山の雑記帳 16

 肝を冷やす  1999.07.27 記

 焼岳登山失敗  1999.08.05 記

 焼岳・乗鞍岳登山  1999.08.09 記

 まるで再現フィルムのような・・・  1999.08.23 記


肝を冷やす  1999.07.27 記

例年、7月の末から8月の頭にかけて長期の夏休み (土日を入れて9連休) があったのだが、 今年は勤務地が変わったことでそれがなくなってしまった。
この長期の夏休みは 山登りを趣味にしている私にとっては 大変貴重なものとなっており、 天候が安定していると言われている梅雨明け 10日にこの期間が大体重なることから、 南北のアルプスなど 3、4日の縦走を行うのにもってこいの長期休暇だったのである。

夏休みが無くなった分、自分で任意に休みを取る仕組みになっているのだが、土日を入れて 9日間などという休みを 会社に申請する度胸もない私にとっては、 土日に 1日くっつけるのがせいぜいである。
そして 折角休みを取ったとしても、 その休みを自分だけのものとして使う訳にもいかず、 この23日の金曜日に取った休暇は 家族との旅行に費やされてしまったのであった。

しかし、子供も大きくなると やれクラブだ 友達との遊びだということで日程がかなり詰まっているようで、これまでなら 3、4日かけていた旅行が 2日に短縮になり、 それも近間で済ますことになったのは大変ありがたかった。

また、いつもなら宿泊地近辺の観光地巡りをしたりして動き回ることが多いところを、今回は 2日間とは言え、リゾート滞在型という形で ホテル内でノンビリできたのが大変良く、 こういう形の休暇も良いな と認識を改めた次第である。

ところで、 この旅行に出発した 23日、 関東地方の梅雨明けが宣せられた訳で、 旅行先での明るい太陽を見ながら 山に行けたら良かったのにと嘆いていたら、 女房殿が日曜日に山に行くことを許可してくれたのであった。

ということで早速旅行先から帰宅した土曜日の晩、翌日登るべき山を探したのだが、あまり低い山ではこの時期の暑さに耐えられないと思われ、 かといって日帰りで 3,000m級の山に登るには 前回の平標山の状況を思い起こすと体力的に難しい気がして、 ああでもないこうでもないと考え、 これまたいつも通り候補選びに時間が大変かかってしまった。

結局、登る山を日光の女峰山に決めたのであるが、この山を選んだのはこの山に特別な思い入れがあった訳ではなく、 たまたまガイドブックを捲りながら 登るべき山を探していたら、 車で行けて登り応えがありそうであり、 なおかつ そこそこの高さを持った山として 女峰山が目に付いた というだけのことなのである。

このように直感的に (というより安易に) 決めた山は得てして登ってみて正解だったということが多いのだが、 この女峰山も一番楽なコースを選んだとは言え 体力を要する山であり、 アルペンムードもそれなりに備えていて なかなか良い山であった。

反面、こうして下調べを良くせずに登った場合にありがちなハプニングも多々あり、結構肝を冷やしたこともいくつかあったのである。
まずは、 女峰山自体には関係ないことであるが、 車のガソリンの量を見誤り、 かなりの時間をロスしてしまったことである。

というのは、朝 4時過ぎに横浜の家を出て、東名高速道、首都高速と走り、今度は妙義山に行き着いてしまった時のような失敗もなく、 うまく外環道から東北自動車へと入ることができたのであったが、 ガソリンが次第に無くなってきてしまい、 日光市街に着いた時には ほとんど空の状態になってしまったという訳である。
ガソリンが減ってきていることは 高速道を走っている途中で気づいていたものの、 まだまだと高をくくっていたところ、 給油できる最後のパーキングエリアも過ぎてしまい、 そしてその直後に給油を促すランプが点滅し始め、 そのまま宇都宮ICから日光宇都宮道路を走る頃には 警告ランプが点きっぱなし という状態になってしまったのである。

残念ながら日光宇都宮道路には給油所などは全く見当たらず、自分のうかつさを罵りながら エンジンが突然ストップしてしまうのではないか との不安を抱きつつ、 そのくせ一方で ガソリンを大量に消費するはずの 時速 100q前後のスピードにて自動車道を飛ばす という訳の分からないことをやったのであった。
これは 高速道路上であるから致し方ないのであるが、 本当に冷や冷やの気持ちであった。

日光ICを下り、日光市街に着いたのが 6時12分、ここから本日の登山口である霧降高原までガソリンが持つとは思えず、 かといって日光市街のガソリンスタンドも まだ早朝で閉まっており、 結局朝 4時に出発し順調にここまで飛ばしてきたにも拘わらず、 ガソリンスタンドが開く 7時まで 日光市内で待つ羽目になったのであった。 本当に自分が情けない。

7時少し前に開いたガソリンスタンドで給油してもらいながら、そこから見える山が女峰山であることをガソリンスタンドのお兄さんに確認したところ、 そのお兄さんにとんでもないことを聞かされたのであった。
お兄さんが言うには、 女峰山はほとんど樹林のないところを歩くので、 この時期 雷が上から 下から発生してきて大変危険だというのである。

『このような晴れた日でも雷が発生するのか ?』 という少々狼狽気味の私の質問に対し、昨日も快晴だったにも拘わらず 山の上は雷が鳴ったという返事であった。

そういえば栃木県は雷の通り道として有名であるし、夏のこの時期暖かい空気と湿った空気のぶつかる日光近辺の上空では 雷は発生しやすいのであり、 雷のことを全く考慮しなかったのは迂闊であった。 良く下調べをせずに山を選んだツケが回ってきた感じである。
とはいえ、 折角日光までやってきたのに スゴスゴと引き返す訳には行かず、 やはり女峰山に登るしかないのである。 いつも雷が鳴り出すのは午後 ということであるから、 できるだけ早く登ってしまおうと心に決め、 やや沈んだ気持ちで霧降高原へと向かったのであった。

急いでいる時は得てして物事がうまく運ばないことが多いもので、この霧降高原でも道路脇に沢山ある駐車場のうち どの駐車場に止めれば良いのかが分からず、 ドンドン駐車場を通り越してしまい、 いつの間にか峠を越えて 大きな橋の方まで進んでしまったのであった。
慌ててUターンし、 ガイドブックに書かれていた 『山に登る代わりにキスゲ平までリフトでも行ける』 という記述を思い出し、 第三リフト駐車場と書かれた駐車場まで戻ったのであったが、 ここが登山口として正解であった。 ということで 10分程時間をロスしてしまったが、 さらにリフト乗り場近くには 丸山ハイキングコースと書かれた標識はあったものの 赤薙山、 女峰山といった文字は全く見られなかったため、 リフト乗り場の前でウロウロしてしまい、 ここでも 5分ほどロスったのであった。 下調べが不十分なツケがここでも出てきてしまったのである。

登山の様子はまた登山記にアップするのでそちらを読んで頂きたいが、日光市街からは快晴の中 女峰山の姿がハッキリと見えていたにも拘わらず、 登山途中から 霧降高原という名に違わずガスがドンドン上がってきて、 その後女峰山頂上までの間 ほとんどガスに囲まれ 展望を得ることができない状態となってしまったのであった。

またガスだけではなく雲も厚く太陽を覆ってしまったようで、本当にたまにしか日差しを浴びることができなかったのである。 しかし、お陰でほとんど暑さを感じなかったので 身体には大変助かったのであった。

先ほどのガソリンスタンドのお兄さんの話では、晴れている時の方が温度が上がるので雷は発生しやすく、曇りの時の方が雷は鳴らない ということだったので、 これは安心と喜んでいたところ、 下山時に (同じコースのピストン) 赤薙山の樹林帯を抜ける手前から雷鳴が聞こえ始め、 自分の背丈よりも低いレンゲツツジと笹原がキスゲ平まで続く 裸尾根を下る時には 生きた心地がしない状況であった。

本来なら雷が鳴っている中、無防備に近い状況で裸尾根を下るのは無謀としか言えないのであろうが、樹林の中でじっと待っているのも辛く、 時折鳴る雷鳴に肝を冷やしながら 登りの時は結構時間がかかった尾根道を わずか 15分程で駆け下ったのであった。

そして、ガスの中 大勢の観光客がいるキスゲ平に着いた時には本当にホッとしたのであったが、 このキスゲ平も裸尾根の一部に過ぎず 安心はできない訳で、 直ぐさま樹林帯の中に駆け込んだのであった。

しかしそれにしても、リフトでキスゲ平までやって来た観光客が皆 雷の音を聞いても平然としているのには大変驚いてしまった。 山での雷の恐ろしさを知らないのであろうか、 それとも私の過剰反応なのであろうか。
しかし 青天の霹靂 という言葉があるように、 自然の為せる技は計り知れないものがある訳で、 用心するに越したことはないのである。

さて、樹林帯の中も駆け足で下り、どうにか無事に駐車場に着いてホッとしたのであったが、実は驚かされる出来事はこれだけでは終わらず まだまだ肝を冷やすことが 後に待っていたのである。
それは バケツをひっくり返したような大雨である。 曇り空とは言え 雨は降らないと思っていたのであるが、 雷が鳴り出した頃から雲行きがおかしくなり、 駐車場で着替えをしている頃には 雨がポツリポツリと降り始めたのであった。

霧降高原からの日光への有料道路を下る頃には雨は一旦止んだものの、日光宇都宮自動車道に乗る頃には強い雨が降り出し、 そして目の前の空を稲妻が走り、 今市ICと料金所の間では 前が見えない程の大雨に遭遇してしまい、 運転していて これまた生きた心地がしない状況であった。

山岳地方の天候の変わりやすさ、雨の凄さをまざまざと見せつけられたのであるが、今朝ほどガソリンスタンドのお兄さんに雷の話を聞かなかったら もっとゆっくりとしたペースで登り下りしていた訳で、 その結果下山途中で大雨に遭っていたやも知れず、 これは怪我の功名だったと言うべきなのかもしれない。

それにしても宇都宮ICに近づくに連れ雨は止み、東北自動車道の方は雨など全く降た気配などなく 真夏の太陽のまぶしさに閉口したのであるから、 本当にあの雨は何だったのであろう。 良く下調べもせずに 安易に山に登った私に対する戒めだったのかもしれない。
しかし 戒めであったとしても タイミング良く下山でき、 雨に遭わないようにしてくれたことには感謝したい。

まあとにかく肝を冷やすことが多かった一日であった。


焼岳登山失敗  1999.08.05 記

昨年や一昨年の今頃は毎日不順な天候に悩まされていたのであるが、 今年はかなり天候に恵まれているようで、 空の青さや強い日差しに目がくらむ毎日である。
このように天候は申し分ないのに、 今年はこの時期毎年 9日間あった会社の夏休みがなくなり、 おまけに仕事も徐々に忙しくなってきていることから、 山に行けない焦りをひたすら感じ続けている 今日この頃である。

ライフワーク (それほど大袈裟なものではないが・・・) である百名山登山も今年はまだ登頂 ゼロ であることから (無論、未踏の百名山 22座を対象としてのこと) 焦りは募る一方で、 遂に我慢できずに 先週の日曜日 無理を承知で百名山にトライすることにした。
行き先は 車利用を前提に燧ヶ岳か焼岳を候補に選び、 最終的に 馴染みの中央自動車道を使う焼岳を選んだのだった。

前日の土曜日、家族は旅行その他で家には私以外誰もいなかったことから、翌日の起床時間を午前 2時に決め、 午後 9時には床につくということまでしたのだったが、 やはりここのところの寝不足がたたり、 床を抜け出たのが 2時半となってしまったのだった。 しかし、 それでも何とかなるだろうと急いで身支度をし、 3時過ぎには家を出たのであった。

心配した暴走族に遭うこともなく 中央自動車道の八王子ICまで順調に進み、高速に乗ってからも少々予定が遅れ気味ということもあって 時速 130kmから 140kmでひたすら飛ばしたのであった。

しかしである、空が白み始めた頃、単調なドライブも手伝ってか猛烈な眠気が私を襲い始め、何とか頑張ろうとしたものの、 とうとう我慢できなくなってしまい、 途中のパーキングエリアに 車を止めざるをえない状況に陥ってしまったのであった。

時刻は既に 5時を少し回ったところであるため時間的に余裕はなかったものの、10分ほど休めば眠気も取れるであろうと リクライニングシートを横にして暫しの休憩に入ったのであった。
どの位眠っていたのであろう、 ふと気がついたら完全に空は明るくなっており、 時計を見ると何と 7時少し前であった。 少しの休憩のつもりが 1時間半近くも眠っていたのである。 これは不覚 !

こうなってしまうと、これから先の行程においては交通量も増えて時間が大変かかるだろうことが頭に浮かび、 途端に現地へ向かう気持ちが萎えてしまったのであった。
何しろ、 中央自動車道から長野自動車道に入って松本ICで降り、 そこから野麦街道を西に向かって沢渡の駐車場まで進み、 さらに沢渡からはバスあるいはタクシーにて 上高地まで向かわねばならない訳であり、 交通量の少ない夜中や早朝ならまだしも、 こんなに日が高く昇ってしまっては 焼岳登山口に辿り着くまで大変苦労することが 予想されたからである。

折角ここまで進んできたものの、こういう状況になっては焼岳登山をあきらめるしかない訳で、それではと、この山梨県界隈で代わりとなる手頃な山はないか と考えたが、 身体の方がまだ眠りを欲しているようでだるく、 また焼岳をあきらめたからと言って 地図もなしに行き当たりばったりで山に登るのは その山に対して失礼であろうと考え、 泣く泣くこの日の登山をあきらめ 家に帰ることにしたのだった。

パーキングアリア (後から知ったのだが境川PA) からほんの少し先が山梨南ICだったので、そこで無駄とも思える料金 2,200円也を支払って高速を降りたのだが、 再び高速に乗って高い高速料金を支払うのは納得できなかったので、 そのまま国道 20号線 (甲州街道) に入って 東京方面に戻ることにした。
甲州街道の周囲には高い山々が見えるはずであったが、 この日は皆 雲の中にあって見えず、 今日の山はあまりいい天気ではないな などと自分に言い聞かせて 登山を中止したことをを正当化したのであった。 惨めである。

ところで、 帰りは退屈なドライブになるかと思っていたのだが、 案外楽しめたのは嬉しい誤算であった。
と 言うのは、 甲州街道をノンビリ走っていると 山登りの際に歩いた馴染みの場所をいくつか通ることになり、 その登った当時の状況を思い出して結構楽しかったからである。

まずは大菩薩嶺甲武信岳に登る際によく通る勝沼近辺を走り、笹子トンネルを抜けた際には 笹子雁ヶ腹摺山に登る時に歩いた道を 懐かしむことができ、 その先で笹子駅を右手に見てからは 滝子山・南大菩薩縦走の際に 冬の寒さの中を歩いた道を走ることになり、 やがて道は湯ノ沢峠より下山してからの道路歩きが異常に長かった 景徳院・甲斐大和駅近くを通り、 さらに 笹子雁ヶ腹摺山から滝子山を経て富士見に下り 初雁駅に至る際に通った箇所を走るなどして 大変楽しめたのであった。

しかし、この頃には太陽はサンサンと輝き始め、空も真っ青な色に変わり始めており、周囲の山々もはっきり見え始めたことから、 山に登れなかった悔しさが グッと込み上げてきたのであった。

こうなると焼岳はなんとしても近いうちにモノにせねばならないという思いが強く起こてくる訳で、今週末に何とか再チャレンジしたい と考えている。

しかし、冷静に考えたら、どだい長いアプローチに対する計画が杜撰であったことは否めず、今度は車ではなく 夜行列車か夜行バスを使って行く方が良いかも知れない と思っている。

話は変わるが、 山にそれなりに登っているにも拘わらず、 恥ずかしながら ? 私は上高地にまだ行ったことがないのである。

穂高は百名山の最後の方に残しておきたいという気持ちもあって、上高地にはこれまで足を踏み入れる必要がなかったからなのだが、 また一方で 完全に観光地化している上高地を訪れることは 避けたいという気持ちも強かったのである。

しかし、今回焼岳に登るにはやはり上高地から登るのが一番無難のようであり、従って恐る恐る上高地に向かうのであるが、 恐らく大正池、 河童橋などはいずれの機会にして、 そのまままっすぐ焼岳登山口へと向かってしまうだろう。 何となく恥ずかしいのである。


焼岳・乗鞍岳登山  1999.08.09 記

先般の山の雑記帳に予告したように、この週末に焼岳登山に再チャレンジした。

アプローチの手段はさすがに今回は車をやめ、金曜日の晩に横浜を出発して翌朝上高地に着くという夜行バスにしたのであるが、 これも計画的なものではなく、 たまたま インターネットで上高地について調べていたら、 松本電気鉄道(株)の夜行バスが見つかったため 飛びついたまでである。

電話で問い合わせたのが先週の水曜日、すると嬉しいことにまだ空きがあるということだったので早速それから プラン作りが始まった。
上高地着が午前 6時ということであるから、 そこから焼岳に登って中の湯方面へと下れば、 楽にその日のうちに 横浜へ戻ってこれることになる。

しかしである、できれば 1回の山行でなるべく多くの百名山に登りたいと考えるのは当然な訳で、今回穂高連峰は無理としても 乗鞍岳は何とかしたいではないか。
ということで色々検討してみたが、 結局は 中ノ湯から平湯温泉経由乗鞍山頂行きのバスに乗って 乗鞍岳山頂まで行くルートを取ることにしたのである。

実は、このルートは 『登山とは 極力麓から登るもの』 と考えている私にとっては大変抵抗ある選択である。
バスで畳平まで行ってしまったら、 頂上まではごくわずかであり、 それでは登山にならないという思いがあるからだが、 今回 直前に乗鞍岳を計画に加えたことで宿舎の手当が間に合わず、 ギリギリ登山の雰囲気を味わえる距離があるとして妥協できる 位ヶ原山荘や冷泉小屋は満員で断られ、 肩ノ小屋だけが宿泊可だったのである。

もっと下の方の乗鞍高原に宿を丹念に求めれば恐らく確保できたものと思うが、ザッとあたったところでは 1人での宿泊は 無理そうであった。 また、 乗鞍高原から乗鞍岳までどのくらい時間が掛かるのかが 地図上では読みとれなかったこともあり、 やむなく肩ノ小屋泊まりとした次第である。

さて、滑り込みで焼岳、乗鞍岳の計画を組み上げ、金曜日の晩に出発したのであるが、横浜を午後 9時半に出発するバス というのは便利なようで些か失敗であった。
よく調べもしなかった私が悪いのであるが、 実はこのバスは新宿までのシャトルバスで、 実際の出発は新宿発午後 11時だったのである。

午後 9時半発ということで 30分前には横浜そごう第 1駐車場集合となっていたから、会社を終えて帰宅してから横浜へ向かうまでに ほとんど余裕がなく、 結果的に 夕食を食べ損なってしまったのである。

仕方なく、横浜駅で中華弁当を買って食べたが、後で横浜は便宜的な出発地であり、新宿まで行ってから上高地行きのバスに乗り換える ということを知り、 何だということになったのである。 新宿に午後 10時半集合であったのなら、 もう少し時間に余裕があり、 夕食もちゃんと食べられたのに・・・。

そんなドタバタがありながらも、無事にバスは翌朝 5時40分には上高地に着いたのであった。
空にはやや雲があるものの 青い空が広がっており、 本日の登山に期待が持てそうであった。

周囲を見渡すと、駐車場の林の上に朝日を浴びて光り輝く焼岳の姿が見え、穂高連峰を初めとする周囲の山々とは違って 異彩を放つその姿に 思わずゾクゾクさせられたのであった。

焼岳登山口は上高地の駐車場から梓川沿いに西へと進み、田代橋を渡れば良いのだが、このような早朝だと観光客はほとんどおらずに 登山姿の人ばかりであることに勇気づけられて、 登山口とは反対方向にある 河童橋を一度は見ておこうと 遠回りをすることにしたのである。

結果、梓川と河童橋、そしてその向こうに見える奥穂高、前穂高の姿はやはり一度は見ておくべきだなと、『上高地 食わず嫌い』 を反省させられたのであるが、 しかし観光客ばかりの昼間には やはり遠慮したい気分である。

焼岳登山記録はいずれアップするが、ウェストン碑を見て焼岳登山口に着いたのが、6時 45分 (食事、トイレ、水の確保 と結構時間がかかった) 焼岳の北峰に達したのが 9時12分、 中の湯に下り着いたのが 11時25分、 そして 12時少し前には 中の湯の露天風呂から穂高連峰を眺めていたのであるが、 昨日からのことを考えると こうして温泉に浸かっている自分が信じられない気分であった。

中の湯からバス停まではヘアピンの続く道路を 40分ほど下って行かねばならず、折角流した汗をまたかくことになるのだが、 中の湯の人が車で送ってあげましょう と親切に言ってくれたのにもかかわらず、 私はそれを断ってしまった。

子供の頃から時としてヒョイと飛び出す天の邪鬼がまたもや現れた格好であるが、最後まで自分の足で目的地まで行きたい という気持ちが強かったのも事実で、 これは 翌日の乗鞍岳登山に対する引け目から来ていたのかもしれない。

40分も来るのが遅れたバスにイライラさせられはしたものの、 平湯から乗鞍中腹までは素晴らしい眺めのドライブであった。
特に笠ヶ岳の大きな姿が素晴らしく、 昔、播隆上人が笠ヶ岳を見て登りたい と思ったのも頷けるものがある。

畳平付近は完全にガスの中で、畳平から肩ノ小屋までも全く周囲の見えない単調な歩きであった。
道は車が 1台通れるほど広く、 行き交う人も登山姿の人はほとんどおらず、 やはり登山とは違うという雰囲気は否めない。
わずか 30分ほどで肩ノ小屋に着くことになって ますますその感を強くした次第である。

同室者はありがたいことに 1名だけしかおらず、部屋を 2人で広く使えたのは大変ラッキーであった。
グループで来ていた人たちは 同室を希望するが故に 1部屋 5人ほどになっていたのだから 本当に面白いものである

翌日は昨日のガス状態が嘘のように空は晴れ渡り、 5時少し前、 山頂直下でご来光を見ることができた。 雲海の向こうから昇り来る朝日の神々しさというのは やはり素晴らしいもので、 神聖な気持ちにさせられる。

頂上に 20分ほどいてから下山し、肩ノ小屋にて、昨日頼んでおいた弁当を朝食代わりとし (朝食は 7時なのだそうである) 6時20分に小屋を出発した。
登らなかった分の罪滅ぼしではないが、 一応乗鞍高原まで下ることとし、 乗鞍高原に着いたのが 8時30分、 道の途中で声を掛けてくれたタクシーの運転手に鈴蘭で再会し、 私の下山のスピードに驚いてくれたのが、 今回の乗鞍岳で唯一優越感に浸れた出来事である。

本当は 11時31分発の新島々行きのバスを目標としていたのに、思いの外早く着いたので、9時31分のバスに乗ることができた。 ラッキーである。
しかし、 本当は既にもっとすごい幸運に巡り会っていたのである。
それはご来光を拝めたことで、 途中 位ヶ原山荘でポカリスェットを飲んだ時に 小屋の御主人が言うには 『この 3日間ずっとご来光を拝めなかった。 良い日に登りましたね』 という状況なのだそうである。

この日のラッキーはまだまだ続いており、新島々から松電に乗って松本駅に着くと、篠ノ井線での列車故障で 15分程遅れた スーパーあずさ 6号が入ってくるところで、 本来乗れない列車に乗ることができたのであった。 しかも自由席が空いていたのだから言うことなしである。

その後の電車の連絡もうまくいき、午後 3時には横浜の我が家でビールを飲んでいたのだから、昨日の 中の湯に浸かりながら思ったことと同様 信じられない気分である。

今回、焼岳登山は良しとして、 乗鞍岳は登山と言うにはあまりにも物足りなかったのだが、 いずれ乗鞍高原から登ることを自分と山に約束して 許してもらおうと思っている。

そうそう、最後にもう 1つラッキーがあった。
瀬谷駅を降りると、 通り雨があったようで地面が濡れており、 空にはまだ黒い雲が残っている状態であったのだが、 家に着くまでは雨に降られることはなく、 家に着いた 2分後に再び大雨が降り出す ということがあったのである。 気味が悪いほどラッキーな 1日であった。 これも御来光を仰ぎ、 敬虔な気持ちとなった御利益か ?


まるで再現フィルムのような・・・  1999.08.23 記

ようやく休みがとれて、この 19日、20日の 2日間、南アルプスの聖岳に登ってきた。

この聖岳は、日本百名山にリストアップされている南アルプスの山の中で 私にとっては最後の山になることから、 これで 南アルプスとはお別れ (何回も登れば良いのだが、 そんな余裕があれば未踏の百名山を目指したい・・・) という気が強くして、 少々感傷的になる山でもある。

いや、それよりも何よりも、昨年光岳から聖岳への縦走を企てたにも拘わらず、あまりの天候の悪さに縦走を断念し、 光岳へのピストン登山に終わってしまったため 登れなかった悔しい山として 今年の登山を楽しみにしていた山なのである (山の雑記帳 『ピストンになっちゃいました』 参照)

一応、登山前日の昼間に見た天気予報では静岡、長野地方のこの 2日間の天候は快晴あるいは晴れであったことから、 今年の聖岳は 先日の焼岳乗鞍岳と同様良い登山になりそうだ と喜び勇んでの出発であった。

起床は午前 3時半、昨年光岳・聖岳を目指した時と同じ時刻である。
4時少し過ぎに車で家を出た時には、 空には星が輝いており、 本日の晴天は約束されたかのように思えたのであった。

さらに、八王子ICにて中央高速道路に乗るまでは、明るくなりつつある空と美しい朝焼けに本日の晴天を信じて疑わなかったのであるが、 小仏トンネルを抜け出てからは どうも様子がおかしくなってきたのであった。 山梨県内の空は雲で一面覆われたようになっており、 またチラリと拝むことができた富士山の頂上には レンズ雲のようなものが認められ、 イヤな予感がぐっと増してきたのである。

いつもなら目の前に南アルプスの大パノラマが展開して私を楽しませてくれる一宮町付近になっても、この日は山の上の方が 完全に雲に覆われており、 甲府盆地を通過する間、 日が射す気配も全く見えない状況であった。

『オイオイこんなはずではない』 と思いつつ車を進めていくと、諏訪南IC手前にある高速道路最高地点を通過する際には 雨まで降ってくる始末で、 あたかも 昨年の光岳・聖岳を目指した時と同じ状況になってしまったのであった。

岡谷JCTを過ぎる頃には若干空も明るくなってきたのも昨年と同じパターンではあったが、駒ヶ岳SAで一休みした時に周囲を見渡しても、 周りを囲む山々は皆雲の中であった。

しかし、心配した天候も、飯田ICで高速道路を降りて矢筈トンネルを目指す頃には強い日差しが差し始め、もう一度 本日の山行に期待ができそうな状況になってきたので、 一安心であった。

さて、飯田ICからの道順であるが、昨年は古い道路地図しかなくて大変苦労させられたことから、今年は昨年の二の舞にならないように 事前に道を良く調べたお陰で、 国道 153号線から県道 251号線に入って 矢筈トンネルに至るまでは ほとんど迷うことなく進むことができたのであった。
しかしである、 矢筈トンネルに入るには 大きなループ橋にような所で右折するべきなのに、 ついそのまま直進してしまうという 失敗をしてしまったのであった (標識には 直進、 右折 とも上村へ行けるように書いてある) 矢筈トンネルを 1つの目安として進んできただけに 情けない話である。

しかし、直進した道は山の中をドンドン登っていくことになり、細い道でなおかつかなり多くのカーブを擁していたことから、 本命の易老渡への山道に入る前に かなりの ドライビングテクニックを要求させられることになったものの、 結果的には 上村への道を斜めにショートカットすることになったので、 正解だったのかもしれない。

小川路峠を越えて上町へと下るとようやく目的の国道 152号線に合流することになり、152号線を暫く右に進んで、 見覚えのあるトンネル手前のところから右折して トンネルの上を通り、 易老渡への道へと入った。
道は昨年とほとんど変わりなく、 北又渡発電所までは舗装道が続き、 その後は所々舗装はしてあるものの 林道のような道が続く。

昨年車を止めた易老渡を過ぎ、トンネルを抜けて暫く行くと終点便ヶ島で、平日というのに車は 20台ほど止まっていた。

何年か前まで営業していた便ヶ島登山小屋は見るも無惨な状態に壊れているはずなので、つい最近聖岳に登ってこられた方の登山報告に 『備え付けのシャワーを浴びた』 と書かれていたことが不思議でたまらなかったのであるが、 現地に着いてみてその謎は解けたのであった。
わき水をホースで引いている場所のそばに 板で囲ったシャワー室 ? が設置されていて、 シャワーを浴びる際には シャワーのホースをわき水を引いてきているホースに突っ込んで 水を出すというしくみなのである。

さていよいよ出発であるが、 先程も述べたように青空も見え始め、 一時は失望しかけた本日の登山に 再び希望をもたらしてくれたのであるが、 よくよく考えたら、 昨年も登り始めは青空が見えており、 『騙されて、安心してはならんぞ』 と自分に言い聞かせたのであった。

ここからの詳細はまた登山記録にアップするつもりであるが、登るにつれて周囲が暗くなり、時折差していた日差しも全く差さなくなってきた時には 全く昨年の再現フィルムを見ているような感じがして、 信じられない気持ちであった。 そして登り始めてから 1時間半ほど経った時、 ついに雨が降り始めたのであった。
登りのキツさと、 荷物の重さもあって、 まさかの雨が降り出した時には 本当に泣きたい気持ちであった。

雨は断続的に降り続き、一時は雨具も着なければならない程であったが、最後は傘 1本で十分であったのは 昨年より少しは増しな状況といったところであろうか。

ようやく着いた聖平のテント場にてテントを張っていると、昨年の光岳テント場でのテント耐性テストのような雨と風を思い出したが、 今年はそういうこともなく、 時折パラパラと雨が降る程度で 風もなく 一応安眠できる状態であった。

翌朝、周囲の五月蠅さに目を覚まし 4時過ぎにテントを出てみると、ありがたいことに雨は止んではいたものの、 空には暗雲が漂っていて 本日の天候も全く保証できない状況であった。

我が身の不幸を嘆きつつ、 食事をし、テントを畳んで 聖平を出発したのが5時半。
聖平の木道を進み、 方向指示盤の所から 西沢渡と聖岳との分岐まで登ろうとした時に、 暗い空からついに雨が降り出し、 この日も傘を差しての登山を余儀なくされたのであった。

分岐に荷物を置き、雨を呪いながらもサブザックに雨具と水筒を詰め、カメラを首からぶら下げながら傘をさすという格好で 聖岳頂上を目指した。

雨は一時強く降ってきたものの、 聖岳の途中まで登ると止んでくれ、 ガスが周囲を覆うだけになったのは ラッキーというか、不幸中の幸いで、 こうなると登山の モラールも少しは上がろうというものである。

天候に多少の元気を得たことと身軽になった身体で馬力を上げて登っていき、7時14分、ついに念願の聖岳頂上に立つことができたのであった。
頂上では 一応青空を拝むことができたものの、 それは上空だけで、 周囲はガスと雲に覆われ、 ついぞ周囲の景色を見ることができなかったのは残念であったが、 やはり 3,000m峰への登頂は嬉しいもので、 特に昨年のこともあり、 今年も雨に祟られたこともあったことから、 登頂の感激は一塩であった。

1996年に赤石岳から見た聖岳が素晴らしかったので、今度は聖岳から赤石岳を望みたかったのであるが、それも叶わず、 またガスで視界がほとんどなかったことから、 計画していた奥聖岳往復も取りやめて、 そそくさと下山したのであった。

分岐まで戻り、重い荷物を背負って西沢渡、便ヶ島へと向かったが、一応頂上では雨に降られなかったことに満足 (小満足) しての下山であった。
これで南アルプスも一応終わりかな とつまらない感傷にひたりながら山を下っていると、 まだまだそう簡単には終わらせない と言わんばかりに 突然の大雨が降ってきたのである。

一時は太陽の光が樹林越に射し込んできたため、本日はまあまあの天気になるのかなあと思っていた矢先、10時を過ぎた頃から 突然の大雨となり、 いやはや大変な目にあってしまったのである。
傘を差していても身体はびしょびしょに濡れ (もう今更雨具ではないと、 傘だけにした) 樹林の中だと結構雨が防げることも多いのだが、 この日の雨は樹林の中・外関係なしの凄い雨で、 登山道は一変して濁流の流れる川と化したのであった。

この雨で咄嗟に思ったことは、途中の西沢渡での川が増水していないか、帰りの林道に崖崩れなど異変が起きていないか という 2点であったが、 幸い西沢渡の川はまだ増水という状況にまで至ってはおらず、 石の上を飛び渡ることで渡りきることができた。
もっとも、 登山靴がその前にびしょぬれになっていたので、 川の水で靴が濡れることを 厭わなかったのが良かったのであるが・・・。

しかし、その後の2つの小さな沢の方が大変で、1つの沢は茶色く濁った水がドット流れ落ちており、そこに掛かった木橋は 完全に濁流の下であった。

いつまでも続くかと思ったこの雨も便ヶ島に着く頃にはサッと止み、今までのことが嘘のように日差しが照りだしたのには 唖然とさせられた。 しかし、 いくら晴れたとは言え、 下山途中すれ違った数人の登山者は、 これから延々 6時間近くの過酷な登りが待っているだけに 大変な思いをしたことであろう。

また、帰りの林道の方は何の問題もなく帰れたし、場所によっては地面が濡れていなかったので、雨など降らなかったのかもしれない。

という訳で、 今年の聖岳登山は昨年の再現フィルムを見ているように、 雨に祟られたのであったが、 昨年の光岳そして今年の聖岳と、 頂上に立った時には雨が降っていなかったのは 日頃の私の行いが少しは良い という証左かもしれない。

考えてみると南アルプスは雨がらみが多く、 鳳凰山甲斐駒ヶ岳仙丈岳光岳聖岳 と百名山の半分は雨に祟られらており、 特に後半の 3つは散々であった。
これらの山々は いつかもう一度好天時に登りたいものである。


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