20010419(木)03-3

 気温はぐんぐん上昇し、それなりに疲れた頃にビクトリア・メモリアルに着いた。しかし、入り口は反対の北側。ぐるっと回るのがきつく感じられるほど建物は大きい。

 イギリスは本当にタージ・マハールに対抗して、これを作ったのだろうか。何だかなぁと思ってしまう。成金趣味と呼ぶほどひどくはないのだが、別に息を呑むほど美しいと言うわけでもない。周囲にあるイギリス人の彫像は貧しげな顔をしている。中に入ってみても、大英帝国の栄華を忍ぶというものではない。武器やら生活用具ならラージャスターンの城のほうが上。内部の作りも記念堂なのか機能性を持った建物なのか中途半端な感じ。
 そんな器はともかく、ちょうどやっていたエキジビションが良かった。18世紀から19世紀にかけてのインドをテーマにした油絵が展示されていて、絵画としては構図や描写が甘かったりと偉そうなことを言いたくなるのだが、いかんせん当時のインドの様子がわかるのが面白い。むしろ英国人から見たインドと、占領者としての彼らを超えた自然や建造物の対比が興味深い。しかも面白かったものがすべてタミールにあるというのも何かの因縁だろうか。タミールでは巨大な寺院や遺跡を、仮想的にイギリス人の目を通して見てみたら、意味が深まるかもしれない。他の展示品は前述のとおり。

 うっかり見過ごすところだったが、ライトウィングがエキジビションで、レフトウィングはカルカッタの歴史を展示した博物館になっている。確か1992年に開設されたはず。これが今までの植民地支配に対する認識を変えるほどの面白さ。
 どうしてもイギリスというとインドを支配した悪者と見てしまうのであるが、当時の都市計画の青写真や風景画を見ると、何もないジャングルだったカルカッタに彼らは理想的な空間を作ろうとしていたことがわかる。つまり植民地イコール支配という現実はあるのだけれど、それが(既にあるものを)搾取するというだけの関係ではなく、ひとつの理想を創ろうと燃えていた(ポジティブな)側面もあるのだ。うまく表現できないが、支配者は悪いことをしようとしていたのではないと小学生並の表現をするのがいいかもしれない。(笑)
 疲れてくると、頭の働きはこの程度になってしまう……

stpaur
 イギリスも一所懸命であって、何もない土地だったからこそカルカッタが生まれたのかもしれない。そう思うと、昨日の教会にせよ、この後に見ることになった聖パウロ教会にせよ、支配者の力を見せつけるというより、それはそれで理想社会の核として機能させるために建てられたものだろうと思う。まあ、植民地の都市建設にはとてもポジティブな気持ちも存在し得たということだ。
 とまあ、そこまではいいのだが、さすがにサンダルでは足が痛くなってきた。

 マイダン公園の食堂でコーラとチキンオムレツの昼食。遠目にはクラブハウスに見えた建物も、近くでは倉庫みたいだ。内部も古びた体育館に椅子とテーブルがある感じ。コンクリートの床に安定するようにパイプ椅子の位置を調整する。朝からニンブ(ライム)ジュースしか飲んでいなかったので、最初のまともな食事。しかし、これがまた難しい。隣の夫婦が食べているチョウメンを見たら半端な量ではないし、いわゆるカレーもライスが山盛り。インド標準?のボリュームに適応できそうもない自分に疎外感がわいてくる。オムレツなら適量だろうと考えて選んだのであるが、これはこれで厚みがほとんどない。予想が当たったわけではあるけど、結局、それから宿に戻るまで飲み物以外は口にしないことになった。

 マイダンを出て、最初に目に入ったのが聖パウロ教会。内部に入ると、イギリス人は何とまあ権威的な建造物が好きなんだろうと先の考えはどこへやら。まあ、理想は理想として、これがヨーロッパの人間なのだろう。
 足は痛み始めていたが、マイダンから地下鉄に乗ってカーリーガートへ。駅を出た途端に自称ガイドがぴったりと貼り付いてきた。悪いけど、私は他人のペースで歩かない。しかも沿道の露店がまるで祭りの賑わいではないか。神様グッズの露店というのはかなり好み。じっくりじっくり見ているうちにガイド氏はどこかへ消えてしまった。

 カーリー寺院も今では異教徒入場禁止らしい。それはわかっていた。一周していると土産物屋の人間から「中に入れるぞ」としつこく誘われるが、丁重に断る。相手は「ここまで来て、何を言っているのだ」と半ば小馬鹿にしたような呆れかえった顔をするが、はじめからその気がないのだ。相手の親切心はわかるが、無用なトラブルは避けたい。噂に聞く多額のお布施を条件に観光客が入れるというのが気に入らない。それも違うな。ヤギの生け贄を観光気分で見たくない。そういう点では観光客ではないのだと、観光で訪れた自分は思ってしまう。

 カーリーガートへ来たのは寺が目的ではなく、このエリアの雰囲気に浸りたかったのだ。いいの、外から見ただけで。カーリー寺院はそれで十分。内部を撮影できたからといって、それが何だというの。むしろ門前の店で飲んだマンゴージュースのほうがうまかったし、そこの婆さんと息子か孫みたいな若者と片言で会話したほうが面白かった。律儀というか、印刷された値段表にはマーザは10ルピーとあるのだが、受け取ったのは9ルピーだけ。それが値段だと言う。(冷やし賃が入っているから1ルピー増しなどという逆のケースは時々あるけど)
 この婆さんの写真を撮ってあげたら、いろいろな人間を呼び寄せるほど嬉しがってくれた。しかもデジカメの良い点を発見。その場で再生できるのもありがたいが、しばらくするとスリープモードに入ってしまう。うまいこと切り上げられるのだ。帰りは念願のカレンダーとマントラ集、そして御本尊の写真を購入。カーリー寺院はこれでいいのだ。

 再び地下鉄でパーク・ストリートへ。明日の移動も地下鉄を活用したいと思う。ついでに駅構内の珈琲がうまかった。(そういえばニューマーケット近くのマンゴージュース屋はまだ見つけられない)
 石鹸を買ってから宿へ。さすがに疲れたけれど、室内にシャワーがあることのありがたさを感じる。浴びた後にそのまま裸で扇風機にあたれるからね。再びうとうと仕掛けたが、夕方に夕立あり。バッテリーのリフレッシュも完了。今日も順調なのである。

kalimataji
同じ買い物をするなら、こういう婆さんの店!