八海山( 八海山:1,778m ) 2000.11.04 登山


  阿寺山神生池より八海山(入道岳、八ツ峰) ( 2000.11.04 )

【八海山登山記録】

【八海山登山データ】

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八海山登山記録

11月の 3連休の中日、新潟県の八海山に登ってきた。
何故 八海山かと言えば、これは突然その名が閃いたというしかない。山へ行こうと決めた段階でパッと頭にこの名が思い浮かんだのであるが、 よくよく考えてみると、先月登った
平ヶ岳山頂 (先月登った記録はこちら) から越後三山の堂々とした姿を眺めており、 そのことが頭の片隅に残っていたのかもしれない。
登山コースは色々調べた結果、屏風道と呼ばれる鎖場の多いコースを登ることに決めた。
もう少し詳細に言えば、屏風道コースの二合目にあたる芝原まで車で行って屏風道を辿り、八海山の名の由来となったと言われる八ツ峰 (地蔵岳、不動岳、七曜岳、白河岳、釈迦岳、摩利支天岳、剣ヶ峰、大日岳) を辿った後は、 新開道と呼ばれるコースを下って再び芝原に戻るというものである。

早朝、家を出るときは本日の快晴が約束されたように空に星が輝いていたものの、 関越自動車道を進んでいくうちに周囲が霧で包まれ、長い関越トンネルを抜けた時点ではほとんど霧で視界が利かない状態であった。
六日町ICで高速道を下り、八海山登山口のある山口に向かう途中も完全な霧の中で、初めての山であることからやや不安感が増してきたのであったが、 ありがたいことに途中の上原などの村落を抜けて山口に近づくにつれて少し霧が晴れだし、いつしか正面に鋸の歯のような形をした山が見えるようになってきたのであった。

芝原に着いたのが 6時35分。駐車スペースには既に 3台ほど車が止まっていた。
身支度を済ませて出発したのが 6時40分。まずは、駐車スペース向かい側にある赤い鳥居の横から河原へと下る。
登山道は屏風沢の流れを石づたいに渡るのだが、渡渉地点のそばには増水した時に備えての籠渡しが設置されていた。
暫くは杉林の中の緩やかな登りが続き、体調を整えるのに好都合である。
この頃になるとすっかり霧は晴れており、見上げれば樹林の間から青空が拡がっている。

登りはそのまま緩やかに続くのでそれほど息が切れることもなく快調に進む。
やがて樹林の間から山の稜線が見えだしたのであるが、まだ日が山肌に当たっておらず、そのやや暗く見える岩肌と稜線の鋸歯のような岩の 凸凹 が印象的であった。
紅葉は既に終盤にさしかかっているものの、黄色や黄土色、赤、緑といった木々が山肌を覆っている様はなかなか見事である。
快調に足を進めていくと、正面の紅葉した木々の先に、灰色の岩とその間に一筋の白いものが見えてきた。
どうやらあれは大滝らしい。ただ、意外と距離があるようである。
先ほどまでは山の稜線が意外と近く見えたので少し物足りなさを覚えていたのだが、どうしてどうして、滝までの距離とその後ろに続く斜面を見ると、 稜線までは結構距離があるようである。

振り返れば、木々の間から遠くの山々が見える。
後で調べたら 妙高山であることが分かった。
妙高山の手前にも山々が見え、そのさらに手前には魚野川が流れる平野が拡がっているらしいのだが、 今は先ほどの霧がまだ残っているのであろうか、白い雲でフタをされたようになっている。
やがて再び正面に大滝がハッキリ見えるようになると、目の前に清滝避難小屋が現れた。その白い壁が印象的である。
清滝避難小屋からは左の灌木帯を登っていくと、道が右にカーブするところに赤い鳥居が見えてきた。
ここは徳栄稲荷で、いくつかの石碑やキツネの石像がおかれている。

この徳栄稲荷を過ぎると岩場と鎖場が現れ、以降次々と鎖場が連続することになった。
鎖にはそれぞれ鉄製の札のようなものが付いていて、中には刻まれた文字がはっきり読めるものもある。大正や昭和の初期の年月日と、 寄進者の名も見られ、歴史を感じずにはいられない。
鎖場自体は全体重を鎖にかけ、手でそれをたぐっていくといったような厳しい所はなく、足場の方がしっかりしているのでそれほどきついものではない。
ただ、いくらきつくはないといっても、これでもかこれでもかと鎖場が連続するので、やがて手も疲れだしてしまい、 途中で暫し休まざるを得なかった。

この頃になると太陽も高さを上げ、今まで日の当たらなかったこちら側の山肌を照らし始めたので、 紅葉の山肌が朝日に真っ赤に輝いて美しく、休憩時に大いに楽しませてくれ、また元気を与えてくれたのであった (七合目 8時34分)
また、高度を上げるにつれて越後の山々も徐々に見え始め、特に南面の 巻機山が印象的であった。
まだ麓の方は雲が溜まったようになっているので、高速道路は未だに霧の中なのかもしれない。

さすがに、うち続く鎖場の連続に幾分疲れを感じ始めた頃、大きな岩の横を通過し鎖場を登り切るとそれが最後の鎖場で、 すぐにササの斜面に飛び出し、先の方には千本檜小屋が見えてきたのであった。
ようやく登りも終わりである (9時27分)
千本檜小屋からの展望は抜群で、南側には 巻機山苗場山妙高山などが見え、 小屋の裏手に回ればまずは目の前の 越後駒ヶ岳の姿に圧倒される。
そして、越後駒ヶ岳から中岳へと続く山並みのボリュームにはものすごいものがあり、 そのノミで荒削りしたような山肌の 凹凸 は豪雪地帯の厳しさを物語っているようである。

小屋でしばし休憩した後は、いよいよ本日の核心部である八ツ峰の登攀である (9時43発)
暫く平坦な道を進むと左手に登る道が分かれる場所があった。何の標識もなかったが、八ツ峰に登るにはここしかないと思い、 左手の道を進んでみると、少々氷かけた道を鎖につかまりながら一登りですぐに稜線であった。
道が右と左に分かれていたが、まずは何やら石碑などがごちゃごちゃと置かれている左手の高みへと行ってみることにした。
そこは地蔵岳で、白装束をまとった地蔵 ? が置かれており、地蔵は 越後駒ヶ岳を向いているのが印象的であった。
すぐに道を引き返し、先ほど登り着いた分岐点を過ぎて右の高みに向かうと、そこは不動岳で、 山頂は多くの石祠、石碑、石像で賑わっていた (9時59分)

不動岳山頂には 「ここから先は鎖場の連続で危険」 との標識があり、 先の方を見やれば、狭い岩場の稜線がかなりの 凹凸 をもって繋がっている。
ただ、ここから迂回コースに戻る気はサラサラない訳で、少々緊張しながら進むことにした。
すぐに鎖の下降となり、そこから登り返すと五大岳であった。私の地図ではここは七曜岳となっているのだが、 山の呼び方は各登山口によって違うようである。
五大岳から白川 (河) 岳の間には 20mほどの横鎖があり、そこで 2人の登山者を抜かさせてもらったのだが、 結構大きな荷物を背負っていたので中岳まで縦走ですかと訪ねたところ、阿寺山での 1泊を考えているとのことであった。
ここで私の頭に阿寺山の名前がインプットされたのである。

釈迦岳を越えると迂回路への分岐点があり、そこに鐘が置かれてあったので叩かせてもらったところ、 結構 山中に鳴り響くような大きな音が出たので、叩いた本人がビックリしてしまった次第である。
(大) 摩利支天岳を越え、いよいよ最後の大日岳であるが、八ツ峰の登りの中ではこの大日岳への垂直の鎖場が一番手強かったような気がする (10時33分)
大日岳の頂上も石碑や石像などで大変賑やかで、さすがに八海山の奥ノ院となっているだけのことはあり、 誰もが行ける不動岳と並んで八ツ峰の中でも一番の充実ぶりをみせていた。
大日岳で暫し休憩をとりながら周囲を見回すと、越後駒ヶ岳 ・ 中岳の圧倒する迫力は今後の登山の楽しみにとっておくとして、 目の前の入道岳もなかなか立派に見え、さらに南の阿寺山も頂上付近に湿原があるようでこれまた魅力的に見えるのである。

本来の計画では八海山の最高峰である入道岳を踏んだら、そのまま新開道を芝原まで下るつもりでいたのだが、 先ほど会った登山者の言う阿寺山のことが気に掛かり出し、少し心が動いたのであった。
時刻はまだ 10時半。まだ余裕があることから、阿寺山も視野に入れつつ、まずは入道山まで行ってみることにした (10時43分発)
なお、大日岳からの下降の鎖場は 15m以上もある長いもので、これを登りに使うとかなり苦労するに違いない。

入道岳 (標識は丸岳) 山頂に着いたのが 11時4分
下山するには時間的にはまだ早過ぎる感じであり、それではと さらに先にある五竜岳まで足を伸ばしたのだが、 ここまで来てしまうと今下ってきた入道岳が異様に高く聳えて見え、下り来た道を登り返す気になれない。
結局、五竜岳から阿寺山経由で下山することにしてしまったのであったが、これが結構一苦労であった。

五竜岳 (11時27分) 直下にある五竜ノ池の横から道をドンドン下っていくと、 やがて目の前に阿寺山の姿が大きく見えだしてきた。
八ツ峰の頂上から見たように、ササ原と草地が多く見られ、池塘などもあるようでなかなか魅力的である。
事実、途中には神生池や三ノ池、四ノ池などがあり、ここから眺める入道岳や八ツ峰の姿は素晴らしいものがあった。
枯れた草地の中を登っていくと、やがてササに囲まれた登山道脇に阿寺山の標識があったが (12時18分)、 周囲を見回すともっと高いところがあったので、実際の頂上はここでは無いのかもしれない。
振り返れば中岳のドーム状の姿が大きく、来年は中岳に登りたいという気持ちを抱いて、道を下り始めたのだった。

先ほど、阿寺山経由の下山は一苦労と書いたが、この標識を過ぎてからの下り道は本当に苦労の連続であった。
決して急勾配でもなく、一見一般的な下山道なのであるが、その実態は赤土と岩、そして木の根が剥き出しの道で、 しかもその上を枯れ葉がすっかり覆っており、加えてそれら全てが濡れそぼっていることから滑りやすく、本当に進むのに難儀したのである。
どうやらこの道は日当たりが悪いらしく、朝方は霜などが道を覆っていて、それらが気温が高くなるにつれて融けだしたようで、 何度も何度も大丈夫と思って踏み下ろした足がズズッと滑り、おかげでズボンは泥だらけ、身体を支えようと足の方はパンパンの状況であった。

ブナの林をひたすら足下に気を配りながら下ったものの、一旦滑ってしまうと制御が利かなくなってしまうことが多く、 時には右足が無理な格好となりそのまま腓 (コムラ) 返り状態になってしまうこともあった。
楽しみにしていた蛇食 (ジャバミ) 清水 (13時32分) も、 辺りがビショビショでしかも日も当たらないことから長い休憩には適さず、ようやく落ち着いたのは金剛清水に下り立った時である (13時54分)
しかし、そこからも林道までは足下の石が滑って結構苦労が続いたのであった。

林道に飛び出したのが 14時18分
普段は林道歩きはあまり好きではないのだが、今回だけはこれで滑らない道を歩けるという安堵感を心底感じた次第で、 これ程林道がありがたいと思ったことはなかったのあった。
そして、山口経由で二合目の芝原に着いたのが 15時15分。時間的には理想的であるが、身体はクタクタであった。
特に、阿寺山からの下山で足が疲れていたのに加え、山口から舗装道を二合目まで登り返さねばならず、これが結構辛かったのである。
ただ二合目までの車道歩きで、正面に見えた八海山は見事であり、こんな素晴らしい山を登ってきたのだという充実感で心は結構満たされたのであった。
とにかくくたびれながらも楽しい山行であった。


八海山登山データ

上記登山のデータ登山日:2000.11.04 天候:快晴単独行日帰り
登山路:芝原(二合目)登山口−清滝避難小屋−七合目−千本檜小屋−地蔵岳−(八ツ峰)−大日岳−入道岳(丸岳)−五竜岳− 神生池−阿寺山−蛇食清水−金剛清水−林道−山口−芝原(二合目)登山口
交通往路:瀬谷−横浜IC−(東名高速道)−用賀IC−(環八)−練馬IC−(関越自動車道)−六日町IC−山口−芝原(二合目)登山口 (車にて)
交通復路芝原(二合目)登山口−山口−六日町IC−(関越自動車道)−練馬IC−(環八)−用賀IC−(東名高速道)−横浜IC−瀬谷 (車にて)



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