南大菩薩( 大蔵高丸:1,781m ) 1998.12.12 登山


 滝子山頂上から見た南大菩薩( 1998.12.12 )
【南大菩薩縦走記録】

【南大菩薩縦走データ】

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再登山


南大菩薩縦走記録

先日の登った唐松尾山・笠取山に刺激されて、 奥秩父の山を引き続き登ってみたくなり、山の雑記帳に書いたように今回南大菩薩に目をつけた。
ここは、歩き応えのある縦走路であることと、そして、その北部にある小金沢連嶺を歩いた時の、 広々とした草原の印象が忘れられないことが主な理由である。
そしてこれに加え、中央本線の初狩駅、笹子駅、甲斐大泉駅のどこからでも、列車を降りてそのまま登って行くことができ、 そして当然、同じコースを戻ることなく、再び中央本線のいずれかの駅にたどり着ける ということも魅力的だったのである。

こういう山は、私の経験の中では谷川岳 (土合−土樽)荒島岳 (勝原−下唯野)入笠山 (青柳−富士見)、 そして三ツ峠山 (三ツ峠−笹子) くらいしかなく、 そういったことへの興味もあって、久々に車を使わずに列車にてアプローチすることにしたのであった。
日本の鉄道の正確さには定評があるが、その通りに 瀬谷 −(相模鉄道)− 横浜 −(京浜東北線)− 東神奈川 −(横浜線)−八王子 −(中央本線)− 笹子というルートを、 短いときは 2分程の乗り継ぎ時間しかないにも拘わらずスムーズに乗り換えることができ、瀬谷駅を 4時54分発の電車に乗って、 笹子駅に着いたのは 7時35分であった。
このルートは、昔から中央本線や富士急行線沿いの山に登る際によく使っていたルートなのであるが、 今回嬉しかったのは中央本線の始発駅が八王子に変わっていたことで、以前は横浜線の終点である八王子からさらに中央線で高尾まで進み、 そこから 6時44分発の電車に乗らねばならなかったのである。

笹子駅で降りたのは全部で 7名 (あるいは 8名だったかも ?) で全員登山のスタイルをしており、 その内訳は私を含めて大鹿沢沿いに滝子山を目指した人たちが 5名、残りの 2人は笹子雁ヶ腹摺山や清八峠・三ツ峠山方面を目指したようであった。
駅前の甲州街道を東 (右) に進み、笹子川を渡ると、やがて田圃の中に滝子山へのルートを示す指導標が見えてきたのでそこを左折する。 中央本線のガードをくぐると、すぐに道が丁字路に突き当たったので右折し、稲村神社の裏手を通って徐々に登っていく。やがて、 中央高速道にかかる橋を渡ることになり、その先で桜の木が多く見られる桜公園が見えてくる。
ここから山の中へと入っていくことになったのだが、この林道歩きが結構長く、いい加減に嫌気がさした頃に、 道路右手に滝子山の登山口が見えてきた (8時35分)
付近には数台の車が止まっており、鉄格子でできた檻を積んだトラックなども多かったので、 イノシシ狩りなどを行う人たちの車だったのかもしれない。

登山道は、最初は薄暗い樹林の中を進むが、やがて明るく開けた山腹を登っていくようになり、 大鹿峠への分岐を過ぎると、やがて大鹿沢と平行して進む道となった。
大鹿沢は透明な水の流れを見ることができるところはほとんどなく、急な流れと岩の配置によって、全てと言って良い程流れが撹拌されて白くなっており、 茶色に敷き詰められた落ち葉の中を一筋の白い流れが通っている。その様子はなかなか面白いものがある。
片側をスッパリ刃物で切ったような大きな岩 (切石) の上を進み、時々現れる小さな滝などを楽しみながら進んでいくと、 やがて丁字路に突き当たり、そこには左 大鹿山、右 滝子山の標識が立てられていた。
右に道を取って山砂が露出した道を登って行くと、やがて樹林帯を抜けることとなり、左上が大きく崩れている場所を過ぎたところで道が 2つに分かれる。
標識はその 2つに分かれる道の真ん中に立てられていたが、右側の道を通れば読めるようになっており、 左側の道は標識の裏側で真っ白だったことから、右の道を取るのが正解のようである。

やがて、青いシートで囲んである造林小屋のようなところを過ぎると、再び道が 2つに分かれ、 またもや先ほどと同じように 2つの道の真ん中に標識が立てられていた。
先ほどと同様に、右側の道を進まねば標識が読めないようになっていたことから、右の道を進むのが正解なのだが、 実際は左の道を行っても後で合流できるようである。
道はヘアピンカーブのように曲がっていて、西長窪沢を渡ってから沢沿いに逆戻りするようになり、今度は東長窪沢沿いの道に変わると、 少々荒れた谷の中を進んでいくようになって、やがて沢から離れて左の唐松の斜面を登って行くようになった。
この頃になるとようやく展望も開けてきて、唐松林越しにドーム型の頂上を持つ山を見ることができたが、どうもあれが滝子山らしい。

ササの中を進んで行くとやがて十字路となり、左 大鹿峠、まっすぐ大谷ヶ丸、右 滝子山と書かれた標識があり、 また、樹林越しには大谷ヶ丸であろうか、角度の鋭い円錐型をした山を見ることができた。
道を右にとって暫く登ると、すぐに南大菩薩の縦走路と合流することになり、そこから暫くのところに白縫神社があった。
鳥居と小さな祠の前には、小さな水たまりのような鎮西ヶ池があり、柄杓 (ひしゃく) の水受けに 1滴ずつ水が湧き落ちていた (もっとも、 池から流れが始まっていたことから、水面下でも水が湧き出ているに違いない)
神社から霜柱の立った急な道を一登りすると滝子山直下の鞍部で、そこは標識の備わった頂上 (右)、 三角点があるもう一つの頂上 (左) との分岐になっており、 白縫姫にまつわる話を書いた解説板も備えられていた。
右の頂上は東西に細長く、南側にはわずかに雲の上にその頂を覗かせている富士山、 そして三ツ峠山が見え、北側にはこれから進む南大菩薩連嶺の山々と、その奥にザレた山肌の白谷ノ丸、その後ろに黒岳、 そして黒岳の右には大峠を挟んで雁ヶ腹摺山の立派な山容を見ることができた (10時32分)

頂上にはすでに 5人ほどの人たちがいて皆 昼食 ? をとっており、狭い頂上に私も含めて男 6人、 黙々と食事をしている様は何となく滑稽であった。
山頂を後にして登って来た道を戻り、先ほどの南大菩薩縦走路合流点から今度はそのまま縦走路を北へと進んだが、 道自体は明瞭に踏まれているものの、ササなどが道を覆っている所が結構 多く、やや藪こぎに近い状態の中を進むこととなった。
しかし、要所要所には指導標や赤テープがあり、迷うことはない。
いくつかのピークを越えると、やがて唐松林の中の登りとなり、それ程急ではないが結構登り応えのある登りを息を切らせながら登っていくと、 登り着いた所が大谷ヶ丸頂上であった (12時03分)
頂上は狭く、樹林に囲まれて展望もほとんど利かない状況であり、何の面白みもない所であったので、 丁度居合わせたマウンテンバイクの 2人組に記念写真を撮ってもらい、すぐに次の目的地へと向かった。
ところで、この 2人は湯ノ沢峠から登ってきたそうで、いくらアップダウンがあってマウンテンバイクを漕げる場所がふんだんにあるからとは言え、 登り斜面ではバイクを担がねばならないわけであり、そのエネルギーに驚かされてしまった次第である。

大谷ヶ丸からはドンドン下った後、いくつかのアップダウンを経てやがて天下石と書かれた標識のある大きな岩の所を左折すると、 ようやく展望が開けるようになって、目の前にはカヤトの原が広がっていた。
しかし、この原もそしてそれから何回か現れるカヤトの原も、自分の思い描いていたものとは違うボサボサ状態の、 手入れの悪い庭のような感じで失望を禁じ得なかった。
カヤトの原のアップダウンを続けていくとようやく周囲も大きく開けてきたのだが、肝心の富士山は完全に雲の中で見えず、 また大谷ヶ丸や滝子山も逆光の中で霞んでいて十分な展望を得られず、せめてもの慰めは縦走路の先にある雁ヶ腹摺山、 破魔射場丸の明るい姿であった。

ササとカヤトと松のコントラストが見事な斜面を登っていくと、 やがて今までとは雰囲気の違う岩場が現れたのであるが、ここが破魔射場で、ここからは逆光の中、 滝子山や大谷ヶ丸のシルエットを見ることができた。
破魔射場丸頂上はそこからすぐの所で、立派な標識と三角点はあったものの、展望の方は樹林に囲まれていてほとんど得られず、 わずかに樹林越しに大蔵高丸、白谷ノ丸方面が見えるだけであった (13時08分)
破魔射場丸から大蔵高丸へも近い距離にあり、カヤトの緩やかな斜面を進むと、30分ほどで平らたい大きな岩がある大蔵高丸の頂上であった (13時42分)

ここは周囲に遮るものがないため、破魔射場丸とは比べものにならない程展望が良く、 誰もいない頂上で暫くボーッとさせてもらった。
大蔵高丸を後にして凍てついた雪が所々残る斜面を下り、カヤトの原を無粋な電波塔を見ながら進んでササ藪を抜けると、 もうそこは湯ノ沢峠であった。約 8年ぶりにこの場所に立ったことになる (14時12分)
すぐに避難小屋へと進み、前回来た時には全く分からなかった下山路を、今回は小屋の前に掲げられた案内図にて呆気なく見つけることができ、 谷川沿いの道を下った。
やがて、沢の堰堤が見えると林道のような広い道となり、その先でアスファルト舗装の林道へと合流した。

しかし、いくら今回はショートカットする山道を下ったとはいえ、 甲斐大和駅 (昔は初鹿野駅と言った) は遠く、退屈な林道歩きが続く。
やがて廃村を過ぎ、八大王神社を過ぎると、天目山・嵯峨塩鉱泉へと続く立派な道路に合流し (昔はこんな立派な道路ではなかった)、 新しい天目トンネルを抜けてからショートカットとなる臨時歩道を通って、大和村のレジャーセンターへと着いた。
ここにある土屋惣蔵片手切りの碑を見てからも道は延々と歩き、ようやく景徳院を過ぎて甲州街道へとぶつかり、 甲斐大和駅に着いたのは 16時22分 であった。

山の雑記帳に書いたように、今回の山行は距離的・肉体的には結構満足のいくものであったものの、 どうも精神的に満たされないところが多かった。
これは決して山のせいだけではないのだが、それにしてもこの南大菩薩に続く湯ノ沢峠以北の小金沢連嶺の方が魅力的であることは間違いなかろう。


南大菩薩縦走データ

上記登山のデータ 登山日:1998.12.12 天候:快晴 単独行 日帰り
登山路:笹子−桜公園−滝子山登山口−切石−造林小屋−大谷ヶ丸分岐−白縫神社−滝子山− 白縫神社−大谷ヶ丸−米背負のタル−天下石−破魔射場丸−大蔵高丸−湯ノ沢峠−湯ノ沢登山口−天目トンネル−景徳院−甲斐大和
交通往路:瀬谷−(相模鉄道)−横浜−(京浜東北線)−東神奈川−(横浜線)−八王子−(中央本線)−笹子
交通復路:甲斐大泉−(中央本線)−高尾−(中央線)−八王子−(横浜線)−橋本−(相模線)−海老名−(相模鉄道)−瀬谷

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