山の雑記帳 20

 肩透かし・ショック  2000.02.15 記

 雑 文  2000.02.24 記

 ザック買い換え  2000.03.06 記

 我が山の道具  2000.03.20 記


肩透かし・ショック  2000.02.15 記

この3連休は天候に恵まれ、 私も 2日目の土曜日、丹 沢に登ってきた。
他の山も考えたのだが、 毎日の通勤時、丹沢山塊がその峰々を白く輝かせている (ように見えた) のを見ると、 やはり無視することは出来ず、 大倉尾根のあの登りの辛さを割り引いても 登りたい気にさせられたのであった。

例年、この時期の丹沢は雪が結構積もっており、軽アイゼンを付けて固い雪を踏みしめるのは大変面白く、また雪に覆われて 普段とは違った景観を楽しむことができるのも魅力で、 何度も通い 私の心の中ではややマンネリになっている丹沢と言えども この冬の時期は別格なのである。

そして、今回はこの積雪期の丹沢を楽しむことに加え、私が 『勝手に神奈川25名山』 に選んでおきながら 未だ登っていない袖平山が、 どのような山なのかを確かめねば という負い目にも似た気持ちがあったことも 丹沢に向かわせたもう 1つの理由であった。

従って、計画したコースはいつも通り大倉を出発してから、塔ノ岳、丹沢山、蛭ヶ岳、姫次と丹沢主脈を縦走し、姫次から袖平山を往復した後、 八丁坂ノ頭から青根に下るというもので、 現状の体力ではやや心配ではあったものの、 逆に自分の体力を試してみたい という気持ちも強かったので、 思い切ってトライすることにしたのであった。

装備の方は、雪山での軽アイゼンの装着を考え、登山靴をいつものライケルからザンバランのイサルコへと変え (かかとの高さがあまりない靴底では、 私の 6本爪軽アイゼンは装着できないからである) またロングスパッツも用意し 万全な状況で臨んだのだが、 結果は登山道にほとんど雪がない状態で、 拍子抜けさせられてしまったのだった。

雪が多い季節なら、大倉から車道を歩き、丹沢乗馬クラブの所で車道から離れると直ぐさま雪道が待ってくれているのだが、 この日は雪は一向に現れず、 結局 塔ノ岳頂上に至るまで 登山道上で雪を踏んだのは数えるほどしかない という有様であった。

折角用意した軽アイゼンの方も丹沢山山頂まで全く出番が無く、そして、ようやく出番が回ってきた丹沢山から先の登山道でも、 日当たりの良い 箒杉沢ノ頭、不動ノ峰、棚沢ノ頭では 凍った雪道でのスリップ防止にではなく、 ぬかるんだ泥道でのスリップ止めにその威力を発揮してくれた という状況であった。

2月のこの時期、標高 900m付近にある駒止茶屋付近からアイゼンを付けねばならない時もあったことを考えると、 今年のこの暖かさは本当に異常と思えるものがある。 そのお陰で今年は花粉の方も活発らしく、 私なんぞは今月の初めから鼻の方がグズグズ言い出しており、 これから 5月過ぎまでの辛い季節を考えると 本当に恐ろしい。

さて、雪道を歩くという楽しみはそういう訳で 30%位しか楽しめなかったのだが、それでは体力を確かめるという点ではどうだったであろうか。
時間的には、 7時10分に大倉を出発して塔ノ岳に着いたのが 9時54分、 途中の花立で大休止をしたことを考えれば まあまあといったところであろうが、 途中何人もの人を抜いた一方で、 5人程の人に追い抜かれることになり、 ややショックを受けている。

荷物が結構重いだの、靴が普段履くものより重たいだのと、手前勝手な理屈で何とか自分を納得させようとはしたものの、 やはり体力が落ちてきていることは否めないようで、 かつて 抜かれた記憶が数回しかない この大倉尾根での今回の出来事は 大変辛いものであった。
ただ、 この尾根道は登山競争も行われている所でもあり、 軽装にてスピード登山を目指している方々も多いことも確かで、 中には 毎週のように大倉尾根を登り下りして鍛えていらっしゃる方もいると聞く。 従って、1ヶ月に 1回位のペースでしか登らない私が そういう人たちに敵うはずもなく、 私を抜いていったのはそういう人たちだ と思っておくのが一番良かろう。

さて、このように肩透かしを食ったり、 ショックを受けたりした今回の丹沢であったが、 一番ガックリきたのは袖平山であった。

姫次から東海自然歩道を西に向かうこと約10分、緩やかな坂を登っていくと、テーブルが 3つ程置かれた、大変見晴らしの良い場所に出たので、 一瞬ここが袖平山かと思ったのだが、 右手の林の奥の方を見ると、 ここより高い場所が見えるではないか。 よく見ると 林の中にビッシリ生えているササの間に 細い道がつけられているのが見えたので、 どうやらその高みが袖平山らしい。

ササに覆われて分かりにくい道を 3分ほど辿ると、その一角だけササがなく芝生が生えたようになっている場所があり、 そばには三角点らしきものもあったので、 標識などはなかったものの ここが袖平山であろうと決めつけた。

しかし、ここは大室山富士山の好展望台ではあるものの、山と呼ぶにはあまり相応しくない感じの場所である。手持ちの地図を見ると、 1994年版の地図では袖平山と書かれているものの、 家に帰ってから引っ張り出した 1988年版の地図では 『袖平ノ頭 (ボンテン)』 と記されており、 その位置づけが曖昧な状態である。
この 「頭 (あたま)」 というのは、 『独立峰というほどではない尾根上の突起。 沢や谷の源流にそびえる小さな峰。 枝尾根が主尾根にぶつかる地点の小さなピーク』 竹村義仁氏 登山用語集より) ということであるから、 今でこそ 『山』 と付いているものの、 どうも 『勝手に神奈川25名山』 に挙げるには今一つといったところである。

ただ、姫次からこの袖平山までに至る道、並びに袖平山頂上からは素晴らしい展望を得ることが出来るため、袖平山を 『勝手に神奈川25名山』 から直ぐさまはずしてしまうのも 勿体ない気もするのである。 兎に角、 姫次では頂上の方しか見えなかった蛭ヶ岳が 東海自然歩道を進むに連れて その堂々とした全容を現し始めるのは圧巻で、 さらにその右手に 古くは 『秘峰』 と呼ばれた檜洞丸の姿が見え、 そしてさらにその右には ズングリとした大室山と続き、 また大室山の上方には富士山も見えるなど、 山好きには堪らない光景が広がっているのである。

そういうことで、袖平山だけを目指して登るということはお勧めできないが、姫次、そして姫次から袖平山に至る東海自然歩道、 そして袖平山 という組み合わせにして、 合わせ技で 1本ということでどうであろう。 一応条件付きで 『勝手に神奈川25名山』 に加えておきたいと思う。

さて、 くたびれ果てて青根 (東野) に下山した今回の登山であったが、 最後に少し嬉しいことがあった。
それは、 東野のバス停で一緒になったご夫婦のことで、 聞けば 前日ヤビツ峠から登ってその日は木ノ又大日小屋に泊まり、 この日は塔ノ岳、丹沢山、蛭ヶ岳、姫次、 八丁坂ノ頭、青根と縦走してきたということであった。
嬉しかったことというのは、 そのご夫婦がはるばる群馬県からやって来たにもかかわらず、 丹沢の魅力的な部分をしっかり歩いてくれたということである。
丹沢は 表尾根だけではその魅力の全てを知ることは出来ないのであり、 やはり今回のような主脈や主稜を縦走してこそ その良さが分かるというものである。
車を使っての安易な登山が横行している中、 丹沢もこういう人たちに登ってもらえて さぞかし嬉しいことであろう。 私もこのことを知って少し嬉しくなった次第であった。


雑 文  2000.02.24 記

実は先週の土曜日、 丹沢に行ってきた。 2週連続での丹沢ということになる。
登ったのは、 雨山、檜岳、伊勢沢ノ頭 で、 これも前回と同様 『勝手に神奈川25名山』 に名前を掲げておきながら 未だ登っていないという、 借金状態を解消するということから選んだのであった。

この 3山だけ登るのであれば、寄 (ヤドリギ) を登山基地として 3山をぐるっと回ってくるのが手っ取り早く、私も当初はこの コースを辿る計画を立てたのであったが、 今年に入っての登山は結構長い距離を歩いてきたことから考えると 金時山、丹沢主脈縦走) どうもこのコースでは物足りない気がし、 地図とにらめっこしてルートを考えた結果、 結局 いつもの大倉尾根からアプローチすることにした。
つまり、 大倉から大倉尾根 (通称 バカ尾根) を登って塔ノ岳まで行き、 その後、金冷シまで戻って今度は鍋割山へと向かい、 そこから鍋割峠、雨山峠、雨山、檜岳、伊勢沢ノ頭と登って林道秦野峠へと下り、 林道を歩いて 寄へと下るというものである。

小田急線渋沢駅 7時48分発のバスは 1週間前と同様 立っている人も何人か出るなど、 登山者で満杯の状態となり、 この大倉尾根コースの人気の程が伺われた。

天候は快晴だった 1週間前とはうって変わって曇り空で、前回には大倉尾根の途中で美しい姿を現してくれた富士山も、この日は 全くその影すら見ることができなかったのであった。

そうそう、前回はこの大倉尾根を 途中の休みも入れて 2時間44分もかかり、また途中で 何人かの人に追い抜かれたことにショックを受けたのであったが、 今回は 靴も軽い方の ライケルを履いてきたので、 密かに捲土重来を期待していたことも書いておかねばならない。

結果は、花立山荘まではまあ快調だったものの、山荘の前で握り飯を食う大休止をしたところ、途端に山荘からのペースがガックリ落ちてしまい、 結局 塔ノ岳に着いたのが 9時41分。 7時10分の大倉発であったので 2時間31分かかったことになる。 今の体調を考えれば、 これが精一杯といったところであろう。

途中で、前回すれ違った人と今回もすれ違うことになったが、この人は前回も今回もかなり駆け足で下っていったので、 毎週丹沢でランニング登山をやっているのかもしれない。

塔ノ岳頂上はガスが薄くかかり、蛭ヶ岳方面も山の上部が途切れていたように雲の中に入っており、ほとんど展望を得られない状況であった。 また、冷たい風が吹いてかなり寒く、 そのような寒さの中で休憩するのは耐えられず、 久々に尊仏山荘に入ってカップラーメンをすすったのであった。
ところで、 普段 家で食べても決してうまいと思わないカップラーメンも、 山の上で食べると大変美味しく感じられるのは何故だろうか・・・。

さて、塔ノ岳から鍋割山へと向かうと、大丸付近で 数頭の子鹿が登山道左のササ藪から目の前を横切って右側の林の中へと入っていくのに出くわした。
そして林の中から、 そのつぶらな瞳でこちらをジッと見ていたので、 何故かドギマギしてしまったのであった。

前にも書いたが、 この場所では数年前の冬にも鹿に出会っている。 その時は立派な角をもった牡鹿で、 道を塞ぐようにしていたことから大変ビビッた記憶がある。
いくらつぶらな瞳をしていても、 その立派な角で突かれでもしたら大怪我するのは必至で、 私の方が道から外れて林の中を迂回したのであった。

鍋割山頂上も全く視界は利かず、 寒さに震えながら弁当を食った。 考えれば この日は食欲旺盛であり、渋沢駅でバスを待つ間におにぎり 2個 (これが朝食) 花立山荘前で おにぎり 1個、 尊仏山荘でカップラーメン、 そしてこの鍋割山頂上で 海老名駅で買ったヒレカツ弁当といった具合であった。

そうそう、食べ物と言えば、間食として持ってきている 例のチョコボールで銀の嘴が当たり、今年最初の登山である金時山と併せて もう今年 2枚目のゲットとなった。 なかなか快調である。
実は、 金時山の 1枚で銀の嘴が 5枚揃ったことから、 またまたおもちゃのカンヅメ (過去缶と未来缶があり、過去缶を請求) を手にしたのであった。 ご報告まで。

閑話休題。
鍋割山から雨山峠までの間は、 最近買ったばかりの地図を見ると 「鍋割山−雨山峠−寄沢間、土砂崩れのため、通行禁止の表示あり。 熟達者以外の通行には厳重な注意が必要。」 と書かれている。 事実、鍋割山直下の鍋割峠には、 「これより先 通行禁止」 の立て札がおかれていて、 少々怯んでしまったのであるが、 誰がやったのであろう、 その立て札の 「禁止」 のところがマジックインキで塗りつぶされており、 その下に 「注意」 との文字が付け加えられていたのである。
つまり、「通行禁止」 ではなく、 「通行注意」 という訳である。

これを見て、何となく力が抜けて進んでみる気になったのであるが、通ってみると確かにザレて崩れやすい斜面に鎖が掛けられており、 その鎖を止めてある杭も 何本かは崩れやすい岩のため抜けてしまっているなど、 滑り易く危険なことは危険であったが、 慎重に下ればどうということはないのであった。

また、2つ目の鎖場は、下りの最後の部分がかなり崩れていて、すぐ横が崖になっているものだから、確かに 「要注意」 ではある。 でも、ここも愛鷹山などを経験している私にとっては 何のことはない。
いや、 それ程鎖場の経験のない方にとっても 慎重に下れば問題ないと思われる訳で、 折角 静かでなかなか良いコースを、 この程度のことで 「通行禁止」 にしてしまうのは如何なものかと思った次第である。

それにしても鍋割山から雨山峠までのコースは 10年ぶりであったものの、もう少しこのコースのことを覚えているかと思ったが、 全く初めてのような気がしたのは意外であった。

雨山峠から雨山、檜岳、伊勢沢ノ頭までのコースについては、 詳細を登山記録の方に載せるが、 このコースではたった 1人しか人に会わず、 静かな山旅を好む方にはなかなかお勧めと思う。
でも、明るい塔ノ岳、丹沢山、蛭ヶ岳方面に比べて、 西丹沢のようにやや暗い気がした訳で、 これは必ずしも天候のせいばかりではなかろう。

檜岳頂上のベンチもかなり苔むしていて、このコースが人気コースからはややずれていることを物語っている。しかし、道の方はしっかり踏まれており、 途中 雨山の頂上を通らない標識に悩まされることはあったものの、 静かな山を歩いて自分を見つめ直したい ? という人にはピッタリのコースと思う。

ただ、冒頭で述べた 『勝手に神奈川25名山』 という観点から言えば、雨山、檜岳、伊勢沢ノ頭を合わせて登ることで、1名山とすべきと思われる。
各山とも樹林に囲まれて展望は得られず、 またこれといった特徴もない状況であることから、 この山々の価値・魅力は 3つの山を繋いで歩くコースそのものにある と思われるからである。


ザック買い換え  2000.03.06 記

先日、丹沢主脈縦走を行った際 ちょっとしたハプニングがあった。
不動ノ峰を越え、 棚沢ノ頭へと向かうほぼ平らな登山道で、 突然 後ろに引っ張られるような感覚を覚えたのである。 何が何だか分からず、 後ろを振り向こうとしたら ザックが不安定に傾いたので、 それでザックのショルダーベルトが 片方とれていることに気がついたのであった。

問題の箇所は、ザックの下部とベルトを繋いでいる部分で、ザックから耳のように飛び出ている布とベルトとを縫いつけている糸がほつれてしまい、 ベルト部分が抜けてしまっていたのである。

幸い、ウェストベルトにショルダーベルトの先端を結びつけることで その後の縦走には問題がなかったのだが、いやはや、 これが 岩場や鎖場などを登っている時に起こったら と思うと冷や汗ものであった。

大体がものぐさである私は、登山用具の手入れを普段怠っており、せいぜいやるとしても登山靴にワックスをかける程度なのである。 しかし、登山中にこのようなことが起こると、 如何に普段の手入れが大事かを思い知らされる訳で、 場合によっては 命取りになりかねないこともありうることを考えると、 態度を改めねばならない と大いに反省させられた出来事であった。

しかし、この出来事には続きがある。
実は、 下山した途端にこのザックの故障のことをスッカリ忘れてしまい、 翌週の金曜日に翌日の丹沢 檜岳登山の準備をしている最中、 ザックを見て思い出したという次第である。

慌てて、昔使っていた 同じく 35リットルのザックを引っ張り出してきたものの、このザックもショルダーベルトとザックの下部を繋ぐ部分に打ってある鋲が 真っ赤にさびついていたから似たり寄ったりで、 結局 応急処置として行ったショルダーベルトを ウェストベルトに結びつけたままの状態で 山に行ったのであった。
私の山の上での反省など こんなものである。

しかし、本当にまじめに山の道具の手入れはしっかりやらねばならない。
ロープを使って岩場登りをする人は、 命に関わることだからと しっかりロープの事前点検、 日頃の手入れを怠らないであろうが、 私のように低山を中心に歩いていると、 命に関わることもあるまいと どこか高をくくってしまい、 普段 道具の手入れなどやらないのである。

しかし、何が起こるか分からないのが山であり、今回も たまたま応急処置ができる箇所だったから良かったものの、切れた場所が悪かったりしたら ザックを腕に抱えたままで縦走を続けなければならなかった訳で、 やはり大いに反省しなければならないことである。

ところで、壊れたザックであるが、工業用ミシンでもあれば十分に補修可能であるし、またミシンが無くても登山店に持っていけば 修理して貰うことは可能であろう。
しかし、 よくよく見るとショルダーベルトは 染みこんだ汗で色が変色してしまっており、 またザックの周りもかなりキズだらけとなっていることから、 この際ザックを新調することにした。

もったいない、贅沢だ との非難も聞こえてきそうであるが、宮崎への単身赴任時代にはこのザックを既に使っていた記憶があることから 7年以上は使っていたことになる訳で、 そうなると 一緒に行った山の数も 80近くなることになり、 もう引退させてあげても良かろう と思う次第である。

そうそう 引退させるザックは Jack Wolfskin の ZERMATT で、確か神田の さかいやスポーツ で 10,000円チョイの値段で買ったものである。 本当にご苦労様でした (捨てはしません。 箱に入れて仕舞っておきます)

さて、これでまた楽しみが増えた訳で、会社の帰りに鶴見の IBS石井スポーツにでも立ち寄って 新しいザックを物色してみようかと思う。
しかし、 たまたま IBS石井スポーツの 1999 − 2000 カタログが手元にあるが、 それを見てみると 皆 結構なお値段である。

どうも最初に買ったザックが さかいやスポーツで売っていた 8,500円のものだったからなのかも知れないが、ザックに 2万円 も出す気がしないのである。
さすがに、 テント泊縦走用に買った 60リットルの Lowe CONTOUR III には 2万円以上払ったが、 35リットル位のザックならば 1万円チョイの価格で納めたいところである。

昔、山の道具のカタログを購入して、これも欲しい、あれも欲しいと夢を膨らませていた時代があったが、その中でザックはやはりミレーのものが憧れで、 そのステータスの高さとともに 価格の高さにため息をついたのであった。

今は、ミレーと言えどもベトナムなどで作られ、価格がこなれてきてはいるが、それでもやはり少々高めである。今回もどうやら ミレーはパスのようである。

また、この頃は山の雑誌を全く見なくなってしまったので、ザックのバックシステムにどのような機能が開発され、流行はどのようなものなのかが 分からなくなってしまっている。
今度買うザックには どんな機能が付いているのか楽しみであるが、 低価格に押さえてしまうと、 新機能の恩恵には浴さないのかもしれない。

そう言えば、今回引退願う Jack wolfskin の ZERMATT は、ショルダーベルトがいわゆるカーブド・ショルダーベルトというやつで、 首や胸を圧迫しないような設計になっていたのであるが、 最初は全くこれに慣れず、 却って胸が苦しかった覚えがある。
さて今回はどうであろう。

ところで、 IBS石井スポーツのカタログに ザックのメンテナンスについて書かれたコラムがあった。
それによれば、

・・・ザックは紫外線にさらされたり、雨にうたれたりすると、撥水性・防水性が落ちてきます。
山から帰って来たら、 ザックを日陰干しにしてから、 防水・撥水スプレーを吹き付けて下さい。

また、雨の日はなるべくザックカバーを使用し、汚れや濡れ防止に役立てて下さい。汚れがひどい場合も、決して丸洗いせず、 きつく絞った濡れタオルで拭くなどして下さい。 保管する時は、 高温多湿をさけて、 出来れば風通しの良い所がベストです。 良いザックは簡単なメンテナンスと丁寧な使い方で、 長もちし、使い心地もよくなってきます。

とのことである。
大変耳が痛い というか、 反省させられる話である。


我が山の道具  2000.03.20 記

先般ザックが壊れたが これを機に私の現在の登山道具を少し総括してみたい。 極端に私的な話で恐縮だが 暫しのお付き合いを・・・。

登山靴は現在現役として使えるものが 4足ある。 このうち普段履くのは ライケル社のマウンテントレッカーで、 積雪が多い場合のみ軽アイゼンが装着できる ザンバラン社のイサルコを履いている。

マウンテントレッカーを購入したのは 1998年末、イサルコは記憶が定かでは無いが、最初に履いたのが北岳間ノ岳塩見岳の縦走の時だったか、 その前の四阿山途中撤退の時だったはずであるから、 今から 8年前ということになる。

他の 2足は ハイテック社の P.C.T. という布製の登山靴と、ドロミテ社のプラスチックブーツで、前者は宮崎に単身赴任していた際に 1ヶ月に 2回は通った双石山 (わずか 509m) 専用に購入したもので、 やはり購入から 8年経っている。 後者の方は、登山を始めた頃には 低山と言えども積雪期にはプラスチックブーツが必要である と信じていたために購入したもので、 最初に履いたのが残雪期の赤城山であるはずだから もう 10年前ということになる。

こう考えると登山靴の寿命というのは結構長いもので、履きつぶしたザンバラン社のヌーボフジヤマでさえも、合計 3回ほどソールを張り替えして 寿命を伸ばしてきたのであった。

さて、登山靴の次はソックスになるが、私はいつも長ズボンを履いていてニッカボッカなどは履かないにも拘わらず、ロングソックスを常用している。 そして、ロングソックスの下には真夏でも クロロファイバー製の短いアンダーソックスを履いており、 今時 流行らない 2重ソックススタイルをとっているのである。
そしてさらにご丁寧に ?、 足の踵 (かかと) や足の裏には 布製のガムテープまで貼り付けているのだから、 自分でもやや過剰と思わざるをえない。

この 2重ソックスやガムテープは靴擦れ防止のためなのであるが、今の登山靴は皆履き慣れてきているので、本当は これらのことをしなくても 靴擦れを起こすことはないのだと思う。
しかし、 最初に登った丹沢 (正確には 2度目の丹沢。 2度目でいきなり単独での丹沢主脈縦走を行ってしまった) にアシックス製のαジェル入り短靴を履いて行ったところ、 ものの見事に靴擦れができてしまって 大倉尾根で難儀をした経験があり、 その経験が 今でも私に過剰とも思える防衛手段を取らせているもの と分析されるのである。 嫌な体験はいつまでも心に残るという訳である。

足の裏に貼るガムテープの方は、いつも長い距離をほとんど休まず歩き続けるために摩擦熱が生じるからであろう、よく足の裏に水ぶくれが出来てしまうから これを防ぐために行っているものである。

靴下の次はパンツ (下着) であるが、これはいつもダクロンQD製のものを履いている。これは汗で湿ってもある程度の保温力を持ち、 また速乾性に優れているということが理由だが、 確かに効果は大きいようである。

ズボンは春、夏、秋の 3シーズンはタラスブルバのアルザスストレッチパンツを常用しており、冬場はウッディテイルのコットンウールパンツを履いている。 しかし、 この前タンスの中を引っかき回していたら、 登山を始めた頃に買ったパタゴニアのクライミングパンツが出てきた。 膝やお尻の部分が二重になっていて、 チョットやそっとでは破れそうもない丈夫なものである。
買った当時はやや大きめだったことから 使わずにそのままタンス入りしたのだが、 残念なことに ? 今回履いてみたらピッタリだった訳で、 この頃は冬場にこのクライミングパンツを履くことが多い。

そうそう、冬場はこのズボンの下にクロロファイバー製の いわゆるモモヒキも履いている。ちょっと動きづらくなるが、 寒い冬の山登りには欠かせないものである。

アンダーシャツは 1年中オーロンのTシャツを使用している。冬場は厚着をしているので、オーロンだろうが木綿のシャツだろうがあまり変わらない気がするのだが、 夏場を中心とした 3シーズンには 乾くのが早いので大助かりである。

上着については、夏場は Tシャツ 1枚。冬場はTシャツの上にカンタベリーのラガーシャツを着ている。冬場はたった 2枚では大変寒い思いをするが、 登り始めればすぐに汗をかいて 2枚でも暑く感じる位である。
秋や冬は、 Tシャツの上にポロシャツを着て、 気温によって長袖、半袖を使い分けている。
冬場はこの他、 防寒着として モンベルのドロワットパーカーを着ているが、 これを着るのは登山口までで、 登る際は先に述べた通り Tシャツとラガーシャツの組み合わせだけとなり、 パーカーの方はザックにくくりつけている。 まあ、防寒対策は高山に登る訳ではないのでこれで十分である。

ところで、よくよく考えたら これらのウェアも、ドロワットパーカーを除いて皆 10年近く使っていることになり、 その長持ちの度合いに今更ながら驚かされる次第である。

さて最後は頭部であるが、頭にはいつも帽子をかぶっている。夏場は日射病・熱射病防止の目的が主だが、他のシーズンはどちらかといえば 薄くなった頭を隠すためといった方が良いかもしれない (^^;)

ザックは先日述べた通り壊れてしまったので、今般 カリマーのリッジ 40 を購入した。値段は 15,200円也。もっと安いザックもあったし、 ミレーのザックでも ビソ35ならば 14,000円で購入できたのだが、 ついついニューモデルということに目がくらみ、 さらにいくつものポケットがあるのが気に入って 私にとっては少々高かったが購入したのであった。

今回購入したリッジ 40の他に今持っているザックで使用可能なのものは、テント山行用に購入した ロー の コントワ III という 60リットル (70リットルだったかもしれない) のものと、 初めての山小屋 2泊となった北アルプス表銀座縦走を控えて買った 45リットルの ノースドームというものである。 しかし、今となってはこれらのザックの出番は 極端に少なくなっている。

さて、後は小物類であるが、水筒はマルキル製の 1.5リットルであり、口金のゴムを1回替えたきりで、もう 10年以上使っていることになる。 表面の赤い塗料は所々はげ落ちており、 またそこら中へこんで形が歪みかけているいるが、 まだまだ現役として活躍してくれそうである。
ただ、 先日ザックを買うために登山用品店に行ったら、 同じマルキルの 1.5リットル水筒でも 随分背が高くなってスマートになっており、 私の持っているズングリしたタイプは 過去のものになりつつあるのを実感した。 これは ザックが縦長になってきていることに合わせているのかもしれない。

懐中電灯は頭にゴムで止める形式のナショナルヘッドランプで、これも購入してから10年以上経つ。
雨具はモンベル製のゴアテックス・ストームクルーザーで、 色はグリーン。 この雨具は 4代目に当たる。 雨具はもう 1つ、 2代目に当たる Heritage 製のものがあるが、 これはカモシカスポーツのバーゲンで購入したもので、 今は雨具としてよりはむしろ ウィンドブレーカーとしての使用が多い。

ちなみに、3代目は宮之浦岳に登った際に膝の部分が破れてしまい、今は上着の方だけ息子のウィンドブレーカーになっている (初代はゴアテックスではなかったのですぐに引退)

あとスパッツやスキーのストック、軽アイゼン、ランタン、テント、シュラフ、ガスコンロ などあるが、いずれも出番が滅多になく、 従って必然的に長持ちする格好になっており、 そして皆 10歳近い高齢者である。

という訳で、登山用具の長持ち度合いには驚かされるばかりであり、 ほとんどこの 10年、 道具に金を使ってこなかったことが分かる。
10年以上も実用に耐えている登山道具類であるが、 この度のザックのように突然壊れることもある訳で、 やはり普段から手入れをしておかねばならないと思うし、 また、パソコンへの投資を少し控えめにして、 もう少し山の道具類にも目を向けて行かねばならない と思うこの頃である。

そうそう、余談だが、 私は近眼であるものの普段は眼鏡をかけておらず、 従って山登りの際も眼鏡は使用していない。
眼鏡をかければ もっと自然の美しさに目がいくと思うのだが、 どうも普段かけ慣れていないので煩わしく、 また写真を撮る際に眼鏡をかけていると うまく撮れないのでかけるのを止めている。
ただ、 天候が良い日は サングラスをかけるようにしているから少々矛盾があり、 眼鏡をかけないのは単なる見栄なのかもしれない (写真を撮る際にはサングラスをはずしている)


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