20010419(木)03-4

 もしかしたら、他の旅行者と会話が出来ないという状況はヤバイのかなと思う。出発前に提出した企画書では、安宿でいろいろな人間と語り合って英語によるコミュニケーションが云々と記したが……
(帰国後に創刊される新雑誌のために、営業をしていた(ようである)。実は今の今まで企画書のことなどきれいさっぱり忘れていた。多分、言葉以前の「日本人のコミュニケーション」をテーマにした連載だったはず。帰ってみれば……新雑誌の話は消えていた。私は浦島太郎の気持ちがよくわかる)

 英語に関して、ひとつ実感として得られたのは、訛りのある英語は人種あるいは国籍を識別するサインになっているということ。レストランに入って他のテーブルから聞こえるオーダーの発音は、まあどこの国と簡単に特定は出来ないが、少なくともジャパニーズ・イングリッシュは簡単に識別できることがわかった。で、彼、彼女もそれでオーダーできているのだからコミュニケーションの道具としてのクォリティは満たしていることになる。だから「英語はダメなんです」と卑下することはない。とりあえずは、それで十分なのだ。メニューを読んで通じさせるだけの英語でも。

 不思議なことに、ぼそぼそだろうが何だろうが、英語が機能を始めている。こちらから声をかけることもできるし、反対にインド英語にとまどうこともある。今日、カーリー寺院でサドゥーみたいな男から「モーキン」と煙草をねだられた時にはさすがに弱った。この男、目の前に突っ立って「モーキン」としか言わないのだ。何度か繰り返して、スモーキンとわかったのだが、このデタラメ加減で人にものをねだるのだから大した度胸だ。

 そういえば、インドは最高の英語学校という再認識も。今日の行動にしても、最初は挨拶からなのである。ただ挨拶を返しただけでも十分だが、そこに若干のウィットを込めることで関係はさらに良くなる。現地の言葉ならもっと良い。本人はヒンディー語を使っているつもりだが、地元の人はわかっているのか「ユー・スピーク・ベンガリ?」と喜んでくれる。ベンガリ語はもう少し違っているはずだが、相手がそう思って(誤解して)喜んでくれるなら構わない。

 まとめると、自分のジャパニーズ・イングリッシュはかなり機能している。ただし、インド英語の聞き取りが今一つなのである。それは発音に起因しているのか、ボキャブラリーなのかもわからない状態。質問を替えさせたり、話題を反らしたりのインチキテクニックは少しひかえて、冷静に聞き取りの分析をしたほうが良いだろう。ところで、少しはマスターしたつもりのアメリカ風発音は通じるのだろうか。言葉の実験場としてのインドにも興味がある。

 夕方の孤独な時間。下手をすると日本的な時間のつぶし方をしそうになる。まだ、こうやって考えを書き散らしているほうが生産的である。プリーでも状況は変わらないと思うが(そもそもたまり場的な宿はやめようと考えているのだから)ま、それも今回の旅だろう。コミュニケーションの道具は暇つぶしの道具ではない。今のところ、インド人との関係のほうが快適だし、とても素敵なのだ。そろそろ7時。夕食はニューマーケットの向こうまでいってみようかと思う。あの高級レストランみたいな「ビリヤニ・ハウス」というのが気になっている。その他にも地元の人間のための食堂があるし、最初にひどい目にあった食堂も確認できた。リベンジマッチと称して、あの白濁して粘りのある水を出した食堂にチャレンジするのも悪くないと思う。おそらく今は普通の、あるいは少しは高級で清潔な食堂になっているのかもしれないが。いずれにせよ、ぼちぼち出掛けますか。

biryanihouse
 夕食は贅沢な感じで、ビリヤニ・ハウスへ。ちょうどニューマーケットを抜けたところにある2階の店で、いつも出入りするのがちょっと金持ち風の家族連れなので気になっていた。安いとは言えないが、高級店ではない。確かに家族で利用するような店。食事の後に、何とニンブの入ったフィンガーボールまで出てくる。さすがに、飲んでいいのか悪いのか悩んでしまったぞ。(笑)
 指を入れてみると、これがお湯。さすがである。

 これだけ贅沢をしているつもりでも、宿代を加えても1日の出費は500ルピーにならない。やはり意識して無駄遣いをするのでもなければ、1200$の予算はまるで意味がなくなってしまう。まあ、たっぷり残して、今年中に再訪するという選択もある。
 帰りはニューマーケットの中を抜けてくる。普通の商店は大半が閉じているか開いていても客引きがうざったいので、がらんとした肉売り場の一角を通る。食べたばかりの鶏が篭に入れられている。すでに姿はないが(その場で解体する)ヤギの売場は屠殺場同然の雰囲気。そこを肉片をくわえた猫がすたすた歩いていたのが印象的。

 サダルの客引きはますます芸が無くなっている。昔は商品連呼(ハッシッシとかジキジキとか)なんて野暮なことしないで、それぞれのスタイルに個性があった。雑巾みたいな力車引きの爺さんなんぞは「ミラは腹を減らしている。お前のことを待っている」と訴えてきた。まるで私とミラさんが知り合いみたいな口調なので困ってしまう。(笑)
 ミラさんが哀れな少女なのか、スレた姉ちゃんなのか、怖いおばさんなのか、婆さんなのかは知ることができなかったけれど、爺さんの口調は今も耳に残っている。

 何となくスチュアート・レーンの入り口辺りで定点観測してみる。日本人旅行者は相変わらずみたいだ。勘違いの最たるドレッドヘアーのカップルが歩いていた。内心は不安でしょうがないのだろうなぁ、友達は売人ばかりなのだろうなぁと余計なことを考えてしまう。欧米人は少し日本人に似てきたかもしれない。まあ、彼らの自信たっぷりは傍若無人と紙一重のところがあるから、少しばかり大人しくなるのは良い傾向かもしれない。

 少し話し合った売人はダージリン生まれ、カルカッタ育ち、学業を終えてからボンベイに逃走、エレファンタ島に渡るフェリーでドラッグの商いをし、そしてカルカッタに売人として復帰したというネパール人。話を聞いていると、またまた日本人が格好のカモになっていることがわかったが、他にもいろいろな情報を仕入れることが出来た。あのサダルのダニみたいな2人連れ、片腕と片目のろくでなし2人は国へ帰ったという。牢獄の間違いではないだろうかね。猿使いの爺さんは死亡。無理ないわ。
(誰とは言わないが、この爺さんにヤギの糞をハッシッシといって売りつけられた日本人を知っている)

 モンキーババの名前を出しただけで、古株とみなされてしまったのだが、はたと気が付いた。こちらに怪しい品を何倍もの値段でふっかけてくる不快なチーター。断ってもしつこく食いついてくる奴ら。どいつもこいつも子供じゃないか。確かに普通に結婚していたら息子であってもおかしくない世代である。そういう奴等に対等にあしらわれて平気でいられるか。それなりの対処の仕方があるってもんだ。まあ、いつまでも下手に出るばかりが能ではないということだ。

 今日も何ページ書いたのだろう。まあ、書くことの他に楽しみはないし、ここの同泊者がインド人家族となるとやることもないのである。パソコンを持ってきたのは賢い選択だったかもしれない。ここまで好き勝手に書き込めるのは恵まれていると思うのだ。手書きでは疲れてしまい、半分ぐらいの内容で終わらせていただろう。
 この先も大きく変わるとは思えないが、明後日の夜はプリー行きの列車。また新しい体験が始まる。どれもこれも最初の旅をなぞっているような感じなのが面白い。

newmarket
かわいらしく改装されたニューマーケット