に丸川峠への登山口が見えてきた時点で急遽予定を変更し、 丸川峠へと直登するコースに切り替えたのであった。
しかし、 身体の調子が悪いとなるとこのコースさえも心配で、 脳裏には過去数回通った 丸川峠から裂石への下りのきつさが思い出されたのであったが、 意に反してこのコースはじっくりとペースを作っていけば問題はなく、 どうにか登りきることができたのであった。
また、 道の方は日当たりが良いためなのか、全く雪はなく、 滑りやすい斜面の登りを想像していた私には 大変嬉しい誤算であった。

丸川峠から先になると今までの日溜まりの道が嘘のように一面雪の世界で、そのあまりの落差に唖然とさせられることになった。 しかし道の方は思った通り ほとんど高低差がなく、 雪も凍ってはいなかったので 快調に進むことができたのであった。

ただ吹く風が強く冷たく、ドンドン体感温度を奪っていく。普段登っている時は、冬でもオーロンのTシャツの上にラガーシャツ 1枚 という格好で十分なことが多いのだが、 この日は途中で寒さに耐えられなくなり、 ドロワットパーカーを着込み、 頭もキャップから 耳を覆うスキー帽に替えざるを得ない状況であった。
一応太陽は出ているものの、 空の 5分の 2程を雲が覆っており、 その流れる雲に太陽は時々しか日差しをよこさない状態で、 もし 本日 小金沢連嶺を縦走していたら その寒さに凍えてしまったことであろう。

しかしこの状況も六本木峠を過ぎてからはまた一変し、特に横手峠を越え右側が開けた山道を行くことになってからは完全に日溜まりハイクとなったのである。
右側の開けた先には、 谷を挟んで大菩薩嶺の尖った山容が大きく、 またこの頃には雲も強い風で吹き飛んだのか、 太陽も常時顔を出すようになり、 さらにこの南側斜面には風が吹いてこなかったことから、 またまた先ほど着込んだパーカーを ザックに戻さねばならない程であった。

三角点のある黒川山頂上でも風は吹いていたものの、周囲を樹林に囲まれているためそれ程寒くはなかったのだが、 さらに先にある展望台 (露岩帯) に行ったところ、 またまたその風の強さ、そして冷たさに参ってしまった。 替えたばかりのカメラの電池は いきなり残量が半分しかないという表示になるし、 シャッターを押すために手袋から出した指は 3回ほどシャッターを押しただけで完全にかじかんでしまうし、 強風に帽子は飛ばされるし と散々であった。

そして北西を見ると山々が白く霞んで見え、ガスでもかかっているのかなと思っていたら、風花が飛んできたので雪が舞っていることが分かったのであった。 この日の高い山は大変な状況だったのではないだろうか。

さて、前段が長くなったが、問題は黒川山の後、鶏冠山から下山時のことである。
下山は 黒川山と鶏冠山の間にある分岐を下って横手峠経由で六本木峠に戻り、 そこから今度は柳沢峠に下って、 柳沢峠から延々車道歩きをして裂石まで戻るつもりでいたため、 予定通り分岐を右に折れたのであった。

この道は、黒川山を挟んで先ほどの日溜まりハイクの道の丁度反対側にあたり、明るい太陽と素晴らしい展望に恵まれた前者に比べ、 日が当たらず暗く、 そして一面雪の世界であった。 陰と陽だなあ などとノンキに考えながら ドンドンと雪道を進んで行ったのは良かったのだったが、 行けども行けども横手峠や六本木峠を示す標識が出てこず、 気が付いたら目の前に大きな道路が見えてきたのである。
その道路は国道 411号線、 いわゆる青梅街道であったのは計算通りだったのだが、 道路は向かって右の方へと下っているではないか。 つまりこの地域の最高点である柳沢峠よりも 奥多摩寄りに位置する場所に出たことになる訳で、 嫌な感じがして周囲を見渡すと 「落合」 の文字が見えたのであった。

前日地図を見た時に、こちらへは間違えても下りないようにしなければと肝に銘じた場所に下山してしまったのである。 それからが悲惨であった。 登り勾配の車道を柳沢峠まで延々 1時間も歩くことになってしまったのである。

途中、気温を示す表示板があったのだが表示温度はマイナス3度。 この頃には雲もほとんどなくなって太陽が照り続けてくれたのと、 登り勾配を歩いていたことで身体が暖まっていたから それほど寒さは感じなかったものの、 とにかく曲がりくねった道を登れども登れども 次のカーブが現れるだけで柳沢峠にはなかなか着かず、 本当に疲れ果ててしまったのである。

やっとのことで柳沢峠に着いて一応一息入れることができたものの、ここから雲峰寺まではまだ 8kmもある訳で、いくらこれからは下り道とは言え、 げっそりである。
しかも、 この地域では新しい道路をつくり直しており、 車にとっては大変走りやすくなったものの、 歩く者にとっては 旧道よりはるかに遠回りを強いられることになって、 車を止めてある裂石に着いた頃には 本当に足が棒のようであった。

柳沢峠からの 1時間半は覚悟していたから仕方がないものの、落合から柳沢峠までの 1時間は大変余計で、しかも登りであったことから 大変疲労感が増したのであった。

鶏冠山から下山する時点で地図をもう一度確認しておけばよかったとは思うのだが、例えそうしたとしても一面雪の世界であったことから、 やはり横手峠、六本木峠への分岐を見過ごしてしまったに違いない。 そう言えば、雪の上に足跡は 1つしかなく、 あまり人が通らない道だなあと感じてはいたのだが・・・。

予定は狂うし、体力は消耗するしで散々であったが、考えようによっては餅の食い過ぎでダブついた身体を引き締めるには丁度良い運動だったと言えるかも知れない。 ただ、こういうミスをしたということの方がショックで、 新年早々山の神に私のいい加減さを戒められた気がする。
今年は慎重に行かねばと思った次第である。


見かけの高さ  2001.01.25 記

先日の 17日、博多への出張のため羽田空港に行ったところ、 15番 (だったと思う) ゲートの待合スペースの窓より、 大山から始まる丹沢山塊の姿と その丹沢山塊に覆い被さるように堂々と聳える富士山の姿を見ることができた。

目の前に拡がる滑走路の先に自動車が行き交う道路が見え、その横には白い橋があり、そしてその後ろには大山の三角形が左側斜面から盛り上がりを見せている。 一旦、大山の頂上に至ってなだらかに下がり始めた稜線は、 やがて近隣の山々と合わさって 再び盛り上がりを見せて塔ノ岳へと至り、 おそらく丹沢山であろう高みへと緩やかに盛り上がり、 さらにその右手にある蛭ヶ岳のところでピークを向かえている。 そしてその後は再びなだらかに落ちていき、 やがて霞の中にフェイドアウトしているのであった。
そして、 その丹沢山塊の上、位置的には大山のやや右上に富士山が鎮座しており、 大山を初めとする丹沢山塊が黒く見えることもあって、 その白い嶺が一際映えているのであった。

普段、通勤途上では大山とその右に続く丹沢山塊の大きさだけが目立ち、富士山はその陰に隠れてわずかしか見えないことから、たまにこういった富士山 丹沢を従えているという構図を見ると ハッとさせられる。
前にも書いたことがあるように こういう構図は東海道線にて多摩川を渡る際にも見ることができるのであるが、 混雑する列車からでは そうちょくちょく見ることができるはずもなく、 こうして空港の大きな窓からゆっくりと眺める気分は 格別であった。

ということで、飛行機を待つまでの間、飽きもせずにずっと山を眺めていたのであったが、その時ふと気づいたことがある。
それは、 我が家がある瀬谷から通勤途上に見る大山と富士山の位置関係が、 富士山の高さこそ違え、 この羽田空港から見るそれとほぼ同じであるということである。
つまり、富士山、大山、瀬谷、羽田空港はほぼ一直線上にあると想像できるのである。

そしてさらに山との位置関係に思いを巡らせていると、瀬谷からの富士山はそのほとんどが大山の陰に隠れてしまっているとはいえ大山とほぼ同じ高さに見えることから、 大山の頂上と自分を結んだ線の延長上に 丁度富士山の頂上がある ということに気づいたのであった。

ちょうど 図−1 のような状況となると想像される訳で、これを証明するには地図上で 図−1 の a、b の距離を図り、a : b の比が 「大山の高さ」 「富士山の高さ」 の比と同じになれば良い ということになるのである。


早速、家に帰宅してから調べてみると、60万分の一の地図上では、a は 38mm (= 22.8km)、b は 115mm (= 69km) で、この数値から 富士山の高さを求めてみると、 a × 「大山の高さ」 = b × 「富士山の高さ」 であることから、 a を 38、b を 115、 「大山の高さ」 を 1,252m とすると、 富士山の高さは 3,789m と計算されるのである。

実際の富士山の高さは 3,776mであるから、わずか 13mの誤差、誤差率 0.3%という高精度 ? ということになった訳である。
ただ本当のところは、 富士山の頂上は大山の陰に隠れてしまっているから、 瀬谷から見える富士山は大山よりやや低いことになるので、 JUST というわけではないにしても ほぼ正解というところであろう。

しかし、一見完璧のようなこの理論と計算結果であるが、もう少し調べてみると、実際はそれほど単純なモノではないということが分かった。
というのは、 上記の計算は遠近法によって、遠いところにある富士山 大山と同じ高さに見えるという理論にのみ依存しているのであるが、 実際は "地球の丸さ" というものがあり、 遠くにある山は地球の丸さのために沈んでいる ということを考慮しなければならないからなのである。
さらにこれに加えて、 光は空気の密度の違いにより屈折する ということも考慮しなければならないのだそうで、 測量学ではこれを 「気差」 と呼んでいるらしい。

これらのことは、たまたま本棚からひっぱり出した 藤本一美、田代 博著 「展望の山旅」 (実業之日本社) の巻末の 「山座同定」 に関する記事に書かれていたのだが、 このことを知っておくことは ある地点から目当ての山が見えるか見えないかを 理論上で判断する際に重要な要素となるのである。

難しい理論は省くが、私なりに解釈した結果を述べると、大山を撮った写真の横に富士山が同じ高さで写っていたとすると、実際には大山より高いはずの富士山 「見かけの高さ」 が大山の横には存在することになる。
そしてその 「見かけの高さ」 を作り出しているのは "遠近法" とともに、 "地球の丸さ" による "沈み" そして先ほどの 「気差」 なのである。
これらを表しているのが 図−2 で、 これは先ほどの 「展望の山旅」 に書かれていたものを少し簡単にしたものである。

この 「見かけの高さ」 が、富士山と大山の場合どうなるのかを、「地球の丸さによる沈み」「気差」 を考慮して計算する式が 図−2 の下に書いてある式で、 「沈み量」 は地球の半径 6,370km を 「気差」 による補正により 7,360km に拡大して計算して求めているのだそうである (「沈み量」 は 図の式の 「L*L(Lの2乗)/14.7」)。

この式から大山とほぼ重なっている富士山「見かけの高さ」 を求めると、1,167mとなり、やや大山より低いことになるが、実際に 「見かけ上の」 富士山の頂上は大山より低いがために見えないことを考えると、 満足行く結果ということになるのかもしれない (なお、瀬谷の高さを 40mと計算している)


と、やや堅苦しい話になったが、 山に行けない時でもこのようにして写真を眺めながら、 そこに写っている山の高さを計算してみるなど、 結構山の楽しみ方はあるものである。
たまりにたまった写真の整理も兼ねて、 山に行かない (行けない) 時はこうして家で山を楽しむのも 良いかもしれない。


長期のご無沙汰  2001.05.29 記

イヤー、本当に久しぶり、 正確に言えば 114日ぶりのホームページ更新となる。

この間、ありがたいことに我がホームページ設置のカウンターの方は数値を重ね、現在は 57,800余り、最後の更新の頃が 52,000程であったはずだから、 毎日 50人ほどの人が我がページを訪れてくれたことになる訳で、 訪れてくださった方々に厚く御礼申し上げるとともに、 その度に画面が変わっておらず 折角の期待を裏切ってしまったことに 深くお詫び申し上げたい。

では、この我がホームページ開設以来の長期休業の間、 私は何をしていたかというと、 別に病気をした訳でもなく、 海外に長期出張 (短期間の台湾出張は 3回ほどありましたが・・・) していた訳でもなく、 普通の日常生活を送っていた次第で、 この長期ブランクは偏に我が身の怠慢が原因というしかない。
ただ、少し言い訳をさせてもらえば、 今年に入ってから 3月まではほとんど毎週休日出勤。 週日も帰宅が遅いという状態が続き、 ホームページを更新する余裕も気力もなかった状況にあったのである。 従って、ホームページ更新が滞るのもやむを得ない理由があるにはあったのだが、 しかし戴けないのは 仕事が一段落した 3月中旬以降からのことである。 休日や平日に時間的余裕ができたにもかかわらず、 一度更新を行わない楽 (ラク) さ加減を覚えてしまった身にとっては、 更新することが億劫になってしまい、 ついつい更新を先延ばしにして今日まで至ってしまったのである。

この間 山の方もお休み状態で、1月4日の黒川鶏冠山以来、約 5ヶ月の間全く登山靴に足を入れていない。こちらの方も 3月中旬までは仕方がないとしても、 それ以降は全く怠慢としか言いようがなく、 3月中旬以降、山へ行こう という気力が全くと言って良いほど湧かなかったのであった。
長い間山へ行かない状態が続くと、 このようにドンドン登山へのテンションが低くなる状況に 私は良く陥ってしまうのであるが、 この状態から抜け出る唯一の方法はやはり 「山に行く」 ことしかないのである。 何か矛盾しているようであるが、 一旦山に行ってしまえば、その自然の素晴らしさ、 苦しいながらも頂上まで自力で登り着いたという達成感に、 平地でウダウダしていた自分を馬鹿らしく感じ、 何で山に登ることを面倒臭がっていたのか と反省するようになるに決まっているからである。
でも、頭では分かってはいるけれども 山に登り始めるまでが大変で、 寒さのために かかりが悪いエンジンのような状態となって なかなか山に向かう気になれないのである。

この 5ヶ月の間でも、ゴールデンウィークには山に行こうと誓ったにもかかわらず、いざ行く段になると 「道路が混んでいそうでイヤだなあ」 とか 「どこへ行っても山は人が多いだろうなあ」 などと考えてしまって、 結局 無為な日々を平地で過ごすことになってしまったのであった。
こういう場合、 誰かが腰に縄をつけて山へ引っ張っていってくれれば良いのだが、 単独山行が中心となってしまった我が身にはそれもなかなか叶わず、 結局ズルズルとした状態が続いてしまったという次第である。

しかし、季節も初夏となって汗ばむ陽気となると、冬の間に身体に溜まったであろう汚い老廃物を思いっきり汗をかいて流してしまいたいという気持ちが強くなり、 加えて さすがに 5ヶ月近くも山に登らない状態が続くと 何か落ち着かない気がし始めるようになって、 この 5月20日、 ついに意を決して (それ程大袈裟ではないが) 山に登りに行ったのであった。

さて、行き先であるが、 普段は 「健脚向き」 という山やコースを意識して選んでいるものの、 このブランクによる体力低下が心配であまり自信がなかったため、 今回は 「一般向け」 と言われている山を選ぶことにした。
そして、候補に上げたのが 八ヶ岳の北部に位置する天狗岳を唐沢鉱泉から登るコース、 そして少し近間では、大峠 (おおとうげ) に向かう途中の湯ノ沢峠入口に車を止め、 雁ヶ腹摺山から黒岳を抜けて湯ノ沢峠経由で戻ってくるコースの 2つであった。 これらのコースは、実業之日本社から出ている 「続 東京・首都圏 クルマで出かける山歩き」 から選んだものである。

どちらの山に登ろうか前日まで散々悩んだあげく、天狗岳の方は登山の起点となる唐沢鉱泉までの交通アプローチが長いのにイヤ気がさし、最終的に 雁ヶ腹摺山に決めたのであった。
ということで、 20日の日曜日早朝、 やや寝坊気味ではあったものの 4時50分に家を出て、 久々に中央高速道路八王子ICへと向かったのである。 順調にクルマを飛ばし、 中央高速の大月ICに着いたのが 6時を少し回った頃。 先に述べた雁ヶ腹摺山に登るには、 この大月ICで下りればよいのである。
ところがあまりに順調に来たため、 これなら諏訪南ICまで進むのもそれほど時間がかからないだろう という考えが急に頭に浮かび、 急遽目的地を変更して天狗岳を目指してしまったのであった。
散々迷っての決定が その時の気分で簡単に覆ってしまったのだが、 やはり心の奥底に 一度登った山に再び登ることに対する抵抗があったのかもしれない。

なお、交通アプローチの途中で行き先を変更するなどという行為は、決して誉められたものではなく、実際、昔 表妙義で失敗しているのだが、今回は幸いザックの中に 八ヶ岳の地図も入れていたこともあり、 問題があるとすれば家族への行き先変更連絡だけだったことから、 躊躇うことなく変更することにしたのであった。 家族への連絡は後で携帯電話をかければ良いのである。

ということで、大月ICを左に見過ごし、そのまま諏訪南ICへと向かったのだが、長い笹子トンネルを過ぎて甲府盆地に入ると、今まで晴れていた空は 一転してどんよりとした曇り空となり、 青空が見えなくなってしまったのであった。 そして晴れていれば見えるはずの 南アルプスの山々も白いカーテンに覆われたように全く見えず、 今日は快晴と聞いていただけに、 行き先を変更したことの失敗を嘆くことしきりであった。 しかし、幸いなことに道を進むにつれて再び青い空が拡がり始め、 諏訪南IC近くになる頃には、 大好きな甲斐駒ヶ岳の姿も左手に見えるようになったので 一安心であった。

こうして気分が高揚したり落ち込んだりしながらも諏訪南ICまで順調にやってきたのであったが、困ったのは諏訪南ICから唐沢鉱泉までの道順を頭に入れていなかったことである。 よく分からないので、 とにかく諏訪南ICで下りてから原村方面へと向かい、 ひたすらまっすぐに道を進んだところ、 いつの間にか見慣れている美濃戸口手前の分岐 (学林付近) に飛び出したのであった。 これには本当にビックリである。
この場所に来るには、 いつも小淵沢ICで下りて八ヶ岳有料道路を進んでいたので、 目の前に見慣れた分岐が見えた時には 何かキツネにつままれるような気分になったのであった。 こうなったら、化かされついでに 道を右にとって美濃戸口から赤岳に登ろうか とよっぽど思ったのだが、 もう赤岳へのこのコースも 3回ほど登っているのでマンネリの感があり、 また体力的にも今回は自信がなかったことから、 分岐に書かれた地図に倣い、 左の未舗装道路を進んだのであった。
その後は、 フォレストカントリークラブ三井の森への道順を示す看板だけを頼りに道を選びながら進み、 三井の森別荘地を抜けて そのフォレストカントリークラブ三井の森の横を通り、 その後ダートな林道をひたすら登って高さを稼いで、 唐沢鉱泉に着いたのは 7時30分過ぎであった。

この唐沢鉱泉は、このようにかなり山を登った所にある訳で、既に標高は 1,860mほど。従って、これから登る天狗岳は標高 2,646mと かなりの高山ではあるものの、 それ程の標高差はないのである。 今の私にはもってこいのコースである。

ただ、この時期、途中の唐沢源流部分にはまだ結構雪が残っていて、腐り始めた雪に結構苦労させられたのであった。しかし、道は総じて緩やかで息を切らすこともあまりなく、 久々の登山を大いに楽しむことができたのだった。
詳細はいずれアップする登山記録に記載するが、 黒百合ヒュッテ前の残雪斜面を登りきると、 目の前にスリバチ池とその後ろ聳える東天狗、西天狗の双耳峰が現れ、 その美しさに思わず息を飲んでしまった次第である。
やはり登山の醍醐味はこういう所にある訳で、 吹きつける風はまだ冷たかったものの、 登山の素晴らしさ、喜びを感じずにはいられず、 思った通り 約 5ヶ月も山に登らなかった自分の愚かさを 大いに反省する心境になったのであった。

こうして久々に山からエネルギーをもらった私としては、これから再び登山に精進したいと思っている次第である。従って、今後のホームページの更新頻度にも良い影響を及ぼすものと思われるので、 今後とも我がホームページを宜しくお願いしたい。

イヤー、久々に長文を書くと疲れる・・・・ 、そして中身も支離滅裂だし・・・ (^_^;)


とりとめもない雑文  2001.06.11 記

先日登った天狗岳の登山記録もアップしていないのだが (実を言えば、 昨年末に登った櫛形山の登山記録もまだなのである (^^;) 梅雨入り前の土日最後の晴天 という声がしきりに聞こえてくるのに刺激されて、 6月2日の土曜日、 またまた山に登ってきた。
行き先は小川山 (おがわやま) あまりポピュラーではないかもしれないが、 奥秩父北西部にある標高 2,418mの山で、 位置的には金峰山瑞牆山の北にあり、 この小川山とその南に隣接する金峰山 そしてやや西にある瑞牆山とを結ぶと、 小川山−金峰山のラインを底辺として瑞牆山の部分が直角となる (実際は直角にやや満たない) 直角三角形ができあがるといった感じである。 また、小川山付近の岩場は 岩登りをする人たちにとって結構人気のスポットにもなっている。

ただ、隣接する金峰山、瑞牆山といった山々がアルペン的風貌を有して人を惹きつけているのに比べると、小川山のそれはやや見劣りする感じがする。 事実、山は一応三角錐の形はしているものの、 その頂角はおよそ 140度ほどもあるものだから やはり鈍重さを感じずにはいられないし、 またその大き過ぎる山容も (聞くところによるとこの近隣の山域随一) ちょっと鈍さを覚えさせるのである。
従って、 2つの名山の陰に隠れてやや損をしているという気がするのだが、 金峰山の頂上に立つと見えるその大きな姿は、 逆に無視できないものを感じさせるのである。

私もこの山を知ったのは金峰山、瑞牆山に登った時が最初で、金峰山頂上の北方に見えたその大きな山容に興味を覚えたのであった。この興味を覚えるということは、 山好きにとってはいつか登ってみたい という思いに繋がることを意味するのだが、 当時の私は 「山登りは電車やバス、 そして時にタクシーを使って行うもの」 という頭しかなかったものだから、 そのアプローチの大変さに敬遠せざるをえない山だったのである。

実際、金峰山からの縦走では要する日にちもかなりのものになりそうであるし、小川山単独で登るにしても千曲川上流となる信濃川上側からのアプローチということを考えると、 とても登りに行く気にはなれない山だったのである。 これは高校2年の時に、信濃川上から梓山近辺まで行って川遊びをした時に感じた 東京 (当時は三鷹に住んでいた) からのアプローチの大変さが頭に染みついていたからかもしれない。

ところがである、前にも書いたように車を使うということを覚えてからは 本当に今までの思いこみが吹っ飛び、この小川山も完全にコントロール範囲に入ってくれるようになったのである。
先日、たまたま金峰山の地図を眺めていたところ、 必然的に小川山のことを思い出すこととなった訳で、 それではと小川山の登山基地となる川端下 (かわはげ) へのアプローチを調べてみると、川端下に至る県道川上−梓山線沿いに大深山 (おおみやま) の文字を見つけたのであった。
そう、大深山は以前に登った天狗山・男山への登山基地なのであり、 そこから 10km程先に足を伸ばせば、 川端下、そしてその少し先に金峰山荘のある廻目平があるのであり、 大深山まで行けたのであれば、川端下、廻目平へクルマで行くことは 何の問題もないことになるのである。

そう言えば 「続 東京・首都圏 クルマで出かける山歩き」 (実業之日本社) にもこの小川山のことが書いてあったことを思い出したので確認してみると、 本には 「山麓泊日帰り」 と紹介されていたものの、 廻目平へのアプローチに要する時間と、 さらに地図にある小川山への登山時間を考えれば十分に日帰り可能と判断される訳で、 早速出かけることにしたのであった。

現在はこういう発見 ? が一番ワクワクする訳で、昔、時刻表を睨みながら、列車の時刻、バスの時刻の組み合わせ、また使用する鉄道ルートの組み合わせを色々考えるのが 楽しみだったのが、 今はこうしたクルマで日帰りできる山の発掘 ? に変わりつつあるのである。
道路さえ空いていれば、 高速道路網の発達により大きく行動範囲は広がることになり、 早朝に車で出発すれば、東北は平ヶ岳燧ヶ岳 越後では八海山 西では御嶽も日帰り登山圏内になる訳で、 近間でも アプローチを考えると日帰りは無理と思っていた仙丈岳までが 日帰り登山の範囲に入るようになったのである。 そういう実績から 今やクルマは私の登山にとって必需品になりつつあるのである。

そして今、頭の中にいくつかの山が行き先に挙がっているのだが、この場で先に行き先を公言してしまうのも少し恥ずかしい気がする訳で、おいおい実績をあげて発表していくようにしていきたい。

なお、今回の小川山登山については いずれ登山記録としてアップするつもりだが、 逆にこれだけ懐かしく、 しかも意気込んで行った割にはちょっと拍子抜けの感があった。
まずは取り付きを間違えてカモシカ遊歩道に入ってしまい、 唐沢ノ滝経由というかなりの遠回りをしてしまったこと、 途中ほとんど展望が利くところがなく、 しかも樹林帯では小さな羽虫 ? の大群に何回も襲われて気分が悪かったこと、 折角登り着いた頂上も展望がほとんど利かず わずかに瑞牆山が見えた位で物足りなさを感じたこと、 下りも途中の八丁平で道を間違えて富士見平の方に迷い込んでしまったこと、 ほとんど全体にハイライトシーンがなかったことなど、 憧れていた山だっただけに期待も大きく、 現実とのギャップにちょっと落胆も大きいものがあったのであった。

むしろ、廻目平から金峰山が意外に短時間で登れることに気づかされ、廻目平へ向かう林道でスレ違った恐らく金峰山に向かっているのであろう人々を見て 大変羨ましく思った次第である。
決して小川山が良い山ではないと言っているのではなく、 期待が大きかっただけに 普通の山だったことにちょっと失望しただけなのであるが、 このごろは山に登ったという達成感だけでは十分に満足できなくなり、 平地では見られない風景に心ときめくことを山に求める傾向が ますます強くなりつつある。
そういう意味では、 先日の天狗岳の方が、 黒百合平から雪の斜面を登り切ると見えた天狗岳の双耳峰と 目の前に広がるスリバチ池の風景があっただけ 心が満たされた感じがするのであって、 今回の小川山はちょっと残念であった。
奥秩父の深山を楽しむといえば聞こえは良いが、 やはり今の私の心境にやや合わなかったようである。


更新を約束したばかりなのに、またまた滞ってしまい、 慌てて本文を書きました。 本当に駄文で支離滅裂。 心に余裕がないなあ。


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