20010418(水)02-2

 見るもの聞くものすべてに心が動かされる。この新鮮な感動にも慣れていくのだろうが、それが日常になっているカルカッタは去りがたいものがある。今回はカルカッタ・インのチェンナイ・アウトのチケット。この町には戻ってこないと思うと、なおさら去りがたいものを感じる。
 さて、午後はどうしよう。時刻表は欲しいし、身の回りの小物も欲しい。情報交換できる相手がいないというのは……。食事をしながら窓の外を観察していたのだが、ほとんどの旅行者がビギナーのように見える。

 やるべきことは早めに片づけよう。正午になってから宿を出て、サダルからニューマーケット、DDB辺りまでの町の音を録音する。カルカッタで思ったことは、どこへ行ってもカルカッタということ。町の特徴は随所に小さな規模の専門店街があることだ。つまり町はいろいろな顔を持っているのだが、いずれもカルカッタの顔をしている。だからどこへ行っても面白いのだと思う。

 両替のために銀行に入ったら近くにアメリカン・エキスプレスのオフィスがあるといわれ、そちらへ。レートは空港よりも少しだけ悪かった。ま、仕方がない。聖ジョン教会を見ながらフグリー川近くの
HARE通りで鉄道の予約所を見つけた。しかし、案内所の人間に近くに外国人専用オフィスがあると教えられる。
 僅かな距離に過ぎないのに道に迷う。意味不明なツータルティのインド英語の洗礼を受けたGPOを見ながら、やっと発見。2階の外国人専用オフィスで書類に記入していると日本人女性が2人やって来た。。それで少し話して時間を食ったが、無事にチケットを手に入れる。相変わらず女性旅行者は元気がいい。

 プリーまでの寝台は無事に取れたのだが、ハイデラバードはキャンセル待ちのような形で、インド人と同じ1階の窓口へ行けといわれる。コンピュータ予約になっても、窓口のたらい回しは健在だ。ところが、行けといわれた6番窓口は女性、高齢者、身体障害者、軍人のための(フリーダム・ファイターというのが笑える)の窓口。私はどれに該当するのだ。しかも、爺さん相手だから手続きが遅いこと遅いこと。

 待っている間に後ろの女性に順番を変わってもらえないかといわれる。オフィスの空き時間に来ているからという話なので、喜んで代わる。もちろんそのついでにいろいろ話を聞く。インドの女性と話せるチャンスなんぞめったにあるものじゃないからネ。秘書のような仕事をしているらしく、チケットはカルカッタにやってくる13才の娘のため。かわいい盛りだが、これからいうことを聞かなくなるなんて話は万国共通。ついでに昼の休み時間が少ないのも某国と同じ。税金にはやはり不平をもらしているが、真面目に払っている人間はほとんどいないというのがインドらしい。

 さて、本格的に道に迷うのはそれからだ。適当に歩いたのが失敗して、気が付いたら目の前にハウラー橋が見えるではないか。完全に反対方向。曇って太陽が見えないから方角を判断できなかったのだ、というのは二重の言い訳。後に、昼の数時間は頭の真上に太陽があるので、やはり方角がわからないと判明する。ま、おかげでカルカッタのいろいろな顔を見られたのであるが。

 どこでもよく見かける道に面した1坪もない店で、椅子に座った親父さんが小学生か中学生ぐらいの男の子を抱擁している。服装から判断するとモスリムだろう。正直なところ、ずいぶんベタな光景にとまどった。電車の中でいちゃつくカップルの姿が重なり、そんなに大事そうに子どもの肩を抱かなくてもいいではないかと思ってしまう。
 ところが、その親父さんは目が不自由だったのだ。頭の中が真っ白になる。父親は触覚で息子を確認し、愛情を伝えている。これがインドならではの光景、正に人間がそのまま表に出ているカルカッタ。だから、この街は美しいと思い、何もかもが素晴らしく見えるのだ。物怖じせずに声をかけてくる人々。ま、多少はうざったいのだが、それでも笑顔や言葉で応えると、実に嬉しそうな表情になる。その表情が自分を嬉しくさせる。そういった感情の積み重ねが父子の抱擁を見て頂点に達した。だから、少しは泣いていたのかもしれない。暑くて汗をかいていて良かったと思う。

 どこに何の店があったと丁寧に書いていくのも面倒。何もかもが物珍しいという感じで感動できることの喜び。イギリス統治時代の教会もけっこういいものだ。

 いろいろな面で今までとは違っている旅であるが、無理してインド服(クルタとピジャマ)を手に入れなくてもいいように思えてきた。地方はわからないが、カルカッタのインド人はきちんとズボンと靴を履いている。これは大きな変化だと思う。旅行者が好む格好あるいはインドに同化するための(と思っている)服装は底辺肉体労働者のもので、それにしたってかなりスタイルは違っている。つまり、今ではクルタとピジャマはインド服ではなく、旅行者であることを示す服装なのだ。それがさまにならないなら、Tシャツとズボンと靴でもいいわけだ。特に今日のような天気とサダル周辺の工事だらけの道ではサンダルはきつい。

 インドのことは面白いように書ける。歩きながら考えたことを録音していったら、すぐに単行本になってしまうかもしれない。ついでに今日の学習はなかなか効果があり、現在のインドの物価感覚が少しずつつかめてきた。基本的にパイサは消える運命と考えたほうが良いだろう。道端の格安チャイが1ルピー50パイサ。25パイサ以下のコインは全く見ないから、1ルピーの半分としての意味しかないようだ。屋台のメニューを見ても、スナックが5〜10ルピー。そうすると、朝食は(アホみたいに高いのではあるが)さほどの暴利ではないということになる。

 こうなると食べ物についても書きたくなる。食べ物にも明確に区別された階級みたいなものがあり、インドの食事になじめない旅行者が使うレストランは実に特殊な領域だとわかる。オフィス街へ行けば、道端の屋台や露店でビジネスマンが日本のファストフード感覚で食事している。それがまたうまそうなのだ。南インド風のターリ(定食)もあれば、おなじみのプーリー、キーラー(大きなキュウリ)などの野菜やスナック、最近は焼きソバまであり、これは高価な中華食堂で食べる味よりも少しだけ落ちる程度。むしろインド的アレンジでは上。

 朝の散歩ではサットゥー、底辺生活者の食事である(と思っていた)黄粉を丸めただけの団子を普通のおじさんが道に座って食べていた。そう考えると、オフィス街の露店というのもそれなりの人間が食べる、正に日本のビジネスマンがやっかいになる定食屋の感覚かもしれない。その辺り、写真に撮りたいのだが、まだ少し臆病なのである。幸い、デジカメは高級品に見えないから少しは気楽なのだが、モード設定を間違えるとストロボが発光して目立ってしまうのは問題。

 気になるのは気力か体力の衰えに起因しているのかもしれないが、屋台の食事に若干の抵抗があること。焼きソバを食べたとはいえ、まだインドらしい手の食事をしていない。今夜は原点に戻ってカバブとチャパティの食事にしてみようか。朝のコースをもう一度散歩してもいい。

 記してから3時間ほど寝入ってしまった。今夜は早めに休むことにしよう。
 なかなか写真が撮れない。今一つ、どこまで入り込んで良いのかわからないのだ。
 夕食は初めて訪れた時と同じMGロードを西に進んだところにある大衆食堂へ行ってみる。注文も同じで、カバブとチャパティだが、それにビンディを加え、チャイまで飲んで12ルピー(単純に計算すると30円ぐらい)。確かに値段は上がっていても、以前が常識とかけ離れた低い数字だったので、むしろすんなりと受け入れられる。今の物価感覚のほうが慣れやすく、ルピーをバーツに置き換えると、(昔の)バンコクで食事をしているような気がしてくる。貧しい食事かもしれないが、自分にはフィットしている。正しくは、カルカッタでは普通のことに思える。

 食事をしていると相変わらず子どもがうるさい。彼らは良識ある人間が顔をしかめる若年労働者。テーブルの上を拭いたり、皿を片づけたりの下働きをしている。好奇心の盛りなのだろう。外人旅行者が一人で店に入れば、食事中だろうとおかまいなしで、あれこれ話しかけてくる。悪くいえば従業員の躾がなってないということだが、うるさいぐらいに話しかけられるのも嬉しいものなのである。

 帰り道に軽く散歩。これまた相変わらずで、サダルの1本裏は小さな規模で商売をやっている人々、崩れかけた建物。こぎれいな店が並ぶ表のサダルとは対照的な世界が広がる。普通の旅行者はこの景色をどう見ているのだろう。

 何人か日本人の姿を見かけると、インド人ばかりの宿にいるのが若干の孤独。しかし、こちらのほうが良いのだとも思う。今日はいかにもインド的な声の大きなおばちゃんと旦那の口論のような会話とか、いきなり始まった3階の痴話喧嘩とか(とても美しくモダンな女性だったけど)、ここはインド丸出しなのである。

 2階に小さなテラスがあり、植物が植わってなかなか気持ちの良い空間になっている。夕食後にそこで一人くつろいでいたら、1匹の母猫と2匹の子猫がいるのを発見。これがまたかわいいのである。
 さて、土曜日の夕方にはカルカッタを出ることが決定。明日は観光旅行に出掛けよう。明日は南、明後日は北である。またまたカーリー寺院も訪ねてみたい。地下鉄が出来たので、移動はかなり便利になった。20010418(水)02-2

 見るもの聞くものすべてに心が動かされる。この新鮮な感動にも慣れていくのだろうが、それが日常になっているカルカッタは去りがたいものがある。今回はカルカッタ・インのチェンナイ・アウトのチケット。この町には戻ってこないと思うと、なおさら去りがたいものを感じる。
 さて、午後はどうしよう。時刻表は欲しいし、身の回りの小物も欲しい。情報交換できる相手がいないというのは……。食事をしながら窓の外を観察していたのだが、ほとんどの旅行者がビギナーのように見える。

 やるべきことは早めに片づけよう。正午になってから宿を出て、サダルからニューマーケット、DDB辺りまでの町の音を録音する。カルカッタで思ったことは、どこへ行ってもカルカッタということ。町の特徴は随所に小さな規模の専門店街があることだ。つまり町はいろいろな顔を持っているのだが、いずれもカルカッタの顔をしている。だからどこへ行っても面白いのだと思う。

 両替のために銀行に入ったら近くにアメリカン・エキスプレスのオフィスがあるといわれ、そちらへ。レートは空港よりも少しだけ悪かった。ま、仕方がない。聖ジョン教会を見ながらフグリー川近くの
HARE通りで鉄道の予約所を見つけた。しかし、案内所の人間に近くに外国人専用オフィスがあると教えられる。
 僅かな距離に過ぎないのに道に迷う。意味不明なツータルティのインド英語の洗礼を受けたGPOを見ながら、やっと発見。2階の外国人専用オフィスで書類に記入していると日本人女性が2人やって来た。。それで少し話して時間を食ったが、無事にチケットを手に入れる。相変わらず女性旅行者は元気がいい。

 プリーまでの寝台は無事に取れたのだが、ハイデラバードはキャンセル待ちのような形で、インド人と同じ1階の窓口へ行けといわれる。コンピュータ予約になっても、窓口のたらい回しは健在だ。ところが、行けといわれた6番窓口は女性、高齢者、身体障害者、軍人のための(フリーダム・ファイターというのが笑える)の窓口。私はどれに該当するのだ。しかも、爺さん相手だから手続きが遅いこと遅いこと。

 待っている間に後ろの女性に順番を変わってもらえないかといわれる。オフィスの空き時間に来ているからという話なので、喜んで代わる。もちろんそのついでにいろいろ話を聞く。インドの女性と話せるチャンスなんぞめったにあるものじゃないからネ。秘書のような仕事をしているらしく、チケットはカルカッタにやってくる13才の娘のため。かわいい盛りだが、これからいうことを聞かなくなるなんて話は万国共通。ついでに昼の休み時間が少ないのも某国と同じ。税金にはやはり不平をもらしているが、真面目に払っている人間はほとんどいないというのがインドらしい。

 さて、本格的に道に迷うのはそれからだ。適当に歩いたのが失敗して、気が付いたら目の前にハウラー橋が見えるではないか。完全に反対方向。曇って太陽が見えないから方角を判断できなかったのだ、というのは二重の言い訳。後に、昼の数時間は頭の真上に太陽があるので、やはり方角がわからないと判明する。ま、おかげでカルカッタのいろいろな顔を見られたのであるが。

 どこでもよく見かける道に面した1坪もない店で、椅子に座った親父さんが小学生か中学生ぐらいの男の子を抱擁している。服装から判断するとモスリムだろう。正直なところ、ずいぶんベタな光景にとまどった。電車の中でいちゃつくカップルの姿が重なり、そんなに大事そうに子どもの肩を抱かなくてもいいではないかと思ってしまう。
 ところが、その親父さんは目が不自由だったのだ。頭の中が真っ白になる。父親は触覚で息子を確認し、愛情を伝えている。これがインドならではの光景、正に人間がそのまま表に出ているカルカッタ。だから、この街は美しいと思い、何もかもが素晴らしく見えるのだ。物怖じせずに声をかけてくる人々。ま、多少はうざったいのだが、それでも笑顔や言葉で応えると、実に嬉しそうな表情になる。その表情が自分を嬉しくさせる。そういった感情の積み重ねが父子の抱擁を見て頂点に達した。だから、少しは泣いていたのかもしれない。暑くて汗をかいていて良かったと思う。

 どこに何の店があったと丁寧に書いていくのも面倒。何もかもが物珍しいという感じで感動できることの喜び。イギリス統治時代の教会もけっこういいものだ。

 いろいろな面で今までとは違っている旅であるが、無理してインド服(クルタとピジャマ)を手に入れなくてもいいように思えてきた。地方はわからないが、カルカッタのインド人はきちんとズボンと靴を履いている。これは大きな変化だと思う。旅行者が好む格好あるいはインドに同化するための(と思っている)服装は底辺肉体労働者のもので、それにしたってかなりスタイルは違っている。つまり、今ではクルタとピジャマはインド服ではなく、旅行者であることを示す服装なのだ。それがさまにならないなら、Tシャツとズボンと靴でもいいわけだ。特に今日のような天気とサダル周辺の工事だらけの道ではサンダルはきつい。

 インドのことは面白いように書ける。歩きながら考えたことを録音していったら、すぐに単行本になってしまうかもしれない。ついでに今日の学習はなかなか効果があり、現在のインドの物価感覚が少しずつつかめてきた。基本的にパイサは消える運命と考えたほうが良いだろう。道端の格安チャイが1ルピー50パイサ。25パイサ以下のコインは全く見ないから、1ルピーの半分としての意味しかないようだ。屋台のメニューを見ても、スナックが5〜10ルピー。そうすると、朝食は(アホみたいに高いのではあるが)さほどの暴利ではないということになる。

 こうなると食べ物についても書きたくなる。食べ物にも明確に区別された階級みたいなものがあり、インドの食事になじめない旅行者が使うレストランは実に特殊な領域だとわかる。オフィス街へ行けば、道端の屋台や露店でビジネスマンが日本のファストフード感覚で食事している。それがまたうまそうなのだ。南インド風のターリ(定食)もあれば、おなじみのプーリー、キーラー(大きなキュウリ)などの野菜やスナック、最近は焼きソバまであり、これは高価な中華食堂で食べる味よりも少しだけ落ちる程度。むしろインド的アレンジでは上。

 朝の散歩ではサットゥー、底辺生活者の食事である(と思っていた)黄粉を丸めただけの団子を普通のおじさんが道に座って食べていた。そう考えると、オフィス街の露店というのもそれなりの人間が食べる、正に日本のビジネスマンがやっかいになる定食屋の感覚かもしれない。その辺り、写真に撮りたいのだが、まだ少し臆病なのである。幸い、デジカメは高級品に見えないから少しは気楽なのだが、モード設定を間違えるとストロボが発光して目立ってしまうのは問題。

 気になるのは気力か体力の衰えに起因しているのかもしれないが、屋台の食事に若干の抵抗があること。焼きソバを食べたとはいえ、まだインドらしい手の食事をしていない。今夜は原点に戻ってカバブとチャパティの食事にしてみようか。朝のコースをもう一度散歩してもいい。

 記してから3時間ほど寝入ってしまった。今夜は早めに休むことにしよう。
 なかなか写真が撮れない。今一つ、どこまで入り込んで良いのかわからないのだ。
 夕食は初めて訪れた時と同じMGロードを西に進んだところにある大衆食堂へ行ってみる。注文も同じで、カバブとチャパティだが、それにビンディを加え、チャイまで飲んで12ルピー(単純に計算すると30円ぐらい)。確かに値段は上がっていても、以前が常識とかけ離れた低い数字だったので、むしろすんなりと受け入れられる。今の物価感覚のほうが慣れやすく、ルピーをバーツに置き換えると、(昔の)バンコクで食事をしているような気がしてくる。貧しい食事かもしれないが、自分にはフィットしている。正しくは、カルカッタでは普通のことに思える。

 食事をしていると相変わらず子どもがうるさい。彼らは良識ある人間が顔をしかめる若年労働者。テーブルの上を拭いたり、皿を片づけたりの下働きをしている。好奇心の盛りなのだろう。外人旅行者が一人で店に入れば、食事中だろうとおかまいなしで、あれこれ話しかけてくる。悪くいえば従業員の躾がなってないということだが、うるさいぐらいに話しかけられるのも嬉しいものなのである。

 帰り道に軽く散歩。これまた相変わらずで、サダルの1本裏は小さな規模で商売をやっている人々、崩れかけた建物。こぎれいな店が並ぶ表のサダルとは対照的な世界が広がる。普通の旅行者はこの景色をどう見ているのだろう。

 何人か日本人の姿を見かけると、インド人ばかりの宿にいるのが若干の孤独。しかし、こちらのほうが良いのだとも思う。今日はいかにもインド的な声の大きなおばちゃんと旦那の口論のような会話とか、いきなり始まった3階の痴話喧嘩とか(とても美しくモダンな女性だったけど)、ここはインド丸出しなのである。

 2階に小さなテラスがあり、植物が植わってなかなか気持ちの良い空間になっている。夕食後にそこで一人くつろいでいたら、1匹の母猫と2匹の子猫がいるのを発見。これがまたかわいいのである。
 さて、土曜日の夕方にはカルカッタを出ることが決定。明日は観光旅行に出掛けよう。明日は南、明後日は北である。またまたカーリー寺院も訪ねてみたい。地下鉄が出来たので、移動はかなり便利になった。

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sudder st.も一歩裏に入れば....