山の雑記帳 10

 些細な失敗  1999.01.14 記

 今年の初登山計画  1999.01.23 記

 尾籠な話で恐縮  1999.01.25 記

 山の動物  1999.02.03 記

 続・森永チョコボール  1999.02.05 記


些細な失敗  1999.01.14 記

山に関する話題も乏しいこの時期、 次回の山行までの場つなぎとして、つまらない話を1つ。

昨年最後に登った笹子雁ヶ腹摺山 − 滝子山の縦走において、 チョットした出来事があった。
大した話ではないのだが、 縦走途中のお坊山山頂で食事をすべく、 ザックからガスカートリッジ (例のイワタニプリムスの黄色いカートリッジ、 250G) を取り出し、 それを脇の下に夾んだまま、 ガスコンロの方のセッティングをしようとしたところ、 セッティングに手間取っているうちに 脇の下からガスカートリッジを落としてしまい、 それがそのまま急な斜面を転げ落ちてしまったのである。

足下に落ちた、と思ったらあれよあれよという間に転がり出し、そのままかなり急な斜面を転げ落ちていったのだが、 その時私は信じられない思いで 転げゆく黄色いカートリッジを呆然と見つめているだけであった。

この日は、フランスパンと、発泡スチロール容器のカップ麺 (日本ソバ) を持参しており、暖かいソバを食べながらパンも一緒に食べることを 大いに楽しみにしていたのだが、 これでその楽しみが半分すっ飛んでしまうことになるわけで、 何ともやりきれない気持ちであった。

おまけに腹が空きだしたのがお坊山手前の米沢山頂上で、そこで昼食にしても良かったところを、米沢山頂上はほとんど展望がなかったことから 食事の場所には相応しくないと判断し、 そこから地図で40分ほどの所にあるお坊山まで、 空きっ腹を抱えながら頑張ってやってきたところだったのである。
そしてようやく食事ができると喜んだのもつかの間、 この事態が発生した訳で、 その時の私の気持ちは、 私のつたない文章力では到底表すことのできないものだったのである。

しかしである、斜面に生えた低木の間を転げ落ちていく黄色いカートリッジの行方を見ながら、 楽しい食事をあきらめかけたその時、 誰が捨てたのか、 発泡スチロールでできた薄いシートが木に絡まっている状態の箇所が 4m程下にあり、 うまい具合に そこにカートリッジが引っかかって止まってくれたのであった (この間、ほんのわずかの時間であったのだが、 何かスローモーションを見ているようで、 とても長く感じられた。)

シメタと思い、今度は自分まで転げ落ちないよう木につかまりながら斜面を慎重に下りてカートリッジを回収したのであったが、 急な斜面を登り返すのは大変難しく、 これまた一苦労であった。
しかし、 カートリッジを取り戻すことができた喜びは大きく、 頂上に戻った瞬間に快哉を叫んだ次第である。

こうした思わぬ苦労に見舞われた末の食事が格段に美味しく感じられたのは言うまでもなく、頂上から見える南アルプスの山並みを眺めながら、 大いに食事を楽しんだのであった。

それにしても、この一連の出来事を見ている人が誰もいないことが本当に幸いであったと思う訳で、大勢の人たちが憩う山頂であったら、 とても恥ずかしい思いをし、 長居はできなかったであろう。

ところで、 山に登り始めて10年、 山行数は少ないけれども山に関する失敗は数々あって、 中でも道に迷ってしまったことが一番多い。

しかし、今回のような間抜けな失敗も数多くあり、これらは枚挙に暇がない。
それらはネタの無い時のためにストックしておき、 小出しにしていこうと思うが、 実はこの笹子雁ヶ腹摺山 − 滝子山の山行の1つ前、 南大菩薩縦走の時も小さな失敗があったのである。

登山記録では、「神社から霜柱の立った急な道を一登りすると滝子山直下の鞍部で、そこは標識の備わった頂上 (右) 三角点があるもう一つの頂上 (左) との分岐になっており、 白縫姫にまつわる話を書いた解説板も備えられていた。 ・・・」 などと平気で書いているが、 実は左の頂に三角点があるのを知らずに、 右の頂だけを踏んで登った気になり、 そのまま次の大谷ヶ丸へと向かったのであった。

私は山に登ったら極力三角点を踏むことにしているのだが、この滝子山は三角点のない山だと勝手に思い込んでしまったのであり、 後からガイドブックを見てシマッタと思った次第で、 例えとしては適当ではないが、 徒然草の 「仁和寺にある法師」 になったような気分であった。

従って、それが次の笹子雁ヶ腹摺山まで心にひっかかていたことから、この笹子雁ヶ腹摺山に登った際、曲沢峠から下山せずに、 少々無理をして滝子山まで足を伸ばしたということなのである。
頑張った登山の真相も 実はこのようにくだらない理由からきているのである。

しかし、こうした些細なそして間抜けな失敗も、 時には大きな事故に繋がる可能性だってあるわけで、 今回のガスカートリッジの場合も途中で引っかかったのを幸いと、 斜面を下っている時に そのまま下へ滑落してしまうことだってあるのである。
「登山は慎重に」 をモットーに、 今年はつまらぬ失敗はしないようにしたいものである。


今年の初登山計画  1999.01.23 記

1月半ばを過ぎてもまだ今年は山に登っていないという事実がありながら、この山の雑記帳に何か書くというのは 気が引けるもので、 この頃少々停滞している。
しかし、 この土曜日は何とか山に行きたいと思っていることから、 自分を鼓舞するというか、 追いつめるというか、 勇気づける意味で 少々書いてみたい。


先日3日間も寝込んだ風邪のせいでその後の体調も思わしくなかったことから、絶好の登山日和であった 1月16日、 17日も山に行くことができなかった。

今年最初の登山となるので是非とも行きたかったのだが、体調の悪いまま登っても楽しい訳がなく、自宅待機 (代わりに我がパソコンの CPU交換を行った) も致し方なかろう。

こういう状況の中、毎日続く好天にやや焦り気味になっているのだが、まだ今月は4日間もチャンスがあるわけだし、 昨年の最初の登山が2月22日というテイタラクであったことを思えば、 まだまだ余裕である。

と、そんなことを考えている中、木曜日 (21日) に久々に長崎に出張する機会があり、羽田へ向かう途中の車窓から、 幾度となく富士山の姿を眺めることができた。

中でも川崎を過ぎて六郷川 (多摩川) に架かる鉄橋を渡る際に見えた富士山はなかなかのもので、丹沢山塊を台座にして さらにその上に雲の座布団を敷き、 そこにどっしりと鎮座している姿には ハッとさせられるものがあった。

今年は積雪が少ないのか、真っ白というよりは白と青が入り混ざったような山肌を見せており、 優しさや美しさよりも 少々凄みを感じさせるところが印象的である。

こういう素晴らしい姿を見てしまうと、山のムシ ? がウズウズし始め、是非とも山に登らねばという気にさせられるのであるが、 幸い明日 (23日 土曜日) は天気が良さそうなので、 是非山に行こうと思っている。

そして、今回は昨年末に購入した軽登山靴のデビューでもあることから、それなりの山を選ぼうと思っていくつか候補を挙げてみたのだけれど、 なかなかこれといった山が見つからない。

まず、富士山に刺激されたということで富士山の見える山を考えてみたが、富士の好展望台と呼ばれる山は一応ほとんど登ってしまっているわけで、 同じ山に登るのでは 年の初めに立てた誓い ? を早速破ることになってしまう。

それではと、いつも富士山の姿を見ようと頑張っても頂上に達する頃には富士山が逆光になっていることが多いので、 逆光にならない富士山の南側の山々に登ることを考えてみたのだが、 すぐに思い浮かぶ伊豆の山々はどうも高さがモノ足りないし、 もう一つ頭に浮かぶ愛鷹連峰は 鋸岳や位牌ヶ岳といった岩稜歩きがどの程度なのか 現時点では手持ち情報が少なすぎるために不安である。

それでは富士山にこだわることを止め、最近集中して行っている中央線沿線の山々を考えてみても、なかなか未踏の山で すぐに頭に浮かぶ程魅力的な山は少ないし、 さらに北にある奥秩父の山々となると、 恐らく積雪も多いことだろうから真新しい靴、 それも軽登山靴では荷が重かろうと思われ、 どうもこれといった候補が浮かばない。

高さや難易度を少々妥協して、少し頭に残っている山を思い起こせば、黒川鶏冠山、道志山塊、乾徳山+黒金山 といったところが挙げられるのだが、 これらはどうもシックリ来ず、 今一気が進まない。

そこで徹底的に奥秩父・大菩薩のガイドブックを調べたところ、ついに見つけた山が深田久弥終焉の地である茅ヶ岳である。
この茅ヶ岳は 私の住む横浜からはアプローチが結構大変でありながら、 登りの方は意外とアッサリ終わってしまいそうな山だったので、 今まで行こうと思いながら なかなか踏ん切りがつかなかったのである。

しかし、今回ガイドブックを調べるうちに、そのソバに曲岳や黒富士という面白そうな山があって、それらと組み合わせるとたいそう充実した山行になりそうだ ということが分かったのである。
こういう組み合わせを発見すると 俄然やる気が出てくるから不思議である。

明朝、私の気持ちが挫けさえしなければ、この茅ヶ岳に登ってさらに金ヶ岳に至り、それから観音峠に下って、 今度は曲岳、 黒富士に登り返すつもりであるが、 挫けずに出発できるだろうか。
天気も良さそうだし、 雪も少々あって、 なかなか良い登山だった と報告できるようにしたいものである。


ところで全く話は変わるが、先ほど述べた六郷川の鉄橋から富士山を見た際、その富士山の印象的な姿もさることながら、 丹沢の上に富士山が見えたということが何よりも驚きであった。

考えれば富士山の方が遙かに高い山なのだから当たり前なのだが、以前にも書いたように私が毎朝瀬谷駅に向かう時は、 富士山は大山 (相州大山) に隠されていて見ることができず、 瀬谷駅近くに来て、 辛うじて大山の後ろに 同じ高さで富士山の山頂部がチラリと見えるのである。

そして、今私が勤めている平塚市にある勤務先からも、大山のどっしりとした姿の左側に同じくらいの高さで富士山が見えるのであり、 通勤途中で通る厚木市街からも 大山と富士山は同じような高さに見えるのである。

そういった状態を4年間ほど見続けたことから、丹沢山塊富士山は同じ高さである」 などと馬鹿なことは思わないまでも、 横浜近辺、厚木、平塚市界隈では 遠近の関係から富士山丹沢山塊と同じ高さに見える と思い込んでいた訳で、 従って横浜より少し北にある川崎から見えた富士山が、 丹沢山塊の遙か上に見えたのが意外だったという訳である。

羽田行きのモノレールから見える富士山丹沢山塊の上にその姿を見せているのであるが、この姿は過去に何度となく見ていたことから、 今回も当たり前のように受け入れており、 またその姿が意外と平面的に見えることから あまり驚かなかったのである。

しかし、川崎付近から見た立体的な構図には大いに驚かされた次第で、六郷川の川岸沿いに建つ高層マンションに住み、 毎日富士を見ながら暮らせたら良いだろうな などとつまらないことを考えた次第であった。

この2月からは新橋に通勤することになることから、 毎日この素晴らしい富士の姿が見られるようになるわけで、 これは今から楽しみである。


尾籠な話で恐縮  1999.01.25 記

一応予告した通り、23日の土曜日に茅ヶ岳、曲岳、黒富士に登ってきた。
天候は快晴、 雪もほとんど積もっていなかったことから なかなかの好条件であったものの、 先月の28日に笹子雁ヶ腹摺山に登って以来の山行で、 しかもその間、 正月を中心にほとんど食ってばかりの生活をし、 さらに風邪で3日間も寝込んでしまった身にとっては 結構キツイものがあった。

しかも、ガイドブックの情報だけで、よくコースを調べもせず、簡単に茅ヶ岳、曲岳、黒富士を登ると予告してしまったのであるが、 実際に歩いてみるとかなりのロングコースで、 体力的にも時間的にも ギリギリの状態であった。

とは言うものの、総じて本年最初の登山としてはなかなか充実していたと思うし、しかも誰も歩いていない雪の上に足跡を残すことができたことから、 新しい登山靴のデビューとしても 最高のシチュエーションであったと言える。
詳細は近日中に登山記録にアップするつもりなので、 お読み頂ければ幸いである。


さて、ここからトーンがガラリと変わって尾籠な話を少々。
それは山の話をするなら避けて通れない 「オオキジ」 の話である。

「キジを打つ」 というのは登山の隠語で、「用足し」 をすることであるといえば、「オオキジ」 が何を意味するかはお分かりであろう。

私もこれまで百数十回の山行を行うに至っているが、それだけの回数を重ねれば生理的欲求により、トイレ以外の所で 「オオキジ」 を打つことも多くなる。
しかも不思議なもので、 意外とこの 「オオキジ」 を打った記憶というものは頭に残るもので、 これまで 「オオキジ」 を打たせてもらった山を挙げようと思えば、 スラスラと口に出すことができるのである。 これはどういう訳なのか分からないのだが、 やはりその時の切羽詰まった気持ちが 記憶をハッキリとさせているのかもしれない。

何故に山で 「オオキジ」 を打つような状況になるかと言えば、まず考えられるのが、日常の 「お通じ」 のテンポが、 山行による早起きとうまく合わないということである。

普段、朝出勤前に 「お通じ」 を済ませるようにしているが、大体その時間は午前6時半前後であり、それが毎日規則的に行われている訳だから、 山に行くために早起きした場合 なかなか体が用を足そうという気になってくれないのである。

従って、そのまま用を足さずに山に向かった場合、途中の駅などで済ませることができれば良いのだが、時によっては 登山の最中に欲求が出てくることもあるという訳なのである。

しかしまあ、私の場合、こういうケースはあまり多くない。 一番多いのが、やはり腹痛を伴うものである。
これは体が冷えたりすることが一番の原因であるようで、 もともとそれ程丈夫でない腹具合が 寒さなどにやられて一遍に悪くなるということである。

実を言うと、私が 「オオキジ」 を最初に打った山というのは、何と第1回目の山行である丹沢で、雨の中、通気性の悪い雨具 (当時はゴアテックスではなかった) によって雨具の下のズボンはビショビショになり、 それが雨が止んだ後に冷たく感じられるようになって 体を冷やし、 そしてついに丹沢主脈縦走の最後の地である焼山頂上で 「オオキジ」 を打つ羽目になってしまったのである。

汗ばんだ体が冷たい山の風に当たって急激に冷やされた場合、お腹にくることは私の場合時としてあることで、 これは冬場とは限らず夏でも起こりうることである。

「オオキジ」 を打つ場合、 コースから外れて人に見つからないようにするのは当然のことであるが、 これまでその現場を見咎められたことは1回もない (自慢にもならないが・・・)

しかし、丹沢の大石山において急に催し、笹藪に入って用を足した後、登山道に戻って歩き始めようとした瞬間、 目の前に人が現れたので思わず 「アッ」 と大声を上げてしまったことがある。
その人は、 私がボーっとしていて前方から人が来ることに気づかなかった (こういうことは山では結構ある) と思ったであろうが、 大声を出した原因は別の所にあったのである。

さて、 こうして 「オオキジ」 などという尾籠な話題を取り上げたのは、 実はここ3回続けて 「オオキジ」 を打つ羽目に陥っているからなのである。

南大菩薩縦走の時は、幸いなことに天目山付近の町営ロッジのトイレで用を足すことができたのだが、笹子雁ヶ腹摺山 そして今回の茅ヶ岳では 野に 「オオキジ」 を打つことになってしまったのである。

この3回とも腹具合の悪さ故の出来事であり、この冬場の寒さが最初は原因かと思っていたのだが、よくよく考えてみると、 3回ともカップ麺 (全てを同じもの:日本そば) を昼食に食べた後にそういう状況に追い込まれているようで、 どうもこれはこのカップ麺が私の体質と合わないようなのである。

一番苦しんだのが今回の茅ヶ岳の場合で、茅ヶ岳、金ヶ岳と登り、金ヶ岳山頂でその問題のカップ麺を食べた後、 観音峠まで下ってから今度は曲岳に登り返す時に それは起こったのであった。

曲岳登山口には1台の車が止められていたことから、1人以上の人が先に登っていることが分かったのであるが、 地形的にみてここに車を止めた場合は、 曲岳 (それに黒富士を含むかもしれない) へのピストン登山にならざるを得ないのであり、 従って、その人 (達) が下ってくる際に すれ違う公算が大きいのである。 このことも後で私を苦しめることになった。

曲岳の急斜面を登って行くと、徐々に腹の具合が悪くなり、「オオキジ」 を打つ羽目になるかなと思い始めたのであるが、 そこは急斜面である上に左右もかなり急な坂になっており、 おまけに冬で周囲の木は葉が皆落ちているため見通しが良過ぎ、 ハッキリ言って 「オオキジ」 を打つ環境 ? では全くないのである。

更に、先に登っている人がいつ下ってくるやもしれず、これは大変なピンチで、隠れて 「オオキジ」 が打てる適当な場所を求めつつ、 脂汗をかきながらの登りとなったのであった。

かなり我慢をしながら登って行ったのだが、しかしこのまま頂上に着いてもそこに人がいるやも知れず、また頂上にトイレがあるわけではないのだから、 頂上まで頑張れば という採算めいたものもあるわけではなく、 体が完全に緊急事態を発し始めたので、 ついに決断 ? をせざるを得なくなったのだった。

例え下山してくる人に見つかっても、それは1人か2人に対する恥で済む訳で、まさか漏らすことなどあれば、家に着くまでに 多くの人に対して恥をかくことになる という考えが頭をよぎり、 緊急事態を発し始めた体を 登山道から丸見えの斜面に飛び込ませたのであった。

幸い登山者は用足しの最中には下りてこなかったので助かったのだが、登山本来のものとは違った意味の緊張を強いられ、 結構ドキドキものであり、 全く恐ろしい体験であった。

先にも述べたように、恐らくこの原因はカップ麺にあると思われる訳で、もっと早く気づくべきだったと大いに反省させられるとともに、 山を汚してしまったことに対して 申し訳ない気持ちである。


これ以上この類の話を書いても、 気分を害されると思うので止めにするが、 話題が話題だけに 「尻切れトンボ」 になることをご容赦頂きたい。 しかし、この手の話は結構あるものなのである。


山の動物  1999.02.03 記    動物の写真は ここをクリック

2月1日の朝日新聞夕刊に丹沢や奥多摩の鹿のことが載っていた。

記事の内容は野生動物と人間の共存のあり方を考えさせられるものだったが、ここでは難しい話はヌキにして山で出逢った動物のことについて 少々触れてみたい。

最初に私が出逢った (あるいは見た) 動物は鹿で、記念すべき第1回目の登山である丹沢主脈縦走 (大倉−塔ノ岳−丹沢山−蛭ヶ岳−焼山−東野) を行った際に、 原小屋跡付近で林の中を走りゆく 白い2つのお尻を見ることができ、 自然に触れることができたという喜びを感じたものであった。

しかし、何のことはない、その次にガスに囲まれた蛭ヶ岳頂上に立った時に鹿が平然と人々のソバまで寄っているのを見て、 丹沢の鹿の置かれている状況をウスウス知ることとなり、 その後冬の塔ノ岳頂上で 奈良公園の鹿状態にあることを完全に確認したのであった。

これは先に述べた朝日新聞にも書かれていたように、丹沢の森林生態系の衰えにより鹿たちの食物となるササ類や草本類が退行してきており、 特に冬場は食料が大変乏しくなる ということに一つの原因があるのだろうが、 一方で人間たちがついエサを与えてしまっていることにも 問題があると思われる。
悪気はなくても いつの間にか鹿を餌付けしてしまっている状況というのは、 目に見えない自然破壊であろうし、 これは一見エサを貰って幸せそうな鹿たちにとっても 不幸なことである。
無論、 丹沢の鹿全てが餌付けされている訳ではないのであり、 その山中を走り回る姿に 結構感激させられるものがあるのだが・・・。

ところで、冬の塔ノ岳頂上から鍋割山へと向かう途中、雪道の真ん中に立って通せんぼをしている鹿に出逢ったことがあった。
優しい眼をしているものの、 角は長く立派なものを持っており、 やはり野生は野生、 少々ビビッてしまった次第である (残念ながら写真が見つからない)
お互いに数分見つめあったが、 先方は一向に立ち去る気配がないので、 仕方なく登山路を避けて林の中に入り込み、 大きく道を迂回したのであった。
後で考えると、 何か訴えかけているような感じがしないでもなかったので、 この鹿もエサを求めいたのかもしれない。 しかし、 人にエサを求める鹿が増えているとしたら大変問題で、 山に登る人は 絶対にエサをあげないようにして欲しいものである。

この丹沢以外で鹿を見たのは、九州 霧島山系の韓国岳への登り (えびの高原より登山)、また同じく九州の市房山への登り (コースは一般的な市房神社側からではなく、 西米良の方から) 男体山の梵字飯場跡ぐらいしか思い出せないから、 いくら数が増えている鹿と言えども、 1回山を訪れた位では滅多に見られるものではないのである。
そういう意味からも、 丹沢の一部の鹿は最早、野生とは言い難い状況であることが分かる。 人間がそうさせてしまったのだが、 寂しい気がする。
そうそう、 大台ヶ原でも鹿を見たが、 これは論外と言っていいであろう。

鹿を見たとなると、次に逢いたくなるのがカモシカである。
岩場に1匹で立つ姿を想像し、 一度で良いからお逢いしたいと思っていたのだが、 なかなか巡り逢うことができず、 ようやくその姿を見たのは 1996年の12月に登った三ツ峠山であった。

三ツ峠駅から登り、八十八大師を過ぎ、白雲荘の跡に近づいた時、右上の斜面に黒い物体がいるのを見つけたので、 斜面に誰かが黒ヤギをつないで 草を食 (は) ませているのかと思ったのだが、 よくみると顔つきがどうもヤギのそれではない。
カモシカと気づくのに暫く時間がかかったものの、 気づいてからは夢中でシャッターを切った。

しかし、105mm のレンズでは別添の写真 (ここをクリック) が精一杯で、しかもご本人とカメラとの間にある枯れ木が結構邪魔をしていて、 写真としては今ひとつの状況である。
しかし、 長年の夢であったカモシカを こんなポピュラーな山で見ることができるとは全く思っていなかったので、 大変興奮してしまったのであった。

一度カモシカに逢うことができると、二度目の遭遇も意外とあっさり実現するもので、翌年の 1997年10月、 浅間山に登った後小諸駅に向かって下山途中、 湯ノ平高原を経て火山館を過ぎた所で 林の中からジッーとこちらを見ている カモシカに気づいたのであった。

このカモシカはクリーム色&茶色をしており、周囲の紅葉の中に溶け込んでこれまた写真としてはあまり良い出来のものを撮ることができなかったのだが、 この時も思わぬ出逢いに興奮したことを覚えている。

さて、鹿、カモシカ以外に山で出逢った動物と言えば、 あとは猿くらいであろうか。

猿を見たのは、北アルプス表銀座を縦走した時のことで、常念岳からその日の宿泊予定場所である大天井荘に向かう途中、 ガスの中に多くの猿が斜面に腰掛けているのを見て 驚いた次第である。

2回目も北アルプスで、鹿島槍ヶ岳に登るべく、扇沢から爺ヶ岳登山口を経て種池山荘へと向かう途中、木にぶら下がって枝を揺らす猿の群に出くわしたのであった。

ご覧頂けば分かるように、これらの猿の写真もどうもピンぼけであるが、逆にあまりに鮮明な写真を撮れたとしたら おかしい気がする。

あと印象に残っているのは、九州の双石山にて目の前を横切っていった雄の雉 (きじ) で、あまりに突然現れたものだから 心臓が止まるかと思われる程 ビックリさせられたのであった。
禁猟区や休猟区であることを 本人は知っているかのごとくの振る舞いであった。

そうそう、ビックリさせられたといえば あのクネクネとした蛇も忘れてはならない。 特に、 九州の大崩山にて小さいながらもマムシに逢った時は、 かなりビビらされた。

しかし、実はもっと私をびっくりさせたものがある。
それは 丹沢に足繁く通っていた頃によく見かけた ガマガエルである。

登山道を歩いていると、突然足下の石ころが動きだし、思わず驚きの声を発してしまったのであるが、それは実はガマガエルで、 その体長20pくらいの黒いカタマリは 大変薄気味が悪かった。
別にガマガエル自体は驚きの対象物にはならないのだが、 思いもかけず山道で、 しかも石ころに化けていたかと思うような動作をし、 さらにこの遭遇が数回続いたのであるから、 心臓に大変悪い影響を与えてくれたのであった。

まあ、このように山で逢う動物たちに結構喜ばされたり、 驚かされたりしているのであるが、 さすがに今まで熊に出くわしたことはない (今後もないことを祈りたい)

よく、登山道に 「熊に注意 !!」 といった注意書きがおかれていたり、熊が爪でひっかいたのではないかと思われる傷跡を 木の幹に見ることがあるが、 やはり本物には逢いたくないものである。
こういうシチュエーションの場所を 一人歩かねばならない時は、 大声を出しながらの歩きとなるわけで、 先方にご遠慮頂くことを ひたすら願う次第である。

ところで、こういった山の動物たちは人間のことをどう思っているのだろうか。

きっと、私が驚く以上に小さな心臓をバクバクいわせているのかもしれない。
お互い、無干渉で 自然体でいきたいものである。

今後どのような動物たちと出逢うことができるか ということも山の1つの楽しみである。

動物の写真はここをクリックして下さい。


続・森永チョコボール  1999.02.05 記

この話について予備知識のない方は、ここをクリックして以前の雑記帳をお読み下さい。


昨年の暮れに、『新年に向けて部屋を掃除していたら、森永チョコボールの銀のくちばしを5枚当てて入手した 「おもちゃのカンヅメ」 だけに付いてくる、 キャラメル缶の応募用紙が見つかった。 ・・・(中略)・・・ 応募締め切りを見ると、 平成10年12月31日 (当日消印有効) ということだったので、 貯めていた銀のくちばしを 慌てて貼り付けて送った次第である(詳細はここをクリック)。』 と書いたが、 2月3日の節分の日、 その キャラメル缶が送られてきた。

この キャラメル缶は 縦 7p、横 10.5p、高さ 9p ほどのスチールでできたかまぼこ型の箱で、形としてはよく西洋の海賊などが持っている 宝物の箱を思い出して貰えば良く、 従って、 上から 3p 位のところまでが蝶番 (ちょうつがい) 付きのフタになっているのである。

このフタは素地が金色で、そこにチョコボールのキャラクターである きょろちゃん のローマ字のスペル (KYOROCHAN) を紺色の文字で一文字ずつバラバラに配置しており、 一方ボディの方は フタとは逆の配色で紺色の素地に金色の KYOROCHAN のローマ字スペルがバラバラに配されている。

そして、正面には OMOCHA NO KAZUME と書かれた金色の王冠マークの中に、きょろちゃん の顔が描かれており、 その下には エンゼルマークと MORINAGA の文字が書かれているのである。
またサイドには英語で、 1967年以来多くの少年少女に愛され続けている おもちゃのカンヅメ 云々 という言葉が書かれ、 それによれば、 おもちゃのカンヅメには 夢、ファンタジー、ロマンス、冒険 が入っているのだそうである。

さて、このキャラメル缶の正体だが、 これまでのおもちゃのカンヅメのように中にいろいろな きょろちゃん グッズが入っているというものではなく、 実はオルゴールなのである (噂通りであった)

フタを開けると、真ん中手前に指揮者姿の きょろちゃん (ご丁寧にカツラをかぶっている) がおり、その右にはピアノがあって その前にはピアノ奏者の きょろちゃん がおり、 また指揮者の前には合唱団のつもりなのであろうか、 タキシード姿の きょろちゃん が5匹 (髭が生えていたり めがねをかけていたりと、 5匹それぞれ顔つきが違う) 指揮者と向き合っている。

そして、コマーシャルでお馴染みの 「クエ クエ チョコボール ♪ 」 のメロディが鳴り出すようになっていて、そのメロディに合わせて 全部で7匹の きょろちゃん が身体を揺らしたり 上下動を行うようになっており、 それはそれなりに楽しい造りになっている (メロディがメロディだけに それほど毎日聞くというような代物ではないが・・・)

それだけと言えばそれだけのことなのだが、このキャラメル缶を入手するためには5枚の銀のクチバシを当てて (金のクチバシならば1枚なのだが、 当たる確率は皆無に近い ?) 、おもちゃのカンヅメ (ピーナッツ缶あるいはイチゴ缶) を入手し、 そのおもちゃのカンヅメに入ってくる キャラメル缶の応募用紙に さらに銀のクチバシ3枚を添付して送らねばならないので、 最低でも1年間 (有効期間は2年間だったかもしれない) に8枚の銀のクチバシを手に入れなければならないのである。

これは、年間に 20回位山に行くとして、その際に携行するチョコボールが 2、3箱/回、つまりのべ 60箱程のチョコボールの中から、 当たりのチョコボールを 8箱を得なければ入手できないという、 なかなかの逸品 ? なのである。
そういう意味では自慢して良い代物であるが、 かといって中年の男が自慢するものでもない。

まあとにかく、 このキャラメル缶の入手で 一応チョコボールから得られる景品 (ピーナッツ缶、 イチゴ缶、 キャラメル缶) を全て入手したことになるのだが、 有り難い ? ことに それぞれのカンヅメの中身はドンドン変わっており、 チョコボールで金と銀のクチバシが当たる限り、 景品を入手していきたいと思う。
ではなくて、 山での元気回復の素としてチョコボールを愛用し、 その副産物として景品を得られることができたら幸せである。

山に行く回数を増やせば、銀 (金) のクチバシを入手する機会は増える訳で、今年も山行回数を上げるべく頑張りたいと思う。


2月3日、東京では気づかなかったのであるが、 横浜の方では雪がちらついたようで、 お陰で毎朝見る丹沢も一段と雪の量が増えたように見える。

但し、一番よく見える大山は相変わらず土の肌が見え、その後ろに見える塔ノ岳、蛭ヶ岳方面だけが白く見えるという状態で、 昨年に比べて今年はかなり雪が少ないようである。

しかし、久々の丹沢も良いかもしれない。
前回の茅ヶ岳登山の際、 往復にタクシーを使ったり、 帰りは特急に乗るなどかなりの散財をしたことから、 2月は近場で済ますか などとケチなことを考えたりするのだが、 一方で、山に登る回数を増やすのが目的ではないのだから 本当に面白そうな山、 登りたい山に行かねばと、 安易に山を選ぼうとする自分を戒めている状態である。

そうはいっても雪の丹沢はなかなか魅力的なことは間違いない。
雪の山道を歩く面白さもさることながら、 丹沢の荒れた山肌が隠され、 そこには美だけが強調された世界が広がるようになる ということも、 冬の丹沢なら登っても良い と思う理由の1つである。

荒れた丹沢、立ち枯れたブナ林を見るのが忍びないからであるが、そう思いつつ何もしようとしない自分が情けない気もする。


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