笹子雁ヶ腹摺山( 笹子雁ヶ腹摺山:1,358m ※ ) 1998.12.28 登山

(※:縦走路中の最高峰は 滝子山 1,590m)

 笹子雁ヶ腹摺山頂上と後ろは米沢山( 1998.12.28 )

【笹子雁ヶ腹摺山登山記録】

【笹子雁ヶ腹摺山登山データ】

フォト


笹子雁ヶ腹摺山登山記録

1998年最後の登山として、笹子雁ヶ腹摺山を中心とする、南大菩薩よりさらに南の山域に登ってきた。

早朝、まだ暗いうちに横浜の自宅を出て、瀬谷駅4時54分の相模鉄道にて横浜に向かったが、この12月28日では まだ休みにならない企業も多いと見え、 早朝とはいえ電車は勤め人姿の方が多かった。

横浜駅から東神奈川駅へと進み、東神奈川駅から横浜線で八王子駅に着くまでは順調であったのだが、ここからは ちょっとしたトラブルがあった。
横浜線から八王子始発の中央本線との連絡がうまく行く土曜日のダイヤと違って、 平日は6時44分に高尾駅始発となる電車に乗るべく、 八王子駅からオレンジ色の中央線にて 高尾駅まで行かなければならないのであるが、 この日は武蔵境駅で事故があったらしく、 中央線下り電車は遅れに遅れ、 高尾駅に着いたのが6時55分、 結局7時4分発の甲府駅行きに乗ることになってしまったのである。 日が短い季節だけに、時間のロスは痛い。

笹子駅で列車を降りると、一緒に下車したのは私を含めて登山スタイルの者4名だけで、しかも笹子駅は無人改札となっており、 この駅が 土日の登山者のためにだけあるような印象さえ受ける状況であった (前回、土曜日にここで下車した時は、駅員がいた)

前回、南大菩薩を縦走した時は、笹子駅前の甲州街道を右 (東) に進んだのであるが、笹子雁ヶ腹摺山に登るには 甲州街道を左 (西) に進むことになる。

平日のためか、あるいは前回よりも20分ほど遅い時刻のためか、ダンプトラックの行き来が多い道を新笹子トンネルの方へと進み、 途中で清八峠経由三ツ峠山への道を左に分け、 やがて釣り堀が現れたところで、 甲州街道へと分かれて旧甲州街道へと入った。

橋を渡ってすぐに旧甲州街道は左に大きなカーブを描くようになるが、そのカーブのところに笹子雁ヶ腹摺山と書かれた 小さな標識を見つけることができ、 ここで身支度を整えて、 登り始めたのが8時37分であった。

田圃の中の道はすぐに杉の植林帯に入り、陽があまり射さないためにやや暗い道を登り詰めていくと、やがて道は左へと回り込むようにになり、 小さな坂を乗り越すと 送電線の鉄塔の下に出た。
ここからは、 旧甲州街道を挟んだ反対側の山々がよく見えるようになったのだが、 もう太陽の光で山々が霞み始めており、 この分だと今日も富士山の姿は逆光の中、 よく見えないかもしれないなどと考えてしまった。

杉の植林帯はそれからも続き、意外と急な斜面に喘ぎながら進んで行くと、やがて周囲はクヌギなどの自然林に変わり、 暫く先で草木の生えていない尾根筋に飛び出すこととなった。
ここからも、 谷の向こう側に壁のような山々が見え、 その下に旧甲州街道を見ることができたのだが、 現在の甲州街道の方は これから登る笹子雁ヶ腹摺山と米沢山との間の下を貫くトンネル道となっている。

展望の良い尾根から再びクヌギ、ナラ、松などの樹林帯に入り、急な斜面をジグザグに登ってピークを登り越すと、 右手の樹林の向こうに 笠取山のようなベル型をした山が見えるようになってきた。
その頂上直下に平たい反射板が認められたので、 どうやらあれが笹子雁ヶ腹摺山らしい。

暫く右手の笹子雁ヶ腹摺山と平行になりながら平らな道を進み、行き止まりを右に曲がって一旦下降し、やがて 笹子雁ヶ腹摺山への登りに取り付くことになったが、 ここまでいずれも樹林が邪魔をして、 ハッキリとした笹子雁ヶ腹摺山の姿を写真に収められなかったのが 大変残念である。

急斜面を喘ぎながら登って行き、もうそろそろかと思って上を見ると、斜面の先に青い空が見えて登りの終わりを示しており、 その青空の下には反射板を囲む金網を見ることができた。
そして反射板を右に見て、 ほんの少し進めば笹子雁ヶ腹摺山の頂上で、 頂上には白い標識とともに例の 「山梨百名山」 と書かれた標識も置かれていた (9時52分着)

頂上からの展望はなかなか素晴らしく、南には御坂黒岳・御坂山などの上に富士山がデンと控えているし、西方には 南アルプスの山々が屏風のように繋がっているのが見え、 また、北東にはこれから進む米沢山、お坊山の縦走路、 その後ろには大谷ヶ丸などの南大菩薩の山々、 小金沢連嶺の山々を見ることができた。

富士山は懸念していた程の逆光にもならず、その姿をハッキリと見ることができたが、さらに素晴らしかったのは南アルプスの山々で、 右の甲斐駒ヶ岳から始まって鳳凰山 北岳 間ノ岳 農鳥岳と繋がるその姿は圧巻であった。

山頂での景色を十分堪能したあと、お坊山の標識に従って道を北にとり、すぐに右折して急下降の山道を下った (10時17分発)
ここから米沢山までは4つほどのピークがあり、 途中鎖場などもあるが、 道は良く踏まれており、 また備え付けられている鎖やロープはほとんど使う必要がない程、 問題のない道であった。

4つ目のピークの所で道は左に折れて下降することになるのだが、まっすぐな道もつけられていたので行ってみると 展望の良い岩場に出ることになり、 そこからは富士山やこれから登るお坊山の他、 先ほど登った笹子雁ヶ腹摺山も良く見ることができた (ここから見る笹子雁ヶ腹摺山は先程見たベル型ではなく、 頂上の角度が鈍い富士山といった形をしていた)

再び道を縦走路に戻り、最後はササに囲まれてやや見にくくなった道を登っていくと、そこは展望のきかない米沢山頂上であった (11時2分)

米沢山から最初のピークを越え、次のピークがかなりの登りだったことから、これがお坊山かと思ったのだが、 これは門井沢ノ頭 (トクモリ) で、 米沢山より高いこのピークに 「山」 の称号 ? が与えられていないのはおかしい気がした。

登りの道に徐々に岩が現れ出すと、そこから一登りでお坊山の頂上であったが、頂上には三角点もなく、白い標識があるのみであった (11時34分)
ガイドブックでは、 このお坊山の頂上も展望がきかないと書いてあるが、 どうしてどうして、 南アルプス方面は良く開かれており、 やや霞み始めたとは言え、 先程笹子雁ヶ腹摺山では見られなかった悪沢岳 赤石岳 聖岳方面をも見ることができ、 楽しい昼食となった。

お坊山から暫く下ると (12時5分発)、ベンチが置かれた開けた場所となり、正面には恐らく滝子山と思われる山が 見事な姿を見せてくれていた。

ここで標識に従ってすぐ大鹿峠方面へと下ってしまったのだが、後から考えれば、入道山と書かれた右への標識もあり、 そちらへ進めばお坊山の東峰だったに違いない。

作業道が交差するうら寂しい道をひたすら下り続けると、やがて大鹿峠となり、そこは標識の裏側 (西側) が大きく崩壊していたのが印象的であった (12時37分)

大鹿峠からは、少し先で 「甲斐大泉駅」 の標識に従って左の山に取り付くのが正解であるが、 この周辺は立派な作業道ができており、 少し気を抜くと道を間違えてしまう感じがする。
斜面に人工的に造られた階段を昇っていくと、 やがて送電線の鉄塔が現れ、 手前には甲斐大泉駅、景徳院へ下る道が左に出ていた。

鉄塔を過ぎて、一旦下った後登り返すと、やがて大鹿山頂上で (12時53分)、そこには三角点と白い標識が立てられていたが、 展望はほとんどなく、 さらに不思議なことに 東西に長いこの山頂は東の方がもっと高いような気がした。

大鹿山からは再び急斜面を下っていくことになって、景徳院への下りを左に分けてから緩やかになった道は、やがて 右側にオッ立のピークを見ながらの作業道のような道に変わり、 この道で良いのかと心配になる頃に 曲沢峠の標識を見ることができた (13時5分)

ここでは笹子駅という標識を頼りに真っ直ぐ進んでいくと、山の右側を巻く完全に作業道のような平らで良い道が続くようになり、 快調に足を進めることができた。

やがて、笹子駅への道が右へと下っていたが、もう少し先へ進めば前回南大菩薩を登った際に通った道と合流すると思い、 更に先を急ぐと、 沢の音がだんだん大きく聞こえるようになり、 見覚えのある 左上の斜面が崩壊して今にも崩れそうになっている道となり、 その先で大鹿沢を登ってくる笹子駅からの道と合流したのであった (13時20分)

ここまで来ればもう滝子山に行くしか手はなく、沢沿いにつけられた大谷ヶ丸への荒廃した道を分け、例の青いビニールシートで囲まれた造林小屋の前を通って、 前回と同じように右に道をとり、 東長窪を進んで途中からカラマツ林の中を登っていった。

しかし、前回は快調に進み、何ら苦痛も感じなかったこの道も、さすがに今回のような縦走後では大変シンドク、長く感じられ、 場所の記憶とともにその時の体調も一緒にインプットしておかねば 大きな間違いを生み出す可能性があることを学んだのであった。

大谷ヶ丸への分岐を左に分けて、やがて南大菩薩縦走路と合流し、道を右に折れて登って行くと白縫神社の前に出たが、 前回はほとんど雪がなかったこの場所も、 あれから2週間経つとうっすらではあるが完全に雪に覆われるようになっており、 この2週間の間に雨の降った記憶がないだけに意外な気がした。

雪と霜柱で荒れた斜面を、滑らないように慎重に登り、滝子山頂上に着いたのは14時14分であった。
頂上から見えるはずの富士山は、 完全に逆光となって見えなかったものの、 例の如く南大菩薩の山々と黒岳、 雁ヶ腹摺山方面は見事な景色を展開してくれていた。

しかし、誰もいない頂上をうろついてみると、この南大菩薩方面は木々が結構刈られており、展望を良くしようと人為的な力が加えられていることに気づいた次第である。
確かに、 展望のある山頂は好ましいが、 そのために自然に生えた木々を刈ってしまうのもどうかと思う。

下山は、同じ道をなるべく避けるということで、藤沢川に下り初狩駅を目指す道を選んだ (14時36分発)

斜面を急下降して、ベンチのある桧平を過ぎ、そこから再び急坂を下って、途中から尾根をはずれて左の方へ下りて 樹林の中をジグザグに下っていくと、 やがて沢沿いの道になったが、 もう陽が落ちかけたこの時間には谷は暗く、 また、ナメなど美しいと思われる場所もあったものの、 総じて谷は荒れており、 何となく薄気味悪い雰囲気であった。

やがて、堰堤が現れると林道歩きとなり、すぐに車道と変わって あとは所々にある標識に従って初狩駅を目指すだけであった。

途中、藤沢川沿いの道を行くと、目の前の山が開けて富士山がうっすらと見えるようになり、 このような山深いところで富士山を見ることができることに 何か奇跡のような感じを抱いてしまった。

途中の初狩のJAのある場所から振り返ると、大きく堂々とした滝子山の姿を見ることができた。


笹子雁ヶ腹摺山登山データ

上記登山のデータ登山日:1998.12.28 天候:快晴単独行日帰り
登山路:笹子−笹子雁ヶ腹摺山登山口−笹子雁ヶ腹摺山−米沢山−門井沢ノ頭−お坊山−大鹿峠−大鹿山−曲沢峠−造林小屋−大谷ヶ丸分岐−白縫神社−滝子山− 桧平−大沢−藤沢−初狩
交通往路:瀬谷−(相模鉄道)−横浜−(京浜東北線)−東神奈川−(横浜線)−八王子−(中央線)−高尾−(中央本線)−笹子
交通復路:初狩−(中央本線)−高尾−(中央線)−八王子−(横浜線)−橋本−(相模線)−海老名−(相模鉄道)−瀬谷


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